らうんじ・茶王樹・談論資料
「成語源 先人の生き方に学ぶ」
(制作中)
[た〜ち]
*大器晩成
大きな器はできあがるのが晩い。だからいま見えている姿からでは完成後の全容はわからないということ。大人物は遅れて熟成するし、大事業は時間をかけて完成するものだと使われて、広く理解された。この老子のことば「大器晩成」(『老子「四一章」』から)は、オクテの人びとをどれだけ励まし支えてきたことだろう。また事実そういうものなのである。期待されながらついに晩成しなかった例もまた限りない。老子は同様の意味合いで、「大方は隅なし」ともいう。おおきな四角は隅が見えないから全容がどんなものかわからないというもの。
*対牛弾琴
牛に向かって琴を弾ずるのが「対牛弾琴」(普済『五灯会元「四二・惟簡禅師」』など)で、徒労無効の営為をすることにいう。牛のほうからいえば、もともと説法などというものはわからない者にむかって語るわけだから、それほどの違いがあるわけでもないだろう。牛だってすばらしい演奏には納得する。鳥の声とクルマの音との好悪など、いわれるまでもない。
*太公釣魚
周初に文王に求められ、子の武王を補佐して殷の紂王を倒した功臣である太公望(呂尚)は、かつて渭水の北で釣りをしながら賢君(文王)の招請を待っていたという。終日糸を垂らして一匹も釣れなかったのは、餌もつけず水面から三尺も離れて糸を垂れていたからだが、呂尚はいう、「魚は求めて針にとびついてくるものだ」(『武王抜紂平話「中巻」』から)と後の世の話には尾ひれがつく。「太公望」というのは「わが太公(父)、子を望むこと久し」(『史記「斉太公世家」』から)と待たれていた人物であったことから。「太公望」は、釣り人の代名詞になっているからよく使われるが、自称「太公望」なら、釣果はともかく、語りかけてくる人には穏やかに接するくらいは心得ておこう。
*大巧は拙なるがごとし 大巧若拙
「大巧は拙なるがごとし」(『老子「四五章」』から)というのは、まことに巧みなるものは稚拙のようであるという老子のことば。完璧に形が整いすぎたものは、どことなく窮屈である。巧まずして完成品をずらしたり歪めることで、つまり拙に寄ることで、巧は「大巧」となる。書家の文字や茶器などに「大巧」の実物を見ることができる。巧(完成)を通りすぎずに初めから「拙」によって「大巧」を求めても拙でしかない。これも人為の実質を見透かした人のことばである。
*大殺風景
李商隠(「雑纂」から)は、風景の自然の美しさを壊す人為をいろいろと並べている。花の間を飲み食いしながら歩いたり、花の下で涙をこぼしたり、苔の上に席をもうけたりといったことから、さらにさまざまな興ざめの例をあげている。さすがに詩人の感性は研ぎすまされていて、凡俗には納得しづらいものもある。むろん李商隠は「大」を付けることはしていないが、後世の俗人は「大殺風景」として胸に収め、興ざめの風物を避けるよう努めている。
*対酒当歌 酒に対せよ歌に当たれ
「酒に対せよ歌に当たれ、人生いくばくぞ」(曹操「短歌行」から)と、三国時代魏の英傑曹操は、酒と歌をともにたたえ、刹那の人生を謳歌する。その一方で、賢人を広く求めて天下人たらんとする気概をつづる。中原に鹿を追い、運よく生き延びはしたものの、多くの憂愁を胸に秘めたまま、曹操は洛陽で没した。六五歳、一三人の女性から二五人の男子をもうけた。しかし酒については、「何をもってか憂いを解かん、ただ杜康あるのみ」とも詠う。杜康は洛陽近郊で産する酒の名。周王室に酒を献じて酒仙に封じられたという酒づくりの名人で、「杜氏」の祖といわれる杜康に始まる。周都洛陽に近い杜康仙荘では三国時代にも「杜康酒」を醸造し、魏王に献じていたのであろう。曹操の憂いを解いていたのが杜康酒であったことを田中角栄首相はどこで知っていたのだろう。一九七二年の日中国交正常化交渉の折りに、田中さんが周恩来総理にその有無をたずねて話題となった。
