■貿易ゲーム
初めて体験したときは、衝撃的だった
■新・貿易ゲーム
10人でチームを組んでの作業は、本当に楽しかった
■Talk for Peace !
〜 もっと話そう! 平和を築くために私たちができること 〜
パレスチナ子どものキャンペーンの集会で…
■もっと話そう! 平和を築くためにできること
( Talk for Peace ! 増補改訂版 )
イラク戦争が始まった日、徹夜で原稿を書いた
■わくわく開発教育
ニュースレターの連載が本になった第1号
■500年前
一連の流れがとてもよくできたワークショップ
■Global Express
「9.11」を教材化する! 凄くエキサイティングだと思った
■PAPER BAG GAME
ひたすら新聞紙を折り糊で貼る。面白うてやがて哀しき「紙袋ゲーム」
■アジア人生ゲーム
人生のスタートもゴールも、みんな違っている
■ペーパークラフト「チャークリンくんの家」
作って遊ぶ開発教育教材があってもいいじゃないか
■演劇ワークショップ「茶色の朝」
フランスでベストセラーになった短編小説を演劇ワークショップに。「日常」の中に潜む戦争の恐怖を体感する。
作成中。ごめんなさい……。
『貿易ゲーム』
初めて「貿易ゲーム」を体験したのは、東京で。1992〜3年頃だったと思う。主催団体も会場も憶えていない。ファシリテーターはオーストラリアの人で、通訳付きのワークショップだった。
「いつもはもっとラフな格好をしているのですが、日本の皆さんは礼儀を重んじる、と聞いているので、今日はジャケットを着てきました」などと挨拶をしていた。
「貿易ゲーム」というタイトルも知らされず、いきなりゲームに入った。とにかく夢中になって道具を借り集め、紙を切って銀行へ持って行った。ファシリテーターは、「Aチームの製品は、いつも丁寧に作ってありますね」などと大きな声で言っていたが、グループによってわざと扱いに差を付けていることなど、気が付きもしなかった。
ゲームが終わってから、これが世界の貿易の現状を表していることを指摘され、まさに目からウロコだった。すごいワークショップだと思った。まいった。
この頃からワークショップの面白さに魅せられ、次の開発教育全国研究集会では、いくつもの教室を使って、道路の両側に沢山の店が並んでいるようなイメージで「ワークショップ・ストリート」というプログラムを作ろうと提案し、自分は(もちろん)「貿易ゲーム」を担当した。
割り振られた教室は、ウナギの寝床のような、とても窮屈な部屋だったので、机とイスを全部運び出し、みんな床の上に座ってゲームをやった。ファシリテーターとして「貿易ゲーム」をやったのは、何を隠そう、この時が初めてだったのだが、ものすごく盛り上がった。途中、部屋を覗きにきた赤石和則さんが、皆の熱気に驚いていた。
“しかけ”がしっかりしているから、ファシリテーターが慣れていなくても、参加者がどんどん積極的に動き、盛り上がる。本当によくできたゲームだと思った。
当時、「貿易ゲーム」は、開発教育の専門家向けに書かれた2、3の本の中で、その概要(主にゲームのルール)が紹介されているだけだった。しかし、何かの折にイギリスの Christian Aid が発行したオリジナルを見て、ホンモノには、ゲームのルールだけではなく、ゲーム中のファシリテーターの役割や振り返りのポイント、援助のあり方に関するメッセージまでが書かれていることを知った。
オリジナルの冊子は、わずか8頁だ(現在イギリスで売られているものは、12頁)。これなら翻訳できる、と思った。
その後、1994年の秋に、スタディ・ツアーでイギリスに行ったのをきっかけに、当時、Christian Aid でインターンをしていた重田康博さんの仲立ちで、翻訳作業を進め、約5ヶ月で『貿易ゲーム(日本版)』を完成させた。
