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大杉栄の警保局長宛領収書
――有松英義宛・一九一一年(明治四四)八月十五日・百五十四円・仏文飜訳料――
2008年12月28日公開開始
水沢不二夫
国会図書館憲政資料室に寄託されている有松英義関係文書のなかに大杉栄による領収書を発見した。本稿はその翻刻と解説、そして新たな疑問の提示の小文である。
【翻刻】※但し、縦書きをインターネット用に横書きに変更。
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証 金百五拾四圓也 但佛文飜訳三百八十五枚 右正に受領仕候也 明治四十四年八月十五日 大杉榮 有松英義様 |
【解説】
有松英義(1863−1927)は一九一一年(明治四四)年当時、内務省警保局局長という重職にあった。警保局保安課は(特別高等警察)の上部組織であり、図書課は検閲による言論統制の拠点であった。例えば有松は一九〇九年(明治四二)七月二八日には森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を発禁処分にし、この件で八月六日には陸軍省を訪れている。鷗外の同日の日記には有松が来て「Vita Sexualis の事を談じたりとて、石本次官新六[i] 予を戒飭[ii]す」とある。また、大橋武夫によれば「内務省の三役の次官、警保局長、警視総監は半分以上は辞めるとすぐに勅撰議員となった。」「大蔵省や外務省で勅撰になるということはほとんどなかった」[iii]という。有松もこの領収書の翌月には依願退職し、勅選の貴族院議員となっている[iv]。すなわち、有松は大杉にとって弾圧する側の敵であったのである。有松から見れば天皇制を覆そうとする逆賊であり、捏造した一九一〇年(明治四三)五月の大逆事件で殺し損ねた相手であった(当時、大杉は入獄中で事件に関与し得なかった)。
このような権力の中枢にいた有松がなぜ無政府主義者の大杉に飜訳を依頼し、多額の金銭を与えたのであろうか。
内田魯庵は「思ひ出す人々」[v]のなかでこの飜訳についてつぎのように述べている。
大杉が警視庁に頼まれて仏訳の法華経の賃訳をした咄もやはり大杉から聞いた。一体仏典を欧州語から邦訳するというも逆な話であるし、第一警視庁が何の必要があつて法華経を訳させたのか、頗る変挺な話であるが、これは大杉を窮地に陥れて自暴自棄させないための生活の便宜を与へる高等政策であつたらう。
この証言が正しければ、この領収書は仏訳された法華経を日本語に翻訳し直した際のものということになる。しかし不可解なのはあくまでこの領収書が有松個人宛のものである点である。もし飜訳が東京警視庁、あるいはその上部組織の内務省警保局からの依頼であるなら、宛名が有松個人であるのはおかしいのではないだろうか。さらに気になるのは前述のようにこの翌月には有松が勅選の貴族院議員になっていることである。有松が自分の立身出世を目前にして私費を投じて大杉の懐柔策を講じたとみるのは穿ちすぎであろうか。