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26世界が混乱している原因は、ユダヤ人がキリストの復活を信じないから |
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現在、世界で、地震、台風、噴火、洪水、早魅、飢饉、津波が発生し、ガン、心臓病、脳卒中、エイズが多発、強準傷害、殺人事件が頻繁に起きていますが、西暦紀元であればこういうことが発生しないのがあたりまえなのです。 イエスが復活したのは歴史的事実です。これはどういうことかといいますと、人間が死なないものになった。死ぬはずがないものになったということです。 キリストが復活したことにより、人間が死なない存在になったのです。キリストが復活したと言うことは、地球存在の根本が切り替えられたという意味です。 ところがいまだに人間が死んでいるのです。なぜこういうおかしなことになっているかといいますと、ユダヤ人が復活を信じていないからです。ユダヤ人がイエス・キリストの復活を信じさえすれば、地震、台風、洪水、早魅といった自然災害は一切なくなります。ユダヤ人が復活を信じるだけでいいのです。ユダヤ人の中心人物が復活を信じるだけで、地球にすばらしい平和が訪れるのです。現在の地球は、いつ地震が発生するか分かりません。どういう天災が発生するか分からないのです。どういう疫病が蔓延するか分からない。アメリカ、ロシアにある核兵器がどうなるか分からないのです。 歴史が安定していないこと、命が安定していないこと、思想が安定していないことの原因は、全部ユダヤ人にあるのです。ただユダヤ人がキリストの復活を信じないというだけなのです。 ユダヤ人の間違いを助けているのがキリスト教です。キリスト教はキリストを信じていると言いながら、キリストの復活を信じていません。その証拠に、死んでから天国に行くといっています。これが間違っています。 人間は死んではいけないのです。死を亡ぼしたので西暦紀元ができたのです。キリスト教大学の教授が、イエス・キリストの復活を信じていないのです。 カトリックが間違えた。カトリックの悪さを伝承したのがプロテスタントです。マルチン・ルッターが宗教改革といいましたが、改革ではなくて改悪したのです。人間は信じれば救われるといって、人間を確立した。イエス・キリストの復活を踏みにじったのです。 ユダヤ人がイエス・キリストの復活を信じれば、全世界の人間は死ななくなるし、天災も病気も、あらゆる犯罪、人間社会の矛盾は一切なくなるのです。神の国が実現するからです。 キリストの復活は、世界で一番大きな問題です。これに反対しているのがユダヤ人です。だから世界の人々はキリストの復活を全然知らないのです。 ユダヤ人がどうして間違えたのか。彼らが創世記の人間創造の記事を、全然勉強していないからなのです。今からでも遅くない。彼らが創世記の二章、三章を徹底的に勉強して頂きたいのです。 創世記に次の様な記述があります。 「また主なる神は言われた、『人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』。そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへつれてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった」(2・18〜20)。 この時、人祖アダムは神と一緒に住んでいたのです。人は神と一緒に住んでいながら、神が分からなかった。神が一緒にいることが、エデンの園の景色にはっきり現われていたのです。見るにうるわしく、食べるに良い木々があって、太陽が出て夕日が沈んでいく。この景色を見れば、神があることが分かるはずなのです。アダムは一人で生きていた。これがよくなかったのです。アダムは一人で生きていてはいけなかったのです。 現実というすばらしいものが展開しているのは、神がいるしるしです。現実に生きていながら、神が分からなかったのです。今の皆様も全く同じです。皆一人ぼっちで生きていて、死んでいくのです。 神が野の獣をつくったのは、アダムがどのような名をつけるかを見るためでした。