オリジナルの裏表紙に書かれていた、バングラデシュのジュート製品を扱うフェアトレードのエピソードは、一緒にイギリスへ行った、日本ネグロスキャンペーン委員会の長倉さんに、ネグロス・バナナのことを書いてもらい、差し換えた。また、最後のページに載っていた、キリスト教精神に則って社会正義を説いた一節は、そのままでは日本の教育現場では受け入れられないだろうと判断し、「ふだん当たりまえだと思っていることを、別の角度から見てみること、発想を変えてみること、絶えず問い直す努力をすること…」というぼくの文章に変えた。他にも、何ヶ所か、日本の事情に合わせて書き変えたところがある。
同じ年、関西の開発教育推進セミナー(現・開発教育研究会)から出た『新しい開発教育のすすめ方』(古今書院)の中でも「貿易ゲーム」は紹介されており、当時、その影響も少なからずあったとは思うが、それまで全くなかった、独立したパンフレット型の教材が、日本における「貿易ゲーム」の普及に大きく一役かったことは、間違いないと思う。これだけは、今でも、ちょっとホコリに思っている。
『新・貿易ゲーム』
「貿易ゲーム」ばかり何年もやっていると、参加者は楽しくても、こっちは、正直、だんだん飽きがくる。なんだか、持ち歌が1曲しかない、売れない歌手のようだ。
それにしても、イギリスでオリジナルが作られてから20年。世界の貿易は、その頃とは、ずいぶん様子が変わってきた。中国、タイ、マレーシアのような、かつての「途上国」が、加工貿易で外貨を稼ぎ、日本の企業は海外へ工場を移転させ、国内の経済が空洞化し…。「貿易ゲーム」が古くなってきている、と感じ始めていた。
そんな時、Christian Aid が「貿易ゲーム」の発展版として『MARKET TRADING』というワークショップ教材を出していることを知った。紙を切って製品を作り、それを売ってお金を稼ぐという基本は、「貿易ゲーム」と同じだが、大きく違うのは、複数の「運送会社」が存在し、「マーケット」の注文を聞いて、生産国から製品を買い付けて儲ける、というところ。ぼくは、これを勝手に『新・貿易ゲーム』と名付けた。
そして、開発教育協議会の主催で、「新しい『貿易ゲーム』を考える宿泊セミナー」というのをやったのが、2000年3月。会場のオリンピック・センターに、全国各地から約30人が集まった。その多くが、ファシリテーターとして「貿易ゲーム」を何度もやっており、一家言ある人たち。その後、「貿易ゲーム」を企業の人材育成プログラムとして売り出した、ウィルシードの副社長もいた。
この時やったイギリス版「新・貿易ゲーム」は、たしかに面白かったが、何しろ複雑なだけに、ゲームだけで2時間もかかってしまい、日本の教育現場でこれを使おうというのは、ちょっとムリがあるだろうと思われた。この時、ぼくの中では、新しい「貿易ゲーム」を作るなら、「基本編」と「応用編」に分け、それをうまく組み合わせて使う方がいい、というアイデアが生まれた。
2日間のセミナーの最後で、新しい「貿易ゲーム」を作るプロジェクトを立ち上げることを宣言し、メンバーを募った。この時、手を挙げたのが、7人。開発教育協議会の事務所にボランティアで出入りしていた太田さんが後から加わり、事務局の山田さんとぼくを含め、総勢10人のプロジェクト・チームが立ち上がった。
それから1年間、みんなでアイデアを持ち寄り、「貿易ゲーム」のいろいろなバリエーションを作っていった。石井さんは小学校で、小林さん、萩尾さんは高校で、子ども達を相手に「試作版」を使い、その結果を報告してくれた。
最終的にでき上がったのは、従来の「貿易ゲーム」を基本にしながら、『MARKET TRADING』の良いところを取り入れ、現在の国際経済の実情に合わせて手を加えた「基本編」と、特に重要な課題に焦点を当てて学ぶための「応用編」。応用編のバリエーションは、「国づくり」「IT革命/デジタル・デバイド」「企業の海外進出/国内経済の空洞化」「産業廃棄物」「国際機関」「累積債務」「フェア・トレード」の7つになった。
