御柱祭考−御柱祭の「掛け声」と「式年造営」に付いて−

鍵語:式年造営,御柱祭,山出し,里曳き,諏訪神社,上社,下社,伊勢神宮,薩野馬,天智天皇,弘文天皇,天武天皇,淵蓋蘇文,南健,よいさ,よいしゃ,よいしょ,めでてこしょ,669年,672年,789年,792年,60年,2巡,120年,呪詛,祝賀

0.はじめに;

諏訪神社は,上下社の4宮から成り立っている。平成22年度は,式年造営の該当年である。この年に,御柱祭が挙行される。御柱祭は,「山出し(4月)」「「里曳き(5月)」に分かれる。上社の「山出し」は,4月2,3,4日に行われた。御小屋山の山麓から,平地の御柱屋敷に至る途中に,「木落とし」「川越し」など,注目するべき見所がある。地元紙は,3日間で,50万人を越える善良が参加したと報じた。

筆者は,3日間,TVの映像を拝見した。嘗て,電子頁『古族研究(日本古族研究所,1999年)』を公開しており,音訓変換法を用いて,表情報から裏情報を発掘することに馴れていたので,「音訓変換」という視座において,御柱祭を拝見した。

因みに,音訓変換法の属性は以下の通りである。

例えば,「表」は「→ヒョウ→△(=犬/犬犬)→犬→イヌ→」を経て「倭奴」に至り,「里」は「→リ→麗→」を経て「高麗人」に至る。列島の古族が表情報に裏情報を籠めているとするならば,研究者は,裏情報を解読するために,「倭奴」から「高麗人」への意図を意識しておかねばならない。また,「山」は「→やま→八目→倭め→」を経て「倭奴」に至る。「山出し」が「山」から「里」への祭事であるなら,諏訪人は,「倭奴」から「高麗人」への意図を意識しておかねばならない。先ずは,このように思われる。因みに,電子頁『古族研究』によると,列島の国家は「→小倭国→大倭国→大和国→」の順に移行し,覇権は「→倭本族→倭支族→午族→」の順に交代している。詰まり,「倭奴」「高麗人」は,列島の古代史において,重要な鍵語になっているので,諏訪神社の御柱祭を理解するに当たっては,「倭奴」「高麗人」,あるいは,「大倭国」「大和国」の対立的背景を承知して置かねばならないと思われる。

前置きが長くなったかも知れない。しかし,電子頁『古族研究』においては,古代史の解明に当たって,特殊な手法を援用しているので,この程度の前置きでは,未だ十分ではないと思われる。可能なれば,電子頁『古族研究』の諸論から,諏訪域に関するものとして,「諏訪古史」「古族相関」「信濃郡郷」「諏訪神道」「風祝歌考」「御頭祭贄」「諏訪神文」「御社宮司」「諏訪信仰」「神長秘伝」「守矢文書」「鳥総祭り」「御頭の神」「神子神使」「梶葉の足」「佐奈伎鈴」「水内社神」「熊蜂熊蔓」「諏訪神楽」「御開帳考」「国名科野」「信濃郡名」「信濃字名」「善光詠歌」「諏訪詠歌」「諏訪唱文」などを参照していただきたい。

T.上社事例

TVを通して聞こえてくる音声は,音訓変換というフィルターによって濾過されたものである。普段では,聞き逃していたと思われる何気ない詞でも,今回は,耳に残ったものが少なくない。代表的なものが,御柱を引く時の「掛け声」である。例えば,掛方が「せいのー」であるに対して,相方は「よいさ」である。ところが,場面が切り替わると,「よいさ」が「よいしゃ」に聞こえる。これは,聞き間違いではない。明らかに,「さ」が「しゃ」に入れ替わっている。そこで,「掛け声」に付いて,早速に考えて見ることにした。結果は,以下の通りである。

1.掛け声(種類)

御柱曳行の「掛け声」に類するものを思いつくままに並べて見ると,下記の4群に整理することができる。

 @:「よいさ」「よいしゃ」「よいしょ」, A:「えいさ」「えいしゃ」「えいしょ」,B:「おいさ」「おいしゃ」「おいしょ」, C:「こらさ」「こらしゃ」「こらしょ」

「掛け声」を通覧するに,「よい」「えい」「おい」「こら」が「核」になっていて,「さ」「しゃ」「しょ」が「核」に付加されているように思われる。これは,偶然に生じたことのか,それとも,人為的に創作されたことなのか,定かではない。察するに,通常の手法によっては,即答が叶わないらしい。そこで,電子頁『古族研究』において頻用される特殊な手法を援用することにした。

2.掛け声(裏字)

上記の掛け声に伏在していると思われる裏情報は,音訓変換法によると,以下の通りである。

表A:上社の掛け声

表字

音訓変換

裏字

裏意

@




┬佳→ケ→

→サ→作→サク→数→シュ→




午族ハ)
倭族

呪ウ。
A





┬佳→ケ→

┬シャ→






午族ハ)
倭族

詐ク。

B





┬佳→ケ→

┬ショ→






午族ハ)
倭族

詛ウ。

C





┬エ→竅ィ

→イ→倭→ワ→
→サ→作→サク→数→シュ→

┬木→
└世→







午族ハ)
倭本族ノ
世ノ

呪ウ。
D





┬エ→竅ィ

┬シャ→

┬木→
└世→







午族ハ)
倭本族ノ
世ノ

詐ク。
E





┬佳→ケ→

→サ→作→サク→数→シュ→

┬木→
└世→







午族ハ)
倭本族ノ
世ノ

詛ウ。
F




┬老→ロウ→狼→おおかみ→

→サ→作→サク→数→シュ→

┬大→
└神→





午族ハ)


呪ウ。
G





┬老→ロウ→狼→おおかみ→

┬シャ→


┬大→
└神→







午族ハ)


詐ク。

H





┬老→ロウ→狼→おおかみ→

┬ショ→


┬大→
└神→






午族ハ)


詛ウ。

I




┬こら(える)→怺→

→サ→作→サク→数→シュ→

┬心→シン→森→
└永→





午族ハ)
倭族ノ
永久

呪ウ。
J





┬こら(える)→怺→

┬シャ→


┬心→シン→森→
└永→







午族ハ)
倭族ノ
永久

詐ク。

K





┬こら(える)→怺→

┬ショ→


┬心→シン→森→
└永→







午族ハ)
倭族ノ
永久

詛ウ。

表Aによると,各「掛け声」の裏意は,「よいさ」が「倭族を呪う」となり,「よいしゃ」が「倭族を詐く」となり,「よいしょ」が「倭族を詛う」となる。詰まり,「よい」が目的語の「倭族」となり,「さ」「しゃ」「しょ」が,「呪う」「詐く」「詛う」の如く,他動詞の敵意となる。また,「えいさ」が「(午族は,)倭本族の世の和を呪う」となり,「えいしゃ」が「倭本族の世の和を詐く」となり,「えいしょ」が「倭本族の世の和を詛う」となる。詰まり,「えい」が目的語の「倭本族の世の和」となり,「さ」「しゃ」「しょ」が,「呪う」「詐く」「詛う」の如く,他動詞の敵意となる。また,「おいさ」が「大神を呪う」となり,「おいしゃ」が「大神を欺く」となり,「おいしょ」が「大神を詛う」となる。詰まり,「おい」が目的語の「大神」となり,「さ」「しゃ」「しょ」が,「呪う」「詐く」「詛う」の如く,他動詞の敵意となる。 また,「こらさ」が「大神を呪う」となり,「こらしゃ」が「大神を欺く」となり,「こらしょ」が「大神を詛う」となる。詰まり,「こら」が目的語の「倭族の永遠」となり,「さ」「しゃ」「しょ」が,「呪う」「詐く」「詛う」の如く,他動詞の敵意となる。

要するに,「よい」は「倭族」となり,「」は「倭本族の世の和」となり,「おい」は「大神」となり,「こら」は「倭族の永遠」となっている。しかも,核が何れであっても,「さ」は「呪う」となり,「しゃ」は「欺く」となり,「しょ」は「詛う」となっている。呪詛の定法に従って,目的語に動詞を組み合わせると,特定物(『古族研究』では,倭族関連語として括っている)を対象にした敵意が浮上してくる。因みに,上述のごとく,列島における国家は「→小倭国→大倭国→大和国→」の順に移行し,覇権が「→倭本族→倭支族→午族(=高麗人)→」の順に交代しているので,当該「掛け声」における「倭族」とは大和皇権,午族から見た倭族であり,「倭本族の世の和」とは大和皇権,午族から見た倭本族の世の親和であり,「大神」とは大和皇権,午族から見た正神(*a)であり,「倭族の永遠」とは,大和皇権から見た倭族の復活に他ならない。これらは,目的語に配当されている。また,当該「掛け声」における「呪い」「欺き」「詛い」が倭族的なものに対する大和皇権,午族の敵意に他ならない。これらは,動詞に配当されている。倭族に対する午族の敵意は,電子頁『古族研究』で得られた帰納的知見に違うものではない。したがって,諏訪神社上社の「山出し」において口の端に上る「掛け声」は,倭族に対する敵意を含んでいると思われる。
   
注*a:拙論「銅鏡銘文(16C,2004年)」によると,大和皇権の中枢は邪神を自任している。これより,国父である徐福が正神であることに疑いの余地はない。

前々項の「掛け声(種類)」によると,「掛け声」は便宜上4群に区分された。前項「掛け声(裏字)」によると,「掛け声」一般詞の4群は,倭族関連語として括られる「核」の「よい」「えい」「おい」「こら」を有しており,敵意に変換される「さ」「しゃ」「しょ」を有している。音訓変換においては,前者が目的語となり,後者が動詞となるので,全体では,倭族に対する午族の呪詛文が形成される。前章において解析されたように,「掛け声」の4群は,同じ構造を有しているので,今回取り上げた「掛け声」は,偶然に出来上がったものではなく,意図的に創作されたものと思われる。

3.ようやく

御柱祭の「掛け声」である「よいさ」「よいしゃ」「よいしょ」の「しゃ」「さ」「しょ」に釣られて,「掛け声」一般詞に付いての類似性を検討した。その結果,共通項として,(倭族に対する午族の)呪詛が浮上してきた。したがって,御柱祭における,「さ」「しゃ」「しょ」を含む「掛け声」は,大和皇権が既に検閲(?)していた「掛け声」一般詞を転用したものであると思われる。もしも,このような推測が許されるならば,大和皇権は,列島における3番目の覇者として,倭族に対する呪詛を祭事にまで,覆い尽くしたことになる。しかし,このような見解は,電子頁『古族研究』において,既に指摘されており,驚くべきことではない。

U.下社事例

上社の「山出し」から1週間が経った。今日から,下社の「山出し」が始まった。TVにて,3日間を,堪能することにしたい。

1.掛け声(種類)

下社の「木落し」は,上社の場合に比べて,距離の長い急斜面で行われる。斜面の頭部に,御柱の頭がせり出してきた。「華乗り(御柱の鼻部に乗る人)」が心なしか緊張しているように見受けられる。この時,「掛け声」が聞こえてきた。掛方も,相方も,「めでてこしょ」に統一しているらしい。上社では,掛方が「せいのー」であり,相方が「よいさ」であったので,両者の差異は明らかである。

2.掛け声(裏字)

下社の掛け声「めでてこしょ」の「めでてこ」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。


表B:めでてこ

表字

音訓変換

裏字

裏意









→目→モク→
→出→山→

→手→ス→




┬や→
└ま→目→め→





八┬
奴┘




倭本族,
倭本族,

倭族衆,
倭本族。

表Bによると,「めでてこ」の裏意は「倭本族,倭族衆」である。これは,倭族,なかんずく,倭本族を暗喩している。拙論「倭国詞律」によると,倭族は関係詞物に倭族関連語を填め込んでいるので,固有名詞「めでてこ」は,倭本族の時代まで遡ることができるのかも知れない。拙論「元号諡号」によると,列島の国家は,「→小倭国→大倭国→大和国→」の順に移行している。電子頁『古族研究』においては,小倭国から大倭国への移行を前期変革と呼び,前期変革点をAD562年としているので,「めでてこ」は,前期変革点以前に知られていたことになる。

ところで,「めでてこ」の歴史が,AD562年以前から知られたものであったとしても,御柱祭がAD562年以前にまで遡るか,否かに付いては,俄に応えることが叶わない。しかし,列島における覇権の交代を勘案するならば,変革のインパクトは,倭本族から倭支族への前期変革においてよりも,倭支族から午族(=高麗人)への後期変革において,強かったに違いない。したがって,御柱祭の起源を探るに当たっては,特殊な手法を援用している古代史研究者としての直感として,後期変革点であるAD669年が検討されてしかるべきものと思われる。

電子頁『古族研究』の拙論「元号諡号」によると,後期変革点はAD669年であり,天武天皇が大和国の始祖王に事実上襲位している。しかし,児玉幸多の『標準日本歴史年表』によると,大倭国の終末王である天智天皇と大和国の始祖王である天武天皇との間に,弘文天皇(*b)が挟まっており,天武天皇の襲位がAD772年になっている。詰まり,拙論「元号諡号」と『標準日本歴史年表』の間には,3ヶ年のズレが生じている。察するに,『日本書紀』に「薩野馬[サヤメ]」として登場する人物が,AD669年に,九州島筑紫に存した大倭国を征服し,続いて,畿内他に並立していた倭系小国家を制圧して,AD672年に,大和国の始祖王に襲位したとするならば,当該期間が3ヶ年であったことになり,弘文天皇は,さしずめ,当該期間中の亡命政権を主導していたことになる。したがって,ここでは,弘文天皇の御世を勘案し,天武天皇の襲位をAD672年として,議論を進めることにしたい。
      注*b:『日本書紀』は,弘文天皇を除外している。弘文天皇に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。即ち,「弘」は「→グ→」を経て「忤」に至り,「文」は「→モン→」を経て「卍」に至るので,
          逆順読みにて,「(倭族は,)僧侶に逆らう」となる。あるいは,「弘」は「→グ→」を経て「忤」に至り,「文」は「→あや→礼→ライ→」を経て「麗」に至るので,逆順読みにて,「(倭族は,)高句麗人に
          逆らう」となる。何れにしても,大和皇権の方針に合致するものではない。したがって,『日本書紀』の編者は,弘文天皇を歴代元号40代から意識的に除外したに違いない。

御柱祭が行われている今年度は,AD2010年である。これは,薩野馬(=天武天皇)が襲位したAD672年から数えて,1338ヶ年目に相当する。当該期間は6の整数倍である。御柱祭は,歴史を6ヶ年ずつ遡って行くと,AD672年に至る。理屈の上では,AD672年を御柱祭の開始年度に据えることができる。しかし,本問題に付いては,後章において再び触れることにして,先に進むことにしたい。

因みに,関連数値(*c)に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。
    注*c;本論においては,以下の理由によって,西洋紀年を解析の対象にしている。即ち,拙論「元号諡号」によると,『日本書紀』の編者らは,西洋紀年を承知しており,表情報に裏情報を籠める際に,
           西洋紀年を利用している。また,鹿島昇は,『桓檀古記』において,東アジアの神話は,古代オリエントの神々をモデルにしていると述べているので,古代オリエントの神々が東アジアに伝えられた
           頃に,西洋紀年も伝えられたものと思われる。


