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鹿角 日の出荘物語家族会が運営するグループホームと就労事業仲間がいっしょに生活をするという選択肢世の中には、「仲間」がいっしょに生活をする、という選択肢があります。今の日本の「福祉制度」の中では、「グループホーム」がそれにはまるのだと思います。「家族」を単位に生活をした経験しかない人にとっては、少し縁遠いものかもしれません。でも、そこには、障害を持つ人にとって安心して暮らせる「家」があります。 秋田県・鹿角市には「NPO法人・青垣」と「NPO法人・鹿角親交会」という2つの精神障害者家族会があります。「青垣」は「活動支援センター」を、「鹿角親交会」は「グループホーム」と「就労継続支援B型」を、それぞれに運営しています。精神科医療の不安な地域にあって、精神障害者の支援のために、関係機関・家族会・ボランティアなどで「精神障害者の地域生活を考える会」を組織し、医療にもたれかからない生活環境を整える活動をしています。 病院家族会から地域家族会へ「家族会」は今でこそ「地域家族会」ですが、以前は鹿角組合総合病院・精神科病棟の「病院家族会」でした。精神科病棟の「家族会」という組織は、多くの病院で存在すると思います。 残念ながら鹿角の場合、「病院家族会」が「地域家族会」に移行した経過や時期については記録が見当たりません。たぶん昭和と平成の変わり目の頃かと思われます。このころ、いわゆる「社会的入院」が問題になっていました。帰るところのない患者さんの地域側の「受け皿」として、「グループホーム」が話題に上るようになりました。しかし、実際に誰がグループホームを運営するかということになると、なかなか引き受け手がいません。お鉢が家族会に回ってきました。当時、法人格を持たないボランティアがグループホームを運営することはできなかったので、NPO法人化することになりました。家族会の会員それぞれには、様々な事情や考え方もあります。必ずしも法人化に賛成する人ばかりではありません。時代の変化は、家族会の中に溝も生み出していきました。 日の出荘の誕生
そんな折、鹿角組合総合病院の精神科病床が120床から70床に減ることになりました。患者さんのうち、仲の良かった3人が、「行くあてはない。でも、早く退院して、鹿角で暮らしたい」と申し出てきました。関係者は少し慌てました。家族会の法人格取得も、グループホームの認定申請も間に合いそうもないからです。3人は、医師・ケースワーカー・家族会などでつくる「地域生活を考える小委員会」と相談の上、とりあえず病院の古い宿舎を借りて共同生活をすることになりました。 誰だって、いつまでも入院しているのはイヤです。「社会的入院」などという表現で、病院が困っているような口調でマスコミは書き立てますが、一番困っているのは本人です。社会的な都合で「病院に居ろ」と言われ続けた人たちに対して、今度は、社会的な都合で「病院を出ろ」と言う。そんなゴチャゴチャした環境に一刻も早く別れを告げて、「共同生活」という新しい方法で地域に生きる。まるで、朝日が差し込む中での「再出発」のようではありませんか。そんな意味で、3人は、この家を「日の出荘」と命名しました。平成12年(2000年)3月7日のことでした。 障害者を受け入れる地域にそれにしても、「3人の共同生活」は、正直言って心配でした。病院の職員も、ボランティアグループも、心配で毎晩訪ねていきました。3人は「毎日来なくたって、大丈夫だよ」とは言いましたが、それでも訪問は続きました。 共同生活について、市民の間でも、さまざまな意見がありました。中には、ナベ・カマ・ヤカンなどを寄付してくれた人もいましたし、精神障害者が地域で暮らすことに反対の人もいました。日の出荘が所属する「自治会」も、最初は猛反対。家族会が法務局の人権擁護課に相談に行く場面もありました。法務局では、関係者に事情聴取まで行い、事態を収めるように尽力。日の出荘の出発は、前途多難の様相でした。 平成13年(2001年)秋に、日の出荘は引っ越しをします。このとき、当初は反対していた近所の人たちが、「行かないで」と、涙を流して別れを惜しんでくれました。1年半の共同生活の中で、3人は、誰から言われるまでもなく、近所をよく掃除し、1人暮らしのお年寄り宅の除雪までしていました。近所からも「食べてけれ」と、漬物や惣菜などが届く関係が培われていったのです。理屈抜きで、精神疾患というものを理解し、障害者の人格を認め、受け入れる地域になっていった根っこには、この3人の人柄がありました。 グループホームが増えた