「国づくり」は、お金を稼ぐだけでなく、稼いだお金を使って、自分たちの国のインフラを整備するというもの。経済格差が生活格差として目に見える形で表れるので、小学生にも分かりやすい。
ぼくが気に入っているのは、「フェア・トレード」。折り紙を使って「伝統技術」を表すというアイデアを思いついたときは、われながら素晴らしいと興奮した。
2001年の開発教育全国研究集会で完成披露。その日の打ち上げには、10人のメンバー全員が揃い、うまいビールを飲んだ。
『新・貿易ゲーム』の紹介(DEARのホームページ)
『Talk for Peace !』
2001年9月11日のあの事件を境に、世界は大きく変わった。
少なくとも、ぼくの意識の中では、そうだ。あれ以来、ぼくは心の底から笑う、ということができなくなってしまった。常に、心のどこかに「不安」や「恐れ」がある……。
2001年9月27日の夜、東京で開かれた、パレスチナ子どものキャンペーン主催の講演会に足を運んだ。アメリカがアフガニスタンを攻撃しようとしていることが伝えられ、緊張が高まっていた。Chance! 主催の「ピース・ウォーク」が毎週末、大勢の参加者で盛り上がっていた。ぼくは、「いったい、どうなってしまうんだろう」という不安と、「自分も何かしなければ」という焦りでいっぱいだった。
講演会のテーマは、「戦争ではない選択をーNY・中近東そして私たち」。講師は、中東問題に詳しい板垣雄三さん(東京大学名誉教授)。会場には、主催者の予想を大きく超えて、約200人もの人がつめかけ、追加のイスを出しても座れない人たちが廊下にまであふれていた。みんな、不安を共有していた。
そろそろ講演が始まろうとしている時、ふと、後ろを振り返ると、なんと真後ろの席に、開発教育協議会事務局の山田かおりさんがいた!
(山田)「なんで来たの?」
(木下)「なんとかせにゃ、と思って」
(山田)「私も」
講演会の後、会場近くのさえない居酒屋に入り、山田さんと2人で、いま一つ冷えのわるいビールを飲んだ。
ぼくが、自分も何かやりたいと話すと、彼女は突き放すように一言、「やりなよ」と言った。「ごちゃごちゃ言ってないで、本当にやる気があるんなら、やって見せてよ」というニュアンス。「うん、やる」と答えたものの、実際に何から始めたらいいのか、頭の中にはまだ、もやもやが渦巻いていた。Chance! にならって、デモか集会をと考えていたような気がする。でも、「本当にできるだろうか…」という気持ちもあった。
翌日(だったと思う)、山田さんに電話をした。
「やっぱり、デモや集会じゃなくて、開発教育をやっているぼくらでなきゃできないことをやろうと思う」という意味のことを言ったと思う。
そして、1週間考え、やろうと決めたのは、「戦争と平和について考えるワークショップ」だった。講演会からちょうど1ヶ月後の10月27日、開発教育協議会主催で、ワークショップをやった(この間の経緯については、開発教育エッセイ「テロと戦争と開発教育」も見てほしい)。
そしてさらに1ヶ月後、この時やったワークショップをベースに、『Talk for Peace !』ができた。「アクティビティ」の部分は、山田さんや出口さんに助けてもらいながら主にぼくが担当し、「アクション!」の部分は山田さん、「参考資料集」の中の図書の紹介は湯本さん、それ以外の部分は山田さんが書いた。「Talk for Peace !」というタイトルを考えたのは、開発教育協議会の事務局の人たち。「平和について」語るのではなく、「平和を築くために」みんなで語ろうというメッセージが込められている。
『Talk for Peace !』は、ちょっと大げさに言うと、日本の開発教育の歴史の上でも画期的な出来事だったんじゃないかと思う。世界の「今」に、空爆で人の命が奪われるという非常事態に、参加型学習が真正面から挑んだという意味で。
きっかけは、山田さんの「やりなよ」という一言だった。
『もっと話そう! 平和を築くためにできること』