表C:672年他

表字

数値加工

音訓変換

裏字

裏意

@

















→ロク→
→もも→桃→

→シチ→
→ジュウ→
→ニ→




┬木→
└兆→






鹿
木┬
兆┘






君主ガ
倭族ヲ

質シ,
倭族ニ
血塗ル
年。

A
672






┬600→

┬(5
├+64
└+3)→




→ゴ→
→むし→
→サン→


6C






7世紀。

午族
倭族
謗ル。

B













┬◇→


└h→コン→



┬両→
└手→シュ→蚣→






┬虫→
└公→きみ→













王ニ
血塗ル
年。

注Cα:△=(血+耳)=血塗る
注Cβ:▽=(女+冊)=謗る
注Cγ:◇=(臾−人)
注Cδ:□=(血+半)=血塗る

表Cによると,「672年」の裏意は,漢数字が,@の「君主は倭族を質し,倭族に血塗る年」であり,洋数字が,Aの「7世紀」*「午族は倭族を謗る年」である。共に,倭族に対する午族の敵意に他ならない。また,「申年(*d)」の裏意は,Bの「両倭族の王に血塗る年」である。これも,倭族に対する敵意に他ならない。したがって,AD672年に纏わる関係詞物には,倭族に対する午族の敵意が満ちていることになる。察するに,御柱祭は,呪詛に深く結びついたものであると思われる。
     注*d:藤堂明保らの『漢字源(学習研究社,1988年)』によると,「申」の「◇(=臾−人)」は,篆文において,「両手」を表している。更に,音訓変換すると,「両倭王」となる。また,
         「申」の「h」は「→コン→」を経て「□(=血+半)」に至る。詰まり,「申」の裏意は「両倭王に血塗る」となる。したがって,天武天皇は,大和国を樹立し,大倭国の主柱を排除した
         頃合いを見計らって,生存する倭王に血塗りを行ったことになる。これは,以後の大和皇権の動向に照らして,矛盾するところがない。また,このような,天武天皇の姿勢は,大和皇権が,
         倭王を処断しなかったことを傍証している。察するに,大和皇権は,前期変革期を乗り越えた大倭王権が小倭国(実は,分立倭国)の倭王を処断せずに,新設の神社の「祝」として活用した
         前例を真似たに違いない。しかしながら,大和皇権は,小倭国の倭王,大倭国の倭王(,国造)を神社に取り込むと同時に,神社の役割を根本的に改めたので,敗者の倭王は,大和皇権の
         傀儡となって,知ってか知らずか,倭族を虐げる側にシフトすることになったと思われる。


さて,「掛け声」に関して,回り道をし過ぎたようである。TVを通して聞こえてくる下社の「山出し」の掛け声「めでてこしょ」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表D:めでてこしょ

表字

音訓変換

裏字

裏意

@








┬めで→賞→

┬梃→ジョウ→
┴子→シ→
┬しょ→ショ→



┬尚→ジョウ→
└貝→ハイ→













午族ハ)
朝廷ニ
背キ,
朝廷ヲ
嗤ウ者

詛ウ。


A








┬めで→愛→オ→お→緒→ジョ→

┬槓→コウ→

┬しょ→ショ→










午族ハ)
徐福ヲ

肯ンジル者


詛ウ。


表Dによると,「めでてこしょ」の裏意は,@の「(午族は)朝廷に背き,朝廷を嗤う者を詛う」であり,Aの「(午族は)徐福を肯んじる者を詛う」である。前者は大和皇権に対する敵意を封じるものであり,後者は大倭王権に対する回帰を封じるものである。共に,主体は午族である。したがって,当該「掛け声」の「めでてこしょ」は,倭族が創始したものではなく,午族が作出したものであるに違いない。因みに,拙論「三種神器」「日本武尊」などによると,『日本書紀』の編者らは,表情報に裏情報(=倭族に対する呪詛)を籠めるルールを提示しており,これが国是のように遵守されてきたので,諏訪神社下社においては,下社の大祝が,御柱祭における「掛け声」として,「めでてこしょ」を採用したと思われる。

以上,諏訪神社の御柱祭に関して,開始年度がAD672年度である可能性を取り上げてきた。次に,式年行事を遵守してきた伊勢神宮の式年遷宮に付いて,同じように,検討した。『ウキペディア(H.22.03.10)』によると,伊勢神宮の式年遷宮は,AD1949年(昭和24年)に行われているので,歴史を20年ずつ遡って行くと,電子頁『古族研究』が大和国成立年度とするAD669年に至る。したがって,理屈の上では,AD669年を式年造営の開始年度に据えることができる。

因みに,関係数値に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表E:669年

表字

数値加工

音訓変換

裏字

裏意

@
















→ロク→
→もも→桃→

→ロク→
→ジュウ→
→ク→




┬木→
└兆→






鹿
木┬
兆┘






君主ガ
倭族ヲ

辱メ,
倭族ヲ
苦シメル
年。

669







┬600→

└69┬1→
    *
    ├(6
    ├+64
    └+0)→



→はじめ→

→ロク→
→むし→
→リョウ→

6C



鹿



7世紀。

始祖王。

君主ガ
倭族ヲ
領ス。

注Eα:△=(人+摎−手)=辱める

表Eによると,AD「669年」の裏意は,漢数字が,@の「君主が倭族を辱め,倭族を苦しめる年」であり,洋数字が,Aの「7世紀」+「始祖王」*「君主が倭族を領す」である。前者は,倭族に対する君主の敵意であり,後者は,倭族に対する君主の勝利宣言に他ならない。したがって,AD669年(*e)には,倭族に対する午族の敵意が満ちていることになる。察するに,式年遷宮は,呪詛に深く結び付いたものであると思われる。
   注*e:当該裏意は,大和国成立年度がAD669年であるとした電子頁『古族研究』の表記を7世紀と暈かしている。しかし,当該表記は,電子頁『古族研究』がAD669年を以て後期変革点としている事実を
          認めたことになる。これは,頭を隠しても,尻が隠れていない事例になっていいる。最早,列島における国家の移行,覇権の交代は,隠し通せぬ事実となっている。


ところで,AD669年とAD672年の間には,3ヶ年の時差が設けられている。当該時差の差3ヶ年は,短期間であるに拘わらず,天智天皇の2ヶ年,弘文天皇の1ヶ年に区分されている。弘文天皇に対する『日本書紀』の処遇を勘案するならば,考査する価値があると思われる。

表F:差3年他

表字

音訓変換

裏字

裏意

@





→シ→積→シャク→
→み→巳→ジ→
→とし→利→リ→







僧侶
徐福
憂エル。

A







→あめ→雨→ウ→熊→くま→奧→オウ→
┬知→しる→識→シ→
└日→ニチ→
→に→乎→ゴ→
→とし→利→リ→









倭王
倭支族
昵ミ,
午族
憂エル。

B







┬弓→ク→
└厶→シ→
→モン→
→イチ→いち→
→とし→利→リ→









駒人
倭支族
腹立チ,
徐福
憂エル。

注Fα:△=(心+里)=憂える

表Fによると,当該数値の裏意は,「差3ヶ年」が「僧侶は徐福を憂える」であり,「天智2ヶ年」が「倭王は倭支族に昵み,午族を憂える」であり,「弘文1ヶ年」が「駒人は倭支族に腹立ち,徐福を憂える」である。前者は,年差の3ヶ年が,僧侶に取って,徐福を憂える期間であったことを示している。詰まり,後者は,年差の3ヶ年を2分し,前半の天智天皇御世の2ヶ年が,倭王が倭支族に昵み,午族を憂える期間であり,後半の弘文天皇御世の1ヶ年が,駒人が倭支族に腹立ち,徐福を憂える期間であったことを示している。したがって,表Fに示される裏文を勘案するに,AD669年は大和国の開始年度に相当し,AD672年は大倭国の終焉年度に相当している。察するに,『日本書紀』の編者らは,天智天皇,天武天皇の間に,3ヶ年のズレを設け,前半において,倭族の団結,杞憂を記し,後半において,駒人(=午族)の憤怒,杞憂を述べたことになる。これは,電子頁『古族研究』が明らかにしてきたところの,列島における国家の移行,覇権の交代に関する知見に違うものではない。したがって,拙論「天武借名」が触れているように,高麗国の「淵蓋蘇文」の次男である「南健」が,『日本書紀』の記述する「薩野馬」に化して,AD669年に大倭国を簒奪し,AD672年に大和国の始祖王に就任したとする見解は,否定されるべきでないと思われる。

V.式年造営

既に触れてきたように,式年造営は呪詛と無関係ではなかった。詰まり,伊勢神宮の式年造営は,AD669年以降の,20年を区切りとした或る時期に始まっていると考えられ,諏訪神社の式年造営は,AD672年以降の,6年を区切りとした或る時期に始まっていると思われる。したがって,本論においては,式年造営の開始年度を,このように捉えることにしたい。

大和皇権は,大倭国に白村江における敗戦という負い目があってか,列島を3ヶ年で掌握することができた。しかし,大和国を安定化する余裕は無かったと思われる。詰まり,大和国の樹立,始祖王(=天武天皇)の襲位に関する祝賀を,天武天皇の存命中に,制度化する余裕は無かったので,式年造営の制度化は,後年になって,企画され,実施されたと思われる。したがって,本論においては,当該判断を前提に据えることにしたい。

ところで,伊勢神宮の式年造営は20年毎に行われ,諏訪神社の式年造営は6年毎に行われている。両数値の最小公倍数は60年である。古代史の研究者は,干支に関係する「60」が列島の古代史に大きな影響を及ぼしている事実を承知している。しかし,「60」の真の意味に付いては,実のところ,余り能く判ってはいない。この問題においても,特殊な手法を以て,考査しなければならないと思われる。

因みに,「干支*巡」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表G:干支*巡

表字

音訓変換
 
裏字

裏意

@





→ロク→
→ジュウ→
→とし→利→リ→


鹿




君主ハ,
倭族ヲ
憂エル

A




→イチ→いち→
→ジュン→





君主倭族ヲ憂エル
徐福
順ウ。

B




→に→乎→ゴ→
→ジュン→





君主倭族ヲ憂エル
午族
順ウ。

C




→み→巳→ジ→
→ジュン→





君主倭族ヲ憂エル
徐福
順ウ。

D




→シ→始→はじめ→一→イチ→いち→
→ジュン→





君主倭族ヲ憂エル
徐福
順ウ。

E




→ゴ→
→ジュン→





君主倭族ヲ憂エル
午族
順ウ。

注Gα:△=(心+里)=憂える

表Gによると,「60年*巡」の裏意は,「60年1巡」が「君主は,倭族を憂える徐福に順う」であり,「60年2巡」が「君主は,倭族を憂える午族に順う」であり,「60年3巡」が「君主は,倭族を憂える徐福に順う」であり,「60年4巡」が「君主は,倭族を憂える徐福に従う」であり,「60年5巡」が「君主は,倭族を憂える午族に従う」である。詰まり,「1巡(=60年)」「3巡(=180年)」「4巡(=240年)」の場合には,「君主は,倭族を憂える徐福に順う」となり,「2巡(=120年)」「5巡(=300年)」の場合には,「君主は,倭族を憂える午族に順う」となる。したがって,大和皇権に取って,都合の良い画期は,120年後,あるいは,300年後ということになる。

因みに,当該数値に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表H:120年,300年

表字

音訓変換

裏字

裏意








→ヒャク→
┬廾→ニュウ→乳→ちち→

→とし→利→リ→








君主
国父

憂エル。








→み→御→ゴ→
→もも→桃→

→とし→利→リ→



┬木→
└兆→




木┬
兆┘



午族
倭族

憂エル。

注Hα:△=(心+里)=憂える

表Hによると,「120年」の裏意は「君主は,国父を憂える」であり,「300年」の裏意は「午族は倭族を憂える」である。前者は徐福に対する杞憂であり,後者は倭族に対する杞憂である。大和皇権は,「60年2巡目」「60年5巡目」のような節目に,倭族に対する呪詛を推進した天武天皇を追憶し,祭事を催したに違いない。察するに,徐福を杞憂する「60年2巡目」において,好機到来とばかり,大和国の樹立,天武天皇の襲位を祝賀する祭事を制度化したと思われる。もしも,このような推理が許されるならば,「60年2巡目」は,大和国の樹立から120年後のAD789年に該当し,天武天皇の襲位から120年後のAD792年に該当する。因みに,諏訪円忠の『諏訪大明神縁起画詞』は,当該年度に付いて,桓武天皇の御世として記録している。察するに。開始年度を明記すると,『日本書紀』が隠してきたところの,高麗国の淵蓋蘇文の次男である南健,即ち,『日本書紀』が記するところの薩野馬の渡来,大和国の樹立,始祖王(=天武天皇)の襲位が露呈し,万世1系の謀略が破綻する危惧が在ったので,特定年度を明記する替わりに,桓武天皇の御世として,暈かしたものと思われる。

因みに,『日本史要覧(山川出版,2000年)』によると,大和皇権は,桓武の御世中のAD799年(*e),渤海使(*f)の来日を6年に1度としている。当該年度は,AD669年から数えて「130年」目に当たり,AD672年から数えて「127年」目に当たる。前者に秘められた裏意は「倭本族を憎む高麗人」であり,後者に秘められた裏意は「倭本族の国父を質す高麗人」である。共に,倭族に対する高麗人の敵意に他ならない。したがって,桓武天皇は,渤海使に対しても,御柱祭に類して,6年毎の式年に拘ったことになる。
    注*e:当該年度は,最澄が帰朝したAD805年よりも6年先立っており,空海が帰朝したAD806年よりも5年先立っている。したがって,大和皇権の呪詛は,最澄,空海に先立って,完成の域に達していたと
           思われる。尤も,薩野馬が育った高麗国は,呪詛に起因して,国名を改変させられた国であるので,薩野馬(=天武天皇)は音訓変換法に通暁していたとしても,全く不思議ではない。
       注*f:渤海使の来日を6年に1度とすると決したのは大和皇権である。事実は,これに反して,大和皇権が,渤海使の来日を6年に1度としたい,渤海使に求めたに違いない。拙論「高句麗考」によると,
           a.白村口の戦争に勝利した「唐国」「高麗国」は,密約を交わし,密約に賛成した「高麗人」,『日本書紀』が記するところの薩野馬,即ち,淵蓋蘇文の次男である南健が,「高麗国」を明け渡して,
           列島を替わりに奪取した,b.この時の密約に服さなかった「高麗人」は,故地に残留して,29年の後に,渤海国を樹立した,c.大和国(後の日本国),渤海国の両国は,同族の誼で,国旗に日の丸を
           デザインした,などによって,国の母体は,大和国においても,渤海国においても,高麗人であった可能性は極めて高い。したがって,大和皇権は,同族の国家間に定着した交誼に基づいて,
           また,同族の敵対者を抱える共感に基づいて,渤海国に対して,音訓変換に基づく呪詛の必要性を説いていたと思われる。

詰まるところ,伊勢神宮,諏訪神社の式年造営は,大和国の樹立,天武天皇の襲位を基準にして,「60年2巡目」に制度化されたものである。したがって,式年造営の開始年度は,伊勢神宮がAD789年となり,諏訪神社AD792年となる。詰まり,式年造営の至近回数は,伊勢神宮が2009年の62回目となり,諏訪神社が2010年の204回目となる。

