食事をすませて、予定を変更して、下りました。写真の道を下ると

と途中、ピンクや青のテープを派手に巻いた木から、右下にピンク

のテープが続いているのが見られました。ここを下る事にしました。

少し下って良く見ると、足元に何かの境界なのか、小さい杭が続い

ていました。ピンクのテープは、その為だったようです。強引に下っ

て、林道が見えてきましたが、下りる所が無く、写真の木の所から

下りることが出来ました。林道を下ると、Aカーブの所に、地図の赤

い点線の所で、テープの印がありました。

祐向山(いこやま)374.3m

祐向山

国道157号線を北上して、法林寺地区の町の中細い道を「文殊の

森」の看板に導かれて行くと、大きな円形の水道タンクの向こうに

文殊の森の駐車場がありました。公園の中の大きな案内地図でコ

ースを確認して、出発しました。少し行くと林道のゲートの脇を通っ

て、文殊海道を登りました。

四等三角点の城址から、「尾根の小道」を急峻な階段を下りて、尾

根道になって、地道の林道と合流して、緩い登りになって、望郷の

展望台(法林寺城址)の分岐を登りました。遠くから見て、東屋とア

ンテナが、見えていましたが、本巣市の防災無線の施設で、屋根

は太陽電池でした。建物の中では、3人の人が作業をしていました。

山頂は広場になっていて、ベンチで小休止。望郷の展望台の割り

には、展望がありませんでした。

四季の展望台から、舗装道路(古城の小道)へ下りて、急階段を

登り返すと、「山口城址」「城主 梶原景時 文治三年」の立派な

石碑があります。東濃の焼物で有名な古田織部が城主だったと

駐車場の所に書いてありましたが、源の頼朝の家来の梶原景時

から、徳川家康のころの武将、古田織部まで、長い間続いた城

址のようです。文殊の森から祐向山にかけて、山口城址、法林

寺城址、祐向山城址が、あって、斉藤道三も城主だったそうで

す。石碑の所にも展望台が有りました。急峻な階段をさらに登る

と、大きな広場になっていて、素晴らしい展望が広がっていまし

た。四等三角点(法林寺)が、ありました。

急峻な傾斜地の、階段を登って、舗装道路(文殊街道)を横切ると

「四季の展望台」でした、東屋からは根尾川を中心に岐阜市から大

垣方面が見られました。東屋の隣に椿がさいていました。

本巣市法林寺 文殊の森

2010.03.03日          所要時間 3:40分

天候 曇り/晴れ           標高差 288m

メンバー 2人

蛇行した舗装の林道を行くと、分岐で、階段を登る「どんぐりの道」

へ入りました。長い階段を登りきると、緩い下りが続きました、大き

な楢の林の中下刈りがしてあって、下りが長いので道を間違えたか

と思った頃「四季の展望台」の道標があって、長い階段が続いてい

ました。

法林寺城

急峻な所の林道は、大きく蛇行して下っていました。下りきると

鎖一本のゲートが開いていました。砂防堰堤の所には、見慣れ

ない重機があって、材木を集める特殊な重機のようでした。少し

下って、大きな谷と合流すると、大きな御神木があり、何の説明

も無いけれども、注連縄が雰囲気を醸し出しています。御神木か

らは、緩い下りの直線の林道でした。

展望地からは、山道となって、ピンクや、ブルーのテープに誘わ

れて、下って行くと、目の前に祐向山らしき山頂が見えて、GPS

で見て少し戻って尾根道を登りました。山頂は三等三角点(城)

と登山者が付けた、「374.3m 祐向山」の山名標がありました。

やまの名前は、「ゆうこうやま」かと思いましたが、岐阜の山旅1

00コースでは「ゆこうやま」です。ウイキペディアでは「いこ」にな

っています。いこやま が正解かなと思い「いこやま」にしました。

南側が開けていて、檜の若木で、下刈りの作業の草刈機を持っ

た人が二人いて、「こちらからも下れるよ」と云って下って行かれ

ました。

山口城址

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、
 同院発行の数値地
図20万(地図画像)、数値地図5万
(地図画像)及び数値地図50
mメッシュ(標高)を使用し
 たものである。(承認番号 平16総使、第525号」

登り 赤ライン  下り 黄色ライン

地図はサムネルです詳しくはクリックして下さい。

林道が森から出ると、さすがに、本巣市で柿の畑が広がっていま

した。山側へ少し登ると駐車地点でした。頂上から、1時間位で

下りました。

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