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私は、沖縄で生れ育った65才の女性ですが、米軍基地の被害難民(自称)です。
1959年6月、当時はたった13才の女の子でしたが(与勝半島の与勝中・一年在学中)大好き故郷に見切りをつけさせざるを得なかった大惨事が起こりました。
火や煙を吹きながら米軍戦闘機が事もあろうに、石川市立宮森小学校に墜落炎上したのです。戦闘機は、住宅や公民館を破壊しながら校舎に墜落し、17人の死者と250人余りの負傷者が出る大惨事をひき起こしました。
ラジオニュースのあまりの残酷さに愕然となりました。(墜落事故を動画で観る) でも、「なぜ!なぜ!戦闘機が陸地へ・・・、沖縄なら何処でも海はすぐそこなのに」と自問していました。なんと、パイロットはパラシュートで脱出して生還しました。
以前から、この事故が起こった以後も、基地被害は連日昼夜を問わず頻繁に起こり、恐怖心が強まり、早くこの故郷から離れて進学を諦め、本土への就職希望をするようになりました。しかし、父の猛反対で実現できませんでした。 当時は、国内と云えども沖縄からの渡航だとパスポートを要していて未成年の私には不可能で、そんな時代でした。
20才を過ぎて南米・アルゼンチンへ移住、ブエノス・アイレス州で夫と共に頑張りましたが、不況もあり20年後には子供と帰国しました。 夫の仕事の関係で、茅ヶ崎に縁があって住むことになり、今は子供も独立して孫4人に恵まれました。 しかし、沖縄はまだ米軍が居座っていて、年少の頃に経験したその当時の恐ろしい事故を、「沖縄県民が生活の身近で抱えている現状を何とかしなければ」と思いつつ生きてきました。 幸いなことに、茅ヶ崎周辺でも民主的な人々との出会いがあり、可能な限り平和・反戦運動に関わる努力を惜しむことなく行動していました。 そんな矢先に「九条の会・ちがさき」の定例街頭行動で出合った沖縄のテーマに関心を寄せている鍋谷さんから、「ジュゴンの運動に協力してくれないか」との声 がかかりました。私の趣味で一番好きな「園芸と平和が結びつくことで、生涯お役にたてたら」と思いまして、賛同することに至りました。 これからは、ジュゴンの宣伝スポットの花づくりの中で、沖縄の基地の問題を極力周りの人々に知らせて運動を拡げて、行きたいと思っております。
長浜ミツ子
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