←茅ヶ崎と文学のホームページへ 公開日2005.02.08 訂正2010.02.01(分割還付について)
『南湖院一覧』の発禁 水沢不二夫
南湖院は現、神奈川県茅ヶ崎市南湖七丁目にあった結核療養所(サナトリウム)である。
一九三九(昭和一四)年一二月二〇日印刷、二五日発行の高田畊安編『南湖院一覧』は内務省警保局図書課の検閲によって一年後の一九四〇(昭和一五)年一二月に発売頒布禁止処分(日付不明)に附せられ、同一六日には削除処分に決せられた。内務省警保局編の秘密文書「出版警察報」(113号)には禁止理由が次のように延べられている。
本書の第九七頁ハ「(前略)基督に政治と宗教の二面ありて政治權力は神武皇室に在り、又宗教倫理はイエス基に在りて發現せらる(後略)」ト記述シ皇室ニ對シ不敬ニ亙ルモノト認メタルニ因リ削除。
『南湖院一覧』は管見の限り、年刊で一九三五(昭和一〇)年一二月から一九四〇(昭和一五)年一二月までの六冊を国会図書館に於いて現物で確認し得ている。また、一九四二(昭和一七)年二月発行のものが発禁処分を同年九月一一日に受けており、その存在は確定できよう。禁止理由は「一五、一二、一六付削除処分に附せられたるにも拘わらず、削除処分を遵奉せざる上に不敬に亘る記述あり」とされている。この処分日と処分事由から推すに、内務省への納本をしなかったのではないかと思われる。さらには、一九四一(昭和一六)年版も無届けのものが存在したのではないかと想定される。
内容はほぼどの年度のものも同じで、若干の増頁が見られるのみである。すなわち、一九三六(昭和一一)年版では巻末の「院會時用詩歌一班」に「實中主神」が追加されている。また、一九三七(昭和一二)年版では「入院患者常食献立表」が詳しくなり、「院會時用詩歌一班」に「かつてイエサヤ」が追加され、一九三九(昭和一四)年版には「殊勲者及恩人禄」が追加されている。その結果、総頁数は一九三五(昭和一〇)年版が一六〇頁で、一九四〇(昭和一五)年版は一七二頁となっているが、上記の他の大きな内容の変化は無い。
当時は見本として二冊を内務省に提出することになっており、その検閲に引っかかったのである。通常は一冊は内務省に保管され、一冊は帝国図書館(現、国会図書館)に交付されたのだが、発禁処分となったものは二冊とも内務省に「永久保存」扱いとなった。
発売頒布禁止処分が削除処分に切り替わるためには、次の三つの要件を満たしている必要があった。すなわち、(1)押収量が発行量のほとんどにあたること、(2)処分対象箇所が部分的で、削除が簡易に可能なこと、(3)発行者より分割還付の願い出があること、である。なお、分割還付とは、発行者が押収先の警察署に出頭し、該当箇所を削除し、警察による確認を経て返却してもらうことである。
この『南湖院一覧』は発行後、一年を経ており、なぜ発売頒布禁止処分から削除処分への切り替えが可能であったのかは不明である。前掲の「出版警察報」に拠れば、発行部数2000部に対して押収部数は神奈川県内での57部に過ぎない。発行一年後の発禁は珍しくはないが、削除処分となったのは極めて希有な例と思われる。もしかすると当時の内務省の人事を見ると比較的にリベラルであった理事官の宮崎信善がいるから、彼の計らいであったのかも知れない。言論弾圧の苛烈を極めた生悦住求馬事務官・図書課長[1]はこの時は警保局からは離れている。[2]
【訂正】
分割還付についての誤認がありました。削除処分は実質的には発売頒布禁止処分と同樣で、上記の条件を満たして、内務省が還付を許可した場合にのみ、削除、分割還付が実行されました。たいがいは押収・廃棄され、削除、分割還付は行なわれず、押收物は発行者にとって罰金とともに経済的な負担でした。また図書課長時の生悦住は書記官でした。なお生悦住の在任は1939年(S14)09月04日までです。(2010.02.01追記)
敗戦直後、内務省は民衆弾圧の証拠隠滅のために三日三晩にわたって中庭で関係書類を消却してしまった[3]が、『南湖院一覧』の検閲原本はその焚書から免れることができた。しかし、その後、GHQに押収され「一九四五年秋にはワシントンに運ばれ、五八年ごろ公文書は国立公文書館へうつされ、雑誌や図書は議会図書館にうつされ」[4]、長らく米国議会図書 館に所蔵されていた。このうち一〇二五冊の図書が一九七四(昭和四九)年一二月に返還され、国会図書館の所蔵となった。[5](なお雑誌類は未返還で、例えば神奈川県藤沢市湘南高校の同窓会誌「湘友会誌」の創刊号なども作家田中英光の全集未収録作品[6]を抱えたままに眠っている。) 