二の丸、曲輪から大手門跡に出ました。説明書きによると、

北側が表のようです。井戸の表札があり、行って見ました。

井戸と云うより、岩場からしみ出した、池のようでした。三の

丸から小高い出丸(太鼓曲輪)に登ると揖斐川が霞んで見

えました。出丸を下りると、大光寺への分岐で、前回は城ヶ

峰の帰りにここから下りました。

少し登ると分岐があって、男さか、女さか、です。尾根道の男

さかを登りました。坂を登り切ると城台観音さんが迎えて下さ

いました。女さかは、自動車道と合流していました。奥に、あ

でやかな、一心寺本堂があって、お参りしました。槍ヶ岳開

山の播隆上人の開基です。本堂の裏側に播隆さんのお墓も

有ってお参りしました。

城ヶ峰は、11年3月に登っていますが、今回は、何時もの3

人で登りました。岐阜市から、国道303号線で揖斐川町へ

行き、上新町の交差点で右折し三輪神社に着きました。神

社前の道路工事中で特徴ある鳥居が撮れず、前回の写真

を使いました。三輪神社は、揖斐の総鎮守で、舞殿、校倉の

ある、神社です。銭洗弁天さんから、松林寺には、「弁慶の

腕ためし石」が有りました。「歴史の里」の標柱から階段のハ

イキング道路が続いていました。

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城ヶ峰(じょうがみね)351.6m

自性寺を出て少しで写真の花が広く多く咲いていました。これ

までに見たことのない花です。同行の友人がによると「ハナダ

イコン」でした。野菜の大根のようですが、別の種だそうです。

最後のカーブを曲がった所にお地蔵さんが有りました。3年前

に亡くなった母が作った袈裟を掛けてお参りしました。平地に

なって、小谷(こたて)、桜町を通って帰りました、旧道なのか

お地蔵さんと観音様をお参りしました。

晴れてはいますが、霞んでいて遠望は、見られませんが、北

側にお茶の畑が見られ、南側は樹間からうねった揖斐川が

見られました。昼食を取って、小野坂トンネルへ下りました。

踏み跡は薄くなりましたが、ピンクのテープが続いていました

急峻な下りを下って、コブを越えると、トンネルの出来る以前

の峠に出ました。路面に笹の生えた旧道を下りました。

揖斐川町三輪

2014,04,02日         所要時間 4:00

天候 晴れ             標高差 約307m

メンバー 3人

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、
 同院発行の数値地
図20万(地図画像)、数値地図5万
(地図画像)及び数値地図50
mメッシュ(標高)を使用し
 たものである。(承認番号 平16総使、第525号」

登り 赤ライン  下り 黄ライン 

地図はサムネルです詳しくはクリックして下さい。

揖斐小学校の裏側を通って駐車地点に戻りました。松林寺の

満開の桜が見られました。

もの地蔵様は、戦国時代初期のようで、見てはよく分りませ

んが、説明書きによると、二個の石に掘られ、地蔵菩薩二体

と閻魔法王二体で、俗称四天王とも云い、あらゆる悪魔を追

い払い、福をさずけ、大衆を善導される仏さまです」一般の住

宅の庭先に祀られていました。

蛇行した旧道を下ると、谷汲山への丁石が石垣に組み込ま

れていました。58丁は、6.3k位です。大きく蛇行しながら

下ると、ゴミを捨てた所が何か所か見られました。旧道で他

人の通らない所とは云え、残念なことです。自動車道に出

ました。トンネルから出た。県道251号ですが、大きく蛇行

しています。蛇行した道の奥に「大學山 自性寺」の石柱の

お寺が有ってお参りしました。「三十三体観世音菩薩」と書

いてあって、直接、拝みたいと思いましたが、戸が開きませ

んでした。

北の丸から搦手曲輪の先に堀切があって、此処までが城址

のようです。よく踏まれた登山道になりました。椿の咲いてい

る尾根道が急峻になって、登りきると、反射板でした。蛇行し

た緩い登りのよく踏まれた登山道を登り、急峻になって登り

切ると城ヶ峰山頂でした。2時間近くかかっていました。二等

三角点(深坂)が有りました。土、日は登る人も多いようです

が、今日は我々3人だけでした。カメラの電池が切れてここ

からは友人の画像です。

一心寺から少し登ると、四等三角点(城台山)がありました。

「白山神社登り口」を見て南の丸跡へ来ると、高札に「播隆

上人 天保元年(千八百三十年) 一心寺を開基 独修、独

行の念仏行者と云われ、山岳にその浄心をもとめ、また槍ヶ

岳、笠ヶ岳の開基でも知られている。 天保十一年、五十九

歳で死去」が、足が折れて岩場に立てかけられていました。

少し登ると「史跡 揖斐城址」の立派な石柱があって、本丸

跡でした。