# 「高年化時代」のライフ・ステージ
平和の証としての「日本高年化社会」
・*・*・「高年化時代」のライフ・ステージ
「ライフ・ステージ」というと、ふつうには
「幼年期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」
という五つの階層にわけて説明されている。
この「五つのステージ」は、自分自身の経験として、あるいは子どもの成育の姿や父母の生き方をつうじて、だれもが納得できる分け方として認めている。
ところが、史上まれな
「少子・高齢化」という状況にあって、「高齢化社会」の実情をつぶさに考察しようとすると、上の「五つのステージ」ではうまく把握できないのである。なぜといって、五つのうち三つまでが二〇歳代の「青少年期」に当てられていて、つまり若年層に片寄って分類されていて、高年層に窮屈なのである。「高年齢社会」の把握には、高年層に配慮した別途の「ライフ・ステージ」が入り用なのだ。
「人間わずか五十年」の時代ならいざしらず、まれであった「七十古希」がまれでなくなり、「傘寿平凡」といってもいい現代の日本で、青少年期(〜24歳)・中年期(25歳〜49歳)を終えて高年期(50歳〜)の人生を迎えている多くの人びとが納得できる「ライフ・ステージ」を、何とかして考案する必要がある。それが高年者自身の「高年期の人生」への意識変革をもたらし、みずからが暮らしやすい「新たなステージ=高年化社会」を創出する契機となる。
本稿がここでいう「高年化社会」とは、各分野の高年期にある人びとが主体者となって、高年者みずからが利用しやすい独自の「モノと場」を持つしくみを創り出し、高年世代のためのさまざまな活動を展開する新たなステージによって構成する社会であって、お仕着せのユニバーサル・デザイン型の「高齢化社会」とは区別して用いている。
このあたりは、たとえばヨーロッパの先進諸国のなかには、とくに北欧あたりには「高齢化時代」の分析に都合のよい先進事例があるがという学者・研究者が介在してくるところであろう。が、ここでは海外の事例を当てにせず、われわれが当面している事態はみずからの手法で解決するという気構えが必要である。
というのも、国際的な高齢化先進国のトップランナーとしてひた走るわが国には、アジア地域での安定した「高齢化社会モデル」の形成が期待されており、「日本高年化社会」は、自まえの経済・文化の条件のもとで、独自のプロセスを案出しながら達成に向かわねばならないからだ。つまり舶来の借り物ではうまく暮らせないからである。
そこでわが国の高年齢化の実情をよく観察した上で、体現者である高年者のみなさんに納得されることを期待して、本稿が独自に採用することにした「高年化時代のステージ」をはじめに見ていただこう。
次のような
「高年化時代のライフ・ステージ」である。
初めの三つのステージは、25年を区切りとする「青少年期」「中年期」「高年期」であり、後のふたつのステージが、当面するわが国の実情に見合った高年期人生のために設けた
「高年後期」と「超高年期」というステージである。参考までに年齢階層と人口を添えて図示すると、
「青少年期」 〜二四歳 自己形成期 三一二九万人
「中年期」 二五歳〜四九歳 社会参加期 四二八四万人
「高年期」 五〇歳〜七四歳 社会参加とともに自己実現期 四一五七万人
「高年後期」 七五歳〜八四歳 主に自己実現期 九九五万人
「超高年期」 八五歳〜 余生期 三〇五万人
(人口は「国勢調査」2005・10から)
となる。
この図表を眺めて、同じ「五つのステージ」でありながら、逆に高年層を三つに厚く分類しているのに気づかれるにちがいない。
その通りなのである。これでどうやら「日本高年化社会」を考察する立場からは納得がいくからである。
青少年期(25年)、中年期(25年)の人びとは、高年期(25年+)の人びとの存在感の厚みに気づくであろう。また高年期にある人びとは、いま自分が人生のどんな時期にあるかが明らかになるだろう。
