城ヶ峰(じょうがみね)351.6m

少し登ると、揖斐城址でした。南の丸跡の広場には、播隆さん

の高札がありました。「播隆上人 天保元年(千八三十年)一

心寺を開基 独修独行の念仏行者といわれ山岳にその浄心

をもとめ、槍ヶ岳、笠ヶ岳の開基でも知られている。天保十一

年 五九歳で死去」と、説明書きでした。一段登った所が本丸

跡で、土岐氏の城で、二百年位の歴史があったようですが、

斉藤道三に攻められて廃城になったようです。二の丸跡から

少し下って、井戸を見て来ました。ちぃさな池で周りの岩から

水が滲みだしていました。

揖斐川町三輪 城台山公園

2011、03,09日          所要時間 3:20分

天候 曇り               標高差 約300m

メンバー 2人

この地蔵さまは、二枚石版に四対の地蔵菩薩を彫られたそう

ですが、戦国時代初期のもので、宅地の整備中に土中から

出てきたようです。揖斐城跡と関係があるかも?。小学校の

校門から、城ヶ峰が見られました。三輪神社に帰ってきました

ゆっくりお参りすると、拝殿の左奥に素晴らしい能舞台があり

ました。格式のある立派な神社でした。登り口に「歴史の里」

とありますが、播隆さん、揖斐城跡等歴史を感じ出来るハイキ

ングでした。

十字路まで下って、大光寺方面へ下りました。良く整備された

階段もある、緩い下りの大きなジグザグ道でした。大きなシダ

の茂る中に要所々々に案内板もあります。突然、時雨てきて

大きな木下で雨宿りしました。大光寺の屋根の見られる所まで

下って、梅の花が咲く中に、大きな実を付けた みかん?の木

が有りました。

緩いアップダウンの蛇行した尾根道は、シダ植物の中を行く

道とコブを巻く左山の巻き道を行き、急峻な直登で、息を切

らして、登り切ると、緩い登りになって、二等三角点(深坂)

でした。北側から人声が聴こえて、8人の男女の登山者が

登ってきました。地元揖斐の人達で、西山から縦走して見え

たそうです。生憎の曇り空で、樹間から如来ヶ岳は何とか見

られましたが、能郷白山は雲の中でした。小津権現も同定す

ることは出来ませんでした。

三の丸、出丸(太鼓曲輪)、北の丸、搦手曲輪、掘切等々早

くに廃城になった割には良く残っているように思いました。搦

手から少し下ると、十字路になっていて、直進が城ヶ峰、右

は、大光寺左は、城裏の案内板が有りました。落葉のジュウ

タンの急峻な登りになって、山頂に、反射板が見えて来まし

た。反射板の脇から眼科に、揖斐川の流れが光っていました。

槍ヶ岳を開いた播隆上人が開基のお寺で、美濃加茂市の祐

泉寺に播隆さんのお墓が、有りますが、ここ一心寺へもお参

りしたいと思いました。西美濃三十三ヶ所の第七番の札所に

もなっていて、城台観音さんが三十三観音のようでした。少し

登った所に東屋があって、近くに、四等三角点(城台山)が有

りました。少し登ると「白山神社 登り口 →」があって、登山道

が登っています。辿って行くと、祠があって、エンビパイプの

鳥居が素晴らしい造りでした。

揖斐川町の里山の城ヶ峰へ行って来ました。国道157号線

から、303号線へ入って、揖斐川の街で旧道に入ると、赤い

「三輪神社」の幟があって、駐車場も有るので止めて見ると

鳥居の中に牛の石像と奥に白梅、紅梅のが綺麗に咲いた「

北野神社」でした。三輪神社まで歩いて、車を三輪神社に移

動して、出発です。松林寺の前から、一心寺の石柱を見て、

「歴史の道」の階段を登りました。折り返しを登ると、城台

観音の前に出ました。

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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、
 同院発行の数値地
図20万(地図画像)、数値地図5万
(地図画像)及び数値地図50
mメッシュ(標高)を使用し
 たものである。(承認番号 平16総使、第525号」

赤ライン 登り  黄ライン 下り

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