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7神の約束 |
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幼年時代の心理状態はすばらしいのですが、学校へ行きだすと、だんだん悪くなるのです。教育が根本から間違っているのです。家庭も社会も、皆間違っているのです。 皆様がこの世にお生まれになった時に、脳波が働き始めたのです。この脳波は、一定の時期が来ると、必ず停止するのです。心臓が動いていても、脳波が停止してしまいますと、その人は死んだことになるのです。 植物人間は、民法でいう人間の権利をもっていないのです。人間は生まれた時に主権ができるのです。主権の所有は出生にあると民法でいいますが、主権の正体は何かといいますと、脳波なのです。脳波が正常に働いていない場合は、利害得失の判断がノーマルにできません。そういう場合には社会人としての主権を持っている人とは言えないのです。こういう人は、法律的には人間と認めていないのです。 六法全書が認めている人間と、「おのずから」が認めている人間とは違うのです。六法全書というのは、現世の常識の中だけで通用するのです。しかし本当の命の認識は、現世の人間の常識や知識を超えて通用するものなのです。 子供が生まれた時、その人は脳波をもらっているのです。その後、親が家庭で教える。又学校で先生が教える。そして会社や世間で人々が教える。その結果、脳波がだんだん人間的な方向へ曲がってしまうのです。これが物心です。物心がついた人間は、心理的にだんだん悪くなっていくのです。 一番重要な問題は思春期です。この時が一番大切なのです。思春期には肉体が成長して一人前の体になりますが、心がまだ一人前になっていないのです。自分がこれからどちらの方向へ進んだらいいのかわからないのです。日本の社会ではそれを指導する人がいないから困ったものです。 学校の教育もひどいものですし、家庭の教育もひどいのです。分からない人ばかりが集まっているのです。思春期の青年男女をどういう方向へ指導したらいいか、分からないのです。そこで、宗教ではない般若心経と聖書が必要になってくるのです。 思春期になると人生がおもしろくなくなるのです。その時が命の光がともりはじめる頃で、本当のことを考えなければならない時なのです。 思春期とはどういう意味かといいますと、異性を思うというような小さなものではありません。もっと次元の高いものを思っているのです。肉体的に一応成長したけれど、精神的には満足すべき状態ではない。これが反抗期になって現れるのです。親とか先輩に反抗せざるをえなくなるのが、思春期の特徴です。 自分が今まで生きてきた世界に、満足できなくなったのです。なぜ満足できなくなったかといいますと、肉体的にある程度成長しますと、もう成長することがなくなるのです。その次に成長するのは、霊的に成長するのです。ところが、霊的に伸びる方法が全然分からないのです。これは現在の日本社会だけでなくて、ヨーロッパでも、ロシア、アメリカ社会でも、どのように指導したらいいか分からないのです。 性欲があると思っていますが、これがまちがっているのです。思春期には肉体的に成長しましたから、肉体的ではない他の世界へ進みたいと思うのです。春とは命が伸びることを意味しています。ところが、命をどの方向へ伸ばしていけばいいか分からないのです。日本の学校教育くらいのレベルでは、この指導はできません。日本だけでなく、世界的に同様です。ユダヤ人が教育を押さえているからです。霊的な方向へ人間が進むことを、押さえているのです。 現代文明、現代文化は、ユダヤ人によって完全に束縛されているのです。世界のマスメディアは、ほとんどユダヤ人が支配しています。世界的な思想伝達手段は、ユダヤ人に押さえられているのです。ユダヤ人が故意にそうしたつもりは無いかもしれませんが、今までの歴史のあり方が、そのようになっているのです。 今の人間は気の毒なことに、肉体的に思春期になっても、霊的なことが全然分かりません。肉的に行き詰まれば、霊の方向へ行くのは当たり前のことです。これが本当の異性を恋い慕うことなのです。 女性にはこれが何となく分かるのです。ところが男性が皆間違っているのです。間違っている男性に、せっかくまっすぐに行こうとする女性が、全部曲げられてしまうのです。そして、これが大人の世界だというように、女性が諦めてしまうのです。 女性は直感的にわかるのです。どうも男性のやり方は間違っていると思えるけど、どうしたらいいか分からないのです。女性はハート性がありますけれど、理論性に欠けているのです。だから理論的に理屈を言われると、そうかなぁと思ってしまうのです。男性の理屈に負けてしまうのです。 男性は女性が好きですけれど、女性がどういう理想を持っているかが、男性には分からないのです。だから男性の欲望的なあり方を女性に押し付けるのです。