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34人問と地球を完成させる大計画 |
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マルクスに言わせれば、人間は偶然に生れた生物であって、経済生活を営んでいるものとなるのです。人間の本質、本体は経済であるとなるのです。人間とは何かを知りたければ、ユダヤ人とは何かを勉強すればいいのです。マルクスはユダヤ人でありながらユダヤ人とは何かを知らなかった。ここにマルクスの迷いがあったわけで、空理空論を展開して、世界に害毒を流したのです。東ヨーロッパで共産主義国はなくなりましたが、彼が主張した経済第一の考え方、唯物思想は、いぜとして全世界の人間の頭の中に強固に居座り続けているのです。 現代の週末の人類は老化現象に陥っているのです。霊魂の老化現象が端的に現われている時代です。近世文明が始まってから人間の老化現象が始まりだしたのです。いわゆる文明開化というのが魂の老化現象です。 現代の人間は文明を盛んに賞賛しています。これは現世に生きている人間だけを人間として見ているからです。マルクスが提唱した人間観を信奉しているのです。人間が人間の主人公であるといううつつめいた思想がもてはやされているという風潮が、霊魂の老化現象をはっきり証明しているのです。知識階級といういわゆる学問を担いでいる人々が老化現象の筆頭なのです。 人間の本質を全くはき違えてしまっている。人間は偶然に生れた生物であって、経済生活を営む動物的な人間を人間だと考えている。これが霊魂の老化現象の顕著な例だと言えるのです。 ●唯物史観 霊魂の老化は何かと言いますと、現世に生きていることだけが人間だと考えることなのです。こういう人は見込みがないのです。死んでし事つにきまっています。こういうばかげた唯物史観、唯物主義的人生観を、堂々と主張している学者がいるのです。唯物史観は非常に幼稚な思想です。 現世に生きていることだけが自分ではないということを、皆様方の潜在意識はよくご承知のはずです。生れてきた、死んでいくといいます。現世に生きていることだけで、人生の収支決算ができるものではありません。過去世、現世、来世を通して考えなければならないのです。 近世文明が始まるまでの文明は、来世ということを非常に重大なことの一つとして取り上げていたのです。後生大事という言葉がありますように、後生を大事に考えるのが人間の通例だったのですが、現在の人間は後生大事という非常に重要なテーマをほとんど考えようとしないのです。これが教育の荒廃につながっているのです。 後生を考えなくなると、人生全体のバランスシートを考えなくなるのです。今日だけに生きていればよい。今目の前に自分の欲望を満たす状態があればいいというような、非常に剃那的な感覚になるのです。現世利益の宗教がはやりだしたのは近世文明の特徴です。古代社会や中世社会では、 現世利益的な宗教はほとんどありませんでした。ところが現代文明では現世利益の宗教ばかりです。仏教もおかしな方向へ曲げられて、現世の人間が幸せであることを看板にしているのです。こんなものは宗教という価値はありません。 人間は後生を考えなくなった。過去世、現世、来世という三つの命を考えなくなったのです。生れる前の人生の続きが現世であって、やがて来世に続いていくにきまっているのです。現世の不公平が、いつどこで正当にバランスされるかということです。 この世の中に、賃がある人と、借がある人の、二種類あるのです。貸があるというのは、非常にまじめに働いたけれど、その人の力に応じた報酬をほとんど受けていなかった人です。こういう人はこの世に貸があるのです。逆に働きもしないのに生活は楽で、人々から尊敬されてぜいたくをして生きているという人は、この世に借がある人なのです。大きく分けてこういう二種類の人間がいるのです。 人生は非常に不公平なものです。アメリカのお金持ちに生れた子供と、アフリカの砂漠に生れた子供とでは、甚だしい不公平があるのです。この両者を正当にバランスする人は誰かということです。もし公平な審判がなければ、現世でさんざん悪いことをして、太く短く生きたらいいのですが、そうはいかないのです。人間の本心は後生があることを知っているからです。人間は死んだらしまいというものではありません。だから死んだら葬式をするし、墓をつくるのです。死んだらどこでどうなるかが問題なのです。 ●魂の老化 魂が老化しつつあるということは、自分の命をまともに考えるだけの若さがないということです。自分の魂をまともに考えるのは、魂が若いからなのです。若いとは純真ということです。 今の文明は惚けています。年が寄ると惚けるように、魂が惚けているのです。唯物主義という思想が世界に流行していることが、文明が惚けている証拠なのです。中世社会や古代社会では、こういうばかな理屈は一切通用しませんでした。こういう浅薄な、目の前だけの幼稚な理屈を受け入れなかったはずです。物があるから歴史が始まるというばかな理屈を、言う方も受け入れる方も両方共ばかなことなのです。 近代社会、現代社会は、学理主義に凝り固まっています。これが魂が惚けている証拠です。大学が幅をきかしているということが、霊魂の老化現象の顕著なしるしなのです。字間は人間が造り出した情報です。学問はこの世に生きている人間だけに通用するものです。死んでから後のことは、一切考えないのです。生命の本質については全く考えようとしていない。非常に浅薄な思想です。こんな思想で大学がつとまるのです。 今の人間は現世に生きていることばかりを考えさせられているのです。ユダヤ人の世界戦略のテクニックによって、すっかり洗脳させられているのです。学問の名によって、生活の情報が最高のイメージのように考えさせられているのです。 文明の度合いが高くなればなるほど、人間の頭は固定してしまうのです。命のことが考えられなくなっているのです。これが霊魂が老化している現象です。 現代文明では人間の生活が一番重大なテーマとして取り上げられています。基本的人権という言い方でも、人間がこの世で生きていく上に権利が必要であると考える。 人間が現世で生きていくことがすべてであるように考えさせられているのです。これは皆様がそう考えているのではなくて、そのような思想に押し込まれているのです。 この世全体が皆様をそういう愚かな思想の中へ放りこんでいるのです。人間が生きているということは、現世だけではありません。現世に生きている人間は、生きているというのではなくて、命を経験しているだけなのです。本当に生きているのではありません。命をどのように経験したかということを、この世を去ってから価値判断されるのです。 ●試行錯誤のテストケース 生きているということは、命を正しく経験していることです。命をどのように経験したかということで、その人の人生の価値が決定されるのです。皆様は試行錯誤のテストケースを、現世の生活という形で経験しておいでになるだけのことです。この世でただ生活していてもしかたがないのです。命を知らないでこの世でただ生活だけをしていると、ひどいめにあいます。人生が根本的に失敗に終わってし事つのです。近代文明の学問主義というユダヤ思想が、このような世界をつくっているのです。このことをよく考えて頂きたい。ユダヤ思想にだまされないようにして頂きたいのです。 皆様の命は現世だけで生きるものではありません。現世に生きているというのは、命の価値判断に関する基本的な勉強をしているだけであって、現世で成功しようが失敗しようが問題ではないのです。もっと永遠を考えて頂きたいのです。中世時代までは、人間は永遠を考えるという気持ちを持っていたのですが、現代文明はそれを全然考えなくなったのです。それだけ人間の状態が老化し固定しているのです。 近代文明にいる人たちは、平均的に言って生活主義的な感覚になりきっているのです。なぜそうなるかといいますと、お金を儲けなければ食べていけないと考えているからです。これが生活主義になっている原因です。生きるために働くとすれば、命のために働くことになるはずです。ところが命の事を考えないで、ただ生きるためというのはどういうことでしょうか。 皆様が肉体的に生きていらっしやるということは、生きているのではなくて、魂が命を経験しているのです。今日は暑い日であるということが、人々にとって神的事実なのです。神そのものなのです。皆様の目が見えること、心臓が動いていることが神なのです。砂糖が甘いこと、塩が幸いことが神なのです。こういうことを魂が経験しているのです。 皆様は生きている状態で神を経験しなければ生きていけないような現実状態を与えられているのです。皆様が生きておいでになるということは、皆様がご存じでなくても神の中に生きておいでになるのです。それを自分が生きているというようなばかばかしいお考えを持ってみえるために、命の経験が全然なされていません。命の経験が正当になされていないということが、精神的な不安の根本原因になっているのです。 人間は生きていることが何をしていることか、全然分かっていない。もったいない生き方をしているのです。本当にもったいないことをしているのです。現在皆様の魂は、命の本源である神を経験しているのです。五官の基礎が魂の基礎になっていますので、これを冷静に、平明に、綿密に見ていけば、いのちが分るのです。甘いとはどういう感覚か、美しいとはどういう感覚かをじっと見ていけば、座禅をくまなくても命が分るのです。 生ける神、命の実物である神が、皆様の心に張り付いているのです。ところが、自分が生きている、いのちは自分のものだという全くくだらない誤解に基づいて生きておいでになるために、目の前に神がありながらそれを捉えそこなっているのです。これが不安の根本原因なのです。 ●死後の世界 死後の世界のことをもう少しお話ししますと、古代エジプト人は死後の世界があることを確信していたのです。東洋的に言えば論語の中に、『朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり』という言葉があります。朝に自分の命の実体を悟ることができるとすれば、その日の夕方に自分の命が消えてもいいと言っているのです。生きているということは、道を悟るための方便なのです。夕べに死すとも可なりというのは、死んだ後に別の命があることを知ったから、死んでもいいということです。 死んだ後にある命こそ本当の命なのです。現世の命は七十年か八十年、長くても百年ぐらいですけれど、死んだ後の命は永遠の命なのです。これが昔の素朴な人には直感できたのでしょう。そこで朝起きて昼働いている間に、人生の真実が分かったら、夕方にこの世を去ってもいいというのです。 人生は命の道を悟るためにあるのであって、命の道を悟るということは、死んだ後の自分の命のあり方の根本的な原理になるのです。 欧米人は生活を中心に考える民族ですが、東洋人は霊魂のことを考える素質を持っていたのです。中央アジアの民族の伝統として、復活があることを直感的に知っていたのです。半月地帯といわれる所に、古くから復活という考えがあったのです。これは何かと言いますと、聖書の原典に大関係があるのです。 日本は国ができてから、千二、三百年しかたっていません。ですから人類の歴史といえるような深みがありません。人間本来の考えが日本にはないのです。氏神とか、産土神という考えしかなかったのです。だから日本人は本来、現世主義だったといえるのです。しかしただ一つの良い所は、日本人の中に現世の人間は未完成だという考えがあったことです。現世でいくら偉い人になった所で、本当に偉いのではないということを、直感的に知っていたらしいのです。地球も又未完成です。地球に天災、病気、犯罪、戦争があることは、不完全を端的に証明しているのです。ですから人類は地球上で、戦々恐々として生きていなければならないのです。 なぜ人間は戦々恐々として生きなければならないのか。結論的に言いますと、今の人間が生きていることが、不安そのものだからです。今震度八以上の大地震が起きたら、皆様の本心が一度に暴露するでしょう。潜在意識で何を考えているかがはっきり分るのです。魂の本性が一度に外に出るのです。口に出すか出さないかは別として、神よ助けた事えというでしょう。これが人間の本性なのです。 昔の人間の心は柔らかかったのです。復活があることを知っていたのです。人間も地球も不完全なもので、やがて完成するに違いないという直感が霊魂に閃いたのでしよう。これがピラミッドやスフィンクスになっているのです。私は世界一周旅行を二回して、各地に残された巨大な遺跡を見て、古代人の死後に対する確信を目の当たりに見せつけられました。そのスケールの大きさは、現代人の棲小さとは比較にならないものでした。 ●呪われた地球 現在の地球は不完全そのものです。こんなものは一人前の地球とは言えません。なぜ地球が不完全であるかと言いますと、人類の祖先が道を誤ってしまったからです。 その結果地球そのものが呪われたのです。この間の事情については創世記に次のように記されています。『あなたが妻の言葉を聞いて食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみを生じ、あなたは野の草を食べるであろう』(3・17、18)。人間の祖先が罪を犯した結果、地球が呪われて、人間が一生苦しんで生活しなければならなくなった。これは人類の責任なのです。 今皆様が本当の魂にお気づきになれば、皆様は本来あるべき命が分かるでしょう。神から出て、神と一緒にいて、神に帰るのが魂の本体です。 皆様の理性はご自分で造ったものではありません。お花を活けるとか、お茶をたてるというのは、人間がもし動物だったらしないでしょう。犬や猫はそんなことはしないのです。 皆様は理性に基いて生きていらっしやるのです。従って皆様は神において、神と一緒に生きているのです。そして神の所に帰る。これが魂の正しいあり方なのです。こういうことを古代の人々は何となく知っていたのです。だから巨大なピラミッドやスフィンクスを造ったのです。人間があるべき本来の姿に帰れば、地球も又あるべき本来の姿に帰るでしょう。これが人類が求めている永遠の平和です。これはやがて実現するでしょう。必ず実現するのです。 現在の文明はあまりにも間違いすぎています。文明の老化現象はますますひどくなるでしょう。まず悪い意味で文明のリーダーシップを取る人が現われるでしょう。それから良い意味でリーダーシップを取る人が現われるのです。 現代の文明はもう一度悪くなるでしょう。激変し崩壊するでしょう。その後に人間が心から待ち望んでいる世界平和が実現するのです。地球が本来の姿に帰るのです。 砂漠がなくなり、地震がなくなるのです。犯罪行為も病気も消えるでしょう。刑務所や病院がない社会が現われるのです。そして人間が考えている以上の平和が実現するでしょう。 それでもまだ本当の世界ではないのです。本当の地球はもっと先に現われるのです。地球そのものが物理的に完成するのです。 現在の地球物理は非常に不完全なものです。物質が不完全なのです。風化したり腐敗するのは、完全なものとは言えないのです。今から四千年、五千年前の中東の人々は、そう考えていたのです。日本は歴史が浅すぎるので、そういう考え方はなかったのです。それでも、万葉、古今集の時代の人々は、徳川以降の時代の人々よりははるかにまじめだったのです。最近の日本は、経済的には良くなりましたが、精神的には極端に悪くなったのです。 ●やがて本当の世界平和が実現する 地球はいつまでもだらだらと存在しているのではありません。限度があるのです。若干のユダヤ人が、自分達の考えが間違っていたと気づく時がくるでしょう。今来つつあるのです。現在の地球が非常に危険なものになっているからです。若干のユダヤ人が目を覚ましますと、世界が一変するのです。そうすると現在の地球のあり方が変わってしまうのです。私はそれをねらっているのです。新約聖書を読んでいますと、いつどこで、どういう形になるかというだいたいの方向が分るのです。これは宗教ではなくて世界歴史の実体なのです。 地球が有形的に存在し、自我意識を持っている人間が大いばりで暮らせるのもしばらくの時です。その次に本当の世界平和が実現するのです。その時になって聖書を信じようとしてもだめです。日本人が聖書を信じられるのはわずかな時です。今が最後のチャンスかもしれません。 形のあるものは必ず壊れると言われていますように、地球はやがて消滅するでしょう。復活の時がきますと、今まで考えていなかった物質が実現するでしょう。イエスが復活した時のボディーは未来次元の物質です。そのような物質に万物は姿を変えてしまうでしょう。それまでは現在の地球は必要なのです。 現在の人間の眠っている脳細胞の目を覚まさせるのがキリストの霊です。キリストは地球計画です。神が宇宙に地球という特別の惑星をつくり、万物を育成させたという特殊現象が、キリスト計画なのです。 キリスト計画というのは、神が完全な神になるための計画です。死の力を自滅させて、宇宙全体の命のあり方が正常な状態になることが、地球が造られた目的なのです。 皆様の理性は無限に成長する可能性を持っています。百四十億の皆様の脳細胞の九十五%が眠りこけているといわれています。肉体的に生きている自分を意識しますと、肉の思いがその人の心に張りついてしまうのです。肉の思いが張りつきますと、脳細胞が自由に働くことを制限されるのです。 学的思想が最高のものだということを認めてしまいますと、人間の意志は学問という非常に次元の低い意識によって押さえこまれてしまうことになります。学問が絶対の力を持っているように考えこんでしまうのです。人間が肉体的に存在するということだけを考えている人間にとって、学問はすばらしいものでしょう。学問は宇宙の公理を人間の思いという立場から説明しているのです。すべて学問は公理の説明をしていますから、絶対のもののように思われますけれど、肉体を持っている人間の立場からだけしか考えられないのです。だからイエスの復活というのは学の対象にはならないのです。 ところがイエスが復活した事実を皆様が勉強なさいますと、実は復活の命がすでに皆様の命になっていることが分るのです。イエスが復活したことによって、人間の命の内容が変わってしまったのです。そこでキリスト紀元という暦年算定の基準ができたのです。 イエスが復活したということは、皆様が肉の思いから出て、霊の思いに従って本当の命を認識することができるような力が、皆様にはっきり与えられているということです。これがキリスト紀元の人間存在の秘密なのです。これをキリスト教が宗教にしてしまったために、復活がどういう事実か全然分らなくなったのです。これがユダヤ教とキリスト教の最大の弊害です。 宗教ではなく、皆様のハートでごらんになれば、皆様に新しい命が与えられていることが分るのです。すでにとこしえの命が保障されていることが分るのです。 肉体は魂の影です。肉体的に生きているということは、影の生活をおくっているのです。幻の生活をしているのです。肉体はいつだめになるか分りません。これが分っていながらやめようとしない。これは実に悪い癖です。常識が間違っています。肉体的に生きている人間の常識が、根本的に間違っているです。自我意識は命は自分のものだと思いこんでいる意識です。これが悪いのです。 ●自然の用を不自然の用に 本来人間は命を経験するために生れてきた。ところが命は自分のものだと考えてしまったために、命の経験ができなくなったのです。命を経験する、自然の用、純正の用を果たすべき人間の精神作用が、不自然の用のために働いているのです。自分が生きているという意識があるためです。 自然の用に用いるべき魂が、不自然の用に用いられている。これがセックスの一番大きい問題なのです。セックスを間違えてしまったことが、魂を根本的に間違えてしまう結果になったのです。 今の世界に純真な愛はありません。不純な愛ばかりです。人間は性を不純なものにしてしまったのです。純粋な魂を汚れたものにしてしまった。その結果、死が人類を占領してしまったのです。肉の思いはこういう悪いものなのです。 人間の生活はたかだか八十年か九十年のものです。しかし皆様の霊魂がこの世を去ってしまいますと、永遠の時間が待っているのです。皆様は永遠の時間についての心構えができているのでしょうか。これを真剣に考えて頂きたいのです。 イエスが復活したという歴史的事実を、皆様の魂がどのように受けとめるかということによって、本当の愛が分るのです。男の意志は、宇宙の公義を論理的に求めるのです。女性のハートの働きは、本当の命を知ることです。男性は自分のマインドを完成するために、女性のハートを勉強しなければならない。そうすると男性のマインドの方向が分るのです。 現在の女性のハートはだめです。不純な肉体感覚でつまっているからです。しかし心の底では永遠の愛を慕い求めるすばらしい望みがあるのです。これは男性にはありません。女性の望みを勉強することによって、男のマインドが伸びるのです。本当の愛と真理が分かったら、ひっくりかえったようになるのでしょう。ここまでぜひ勉強して頂きたいのです。 私がお話しているのは宗教ではないということです。宗教ではないというのは実質的にどういうことかといいますと、命の勉強なのです。私達が生きている命の実体についての勉強なのです。 英語のリリージョン(religion)という言葉は、神と魂との連関関係について学ぶことなのです。ところが神と魂との係りを勉強すると言いましても神が分らないのです。日本人が神といいますと宗教的な神の概念しかないのです。神といえば宗教にきまっているのです。 ところが宗教ではないというテーマを掲げることになりますと、日本的には神という概念が成立しないことになります。これは欧米の場合もそうなのですが、キリスト教の神ではないといいますと、これも又神という概念が成立しないことになるのです。 キリスト教の神は聖書の神ではないのです。従って神がどこにいるかという質問をキリスト教の人々にしますと明確な説明ができないのです。天地を造った神はあるにきまっているといいます。天地を造った神がいなければ天地が存在する理由はないといいます。これは理屈です。 キリスト教の天地創造の概念からいえば、創造者が神であるというのです。創造者とは何かと言えば、万物を造ったもの、天地を造ったものが神となるのです。そうすると天地を造ったということがどういうことになるのか。その神は現在どういう形で存在しているのかと聞きましても分らないというでしょう。天地を造った神はあるのだからその神を信じなさいというのです。キリスト教の教義でそうなっているのです。 ●エホバの栄光が全地に満ちている 聖書にはそんな不親切なことは書いていないのです。例えば旧約聖書はエホバの栄光が全地に満ちているということをイザヤ書六章で書いています。そうするとエホバの栄光が全地に満ちていることの具体的な実例を私達に分るように説明してはしいといいますと、キリスト教は困るのです。 本当の神が分ってしまいますと今日のキリスト教会に席を置いているわけにはいかないはずです。まして教役者として人々に神を教えることはできなくなるはずです。 仏教もそうです。本当の仏が分かれば衣を着てお袈裟をかけてお経をよんでおれないのです。宗教ではないというのは、仏教、キリスト教をアウフヘーベンしてしまうことになるのです。命の実体を勉強すればおのずからリリージョンという考えがアウフヘーベンされてしまうことになるのです。しかしアウフヘーベンということがなかなか分らないのです。 日本人はヒューマニズムは立派な考えだと思っています。ところが聖書の観点からいいますと、ヒューマニズムというのは肉の人間の思想なのです。これが困るのです。 ヒューマンというのはやがて死ぬにきまっているのです。私達は死から脱出することを目標に勉強しているのです。そうするとヒューマニズムをつきぬけてしまわなければならないのです。 人間は宗教の勉強ならできますが、宗教以上の勉強はできないというのです。しかし皆様の命の実質は宗教ではないのです。宗教以上のものなのです。皆様の魂は宗教以上の真理を求めているのです。ただ人間としての皆様はヒューマンとしての考えしか持っていないのです。魂としてはそれではすまないのです。なぜならヒューマニズムは現世に生きている間しか通用しないのです。ところが霊魂は不滅なのです。生きている間しか通用しない概念は、魂の真相を勉強することができないのです。 自分の妻や子供を他人と思うなら、ついでに自分自身も他人と思えばいいのです。魂というのは今生きている皆様から見ますと、第三者なのです。魂というのは客体的に存在するもの、客観的に意識するしないにかかわらず客体的に生かされている状態をいうのです。 魂というのはリビング・ソール(living soul)です。これがキリスト教の牧師に分っていないのです。初めの人アダムはリビング・ソールになったとありますが、これと現在の人間との区別がつかないのです。それで天国へ行くのは誰がいくのか、自分がいくと考えるのです。 自分が天国へ行くと考えるのが宗教であって、宗教はすべて自分という人格の幸せを考える概念なのです。宗教ではないということは自分に関係がないことを勉強することです。 魂とは何かといいますと理性と良心が肉体的な条件で生きている状態をいうのです。これがリビング・ソールです。理性と良心は人間自身から出たものではないのです。良心は皆様の欲望生活を監視する機能です。自分の良心が自分を監視するということが良心が自分のものではないことを証明しているのです。 ●核づけにされた地球 人間は理性によって文明を構築していると考えています。しかし理性的に考えますと、核兵器を容認することはできないのです。米、ロシア等が所有する七千発から一万発の原水爆で全世界を何十回も破壊できるということは、どう考えても気違いざたなのです。人間はばかばかしいことを平気でしているのです。正直は最良の策であることを知っていながら、日常生活は不正直でなければ生きていけないのです。現世では言いたくないことを言わなければならないし、言いたいことが言えない場合があるのです。自分自身を曲げてしまわなければ生きていけないのが人間社会の構造なのです。 正しく生きるとはどういう生活態度になればいいのか分らない。現世に生きているといいますけれど、やがて死ぬにきまっているのです。百%死ぬにきまっているというのは、生き方がまちがっているからです。 死にたくないという強烈な願いは魂自体の叫びなのです。皆様の魂は死にたくないとはっきり考えていますが、皆様の常識は死ななければならないと考えている。そこで魂の叫びと常識がいつもけんかをしているのです。この混乱を裁くことが本当の悟りなのです。どちらが正しいかを裁くのです。 現世に生きている私達が魂の言い分を曲げなければ生きていけないのですけれど、どのように生きたらこの矛盾から脱出できるかを考えなければならないのです。 現在の人間は自分というものと魂との区別がつかないのです。魂の希望と自分の気持ちが錯綜混清しているのです。混線しているのです。これを整理するのが私の目的なのです。宗教ではない般若心経と聖書を一緒に勉強すればこれができるのです。宗教ならこの二つは絶対に一つにはなりません。日本が始ってから、般若心経と聖書を二つ並べて一緒に勉強するという方法を示した人は、一人もいないのです。ところがこれが本当の聖書と般若心経の見方なのです。 本当の聖書の見方をしようとすれば、今までの見方を捨ててしまわなければならないのです。本当の人間の見方をしますと、死ぬにきまっているという自分の考えは捨ててしなわなければならないのです。 今までの皆様の人生は完全な錯覚によって成り立っていたのです。文明は錯覚の塊です。特に近代文明はユダヤ人の案出したものでありまして、資本主義、自由主義、民主主義、社会主義というアイデアは、ユダヤ人の提唱によるものなのです。近代文明は明らかにユダヤ主義によって成り立っているのです。 皆様はユダヤ主義に頭を下げなければならない理由があるのでしょうか。鎌倉、室町時代の日本人の考え方は、現代の民主主義の考え方とは非常に違っていたのです。 基本的人権主義といわゆる封建時代の考え方とでは、人間の本質についてどのように違っていたかを根本的に論じた人がいないのです。 基本的人権というアイデアを考え出したのはユダヤ人学者です。これはアンチクライストの思想です。現在のユダヤ人にとって、イエスがキリストであっては困るのです。ヒューマニズムというアイデア、基本的人権というアイデアは、近世のユダヤ人に基づく概念であって、人間存在本来のものではないのです。今の大学教授はこういうことを言いません。彼らはユダヤ主義を用いて月給を取っているのです。人間の本質価値を知らないのです。魂とは何であるか知らないのです。現在生きている人間だけを問題にしているのです。死ぬ人間だけを人間だと考えているのです。これがユダヤ主義の間違いなのです 魂は今生きている自分から考えますと他人です。第三者的存在です。皆様の鼻から息が出入りしていること、心臓が動いていることは自分自身のエネルギーではありません。そのエネルギーを自分自身で造り出すことはできません。皆様は客観的なエネルギーによって心臓が動いていることを認めないわけにはいきません。従って皆様が生きていらっしやるのは自分ではなくて他人です。皆様の命の実体は自分ではなくて他人といわねばならないものなのです。魂は神からきたものです。日本人は困ったことに八百万の神々があるので、神の説明がなかなかできないのです。 ●もう一つの神 皆様が自分だと思っているのは神ではないもう一つの神なのです。これは堂々たる人格です。皆様はもう一つの神にとりつかれている。だから本当の神が分らない。分るはずがないのです。 ヒューマニズム、基本的人権、民主主義という考えは、もう一つの神様から沸いて出たご託宣です。文明を徹底的に解剖するとこういうことが明らかになってくるのです。人間の実体、文明の実体を完膚無きまでに解剖するのです。そうすると本当の真理とは何か、本当の命とは何かが分ってくるのです。宗教であろうとなかろうと関係なく、実体を究明するのです。そうすると明らかになるのです。これが死から脱出する方法なのです。 本当の命の実体を勉強するというのは並大抵のことではありません。しかしやらねばならないことなのです。宗教なら信じようが信じまいが勝手ですが、命の問題は現世にいる以上はどうしても魂の義務としてしなければならないことです。 現在の皆様の生活は神の子としての生活がそのまま実行されているのです。例えば皆様の衣食住の生活態度は神の子でなければできないような崇高な生活をおくってみぇます。神様か神の子のような生活をしておいでになる以上、目の黒いうちに自分自身の魂の本質をどうしても究明しなければならない責任があるのです。これはできたらするという詣ではないのです。結論に達するまでどうしてもしなければならないのです。 これは宗教の自由の問題とは関係がないのです。生きるか死ぬかの根本問題ですからしなければならないのです。しかしできるのです。しなければならないことですからできると考え頂きたいのです。 たとえ完壁無類の真理を勉強したとしても、日本人としての社会生活を数十年おくって生きたのでありまして、私達の精神又は肉体には日本人の業がしみこんでいるのです。心身に日本の業がしみこんでますから、仮に完全な真理を勉強したとしてもすぐに病気がない人間になれるかどうか分りません。 人間は若いときからずいぶん不祥事や不心得をしてきました。これがかえって役に立つのです。煩悩即菩提という言葉が仏教にありますが、人間に煩悩があるからこそ菩提を求める気持ちが起きるのです。過去数十年の間、業の生活をしていたものが、すぐに心身共に完全無欠になることはできないでしょう。しかしそれに近い状態になることはできるのです。この世の利益、自分の健康状態に一切囚われない人になるでしょう。肉体的に故障が起きても魂には何の係りもない状態、例えば維摩居士のような心境になるでしょう。 維摩経に出てくる話ですが、維摩居士が病気をしていた時それを見舞にきた人に、わしは病気などしていない。世間一般が病気をしているから寝ているだけだといったということです。 ●悪魔の巣窟 現在の人間社会は悪魔の巣窟です。悪魔の国です。自我意識を持った人間が集ってこの世を追っているのですから、この世のは悪魔の天国です。悪魔の国が腐っていく状態をなぜ神が黙って見ているかということを宗教は完全に説明することはできません。 旧約聖書の創世記第三早、第二章、第三章を轍密に見ていけば、現代文明の根底に横たわっている彪大な矛盾が姿を現わすでしょう。この世は彪大な矛盾によって成立しているのです。一方自然現象はすばらしい神の栄光に満ちているのです。人間が造っている社会は彪大な矛盾の塊ですが、自然現象は澄明無類のすばらしい神の栄光の現われです。文明は錯覚の塊です。人間の罪業が集って五蘊になっている。五蘊が文明になって現われている。したがって人間社会は矛盾撞着そのものです。 人間社会はどうにもならないものになっています。これを聖書は底なき穴といっています(ヨハネの黙示録20・3)。悪魔が入れられる穴なのです。人間の自我意識は底なき穴に住んでいるのです。 底なき穴とは何なのか。地球はどういう意味で造られたのか。現在の自然現象が神の栄光のすばらしい現われとはどういう意味なのか。こういうことを一つ一つ勉強していかなければならないのです。これが分れば皆様の魂は神の栄光に一致するような考えを持つことができるでしょう。そうすれば精神的な健康状態が獲得できるのです。これはやがて肉体的な健康にも大きな関係を持つでしょう。 皆様が生きていらっしやる大自然はすばらしい世界です。人間は飛行機を造ったり、電車や船、テレビやコンピューターを造っている。人間は一体何をしているかということです。これが自分自身に分らないのです。人間は新幹線やジャンボジェット機を追っていますが、これと人間社会が底ぬけバケツであるということとは別なのです。 人間の社会状態と、人間の理性によって自然科学の成果を現わしているということとは別のことなのです。学問の価値は正当に、正確に理解すれば相当なものです。今の学者は世界観が貧弱だからだめです。命を知らないからです。命を知らない学は本当の学ではないのです。 命を勉強しながら学を勉強すれば、初めてすばらしい学ができるのですが、今の学問はユダヤ人が指導しているからだめです。ユダヤ人の指導以外の学は今の世界にはありません。今の学は全部ユダヤ人に押さえこまれているのです。だから日本からどうしてもユダヤ思想の根源を覆す光が世界に発揚されなければならないのです。これは皆様一人ひとりのことではなくて、全世界六十四億の人間のためという壮大な理想を持って頂きたいのです。 今の人間は知るべきものを知っていないのです。知るべきものを知りますと初めて命の値打ちが分ってきます。そして皆様は本当の命の世界へ入っていくことができるのです。 皆様が生きていらっしやるのは本当の命ですがそれを認識していません。認識の仕方がまちがっていますから魂が分らないのです。魂をとられることになるのです。今夜魂をとられるであろうという言葉が聖書にありますが、これは神に没収されるのではなくて、悪魔に奪われることになるというのです。魂の実体はキリスト計画が分りますとよく分るのです。キリストとは神の地球計画ですが、現在の地球は未完成そのものです。いつ地震や大雨、早魅、病気が発生するか分らない。非常に危険な状態なのです。こんな地球を本当の地球と思うからまちがってくるのです。 ●人間と地球を完成させる大計画がキリスト 今の地球を本当の地球だと考えるのがユダヤ思想です。だから現世を良くしようという現実主義の考えは次元が低いのです。もっと大きい意味で人間そのものを完成させること、地球そのものを物理的に大完成させる方向へひっぱっていくのが本当のキリストです。 神の地球計画は人間と地球を完成させることでありまして、このような地球計画こそ本当の文明の基礎になるのです。こういうことが日本人にはなかなか分らないのです。日本人は聖書嫌いですからこの日本人にキリスト計画を学んで頂くためにどうしても必要なことは、五蘊皆空、色即是空、不生不滅、不垢不浄、不増不滅です。 人間の命はまだ初まっていない。前頭葉がよく働いていないのです。皆様は未来をよくご存じないために前頭葉が欲望的に働いているのです。これが情欲です。皆様の生理機能の働きと太陽光線が地球を照らすこととは一つのことなのです。このことにお気づきなりますと、命が分ってくるのです。 太陽光線が輝いているという永遠の命の中へ皆様の命がすいこまれていくのです。そうすると肉が霊になるのです。ここまでどうしても勉強して頂きたいのです |