私の人生は軸足が主婦で、その傍ら塾経営という二足のわらじをはいての、わき目もふらずの毎日だったようなきがする。男性諸君のように定年といった区切りもなく、でも気がつくと少しずつ妻でも母でもおまけに女でもなくなっていて、ついでだということで仕事も一昨年自分で幕を引いた。
で一度すっからかんにしてみると残ったのは、一生の大半を活字を読んできたということであった。一日の大半を字を眺めてすごし、そしてすべて忘れた。このごろはますます忘れる。読みかけの本の前の状況を忘れる。二冊同時進行なぞやっていようものなら特にひどい。まるでバックグラウンドミュージックのようだ。ジャンルなどめちゃくちゃ、勝手に私の中ではやりすたりがあって、手に入る限り一人の作家にこだわり、死んでこれ以上かけ書けないのを見定めると、またどこかにさまよっていく。
今私は悔いている。活字の中の恋よりも生身の恋にはまるべきであったと。何千冊の本の中の美しい色恋よりもただ一回であっても五体で経験する己の色恋の方が限りなく豊かであったはずだ。だが、現実に色恋に突入すると美しい恋物語なぞこの世から消滅するのだ。これも本から学んでしまった。かつて青春時代一度恋に恋して破れて、すっかり臆病になって、本の中に逃げ込んだのだ。だから私は悔いている。やがてこの思いも降り積もる時間の中にまぎれてうす昏いものになっていくだろう。
今ベッドのなかで本を読みながらあーなんて幸せなんだろうとおもう。昔から寝床の中で本を読むのがすきだった。幸せだった。たった一つの快楽だった。だから私はずーと幸せだったはずだと思う。この認識のなさが問題なのだが。