物理部朝廷語り部の詩
開闢(かいびゃく)をにないし いにしへのたびびと
科学より妖技のみちへと たもとをわかつも
いまふりかえりて わかきものどもに もの申したる
その黒髪に霜の降るまで 忘れたもうなかれ
物理部の歴史は、25年前の文化祭に遡ります。。
出し物としての海星科学館実行のため、何人かの科学好き少年が集まったのが始まり
でありました。 当時の発表テーマは真空、ケミカルガーデン、紫外線 などでした。
既存の器具のみを使いましたが、展示方法などに工夫をこらし、模擬店の集合化する文化祭
のなかでひときわアカデミックな異彩をはなつパフォーマンスとなりました。
今は海星高校で教鞭をとっておられるT先生も当時は中学3年生であり、「別世界」という
紫外線を使った妖しい部屋を運営して好評をはくしたのでした。
その後、天文・カメラ好きの有志が合流して天文班となり、一気に大所帯となってクラブらしく
なりました。 翌年の文化祭では、小型の投影装置を使ってプラネタリウムまで行った
ものです。
そのころ、新任の化学教諭のD先生が登場しました。 彼の登場は良くも悪くも、その後の
クラブの進路に大きな影響を与えることになりました。
彼は、エレクトロニクスと工作技術という2つの大きなカテゴリーをもたらしました。
これはたとえて申しますならば、プロメテウスが人類に火をもらたしたに匹敵する出来事で
ありました。 これにより、自作実験装置という考え方が生まれ、今に至っている次第です。
エレクトロニクスに限らず、「技術」と呼ばれるものは一種麻薬のような性質があります。
すなわち、派手で即時的な快楽をもたらすのです。
当然のようにクラブ全体はその方面へと大きく流れを変えていくことになりました。
しかし、伊藤仁先生の一貫した「基礎物理学へのこだわり2」が、ひとつのアンカーとなり、
次第に軌道が再修正されていきます。 ここにきてクラブはようやく、エレクトロニクス技術という
ものが目的ではなく手段であることに気づいたと言えるのかもしれません。
このころから、クラブ名称も「物理部」と呼ばれるようになったと記憶しております。
そして昨今。 仁先生の円熟した教育手法は、ついに根幹である「物理学」さえも目的から手段
へと変貌をとげさせたかに伺えます。
それは、科学するという終始一貫したテーマ、〜これまで潜在的に香らされていた、それでいて
それこそが真のテーマ〜 が、より一層明確に打ち出されていると感じています。
ソフトボールとサッカーと合宿..... 一見単なるアトラクションに感じられるかもしれません。
ですが、科学という漠然としたテーマのもとに集まった世代も異なるチームの中で生活する
には、相手のことを知る(現状把握、分析)、自分のことをわかってもらう(情報交換)、共通の詳細
テーマを見つける(目標設定)、行動する(実行)という一連の言動 〜これを科学と呼ばすしてなん
と呼ぶべきでしょう〜 を自ら行うことになるのです。
### 平たく言えば、知恵の訓練。 知識偏重型の現代日本でありますが、知識などというものは
### 調べればいいだけのものです。 しかし知恵は、誰にも教えられない、教えてもらえないものです。
いつか社会に出て、いろいろな経験をして、そして物理部での何年かかで得た物の大きさに
気づいたとき....... 酒でも持って伊藤先生を訪ねてみましょう。
きっと「オレはそんなたいそうなことは考えてへんに」と言って、笑ってくださることでしょう。
以上、物理部に出会えた幸運な君たちへ