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働きどころ 青垣家族会による就労・社会復帰の活動秋田県・鹿角(かづの)地域を中心に活動する、家族会「NPO法人・青垣」は、精神障害者の「働く場所づくり」にずっと心血を注いできました。以前は「青垣共同作業所」、今は市の委託を受けて「地域活動支援センター・青垣」を運営しています。近い将来、さらにステップアップをはかる計画もあるとか・・・。 「働く」ということは社会参加そのもので、自立の基礎です。自宅で、1人でじっとしているより、みんなといっしょに「働く場」があることがいかに大切か。「青垣」の人たちは痛いほどそのことを知っています。 真剣なまなざしでモクモクと手を動かす現在の「地域活動支援センター・青垣」は、鹿角市花輪の中心地にあります。平成12年(2000年)8月、元ハローワークの建物の半分を市から借り受けました。残りの半分は「手をつなぐ親の会」による作業所「出発の家」が入所。ここは「働く拠点=働きどころ」です。 平日の朝、9時からミーティングが始まります。作業は午前9時15分から午後3時30分まで。午前1回午後1回の短い休憩時間には、全員分のお茶を入れ、次の作業クールに向けての集中力を蓄えます。市内の会社から最近もらっている仕事は、石鹸などの箱へのシール貼り、自動車部品の組み立て、フルーツキャップづくり、県政だよりの分別・梱包など。「フルーツキャップ」とは、贈答用の高級フルーツなどにかけてある緩衝用の「アミ」のことです。筒状の材料を一定の長さに切り、ビールびんにかぶせて二重にします。完成品はきれいにそろえて「製品」となりますが、その数のおびただしいこと。 例え障害があっても、仕事にミスは許されません。作業中は、髪の毛が落ちないようにキャップをかぶり、真剣なまなざしでモクモクと手を動かします。職場全体が緊張感に包まれ、ビリッとした空気が張り詰めています。夕方、仕事を終えた時点で再度ミーティングを行い、反省点を出し合います。 毎月、「会社ごとの売上額」や「1人平均稼ぎ高」が壁に貼り出されます。給料は、勤務日数に応じて支払われます。 19人の働く仲間たちこの「働きどころ・青垣」に登録している人は、現在19人(男性13人、女性6人)。常時15人ほどが働いています。いずれも地元の人で、平均年令は48才。中には、70才の女性も含まれています。超ベテランが3〜4人、メンバーは比較的固定されています。「青垣」で働きたいと思う人は誰でも働くことができますが、雰囲気や仕事に馴染めるかどうか、家族も含めて何回か話し合い、体験なども経て、本人に決めてもらいます。今のところ、1〜2年前に入った人が最新です。 19人は、家族と同居している人、1人暮らし、グループホームと、生活環境も様々。中には、頼る人もいないまま病気が悪化し、「青垣」の仲間に支えられている人もいます。 職員は、所長を含めて4人。会社への製品の受け渡し、作業指導など、忙しい日々が続いています。 病院内家族会から地域家族会へ「地域活動支援センター・青垣」を運営しているのは、家族会「NPO法人・青垣」です。現在、会員は32人。家族がいない人は、当事者が家族会の会員になっています。月1回の定例会議の他、お花見などのレクリェーションも開催しています。 家族会は、今でこそ「地域家族会」ですが、はじめは「病院内家族会」でした。もともと「鹿角の精神科病棟」は、地元の婦人会の運動によって創設(昭和36年〈1961年〉)された歴史を持ちます。まだ精神疾患への対応は「隔離」が中心であった昭和40年(1965年)頃、病院からの要請によって「病院内家族会」が組織されました。もっとも、当時、あまり入会希望者はいなかったそうです。 ちなみに、鹿角の精神科病棟が徐々に「開放型」に向かっていったのは、昭和43年(1968年)、青木敬喜先生が精神神経科科長に着任して以降のことです。また、昭和48年(1973年)、精神科病棟は、「鹿角5ヵ町村精神病院組合」から「秋田県厚生連」へと譲渡されました。 青垣のルーツは石川啄木やがて、平成のはじめの頃(1990年頃)、保健所の指導により、地域に「共同作業所」がつくられるとともに、家族会は「地域家族会」へと変化していきました。 当時、作業所の名称は「青垣共同作業所」、家族会は「鹿角親交会」と称していました。「青垣」という呼び方は、「青垣山」から引用しているのですが、そういう名前の特定の山があるわけではありません。明治38年(1905年)12月5日の夜、あの石川啄木が、鹿角を取り囲む山々を総称して「青垣山をめぐらせる、天さかる鹿角の国をしのぶれば、涙し流る・・・」という詩をつくりました。以来、「青垣」は鹿角の代名詞となり、小中学校の校歌をはじめ、ありとあらゆるところに登場するようになりました。 平成12年(2000年)、鹿角の精神科病床は120床から70床に減らされます。行き場のない患者さんたちは、自らの生活の場として「グループホーム」を選びました。このことをめぐって、考え方の違いから、家族会は、「NPO法人・青垣」と「NPO法人・鹿角親交会」の2つに分かれます。両者は、その後、対立的な関係ではなく、お互いを認め合いながら、時には行動を共にする「良きライバル」になっています。 精神科常勤医不在でケース検討会ができなくなった平成18年(2006年)5月、鹿角から精神科の常勤医がいなくなりました。「青垣」では、それまで、年1回、精神科の嘱託医とともに「ケース検討会」を行っていました。メンバーの状況を一人ひとり確認して、作業に支障はないか、人間関係や作業環境も含めて検討し、医師の助言を得ていました。常勤医がいなくなって以降、その検討ができずに困っています。 「青垣」で働く人たちは、全員受診を続けています。曜日が重ならないように、人によっては大館市まで通います。一刻も早く、常勤の先生に来てほしいと願う気持ちは、みんな同じです。
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