高年後期と超高年期との刻みがなぜ100歳でないのかという25年刻みの整合性についての疑義があるであろう。のちに詳述するが、ここでは「平均寿命」(女性)が84.6歳であるという現実に留意しておいてほしい。まずは素直にご自分の「ライフ・ステージ」と重ねあわせてみていただきたい。
ちかごろ「後期高齢者」(75歳以上)の医療費支払いが問題になって、75歳で刻むことの意味が問われたが、75歳で截然として人生が変わるわけはなく、ライフ・ステージとしての階層であるから、その間にはバトンゾーンがあるのは当然である。何よりその年齢に達することが誇らしく愉快であるなら、とやかくいわれることではないのだが。他のステージの区切りも同様に、その年齢のところで際立って暮らし方が変わるものでもない。
また人生を「五つのステージ」に分ける意味を疑う立場の人には、ここで「ご随意に」ということにしよう。人生はあすをも知れぬものであり、「無為自化」であっていいという立場を尊重しよう。
「高年期」がはじまる五○歳代(およその見当で自分の人生の「来し方、行く末」が見えるころ)に到達した人は、「青少年期」「中年期」のふたつのステージを過ごしおえたところで、属している企業や地域でのありようを見据えるとともに、「高年期25年+の人生」を過ごすことになる「家庭」「企業」「地域」といったステージでの自己のありように思いをいたしてみようというものである。
「青少年」のためには、育児・保育施設、学校、その他の教育施設、遊園地など、さまざまな「青少年のステージ」が用意され、次世代を育成するための「少子化特任大臣」が内閣に置かれている。
「中年者」のためには、多くの企業、自治体など、社会の総力をあげてその活動を支えるための場を用意している。それが国際化時代の対外的な国力として認識され評価されるからである。
さて「高年者」のためには、どんなステージが用意されているのか。史上まれな「高年齢社会」に見合うほどの「ステージ」は、無いにひとしい。当事者である高年者がみずからの手でみずからのために形成することになる。そのために内閣に「高年化特任大臣」の設置を要求せねばならないだろう。
まず五○歳代というのは、「中年期」から「高年期」へと移行する「バトンゾーン」に当たる。バトンがどちらにあるかは企業や地域の現状に対する意識の度合いによるが、知力も気力も体力もまた資力も充実した「時めきの人生」の期間なのだから、
「窓際族」なんていわれて、能力発揮のチャンスを閉ざして停滞して過ごすことはあってはならない。それは一人ひとりの人生にとってマイナスであるばかりか、「日本高年化社会」の達成のためにも大きな損失になるからだ。
上の表をもう一度とくとご覧いただきたい。
「高年期」(50歳〜74歳)の後に「高年後期」(75歳〜84歳)と「超高年期」(85歳〜)を設けているのは、わが国の「高年化」の実情と将来を見据えてのことである。
五○歳代になった「高年期」の立場から、父母とその時代の人びとを、同じ高年期ステージでのひとつ上のステージを健丈に過ごしている「人生の達人」として、敬愛をもって見直すことができるよう設けている。一方、「超高年期」にある親の立場からは、成熟した息子・娘を同じ高年期のステージに「人生の仲間」として迎え入れる機会となる。
まずは本稿がどんなところに配慮して、この「高年化時代のライフ・ステージ」を仕立てたのか、知識としてではなく経験の確認として納得してほしい。
・*・*・現状は「ゴムひも型高齢化人生」
人生は明日をも知れないところが妙味なのであり、「無為自化」の姿が本来であって、ステージなどとやかくいうべきでない。そう言い切ることができる人はうらやましい。時代が変容する先の先の姿を前もってキャッチできる優れたアンテナを、生得の資質として持っている人だからだ。
多くの人びとはそれが通例として、人生の経緯を次のような「三つのライフ・ステージ」としてとらえることで、納得して暮らしているだろう。