世の中全体もそれを何となく黙認しているのです。そこで皆様の魂は、完全に地獄へ行くことになってしまうのです。 今からでも遅くはないのですから、もう一度やり直したらいいのです。そうしたら、新しい命を発見できるでしょう。 思春期は非常に重大な別れ道です。この秘密を知るためには、まず森羅万象をよく見ることです。一体、地球に花が咲くのはどういうことかです。太陽の力が、女性的な地球に作用することによって、花が咲くのです。 男性の力が女性に作用するように、太陽が地球に作用している。それで花が咲いているのです。花が咲いているだけではありません。様々な動物、魚類、鳥類、昆虫類と、地球は生き物に満ちているのです。これは一体何かということです。 例えば、皆様がミカンを食べるとします。ミカンの味とは何でしょうか。味っていながらそれが分からないのです。ミカンの味は、太陽が地球を愛している味です。太陽が働かなければ、どうしてミカンに味ができるのでしょうか。第一ミカンができません。味ができるし、栄養価が発生すること、ミカンの味というのは思春期の味なのです。これを皆様は食べているのです。 そのように、皆様は太陽系宇宙の微妙な働きを、毎日、食べたり飲んだりしているのです。これが「おのずから」の働きです。「おのずから」の原理が、太陽によって地球を愛し、地球があらゆる生き物を産んでいるのです。 産む力は女性の力です。太陽が地球を愛している媒介が、地球の周辺に群がっているチリなのです。 地球の周辺には、無数のチリが取り巻いています。チリが媒介になって数千度の太陽エネルギーが適温になって地球に降り注いでいるのです。その他、危険な放射線をチリが遮断して、地球を守っているのです。 チリは固体でも、液体でも、気体でもありません。ところがチリの働きがなければ、現在の快適な地球環境を保つことができないのです。聖書は、このチリが人間の原形であるという驚くべきことを書いています。「土のチリで人を造った」(創世記2・7)と述べているのです。これを英訳で見ますと、地のチリに形を与えたことなのです。これは現代人にとっては奇々怪々な事ですが、非常に深い意味があるのです。 太陽と地球と人間の三つの命の関係はすばらしいものがあるのです。だから人の命は死ぬべきものではないのです。思春期の意味が分かれば、死なない命をつかむ方向へ行けるのです。 男性から見て、本当の女性とは何か。女性から見て本当の男性は何かということです。本当の女性を見つけること、本当のだんな様といえる人格を見つけることはできるのです。今までの日本の常識に押さえ込まれているために、そういう勉強ができないと思っているだけのことです。これが現代人のだらしなさです。 現代人の悪さは、ユダヤ人によって弾圧されている悪さのことです。文明という名によって、ユダヤ人に押さえ込まれているのですが、これをはねかえしたらいいのです。日本本来のあり方を、はっきり主張すればいいのです。日本には般若心経という独自の文化があるのですから、般若心経によってもう一度日本の文化を洗いなおせば、命を捉える方法は分かるのです。これが「おのずから」なのです。 肉的な状態から霊的な状態へ進歩する接点が、思春期なのです。皆様は思春期に間違えたのです。謝るに憤る事なかれといいますように、間違っていることが分かったら、潔く方向転換をすればいいのです。 五十歳、六十歳のご婦人でも十七、八歳になったつもりで、もう一度男性を見直したらいいのです。女性はどうもセックスがおかしいと思っているのです。抱かれることが悪いのではない。抱く心が悪いのです。だから性欲になってしまうのです。 愛は欲ではありません。女性が求めているのは愛であって、決して欲ではないのです。それを女性が見過ごしてし事つ。だから男性にうまくひねられてしまう。その結果、男性がユダヤ主義になってしまうのです。 日本人は見方が狭いのです。世界的に見ることができないのです。花が咲いている原理がどこにあるか。ミカンの味ができる原理はどこにあるか。これを神の約束というのです。神の約束に基づいて、宇宙が展開しているのです。 これは太陽系において最も具体的に示されているのです。宗教ではない聖書は何を勉強するのかと言うと、太陽系宇宙のあり方を勉強するのです。 ミカンの味があるのは、太陽系宇宙の地球だけです。地球以外のどこにもありません。SF小説では地球以外に地球と同じような惑星があるという嘘を書いています。これは全くの御伽噺であって、森羅万象に満ちている星は、宇宙にたった一つしかないのです。 地球は宇宙に一つしかない。これはどういうことかといいますと、これが神の約束という大原則なのです。この大原則を旧約聖書、新約聖書は述べているのです。初めに神が天と地をつくったということは、約束の原点を意味するのです。人間の肉的な成長は精神的な成長を促すのです。精神的な成長は、死なない命を捉える方向に進んでいくのです。精神の成長は人格の完成に向かっていく。この人格の完成こそ死なない命を捉えることなのです。 |