伊勢神宮,諏訪神社の式年造営,あるいは,諏訪神社の御柱祭に関しては,本論における考察,ならびに,電子頁『古族研究』の知見を勘案して,考究の結果を以下のように要約しておきたい。

@;唐国の則天武后は,白村口の勝戦を踏まえて,高麗国の淵蓋蘇文に対して,高麗国と大倭国との交換を謀った。

A;淵蓋蘇文の次男である南健は,則天武后の策謀に乗じて,薩野馬と化して,列島に乗り込んできた。

B;薩野馬は,AD669年,九州島筑紫に存した大倭国を簒奪し,大和国を樹立した。

C;薩野馬(*g)は,畿内他に繁衍した倭系小国家を征服し,AD672年,始祖王に襲位した。
    注*g;薩野馬が始祖王に就任した時の王名は定かでない。拙論「天武借名」によると,天皇名「天武」は,死後,唐国の則天武后から借名したものである。

D;大和皇権は,大倭国の樹立を祝賀して,AD669年から120年後のAD789年,伊勢神宮の式年造営を開始した。

E;大和皇権は,天武天皇の襲位を祝賀して,AD672年から120年後のAD792年,諏訪神社他の式年造営を開始した。

F;伊勢神宮の式年造営は,AD2009年(*h)が62回目に相当する。
    注*h;2009=789+20x61

G;諏訪神社の式年造営,御柱祭は,AD2010(*i)が204回目に相当する。
    注*i;2010=792+6x203いじょ

以上を以て,式年造営に関する謎が,1つ,解明されたと思われる。しかし,ここに,大きな謎が,1つ,残ったことになる。「祝賀」と「呪詛」の関係である。この問題に付いても,特殊な手法を援用することにしたい。

大和皇権が企画した「祝賀」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。


表I:祝賀

表字

音訓変換

裏字

裏意








┬示→ジ→
└兄→キョウ→
┬加→ケ→
└貝→ハイ→







午族ハ)
徐福
警メ,
倭族
背ク。

表Iによると,「祝賀」の裏意は「午族は徐福を警め,倭族に背く」である。これは,徐福に対する警戒,倭族に対する背反に他ならない。拙論「三種神器」「日本武尊」などによると,『日本書紀』の編者らが提示した国是に添うものであり,電子頁『古族研究』において得られた知見に矛盾するものではない。また,拙論「民衆信仰」によると,大和皇権は,現世を午族に配分し,黄泉を倭族に配分している。詰まり,午族の安寧は,倭族の犠牲の上に成り立っていたに違いない。これこそ,土地生産力が不安定であった時代の民族抗争の実態であると思われる。

W.あとがき

筆者は,10年来,表情報である日本語に隠された裏情報を検索してきた。その経験を踏まえると,伝統的(?)な日本語は,大和皇権の検閲(*j)を経ているように思われる。換言するならば,裏情報として,倭族に対する午族の呪詛が含まれているものが残り,含まれていないものが淘汰されていると思われるが,当該判断は,残念なことに,伝統的な日本語の100%に渡って検証した後の結論ではない。しかし,今までに手掛けた,決して少なくない事例において,例外が認められていないので,上記の「掛け声」も,大和皇権のお墨付きがあったと思われる。
   
注*j:筆者は,日本語の起源を呪詛の面から解説することとが可能であると感じており,既に,拙論「倭語和語」に着手しているが,辞書1冊は量が量だけに,入り口の入り口で頓挫している。

電子頁『古族研究』によると,大和皇権の中枢(=天皇,藤原,皇子,僧侶)は,正神に対する邪神(,辟邪)を意識している。大和皇権は,大倭国が創始した神社に邪神を配置することによって,倭族が社神を尊崇すればするほどに,倭族が自縄自縛に陥る罠を構築した。同時に,寺祭,民俗など,ほぼ全般に亘って,呪詛のネットワークを張り巡らした。詰まり,大和皇権は,あらゆる知恵を絞って,倭族の復活を抑止したことになる。したがって,倭族復活の阻止は,大和皇権に取って,内政の主要な柱であったに違いない。呪詛に関連しては,「陰陽寮」集団の多人数に着目したい。察するに,彼らは,天体観察ばかりに注力していたのではなく,寧ろ,音訓変換に注力していたと思わる。

筆者は,10年間の歳月を掛けて,呪詛の実態を明らかにしてきた。例えば,以下の通りである。@;呪詛の背景は,列島に渡来した古族による覇権の争奪である。A;呪詛の主体は,覇権争奪の勝者である午族,高麗人(天皇,藤原,皇子,僧侶)である。B;呪詛の客体は,覇権争奪の敗者である倭族である。C;呪詛の目的は,倭族の復活を抑止しようとする午族の敵意である。D;呪詛の手段は,音訓変換法である。E;呪詛の推進者は,陰陽師,僧侶である。F;呪詛の実践者は,主に僧侶であり,副に神官である。G;呪詛の範囲は,官民の活動するほぼ全域である。H;呪詛の対極は,万葉人が関わった怨恨である,などである。したがって,大和皇権は,倭族が自縄自縛に陥るシステムの構築,倭族の抑圧に成功したことになる。I;呪詛の文化に対する影響は,計り得ない。察するに,呪詛の残滓は,貴族社会の終焉を以て終熄することなく,武家社会に能動的に引き継がれ,明治維新を迎えても,市民社会に受動的に浸潤していると思われる。詰まり,呪詛の対象は広範囲に及んでいるので,列島においては,伝統と称されるものから,呪詛に汚染されたものを差し引くと,何も残らない(*k)のではないかとさえ思われる。可能ならば,歴史に挑戦して居られる研究者が再び呪詛に配慮されることを期待しておきたい。
   
  注*k:このような表現は,誤解を招く恐れがあります。改めて,呪詛が影響している範囲が極めて広いことを指摘しておきたい。

筆者は,呪詛に対する個人的な関心を持ち合わせはいない。詰まり,呪詛発掘は,古代史研究の最終目標ではない。しかし,呪詛文(=裏情報)の中に古代史を見直すヒントが眠っていると理解しているので,呪詛の発掘を性懲りもなく続けている。これが,筆者の姿勢である。しかし,このことをお判り頂いても,読者が,対極に居られるならば,呪詛に関する「私の主張」にご賛同いただくことはないと思われる,もしも,そうであるならば,理解されている呪詛の実態を描いて見ることをお勧めしたい。もしも,筆者とは異なる角度において,呪詛の実態を描き得ると仰るならば,君我の間の差異が明らかになるに違いない。時が至り,「君の主張」が開示されることを,ここに,期待しておきたい。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.04.06
改稿日:2010.04.11, 2010.04.20


御柱祭考(付記1)―御柱の曳き綱である雄綱,雌綱に付いて―

御柱祭においては,巨大な御柱が曳行される。御柱の鼻部には,2本の太い綱が括られている。片や,雄綱と呼ばれ,片や,雌綱と称されている。しかし,諏訪神社の場合,上,下社で,雄綱,雌綱の位地が左右で逆転している。TVのレポーターも,言い間違いをしたほどである。

雄綱,雌綱の左右は,川の右岸,左岸の場合に準じて,御柱が神社に向かう方向にしたがうので,「下社は,右が雄綱,左が雌綱」,「上社は,左が雄綱,右が雌綱」となる。これらに伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表A:雄綱,雌綱

表字

音訓変換

裏字

裏意

@






綱,






→もと→質→チ→黐→リ→
→ジャ→

→ウ→

→ウ→熊→くま→奧→オウ→
→コウ→
→サ→┬さし→緡→ミン→△→┬門→モン→
   │          └虫→
→シ→┘
















高麗人ノ
邪神ハ

悪ノ

王ニ
抗イ,
卍ノ
虫ニ

抗ウ。

A






綱,






→ジョウ→
→ジャ→

→サ→作→サク→数→シュ→

→ウ→熊→くま→奧→オウ→
→コウ→
→ウ→

→シ→
→コウ→















朝廷ノ
邪神ハ

呪イノ

王ニ
抗イ,
悪ノ

倭支族ニ
抗ウ。

注Aα:△=(門/虫)

表Aによると,「下社は,右が雄綱,左が雌綱」の裏意は「下(=高麗人)の邪神は,悪の王に抗い,卍の虫に抗う」であり,「上社は,左が雄綱,右が雌綱」の裏意は「上(=朝廷)の邪神は,呪いの王に抗い,悪い倭支族に抗う」である。前者は,倭王に抗い,仏教の虫に抗うことであり,後者は,倭王に抗い,倭支族に抗うことである。裏文の主体は,前者の下社が「高麗人の邪神」であり,後者の上社が「朝廷の邪神」である。「邪神」は「辟邪」のことである。拙論「銅鏡銘文」などによると,大和皇権の中枢:天皇,藤原,皇子,高僧は,邪神を自任し,全国の神社に赴任している。したがって,諏訪神社は,大和皇権の社神政策の影響下に当初から存したのであって,大和皇権から遊離したかのような特殊な神社であったのではない。

なお,「雄綱」「雌綱」に関するカラクリは,氏子が知らなくとも良いことであったに違いない。因みに,「氏子に意外性を持たせる」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:氏子に意外性を持たせる

表字

音訓変換

裏字

裏意

@















→ジ→
→シ→

→イ→
→ゲ→児→ニ→
→ショウ→鐘→┬金→かな→夫→フ→
         ├立→たつ→
         └里→リ→

→ジ→



















(午族ハ)
徐福ヲ
嗤ウ

倭族ヲ
血塗リ,
国父ヲ
絶ツ
高麗人ヲ

慈シム。




注Bα:△=(血+耳)

表Bによると,「氏子に意外性を持たせる」の裏意は,「(大祝は,)徐福を嗤い,倭族に血塗り,国父を絶つ高麗人を慈しむ」である。これは,徐福(=国父),倭族に対する午族の敵意に他ならない。したがって,「大祝」は,氏子に意外性を持たせることに腐心したと思われる。察するに,「諏訪7石」「諏訪7木」など,科学的に根拠のないものが創作されたと思われる。

なお,表Aにおいては,「上」から「朝廷」を導き,「下」から「高麗人」を導びくことになった。これは,拙論「諏訪古史」「古族相関」の内容に矛盾していないと思われる。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.04.22
改稿日:2010.05.06


御柱祭考(付記2)―「御小屋の樅の木は,里に下りて,神となる」に付いて―

拙論「御柱祭考」「同付記1」によると,諏訪神社の式年造営の一部をなす御柱祭は,呪詛に潤色されたものであえる。詰まり,御柱祭は,AD672年から数えて,120ヶ年目に創始されているので,途中での欠落がなければ,今年度の祭事は,204回目に相当するはずであるが,列島の歴史を,国家が3回も移行し,覇権が3度も交代し,後期変革点を堺に,呪詛,怨恨が列島に充満したことを勘案するならば,拙論「諏訪社神」「風祝歌考」などの例に漏れず,諏訪神社にも,呪詛の波が押し寄せていたと推断せざるをえない。

しかるに,拙論「龍安寺考」「芝居寸考」などによると,列島の覇権争奪戦において,敗者となった倭族は,万葉人のように,怨恨を発していたばかりではないと思われる。因みに,室町時代の武将であった,細川勝元,政元の父子は,自身が倭族に帰属することを認識していたらしく,武家社会が到来すると,倭族の復活を希求した。詰まり,細川父子は,AD1450年から780ヶ年を遡った,AD670年を基準として,6ヶ年毎の呪詛を刻むべく,AD1450年に龍安寺を開基した。拙論「元号諡号」によると,AD670年は,高麗人の南健が九州島筑紫に存した大倭国を征服した後期変革点であり,拙論「天武借名」によると,AD672年は南健が化した薩野馬が,畿内他に分立していた倭系国を制圧して,始祖王に襲位した年である。

関連数値に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表A:呪詛関連数値(「龍安寺考」より)

表字

音訓変換

裏字

裏意

@









→ゴ→
┬一→イチ→いち→
└白→もうす→申→シン→
→ロク→
→ジュウ→







鹿





午族ガ
徐福ヲ
冒シ,
君主ガ
倭本族ヲ
血塗ッタ
年。

A









→ロク→
┬一→イチ→いち→
└白→もうす→申→シン→
→ロク→
→ジュウ→
→ク→



鹿


鹿





君主ガ
徐福ヲ
冒シ,
君主ガ
倭本族ヲ
枯ラシタ
年。

B








→ロク→
→もも→桃┬木→┬
     └兆→┘
→シチ→
→と→戸→ゴ→



鹿







君主ガ
倭本族ヲ

質シタ
午族ノ
時。

C


 






→ロク→
→もも→桃┬木→┬
     └兆→┘
→シチ→
→ジュウ→
→ニ→



鹿








君主ガ
倭本族ヲ

質シ,
倭本族ニ
血塗ッタ
時。

D







→シチ→櫛→くし→串→ケン→
→股→ク→
┬木→モク→











倭本族ガ
駒人ニ
黙シタ

期間。

E








→や→矢→シ→
→もも→桃┬木→┬
     └兆→┘
┬木→モク→
┘→











倭支族,
倭本族,

倭本族ノ

期間。

F









→セン→
→シ→
→もも→桃┬木→┬
     └兆→┘
┬いそ→磯→ケ→













倭本族,
倭支族,
倭本族,

倭本族ノ

時。

注Aα:△=(血+耳)

表Aによると,関連年度の裏意は,「562年」が@の「午族が徐福を冒し,君主が倭本族を血塗る年」であり,「669年」がAの「君主が倭本族を冒し,君主が倭本族を苦しめる年」であり,「670年」がBの「君主が徐福を質し,室を忌む期間」であり,「672年」がCの「君主が倭本族を質し,倭本族に血塗った年」であり,「780年」がDの「君主が倭本族を冒した午族の期間」であり,「888年」がEの「倭本族,倭支族の期間」であり,「1450年」がFの「倭本族,倭支族の年」である。当該裏意は,何れもが,列島の画期,歴史的期間に基準を置いて,過去が,倭本族,倭支族の時代であったことを暗示している。察するに,室町時代の武将であった細川父子は,倭族に出自があることを認識していたことになる。

然るに,室町時代の武将が,平安貴族として君臨していた午族(=高麗人)に対して,反呪詛を仕掛けた行動は,反呪詛の手法が呪詛の手法を真似たものであったので,時代を変革するほどには,展開されることがなかったと思われる。しかしながら,反呪詛が,全国の武将に希望を与えたことは,想像に難くないところである。

さて,筆者は,本日(2010.05.03)も,諏訪神社上社の御柱祭の「里引き」を拝見した。詰まるところ,見過ごしていた文言「御小屋の樅の木は,里に下りて,神となる」に改めて関心を寄せることになった。

当該文言に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:文言「御小屋の樅の木は,里に下りて,神となる」

表字

音訓変換

裏字

裏意









は,




て,






→ゴ→
→ショウ→青→
→や→邪→ヤ→

┬木→
└従→シュ→


→リ→

→くだる→降→コウ→


┬示→ジ→
└申→シン→























午族ハ
倭本族ヲ
厭イ,

倭本族ヲ
呪ウ。
倭本族ハ

麗人ニ

抗イ,


徐福ヲ
信ジル。



表Bによると,文言「御小屋の樅の木は,里に下りて,神となる」の裏意は,「午族は,倭本族を厭い,倭本族を呪う」「倭本族は,高麗人に抗い,徐福を信じる」である。当該裏意は,前半が倭本族に対する午族の敵意を暗示しており,後半が高麗人に抗い,徐福を信じる倭本族を暗示している。詰まり,当該裏意は,諏訪神社の中にも,反呪詛に賛成する人物が存したことを傍証していると思われる。

