4文明が混乱している根本原因

ユダヤ人が世界を流浪していることが、現代文明がごたごたしている根本原因なのです。この間題を考えるためには、地球が何のためにできたかということを、知らなければ分からないのです。

神が地球を創造したことが、基本的には、約束という神独特のアイデアから出発しているのです。なぜそのようなアイデアから出発しなければならなかったといいますと、宇宙に死が発生したからです。だいたい、宇宙に、死があるはずがないのです。

現在でも、死があるのは地球だけです。地球以外には、死はどこにもないのです。地球という惑星に、死の則、死の法則が、閉じこめられているのです。例えば、金星や火星には、死はありません。又、ある必要がないからですけれど、死がうまく神のテクニックにひっかかって、地球でかんずめにされているのです。

普通、死というものは、肉体の機能が停止することを言いますが、これは新陳代謝の一過程というべきことで、死の実体というのは命に反する思い、考え方、思想を意味するのです。命に反するマイナスのエネルギーが宇宙に発生したのです。これが死の本質なのです。

現代文明の基本的原理は、人間の立場を認めるという考え方です。これは宇宙の絶対性を認めない、命を認めない立場に立っています。つまり、宇宙のマイナスのエネルギー、死の法則によって成り立っていることになるのです。これが重大なのです。

死は、あるべからざるものです。宇宙には、元来、死はあってはならないのです。そこで、神は死を自滅させる方法を考えました。死は、神の全能力でも、強圧的、弾圧的に滅ぼすことはできない、滅ぼしてもしかたがないのです。

すべての人間は、自分が生きていると考えています。いわゆる自我意識です。これが死なのです。自我意識の原理は死の原理であって、自我意識がまちがっていると人にいくらいわれてもやめられないのです。

仮に、日本の総理大臣、天皇が、皆様に自分が生きているという考えをやめなさいと言ったとします。そうすると、国家の主権者が言うのだから、しようがないからやめよう、やめることにしておこうと、不承不承に承知されるでしょう。しかし、本当に承知したことにはならないのです。

自分が生きているという考え方を、表面的には撤回するでしょうが、腹のなかでは自分が生きているという考えは、いぜんとして持っているにきまっているのです。じぶんが生きているという気持ちがまちがっていることを、何百万回言われても、命令されても、だめなのです。

しかし、自分自身が、自分が生きているという事実がないことを悟れば、自分が生きているという考え方を、やめなさいといわれなくてもやめなければならないことになるでしょう。そうすると、死を撲滅させることができるのです。現世に生きている間に、人生観の中から死が消えるのです。これしか死を自滅させるしか方法はないのです。道元禅師がいっている生死のうちに仏あれば、生死なしというのがそれなのです。

真理を悟ること、真理を悟れば、自分がいないことが勝手に分かるのです。そうすると現世に生きている自分は消えてしまいます。現世に生きている自分が消えてしまえば、その人は死ななくなるのです。

死の則を自滅させるためには、死それ自体に、死は役に立たないものだ、死は嘘だということを理解させて、自滅させる方法しかないのです。

死の則の本源が、旧約聖書に言われています悪魔なのです。自分が生きていると考えていることは、知らず知らずのうちに、悪魔のとりこになっているということなのです。世界人類全体は、悪魔のとりこになっているのです。

死を自滅させるためには、一つの仕事をはじめるしかないのです。この仕事が、約束というものなのです。約束とは何かといいますと、例えば地球ができたのが、仮に五十億年以前とします。五十億年前には地球があったが、それ以前には地球はありません。地球がなかった時の状態では、時間、空間の測定の方法がなかったのです。つまり時間や空間がなかったのです。

地球が発生してから、時間や空間が自然に発生してきました。時間を明確に測定できるようになったのは、人間自身が文化的に生活できるようになってからなのです。それまでは、時間があっても、なかったのと同じことなのです。神以外の人格が、時間が存在することを認識しなければ、時間があってもないことと同じことになります。

神が時間をつくったとしても、人間が時間を承認しなければ、時間はないのと同じことなのです。そこで、時間や空間を認識するかしないかということは、神が時間をつくったという問題と、重大な関係になるのです。神が時間や空間をつくった所で、人間が認めなければ、こんなものはないのです。

神が約束をつくったのは何のためかといいますと、死をなくすためなのです。死を自滅させるためには、約束という方法しかないのです。約束とはどういう意味かといいますと、時の流れという方法を神は用いたのです。時間が流れるということです。

つまり神が未来を発生させたのです。未来を発生させたということが、約束をつくったことなのです。約束というのは、未来を規定する言葉なのです。未来を予想することです。今日はこうであるが、明日はこうだというような未来性に基づいて考えることが、約束という方式なのです。今は実現していないが、未来に実現するということは、約束なのです。

地球が造られたのは、約束的原理にもとづいて、時間と空間が発生したのです。ところが、もっと要約して言いますと、実は時間はないのです。人間は時間があると考えています。時計が動いているから時間があると考えています。これは非常に幼稚な考えです。時計は時間を測定する機械なのです。

実は時間は存在していないのです。現在の学問では、時間が存在することを証明することは不可能なのです。どんな実験でも、時間が存在することを明確に証明することは不可能なのです。そうしますと、空間も存在しないことになるのです。時間や空間は、自然科学の概念にもとづいて、生活の方便として仮にもうけている概念にすぎないのです。学問は、人間が造り出した方便であって、実体ではありません。真実ではないのです。人間の考え方、世界観や価値観が、時間、空間の理論になって、現れているだけなのです。