*大直は屈するがごとし 大直若屈
まことに真っ直ぐなるものは曲がっている、「大直は屈するがごとし」(『老子「四五章」』から)と老子にいわれると考えこんでしまう。曲がっているものの中にまことの直を見る。河は蛇行し、道は曲折しているほうが率直であり「大直」なのであって、山をけずって通じた道や堤を盛ってまっすぐにした河は直ではあっても「大直」ではないということか。水の流れに従うのが堤であり、山合いに親しむのが道であり、その姿の中に「大直」のありようが理解される。
*大弁は訥なるがごとし 大弁若訥
まことの弁舌は訥々としているものだ、という老子のことば。訥弁のよさを知っている人には、この「大弁は訥なるがごとし」(『老子「四五章」』から)は実感としてよくわかるだろう。いくつになってもいくら努力をしても、弁舌さわやかとはいかない者にとって、これはどれほどの励ましを与えてきたことばだろう。訥々とした語り口のなかに「大弁」を聞くという人間理解に、限りない優しさを覚える。「無為にして為さざるなし」(自然で作為のない営みによって為しえないものはない)といい、ついには死後に名を求めることなく行方知れずに終わる生涯を択んだ老子が偲ばれる。
*高枕して憂なし 高枕無憂
高い枕をして安心して眠れること。人生にこれほど幸せなことはない。とくに長い戦乱に明け暮れた時代には憂慮なく臥せることができる「高枕して憂いなし」(高枕無憂。『戦国策「魏策」』など)は悲願であった。『三国演義「五回」』にも董卓が洛陽に拠って袁紹軍に対峙したとき、呂布や華雄が対応に立つことを聞いて、「高枕して憂なし」といって喜ぶ場面がある。つかの間の憂慮を脱し得る例であって、三国時代には皇帝にも官吏にも武将にもましてや人民には「高枕して憂なし」という時はなかったであろう。先人が命がけでえた平和な時代に高枕をして暮らしてきた幸運を思えば、少々の憂いなどものの数ではないのである。
*多岐亡羊
「多岐亡羊」は、道がいくつにも枝分かれしていたため、逃げた羊を家族総出で探したがついに見失ってしまったということ。『列子「説符」』に、楊子の話として記されている。楊子の隣人が羊に逃げられてしまった時、家族総出で足りず、楊子の家の者まで借りにきて探したが見つからなかった。楊子に「どうして亡ってしまったのか」と聞かれた隣人は、「岐路の中にまた岐路があって、行方がわからなくなりました」と答える。これを聞いた楊子は顔色を変えて黙ってしまったという。枝葉末節にこだわって学問の大道を見失っている自分にはたと感づいたためとされる。「多岐亡羊」は学問の世界だけではなく、同様にビジネスの世界でも起きている。多角経営に走りすぎて本筋を見失うなどはそれであろう。
*他山の石 他山之石
「他山の石」は、よその山の石のこと。「他山の石、もって玉を攻(みが)くべし」(『詩経「小雅・鶴鳴」』から)というのは、よその山の石(わたし)でもあなた(君子)を輝かせるお役には立つでしょうという意味を込める。昨今は主客がかわって「他山の石とする」という場合には、他山の石を他人の言行とみて、それをわが身を顧みる糧とするという意味で用いている。
*獺祭魚
獺がとった獲物の魚を岸辺に並べるのを「獺祭魚」(『礼記「王制」』など)という。唐の李商隠は、詩作の手法が獺の獲物のように多くの書冊からえらんだ資料を左右に並べて詩文にちりばめたことから「獺祭魚」を号としたと伝えられる(楊億『談苑』から)。いまや並べる魚が捕れなくなって、「ニホンカワウソ」は絶滅したといわれる。しかしパソコンから次々に打ち出した資料を机の上に積み上げて「獺祭」している中堅社員(ニホンカワウソ族)はいまも健在である。