第一のステージは、自己形成にあたる「幼・少・青年期」で、生まれて養育を受けて、学習して、選んで職につくまで。浪人期や職場選択のためのモラトリアム期などを含んで、およそ三〇歳ころに「定職」につくまでとする。
第二のステージは、働きざかりである「壮年期」で、三〇歳から六〇歳(国の政策として六五歳まで引き延ばされつつある)で「定年」を迎えるころまでとする。定年が引き延ばされたところで、現状では生産活動や生産する商品の中心が若年化・途上国化しており、つまり低価格のスーパー・コンビニ商品が主流であり、高年者が技術を尽くして当たれるしごとや高品質の手づくり製品の需要は多くないのが実情であろう。長いだけで充足感に欠けた日々を仕方なく過ごして引退をむかえる。
そしてそれ以後が第三のステージである「老年期」で、静かに気ままに「余生」を送って終わる・・・。
といったあたりが実態に近く、現にそういう人生を納得して送っている人が多いことも承知している。
それと知った上で、本稿がゴムひもを引き伸ばすような前記の三区分を採らずに、ここに「高年化時代のライフ・ステージ」としての五階層を提案しているのには、次のようにはっきりした理由があるからである。
みんなが「ゴムひも型人生」に従うとしよう。
そうすると、ここで課題としている存在感のある「日本高年化社会」の創出を担う主体者が見当たらなくなってしまう。
「グローバル化」(世界同一化、国際化)とはいうものの、その実は「政治のアメリカ一極化と、企業活動のIT化・途上国化と、社会の若年化・女性化」の進行であり、その三つの怒涛のような流入に直面して、わが国も急速な対応に迫られることになった。
政府はアメリカ追随に、企業はIT化・途上国対応に追われ、社会風潮は若年化・女性化を許容することになって、高年者層の存在感が一気に希薄になった。このまま推移すれば、すでにあちこちで顕在化しはじめているように、中年者層の人びとに負担を強いることになってしまう。そればかりか、苦闘することになったわが国の若年・中年世代を支援するという時代の要請にも応じられなくなってしまうのである。
それが今後どういう影響をもたらすかを憂慮している。
「老齢者・弱者の切捨て」というむごい仕打ちが待ち受けているのだ。公的支援や個人の善意のとどく限度を越えたところで、潜在して広がる「老齢者・弱者」の軽視・蔑視・黙視という状況が、「格差」を容認する時代風潮のもとで進行する。
「こんな社会をつくるために苦労したわけではなかった。でも自分だけは」
余生を送る多くの高齢者が、「こんな社会は許せない」ではなく、「自分だけは大丈夫」という胸中に動く声を認めて沈黙する。「好事は門を出ず、悪事は千里を行く」という通り魔がはびこる暗黒社会に向かうことになる。
みんなが「ゴムひも型人生」を送ることの先方に見える情景である。不安な将来を国の施策にゆだねて、「自分だけは」と願いながら暮らすことになる。「自分だけは大丈夫」というのは、弱者の思考であり、結局は切り捨てられる範疇にあることを後に知ることになるだろう。
みずから意識して、高年期の現状を果敢に切り開くことが要請されているのだ。意識の変革は、あせらなくともいいが急がねばならない。変革へむかう対象は内と外にふたつある。ひとつは長く伝統的に美意識とされてきた「潔い隠退」への疑義であり、もうひとつは意外と思うかもしれないが、
「ユニバーサルデザイン」という考え方を拡大する政府に対する異議である。
・*・*・高年者が高年者のために創出する
大戦後の長い期間を働きづめにすごしてきて高年期を迎えた人びとを、
「列島総不況」が襲ったのは前世紀の末だった。以後をどう暮らすかに思い悩んでいた高年者を慰労する優しいことばが
「老人力」だった。多くの高年者が納得することで、時代を癒す働きをする流行語となった。
