ネギま!は名作です。それを説明する際に伊藤剛のキャラ/キャラクターの区別はとても便利です。ネギま!を一読すると、たいていの人は「はぁ〜萌え記号ちりばめて、裸とパンチラで売れてる漫画ね、死んでください」といった感想を抱くと思います(ほんとか?)。そうした感想を抱く人は「萌え記号/裸/パンチラ」という「線」の集合にしか着目していないという意味で、ネギま!の「キャラ」把握(解読)しか行なっていないとkaseは考えます(ま〜、同人書く人とかも素で「キャラ」把握だけに特化した読みをしてる場合もあるわけだが。これは、「キャラ」把握(解読)の肯定的な側面と否定的な側面だと思いまつ。同人書く人は「キャラ」に萌え、ネギま!を嫌う人は「キャラ」をキモイと感じるのでせう。萌えもキモイも、「キャラ」の把握を前提として成り立つ感情だと考えれば、「キャラ」の把握という同じ営為の表と裏と言えまつ)。最近流行りの認知科学的なアプローチにおいては、この「キャラ」の把握という営為がどのようなプロセスを経て行なわれているのかを解き明かそうとしているらしいですが(kaseはそこら辺のことに無知です)。

確かに漫画は台詞も線だという主張を認めれば「線」の集合と紙から構成されているメディアです。しかしながら、そうした「線」から構成される「キャラ」それぞれには物語内来歴があり、そうした来歴と「キャラ」が結び付いて「キャラクター」を構成するという伊藤の議論を思い出してみてください(って、読んでない人に俺の説明は伝わるのか?早い話が、線の集合それ自体と、線の集合がどう配置され、どう動かされているか、あるいはどう配置されてきたのか、どう動かされてきたのか(=来歴)は同じことのようで違うことだよ、ということ。来歴は読者の脳内に収蔵されていくわけです。話が余計ややこしくなったね…)。ネギま!が名作だという理由は、ネギま!ほど意識的に「キャラ」と「キャラクター」の不可分な関係を描いている漫画はないのではないかと kase個人的には考えるからです。

確かに、作者である赤松は「読者に受けるために様々な記号を配置している」とインタビューで述べているほどに商業的な意図のもとで萌え記号をちりばめている作家です(しかも、そうした記号って多ければ多いほどニーズに答えられる(=売れる)よね位のことを赤松は言ってます)。その結果として、ネギま!においては「キャラ」が一人歩きしているような描かれ方をしています(つまり、作品それ自体よりも作品内のキャラにばかり目がいくということ。どういうことか。はやい話が人と会話する際に「ネギま!の何話のどれそれな展開がやばかった!」というストーリーやコマわり、演出についての語りの代わりに、「アキラ萌え!」といった類いの語りが主となる事態です)。結果として「キャラ」と「キャラクター」が気持ち悪いほどに分離するという事態になっています。そのため、逆説的ながらも「「キャラ」と「キャラクター」の双方を結び付ける」ということが漫画を読むという作業に他ならないし、そうしたことを実は意識せずに我々は常に行なっているのだということを読者に痛感させる作品となっているといえるのではないでしょうか。

多くの人々がネギま!の「キャラ」読解(「キャラ」把握)しか行なっていないという事態はネギま!にとって不幸だなと感じる一方で、それはそれでポジティブに捉えればいい傾向なのではないかとも感じています。なぜならば、ネギま!という作品を萌え要素に依存した作品だと捉えることは、少なくともキャラが漫画内において浮いているという実感をもっていることに等しいのですから、そのように浮いているキャラに来歴を結び付けて「キャラクター」を構成するという次のステップへの準備が既に整っているとも言えるわけです。

ネギま!は無駄に凝ったプロットや設定を背景としているので、一読では「キャラ」に来歴を結び付けて「キャラクター」を構成するという作業を行なうことは難しいかも知れません。しかしそれは裏を返せば、再読に耐えうるだけの豊かな作品でもあるということの証左です。

ネギま!が名作である理由をまとめれば、

  • 「キャラ」と「キャラクター」の区別を読者に意識させる作品である。
  • 「キャラ」と「キャラクター」の区別を前提とした上で、双方を結び付ける営為こそ漫画を読むという体験の定義の1つであり、そうした営為を読者は意識せずに行なっているということを逆照射してくれる作品である。
  • 双方を結び付ける営為を行なうには、綿密に作品を読み込む必要がある。そしてそうした再読に耐えるだけの緻密な設定、プロットの配置がネギま!においては行なわれている
  • といったものがあげられるとおもいます。

    もちろん、漫画を読むときにはこうしたことを一気に(同時に)並列処理で既に常に行なっています。ネギま!はそうした並列処理がどういった構成から出来ているのか、そうした機構を読者に気付かせる1つの装置のような作品だといえるかもしれません。誉めすぎかもしれませんが。。

    とりあえず、言いたいことは読まず嫌いは損です。「萌え記号/裸/パンチラ」といった記号にうんざりしている人は、そうした記号もまたただの「線」であることを思い出してネギま!をもう一度読んでみてください。

    なんだかんだで、

    「裕奈、アキラ、刹那、龍宮、アスナ、最高!」

    と言いたいだけなんですけどね…。