『諏訪年代便覧』によると,諏訪盛重が北条時頼に仕えている。当該の縁があってか,細川父子が仕えた足利義政が,AD1470年に,下社に祈願している。当該祈願は,細川父子,義天玄詔が龍安寺を開基したAD1450年から数えて,20ヶ年後のことである。察するに,反呪詛を目指した龍安寺石庭に関係がなかったとは思われない。

因みに,足利将軍が下社を参拝した「1570年」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表C:1470年

表字

音訓変換

裏字

裏意

@








→セン→
→シ→
→もも→股→ク→
→シチ→
→と→戸→ゴ→











倭本族ハ
倭支族ヲ
枯ラシタ
朝廷ヲ
逆ラウ
年。

表Cによると,「1570年」の裏意は,「倭本族は,午族を枯らした朝廷に逆らう年」である。当該裏意は,午族に対する倭本族の反撃を暗示している。詰まり,北条将軍は,諏訪神社下社において,午族打倒を祈願したことになる。

『諏訪年代便覧』によると,下社の金刺大祝が,AD1518年に,滅亡した。当該事変は,上社大祝と下社大祝の相剋のように伝えられているが,原因は,個人的なレベルのものではなかったと思われる。察するに,武家政権を樹立した源頼朝と,拙論「諏訪古史」によると,科野国国造から横滑りした金刺大祝が,共に,平安貴族を出自としていたとするならば,洲波国の国司であった上社大祝は,倭族を出自としていたので,上社大祝の判断する好機到来にも動きを見せない金刺大祝に対して,AD1449年の下社焼き討ち以来,不満を溜めることになったと思われる。詰まるところ,当該事情が,下社大祝に対する上社大祝の暗殺の真相ではなかったかと思われる。

因みに,AD1499年に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表D:1499年

表字

音訓変換

裏字

裏意











→セン→
→シ→
→もも→股→ク→
┬卆→シュチ→戌→土→ツ→闍→┬門→モン→
┘              └者→
→ク→






卍┬
者┘




倭本族ハ
始祖王ヲ
枯ラシ,
僧侶ヲ

枯ラス
年。

表Dによると,「1449年」の裏意は,「倭本族は始祖王を枯らし,僧侶を枯らす年」である。当該裏意は,始祖王に対する倭本族の敵意を暗示し,僧侶に対する倭本族の敵意を暗示している。詰まるところ,上社大祝は,列島情勢を踏まえて,下社を攻撃したことになる。因みに,先祖が,鎌倉時代以後,大祝家の世襲執事であった原田哲郎翁によると,諏訪神社には,諜報機能が備わっていた由である。

以上のように,推論を重ねてみると,列島においては,室町時代に,反呪詛の動きがあった。例えば,義天玄詔が龍安寺を開基し,細川父子が反呪詛を目的として石庭を作った。また,6ヶ年毎に挙行される御柱祭において,反呪詛の文言が創作された。詰まるところ,当該行動は,倭族を出自とする武士が,積年の怨恨を晴らすものであったと思われる。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.03
改稿日:2010.05.06


御柱祭考(付記3)―「もみ」類音語に付いて―

前報「御柱祭考(付記2)」を書き終えた段階で,引用した文言「御小屋の樅の木は,里に下りて,神となる」が,何故か,気になった。理由は,前回引用した文言と別文言「御小屋山の樅の木は,里に下りて,神となる」との差異である。「山」は,文章の中に含まれるので,欠かすことのできないものである。念のため,別文言を検討することにした。若干の知見をえることができたので,以下に,報告することにしたい。

別文言「御小屋山の樅の木は,里に下りて,神となる」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表A:別文言「御小屋山の樅の木は,里に下りて,神となる」

表字

音訓変換

裏字

裏意










は,




て,






→ゴ→
→ショウ→青→
→や→邪→ヤ→


→シュ→



→リ→

→くだる→降→コウ→


┬示→ジ→
└申→シン→
























午族
倭本族
厭イ,
倭本族

呪ウ。

倭本族

高麗人

抗イ,


徐福
信ジル。



Aによると,別文言「御小屋山の樅の木は,里に下りて,神となる」の裏意は,「午族は,倭本族を厭い,倭本族を呪う」「倭本族は高麗人に抗い,徐福を信じる」である。当該裏意は,前半が倭本族に対する午族(=高麗人)の敵意を暗示し,後半が午族に対する倭族の抵抗,徐福に対する倭族の信頼を暗示している。詰まり,当該裏意は,前報において報告した,前裏意「午族は,倭本族を厭い,倭本族を呪う」「倭本族は,高麗人に抗い,徐福を信じる」に相同するものである。したがって,別文言にける「山」は,省略されたと思われる。

ところで,表情報から裏情報を導く音訓変換の手法は,TPOに応じて,同じではない。例えば,「樅」は,前回は,「木」「従」に分離されたが,今回は,分離されなかった。察するに,音訓変換法においては,臨機応変が普遍性をもたらしているように思われる。

因みに,「樅」は,「もみ」と訓読される。また,『漢字源』によると,「もみ」と訓読される国字に「籾」「蟐」が在る。電子頁『古族研究』の視座によると,3ヶの「もみ」に対して,国字が2字も作られていることが気になったので,背景を探ることにした。結果は以下の通りである。

「もみ」「籾」「蟐」,並びに,「樅」(再掲)に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:「国字」「もみ」「籾」「蟐」「樅」

表字

音訓変換

裏字

裏意

@





→くに┬く→ク→
    └に→ ┐
→ジ→じ→→┴虹→┬虫→
          └工→ク→






駒人

倭本族
苦シメル。
A




→藻→ソウ→
→深→シン→





午族ハ)
僧侶
信ジル。

B





┬米┬木→
│  └八→
└刃→は→葉→ヨウ→






午族ハ)
倭本族,
倭本族ヲ
厭ウ。

C




┬虫→
└常→ジョウ→





午族ハ)
倭本族
懲ラシメル。

D




┬木→
└従→シュ→





午族ハ)
倭本族
呪ウ。

表Bによると,当該用語の裏意は,「国字」が「駒人は倭本族を苦しめる」であり,「もみ」が「(午族は)僧侶を信じる」であり,「籾」が「(午族は)倭本族を厭う」であり,「蟐」が「(午族は)倭本族を定める」であり,「樅」が「(午族は)倭本族を呪う」である。当該裏意は,何れもが,倭本族に対する午族の敵意を暗示している。詰まるところ,「もみ」「籾」「蟐」「樅」は,「国字」が持つ裏意の故に,何れもが,呪詛用語として,作出されることになったと思われる。したがって,諏訪神社で用いられる「樅」は,桓武の御世以来,呪詛をベースにしたものであると認めざるをえない。

TVにて拝見する限り,現代人が,僅かな人生経験に基づいて,諏訪神社の御柱祭,同祭事に,言い知れぬ愛着を感じていることには,間違いがないと思われる。しかしながら,拙論「諏訪神社」「諏訪神楽」,あるいは,「御柱祭考(付記2)」などによると,呪詛は,諏訪神社にも浸潤していたことになる。反面,拙論「御柱祭考(付記2)」,本稿「御柱祭考(付記3)」によると,時代が室町時代に至って,倭族に出自を置く武士が擡頭してくると,平安貴族が構築してきた呪詛システムは,崩壊の兆しを見せることになった。詰まり,当該相剋は,拙論「龍安寺考」において触れた細川父子の行動に限らないで,全国に飛び火し,前報「御柱祭考(付記2)」において触れたように,諏訪神社にも伝播していたと思われる。

筆者は,拙論「御柱祭考(付記2)」,本論「御柱祭考(付記3)」を草する機会を与えられて,実は,安堵している。既に論じてきたように,諏訪神社を廻る実態が,呪詛で終始したのであれば,余りに,殺伐としたものになっていたに違いない。詰まるところ,歴史は,呪詛100%ではなかった。素直に,慶ぶことにしたい。しかし,呪詛が,江戸時代に如何に継承されたかに付いては,寡聞にして,知らない。碩学の論考によると,列島人は,古代文化から,中世文化を作ることなく,近世文化を開花させている由である。記すまでもなく,筆者には,近世文化に立ち寄る力量がない。したがって,近世文化が呪詛を如何に処理したかに付いては,碩学の論考を待つことにしたい。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.04
改稿日:2010.05.06


御柱祭考(付記4)―「よき」類音語,「入れる」類音語に付いて―

今日は,平成22年5月4日である。諏訪神社上社では,御柱祭の「里曳き」行事が行われた。「里曳き」のクライマックスは,「建御柱」である。TVは,御柱の「冠落とし」神事と,神事後の御柱の先端を三角錐に切り落とす作業を放映した。三角錐の「切り落とし」は,地元では,「よき」と称する「おの」が使われていた。『大辞泉(学研,1995年)』によると,「斧[おの]」は「斧[よき]」のことである。今になっては,両者を区別することが難しくなっているようである。

さて,「おの」には,幾つかの呉字が存する。例えば,「斧」「?」「斤」などがある。

因みに,「おの」同類語に伏在している裏意は,以下の通りである。

表A:「おの」「よき」「斧」「?」「斤」

表字

音訓変換

裏字

裏意

@




→緒→ジョ→
→野→ジョ→






徐福,
徐福。

A





→蜍→ジョ→
→△→┬黄→オウ→
    └主→



王┬
主┘


徐福,
徐福。


B




┬父→
└斤→コン→金→かな→夫→フ→






徐福,
徐福。

C




┬金→かな→夫→フ→
└夫→フ→






徐福,
徐福。

D



→コン→金→かな→夫→フ→





徐福。

注Aα:△=(金+夫)

表Aによると,「おの」同類語の裏意は,「おの」が「徐福」であり,「よき」が「徐福」であり,「斧」が「徐福」であり,「?」が「徐福」であり,「斤」が「徐福」である。当該裏意は,何れもが,徐福を暗示している。詰まり,「おの」関連語は,「徐福」で統一されていることになる。しかし,「おの」同類語が,「徐福」で統一されている理由は,定かではない。察するに,表Aの「斧」「?」「斤」の音訓変換過程においては,「→金→かな→夫→」の変換が行われているので,当該変換が鍵になっているのかも知れない。したがって,倭族,あるいは,午族の立場において,前者であれば,徐福を尊崇するために,後者であれば,徐福を呪詛するために,当該変換を考案したものと思われる。

ところで,「冠落とし」の作業は,御柱に「おのを入れる」作業に他ならない。

「入れる」の同類語に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:「入れる」類語

表字

音訓変換

裏字

裏意

@





→いる→射→ジャ→









邪神。



A





→うち→裏→リ→









高麗人。



B







→ゆるす→釈→











僧侶。




C






→おさめる→釈→











僧侶。



D





→おさめる→理→リ→









高麗人。



表Bによると,「入れる」類語の裏意は,「入れる」が「邪神」であり,「内れる」が「麗人」であり,「容れる」が「僧侶」であり,「納れる」が「麗人」であり,「閲れる」が「午族」である。当該裏意は,何れもが,大和皇権の中枢を占める「邪神」「麗人」「僧侶」「麗人」「午族」を暗示している。詰まるところ,表Aにおいては,「おの」同類語が「徐福」で統一されていたが,逆に,表Bにおいては,「入れる」類語が大和皇権中枢部で統一されていることになる。

なお,「入れる」同類語が,大和皇権の中枢部に統一されている理由は,「おの」同類語の場合のように,定かではない。察するに,「入れる」同類語が,大和皇権の中枢部で統一されている理由は,「おの」同類語の場合のように,表Aの全ての音訓変換過程において,訓が全面的に利用されているので,当該変換が鍵になっているのかも知れない。当該判断が許されるならば,電子頁『古族研究』で明らかなように,倭族に対する呪詛に専念している大和皇権中枢部が,表Bにおける動詞に,自分達の象徴語を組み込み,呪詛に利用してきたと思われる。しかし,午族側の視座においての,具体的な事例は未だ発掘されていない。

ところで,「入れる」同類語に伏在していると思われる別裏意は,以下の通りである。

表C:「入れる」類語群(別裏意)

表字

音訓変換

裏字

裏意

@





→いる→









厭ウ。



A





→うち→家→いえ→舎→シャ→









詐ク。



B







→ゆるす→縦→シュ→











呪ウ。




C






→おさめる→御→ゴ→











忌ム。



D





→おさめる→縦→シュ→









呪ウ。



表Cによると,「入れる」類語群の裏意は,「入れる」が「厭う」であり,「内れる」が「詐ぐ」であり,「容れる」が「呪う」であり,「納れる」が「忌む」であり,「閲れる」が「呪う」である。当該裏意は,何れもが,倭族に対する午族の敵意を暗示している。

ところで,表A,Cに注目するならば,表Aの「おの」同類語を目的語「徐福」となし,表Cの「入れる」同類語を敵意を表す動詞になすことが着想される。詰まり,「午族は,徐福に対して敵意を示す」ことになる。因みに,当該着想には,列島に蔓延っている呪詛が背景になっている。反面,表B,Cに注目するならば,表Bの「入れる」同類語を目的語「大和皇権中枢部」となし,表Cの「入れる」同類語を敵意を表す動詞になすことが着想される。詰まり,「(倭族は,)大和皇権中枢部に対して敵意を示す」ことになる。因みに,当該着想には,列島に招来された反呪詛が背景になっている。したがって,両着想を俄に裁断することは適わない。しかし,本手法は,同一鍵語から,目的語,動詞を同時に導くものである。電子頁『古族研究』においては,初出である。

ところで,同一鍵語から,目的語,動詞を同時に導く手法は,「表1語に,裏2語を籠める」ことに他ならない。

当該語詞に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表D:「表1語に,裏2語を籠める」

表字

音訓変換

裏字

裏意

@













→ヒョウ→△→
→はじめ→
→ゴ→

→リ→
→ふたつ→双→ソウ→
→ゴ→

→こめる→罩→チャク→
















倭本族ハ)
倭本族ガ
始祖王ヲ
忌ムコトカラ

高麗人ガ
僧侶ヲ
忌ムコト


釣ル。



表Dによると,「表1語に,裏2語を籠める」の裏意は,「(倭族は,)倭族が始祖王を忌むことから,麗人が僧侶を忌むことを釣る」である。当該裏意は,始祖王,僧侶に対する倭族の敵意を暗示している。詰まり,当該戦略は,倭族が漁夫の利を得ようとするものである。察するに,表Dの変換においては,「(午族は,)倭族が始祖王を忌むことから,麗人が僧侶を忌むことを釣る」ことも可能であるので,当該戦略の浸透度は高いものではなかったと思われる。埋まるところ,室町時代における,反呪詛が徹底されなかった(と思われる)ので,拙論「龍安寺考」「御柱祭考(付記2,3)」などを参酌すると,室町時代において,諏訪武士が,当該戦略を採用したのかも知れない。