先にも述べたが、人生の晩期を迎えて、衰えていくみずからの姿を見極めながら、がんばりすぎずにクールダウンしてゆく自己認識の能力を「老人力」と呼んだ同時代人のことばに納得し、働きづめにきた多くの高年者がみずからの判断で体を休め、疲れを癒した。先の大戦後に、製品と自己の品格の向上につとめて先進国入りをなし遂げたこの国の高年者が「がんばらない」ことが、この国の「途上国化と若年化」のためには必要だったのである。
さて、新世紀になってこの時期に、みずからを高年齢者と認めながらも「老人」と呼びたくない、呼ばれたくない人びとが「高年化社会」を体現しながら数多く登場している。
「団塊の世代」といわれてきた人びとの多くがそうだ。高年期を迎えて、みずからの目標を定めて、日また一日、達成をめざして暮らしている人びと。その内側からどこまでも発展・熟達・深化させようとして働く力、ふつふつと涌いて出る強い生活力あるいは生命力を、本稿では「尊老」の意味合いをもつ古語
「丈人」を援用して
「丈人力」と呼ぶ。時代を励ます力のあることばとして、新たな納得がえられるように思えるからである。
「七十古希」の時代から「傘寿平凡」という時代にあって、「潔い隠退」指向ではなく、高年期のライフ・ステージを考案し、高年期の人生を「着実に体現」していかねばならないのである。
もうひとつが「ユニバーサルデザイン」という考え方への異議である。
政府は二〇〇一年の
「高齢社会対策大綱」(一二月、閣議決定)以来、「ユニバーサルデザイン」の考え方を基本にして、その普及に努め、なんとか六五歳の年金受給までの期間を、企業の努力で高齢社員の定年を延長させながらつなごうという政策上のつじつま合わせをしてきた。
その努力を全否定する必要はないが、注意しなければならないのは、それが前記した「ゴムひも型人生」を強要することになってしまう点にある。
だれにも通じるように、だれもが用いやすいように、という立場や世代を越えた「ユニバーサル」の視点は一方では大切だが、それがすべてとなってはこの国の将来が危うい。それとともに、それにも増していま急務なのは、高年者が高年者とともに高年者のために創生する「社会の高年化」、つまり高年者みずからが暮らしやすい新たなモノや活動の場やしくみを生み出し、高年者の暮らしに便利な地域生活環境を作り出すことなのである。
繰り返すが、世代をつなぐ暮らし方「ユニバーサルデザイン」の活動に重ねて、高年者のための高年者独自の「社会の高年化」活動がプラスされねばならないのである。それがそのまま「高年化社会」の創出となる。その時にはじめて日本の高年者は、史上にまれな「日本高年化社会」を体現し実感して生きる者として、歴史的存在となる。つまり日本的な伝統と文化を活かした国際的に誇れる「日本高年化社会」の形成に立ち会うことであり、それこそが先の大戦後を平和裏に生き抜いてきたこの国の高年者による国際平和の証しであり、世界平和のシンボルとなりうるのである。
「少子・高齢化」時代を迎えて、内閣府に「少子化」関連の課題を担う「特任大臣」を設けているが、こんな緊急を要する時期に直面しているというのに、「高年化」の諸課題を担う
「高年化特任大臣」がいないのはどうしたことか。
ここで本稿が声を大きくしていいたいのは、「高年化社会」をどう進めるかのグランドデザインを検討し提示するはずの国の機構の欠如についてなのである。「高年化」問題を担当する現役官僚の心中に内在する高年者軽視というべき時代認識への異議である。
「高齢化」は一過性のものではなく、「少子化」は恒久的なものではない。
・*・*・第一のステージである「青少年期」
第一のステージである「青少年期」からみてみよう。
近ごろでは、結婚後10カ月の
「ハネムーンベビー」よりも、結婚後半年ほどの
「できちゃったベビー」が多い世の中だから、生まれて以後の養育についても不確定な要素をもちながら推移することになるだろう。といっても子どもたちは、たいせつに養育され、学んで自己形成をして、選んで社会参加をすることに変わりがない。現状では複雑な時代ゆえに、さまざまな選択のための「猶予期間(モラトリアム)」を置いて、一般的にはおよそ三〇歳までを「青少年期」として許容されている。