国会図書館所蔵の『南湖院一覧』は検閲を受けた原本であり、検閲官による検閲の痕跡が生々しく残っている。当時の検閲は「属」と称される下級官吏が下読みをし、問題となる箇所に赤線を引き、上部にパーレーンを付けた。そして、「不問」とすべきと判断した箇所には「レ」、「禁止」とすべきかもしれない箇所には「○」、確実に「禁止」と思われる箇所には「◎」をつけ、上官に報告した。上官である「事務官」はそれに対し、青または黒で同様のチェックを行い、処分を決定し、「図書課長」に報告した。以下、引用を示し、傍線や符合については《色彩注》として直後に示す。なお、原本は縦書きなので、左横についている記号は上部にあることを示す。 P97 南湖院憲法 目的及名稱 第一條 目的 天地を創造し人類を愛育したまへる全能の主神、即ち正義仁愛なる父神の聖意 を奉體して、絶對の服従と最善の奉仕を為したまへる基の聖意を遂行するを以て、 吾人各自の目的且つ本分とす。 ○○ 但し基に政治と宗教の二面ありて、政治権力は神武皇室に在り、又宗教倫理は イエス基に在りて發現せらる。 《色彩注》1「南湖院憲法」に赤い「○」と傍線 2最後の二行の上の「○」と傍線は赤と青。 《注》本文は総ルビであるが、略した。 P149 一神三位の頌禱(大正十五年十二月二十五日 譜第五五〇番) 天<アメ>の眞中主<ミナカヌシ> 天<アメ>なる父よ 權能<チカラ>と生命<イノチ>の 根本<モト>なる神の 榮光<サカエ>は宇宙を 充<ミ>たしたまへり 太神<タカミ>生靈<ムスヒ>なる ロゴスクリスト 醫<イ>エス王に在る 天皇<スメラミコト>の 榮光権威は 永遠<トハ>に愈増<イヤマ>せ 吾らの心に 常に宿りて 主<ヌシ>の聖意<ミココロ>を 成さしめたまへ 《色彩注》傍線は赤で一本のみ。 《注》本文は総ルビであるが、一部をカッコに入れて示した。 「醫エス王」の「醫王」は仏教で薬師如来を指し、仏教とキリスト教との奇妙な融合を示している。「ムスヒ」とは平田篤胤の復古神道の教説のキイワードの「むすび」。この世は「むすび」の神[7]の命令によってイザナギとイザナミの男女の神が生成したとする教説で、高田畊安に於ける神道とキリスト教との融合を示している。 傍線部分は天皇の権威がイエスに属していることになる。 P175〜176 かつてイエサヤ (一)かつてイエサヤの よげんせし 嘗 予言 しんむてんわう くわうとうは 神 武 天 皇 皇 統 さんせんねんも まんせいも 三 千 年 万 歳 うだいをしろし すべたまふ 宇内 知 統 (二)せいぎぶりよくを あらはして 正 義 武 力 顕 ○○レ をさめたまふは しんむなり 治 神武 ちちかみとあい あらはして 父 神 愛 顕 すくひたまふぞ いえすなる 救 醫 蘇 (三)きよきみたまに みちみちて 聖 霊 充 満 しかいはらから むつまなむ 四 海 同 胞 睦 せいぎとあいの けんゐなる 正義 愛 權 威 ○○レ しんむといえすに さかえあれ 神 武 醫 蘇 栄光 《色彩注》1それぞれ「◎」ではなく、赤で「○」が二つ付き、青で「レ」が記されている。 2傍線は赤と青とで二重線になっている。 《注》本文にルビは無く、示した通りの記述形態になっている。 【補説】 注に示したように、ここに見られる高田畊安の思想は、キリスト教と仏教、キリスト教と天皇制神道とのシンクレティズムである。前者については他にも「南無御父様大明神」(p171)などの記述もあるが、検閲にはひっかかってはいない。問題とされたのは後者であり、発禁の基準の第一に挙げられている「皇室の尊厳を冒涜する事項」[8]に該当したと思われる。
[1]生悦住求馬は後掲の神奈川県藤沢市湘南高校(当時は湘南中学)の同窓会誌「湘友会誌」も中野四郎の文章を以って発禁処分に決している。
[2]生悦住の事務官としての認印がアナキズム詩誌「南海黒色詩集」や「自由を我等に」に見られ、それぞれ属官の宮崎信善の「軽イ禁止意見」「軽イ削除意見」を〈発禁〉、〈削除〉の処分に決裁している。
[3] 大霞会『続内務省外史』一九八七(昭六二)年p307。
[4] 松浦総三「返ってきた占領軍接収資料―極秘文書・図書の公開を望む―」一九七五(昭五〇)年九月一日「出版ニュース」p8。
[5] 同前。
[6] 発禁対象は発禁対象は中野四郎「古いノートから」。田中英光の作品はオリンピック参加体験を歌った「ボートの歌」。
[7] 天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)。
[8] 内務省警保局編『昭和十年中に於ける出版警察概観』(一九三六年)p204。