そうしますと、時間があるように考えている実体は何であろうか、こういうことは、今日の学問では説明できないのです。人間が生きていることに関する基本的な問題が、説明できないのです。これが、近代文明の世界観が根本的にまちがっている理由なのです。

神は約束を造ったのです。これが時が流れているように人間が考えている原則なのです。これがしっかり分からなければ、地球が何のために造られたのか、どのように地球が保たれているかということの、本当の説明はできません。

だいたい、地球存在の本源は、論理ではなくて、ロマンなのです。ロマンの本当の意味が分からなければ、命は分かりません。

ユダヤ人がなぜ地球上を流浪しているかということですが、ユダヤ人は約束を正確にとらえることができないのです。近代文明の学問という思想にとらわれてしまっています。逆に言いますと、近代文明の世界観は、ユダヤ人によって造られたのです。

あらゆる学理学説の基本原理は、ほとんどユダヤ人によって提出されたものばかりです。教育、経済、政治、科学の中心は、ほとんどユダヤ人の案出によるものなのです。

 そういうわけでありまして、ユダヤ人の概念によって地球文明が制約されていることは、公然の秘密なのです。ユダヤ人が、唯物的、即物的な世界観に基づいて生きています。だから、神の約束の原理が分からないのです。

神の約束は、地球存在の原点に立って考えなければならないのです。ところが、ユダヤ人は、自分達がこの世で生きているという生活概念に立ってしか神を見ていないのです。イスラエル民族が幸福であるかないかという、非常に近視眼的な、目の前のできごとだけにかかわって、神の約束を捉えている。こういう見方は、神から見れば全く問題にならないのです。

旧約聖書は、ユダヤ人に対して書かれたものなのです。ユダヤ人以外の民族、異邦人のためではないのです。だから、日本人などに、地球存在の原理は分かるはずがないのです。従って、日本人には生命の原理はまるで分からないのです。

日本人はいいとしても、神の約束の民であるユダヤ人が、とんでもない考え違いをしています。現世で国家を追っていること、自分達が生存する状態からだけ神の約束を受けとめて、神のご利益があるようにという宗教的な考えをもっているのです。これが神にとっては鼻持ちならないのです。神は、旧約時代に何回も予言者を通して反省を促したのですが、どうしても彼らは反省しません。ついに生みたまえる一人子なるイエスをつかわして、ユダヤ人に一か八かの反省を促しました。しかし、そのイエスをつかまえて殺してしまったのです。

その結果、ユダヤ人は神の約束の民族であるという特権を没収されて、世界の流浪の民となっているのです。屋根の上のバイオリン弾きという映画がありましたが、あれがユダヤ人の典型なのです、ユダヤ人の典型的な生活は、安住の地がないのです。神にいじめられ、追いたてられているのです。

ところが、ユダヤ人が、世界の経済的、政治的、軍事的な意味で、キヤスチング・ボートをにぎっています。現在、ヨーロッパを動かしているのはユダヤ人です。ニューヨークのウォール街の中心もユダヤ人です。

ユダヤ人は、神の約束を正しく捉えることができないのです。死を自滅させるために、神は約束をユダヤ人に提示したのですが、神の方針を正確に理解することができないために、今、ユダヤ人は流浪しているのです。ヒットラーによって、六百万人のユダヤ人が殺されたのは、神にいじめられている証拠なのです。

ユダヤ人は神の約束を理解していないのですけれど、伝統的に非常に優秀な民族です。このユダヤ人が・現代文明をつくっているのです。現代文明の世界観が、人類を滅亡させることになっていくのです。現代文明は、今や自滅寸前にあるのです。

時間がないということをもう少しお話しておきますと、時間というのは瞬間しかないのです。観念的には、一年前とか、十年前とかいいますけれど、実体的に存在する時間というのは、今だけなのです。「今というまに今はなし、今というまに今はすぎゆく」これが時間の実体なのです。これしか、時間はないのです。本当に存在するのは、今だけなのです。命を正確につかまえるためには、今という瞬間の実体をつかまえるのです。これが神なのです。

永遠というのは、今という瞬間をとらえることです。実在の時間を、正確に、つまり客観的にとらえるのです。主観的にはだめです。これが本当の命をつかまえることなのです。

先に、「今というまに今はなし、今というまに今はすぎゆく」と言いましたが、又この反対がいえるのです。「今といいつつ今はあり、今という今、とこしえの今」ということです。今という今を、正直に生きることです。今をごまかさないで生きることが、とこしえの命を提える方法なのです。これは最も端的な方法であって、大人の考えではだめです。大人は今を正直に生きることはできません。できるだけ子供の感覚になって頂きたいのです。誰でも子供の時があったのですから、子供の感覚に帰ってお考えになれば、とこしえの今がつかまえられます。利害得失を離れて、今の命をはっきり生きるのです。そうすると、死なない命が分かるのです。

イエスは、今という神を生きたのです。日本で考える神とは、全然違います。キリスト教で考える神とも違います。宗教観念とは何の関係もない、今という神です。ザ・リビングという神なのです。これをつかまえれば、始めて本当の安心が分かるのです。本当の自由が分かるのです。自由とか安心は、本当の命を捉えた感覚をさすのです。これが死をのりこえる自由なのです。