しかし、本稿の「ライフ・ステージ」の区分では、二四歳までにしっかりとした自己意識を確立して、職業選択を終えて、若い柔軟な能力を企業や組織内で発揮するチャンスを活かしているものと想定している。中国、インドほかのアジアの途上国の若いリーダーたちと伍して、その先頭に立つ多くの人材が必要だからだ。
高年者としては、この孫世代の人びとにどう対応するか。
みずからの来し方を思い、省みて知られるように、「人生の第一期」にあって、遠い「第三期の人生」での自己実現へとつながる「こころざし」(初志)を定めることは、放っておいてできることではないだろう。「人生の第三期」にいる高年者(祖父母)としての立場で、「第三のステージ」での存在感のある生き方を示すことによって、ジュニアたちは遠い行く先に遭遇するみずからの「第三期の人生」に安心感と可能性を持つことになる。
ということは、隠退して何もしないおじいちゃん、優しいおばあちゃんであってはならず、「高年期のステージ」の形成に参画しながら、なお未来を見据えて過ごしている姿を示すことで、
「坐して議せず」とも、ジュニアたちは高年者(祖父母)に敬愛の思いを持ち、時には記憶違いを助けたり、モノ忘れにも対応しながら、何気ないふるまいやことばづかいの中に、人生の知恵やきらめきを見出して引き継ぐことになる。
高年者を敬愛する立場をわきまえて育つ青少年の存在は、「日本高年化社会」の基礎であることはいうまでもない。
・*・*・第二のステージである「中年期」
次は「第二のステージ」である「中年期」の二五年に触れておこう。
急速な国際化に直面している中年世代の人びとは、内外のさまざまな不確実要素を引き受けながら労働参加をし、次世代を生み育て、地域での要請に応じて社会参加もし、ヒマを上手につくって使って趣味や娯楽にも興じ、「キャリア・アップ」にも心がけ、加えて時には高年期にいる父母の介護をするという「八面六臂」の活躍をして、超多忙な日々を送っている。とくに女性は変動期にある日本社会の基盤を支えるだけに、手八丁口八丁となかなかに力量が要るのである。
前述したが、この国にとってのグローバル化というのは、中年世代にとっては、
「政治のアメリカ化、経済のIT化・途上国化、社会の若年化・女性化」
との対応を迫られるといったあたりがわかりやすいように思われる。現実政治ではひとり勝ちしたアメリカの意思・指示に従わざるをえず、経済的にはアジアの先進国として途上諸国のリーダー役を果たす。途上諸国の近代化は、どこも若い世代が主導する。だから途上諸国からのさまざまな要請に即応するには、この国の中年世代が途上国化をすることになる。
先進国入りとしたはずと思っていた高年者としては、中年世代の途上国化には不服とするところもあるだろう。
たしかにわが国は、先の大戦のあと、いま高年世代となっている人びとの「粒粒辛苦」の努力によって、アジアの他の国に先駆けて一国先進化に成功した。ひとときではあったが、だれもが等しく中産階級の豊かさを享受する生活ができ、将来もできると想像した。
「だれもが等しく豊かな社会」の実現をつかの間の夢として、「バブル」の崩壊にさらされた日本の企業や社会は、はげしい構造変化を余儀なくされた。そしてグローバル化の進展とともに活発になった開発途上諸国の経済活動によって、日本企業も社会も早急な対応を迫られ、「活動世代の若年化と生産品の途上国化」、つまり若年・中年が主体となり、途上国産の生活用品を受容し、家庭内の日用品を途上国化する「百均化」をすすめることになったのである。
高年世代としてはなすすべもなかったが、わが国の若年・中年世代が海外の同世代と伍して能力を発揮できるよう、業種によっては職場や権限をすみやかにシフトして環境を整え、活動を督励することになった。
これがいま起きている企業の「構造改革」(リストラ)の外向きにみた実質なのである。内向きにみて高年社員の被害者としての発言が目立つけれども、ここでは高年社員も企業現場の実態は実態として直視せねばならないのである。