まず人が造られた。そして獣や鳥が造られたのです。ところが創世記第一章では逆になっています。 「神はまた言われた、『地は生き物を種類にしたがっていだせ』。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。 神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、地のすべての這うものとを治めさせよう』。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』」(1・24―25)。 一章では先に家畜や、這うもの、色々な動物がつくられて、最後に人間が造られたと書いてあるのに、二章では、まず最初に人間がつくられて、その後に色々な動物が造られたと書いているのです。この矛盾は一体何を意味しているかです。 二章では、人間がぼんやりしていたので、獣や鳥を造って名前を付けさせようとした。神はアダムが鳥や獣に名前をつけていくうちに、神が分かるだろうと期待したのです。 アダムを一人ぼっちにしておきたくないので、鳥や獣を造ってアダムの前につれてきた。アダムをしっかりさせるために、烏や獣を造った。二章ではまず人間が造られて、その後に鳥や獣が造られたのです。 この記事をユダヤの預言者は熟知していたはずです。創世記の一章を書いたのは、ユダヤの予言者です。紀元前六百年頃、サマリア王朝が亡んで、メディアベルシアからイスラエルに帰った預言者がいるのです。その人が書いたに違いないのです。多分ネヘミアではないかと想像されるのですが、確かなことは分かりません。 彼らは当然、創世記の二章を熟読していたのですが、第一章をつけ加えたのです。第二章ではまず人間が造られ、その人に覚醒を促すために烏や獣を造ったのです。 彼らはこの記事を見逃すはずはありません。充分に承知して第三早を書いたのです。これはどういう事でしょうか。 第一章では、創造の五日目に魚や鳥が造られて、獣が造られた。その後の六日目に人間が造られたと書いているのです。第一章と第二章では正反対の内容が書いていますが、預言者がどうしてこういう書き方をしたのでしょうか。これを現在のユダヤ教のラビ、律法学者はどう説明するのでしょうか。カトリックとプロテスタントの指導者はどう考えているのでしょうか。世界の哲学者、宗教学者はどう考えているのでしょうか。聖書を神の言として信じているなら、どうしてこの矛盾を神に質問しないのかと言いたいのです。 地球の回りに彪大なちりが取り巻いています。ちりの働きの中に、土で造られたもの一切が含まれているのです。ちりで造ったとはどういうことでしょうか。果たして肉体的な動物や人間が造られたのでしょうか。 日本人が考えている森羅万象についての見方は全部間違っています。神は霊なるものです。霊なるものとは現象的な形を持たない無形のものを意味するのです。霊なる神が肉(現象的)なるものを造るはずがないのです。霊なる神がなぜ肉なる動物をつくるのでしょうか。 皆様は目の前に展開してる鳥や動物を見て何を感じるのでしょうか。一体人間は何を見ているのでしょうか。 神は肉なる動物を造ったのではなくて、命を現わしたのです。海の魚、空の鳥、家畜と野の獣、地を這う五種類の命を現わしたのです。この命を人間に見せているのです。 皆様は死ぬにきまっている命を自分の命と思っている。だから死んでしまうのです。 パウロは言っています。 「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである」 (ローマ人への手紙1・20〜23)。 神は鳥や獣、這うものを通して、不朽の神の栄光を現わしたのに、人間は、朽ちる人間や鳥や獣、這うものを考えた。形がある現象体が現われて、やがて死んでいくと考えた。だから人間は死んでいかなければならないのです。 創世記の一章では、人間は五つの命を治めるために造られたと書いています。二章の内容が不十分だから、一章で解説しているのです。十分に神の御名が分からない預言者が解説したのでこういう書き方になったのでしょう。 解説の仕方は間違っていますが、神がそれを聖書にして私達に見せているところを見ると、皆様自身の物の見方、考え方が分かるようにできているのです。