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33地球の未来 |
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宗教は現世に生きている人間を・幸せにしようと考えています。現在の人間をそのまま認めているのです。例えばキリスト教の場合、人間が神に対して天国へ生きたいと思うのです。 キリスト教は聖書を正しく説かないで、人々を導いています。仏典は正覚者、又は正覚を仏だといっています。ただの人間であった者が悟りを開いた。そして成仏した。 これが釈迦です。人間存在を正しく見ること、悟ること、そうすると現在生きている人間ではない別の人生観を持つことができる。これを成仏というのです。 これは宗教という道のりを通って、自分自身を完成したことになるのです。これが成仏です。ところが本当の悟りを取り上げないままの状態で、現在常識的に生きているままの状態を鵜呑みにして、その人が極楽へ行けると考えますと、宗教になるのです。 私がしていることは何かと言いますと、般若心経の字句を、そのまま正しく取り扱っているのです。そのままといっても、字句をそのまま鵜呑みにするのではありません。字句そのままを、私達の生きざまにしてし事つという意味なのです。 信じると言うことは、ただ概念的に分かったというのではなくて、そのものに成り切ることを意味するのです。 仏を信じると言いますと、自分自身が仏になりきってしまうのです。自分自身が成仏するのです。お釈迦さんを信じるというのは、お釈迦さんの悟りにできるだけ正確に同調することを言うのです。そういう志を持たないで、ただお釈迦さんは偉い人である、万徳円満釈迦如来と拝むことではないのです。 拝むことは同調することを意味するのです。一つになるのです。南無とか帰名とかいいます。帰名無量寿如来というのは、無量寿如来に帰ってしまうのです。 皆様が現在生きておいでになっていらっしゃるのは、生れながらの命、先天的な命によっているのです。これは死なない命です。皆様の心臓が動いていることが、神そのものです。だから皆様の心臓が動いているという事実になり切っておしまいになれば、死なない人格を発見することができるのです。キリスト教はイエス・キリストが購い主であるから、この人を信じれば自分の罪はなくなるというのです。罪がなくなって天国へ行けるというのです。これはまちがってはいませんが、言葉が足りないのです。天国へ行くと言うことはまちがいではありませんが、現世に生きている人間が、そのままで天国へ行くのではありません。 仏教で即身是仏といいます。自分が生きているそのままで仏であると言う考えです。これが本願寺の考えですが、その身そのまま仏であるという考えです。だから南無阿弥陀仏と申せというのです。 南無とは帰依すること、一つになることです。阿弥陀仏の信仰と一つになれば、成仏するにきまっています。阿弥陀仏という人格は、釈尊が悟りを開いた人格そのものです。だから、阿弥陀仏に同調すれば、極楽へ行くでしょう。帰依したことが極楽になっているのです。死んでから十万億土の彼方の浄土へ行くのではなくて、現実に、阿弥陀仏の信仰が分かり、釈尊の悟りが分かれば、現実に生きているままの状態で、成仏することになります。そこまでやれば宗教でなくなるのです。生きているままの人間が、成仏してしまうのです。 ところが、現在の日本の仏教では、それを実行していません。ただ唱名念仏せよというのです。それでは成仏しようがないのです。いくら念仏してもだめです。 念仏とは仏を念ずることです。仏を念ずることになりますと、自分の気持ちが仏に同化するはずです。これが本当の念仏ですが、これをしないのです。 口で仏の名を唱えることが念仏だと思っているのです。これは大変な間違いです。日本の仏教は仏をばかにしています。仏を軽んじているのです。まともに、南無阿弥陀仏という言葉を、取り扱っていないのです。 キリスト教の場合でも同じことが言えます。イエス・キリストを信じるといいながら、全然信じていないのです。キリスト教でイエス・キリストを信じるというのは、イエス・キリストの購いの業(わざ)だけを信じるという意味です。イエス・キリストは救い主だから、イエスを信じると自分も救われるというのです。 皆様が生きていらっしやる命は、皆様がこの世に出る前に培っていた、神と表にいた本当の命なのです。 以前にNHKのテレビの番組にありましたが、生れた直後の赤ちゃんがお母さんの顔をじっと見ているのです。生れたままの命が、そのまま出ているのです。物心が全然ついていない命です。お母さんの顔をじっと見た後に、部屋をじろじろとながめているのです。そういう命が皆様にもあったのです。 皆様の目が見えること、味わえることは、先天的に神に与えられた命なのです。生れたままの五官の力が、今もなお皆様にあるのです。ところが世間で二十年、三十年と生きていらっしゃると、世間の常識にごまかされて、生れもつかぬ人格になってしまったのです。いわゆる物心が人格にぬりつけられたのです。 物心は持って生れた人格ではありません。この世で与えられた、この世の人格です。この世の人格で生きておいでになるために、本当の命をもっていながら、その命をつかまえることができない。そこで死ななければならないことになるのです。これは本当に悲しいことです。 皆様が生きていらっしやるという事実は、神の事実です。このことを理解して頂いて、常識で生きることをやめるのです。やめるといっても電車やバスに乗るためには切符を買うという常識が必要ですが、自分の命を見るためには常識はいりません。常識はかえってじゃまになるのです。 自分の人生を見るために、正直になって頂きたいのです。もっと率直に、冷静になって頂きたい。もっと綿密に考えて頂きたいのです。生きているという事実をはっきり見ていけば、宗教の助けを借りなくても、釈尊が成仏したように、皆様も成仏できるのです。 やる気があれば、死なない命を見つけることは、誰でもできるのです。この世の常識、物心が、皆様を迷いの世界へひきずりこんでいるのです。善悪を考える。利害得失を考えることが、人間の迷いです。この迷いからさめることが、絶対に必要です。 私は宗教の教義を述べているのではありません。宗教はさらに人を迷いの中へひきずりこんで、地獄へつれていくのです。 仏教は仏の悟りを真正直に説かないのです。キリスト教はイエス・キリストの人格をまっすぐに説かないのです。宗教的に歪めて説いているのです。故意に歪めているわけではないかもしれませんが、宗教教学を説いていると、自然に間違ったことになってしまうのです。それを真理のように説いていることが悪いのです。 イエス・キリストを信じると罪が許されるといいます。阿弥陀如来を信じると、仏国浄土へ行けるといいます。これは嘘ではありませんが、阿弥陀如来を信じるというのは、阿弥陀如来の悟りに同化することなのです。これをしないで、現世の常識をもったままで極楽へいけるというのです。これがまちがっているのです。そこで、間違いをばらまいていることになるのです。 このように、仏教は仏典についての考えが幼稚ですし、キリスト教は聖書の見方があいまいです。幼稚であいまいなのに、分かったようなことを言う。これがいけないのです。 皆様は般若心経を読んでみえますが、五蘊皆空といいながら自分自身の五蘊(考え方)が空だとは考えておいでにならない。色即是空を本当に実行しないままで、色即是空と唱えておいでになります。これは空念仏になるのです。 空念仏がいけないのです。実念仏ならいいのです。実念仏は宗教ではありません。本当の仏を念仏することになりますと、今日の日本の宗教ではないものになるのです。今のお寺はそういう念仏をしていません。仏になっていないのです。山門を質に入れ、お金を借りて遊びに行くのです。そういうことをするのは、民衆をばかにしていることになるのです。民衆を宗教のお得意さんにしているのです。それで極楽へ行けるのならいいのですが、本願寺の信仰くらいでは極楽へ行けるはずがないのです。阿弥陀経を見ても、大無量寿経を見ても、そんな事は書いていないのです。寺は仏典にないことをいっているのです。 阿弥陀経には、阿弥陀如来の名号のいわれを心にとめて、念仏申せといっています。ところが名号のいわれを心にとめないで、空念仏をしている。これがいけないのです。 仏典や聖書を軽々しく取り扱うことがいけないのです。嘘を教えてしまう結果になるからです。偽りの社会をつくり、偽善者の集団をつくってしまうのです。これがいけないのです。 即身是仏ということは、この身がこのまま仏であるということなのですが、この身がこのまま仏ではないという言い方もあるのです。この身がこのまま仏であるという理屈はあるが、この身がこのまま仏ではないというのです。 この身がこのままでは仏ではないとはっきりいえば、宗教ではありませんが、それをはっきり言わないのです。そういえば商売にはならないからです。仏教の指導者は、本当に成仏していません。仏を自分で経験していないのです。キリスト教の牧師は、本当の神を経験していません。神を知りません。神とは何かが分からないのです。 私は宗教は何もかも全部悪いというのではありません。道徳性とか社会性を与えるという貢献はありますが、魂の完成については全く無益です。無益どころか、大きな弊害になっているのです。そこで、社会的な安寧が大切なのか、本当の悟りが大切なのかということになってくるのです。 皆様はいつこの世を去るか分からないですから、ご自分が生きておいでになる命の実体をつかまえて頂きたいのです。皆様の心臓が動いていることが神ですから、これをつかまえればいいのです。皆様の心臓は神によって動いているのです。これを悟ればいいのです。神に同調すれば、皆様は死なない命がはっきり分るのです。 そのためには、文明に同調することをやめて頂きたいのです。今の文明はユダヤ主義文明です。肉体的に存在する自分を鵜呑みにしているのです。 なぜ私がユダヤ主義という言葉を使うかといいますと、全世界に人類が広って以来、人間歴史の流れをよくよく検討していきますと、ユダヤ人が特別の役割りを演じていたことが分るのです。ユダヤ人はどのような民族だったのか。神とユダヤ人との関係は何だったのか。ユダヤ人が文明形成にどういう役割りを演じてきたのかが分かってくるのです。 ユダヤ人が間違った世界観、人生観を世界に流したのです。これが人間文明が間違った根本原因です。人類は生活のことは考えるが、命のことを全く考えなくなったのです。 世界に本当の命が分かっている人はいません。命とは何か。生きていながら命が分からないのです。こういうなさけない状態になったのは、ユダヤ文明のためなのです。 日本人は全世界を呼び覚ますために、神に特殊な待遇を受けている民族です。これは右翼でも左翼でもありません。白人にも黒人にもできないことが、日本人にできるのです。同じアジア人でも、中国人や韓国人にできないことが、日本人にはできるのです。 今の文明はまちがっています。死ぬ人間ばかりが集っているのですから、文明思想をのみこんでしまいますと、人間が死ぬのが当り前になっていくのです。死んでから魂がどうなるかが全然分からない。ここに文明の根本的な間違いがあるのです。 イエスのことを生みたまえる一人子とありますが、これがキリスト教では分からないのです。一人子と一人っ子とは違います。子供が一人しかいないことを一人っ子といいますが、一人子というのは、神が自ら生んで正当に認めた人格をいうのです。この人格だけが一人子の人格です。日本の民族は困ったもので、キリスト嫌いです。これは徳川三百年の政治による所であって、本来の日本人はキリスト嫌いではなかったのです。キリシタンバテレンの布教が禁止されるまでは、キリストを信じていた大名もいたのです。 現在の日本ではキリスト教信者はたくさんいますが、本当にキリストを信じている人ははとんどないでしょう。非常に少ないと思います。相当熱心な人でも間違っているのです。日本で本当に聖書の真理が分かっている人は、一人もいないといってもいいでしょう。 魂の命をつかむことは本当に大変なことです。魂の命をつかまえるとはどういうことかを簡単に申しますと、皆様の現在の人格は、母親の胎内から生れた人格です。 この世の人格です。母の胎から生れた人間は、業の中に放り出された人間です。業を果さずに死んでしまいますと、魂の裁きを受けることになるのです。ひどいことになるのです。なぜかといいますと、人間は業を果すためにこの世に生れてきたからです。 本当の命は何かといいますと、母の胎内から生れた命ではなくて、天から生れた人格です。天から生れたということは、上から生れたということです。 イエスは新しく生れよといっています。新しく生れるとは、改めて生れるという意味です。改めてということは、上から生れるということになるのです。人間はこの世のことばかりを考えています。これは下から生れたのです。人間が生れたのは、両親の性欲の結果です。性行為によって人間は生れたのです。性行為によらなければ、生れないのです。 皆様は知ると知らざるとにかかわらず、性行為の結果生れたのです。その命は天に通じない命です。性欲の結果生れた人間は、いくら頑張っても天国へ行けるはずがないのです。 この世に生れた人間は、性欲から生れたということを、まず認めて頂きたいのです。そうすると、丸裸の人間が分るのです。そうすると、イエスが新しく生れるといった意味が分かってくるのです。今の皆様がそのままの状態で、天国へ生きたいと欲深い考えをもつことは、絶対に禁物です。 肉の思いによって生れた人間は、死ぬにきまっているのです。肉の思いは死であると聖書はいっています。肉体的に生きている自分を自分だと思っていると、絶対に死ぬことになるのです。キリスト教が言うように、福音は簡単なものではないのです。天国へ行って昼寝をすることとは違うのです。 キリスト教はイエス様を信じて、天国へ行くといいます。天国へ行って何をするかと聞いても、分からないといいます。坊さんに仏国浄土へ行って何をするのかと聞いても、やっぱり分からないというのです。天国や極楽で昼寝をするのとは違います。宗教はこういういいかげんなものなのです。 とにかく皆様が本当の命をつかまえることは、大変なことです。イエス・キリストが死を破って復活したことを考えて頂きたいのです。イエスは死なない命をつかまえていたので、復活したのです。現在彼は生きているのです。このことをよく考えて頂きたいのです。 死なない命とは何か。死んでから天国へ行くことではありません。皆様の命の本質に、死なない命が隠れているのです。これを発掘したらいいのです。 皆様の命の本質が分かりますと、皆様は神のヘルパーとして人生が見えてくるのです。皆様には神のヘルパーとしての新しい人生が待っているのです。 イエスの本当の正体が分かりますと、神の一人子としてのイエスと、皆様が生きていることとが同じだということが分るのです。 皆様が生きていらっしやるのは、皆様の命ではありません。神の命が働いているのです。これは御霊の働きです。皆様の目が見えること、心臓が動いていることが、御霊の働きです。 パウロは、御霊によって生きているから、御霊によって歩めといっています。皆様が生きていることが神の子ですから、現世の人間という考えを捨てるのです。捨てるといっても、生活をやめるのではありません。現世の生活をしながら、神の一人子を生きるのです。そうすると、今まで考えていない別の全く新しい人格が分るのです。 神の御霊によって生かされている自分が分るのです。これを霊の思いといいます。霊の思いで生きることができますと、もう一人の自分が分るのです。これが一人子です。これは神が認定したたった一人の人格です。 神がイエスを公認したので、復活したのです。神が公認しなければ、絶対に復活しません。皆様が本当に上から生れる、天から生れることを経験されますと、皆様自身が神の一人子と同じであることが分るのです。皆様が現在死なない命をもっていることが分るのです。皆様の中に、もう一人の人格がいるのです。イエスがいるのです。 宗教の神は、人類の頭で考えた神です。そうではなくて、人間に命を与える神、人間を現実に生かしている神をつかまえるのです。 皆様は毎日、食べたり飲んだりしています。これが新しく生れるための踏み台になるのです。五官の働きで生きていらっしやることを、ごまかさないで、できるだけ細く見るのです。 常識的な考えをやめて、自分の本質を見ようとすれば、皆様は死なない命を発見することができるのです。 神が皆様を生かしています。神が皆様の心臓を動かしているのですから、自分はだめだと思わないで、自分を客観的に見る工夫をして下さい。 皆様が現在生かされていることが神です。皆様は神と一緒に生きているのです。難しく考えないで、心を開こうという気持ちがあれば、誰でもできるのです。 もう一つ申し上げておきたいことは、私がお話しすること以外に命をつかまえる方法はないということです。これはとんでもない倣慢無礼なように聞こえるかもしれませんが、聖書を正しく見ていくとこう言わざるを得ないのです。もし他の方法で死なない命を見つける方法があるなら、私が申し上げる必要はないのです。 本当の命を発見する方法は、イエスが復活したという歴史的事実を自分の事実とする以外に方法はないのです。 イエスが復活したことが本当にわかりますと、現代の科学も哲学も、政治も法律も経済も、全部変わってし事つのです。そうして世界に本当の平和が実現するのです。 今人々が考えている平和は、事勿れ主義の平和、ごまかしの平和です。妥協の上に立っている危い平和です。仮に戦争が無くなり、原水爆が廃絶されても、人々の中に泥棒根性は残り、犯罪は続くでしょう。地震、台風、洪水、噴火、竜巻、早魅、飢饉、ガン、エイズ、伝染病はたえまなく発生するでしょう。 これでは本当の平和とは言えないのです。皆様はこんな平和を願っているのではないでしょう。人間の人格がはっきり新しくなってこそ、本当の世界平和が実現するのです。死なない命は皆様の中にあるのですから、それをぜひつかまえて頂きたいのです。そのためにじやまになるのは物心です。 現代文明の世界観が悪いのです。肉体人間が絶対であるという考えが悪いのです。生れた時にはこういう思想はなかったのですが、物心がついた結果、この世の思想のために、皆様は甚大な被害を受けてしまったのです。私もかつてはその被害者だったのです。 現代文明の悪をよく認識して頂ければ、本当のものをつかまえることができるでしよう。命を見つければ、皆様は死ななくなるのです。その気になれば、復活の命をつかまえることはできるのです。 真実は非常に近い所にあるのです。一番近い所にあるのに、一番遠い所にあるように思いこんでいるのです。一番親しむべきものを、一番恐れることになっているのです。 神は一番頼りになり、一番心やすく、一番悩みを知ってくれる愛そのものですが、この神が分からないのです。マグロの味は神がつくったのです。神がつくったというのは、天然自然がつくったということです。 神は絶対であって、完全です。人間から考えて、完全な合理性をもつものです。それを皆様は、毎日経験しておいでになるのです。 神は最も平凡なものです。そして最も偉大なものです。神はあたり事えのことです。あたり事えですが、その理由を知らずにいますと、無知になるのです。 未来から時間が流れてきます。瞬間、瞬間、新しい時間が流れてきます。これはどういうことでしょうか。未来がやってくるのです。未来とは何でしょうか。 未来があるのは地球だけです。アンドロメダ星雲には未来はありません。太陽系以外には未来はありません。ある必要がないからです。 地球には未来が厳然としてあります。地球に未来があることをよく見れば、神は分るのです。 神ほどありふれたものはありません。神は最も平凡なものです。皆様はいつも神を踏んで歩いているのです。神に小便をかけているのです。神は平凡でありふれたものですが、又最も偉大なものです。この神が分からないのです。 神は皆様の命です。命を知りたければ、神が分かればいいのです。 皆様は未来がどういうものか分らずに、未来を受け取ってみえるのです。スーパーマーケットへ行って、料理の材料を買ってきます。その中に毒が入っていると考えたら、とても買えないでしょう。それを皆様は、黙って買っておいでになります。これはとても大胆なことです。自分の命が分からないのに、平気で生きておいでになります。いつ死ぬか分からないのに、平気で生きておいでになります。これを大胆といわずに何というのでしょうか。こういう心理状態を女性というのです。 女性は男が本当に愛していると言われると、それを黙って受け取るのです。これは未来を黙って受け取っている皆様の気持ちと同じです。 人間は神から見れば女性です。神はこの女性がかわいくてしかたがないのです。そこでマグロの味をつくるのです。鯛の味をつくるのです。フグの味をつくるのです。それを食べると、何とも言えない味がするのです。 お酒の好きな人にとって、風呂から上ったビールの味は格別でしょう。旨いと思う時、魂との関係はどうなるのでしょうか。旨いと感じた時に脳細胞に刺激を与え、脳波に影響を与えるのです。 愛しているとか、愛されているとかいう時、いわゆる恋を語っている時に、脳にどういう影響を与えるのでしょうか。こういうことが皆、神を信じることに関係があるのです。 皆様が現在生きておいでになるのは、命が働いているからです。命が働いているということは、神となっていることなのです。神との愛の関係が、ずーつと続いているのです。だから果物の味が分かり、牛肉のステーキの味が分るのです。それ程皆様の神経は鋭敏なのです。神の色々なあり方を、色々に味わい分け、感じ分け、見分けることができるのです。 コップに触わった時と、ふとんにさわった時と、全然違うでしょう。ましてや、愛する女性にさわった時の感じ方は違うのです。こういう所に、セックスの本当の意味があるのです。 愛が霊的に分かって、おのずから燃えることになればいいのです。これは性欲とは違います。日本人はセックスも全然考え違いしています。ユダヤ人の世界観に影響を受けているからです。セックスを欲望にしたのはユダヤ人の奥の手で、これによって世界中の人間が大混乱に陥っているのです。ユダヤ人の世界観ではない本当の見方を、日本から発進しなければならないのです。そして、本当の世界平和を実現しなければならないのです。 |