もしも,当該判断を,上記のように,設定することが出来るならば,「斧を入れる」作業は,諏訪武士が,新時代の到来を観じて,創作したものと思われる。詰まり,当該戦略を,桓武の御世にまで,遡らせる理由も,根拠もないと思われる。察するに,諏訪武士に付いては,具体的に,特定すること適わない。諏訪武士は,将軍,足利義正が諏訪神社下社を参詣し,祈願したのがAD1447年であり,大祝継満が郡主政満を暗殺したのがAD1483年であり,諏訪頼満が武田信玄と闘ったのがAD1528年であるので,半世紀ばかりの間に,自立の道を探り,時には,反呪詛を手掛けたと思われる。

なお,「冠落とし」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表E:「冠落とし」

表字

音訓変換

裏字

裏意

@







→かんむり→罩→メ→△→┬魚→ゴ→
            └免→
→ラク→










倭本族ハ)
午族
罷免

楽シム。



A







→かんむり→罩→┬四→シ→
         └卓→タク→
→ラク→










倭本族ハ)
倭支族
委託

楽シム。



表Eによると,「冠落とし」の裏意は,「(倭本族は,)午族罷免を楽しむ」であリ,「(倭支族は,)倭支族委託を楽しむ」である。当該裏意は,午族に対する罷免を期待し,倭族,倭支族に対する一任を期待する倭支族を暗示している。

詰まるところ,「御柱に斧を入れる」作業は,倭両族が,諏訪武士によって,創始されたものと思われる。当該判断を以て,本論の結論にしたい。

最後に,未だ構っている危惧を記しておきたい。当該危惧とは,桓武の御世以来,虐げられてきた倭族の心情である。察するに,大祝,五官以下の午族,あるいは,嘗ての倭王が転じた傀儡によって,諏訪古族は,信仰の中心に据えられていた徐福を失うことになった。また,徐福を虐げることを要求された。ひょっとすると,「斧を入れる」とは,倭族が,責めての思いで,徐福を御柱に籠めた作業であったかも知れない。因みに,「柱」は「→ジュウ→虫→」を経て「倭族」に至るので,「斧を入れる」作業とは,徐福が倭族の中に在って欲しいとする願望であったのかも知れない。詰まるところ,当該危惧が現実であったなら,諏訪古族は,桓武の御世において,既に,反呪詛に準じる姿勢を表していたことになる。察するに,「斧を入れる」作業が,徐福を御柱に籠める作業であったなら,諏訪神社は,徐福を以て,諏訪古族から隔絶され,呪詛の場に完全に変わることになるので,午族に取って,当該事態は状況を不利にするものではなかったと思われる。しかし,大和皇権に帰属していた大祝,五官は,本来の呪詛に専念しなければならなかったので,倭族の当該姿勢を,当初から,認める余裕はなかったと思われる。したがって,当該判断は,本論の結論にはならない。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.05
改稿日:2010.05.06


御柱祭考(付記5)―再び,「冠落とし」に付いて―

TVは,「冠落とし」の神事に続いて,「冠落とし」作業を放映した。「冠落とし」とは,何時頃から始まったのであろうか。疑問が沸いてきたが,調査したことがないので,俄には,答えられない。したがって,本稿は,若干の考察に留めざるをえない。

残余に付いては,本稿を閲覧していただいた方に,結論を導いていただきたいと念じることにした。

先ずは,「冠落とし」が始まった頃,「冠」を何と呼称していたのでろうかと危惧された。浅学の身においては,「三角錐」「三面錐」が浮かぶ位である。

因みに,「三角錐」「三面錐」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表A:「三角錐」「三面錐」

表字

音訓変換

裏字

裏意

@






→み→子→シ→
→カク→
┬金→かな→夫→フ→
└隹→スイ→







午族ハ)
倭支族
退カセ
国父
衰エサス。

A





→み→子→シ→
→カク→
→スイ→出→







倭支族ヲ
退カセル
倭本族。

B





→み→子→シ→
→カク→
→スイ→







倭支族ヲ
退カセルハ
誰カ。

C






→み→子→シ→
→メン→
┬金→かな→夫→フ→
└隹→スイ→







午族ハ)
倭支族
謾キ,
国父
衰エサス。

D





→み→子→シ→
→メン→
→スイ→出→







倭支族ヲ
謾ク
倭本族。

E





→み→子→シ→
→メン→
→スイ→







倭支族ヲ
謾クハ
誰カ。

表Aによると,当該用語の裏意は,「三角錐」が,@の「(午族は,)倭支族を退かせ,国父を衰えさす」であり,Aの「倭支族を退かせる倭本族」であり,Bの「倭支族を退かせるは誰ぞ」である。また,「三面錐」が,Cの「(午族は,倭支族を欺き,国父を衰えさす」であり,Dの「倭支族を欺く倭本族」であり,Eの「倭支族を欺くは誰ぞ」である。当該裏意は,@が倭C足,国父に対する午族の退位,衰弱を暗示し,Aが倭支族に対する倭本族の忌避を暗示し,Bが倭支族に退位を迫る主体を暗示している,また,Cが倭支族,国父に対する欺瞞,弾圧を暗示し,Eが倭支族に退位を迫る主体を暗示している。詰まり,当該用語の裏意は,複数存している。詰まるところ,何れが正鵠を得たものであろうか。俄には,答えられない。@,Cは,倭支族,国父に対する午族の敵意を暗示している。詰まり,当該裏意は,大和皇権の設定した,倭族に対して呪詛を発するとした国是に適うものである。A,Dは,倭支族に対する倭本族の要求を暗示している。当該裏意は,拙論「諏訪古史」「古族相関」などによると,倭支族が略100ヶ年間に亘って,抱き続けてきた懸案に適うものである。また,B,Eは,倭支族に退位を迫る主体を暗示している。当該裏意は,拙論「御社宮司」などによると,「御社宮司」を倭本族の信仰体とし,「千鹿頭社」を倭支族の信仰体とする背後関係に適合するものである。

ところで,@,Cは,午族の視座において,整合するものであり,A,Dも,倭族を以て,倭族を制するように,午族の視座において,整合するものである。反面,B,Eは,倭支族の退位を迫った午族に対して誰何しているので,倭族の視座において,整合するものである。もしも,当該戦略が前者であるなら,大和皇権の呪詛は厳密を極めていたので,当該戦略は極めて古くから実施されてきたことになる。反面,もしも,当該戦略が後者であるなら,当該戦略は古くから実施されてきたことにはならない。察するに,御柱行事の細部は,「木遣り」にしても,意外と新しいので,平安慈愛にまでは遡らないであろうと思われる。したがって,本論においては,拙論「御柱祭考」の「付記―2,3,4」によって,「冠落とし」が,室町時代に,逆呪詛として,創始され,定着したとする仮説を提示して置きたい。

当該仮説に拠ると,「三角錐」「三面錐」の裏意は,@,C,A,Dが午族適視座に立っているので,適合することがなく,反面,B,Eが倭族的視座に立っているので,適合することになる。詰まるところ,当該仮説は,御柱の「冠落とし」が午族的視座に立って暫く行なわれた後になって,倭族的視座に立って,慌ただしく行なわれたことになる。したがって,創始の時期は,逆呪詛の運動が,諏訪の地にも流れ込んできた室町時代ではなかったかと思われる。

では,B,Eが指摘した「誰」とは,何者であったのであろうか。俄には,答えられない。しかし,諏訪神社に関するかぎり,「誰」とは,明白である。生き神として崇められていた「大祝」であるに違いない。

因みに,「誰」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:「誰(=大祝)」

表字

音訓変換

裏字

裏意

@





→ダイ→台→イ→
┬示→ジ→
└兄→キョウ→







倭本族
徐福
敬ウ。

A





→ダイ→台→われ→魚→ゴ→
┬示→ジ→
└兄→キョウ→







午族
徐福
警メル。

表Bによると,「大祝」の「裏意は,@の「倭本族は,徐福を敬う」であり,Aの「午族は,徐福を警める」である。当該裏意は,@が徐福に対する倭本族の尊敬を暗示し,Aが徐福に対する午族の警戒を暗示している。詰まり,「大祝」は,倭族の時代に創始されたが,午族の時代に至って,許容され,継承された神人である。察するに,諏訪神社が,意外にも,古色を保っている理由は,大和皇権が,諏訪域を掌握する以前から,正神(=徐福)信仰を完成させていた故と思われる。したがって,諏訪武士は,室町時代に至って,倭支族を退位さえたのは誰かと糾弾することができたと思われる。詰まるところ,大和皇権は,生き神の「大祝」が大和皇権の傀儡に完全に成り下がったとしても,「大祝」の裏意に両面性を担保することにしたと思われる。しかし,両面性の何れが,正鵠を得たものかは定かではない。

本論においては,諏訪域においては,室町時代に至って,諏訪武士が華々しく活躍するに連れ,「大祝」が本来の役割を終え始めていたとする仮説を提示し置くことにしたい。以て,碩学の検討を待つことにしたい。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.06
改稿日;


御柱祭考(付記6)―「山王へ,山王へ」に付いて―

下社の御柱祭の「里曳き」をTVで拝見した。前回の「御柱祭」においても,「山王へ,山王へ」と唱する「掛け声」が気になっていた。下社の場合,「山王」は「山王社」のことであろうと,思い込んでいた。しかし,再考の余地があるだろうと思い直して,考査することにした。若干の知見を得たので,以下に報告したい。

「山王」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表A:山王

表字

音訓変換

裏字

裏意

@







┬一→┬天→あめ→雨→ウ→熊→くま→奧→オウ→
├大→┘
└一→はじめ→始→シ→








倭本族ハ
倭王ヲ

祗ウ。

A







┬一→はじめ→始→シ→
├大→ダイ→台→イ→
└一→はじめ→始→シ→







(午族,大祝ハ)
倭本族ヲ
嗤イ,
倭本族ヲ
嗤ウ。

表Aによると,「山王」の裏意は,@の「(倭本族は,)倭王を祗う」であり,Aの「(午族,大祝は,)倭族を嗤い,倭族を嗤う」である。当該裏意は,@が倭族に対する倭族の尊敬を暗示し,Aが倭族に対する午族,大祝の嘲笑を暗示している。詰まり,用語「山王」は,@の故に,大倭国において始まり,Aの故に,大和国に至っても継承されたと思われる。
反面,「山王社」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:山王社

表字

音訓変換

裏字

裏意

@








┬一→はじめ→
├大→ダイ→代→よ→四→シ→
└一→はじめ→







倭本族ノ
始祖王,
倭支族ノ
始祖王ノ
社。

表Bによると,「山王社」の裏意は,「倭本族の始祖王,倭支族の始祖王の社」である。詰まり,当該裏意は,諏訪神社に祀る始祖王を暗示している。しかも,始祖王は,倭本族にも,倭支族にも居たことになる。察するに,拙論「諏訪古史」「古族相関」などによると,諏訪古域においては,小倭国の頃,湖北に「洲国」,湖南に「波国」が存していたので,当該国の王が前者の始祖王に相当し,また,大倭国の頃,両国は「洲波国」に統一されていたので,当該国の王が後者の始祖王に相当すると思われる。詰まるところ,「山王(社)へ,山王(社)へ」は,「倭本族の始祖王である洲国王の住まうところへ,倭支族の始祖王である洲波国王の住まうところへ」に相同であると思われる。

因みに,電子頁『古族研究』,なかんずく,拙論「諏訪古史」「古族相関」などによると,諏訪神社の上下4宮においては,それぞれに,倭族から転じた主たる神人が神事を司っている。詰まり,下社の秋宮には,科野国の国造であった金刺氏が配属され,同春宮には,洲国の国王が配属され,上社の本宮には,洲波国(=後の諏訪国)の国造であった有力者が配属され,同前宮には,波国の国王が配属されている。したがって,「山王(社)へ,山王(社)へ」の裏意「倭本族の始祖王である洲国王の住まうところへ,倭支族の始祖王である洲波国王の住まうところへ」においては,前始祖王は,倭本族の波国始祖王(=倭王)を指称しており,後始祖王は,倭支族の洲波国王(=国造)を指称していると思われる。したがって,大和皇権は,倭族を徹底的に呪詛しながら,倭族の統治者に関しては,「殺さずして,生かす」道を選択したと思われる。しかし,転向した直後の「殺されずして,生かされる」道は,倭族に対する呪詛に率先垂範することであったので,殺されよりも辛い道であったと思われる。反面,時代が下ると,大祝,五官は,自身の出自を忘れることになり,大和皇権に完全にシフトすることになった。更に,拙論「御柱祭考(付記2,3,4,5)」によると,室町時代には,諏訪武士の願望さえ聞こえなくなった。因みに,拙論「諏訪霞朝」によると,大祝であった霞朝は,趣味の俳句において,呪詛に拘っている。したがって,「山王(社)へ,山王(社)へ」の掛け声は,倭族である諏訪古族が,大和皇権の推進している社神政策に危惧して,諏訪神社に祀られてきた国造,倭王を偲んだことに関係している。詰まるところ,「山王(社)へ,山王(社)へ」は,大和皇権が発足した直後に始まった,反呪詛の魁であったと思われる。

しかしながら,拙論「諏訪古史」「古族相関」は,今のところ,仮説に過ぎないので,上記推論は,再考を要するものである。付いては,碩学の再検討を待つことにしたい。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.07
改稿日:


御柱祭考(付記7)「天端乗り,華乗り」に付いて―

諏訪神社の御柱祭の「山出し」行事には,「木落とし」と称される荒行が挿入されている。急坂を下る御柱には,度胸のある猛者が,名誉を賭けて,「天端乗り」「華乗り」に挑んでいる。「天端乗り」,「華乗り」とは,御柱の先頭部分に乗ることである。前者が上社用語であり,後者が下社用語である。当該名称が,何故に使い分けされているのか,定かではない。今回は,諏訪神社の上下社において,使い分けされている「天端乗り,華乗り」に付いて,考査を進めた。若干の知見が得られたので,以下に報告したい。

先ずは,上社の「天端乗り」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

A:天端乗り

表字

音訓変換

裏字

裏意

@






→あめ→雨→ウ→熊→くま→奧→オウ→
→は→葉→ヨウ→
→のる→騎→┬馬→うま→
      └奇→キ→








(大祝ハ)
倭王ヲ
厭イ,
午族ヲ
貴ブ。

A









┬一→はじめ→
└大→ダイ→台→イ→
┬立→たつ→
├山→
└而→ニ→
→のる→騎→┬馬→うま→
      └奇→キ→











始祖王ハ
倭本族ヲ
絶チ,
倭本族ヲ
血塗リ,
午族ヲ
貴ブ。

注Aα:△=「血+耳」

表Aによると,「天端乗り」の裏意は,@の「(大祝は,)倭王を絶ち,倭本族に血塗りする午族を貴ぶ」であり,Aの「始祖王(*)は,倭本族を絶ち,倭本族に血塗る午族を諱む」である。当該裏意は,@が倭族に敵対する午族に対する賞賛を暗示し,Aが倭本族に敵対する午族に対する忌避を暗示している。詰まり,上社の現人神である大祝が,何時の時代かは判らぬまでも,午族への賞賛を籠めて,付名したが,何時の時代かは判らないまでも,午族に対する忌避が籠められることになったと思われる。しかし,裏意における解釈の変更は,永続することがなかったと思われる。
      注*:「始祖王」は,「始皇帝(=秦国,政氏)」「始祖王(=大和国,天武天王)」「始祖王(=小倭国,徐福)」の
         何れでもないので,本論においては,
「始祖王(=洲波国,国王)」を充てることにしたい。