・*・*五○歳代は「パラレル・ライフ」
さて、ここからが本題の「高年化時代のライフ・ステージ」のなかのまず「高年期」である。そのうちの「高年初期」に当たる五〇歳代というのは、どういう時期であればよいか。
現状では「窓際族化」が常態化してしまって、残念ながら能力発揮の場所を見出せないままに六〇歳を迎えてしまう人も多い。
が、本稿ではこの貴重な「高年初期」に手痛い停滞期間をつくらないように、五九歳までの一〇年間を、すでに始まっている長い高年期での人生の課題(自己実現)の模索と移行のための期間として、
「パラレル・ライフ(ふたつの人生)」を提唱している。五〇歳代はその後のわが人生にむかっての助走期間として、けっこう多忙なはずなのである。
穏和なプロセスで高年期をすごす見地から、五〇歳代にふたつの生き方を模索することになる。ひとつはこれまでの「労働参加・社会参加」の延長での生き方、もうひとつはこれから始まる「第三期の人生」での自己目標をさぐる生き方である。
「パラレル・ライフ(ふたつの人生)のフィフティーズ(五〇歳代)」
とでもいうべき多忙な期間なのだ。
職場ではどうするか。
高年者としての生活感覚を活かした「製品の高年化」(つまりは企業の高年化)を試み、あるいはキャリアを活かして別な職域への「異動」も考慮する。地域では青少年や中年世代とともに生活圏の「三つのステージ化」に努める。それらを通じて確かめた高年期の自己目標への準備(キャリア・アップ)をする。要請に応じて、大学など教育機関はそのためめの「高年カリキュラム」を提供するようになるだろう。
こうした高年期の人生への準備期間として多忙な五〇歳代のはずなのに、現状の五〇歳代は
「ポストレス」で活動の閑散期となっている。あまりにも惜しいではないか。
五〇歳代になって、なお活躍の場を得て「夕暮れはまだ遠い」などといっていられるのは、運にもめぐまれた少数者であり、職場で能力を活かす場がなくなりながらも、「夕陽は無限に好し」と心得て、次の目標を模索して過ごしていることのほうに、穏和なプロセスでの「社会の高年化」への参加の実感があるはずなのだ。
思い起こせば、「団塊の世代」と呼ばれる人びとは、
「中流・核家族・アングラ」(1967年)、
「昭和元禄・ゲバルト」(68年)、
「エコノミック・アニマル」(69年)などが騒がれた時期に、
「恋の季節」(68年)や
「黒ネコのタンゴ」(69年)を歌って成人となり、
「大阪万博」(70年)を満喫し、
「脱サラ・ゴミ戦争」(71年)と
「列島改造」(72年)にとまどいながら競争と選択の渦中で「労働参加」し、さめた目で「企業戦士」のしんがりをつとめてきた。だから五〇歳代をすごし終えるに当たって、横合いにほどほどの自己目標を見出して納得して実現をめざすという柔軟な方向転換にも適応していくことができるだろう。
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黙々と会社人間として「窓際族」に耐えているだけでは何も生じない。「パラレル・ライフ(ふたつの人生)」に折り合いをつけた暮らしが、穏和なプロセスでの「高年化社会」形成への参加なのだと自得するべきなのである。
これまで見落としてきたこの国の地域がもつ良さを探しながら、「パラレル・ライフ(ふたつの人生)」を過ごして高年期への道筋をつけること。一人ひとりがなお現役として実質的に活動をつづけ、穏和で安定した高年期へのバトンタッチを成功させることに時代の要請があるのである。
いまやおおかたの「団塊の世代」の人びとは、「団塊ミドル」から「団塊シニア」への移行を終えようとしている。
*・*六○歳代は「時めき人生」
そして高年期真っ盛りの六〇歳代。
現状では六〇歳代を定年・還暦後の「第二の人生」とか「余生」としているが、本稿では、新たな暮らしの場を形成して経験や知識を活かした「第三期の現役生活」を送るよう提唱している。
「時めき人生のシクスティーズ(六〇歳代)」