(Talk for Peace ! 増補改訂版)
2001年の暮れに『Talk for Peace !』を作ったとき、ぼくらは、これは非常事態を受けて作った、あくまでも例外的な、季節限定教材(?)だと考えていた。だから、なるべく早く売り捌かなければ在庫が残ってしまうと考え、一生懸命、宣伝をした。
ところが世界は、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言、パレスチナーイスラエル紛争の激化、ジェニンでの虐殺、朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致の事実、そして、イラクが保有しているという大量破壊兵器に対する国連の査察と武力行使容認の動きなど、次から次へと目まぐるしく動き、事態は落ち着くどころか、どんどん緊張が高まり、過激になり、泥沼化していった。
そんな状況を見て、『Talk for Peace !』をもう一度しっかり練り直し、アフガニスタンでの空爆と難民の問題だけでなく、今の世界全体の状況を考えるための教材に作り直したいという思いがつのっていった。
そして、2003年3月、アメリカのイラクに対する武力行使が秒読み段階に入ったとき、出版に必要なお金の見通しがあるわけでもなかったが、居ても立ってもいられなくなり、とにかく原稿を書き始めた。
3月20日、ついに「戦争」が始まったとき、ぼくは、インターネットで流れるピース・ウォークのニュースを見ながら、「とにかく、早く早く」という思いで、徹夜で原稿を書いた。
世界中の誰も止めることができなかった「戦争」。
開発教育に、ワークショップに、どれほどの力があるだろう。
たいした力ではないことは分かっているけれど、これが自分の役割だと思えば、とにかく、できるところまでやってみるしかない。
幸いにして、アーユス仏教国際協力ネットワークから支援を受けることができ、『Talk for Peace !』の増補改訂版として『もっと話そう! 平和を築くためにできること』が世に出ることになった。
完成披露を兼ねて、アーユスの関係者の集まりでワークショップをやらせてもらったことがある。会場はお寺の中。二十数名の参加者のほとんどがお坊さんだった。
「部屋の4隅」で、「国際問題を解決する手段として、武力行使が認められる場合もある?」という質問をしたとき、「それを認めてしまったら、我々がこうして頭を丸めている意味がないじゃないですか」と、涙につまりながら語ってくれた人がいた。「わたしの気持ち」で、パレスチナで“人間の盾”として活動していたアメリカ人女性が犠牲になったニュースを取り上げたときには、「ありがたい」と表現した人がいた。
心から平和を願う人たちがつくり出す、なんともいえない、熱く、深い空気が生まれていた。“平和への思い”を一人一人が確認し、他の人と共有することの大切さを再認識した夜だった。
『もっと話そう! 平和を築くためにできること』(DEARの出版物紹介のサイト)
アーユス国際協力ネットワークのホームページ
『わくわく開発教育〜参加型学習へのヒント』
DEARのニュースレターで、「How to 開発教育」というタイトルで参加型学習の手法の連載を始めたのは、1995年の11月。当時、事務局にいた出口雅子さんと二人で、毎回、次のネタを考え、自分たちで書いたり、周りの人に書いてもらったり。但し、「開発教育=ワークショップ」という誤解を与えてはいけないと、連載を始めるときには、こんな断り書き(?)を書いている。
「開発教育のワークショップをやってみたいけれど、具体的にどうすればいいのかわからない」「もっといろいろな手法を知り、実践してみたい」ーそんな皆さんの期待にお応えしようというのがこの新コーナー。今回から数回にわたって、開発教育の手法のいくつかを具体的に(実際に利用できるようなレベルで)ご紹介します。