反面,下社の「華乗り」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:華乗り

表字

音訓変換

裏字

裏意

@






→はな→花→┬艸→ソウ→
      └化→ケ→

→のる→騎→┬馬→うま→
      └奇→キ→







(大祝ハ)
僧侶ト
契リ,
午族ヲ
貴ブ。

A






→はな→鼻→┬自→ジ→
      └
?→ヒ→
→のる→騎→┬馬→うま→
      └奇→キ→







(大祝ハ)
徐福ヲ
卑シメ,
午族ヲ
貴ブ。

B







→はな→花→┬艸→ソウ→
      ├人→ひと→一→イチ→いち→
      └
匕→ヒ→
→のる→騎→┬馬→うま→
      └奇→キ→









僧侶ハ
徐福ヲ
卑シメル
午族ヲ
貴ブ。

表Bによると,「華乗り」の裏意は,@の「(大祝は,)僧侶と契る午族を貴ぶ」であり,Aの「(大祝は,)徐福を卑しめる午族を貴ぶ」であり,Bの「僧侶は,徐福を卑しめる午族を貴ぶ」である。当該裏意は,徐福に敵対する大祝,僧侶の,午族に対する賞賛を暗示している。詰まり,下社の現人神である大祝(=金刺氏)が,何時の時代かは判らないまでも,午族への賞賛を籠めて,付名したものと思われる。

詰まるところ,「天端乗り」「華乗り」の主役は,現人神の意向を纏い,代役を務めることになった。したがって,「県巡り」における「神使」の役割に準じていると思われる。しかし,拙論「道鏡銘文」によると,大和皇権は,天武天皇が「邪神」を自任し「邪神」が配置した社神が倭族に呪詛したので,「天端乗り」「華乗り」の主役は,もしも,倭族に帰属していたとするなら,自身に呪詛が覆い被さってくることを承知しておかねばならなかったと思われる。しかるに,平成時代の祭事は,殆どが,スポーツ化されてしまったので,当該認識は,最早,忘れられているのかも知れない。

電子頁『古族研究』においては,午族の呪詛,倭族の怨恨の対立に焦点が合わせられてきたが,最近に至って,倭族側から反呪詛にも,焦点が当てられることになった。しかし,本論においては,反呪詛に関わるものではなく,呪詛に留まっているように思われる。したがって,「天端乗り」「華乗り」の創始は,御柱祭における行事から創作されものではなく,先行していた余所での名称を援用したと思われる。察するに,先行していた名称の確認を要するとしても,「天端乗り」「華乗り」の創始は,平安時代にまで遡るやに思われる。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:
2010.05.11
改稿日:2010.05.15



御柱祭考(付記8)「諏訪国」を廻る数値解析に付いて―


諏訪神社を廻る呪詛,反呪の発信に付いては,拙論「御柱祭考」,並びに,「同付記1」〜「同付記7」が,何れかを論じてきたので,否定のしようがない明白な事実であると思われる。なかんずく,呪詛に関しては,拙論「諏訪社神」「諏訪神楽」「諏訪古史」「古族相関」「風祝歌考」「諏訪霞朝」「御頭祭贄」「諏訪神文」「御社宮司」「諏訪信仰」「神長秘伝」「守矢文書」「鳥総祭り」「御頭の神」「神子神使」「梶葉の足」「佐奈伎鈴」「水内社神」「熊蜂熊蔓」「信濃郡名」「信濃字名」「諏訪唱文」「諏訪詠歌」などによると,呪詛の実態の容易ならざるところが明白である。しかしながら,呪詛の世界の余りにも広大,深長であるので,呪詛の解明が尽きることはない。今回は,記録上,僅かに10ヶ年しか存在しなかった諏訪国に焦点を当てて,考査することにした。若干の知見が得られたので,以下に,報告したい。

諏訪国を廻る関連年度(7世紀,8世紀,15世紀)は,以下の通りである。


図A:諏訪国関連年度

西暦年度

期間

古代史事件

 669 ┐                    ┐ 大和国樹立
├  3年                │
 672 ┤      ┐      ┐      │ 始祖王襲位
├ 49年  │      │      │
 721 ┤      │      │      │ 諏訪国独立
├ 10年  │      │      │
 731 ┤      │      │      │ 諏訪国廃止
├ 61年  ├120年  │      │
 792 ┤      ┘      │      │ 始式年造営
├678年         ├778年  ├801年
1470 ┤             ┘      ┘ 足利氏参詣

Aによると,歴史上の画期は,「AD669年」「AD672年」「AD721年」「AD731年」「AD792年」「AD1470年」であり,関連期間は,「3ヶ年」「49ヶ年」「10ヶ年」「61ヶ年」「678ヶ年」「120ヶ年」「778ヶ年」「801ヶ年」である。

諏訪古代史における画期,関連期間に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:画期,関連期間

表字

音訓変換

裏字

裏意

@









→ロク→
┬一→はじめ→
└白→もうす→申→シン→
→ロク→
→ジュウ→
→ク→



鹿


鹿





君主ガ
始祖王ヲ
謗リ,
君主ガ
倭本族ヲ
枯ラシタ
年。

A









→ロク→
┬一→はじめ→
└白→もうす→申→シン→

→シチ→
→ジュウ→
→ニ→



鹿








君主ガ
始祖王ヲ
謗リ,
朝廷ガ
倭本族ヲ
血塗ッタ
年。

B









→シチ→
┬一→はじめ→
└白→もうす→申→シン→
→ふたつ→双→ソウ→
→ジュウ→
→はじめ→始→シ→












朝廷ガ
始祖王ヲ
謗リ,
僧侶ガ
倭本族ヲ
嗤ッタ
年。

C









→シチ→
┬一→はじめ→
└白→もうす→申→シン→
→み→御→ゴ→
→ジュウ→
→イチ→












朝廷ガ
始祖王ヲ
謗リ,
午族ガ
倭本族ヲ
治メタ
年。

D









→シチ→
┬一→はじめ→
└白→もうす→申→シン→
→ク→
→ジュウ→
→ニ→












朝廷ガ
始祖王ヲ
謗リ,
駒人ガ
倭本族ヲ
血塗ッタ


E









→セン→山→┬や→
      └ま→目→め→
→ゴ→
→もも→股→ク→
→ゴ→
→と→戸→グ→












倭本族ガ

午族ヲ
苦シメ,
午族ニ
逆ラッタ
期間。

F






→リョウ→?→ル→路→みち→道→ドウ→
→ジュウ→
→サン→









藤原氏ガ
倭本族ヲ
謗ッタ
期間。

G






→シ→
→ジュウ→
→ク→



支┬
虫┘



(午族ガ)
倭支族ヲ

苦シメタ
期間。

H





┬一→はじめ→
└h→コン→







(午族ガ)
国父ヲ
抉リ取ッタ
期間。
I






→ロク←
→ジュウ→
→イチ→



鹿





君主ガ
倭本族ヲ
治メタ
期間。

J









→ロク→
┬一→はじめ→
└白→もうす→申→シン→
→シチ→
→ジュウ→
→や→邪→ジャ→



鹿








君主ガ
国父ヲ
謗リ,
朝廷ガ
倭本族ヲ
厭ッタ
期間。

K







┬一→はじめ→
└白→もうす→申→シン→
→ふたつ→
→と→戸→ゴ→









(午族ガ)
国父ヲ
謗リ,
倭両族ヲ
忌ンダ
期間。

L









→シチ→
┬一→はじめ→

└白→もうす→申→シン→
→シチ→
→ジュウ→
→イチ→












朝廷ガ
国父ヲ
謗リ,
朝廷ガ
倭本族ヲ
治メタ
期間。

M










┬一→イチ→
└白→┬九┬卆→シュチ→戌→いぬ→
   ├十┘
   └九→ク→
→はじめ→












倭本族ガ
従イ,
倭本族ガ

恐レタ
始祖王ノ
期間。

注Bα:△=(血+耳)
注Bβ:▽=(辻−十+橘−木)


表Bによると,「画期」「関連期間」の裏意は,前者が,「669年」@の「君主が国父を謗り,君主が倭本族を枯らす年」であり,「672年」Aの「君主が倭本族を謗り,朝廷が倭本族を血塗る年」であり,「721年」Bの「朝廷が国父を謗り,僧侶が倭本族を嗤う年」であり,「731年」Cの「朝廷が国父を謗り,午族が倭本族を治める年」であり,「792年」Dの「朝廷が国父を謗り,駒人が倭本族を血塗る年」であり,「1470年」Eの「倭本族が午族を苦しめ,(倭本族が)朝廷に逆らう年」であり,後者が,「3ヶ年」Fの「藤原氏が倭本族を謗った期間」であり,「49ヶ年」Gの「(午族が)倭支族を苦しめた期間」であるり,「10ヶ年」Hの「(午族が)国父を抉り取った期間」であり,「61ヶ年」Iの「君主が倭本族を治めた期間」であり,「678ヶ年」Jの「君主が国父を謗り,朝廷ガ倭本族を厭った期間」であり,「120ヶ年」Kの「(午族が)国父を謗り,(午族が)倭両族を忌んだ期間」であり,「778ヶ年」Lの「朝廷が国父を謗り,朝廷が倭本族を治めた期間」であり,「801ヶ年」Mの「倭本族が従い,倭本族が恐れた始祖王の期間」である。当該裏意は,@が国父,倭本族に対する君主の誹謗,枯渇を暗示し,Aが倭本族に対する君主,朝廷の誹謗,血塗りを暗示し,Bが国父,倭本族に対する超知恵,僧侶の誹謗,嘲笑を暗示し,Cが国父,倭本族に対する朝廷,午族の誹謗,統治を暗示し,Dが国父,倭本族に対する超知恵,駒人の誹謗,血塗りを暗示し,Eが午族,朝廷に対する倭本族の抵抗,反逆を暗示している。また,Fが倭本族に対する藤原氏の誹謗を暗示し,Gが倭支族に対する午族の苛政を暗示し,Hが国父に対する午族の収奪を暗示し,Iが倭本族に対する君主の統治を暗示し,Jが国父,倭両族に対する君主,朝廷の誹謗,嫌悪を暗示し,Kが倭本族に対する午族の誹謗,記事を暗示し,Lが国父に対する朝廷の誹謗,倭本族に対する統治を暗示し,Mが始祖王に対する倭本族の樹順,恐怖を暗示している。詰まり,倭関連年度の裏意は,何れにおいても,倭本族に対する午族の苛政を暗示していると思われる。察するに,何れもが,午族的な視座に立っているので,体制側の呪詛に他ならない。詰まるところ,表Bによると,諏訪神社に関する限り,貴族社会に留まっており,呪詛が横行していたことになる。当該判断が正しいとするならば,諏訪神社は,独自の舞台を提供してきたのではなく,時の権力(=朝廷)の影響を受けながら,寧ろ,大祝体制(*)を死守することに翻弄されてきたと思われる。
     注*:拙論「諏訪古史」「古族相関」などによると,大祝は,倭族に出自していると思われる。しかし,長年,体制に帰順してきたので,
        本心なのか,腹背面従なのか,体制依存なのか,反体制なのかの見極めが難しくなっている。察するに,大祝,五官は,生き延びる
        ために,
体制維持に注力してきたと思われる。


なお,「801年」に伏在していると思われる別裏意は,以下の通りである。

表C:801年(別裏意)

表字

音訓変換

裏字

裏意









→ヒャク→
→イチ→









倭本族ガ
君主ヲ
治メタ
期間。

表Cによると,「801年」の別裏意は,「倭本族が君主を治めた期間」である。詰まり,君主に対する倭本族の統治を暗示している。詰まるところ,電子頁『古族研究』的な視座においても,有りえない裏意である。しかし,大和皇権は,有りえない裏意に付いても,神経を尖らしていたと思われる。察するに,桓武の御世(AD781〜806年)において,呪詛の基準年が検討された(と思われる)時,この問題も検討されたことと思われる。因みに,拙論「御柱祭考」によると,呪詛の基準年は,伊勢神宮,諏訪神社の間で3ヶ年も異なっている。察するに,『日本書紀』が特定し,絶対的な基準点であった後期変革点の「AD669年」が,表Cに示されるような問題が指摘されて,揺らぐことになり,忌むを得ず,呪詛のための基準年が複数設置されることになったと思われる。例えば,体制側において,呪詛のための伊勢神宮(AD669年),諏訪神社(AD672年),渤海使訪日(AD799年)である。また,事もあろうに,反体制側において,反呪詛のための龍安寺石庭(AD799年)などである。即ち,呪詛の基準年度は一定していない。詰まるところ,呪詛に携わった陰陽師も,僧侶も,表Cに翻弄されたに違いないと思われる。

以上

長田通倫(日本古族研究所)

初稿日:
2010.05.14
改稿日:2010.05.15



御柱祭考(付記9)―下社の「山の神返し」に付いて

『おんばしら(信州市民新聞グループ,2010年)』によると,「諏訪神社下社」の「御柱祭」における「山出し」において,8本の御柱が「注連掛け」と称する安置場所に到着した翌日,「注連掛祭」神事が行われ,曳行時の木遣りとは異なる「木遣り」歌が唱われている。

「注連掛け」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表A:注連掛け

表字

音訓変換

裏字

裏意








→ス→守→かみ→紙→シ→
→レン→?→ケン→
→かける→書→ショ→









始祖王ハ
倭本族ヲ
詛ウ。


表Aによると,「注連かけ」の裏意は,「始祖王は,倭本族を詛う」である。詰まり,倭本族に対する始祖王の呪詛を暗示している。因みに,「始祖王」とは,午族的な視座においては,大和国を樹立した天武天皇を指称しているが,倭族的視座においては,倭国(=小倭国,大倭国)の国父である徐福を指称している。詰まり,裏文は,表Aによると,両面性を有していることになる。したがって,式年の「御柱祭」が,大和皇権の下において,行われていることになるので,倭族から午族への端境期を勘案するに,午族的視座が優先されることになると思われる。

『おんばしら』によると,「注連掛け」神事において,響き渡るは,「木遣り」現句の「恋に焦がれし,花の都へ曳き付け,山の神,これまで,御苦労だ,元の社に,返社なせ,おいさ〜」である。因みに,亡き原田哲郎大人[うし]によると,当該の「木遣り」は,江戸時代に導入された由である。したがって,「注連掛け」神事における「木遣り」は,それ以降に,創始されたものと思われる。しかし,爾来,年数を重ねているので,当初の文言が正確に口伝されているかに付いては,疑問の余地があると思われる。付いては,7字に揃えられた原句が存したと仮定し,現句を独断で修正し,原句を独自に導いた。

原句から導かれる7字原句は,「恋に焦がれし,花の都へ,曳き付けできた,山の神様,御苦労様だ,元の社に,返社なせ,オイサでオイサ〜」である。

原句「恋に焦がれし,花の都へ,曳き付けできた,山の神様,御苦労様だ,元の社に,返社なせ,オイサでオイサ〜」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表B:注連掛けの木遣り