を過ごすには、引きこもってなんかいられない。
蓄積してきた知識、経験、資産などを滞らせることなく活用し、「人生の高年期」を謳歌し、「社会の高年化」を体現する。ことあるごとに「もう歳だから」とつぶやいてみずから力を削ぎ、老け急ぐのは何としたことか。
五〇歳代の高年社員と力をあわせて「製品の高年化」や「職場の高年化」を考案する。高年期真っ盛りの時を迎えて、
「秀(ほ)にして実らず」などということのないように、花が実となる時期にあって力を出さずに終わってなんかいられない。
一○年を超える不況の下でこわばってしまった巷の表層を割って入れば、同じ高年期にある人の多くは、「高年期のステージ」で語る同世代の人の熱意に必ず応じてくれるはずだ。なぜといって、あの大戦後の復興期の混乱と貧困をともにしのいで苦労してきた者同士なのだから。
「老成」にむかうことなく、みずからの持つ力を惜しみなく、限りなく発揮して「高年期のステージ」の形成に努める昭和生まれの高年者を、ここでは敬愛の心を込めて「昭和丈人」と呼ぶ。ボルテージ(情熱の位相)を高めていえば、これから成熟期を迎える職域や地域生活圏のさまざまな場面で、「昭和丈人層」である高年者が
「丈人力」を発揮することで形成していくのが「日本高年化社会」であるというのが、本稿のゆるぎない洞察なのである。
「人間の晩晴は重し」と心得て、高年期の活動に立ち向かう。多彩な自己目標の達成をめざす六〇歳代の高年者の暮らしぶりは、その穏かな表情も、奥行きのある発言も、配慮の行き届いた行動も、青少年や中年者から羨ましがられるほどに魅力をそなえたものになるだろう。
*・*七〇歳代は「意のまま人生」
そしてさらに職域・地域での成果を後人に託しながら、「自己実現」の集大成を果たす、
「新老人(ニュー・エルダー・シチズン)」と呼ぶことを提唱している。予防医学によって健康を管理し、リスク(危険因子)を避けながら積極的に生きる「新老人運動」の輪を広げている。「新老人」は本稿でいう「丈人」と重なる意味合いの表現といえるだろう。
いまやこの階層となった「大正丈人」である方々は、1945(昭和20)年の敗戦には二〇歳から三三歳で遭遇し、奇跡ともいわれた戦後復興と成長の中核を担ってきた。熱い志を胸に秘めて、その道一筋に過ごしてきて、いまもなお多くの人びとが活躍しておられる。
そしてさらに誇るべきは「超高年(スーパー・シニア)」期(本稿では八五歳〜)にあって、暁を迎えつつある新たな時代になお輝きを失わない
「晨星」として輝きつづける人びと。
この期にある人びとの叡智に学ばなければ、国際的に注目される「日本高年化社会」は成立しない。主体者の列に加わっていただき、未踏の「日本社会の高年化」の課題に高みからともに臨んでいただきたい。
そしてここで何よりも期待しているのは、「高年期」の五〇歳〜八四歳までの五〇〇〇万人の高年者層がひとつのステージを共有する社会構造が、独自の「日本高年化社会」として新たな存在感を示しうることである。現状の「若年・中年社会」が安定するよう支援しつつ将来を見据えて、新たにひとつ上の「社会の高年化」を成し遂げた職域、地域生活圏を形成し、多彩な経歴をもつ同世代の人びととの出会いを通じて、「人生の成熟」を実感しながら暮らすことができる。
さらには「超高年期」(八五歳〜)を過ごしている父母や同時代の人びととともに
「高年期の三つの階層のステージ」をリンクすることで、だれもが高年者であること、高年者になることに不安がなく、「尊厳」をもって生きることができる「高年化社会」の成立が確認されることになる。
かくして、「日本高年化社会」は、全国津々浦々に暮らす高年者の人びとのたゆまぬ営為によって成立し、世界平和へのメッセージとして、歴史的な評価を得ることになるだろう。それは二十世紀中葉の戦禍によって犠牲になった人々の願いでもあり、そのプロセスは二十一世紀の
「人類標準=ヒューマン・スタンダード」ともなりうるものである。
(〜2005・10・01〜 堀内正範)