3人の共同生活と後先になりましたが、家族会はNPO法人となり、グループホームも認可されました。そのころには、家族会はグループホームを運営する自信をつけていました。なにしろ3人が実際に生活を始めているのですから。 日の出荘は、その後住人も増え、今では6人(男5人、女1人)が暮らしています。平成14年(2002年)、あらたに「みどり荘」が生まれ、5人(男性)が生活。さらに平成16年(2004年)に「ひまわり荘」もでき、ここには5人(男2人、女3人)が入居しています。平成21年(2009年)のお正月現在、グループホームは16人にもなりました。 「みどり荘」ができたのは、病院の精神科病床が70床から50床に減床したときです。「ひまわり荘」ができるきっかけになったのは、それまで他の地域に出た人たちが鹿角に戻ってきたいという話からでした。「みどり荘」や「ひまわり荘」ができたとき、もう、近所の住民は誰も反対しませんでした。日の出荘の試みが住民の間で評判になっていたからです。 グループホームに入居することをためらう人だっています。無理に入居は勧めませんが、中には、それまで拒否していたのに、見学に来たとたんに気に入ってしまった人もいます。みんな「居どころ」を求めている人ばかりです。入居の希望者はまだ他にもいるようで、これからも、「○○荘」がさらに増えていくかもしれません。 家族会でグループホームを運営する例は、県内では鹿角が初めてでした。その後、この方式は、横手・角館に広がりを見せています。 いっぷく堂でお茶を売る
「地域で暮らす」ということは、ひとつは「住む」ですが、もうひとつ大切なこと、それは「働く」ことです。家族会は、当事者と相談しながら、様々な「働く機会」を模索しました。 例えば、「お茶」づくりは、とても楽しくて、買ってくれる人からも喜ばれる仕事です。地主さんの協力をいただいて、ヨモギ・笹・柿・スギナ・ドクダミなどの葉を採り、裁断・乾燥してお茶に仕上げます。3と8のつく日に開かれる「花輪の市日」に、「いっぷく堂」という看板のお店を出してお茶を売ります。これだけでも、年間30万円ほどの売上になります。「いっぷく堂」では、手づくりの石鹸なども売っています。 退院して、地域で生きていく限り、「生きる責任」が発生します。もちろん入院していたときにはない苦労も伴いますが、仕事をすることで、これこそが「自立」だという実感を得ています。 本格的な就労事業所「ひなたぼっこ」の開設平成20年(2008年)から、家族会は、本格的な就労事業所を開設しました。名づけて、地域支援センター「ひなたぼっこ」。「就労継続支援B型」の認可を得ています。国道に面し、以前はラーメン屋さんなどが使っていた建物の2階を借りました。窓が広く、日差しも明るいため、文字通り「ひなたぼっこ」のイメージです。 ここを拠点に、メール便の配達や、じゅうたんクリーニングの委託事業、薪の製造・販売などの仕事をしています。仕事は、ここに通ってくる人たちが、自分で探したり、考えたりします。中には、外部からの仕事の依頼もありますが、試してみて、継続が困難な場合には丁重にお断りします。 「ひなたぼっこ」は、平日午前9時から午後4時まで開設されます。現在、利用者は1日平均約20人。自主運営を原則とし、利用規則や、当番などもみんな(利用者・職員)で相談して決めます。作業賃金の金額も、やはりみんなで相談して決めます。 「ひなたぼっこ」の前身は家族会のデイサービス「ひなたぼっこ」の開設に至るには、鹿角組合総合病院の精神科常勤医の問題が深く係っています。 精神科の病床が減り、患者さんの多くが「外来診療」を頼りにするようになってくると、日常を過ごす「場」が必要になってきました。病院は、病棟の一部を利用して「精神科デイケア」を始めます。集団的治療や各種の行事は、病院の職員にとっても新たな勉強の機会になりました。 平成18年(2006年)5月、精神科常勤医がいなくなってからは、週2回の外来診療日に併せてデイケアが続けられました。医師がいないところでは「デイケア」は行えませんので、診療日以外の日は、家族会が「デイサービス」を行わざるを得ませんでした。さらに、平成20年(2008年)4月、岩手医科大学からの医師派遣が打ち切られたことを機に、週2回のデイケアも中止になりました。家族会は、週5日間の「デイサービス」を行うことになりました。 デイサービスは、困難の連続でした。まず、場所がありません。困った末に、「市民センター」を恒常的に借りて、何とか「集まる場所」を確保しました。資金面や運営の点でも、試行錯誤の2年5ヶ月となりました。この間、多くの関係者とも相談し、少しずつ準備を重ね、自分たちの場所、活動拠点の「ひなたぼっこ」が生まれました。 安心して暮らせる鹿角になってほしい
必要に迫られて、そのつどできることをやってきただけなのですが、グループホームはひとり歩きを始めています。仮に、鹿角組合総合病院の精神科病床が再開したとしても、グループホームのメンバーが再び入院生活を選ぶとは思えません。 でも、15床〜20床程度でもよいので、鹿角地域に精神科病床は必要です。もちろん、精神科の常勤医が不可欠なことは言うまでもありません。何かあったとき、いつでも引き受けてくれる病院があるからこそ、安心して在宅で療養ができます。 今、家族会「NPO法人鹿角親交会」のメンバーは、職員も含めて43人。鹿角地域には、家族会と結びついていない精神科の患者さんも少なからずいます。みんなが、安心して暮らせる鹿角になってほしいと心から願っています。 「医療にもたれかからない地域」を目指して、少し歩き始めました。 ※鹿角組合総合病院は新築移転と同時に、平成22年5月より、かづの厚生病院と改名されています。
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