表字
音訓変換
裏字
裏意
@





し,



へ,







〜,




様,






〜,



に,
〜,




〜,








〜。


→レン→鎌┬か→邪→
      └ま→馬→うま→
→ショウ→



→ケ→

┬者→
└邑→オウ→
→ひく→延→エン→

┬人→ひと→一→はじめ→
└寸→き→紀→コ→




→セン→鮮→ ┬魚→ゴ→
       └羊→ヨウ→葉→ショウ→
┬示→ジ→
└申→シン→
→ヨウ→葉→は→歯→シ→
→ゴ→
→ク→
→ロウ→狼→┬大→ダイ→台→イ→
      └神→
→ヨウ→


→もと→資→シ→

┬示→ジ→
└土→ツ→△→ジャ→

→かえる→替→タイ→
┬示→ジ→
└土→ツ→△→ジャ→



┬老→ロウ→狼→おおかみ→ ┬大→ダイ→台→イ→
┘             └神→
→差→シャ→

┬老→ロウ→狼→おおかみ→ ┬大→ダイ→台→イ→
┘             └神→
→差→シャ→






















































邪ナル
午像ヲ
称エ,



倭本族ノ

者ヲ
怏ム
僧侶


国父
欺ク



ゾ〜。
午族ヲ
称エ,
徐福ヲ
譛リ,
倭支族ヲ
忌ム
駒人

倭本族ノ

厭ウ

ゾ〜。
始祖王

徐福
厭ウ
ゾ〜。

徐福
厭ウ

ゾ〜。
始祖王ハ)
倭本族ノ

詐キ,

倭本族ノ

詐ク
ゾ〜。

A





し,



へ,







〜,




様,






〜,



に,





〜,








〜。


→レン→鎌┬か→邪→
      └ま→馬→うま→
→ショウ→



→ケ→

┬者→シャ→
└邑→オウ→
→ひく→延→エン→

→フ→







┬示→ジ→
└申→シン→
→ヨウ→葉→は→歯→シ→
→ゴ→
→ク→
→ロウ→狼→おおかみ┬大→ダイ→台→イ→
           └神→
→ヨウ→葉→ショウ→


→もと→資→シ→

┬示→ジ→
└土→つち→地→ジ→

→かえる→帰→ケ→
┬示→ジ→
└土→つち→地→ジ→



┬老→ロウ→狼→おおかみ→┬大→おおきい→巨→ゴ→
┘            └神→
→差→シャ→

┬老→ロウ→狼→おおかみ→┬大→おおきい→巨→ゴ→
┘             └神→
→差→シャ→




















































邪ナル
午族ヲ
省キ,



倭本族ヲ

赦ス
倭王

僧侶

認メナイ




ゾ〜・
倭本族

徐福
信ジ,
倭支族
午族ヲ
枯ラス
倭本族ノ

称エル

ゾ〜。
倭支族

徐福
祀ル
ゾ〜。
倭本族
徐福
祀ル

ゾ〜。
徐福ハ)
午族ノ

詐キ,

午族ノ

詐ク
ゾ〜。

注Bα:△=(門/者)

表Bによると,「注連掛け」神事の「木遣り」歌の裏意は,@の「邪なる午族を称え,倭本族の者を恨む僧侶は,国父を欺くぞ〜」「午族を称え,徐福を謗り,倭支族を忌避する駒人は,倭本族の神を嫌うぞ〜」「始祖王は,徐福を厭うぞ〜」「帝は,徐福を嫌うぞ〜」「(始祖王は,)倭族の神を詐き,倭族の神を欺くぞ〜」であり,Aの「邪なる午族を省き,倭本族を赦す倭王は,僧侶を認めないぞ〜」「倭本族は,徐福を信じる倭支族は,午族を枯らす倭本族の神を称えるぞ〜」「倭本族は,徐福を祀るぞ〜」「倭支族は,徐福をを祀るぞ〜」「(徐福は,)午族の神を欺き,午族の神に欺くぞ〜」である。当該裏意は,前者の@が,「午族を賞賛し,倭本族を怨恨する僧侶の,国父に対する詐欺を暗示し」「徐福を恨み,徐福を侵し,倭支族を忌避する駒人の,倭族の神に対する嫌悪を暗示し」「徐福に対する始祖王の,嫌悪を暗示し」「徐福に対する帝の,嫌悪を暗示し」「午族の,倭族の神に対する詐欺を暗示し,倭族の神に対する欺瞞を暗示している」であり,後者のAが,「邪なる午族を省き,倭本族を許す倭王の,僧侶に対する否認を暗示し」「倭本族の,徐福に対する信頼,国父に対する擁護を暗示し」「倭本族の,倭族の神に対する賞賛を暗示し」「倭支族の,国父に対する祀り,国に対する祀りを暗示し」「徐福の,午族の神に対する詐欺を暗示し,午族の神に対する欺瞞を暗示している」である。したがって,両裏文は,表Bによると,表Aに類して,両面性を有していることになる。詰まるところ,式年造営の「御柱祭」が,大和皇権の下において,行われているので,倭族から午族への端境期を勘案するに,午族的視座が優先されていると思われる。

ところで,表Bにおいては,「かま」から「邪神」「邪午」が導かれており,「大神」から「倭神」「午神」が導かれている。因みに,前者の「邪神」は,拙論「銅鏡銘文」によると,大和皇権の中枢が,倭族の尊崇する正神(=徐福)に対して,邪神と自任したことに始まったものである。「辟邪」とも呼称されている。後者の「邪午」は,拙論「天武借名」などによると,「辟邪」が高麗国に出自しているので,「邪辟」が「邪午」と換言されたものである。

また,「社」から「徐福を厭う」「徐福を祀る」が導かれている。詰まり,「社」に対して,前者「徐福を厭う」が午族の抱くイメージであり,後者「徐福を祀る」が倭族の抱くイメージであると思われる。

また,表Bにおいては,「狼」が,「大神」に導かれており,更に,「倭族の神」「午族の神」に導かれている。「倭族の神」「午族の神」への音訓変換は,初出である。詰まり,拙論の見直しが求められているのかも知れない。しかし,見直しを行ったとしても,呪詛が非呪詛,反呪詛(,逆呪詛)に変化することはないと思われる。

『おんばしら』によると,「注連掛け」に,8本の御柱が到着すると,翌日には,御柱の廻りに,白樺の木を立てて,注連縄を張り巡らした中で,「注連掛け」神事が行われる由である。

更に,表Bにおいては,「ぞ〜」が,何れの裏文においても,「5ヶ」を数えている。

「5ぞ〜」に含まれていると思われる裏意は,以下の通りである。

表C:5ぞ〜

表字

音訓変換

裏字

裏意







→ゴ→
→ゾ→








午族ガ
逝ク
〜。

表Cによると,「5ぞ〜」の裏意は,「午族が逝く〜」である。詰まり,「注連掛け神事」における,「木遣り」歌の原歌の裏文には,「ぞ〜」が5ヶずつ,組み込まれていたと思われる。因みに,「5」は,「鹿[ロク]」相当している。したがって,当該裏文においては,大和皇権の母体である「午族」が表出しており,「午族」が薨去の対象になっているので,「午族」の組み込みは,偶然ではなく,意図的であったと思われる。

「白神」「しらかば」「◇(=木+花)」に伏在している裏意は,以下の通りである。

表D:白樺

表字

音訓変換

裏字

裏意







→しろ→代→ダイ→台→イ→
┬木→
└華→ケ→







倭本族,
倭本族ヲ
倭本族。







→ヒャク→
┬木→
└華→ゲ→







君主ハ
倭本族ヲ
訝ル。









┬白→しろ→代→ダイ→台→イ→

→夫→フ→
→場→┬土→つち→地→ジ→
    └昜→ヨウ→羊→ジョウ→上→かみ→紙→シ→









倭本族。

国父,
徐福,
倭支族。









┬白→しろ→代→ダイ→台→イ→

→日→ひ→陽→ヨウ→
→場→┬土→つち→地→ジ→
     └昜→ヨウ→








(午族ハ)
倭本族ヲ

厭イ,
徐福ヲ
厭ウ。






┬木→
└花→ケ→






倭本族,
倭本族。






┬木→
└花→ケ→華→ゲ→





(午族ハ)
倭本族ヲ
訝ル。

表Dによると,「白樺」「しらかば」「◇(=木+花)」の裏意は,前者が,@の「倭本族」であり,Aの「君主は,倭本族を訝る」であり,中者が,Bの「倭支族,国父,徐福,倭支族」であり,Cの「(午族は,)倭本族を厭い,徐福を厭う」であり,後者が,Dの「倭本族」であり,Eの「(午族は,)倭本族を訝る」である。

詰まり,当該裏意は,@,B,Dが「倭本族」を暗示し,A,C,Eが君主の
倭本族に対する懐疑,午族の倭本族に対する嫌悪,徐福に対する嫌悪を暗示し,午族の倭本族に対する懐疑を暗示している。詰まり,当該裏文における客体は,「倭本族」であって,「倭支族」ではない。しかし,裏文に組み込まれている倭族関連語においては,「倭支族」は,「白樺」「◇(=木+花)」には組み込まれておらず,「しらかば」には組み込まれている。したがって,表Dに示されるような当該用語は,時代が大和国に至ってから,考慮されたものと思われる。

因みに,「注連縄」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表E:注連縄

表字

音訓変換

裏字

裏意









→ス→守→かみ→紙→シ→
→レン→鎌→┬金→かな→夫→フ→
      └兼→ケン→
┬糸→シ→
└△→ジョウ→上→かみ→髪→ホチ→









始祖王,
国父,
倭本族,
倭支族,
徐福。









→ス→守→かみ→紙→シ→
→レン→鎌→┬金→かな→夫→フ→
      └兼→レン→
┬糸→シ→
└△→ジョウ→









始祖王ハ
国父ニ
飽キタラズ,
倭支族ヲ
懲ラシメル。

注Dα:△=(縄−糸)

表Eによると,「注連縄」の「裏意は,前者の@が,@の倭族関連であり,後者のAが「始祖王は,国父に飽き足らず,倭支族を懲らしめる」である。詰まり,「注連縄」が前者の倭族を暗示し,後者が音訓変換過程における「始祖王」の不満,懲罰を暗示している。因みに,当該用語における「始祖王」は,天武天皇を指称している。

表A〜Eによると,「諏訪神社」の式年造営としての「御柱行事」における,「注連掛け神事」は,倭族的な背景の下において,創始されたものであるが午族的な背景の下において,変更され,好字化されてしまったと思われる。察するに,裏文に仕込まれた呪詛は,極めて,精巧に仕立てられているので,時々の都合に基づいて,年々積み上げたものではなく,創始当時から,変わらぬ裏意が定まっていたと思われる。

詰まるところ,諏訪神社の下社の御柱祭における,「注連掛け神事」の「木遣り」歌は,音訓変換法を以てしても,時期を特定することが叶わない。因みに,拙論「諏訪霞朝」によると,諏訪神社の現人神としての「大祝」であった「諏訪霞朝」は,明治維新の直前においても,呪詛に拘っている。察するに,「注連掛け神事」の「木遣り」歌に含まれている裏意は,細部に亘って,検討されていたと思われる。したがって,諏訪神社の「御柱祭」中,御柱曳行時の「木遣り」歌は,江戸時代に導入されたことを鑑みると,「注連掛け神事」の「木遣り」歌も,当該時期より遡ることはないと思われる。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.18
改稿日*2010.05.20



御柱祭考(付記10)御柱の「皮剥ぎ」に付いて−

諏訪神社の式年御柱祭においては,御柱の樹皮は,下社においては,前年に剥離され,上社においては,「山出し」行事の直後に,剥離される。剥離時期の別があっても,御柱は,樹皮が剥離され,「里曳き」行事の最後に,「建御柱」神事として,神社の4隅に建てられる。

ところで,御柱の樹皮は,諏訪神社の中には,剥離されない場合もある由である。察するに,神木の樹皮を剥離する作業であるから,「皮剥ぎ」の有無,意義などは,十分に検討されていることと思われる。しかし,「皮剥ぎ」の目的,意義は,定かではない。因みに,拙論「御柱祭考(付記1)」によると,「氏子に意外性を持たせる」の裏意は,「(大祝は,)徐福を嗤い,倭族に血塗り,国父を絶つ高麗人を慈しむ」であるので,徐福(=国父),倭族に対する午族の敵意を暗示している。「皮剥ぎ」も,同類項であるのかも知れない。付いては,調査することにした。

「皮剥ぎ」作業に付いては,例えば,剥離作業の実施されない場合に,原初において,「皮剥ぎをしない」と言われたのか,「皮剥ぎは無い」と云われたのか,定かではない。本論においては,電子頁『古族研究』的な嗅覚において,作業の有無に注目し,「皮剥ぎは有る」「皮剥ぎは無い」を取り上げることにしたい。

「皮剥ぎは有る」「皮剥ぎは無い」に伏在している裏意は,以下の通りである。

表A:皮剥ぎは有る,皮剥ぎは無い

表字
音訓変換
裏字
裏意
@









→かわ→川→セン→山→┬や→
            └ま→目→め→
→むく→椋→ロウ→狼→おおかみ→┬大→
                 └神→

→ある→載→サイ→偲→シ→



八┬
奴┘







倭本族,




倭支族。


A








→かわ→川→セン→山→┬や→
           └ま→目→め→
→むく→椋→ロウ→狼→おおかみ→┬大→
                 └神→

→ある→載→サイ→


八┬
奴┘






倭本族ハ


神ヲ

偲ブ。

B









→かわ→川→セン→山→┬や→
            └ま→目→め→
→むく→椋→ロウ→狼→おおかみ→┬大→
                 └神→

→ない→褻→セチ→契→ケ→



八┬
奴┘







倭本族,




倭本族。


C









→かわ→川→セン→山→┬や→
             └ま→目→め→
→むく→△→┬人→ひと→一→はじめ→
      └面→メン→

→ない→



八┬
奴┘







倭本族ハ

国父ヲ
欺ク

勿カレ。


注Aα:△=(人+面)

表Aによると,「皮剥ぎは有る」「皮剥ぎは無い」の裏意は,前者が,@の「倭本族,大神,倭支族」であり,Aの「倭本族は,大神を偲ぶ」であり,後者が,Bの「倭本族,大神,倭本族」であり,Cの「倭本族は,国父を欺く勿かれ」である。当該裏意は,@,Bが倭族関連語を暗示し,A,Cが大神に対する思慕,自戒を暗示している。

ところで,表Aにおいては,「皮剥ぎは有る」@の倭族関連語は,「倭本族,大神,倭支族」であるので,「大神」を中心にして,倭本族,倭支族が取り囲んでいるように見える。また,「皮剥ぎは無い」のBの倭族関連語は,「倭本族,大神,倭本族」であるので,「大神」を中心にして,倭本族が取り囲んでいるように見える。詰まり,両者の相異は,前者が大倭国を想定し,後者が小倭国を想定したものになっているので,明白である。また,前者は,倭国の国父である徐福を偲ぶものであるが,後者は,国父である徐福の薫陶を忘れないように自戒するものになっているので,明白である。