ただし、これはあくまで“How to”(道具)の紹介であって、それをどこで、誰と、どんな中身で実践するかは、その道具の使い手しだいです。「道具(手法)=開発教育」ではないということを忘れてはなりません。
しかし、いろいろな道具の使い方を知っていれば、さまざまな角度から目的にアプローチできるはず。あなたの実践の幅もきっと広がることでしょう。
この連載がとても好評……だったかどうか、実はよく分からないのだが、自分たちがやっていて面白かったものだから、数回では終わらず、結局2年間(12回)続けた。そして、これを1冊の本にまとめるといいんじゃないか、と言いだしたのは、出口さんだったか、ぼくだったか、憶えていないけれど、とにかく、そりゃいい!ということで、本を作ることになった。
『わくわく開発教育〜参加型学習へのヒント』には、ニュースレターで紹介した11種類の参加型学習の手法と、「学校」「社会教育」「家庭・地域」での実践事例がまとめられている。ぼくが書いたのは、「ブレイン・ストーミング」「ランキング」「フォト・ランゲージ」「シミュレーション」「ロール・プレイ」の5つだが、実は、ニュースレターには載せながら、本にする時には省いたものが1つある。「スタディ・ツアー」について書いた原稿だ。
スタディ・ツアーは、参加型学習の一形態ではあるけれど、いわゆる「ワークショップ」や「アクティビティ」ではないからというのが、その理由だが、この原稿、ぼくはわりと気に入っている。今ならもうちょっと違う書き方をしただろうと思う部分もないではないが、当時にしては、よくポイントが整理されていると思う。一部分だけでも、ここで紹介しておきたい。
How to 開発教育(第5回) スタディ・ツアー
1 なぜ“スタディ・ツアー”なのか
どんなによく練られたワークショップでも、どうしてもスタディ・ツアーにかなわないことがあります。それは現場のもつ“リアリティ”の説得力です。
自分自身がそこに身を置いて、暑さ寒さ、匂い、味、音、風を感じ、そこに生きる生身の人間と言葉をかわす。一緒に歌い、笑う。ともに汗を流し、涙を流す。その圧倒的な“リアリティ”は、ときにその人の価値観、人生観をまるごとひっくり返すほどの強烈なインパクトを与えます。
逆に言えば、開発教育の場で実践されているワークショップの多くは、日本で暮らしている人に、いかに「現場」のリアリティを伝えるかということを課題にしていると言ってもいいかもしれません。
2 良いスタディ・ツアーとは?
1)事前の準備から帰国後の活動までの全体が視野に入っていること
2)グループ活動としての企画が練られていること
3)参加者が企画に参加できること
4)現地の人との「対話」を大切にしていること
5)その国の「日常」を知る努力がなされていること
6)継続性があること
3 スタディ・ツアーの限界
1)時間の制約があるということ
2)参加者の多くは「初心者」であるということ
4 企画の際の留意点
1)訪問先の人に迷惑をかけない
2)参加者にツアーの主旨をきちんと伝える
3)安全確保のために十分な措置をとる
5 日本でもできるスタディ・ツアー
海外へのスタディ・ツアーを企画する機会のある人は、それほど多くはないかもしれません。しかし、考えようによっては、日本の中でもスタディ・ツアーは可能です。
「環境」「人権」「平和」、あるいはもう少し焦点をしぼって「外国人労働者問題」「障害者福祉」などのテーマでツアーを企画してみてはどうでしょうか。その問題に取り組んでいるNGOの事務所や行政の窓口を訪ねたり、当事者の声を聞いたり、ボランティア活動をしたり……。いろいろな可能性があるのではないでしょうか。
その際にも、企画者、参加者が注意すべきことは、海外へのツアーの場合と基本的には同じはずです。現場が近い分だけ、より丁寧な企画が可能になり、事後の活動も思いがけない波及効果をもたらすことになるかもしれません。
『開発教育ニュースレター No.61』(1996.7)より