だから神はわざわざこういう不十分な書き方をして、私達に神の言として突き出しているのです。 本当に聖書が信じられて、命の実体が分かる人はめったにいないのです。キリスト教大学の教授くらいではわかるはずがないのです。 第一章と第二章が矛盾した書き方がされていることが、実は思わぬ効果をあげることになっている。第一章と第二章が否定しあっているということは、人間が考えている海の魚、空の鳥、家畜、他の獣、地を這うすべてのものは存在していないということを示している。神は現象的な動物を追っていないということになるのです。 他の面の解説として言えるのは、第一章は現象的世界から見た創造のプロセスであり、第二章は人の魂という面から見た創造的なプロセスであると言えるのです。聖書は、二重にも三重にも、深い内容が秘められた書物であって、その深さは無限の広がりを持っているのです。 人間が亡ぼされるようになったのはなぜか。 パウロは言っています。「すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」(エペソ人への手紙4・24〜24)。 情欲に迷って滅びゆく人を造ったのはユダヤ人です。ユダヤ人が神をまっすぐに受け取って、創世記二章、三章を読んでいれば、創世記一章を書く必要がなかったのです。 ユダヤ人は人間の歴史をめちゃくちゃにしたのです。六十四億の人間はいないのです。 固有名詞の人間がいると思ったら大間違いです。人間はあまりにもひどく間違いすぎているのです。皆様は情欲に迷って滅びゆく自分を、自分だと思っているからです。 創世記の二章は前世の問題であって、現世の問題ではありません。女性は前世でつくられたのです。人祖アダムが神を見つけなかったので、神を見つけるための助け手として女性がつくられたのです。女性は初めからつくられたのではないのです。 パウロは古き人を脱ぎ捨てなさいといっていますが、人間はそれを脱ぎ捨てようとしないのです。素朴に、素直に、聖書を見ることができないのです。 この世に生れてきた人間は、一人残らず罪人ばかりです。だからこの世に生れてきたことによって、肉の生活ばかりをおくらされている。そこで自分はなるほど情欲に迷って滅びゆく人間であると自覚して死んでいくことになるのです。 皆様はこの世で何をしたのでしょうか。女性は男性に抱かれた。男性は女性を抱いた。これだけです。他に何をしたのでしょうか。何もしていないのです。仕事をした、商売をしたと言いますけれど、それは皆遊びごとです。男は皆遊んでいるのです。 人間の考えはただ情欲だけです。それ以外に何もないのです。人間は情欲に迷って亡んでいく。ただそれだけです。 イエス・キリストが復活したことをユダヤ人が信じさえすれば、情欲に迷って滅びる人間の世界はなくなるのです。ところが、ユダヤ人の中心になっている人々が、情欲に迷って滅びゆく人間を、どこまでも信じているのです。それを脱ぎ捨てようとしないのです。六十億の人間が、皆そのまねをしているのです。 ユダヤ人がそういう見本を示しているから、世界中の人々がそれを見習っているのです。皆様が行っていることは、ピンからキリまでユダヤ主義です。これを教えているのがユダヤ教とキリスト教です。 ユダヤ主義はそれほど悪いのです。私はユダヤ人を憎んでいっているではありません。私は彼らの魂をどこまでも愛しているのです。 ユダヤ人は悪い人間ではありませんが、彼らの思想が悪いのです。ユダヤ人は神の選民ですけれど、選民の思想が悪魔に翻弄されているのです。そのために、イエス・キリストが復活したという歴史的事実が分からないのです。 イエス・キリストは復活して、四十日の間地球上にいたのです。地球の空気を吸って、地球の魚を食べたのです。現在の地球はイエス・キリストの復活のボディーを受け入れて、養ってきた能力があるのです。地球はこのまままっすぐに神の国になる可能性を秘めているのです。 イエスは復活して、四十日も地球にいた。この事実をユダヤ人は認めようとしません。彼らは地上で王国をつくることだけを考えているのです。 イエスが十字架につけられる前に、弟子達が国をイスラエルに返すのはいつかと聞いたのです。国をイスラエルに返すとはどういう意味か。