察するに,表Aから導かれる情報は,以下の通りである。即ち,a:「大神」が倭両族の中核に据えられている,b:倭国が「小倭国」「大倭国」に区分されている,c:倭族が,倭本族,倭支族に区分されている,d:倭本族は,関心事項が過去に向いている,e:倭支族は,関心事項が将来に向いている,ことなどである。察するに,表Aの裏文に,「倭本族」「倭支族」が登場したからと云っても,御柱祭事において,「皮剥ぎが有る」「皮剥ぎが無い」が,「小倭国」「大倭国」の時代まで遡って,御柱祭事のために,用意されたことにはならない。しかし,当該作業は,皮剥ぎ作業の有無に拘わらず,御柱祭事が,倭族の時代,即ち,大倭国,小倭国の時代にまで遡りうることを傍証していると思われる。したがって,御柱祭事は,桓武の御世において創出されたものではなく,倭族の時代において,既に,実施されていたことになる。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.21
改稿日:


御柱祭考(付記11)−「宮柱太しきを建て」に付いて−


増沢光男の「日本三大おんばしら」(『おんばしら−諏訪大社御柱祭のすべて−』)によると,「出雲の大黒柱」が論じられている。よく整理された論考であると思われる。しかし,若干,気になる部分が存したので,今回は,該当箇所を取り上げることにした。若干の知見が得られたので,以下に報告したい。


出雲の文献には,「宮柱太しきを建て」という表現がしきりにある。出雲の宮々は,こうした思想で造営が行われ,今日にいる「大社造り」の建築様式を創出したのだが,その源流には,巨木文化を押し立てた原始祭祀がつながっていると思われるのである。

雲にそびえるような古代出雲の本殿は,さすがに幾度となく,倒壊してしまった。それにしても,現在の2倍,あるいは,それ以上の建造物が,現在と同じ様式であったとは考えられない。おそらく,日本海の巨木文化から発展した,なんらかの立柱だったのではないか

増沢によると,「宮柱太しきを建て」と表現があるので,「巨木文化を押し立てた原始祭祀がつながっている」が導かれる由である。しかし,両者に間を直結するには,相応の証明が必要であると思われる。何故ならば,拙論「出雲社神」「杵築の宮」などによると,出雲神社は呪詛に塗れているので,縄文文化と大和文化との間には,新たな意図が指し挟まっていると思われる。察するに,「宮柱太しきを建て」の意味が再考されるべきであると思われる。

因みに,「宮柱太しきを建て」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表字
音訓変換
裏字
裏意
@











→ク→
┬木→
└主→ス→取→シュ→
→タイ→



→たてる→植┬木→
      └→ジキ→食→イ→













駒人
倭本族
呪イ,




倭本族
欺ク。

A











→ク→家→ケ→
┬木→
└主→ス→取→シュ→
→タイ→



→たつ→

  












倭本族
倭本族ヲ
呪ウ




絶ツ。


注Aα:△=(言+也)=欺く

表Aによると,
「宮柱太しきを建て」の裏意は,@の「駒人は倭本族を呪い,帝は倭本族を欺く」であり,Aの「倭本族は倭本族を呪う帝を絶つ」である。当該裏意は,@が倭本族に対する駒人の呪詛を暗示し,倭本族に対する帝の詐欺であり,Aが帝に対する倭本族の拒絶を暗示している。詰まり,「宮柱太しきを建て」は,裏意において,両面性を担保されている。したがって,何れが正鵠を得たものかを,決しなければならない。しかし,表Aのみでは,何れを取るかは,容易ではないので,後において,再度触れることにしたい。


それについて,思い当たる神話が1つある。物語の主人公は,「タケミナカタ」である。この場合は,出雲族が母なる川と呼ぶ「簸川[ひかわ]」のほとりの鳥屋神社にまつられる出雲大王である。国譲りの戦いで,出雲の予望を担って闘うのだが,「タケミナカタ」大王が投げつけたお「大岩」が相手の「タケミカヅチ」にかわされ,海に落ちてしまう。無念の敗戦であった。この岩には,後日,たくさんの「鵠[くぐい]」が巣くうことになる。朝な夕な,底深く鳴く声に,土着人たちは,大王の怨念を思った。そこで,浜辺に,「宮柱太しきを建て」て,彼の「荒魂」を鎮めたというのである。「鳥屋」の名は,その有様が,恰も鳥籠のように見えた故という。

あとは,筆者の想定だが,前景の「太しき柱」とは,「立柱」だったと考える。上屋構造では,鳥屋には見えないだろう。2本,ないしは,4本の柱構造なら,鳥の群を背景にして,正に鳥籠の景である。

増沢によると,神物語における神名が,片仮名「タケミナカタ」「タケミカヅチ」で表記されているので,「片仮名」の裏意に付いても,試みとして,検討することにした。

関連用語「タケミナカタ」「タケミカヅチ」「簸川」「大岩」「鵠」「くぐい」「片仮名」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。なお,
呉字表記の場合の,当該神の裏意に付いては,拙論「諏訪社神」を参照されたい。

表B:タケミナカタ,タケミカヅチ,簸川,大岩,鵠,くぐい,片仮名

表字

音訓変換

裏字

裏意

@








┬たけ→丈→ジョウ→上→かみ→紙→シ→

┬みな→皆→ケ→

┬かた→方→ホウ→











始祖王ハ

倭本族ヲ

褒メル。


A








┬たけ→丈→ジョウ→上→かみ→紙→シ→

┬みな→咸→ゲン→還→ゼン→

┬かた→方→ホウ→











始祖王ハ

譲位ヲ

謗ル


B








┬たけ→丈→ジョウ→上→かみ→紙→シ→

┬みか→瓮→ウ→熊→くま→奧→オウ→

┬つち→坤→コン→











始祖王ハ

倭王ヲ

困ラセル。


C








┬たけ→丈→ジョウ→上→かみ→紙→シ→

┬みか→瓮→ウ→熊→くま→稲→ドウ→

┬かた→方→ホウ→











始祖王ハ

藤原ヲ

謗ル。


D







┬竹→たけ→丈→ジョウ→上→かみ→紙→シ→
├其→ギ→岐→┬山→
│       └支→
└皮→かわ→川→セン→△→チョウ→










始祖王ハ
倭本族,
倭支族ヲ
悵ム
川。

E






┬竹→たけ→丈→ジョウ→上→かみ→紙→シ→
├其→ゴ→
└皮→ビ→









始祖王ハ
午族ニ
怫ル
川。

F





→おおきい→巨→ゴ→
┬山→
└石→ジャク→







午族ハ
倭本族ニ
敵スル。

G





→おおきい→介→ケ→
┬山→セン→△→チョウ→
└石→ジャク→







倭本族ハ
朝廷ニ
敵スル。

H





┬牛→グ→湖→ゴ→
├口→ク→家→ケ→
└鳥→チョウ→







午族ハ
倭本族ヲ
悵ム。

I





┬牛→うし→丑→チュウ→中→なか→仲→ジュウ→
├口→ク→
└鳥→チョウ→朝→ジョウ→







倭本族ハ
駒人ヲ
懲ラシメル。

J





→ク→
┬杭→┬木→
┘   └亢→コウ→







駒人ハ
倭本族ニ
抗ウ。

K





→ク→家→ケ→
┬△→┬門→モン→
┘  └困→







倭本族ハ
僧侶ヲ
困ラセル。

L





→かた→潟→シャク→
→ケ→
→な→蔬→ショ→







僧侶ハ
倭本族ヲ
詛ウ。

M





→かた→肩→ケン→
→ケ→家→ク→
→な→蔬→ショ→







倭本族ハ
駒人ヲ
詛ウ。

注Bα:△=(心+占)

表Bによると,
「タケミナカタ」「タケミカヅチ」「簸川」「大岩」「鵠」「くぐい」「片仮名」の裏意は,「タケミナカタ」が,@の「始祖王は倭本族を褒める」であり,Aの「始祖王は譲位を謗る」であり,「タケミカヅチ」が,Bの「始祖王は倭王を困らせる」であり,Cの「始祖王は藤原を謗る」であり,「簸川」が,Dの「始祖王が倭両族を悵む川」であり,Eの「始祖王が午族に怫る川」であり,「大岩」が,Fの「午族は倭本族に敵する」であり,Gの「「倭本族は朝廷に敵する」であり,「鵠」が,Hの「午族は倭本族を悵む」であり,Iの「倭本族は駒人を懲らしめる」であり,「くぐい」が,Jの「駒人は倭本族に抗う」であり,Kの「倭本族は僧侶を困らせる」であり,「片仮名」が,Lの「僧侶は倭本族を詛う」であり,Mの「倭本族は駒人を詛う」である。当該裏意は,@,B,D,F,H,J,Lが倭王,倭本族,倭市族に対する始祖王,午族,駒人,僧侶の敵意を暗示し,A,C,E,G,I,K,Mが始祖王(譲位),藤原,午族,朝廷,駒人,僧侶に対する始祖王,倭本族の敵意を暗示している。因みに,表Bにける「始祖王」は,@,B,Dの場合に,大和皇権の始祖王(=死後,天武天皇)を指称し,A,C,Eの場合に,倭国の始祖王(=徐福,時に倭王)を指称していると思われる。

ところで,
表Bに載る裏意は,表Aに類して,両面性を有している。詰まり,何れを取るかの問題が生じている。拙論「三種神器」「日本武尊」などによると,列島における歴史の動向が,倭族から午族への端境期に存する時,表情報に籠められる裏情報は,両面性を担保することが通例になっている。しかし,通例になっていても,当該情報は,午族の管理下に敷かれているので,午族の意向,即ち,倭族に対する午族の呪詛が優先されることになる。察するに,大和皇権は,「宮柱太しきを建て」ることによって,倭本族に,過重な負担を強いることになるので,表Aの裏意は,増沢が指摘するような縄文的なものではないと思われる。

なお,増沢によると,
出雲域に住まっていた住民は,「土着人」と呼称される由である。しかし,「土着人」の定義がなされていないの,内容が定かではない。拙論「諏訪古」「古族相関」「元号諡号」などによると,弥生時代,古墳時代に,倭族が大陸から数次に亘って渡来し,飛鳥時代の末期に,午族が半島奥部から渡来して,それぞれに,覇権を握っているので,「土着人」とは,縄文人を指称するものではなく,倭族を指称しているかに思われる。また,電子頁『古族研究』の諸論によると,倭族,午族は,呪詛,怨恨の渦に巻き込まれているので「宮柱太しきを建て」は,倭族,午族間に限定された懸案であったと思われる。


「鳥屋神社」は,今でこそ,ひなびた小社だが,神の系譜では,「山王」「宗像」「鹿島」「三島」などと並ぶ出雲系五大明神の1人で,諏訪明神は,鳥屋大明神の仮現した姿だと伝えられている。それほどの大昔,土着人の神まつりは,やはり立柱だったと考えられるのである。


関連用語「鳥屋」「山王」「宗像」「鹿島」「三島」「諏訪」に伏在していると思われる裏意は,以下の通りである。

表C:鳥屋,山王,宗像,鹿島,三島,諏訪

表字
音訓変換
裏字
裏意
@




→とり→酉→10→ジュウ→
→や→






倭本族,
倭本族。

A




→とり→酉→10→ジュウ→
→や→邪→ジャ→





午族ハ)
倭本族
射ウ。

B





→きみ→公→ク→家→ケ→






倭本族,
倭本族。

C





┬や→
└ま→目→め→
→オウ→


八┬
奴┘


午族ハ)
倭本族

怏ム。

D




→むね→旨→シ→
→かた→肩→ケン→






倭支族,
倭本族。

E





→むね→旨→シ→
→ゾウ→







午族ハ)
倭支族
憎ム。


F
鹿





→しし→16→┬10→ジュウ→
         └6→む→ム→
→→しま→┬し→シ→
      └ま→目→め→




支┬
奴┘


倭本族,
巫女,
倭支族。


G
鹿




→しし→16→┬10→ジュウ→
         └6→む→ム→
→トウ→灯→チョウ→朝→ジョウ→






午族ハ)
倭本族,
巫女

懲ラシメル。

H





→み→子→シ→
→しま→┬し→シ→
    └ま→目→め→



支┬
奴┘


倭支族,
倭支族。


I




→み→子→シ→
→トウ→灯→チョウ→朝→ジョウ→





午族ハ)
倭支族
懲ラシメル。

J




→ス→守→かみ→紙→シ→
→ホウ→方→かた→肩→ケン→






倭支族,
倭本族。

K




→ス→守→かみ→紙→シ→
→ホウ→





午族ハ)
倭支族
謗ル。

表Cによると,「鳥屋」「山王」「宗像」「鹿島」「三島」「諏訪」の裏意は,「鳥屋」が,@の「倭本族」であり,Aの「(午族は)倭本族を射う」であり,「山王」が,Bの「倭本族」であり,Cの「(午族は)倭本族を怏む」であり,「宗像」が,Dの「倭両族」であり,Eの「(午族は)倭支族を憎む」であり,「鹿島」が,Fの「倭両族,巫」であり,Gの「(午族は)倭本族,巫女を懲らしめる」であり,「三島」が,Hの「倭支族」であり,Iの「(午族は)倭支族を懲らしめる」であり,「諏訪」が,Jの「倭両族」であり,Kの「(午族は)倭支族を謗る」である。当該裏意は,@,Bが倭本族を暗示し,D,D,Jが倭支族を暗示し,Fが倭両族,巫女を暗示し,Hが倭支族を暗示している。詰まり,関連神社の内,重視される倭族は,「倭本族」が「鳥屋」「山王」であり,「倭両族」が「宗像」「鹿島」「諏訪」であり,「倭支族」が「三島」であり,重視される巫女は,「鹿島」である。 また, 目的語に配当される客体は,「倭本族」が「鳥屋」「山王」「鹿島」であり,「倭両族」が「宗像」「三島」「諏訪」であり,「巫女」が「鹿島」である。したがって,「鳥屋」「山王」,「宗像」「鹿島」「諏訪」「三島」は,置かれている状況が異なっていると思われる。因みに,「諏訪」に冠しては,拙論「諏訪古史」「古族相関」などによると,従来の倭本族,倭支族に関する記述が正鵠を得たものではないと思われる。

詰まるところ,
表Cによると,出雲5大明神に付いても,母体である種族の取り扱いが異なっている。電子頁『古族研究』の諸論によると,当該理由は,列島においては,覇権を異にする種族が交代したので,皇統1系を標榜する大和皇権は,表情報においては,事実を明記することが叶わなかったが,裏情報においては,規律が緩んで,事実が露見しがちであった故と思われる。したがって,母体を異にする五大明神を並列で扱ってはならないと思われる。

さて,
本論の表Cにおいて取り上げられた「山王」は,拙論「御柱祭考(付記6)」において取り上げられた「山王社」に重なっているのでろうか,最後に,見極めることにしたい。因みに,「山王」の裏意は,「倭本族」「(午族は)倭本族を怏む」であり,「山王社」の裏意は,「倭族の始祖王,倭族の始祖王を祀る社」である。

詰まるところ,
「山王社」は,「倭本族」の故に,倭国の時代に創始され,「倭族の始祖王,倭族の始祖王を祀る社」の故に,大倭国の時代に踏襲され,「(午族は)倭本族を怏む」の故に,大和国の時代に至っても,許容され,踏襲されたと思われる。因みに,
児玉幸多の『日本史年表』によると,AD805年に帰朝し,天台宗を創始した最澄が,口伝によると,東北行脚の途次,諏訪神社下社に立ち寄り,「山王社」を建立しているので,用語「山王」は,古くから,膾炙されていた故に,諏訪神社の「御柱祭」の「掛け声」の中に遺ったものと思われる。

以上

長田通倫(日本古族研究所)
初稿日:2010.05.24
改稿日: