実盛有情
2005年9月4日「実盛」シテ藪俊彦


実盛有情
としひこ
 蝉しぐれを耳にして、別会の「実盛」の稽古をしています。この曲の舞台は、片山津温泉に程近い源平町にある首洗池です。
 この篠原の地で実盛が戦死して、二百年も経た康応二年(一三九〇)に時宗・遊行寺の十四世、太空上人が念佛を唱え、説教している所に老人があらわれます。
 そして、上人に向かって「南無阿弥陀仏」と一心に念佛を唱えます。しかし、その姿、言葉は上人には見えるものの、他の人々の目には見えず、声も聞こえません。
 何者かと尋ねると「魂は冥途にありながら、魄は此の世に留まって、執心の心に苦しみ続けている。どうか助けてくれよ。」と訴えます。
 二百年もの間、苦しみ、悩み、悲しみ、成仏できない実盛の執心は如何程のものなのだろう。老武者として「もののふ」の鏡となる生き様をせんが為に持ち続けた心の深奥を実盛は上人に語り、その時の有様を見せることで解放されて行きます。
2005年9月4日「実盛」シテ藪俊彦
 六十歳も過ぎて戦う時は、若殿と競い合うことも大人気ないし、老人だと疎まれることも嫌だと、白髪を黒く染めます。そして、赤地の錦の直垂に萌黄色の鎧を着て、とても七十三歳とは見えぬ姿で、最後の戦いに臨みます。
 本当に「あっぱれ!」な心意気です。

 八月十五日に小松の墓参りの後、篠原の首洗池に向かいました。
 晴れていた空が、池に着くや急に掻き曇り、激しい雨となりました。
 寿永二年五月の命日より八百二十二年を経て、雨に煙る池の面に手を合わせ、実盛の成佛を祈り、能を無事に舞い納めますと誓いました。
 確りと実盛の心の奥を演じ、又、見る人もその心を受け止められれば、きっと冥土の実盛もその苦しみから解放されるに違いないと信じながら…。
 折しも実盛の首を両手に抱いて、天に向かって慟哭する木曽義仲と平伏す手塚太郎光盛や樋口次郎の銅像は雨に濡れて涙をはらはらと流していました。
 そして、中央に置かれた兜は、まさに芭蕉の心そのものでした。
  「むざんやな 甲のしたの きりぎりす」
2005年9月4日「実盛」シテ藪俊彦 2005年9月4日「実盛」シテ藪俊彦 2005年9月4日「実盛」シテ藪俊彦
撮影/渡会信明氏
平成17年9月4日金沢能楽会別会能「実盛」シテ藪俊彦
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