全世界の政治、経済、社会のあらゆる権力がユダヤ人に返されるのはいつかとイエスに聞いたのです。 本当は、イエス・キリストが復活した時に、国がイスラエルに返されるべきであったのですが、ユダヤ人が復活を受け入れなかったので返されなかったのです。ユダヤ人は未だに神にへそを曲げているのです。誠に倣慢不礼、倣慢不遜というべき状態です。 何回も言いますが、ユダヤ人という人間が悪いのではありません。彼らの思想が悪いのです。皆様も同じです。皆様の魂はとても清らかですばらしいものですが、皆様の常識がまちがっているのです。 ユダヤ人が復活を信じないために、二千年の間、世界中の人間が、苦しんで苦しんで苦しんでいるのです。殺人、傷害、強盗、内乱、紛争、戦争がたえまないのです。核兵器の重圧が人類に重くのしかかっているのです。ユダヤ人がキリストの復活を受け入れるかどうかは、世界の運命に係る大間越です。 人類が死ぬか生きるかの問題なのです。私は何とか彼らの魂の目が開かれて、エホバの御名が彼らの額に印せられることを、切に願っているのです。 日本人は全く無知蒙昧の民族です。最低の民族です。しかし世界中で一番教育が普及している国です。一番教育が普及しているというのは、ユダヤ的に最も洗脳されているということを意味します。 学校教育制度はユダヤ人がつくった制度であって、これはユダヤ教の宗教観念の焼き直しにすぎないのです。現在の肉の人間を教育して、社会的に重要な人間をつくろうとする。この思想がユダヤ教の宗教思想です。 ユダヤ人は現世に生きていて、現世で栄えて死んでいこうと考えているのです。これがユダヤ思想です。ユダヤ思想の根本が学校教育制度になっている。教育を多く受けた人ほど魂的には愚かになるのです。命が全くわからない人間になってしまうのです。 学校教育はユダヤ人がつくった制度ですが、宗教は個々の人間に間違った思想を植えつけて、人類を死の方向へひっぱっていくのです。 イエスはどういう生き方をしていたか。生れる前の命を、そのまま現世に持ってきたのです。死なない命を持ってきたのです。だから十字架によって殺されたけれど復活したのです。 皆様の霊魂のあり方を正しく直感できたら、イエスと同じ状態であることが分かるのです。これが人の子です。 皆様はご自身の中に生けるイエスを持っているのです。魂という立派なイエスを持っています。ところが肉体的に生きている自分を自分だと思っている。これが間違っているのです。 肉体的に生きている自分を自分だと思っていたければそう思っていてもいいでしょう。そのかわりに、間違いなく火の池へ行かねばならないのです。 神の国へ入るのは自分ではありません。自分が救われるのではない。魂が救われるのです。固有名詞の自分が救われるのではないのです。 女性は何を求めているのでしょうか。女性が求めているのは永遠の幸せ、永遠の生命です。永遠の愛です。女性は男性を求めているのではありません。男性に騙されているだけです。編されて、男性に引きずり回されているのです。 女性の本心は骨の骨であって、肉の肉ではありません。それなのに現世の常識に従って行かなければならないのです。ここに女の業があるのです。 現世の常識、知識を信じている人間は、全部火の他に行きます。 聖書に、「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼は待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現われて、救いを与えられるのである」(ヘブル人への手紙9・27、28)とあります。 現世に生れた人間は、一度必らず死ななければならないのです。ところが皆様は救われたいと考えているのです。 肉体的な自分は救われてはならないのです。肉体的な自分を認めたら、聖書は絶対に分かりません。肉体的な自分が聖書を勉強しようという気持がなくなったら、分かります。 人間が一度死ぬことと、死んでから地獄へ行くことは人間にきまっているのです。これは絶対に逃れることができない人間の運命です。しかし、イエスの十字架と復活を受け入れれば、魂は救われるのです。うまくいけば、魂は全部救われるチャンスがありますが、固有名詞の人間は全部死んでしまうのです。この関係をよくご承知いただきたいのです。 |