*楽しんで蜀を思わず 楽不思蜀
三国時代に魏に敗れた蜀の劉禅や晋に敗れた呉の孫皓はどうしたのだろう。ふたりとも自刃せずに自縛して降伏し、魏の都洛陽に連れてこられて異郷で生涯をおえた。蜀の後主劉禅は洛陽で幽閉の日々を過ごしていたある時、司馬昭に「蜀のことを思うことがあるか」と問われて、「楽しんで蜀を思わず」(『三国志「蜀書・後主伝注」』から)と答えたという。囚われの身の立場として、敵地でいうべくしていい、残るべくして残ったことばである。劉禅は八年をすごして六五歳で、呉の孫皓は四年をすごして四五歳で洛陽で没した。
*卵を以って石を撃つ 以卵撃石
勝算のない無謀な行為を、墨子は「卵を以って石に投ず」(以卵撃石。『墨子「貴義」』から)として例える。天下の卵を投げ尽くしても石はなおそのままであり、壊すことはできないという。不可能な事例として荀子は、「桀をもって尭を詐く」(『荀子「議兵」』から)ことをあげている。そして『三国演義「四三回」』では、孫権配下の群臣たちと諸葛孔明が舌戦を交わす場面で、薛綜が天下の三分の二を得た曹操に劉備が争いを挑むなどというのは天の時を識らぬ「卵を以って石を撃つ」ようなものだとして反対する。
*民は命に堪えず 民不堪命
人民が労役や賦役が多くて、もはや為政者の命に堪えられないということ。「民は命に堪えず」(『春秋左氏伝「桓公二年」』や『国語「周語上」』など)ということは何度となく起こった。兵役と費用というふたつの負担を強いるのが戦争。戦備を整えたり、多額の費用を要する建造物や華美な衣装や贅をつくした料理をこしらえたりするために税を重くし、人民の生きる意欲を削ぐ時代に遭遇する不幸を、「民は命に堪えず」ということばが伝える。国民に「痛みに堪える」ことを求める政府の将来も危うい。人民がわずかな「物阜民安」(物が豊かで生活が安定している。『三国演義「四四回・銅雀台賦」』など)を願っても時代はそうは動かない。
*弾丸の地 弾丸之地
弾丸は弾弓でとばす鉄や泥や石の弾。「弾丸の地」(『戦国策「趙策」』など)は、弾丸ほどの狭小な土地のこと。攻め取る側が土地や城や兵力を実際より小さく弱く見ようとする意図から「弾丸の地」がいわれた。また「弾丸黒子の地」(『宋史「趙普伝」』など)ともいう。「黒子」は黒いあざ、ほくろ。弾丸はこわいが、黒子ならおそれることもない。わが国では「猫の額」あたりが最小で、鉄砲玉ほどの土地とはいわないのは平和でいい。
*淡水の交わり 淡水之交
清らかな水の流れのような友誼をいう。荘子は「君子の交は淡きこと水の如し」(『荘子「山水篇」』から)という。対句は「小人の交は甘きこと醴(れい)の如し」となる。君子の交わりは淡き水のごとくしていよいよ深まり、小人の交わりは甘いがついには絶えるという。如水会あるいは淡交会として校友や社友の交わりを呼ぶのに用いられる。「醴」というのは甘酒だという。「醴泉の水は甘く、老を養う」というのだから拒む理由はない。酒を飲む前にまず醴酒を飲むならわしがあるという。酒呑みの会がつぶれたことを聞かないから、淡い君子の交わりをとやかくいう場ではないが、小人のほうの交わりも楽しそうである。
*丹青の信 丹青之信
赤と青の絵の具は色が鮮やかで褪色しないことから、「丹青の信」(『漢書「王莽伝」』など)は、少しも疑うところなくまた変わることもない信頼のこと。したがって、史書に現れる「丹青の信」(『資治通鑑「漢記・光武帝建光三年』など)は、臣下が君王に忠誠を誓う場面でしきりに用いられる。阮籍の詩(「詠懐」から)に「丹青著明なる誓、永世相忘れず」とあるのは変わらぬ友誼を伝える。丹心も赤誠もアカはまごころに通じるが青の方には見えないから、色合いはともかく意味合いは多くアカに頼っているようである。
