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はじめに |
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テレサ・テンが突然の最期を遂げてから10年が過ぎた。テレサ・テンとは実に不思議な歌手だったと思う。同時代に生きたとは言え、生存中は殆ど関心もなく、どうでもいい歌手の一人だったのが、死後ふとしたきっかけで曲を聴き始めてからその魅力に目覚め、のめり込むようになったというファンは私を含め、その数は尋常ではない。 その理由の一つははっきりしている。彼女は日本では演歌歌手、或いはムード歌手としてとしてしか認知されていなかった。日本でのアルバムの中にもそうではない一面をたくさん残しているものの、当時からのファン以外にはそれらに接する機会もなかった。ネット社会となり、今まで一般日本人の耳に触れることのなかったそれらの作品が一気に溢れ出した結果である。私の場合も、その魅力を認識したきっかけとして、中華圏のウェブサイト上に流布されている彼女の膨大な数の中国語によるカバー曲に接したことが大きい。そういう意味で彼女が95年に亡くなったというのも象徴的である。インターネットがこれ程普及する契機となったのは、その直前に発売されたWindows95であるというのは、誰しもが認める事実であるからだ。 テレサほど台湾という土地に振り回された人生を送った歌手はいない。歴史に「もし」はあり得ないが、仮に彼女の父親が国民党の軍人でなければ、彼女が台湾で生まれることはなかっただろう。恐らくそうなれば歌手テレサはこの世に誕生することもなかったと思う。テレサという歌手の成立には台湾出身ということがそれだけ大きい影響を与えているのである。彼女がアグネス・チャンのように香港生まれだったらどうだろうか。仮に同じように歌手となっていたとしても、現在我々が手にしている珠玉のような作品の数々はなかった筈である。また、日本人よりも日本語の歌がうまいと言われたあの見事な発音も実は彼女の台湾での成育環境が大きく関わっていると考えている。 1974年に日本デビューを果たし、きっかり5年後に偽造パスポート事件で国外追放となり、更にその5年後奇跡のようなカムバック、そしてその5年後の1989年には天安門事件にからむ葛藤、となんと区切りよく生きてきたことかと今更ながら感心してしまう。そして1990年以降はパリに居を構えると共にその歌手としての活動は実質的に終焉を迎えてしまった。95年の僅か42才での死を悼む人は多いが、既にその何年も前の歌手としての実質的な死を人はもっと惜しむべきだと思う。 私は別にここで新しい伝記を創り上げるつもりはないし、それだけの見識も有してはいない。ただ、この数年、テレサの歌を聴くにつれ自分の中で新しく形成されてきた彼女のイメージと一般に流布されているそれの乖離が気になり、幾らかでもその解説を試みようと考えているに過ぎない。果たして何処まで核心に迫ることができるだろうか。 |
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