2救いも滅びもユダヤ人からくる

近代文明の性質が、非常に困ったものなのです。十六世紀から十七世紀に、近代文明が始まっています。近代文明の本質を申し上げておきますと、ユダヤ人のメシア思想が基礎になっているのです。

やぶから棒にこういうことを申し上げますと、お分りにくいと思いますが、ユダヤ人がかつて、イエスを否定した、神の子であるイエスを十字架につけた、これは彼ら自身も心ひそかに、徹底的な失敗をしたらしいということに、気づいてはいるらしいのですが、この民族は非常に疑い深いのです。素直さがない民族でありまして、イエスは在世当時、くり返し、くり返し、ユダヤ人の頑迷さを痛撃したのですが、ユダヤ人は神の約束の民であるために、考え違いを改めようとしないのです。悪魔に見事にだまされているのです。悪魔の奥の手が、ユダヤ人に集中されていると考えた方がいいかもしれません。

人間歴史は、ユダヤ人問題をぬきにしては分からないのです。日本の歴史をいくらひねり回しても、文明の本質の理解はとてもできるものではありません。

地球が造られたこと、万物が造られたことについて明言されているのは、旧約聖書だけでありまして、これはユダヤ人に与えられたものなのです。従って、旧約聖書の真髄にふれるということだけでも、日本人や普通の欧米人ではとてもできないのです。

ヨーロッパ社会には、キリストの福音が私達よりも先に伝えられていました。紀元三百年頃に、ローマ帝国の王族、貴族が、全部洗礼を受けました。そしてキリスト教がローマ帝国の宗教のようになっていましました。その結果、キリスト教が白人の宗教のように考えられてしまったのですが、実は聖書はユダヤ人に与えられたものであって、白人に与えられたものではないのです。

ユダヤ人以外は異邦人といわれているもので、民族の自尊心から考えますと、日本人はこういうことをなかなか了承しにくいのです。「救いはユダヤ人のものである」これはヨハネによる福音書四章二十二節のイエスの言葉ですが、日本の聖書では、救いはユダヤ人からくるとなっています。ユダヤ人からくるというのは、ユダヤ人のものであるが、異邦人にも流れ出しているという意味なのです。

これがなかなか分からないのです。ユダヤ人がへり下って、神の国を受けとめているのならそれでいいのですが、イエスが十字架につけられた以後、いよいよ彼らが、へそを曲げて、根性まがりになっています。どうしてもイエスがキリストであることを信じたくないのです。自分達の知恵才覚によって、彼らの神の国を地球上に現したいと考えています。

彼らの考えるメシアを擁立しようと企んでいます。これがいわゆるユダヤ人の世界革命という思想でありまして、例えばマルクスの唯物論的弁証法なども、一つのユダヤ的なメシア思想だといえるのです。こういうことが、世界史的に明らかにされていないのです。

日本人は特にユダヤ人問題については盲です。ユダヤ人を悪く言いすぎる人もいますし、良く言いすぎる人もいます。日露戦争などの場合は、高橋是清などを通して、日本がユダヤ人に助けてもらったという事実はあるのです。瑞宝章を明治天皇がユダヤ人に送っています。日本がユダヤ人に世話になっている面もあるのです。

しかし世界史的な流れという広い角度から考えますと、ユダヤ人がイエス・キリストを信じないというのは、全く困った根性です。それが現在の歴史の混乱の原因なのです。

ユダヤ人の考え方、例えばダーウィンの進化論、フロイドの性に関する学説、マルクスの資本論というお伽噺のような思想が、現在の文明社会では非常に大切に扱われているのです。

日本には、色々な形で色々な思想が流れこんでいます。近代社会の人間の傾向は、資本主義、社会主義、その他の労働運動の思想、宗教運動の思想は、ほとんどユダヤ人が舞台裏のすじ書きをしているのです。

本当の聖書の中心を見きわめることが、なかなか難しいのです。日本人の伝統的な思想は、いわゆる国家神道です。これは八百万の神という思想であって、現世主義の思想なのです。人間が地球上に生きていることが、重大なことのように考えています。人間が地球上に生活することしか考えていないのです。

この国に生まれて、この国に育って、この国の歴史だけを考えています。この世で生きること、この世で暮らすことが、何よりも有難いことのように思っています。そういう観点から本当の命を見つけることは並たいていのことではないのです。

日本民族には今述べたように、現世主義的な思想があります。それに加えて、近代文明が全く現世主義なのです。この世で幸福に暮らすことが目的なのです。文明の発達は、シビライゼーションという言い方が現わしていますように、文化的な生活を現世でおくることが、人間の目的のように考えさせられているのです。文明が物理的に、生活主義的に発達していることが、有難くてしかたがないように思えるのです。

人々は人類が進歩していると思っています。ところが進歩しているどころか人間の精神は退歩しているのです。近代文明が広がったことにより、世界全体の人間の心の状態は、非常に退歩してしまっています。近代文明の害毒に汚されて、古代より中世時代よりも、今の時代の方が人間の魂の状態は格段に悪くなっているのです。

これが分からないのです。これに気づいている人は多少はいます。ところが、それをどうなおせばよいか分からないのです。これが困ったことなのです。結論的に言いますと、本当の命の真髄を発見することは、イエスの復活を勉強する以外にありません。色々な宗教があり、思想がありますけれど、皆概念なのです。

近代文明は概念の社会であって、概念ばかりが雲のように集まっているのです。学問はすべて概念ばかりなのです。科学も、哲学も、法律、政治も、概念が優先するという奇妙なものなのです。文明社会は錯覚のかたまりであって、全く五里霧中の世界になってしまったのです。

本当のことは何であるか、真実とは何であるか、誠の命、誠の神は何なのかが、まるで分からないのです。神の御霊によって、神の約束の真髄が開かれますと、それに基づいて旧約の本体、新約の本体を、実質的に究明できるのです。御霊 (みたま) という言い方は分かりにくい言葉ですが、大自然に展開する自然エネルギーを意味しているのです。

悔い改めて福音を信ぜよと聖書は言っていますが、悔い改めることがキリスト教では分からないのです。心を新にせよとパウロはいっています (ローマ人への手紙122)。別の所では、心の深みまで新にせよといっています(エペソ人への手紙423)。

心の深みとは何かといいますと、英文では、ザ・スピリット・オブ・ユーア・マインド(the spirit of your mind)といっています。つまり、精神の霊です。精神の霊を新しくして、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきだといっているのです。

精神の霊を新しくするとはどうすればいいのか、心をかえて新にするとはどうすることか、これが分からないのです。精神の霊という日本語はないのです。日本人の常識の中には、精神の霊という言葉がないのです。だから、精神の霊を新しくせよといわれても、どうしていいか分からないのです。

そこでキリスト教は、分かったことにしているのです。キリストを信じて、贖罪諭を信じて、救われたことにしているのです。しているだけであって、神の御霊によって精神の霊を新しくすることが、具体的に実現していないのです。御霊をあがめるとはどうするのかが分かっていないのです。

少し問題がそれましたが、ユダヤ人の中には、神的にすぐれたグループと、悪魔的な考え方のグループと二つあり、現代文明は後者のグループによって形成されているのです。だから、現代文明は滅亡に進む文明だといえるのです。