*談天説地
話題が広く天上のことから地上のことにまで及ぶこと。もちろん地上のことが主ではあるが。「談天説地」(楊梓『豫譲呑炭「第四折」』など)ということが日常的になされていれば、環境問題など起こらなかったであろう。新聞のコラムに「天声人語」というのがあるが、このコラムもちかごろは人語に忙しいせいか天声を聞かない。「天を談じ天と語る」(李白「雲台歌」から)となると、こんどは人為の細部や人事の煩瑣を離れるから、語るにつれて気分はおおらかになるが、現実味が薄れる。さように「談天説地」はままならない。
*単刀赴会
「単刀」は一刀あるいは一人の意。「単刀赴会」(『三国志「呉書・魯粛伝」』から)は、三国時代蜀の武将関羽が、呉の魯粛の敵陣へわずかな供の者をつれただけで単身で赴いたことから。堂々の交渉を果たして無事にもどった。単身で乗り込んでも失敗してしまっては赴会の意味をなさない。「言笑自若」(別項)とともに、関羽の豪胆さを伝える頼りになることばである。資料やデータを抱えて、会社を代表してひとり交渉に赴く君を支えてくれることばである。
*力して衆議を排す 力排衆議
複数の人のそれぞれの主張を、ひとつ又ひとつと表現力を尽して論破し、ついに自分の意見に同調させること。権威や権力によって強引に抑えつけることではない。『三国演義「四三回」』に諸葛孔明が、曹操との和睦に向かおうと決めていた呉の孫権幕下の文武の者たちに対して、ひとり又ひとり舌戦によって黙らせ、ついに劉備と孫権による長江連合を確保する場面がある。衆議を覆すのだから、よほどの先見性と実行手段と説得力に確信がなければできることではない。が、歴史はそうした「非常の人」(別項)の力によって新たな局面をつくりだすことになる。
*地平天成
「地平天成」(地平らかに天成る。『書経「大禹謨」』から)は、年号「平成」の原典のひとつ。禹と同時代の人びとのたゆまぬ治水・利水の努力によって、地上は穏やかに、天下には安らかな時代が到来したことを讃えることば。前世紀、この国の敗戦の焦土から立ちあがり、わがことよりも国土復興や企業の発展に尽して「地平天成」の時代をもたらしてくれた「明治後期・大正・昭和前期」の人びとの努力に感謝の意をささげよう。
*知法犯法
「知法犯法」(法を知りて法を犯す。『儒林外史「四回」』など)というのは、文字づらからもうかがえるように、法を理解しているためにかえって法を犯してしまうこと。知らずに犯してしまう庶民に比べれば、罪一等を加えられてもしかたがない。フェアプレーが期待されるスポーツの世界でも、ハイレベルのサッカー試合をみていると、反則の犯しあいが勝敗を左右する場面に出くわす。観客も「イエローカード」や「レッド・カード」のプレーを了解して見ているのだから、紳士的なスポーツといえるのかどうか。
*中隠
高年期の暮らし方には大中小の違いがあって、山中に入るのは「小隠」だという。そういったのは白居易(「中隠詩」から)。とすると、田舎暮らしはどうやら「小隠」のうちである。では「大隠」はというと、市内の喧騒の中にあってなお心穏やかな境地ですごすというのが「大隠」だという。では都心の小さなマンションでの暮らしが「大隠」となるか。夢として田舎暮らしを始めた人にはちょっと納得しかねるだろう。選ぶのは個人の随意だから、どれでもいいようなものだが、白居易は「出づるに似て、また処るに似たり」という「中隠」がいいという。出勤はするが閑職に甘んじて窓際ですごし、別に心ときめく目標を持つ。五〇歳代のパラレル・ライフの人がこれに当たる。なるほどそんな「中隠」ならよさそうである。白居易は晩年に「中隠」を選んで、洛陽に広大な別荘を設けて七五年の人生を楽しんだ。
*中原に鹿を逐う 中原逐鹿
「中原に鹿を逐う」(中原逐鹿。魏徴「述懐」など)の鹿は帝位に例える。中原は黄河が中流から下流にかかるあたりの平原地域。紀元前二○七○年に最初の王朝の「夏」が禹王によって成立していらい、商(殷)、東周、後漢、曹魏、西晋、北魏、隋、唐、北宋など、数多くの王朝がここを中心に興亡・盛衰を繰り返し、その度に新たな天下争覇の舞台となった。業界では各社がトップの地位を争うことを例える。
*朝三暮四
宋の国の狙公というサル好きの話。狙公はサルと意を通ずることができ、サルもまた狙公の意を解した。狙公は家の者を減らしてもサルの食を充たしてきたが、それにも限りがある。そこで食を限るにあたって持ちかけた。おまえたちに与える?(どんぐり)を「朝は三にして暮は四とするが、足りようか」。しかしサルどもは総立ちになって怒った。そこで狙公は「では朝は四にして暮は三とするが、足りようか」。サルどもはみな伏して喜んだ。「朝三暮四」(『列子「黄帝」』など)の故事である。実質が同じでもまずは先に多くを与えて愚人を喜ばせるのは聖人の知恵だと列子はいう。
*長命富貴
健康で長寿を保ち、地位が高く、財産にも恵まれている。実人生の晩年をそういう恵まれた生き方ができるのは、ごく限られた者であろう。そうありたい者が多いからこそ、高齢を祝う席などで「長命富貴」(『旧唐書「姚崇伝」』など)ということばは頻りに用いられてきた。いま稀有な高齢化社会を迎えている。「長命富貴」でありつづけることで「尊厳」は確保される。長命を得ても富貴を得ずとなっては「尊厳」の先行きが苦しい。
*長夜の飲 長夜之飲
昼夜の別なく何日もドンチャン騒ぎを行うこと。極めつきは殷の紂王による「長夜の飲」(『史記「殷本紀」』から)である。妲己を傍らにはべらせ、淫らな音楽を奏させ、酒で池をつくり肉を懸けて林とする「酒池肉林」をおこなった。その間を男と女を裸にして追い回させたというもの。これで崩れない王朝はないだろう。
*直木は先ず伐られ、甘井は先ず竭(か)れる 直木先伐、甘井先竭
真っ直ぐな樹木から先に伐られ、おいしい水の出る井戸から先に涸れるという(『荘子「山木篇」』から)。人間の都合で自然の状態が変化してしまうことは、いくらでも実見するところ。人の能力もまた同様で、成果主義の時期には実用にむいている者から都合よく使われることになる。それでよければいうことはないが、目立ちすぎると災いに合うことになると荘子はいう。
*著作等身
著作が作者の身長に等しくなるほどに多いことを、「著作等身」(趙岱「陶庵夢憶序」など)あるいは「著述等身」(『宋史「賈黄中伝」』など)という。竹帛に著された時代なら「汗牛充棟」ということもあったが、紙に著される時代になって「等身」が多作であることの形容になった。現代の量産型の著作家でもオリジナル作品での等身高となると稀のうちである。IT時代には分量よりは著作態度が等身大である「著作等身」のほうに実感が沸くことばである。
*沈魚落雁
美貌の女性のこと。毛?や麗姫はだれがみても美人とするところ。ところが、「魚はこれを見て水中に深く入り、鳥はこれを見て空高く飛び、麋(び)鹿はこれを見て決して驟(はし)る」(『荘子「斉物論篇」』から)のだから、つまり美人というけれど皆逃げてしまうのだから人間以外には意味がない。荘子は美の絶対性を打ち消したのだった。が、のち魚も鳥も美を競うのを避けて逃げ去ったと解されて、「沈魚落雁」(湯顕祖『牡丹亭「驚夢」』など)は美人をいうようになった。あわせて使われる「閉月羞花」(月は隠れ花は羞らう。『西廂記「四折」』など。別項)も、月や花が美貌を比較されるのを避けてのことである。