吸血鬼文学は御存知の通り、古今東西膨大な量が書かれています。そして今現在も新たな吸血鬼小説が次々と産声をあげています。吸血鬼が小説の題材としていかに優れているか、いかに作家の感性を刺激してやまないものかを証明するかのようです。私達は短い生の中で、その全てを目にすることはとても不可能でしょう。
 ここではそんな彼等の魅力を伝える作品達を長篇・短編問わず、書かれた年代順に出来るだけ集めてみたいと思います。
 文献目録は、まだまだ製作中で、項目は順次追加していく予定です。また、私が読了したものに関しては、簡単な内容、作品の解説、書かれた経緯や感想などを添えさせて頂きました。皆様が吸血鬼の物語を探す一助となれば幸いに思います。
 コメントの頭の年号は作品が発表された年、名前は作者です。邦訳が有るものは()で括って掲載されている本と翻訳者を記しました。アンソロジーの場合はそこでのタイトルを「」で括り、その訳者を後ろに書きました。現在絶版になっている本も含みますのであらかじめご了承下さい。

「死者よ目覚めるなかれ」
1800年。ヨハン・ルートヴィヒ・ティエック。
「O伯爵夫人」
1805年。ハインリヒ・フォン・クライスト。
「セラピオンの兄弟」
1818〜21年。E・T・A・ホフマン。
「吸血鬼」
(新人物往来社『怪奇幻想の文学1 深紅の法悦』平井呈一訳他/1969年 「吸血鬼」平井呈一訳)
(河出文庫『ドラキュラドラキュラ』種村季弘編/1985年 「吸血鬼」佐藤春夫訳)
1819年。ジョン・ポリドリ。1816年夏、スイスのジュネーヴ湖畔にあるバイロン卿の別荘に集まった4人、パイロン卿、詩人のシェリー、メアリ・ゴドウィン(のちのシェリー夫人)、バイロンの主治医ジョン・ポリドリは怪奇小説をそれぞれ書くことを約束した。夭逝したシェリーを除く3人はのちに約束通り怪奇小説を書く。それが『フランケンシュタイン博士の怪物』(シェリー夫人)『断片』(バイロン卿、未完)そしてこの『吸血鬼』(ポリドリ)である。このポリドリの「吸血鬼」は出版社の故意か過失か、当初バイロン作として世に発表され、爆発的な人気を呼び、各地で劇化された。物語に出てくるルスヴン卿はバイロン卿がモデルになっている。
「吸血鬼ルトヴァン卿」
1820年。シプリアン・ベラール。
「島の花嫁」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「島の花嫁」玉木享訳)
1820年。ジェイムズ・ロビンソン・プランシェ。バイロン卿の(本当の作者はポリドリだが)「吸血鬼」が各地の劇場で公演されることになると、いずれの劇場でもその「ノベライゼーション」が販売されるようになった。この作品もそんなノベライゼーションの一つである。
「スマラ、夜の悪霊」
1820年。シャルル・ノディエ。
「ラ・グスラ」
1827年。プロスペル・メリメ。
「骸骨伯爵-あるいは女吸血鬼-」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「骸骨伯爵−あるいは女吸血鬼−」浜野アキオ訳)
1828年。エリザベス・グレイ。ロンドンの週刊三文小説『カスケット』に連載された、シリーズ物としては最も早い時期に書かれた吸血鬼小説。主人公であるラーフェンズブルク城のロドルフ伯爵は悪魔との契約で永遠の命を手に入れたが、その契約の見返りとして、夜な夜な肉のない骸骨に変貌してしまう。吸血鬼なのは彼が霊薬で蘇らせた美少女ベルタ・クルテル。
「ヴィイ」
1833年。ニコライ・ゴーゴリ。
「死女の恋」
(創元推理文庫『怪奇小説傑作集4』青柳瑞穂・澁澤龍彦訳/1969年 「死女の恋」青柳瑞穂訳)
(現代教養文庫『フランス幻想小説 吸血女の恋』小柳保義訳/1992年 「吸血女の恋」小柳保義訳)
(国書刊行会『書物の王国12 吸血鬼』須永朝彦訳他/1998年 「クラリモンド」芥川龍之介訳)
1836年。テオフィル・ゴーティエ。24歳まで神が人生の全てだった敬虔な神学生ロミュアールは、叙階式の日に出会ったクラリモンドに一目惚れしてしまう。やがてクラリモンドは死し、吸血鬼となって蘇りロミュアールを訪ねる。そこから彼の、昼は司祭、夜は放蕩貴族という奇妙な二重生活が始まる。クラリモンドがとにかく愛らしい。これほど愛らしい女吸血鬼はまったくもって珍しい。作品の最後は「女性に目を奪われるな」といった教訓話として終わっているのだが、むしろ作者の本意はその直前のロミュアールの言葉「神の愛は彼女のような愛を償って余りある程大きなものではない」にこそ集約されているように思えてならない。この作品は早くは芥川龍之介の手によって日本に紹介されていた(彼が原本にしたのはラフカディオ・ハーンの英訳版『クラリモンド』)。
「リジィア」
1838年。エドガー・アラン・ポオ。
「吸血鬼ヴァーニー」
(月刊ペン社『アンソロジー恐怖と幻想1』矢野浩三郎編/1971年 「恐怖の来訪者」武富義夫訳)
(角川文庫『怪奇と幻想1 吸血鬼と魔女』矢野浩三郎編/1975年 「恐怖の来訪者」武富義夫訳)
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「吸血鬼の物語」浜野アキオ訳)
1847年。ジェイムズ・マルコム・ライマー。長い間、英国初の吸血鬼小説だと思われていたが、『骸骨伯爵』の発見によりこの説は覆された。また、著者についてもトマス・ベケット(プレスケット)・プレストだという説が有力だったが、その後の研究でライマー説が有力になった。一人称で語られたエピソードを含む最初の吸血鬼小説として重要な作品である。月光を浴びると蘇るというスラブの言い伝えに基づき、ヴァーニーも月光で復活することが出来る。本邦では残念ながら全訳は出版されていないようである。
「ヴルダラクの家族」
1847年。アレクセイ・トルストイ。
「蒼白の貴婦人」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「蒼白の貴婦人」浜野アキオ訳)
1848年。アレクサンドル・デュマ・ペール&ポール・ボカージ。現在、吸血鬼達の伝説上の故郷とされているトランシルバニアのカルパティア山脈を舞台にした最初の作品として重要。アレクサンドル・デュマと言えば、「三銃士」や「モンテクリスト伯」などの冒険物が有名だが、ポール・ボカージはその彼を「巨匠」として慕っており、この作品についてはどちらがどれほど関与して作られたかは議論の別れる所のようだ。吸血鬼物とは言え、あくまでそれはテイストで、中心に語られるのは一人の女性を愛する二人の男性の、よくある物語といったところ。
「謎の男」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編・小倉多加志訳/1980年 「謎の男」小倉多加志訳)
1860年(英訳)。作者不詳。ストーカーが「ドラキュラ」を執筆する上で影響を受けた作品の一つに数えられる。吸血鬼が狼をあやつる描写や、貞淑な女性と奔放な女性の登場など「ドラキュラ」との類似点も多い。もともとドイツ語で書かれたものが、1860年に英訳されて雑誌『オッズ・アンド・エンズ』に掲載されたもので、成立年代・作者は全くの不明である。似たようなものの多い古典的吸血鬼譚の中では、キャラクターの描写力・構成力のなど、かなり良い出来の作品である。
「ヴィクラムと吸血鬼」
1870年。サー・リチャード・バートン。
「カーミラ」
(新人物往来社『怪奇幻想の文学1 深紅の法悦』平井呈一訳他/1969年 「吸血鬼カーミラ」平井呈一訳)
(創元推理文庫『吸血鬼カーミラ』平井呈一訳/1970年)
1872年。ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ。かのブラム・ストーカーもこの作品にイマジネーションを受けて「ドラキュラ」を執筆したという。魅力的な女吸血鬼を描いた、レズビアニズムただよう作品で、物語はカーミラに迫られる女主人公ローラの手記という形で語られる。ヴァンパイア・ハンターも登場する、オーソドックスな吸血鬼小説である。
「吸血都市」
1875年。ポール・ウィーヴァル。
「人食いの木」
1881年。フィル・ロビンソン。
「白い肩の女」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「白い肩の女」風間賢二訳)
1887年。ジュリアン・ホーソーン。この作品はアメリカの作家の筆による最初期の吸血鬼小説である。さらにブラム・ストーカーがこの作品を目にしていた可能性もあり、彼の想像力を刺激した作品の一つであるやもしれないとされる。主人公は、アイルランドを旅行後に人が変わったようになってしまった友人ケニンゲールを訪ねる。画家にして音楽家、詩人でもある彼の家で、主人公は彼に一年前プレゼントしたバンジョーを目にする。それは200年以上の歳月を経てきたかのように古びていて…。吸血鬼である「白い肩の女」はおそらくリャナン・シーやデアルグ・デュと言ったアイルランドの妖精をモデルとなっている。
「オルラ」
(月刊ペン社『アンソロジー恐怖と幻想1』矢野浩三郎編/1971年 「オルラ」大友徳明訳)
(角川文庫『怪奇と幻想1 吸血鬼と魔女』矢野浩三郎編/1975年 「オルラ」大友徳明訳)
1887年。ギィ・ド・モーパッサン。オルラはブラジルからやってきた目には見えない吸血鬼である。吸血鬼…とは言ってもこの話を読む限り吸血シーンなどは無く、どちらかといえば生体エネルギーの様なものを吸い取る吸精鬼とでもいうようなものか。このオルラに取り付かれた主人公の狂気にかられていく様が日記という形で語られる。著者のモーパッサンはこの物語を書いた約4年後に自殺未遂を起こしており、さらに1年半後に発狂して死亡している為、モーパッサンの精神と物語の主人公の精神をどうしても重ねてしまう。
「寄生者」
1894年。サー・アーサー・コナン・ドイル。
「ユダのキス」
1894年。X・L。
「夜ごとの調べ」
(国書刊行会『書物の王国12 吸血鬼』須永朝彦訳他/1998年 「夜ごとの調べ」加藤幹也・佐藤弓生訳)
1894年。スタニスラウス・エリック・シュテンボック伯爵。吸血鬼に魅入られ、破滅した家族の唯一の生き残りである女性による回想録。レ・ファニュの「カーミラ」同様、この物語のヴァルダレク伯爵も同性愛的な吸血鬼である。舞台もオーストリアのスチリア地方と同様。作者であるシュテンボック伯爵は奇矯なロシア貴族で、柩の中に眠り、常に肩にペットの蛙を乗せ、食事も一緒に採っていたという。
「ドラキュラ」
(創元推理文庫『吸血鬼ドラキュラ』平井呈一訳/1971年)
(水声社『ドラキュラ 完訳詳注版』新妻昭彦・丹治愛訳/2000年)
1897年。ブラム・ストーカー。吸血鬼と聞けば誰もが思い浮かべる程、余りにも有名な作品。物語は複数の人物の日記や手紙、あるいは新聞記事という形をとって語られる。ドラキュラ伯爵の、時に野蛮な姿に、吸血鬼フリークの間では賛否両論あるようだが、構想・プロット・キャラクターの書き分け、見せ場など、どれをとってもまさに一級品であることは間違い無い。あえてここでくどくど説明するまでも無い、吸血鬼を語るならまずは必読の書である。邦訳も多数出ているが、入手しやすいのは創元推理文庫のもの。また、2000年に出版された水声社の「ドラキュラ」は原本をより忠実に訳したもので、注釈・関連資料が充実している。
「ベールブラウ荘奇談」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「ベールブラウ荘奇談」小倉多加志訳)
1898年。E&Hヘロン。フラックスマン・ローというオカルト探偵を主人公としたシリーズものの1作。ミイラ×吸血鬼という一風変わった吸血鬼が登場する。
「サラの墓」
1900年。F・G・ローリング。
「ソーホールの土地のグレッティル」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「 ソーホールの土地のグレッティル」玉木亨訳)
1903年。フランク・ノリス。物語の舞台は氷に閉ざされた極寒のアイスランド。荒野を彷徨い歩くこのおぞましい存在は、吸血鬼と言うよりもむしろフランケンシュタインの創造物を彷彿とさせる。物語の元になったのは北欧神話の「グレッティル・サーガ」である。読み比べてみたが、内容はほとんど同じだった。
「マグナス伯爵」
(月刊ペン社『アンソロジー恐怖と幻想1』矢野浩三郎編/1971年 「マグナス伯爵」各務三郎訳)
(角川文庫『怪奇と幻想1 吸血鬼と魔女』矢野浩三郎編/1975年 「マグナス伯爵」各務三郎訳)
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「マグナス伯爵」小倉多加志訳)(創元推理文庫『M・R・ジェイムズ怪談全集1』/2001年 「マグナス伯爵」紀田順一郎訳) 
1904年。モンタギュ・ローズ・ジェイムズ。主人公ラクソール氏の残した手記を元に、後世の作者が起こした物語という形をとっている。実際に作者のM・R・ジェイムズは考古学者・古文書研究家として多くの写本や古文書の編纂翻訳を行っている為、まるでノンフィクションであるかのような、奇妙な錯角にとらわれる。ラクソール氏はその詮索癖から次第に3世紀も昔のマグナス伯爵に興味を惹かれていく。「マグナス伯爵、一度はお目にかかりたいものですねぇ」彼が声に出してそう呟く度、棺の錠が一つづつ外れていく…。長い間、入手困難になっていた作品だが、2001年に創元推理文庫からM・R・ジェイムズ怪談全集が発売されたお陰で現在は入手可能。
「吸血鬼」
1907年。ルイージ・カプアナ。
「血の呪物」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「血の呪物」玉木亨訳)
1908年。モーリー・ロバーツ。アフリカの呪術を主題に採った、一風変わった吸血鬼ものだが、これがまた面白い。切断された手が呪術によって蘇り、生き物の血を啜って行くのだが、ふと気がつくと勝手に置き場所が変わっている手に、静かな恐ろしさがある。普通の恐怖ものとしてみてもかなりの完成度。
「血は命の水だから」
(角川文庫『怪奇と幻想1 吸血鬼と魔女』矢野浩三郎編/1975年 「血は命の水だから」深町真理子訳)
1911年。F・マリオン・クロフォード。月の光を浴びて墓の上に浮び上がる死体の輪郭。奇妙な物語はここから始まる。夜毎に血を吸われ、弱りきって朝を迎えるアンジェロは、今宵こそ一晩ぐっすり眠ろうと心に誓うが、その意に反して夜が訪れると吸血鬼の待つ渓谷への道を辿ってしまう。吸血鬼の持つ抗いがたい魅力に身も心も奪われていく描写が耽美な作品。ちなみに、この物語の吸血鬼は、実体の薄い、どちらかと言えば幽霊に近い存在である。
「アルラウネ」
1911年。ハンス・ハインツ・エーヴェルス。
「塔のなかの部屋」
1912年。E・F・ベンソン。
「移植」
1912年。アルジャーノン・ブラックウッド。
「吸血鬼」
1912年。レジナルド・ホダー。
「寺院史夜話」
1919年。M・R・ジェイムズ。
「アムワース夫人」
1919年。E・F・ベンソン。
「吸血鬼」
1922年。ハンス・ハインツ・エーヴェルス。
「四本の杭」
1925年。ヴィクター・ローワン。
「悪魔の恋人」
1927年。ダイアン・フォーチュン。
「シャンブロウ」
1933年。C・L・ムーア。
「黒の告知」
(新人物往来社『怪奇幻想の文学1 深紅の法悦』平井呈一訳他/1969年 「黒の告白」仁賀克雄訳)
(原書房『吸血鬼伝説 ドラキュラの末裔たち』仁賀克雄編/1997年 「黒の啓示」仁賀克雄訳)
(岩崎書店『恐怖と怪奇名作集8 吸血鬼』矢野浩三郎訳/1999年 「黒の告知」矢野浩三郎訳)
1933年。カール・ジャコビ。ラヴクラフトの「クトゥルフ神話」の様な独特の雰囲気を持った短編作品。「カーミラ」の流れをくんでいるような古典的女吸血鬼が出てくる。作品全体に漂う幻妖さは良いが、吸血鬼を倒すくだりはあっさりし過ぎの感が有る。
「墓地の管理人」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「墓地の管理人」小倉多加志訳)
1934年。ジャン・レイ。雑誌「ウィアード・テールズ」に発表された短編。墓場の管理人になった犠牲者が、日記を交えた独白の形でおぞましい吸血鬼について語る。
「生ける亡者の恐怖」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「生ける亡者の恐怖」小倉多加志訳)
1936年。マンリイ・ウェイド・ウェルマン。人狼と吸血鬼には密接な関係が有ると言われる。この話はそのうち、特に「人狼は死後、吸血鬼となる」という伝説に着目して書かれたもの。
「ヘンショーの吸血鬼」
(角川文庫『怪奇と幻想1 吸血鬼と魔女』矢野浩三郎編/1975年 「ヘンショーの吸血鬼」浅倉久志訳)
(岩崎書店『恐怖と怪奇名作集8 吸血鬼』矢野浩三郎訳/1999年 「吸血鬼」矢野浩三郎訳)
193?〜4?年。ヘンリー・カットナー。一見オーソドックスな恐怖物語と思わせておきながら、実は意外な結末が待っている。ここではこれ以上のネタばらしは出来ないので、気になる方は一読を。吸血鬼が前面に押し出されているわけではないが、非常に完成度の高い作品で、お勧めの短編。
「カルデンシュタインの吸血鬼」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「カルデンシュタインの吸血鬼」小倉多加志訳)
1938年。フレデリック・カウルズ。「ドラキュラ」を下敷きにした短編。特に目新しいことは無し。
「外套」
1939年。ロバート・ブロック。
「川の向こうに」
1941年。P・シュイラー・ミラー。
「コウモリはわが兄弟」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「コウモリはわが兄弟」小倉多加志訳)
1944年。ロバート・ブロック。一人の若者が、吸血鬼として目覚め、その血親と決別するまでの物語。
「生ける亡者の死」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「生ける亡者の死」小倉多加志訳)
1948年。E・エヴァレット・エヴァンズ。無理矢理吸血鬼にされながら、人間性や愛を失わなかった恋人達を描いた物語。ホラーというよりファンタジーのような雰囲気を持つ作品。美しく、悲しい話なのだが、短編であるがゆえ、エピソードが少々あらすじ的書かれ方なのが残念。
「飢えた目の少女」
1949年。フリッツ・ライバー。
「地球最後の男」
(ハヤカワ文庫NV『地球最後の男』田中小実昌訳/1977年)
1954年。リチャード・マシスン。吸血バチルスというバクテリアが蔓延し、一人の男を残して皆が吸血鬼になってしまった地球が舞台のSF。かつての隣人達を相手どり孤独な戦いを続ける男が、次第に「吸血鬼」の謎を解きあかしていく。吸血鬼は何故十字架を嫌うのか。何故杭打ちで灰になるのか。何故ニンニクに寄りつかないのか。作品が書かれてほぼ50年経つのだが、その理論に古さを感じさせない。作品の中盤で主人公が自分の他の唯一の生き残りと思われる犬を発見し、共に暮らそうとするエピソードがあるのだが、私はこのエピソードが物語中一番好きだ。特に犬好きの方は涙無しに読めないこと請け合いである。この物語の原題は「I AM LEGEND」というのだが、タイトルに相応しい皮肉な結末が待っている。余談だが藤子不二雄がこの作品にオマージュを捧げた「流血鬼」というSF短編漫画を描いている。
「ザ・リヴィングデッド」
1957年。ロバート・ブロック。
「きみの血を」
(ハヤカワポケットミステリー『きみの血を』山本光伸訳/1971年)
1961年。シオドア・スタージョン。無口で真面目なGIが上官を飛びかかろうとしたのは何故か。この物語はある一人の男が凶行に及んだ理由を、精神科医が分析していく一風変わったミステリーである。精神分析の手法がリアルで、報告書ややり取りされる手紙など、フィクションであると断わり書きされているにも関わらず、実話のような気がしてしまう。
「血の兄弟」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「血の兄弟」小倉多加志訳)
1963年。チャールズ・ボーモント。吸血鬼のパロディ小説。吸血鬼になってしまったとある男が、精神科医にカウンセリングを受ける話。そこそこ面白いのだが、オチがイマイチ。
「海はどこまでもぬれにぬれ」
(新潮文庫『血も心も』エレン・ダトロウ編・小梨直訳/1993年 「海はどこまでもぬれにぬれ」小梨直訳)
1967年。ゲイアン・ウィルスン。昨今、童話の残酷さが世間で話題になった。この物語は、まさにその「童話の残虐性」に主題をとっている。この童話の人物はほのぼのと友好的に近付き、そして命を奪って行く。そこには何の説明も無い。まるで「死」そのもののように。
「ドラキュラ文書」
1972年。レイモンド・ルドルフ。
「吸血鬼実在の研究」
1974年。マーク・ローヴェル。
「呪われた町」
(集英社文庫『呪われた町(上・下)』永井淳訳/1983年)
1975年。スティーヴン・キング。デビュー作「キャリー」に続く、キングの2作目の作品。ストーカー以来の伝統的な手法で吸血鬼譚が語られるが、それだけに終わらないのはさすがベストセラー作家のキング。この物語で殺されるのは「町そのもの」なのである。ねずみ算的に増えていく吸血鬼の恐怖を、とくと御賞味あれ。
「ドラキュラ・テープ」
1975年。フレッド・セーバーハーゲン。
「夜明けのヴァンパイア」
(ハヤカワ文庫『夜明けのヴァンパイア』田村隆一訳/1987年)
1976年。アン・ライス。吸血鬼の視点でその苦悩・愛憎を語ることに主題がおかれた、恐らく最初の作品。この作品より以降、吸血鬼小説は一段階進化を遂げる。のちに『ヴァンパイア・クロニクルズ』としてシリーズ化するが、この最初の作品だけ主人公は元農園主のヴァンパイア・ルイで、記者が彼にインタビューするという設定でルイの苦悩の過去が語られる。1994年には映画化(インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア)もされたので、御存じの方は多いだろう。ライスの繊細な描写を是非堪能されたし。
「宇宙ヴァンパイアー」
1976年。コリン・ウィルソン。
「変身」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編・小倉多加志訳/1980年 「変身」小倉多加志訳)
1976年。ラムジー・キャンベル。一読して思うことは「やられた!」。そして必ずもう一度読み返してしまう短編。トリッキーで味わい深い作品なので、見かけたら一読を。
「最後の手段」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「最後の手段」小倉多加志訳)
1976年。デイヴィッド・ドレイク。吸血鬼によって戦友を失った男が、吸血鬼に復讐をする物語。
「夜だけの男」
(ハヤカワ文庫NV『ドラキュラのライヴァルたち』マイケル・パリー編/1980年 「夜だけの男」小倉多加志訳)
1976年。スティーヴン・アトリー。古典的吸血鬼は大抵、田舎の村落のはずれに屋敷を持って、訪れる者を餌食にするのがパターンだが、最近の吸血鬼は住処として大都会を選んでいるようだ。そして大都会は吸血鬼にすらため息をつかせるような残忍な事件に満ちている。短いが、そんな社会風刺に満ちた作品。
「血の正義」
1977年。ピーター・トリメイン。
「新・死霊伝説(<ジェルサレムズ・ロット>の怪)」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「新・死霊伝説(<ジェルサレムズ・ロット>の怪)」高畠文夫訳)
1977年。スティーブン・キング。キングが、1800年代に実際に起こった事件をもとにして書いたもので、彼のお気に入りの作品の一つらしい。映画の原作として執筆された。
「シャーロック・ホームズ対ドラキュラ」
(河出文庫『シャーロック・ホームズ対ドラキュラ あるいは血まみれ伯爵の冒険』日暮雅通訳/1992年)
1978年。ローレン・D・エルスマン。この物語は、「1897年にワトスンが書いた知られざるホームズ譚のひとつである」という体裁をとっている。それによると、なんとヴァン・ヘルシング教授一行との対決の合間に、ドラキュラ伯爵はホームズともやりあっていたというのだが、本当だとするとなんとも忙しい話では有る。ホームズものとドラキュラ、どちらか一方(あるいは両方)を知っている方なら、ニヤリとする場面が幾つも有るはず。ただ、あくまでパロディとして楽しいというだけで、物語それ自体の出来にはいささか疑問符が付く。ちなみに本家ドイルの短編「サセックスの吸血鬼」でホームズは、吸血鬼の実在を真っ向から否定している。
「ホテル・トランシルヴァニア」
1978年。チェルシー・クイン・ヤーブロ。
「草原の吸血鬼」
(SFマガジン1981年6月号『草原の吸血鬼』室住信子訳/1981年)
※情報提供・資料提供=ちっぱー様。有難うございます。(以下、シリーズ全て同様)※
1979年。スーザン・C・ピートリイ。ユーラシアの草原地帯でその住民達に医術を施し、報酬として少しの血をもらい生きる吸血鬼を描いたシリーズの一作目。主人公はスパリーンという破天荒な若者である。馬に親しみ、吸血鬼でありながら人と共に生き、歳を取り、結婚できないことを悩む彼らの姿には超越者には無い、等身大の親しみを感じた。作者のピートリイは医療技術者であったため、物語の吸血鬼達が施す医療にもその知識の片鱗が伺える。寡作な上に、35才の若さで亡くなってしまったことが非常に惜しい。
「癒しの手」
198?年。スーザン・C・ピートリイ。「草原の吸血鬼」で名前だけの登場だったスパリーンの兄ヴァイランスが主人公の物語。弟のスパリーンとは全く正反対の真面目で冷静な彼が、妹の命を救うため黒水熱(マラリア)の治療法を教わりにロシア人の医者の元を訪れる。医学の交流を通じて異種族が心の交流をする、心あたたまる物語である。
「ユニコーン・タペストリ」
1980年。スージー・マッキー・チャーナス。
「サベラ、血の石」
1980年。タニス・リー。
「スパリーンとコサックたち」
(SFマガジン1981年11月号『スパリーンとコサックたち』室住信子訳/1981年)
1981年。スーザン・C・ピートリイ。「草原の吸血鬼」シリーズ。今回はスパリーンとヴァイランスの兄弟が共同作業で治療に当たる…のはいいのだが、またしてもスパリーンがいざこざを起こしてしまい…。兄弟の性格の対比、それからなにかと姉さん風を吹かす金色の瞳の雌馬とスパリーンの会話が楽しい作品。
「治療の技」
198?年。スーザン・C・ピートリイ。「草原の吸血鬼」シリーズ。吸血鬼ヴァイランスが治療に必要な輸血の知識を得るため「夢歩き」をし、1845年のロシアから1979年のアメリカへとやってくるという、シリーズ中一番SF色の濃い作品。そこで出会った臨床検査技師マーナはヴァイランスの探し求める「狼の心を持つ女性」だった。個人的にはシリーズ中一番好きな作品。
「ささやかな変化」
198?年。スーザン・C・ピートリイ。「草原の吸血鬼」シリーズ。スパリーンは酒好きという悪癖の為に捕らえられ、窮地に陥る。何度痛い目に合おうと、それが過ぎてしまえばけろりと忘れてしまうスパリーンの性格が独特のユーモアで描かれている。
「スパリーンとトルコ馬」
198?年。 スーザン・C・ピートリイ。「草原の吸血鬼」シリーズ。このシリーズの吸血鬼達は馬との親和性が高い。スパリーンは意中の女性の為、野生の馬を捕らえるという、気の進まない仕事を引き受けるが…。
「ザ・キープ」
(扶桑社ミステリー『ザ・キープ(上・下)』広瀬順弘訳/1994年)
1981年。F・ポール・ウィルソン。舞台は吸血鬼のメッカ、トランシルヴァニア。ナチスとユダヤ、吸血鬼伝説に、隠し味としてクトゥルフ神話の魔道書を加えた伝奇ホラー。初盤〜中盤にかけての展開は非常に面白く、恐怖シーンの描写などツボを心得ていてよい感じなのだが、終盤で急にお約束な展開になってしまうのが個人的には遺憾。だが、娯楽小説としては面白い。マイケル・マン監督で1983年に映画化されたのだが、映画の方の出来は惨澹たるものだったらしい。
「ハンガー」
1981年。ホイットレー・ストリーバー。
「奴らは渇いている」
(扶桑社ミステリー『奴らは渇いている(上・下)』田中一江訳/1991年)
1981年。ロバート・マキャモン。一読して思いだすのはキングの「呪われた街」だが、スケールはこちらの方が大きい。こちらで食いつぶされる街は何とあのロサンジェルスだ。主人公が複数おり、複数の視点から語られる形式だが、時系列に沿って描かれているので混乱することはまず無いだろう。この手の侵略型吸血鬼小説の型通り、善と悪の戦いが描かれている。マキャモンの描写は実に具体的かつ細かいので、読んでいると映画を観ているかのように場面が映像として浮び、読むのが止まらなくなる。考えさせられるというよりはむしろ何も考えずに楽しむ、ハリウッド映画的な物語で誰にでも安心してお勧めできる作品。ただし、残念なことに出版者在庫切れで再版未定のようなので、入手は困難である。
「夜の世界の吸血鬼」
1981年。ディヴィッド・ビショフ。
「ドラキュラ伯爵」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「ドラキュラ伯爵」浅倉久志訳)
1981年。ウディ・アレン。映画監督でありコメディアンであるウディ・アレンのドラキュラのパロディ小説。
「微妙な依存」
1982年。マイケル・タルボット。
「ダークエンジェル」
(ハヤカワ文庫FT『ダークエンジェル』井辻朱美訳/1987年)
1982年。メレディス・アン・ピアス。吸血鬼小説には珍しく、正統派ファンタジーである。吸血鬼ダークエンジェルは貴族的な優雅さと、残虐な中に冷たい美しさを備えた魅力的な悪役だが、ただの悪役には終わっていない。彼は心の中にある、ほんの少しの良心のせいで苦しんでいる。ストーリーの展開はややお約束な感があるのだが、ダークエンジェルに攫われてきた主人公が彼の妻達のために衣を織る所など、なかなか哲学的でよい。作者のピアスはこの作品が処女作で、当時23歳。みずみずしい感性が光る作品だ。
「フィーヴァードリーム」
(創元推理文庫『フィーヴァードリーム(上・下)』増田まもる訳/1990年)
1982年。ジョージ・R・R・マーティン。南北戦争直前のアメリカを舞台に繰り広げられる人間と吸血鬼の、友情と戦いの物語である。時代考証、精緻な描写、魅力的なキャラクターたちと相まって、読み始めてすぐに虜になる小説だ。美しい蒸気船フィーヴァードリーム号の描写など、本当に胸が高鳴るし、邪悪なダモン・ジュリアンとの対決は呼吸を忘れる程迫力がある。様々にはり巡らされた伏線と計算され尽くしたストーリーにはただただ圧巻される。文句無しに面白いので、特に吸血鬼が好きでなくても一読をすすめる。
「死者にまぎれて」
(新潮文庫『血も心も』エレン・ダトロウ編・小梨直訳/1993年 「死者にまぎれて」小梨直訳)
1982年。ガードナー・ドゾワ&ジャック・ダン。ナチスの強制収容所で生き延びようとする吸血鬼の物語。
「死は快楽」
(新潮文庫『血も心も』エレン・ダトロウ編・小梨直訳/1993年 「死は快楽」小梨直訳)
1983年。ダン・シモンズ。この物語の吸血鬼が餓えを満たす方法。それは、人間の精神に接触し、意のままにあやつることである。作品の冒頭で、三人の吸血鬼はそれぞれが関与して犯した殺人事件を公表し点数を競い合うというゲームをしている。近頃殺人事件のニュースを耳にすることが多いような気がしていた所へこの物語を読んだ。ひょっとして彼らの同族のせいかもしれないと、そんな風に思えてしまう。緊張感が漂う作品。シモンズはこの短編を元に長編小説を書き(邦題「殺戮のチェスゲーム」)、ブラム・ストーカー賞を受賞した。
「我は吸血鬼」
1984年。ジョディ・スコット。
「ヴァンパイア・ジャンクション」
1984年。S・P・ソムトウ。
「ヴァンパイア・レスタト」
(扶桑社ミステリー『ヴァンパイア・レスタト(上・下)』柿沼瑛子訳/1994年)
1985年。アン・ライス。ルイ視点で語られた前作とはうって変わって、この作品から物語はルイの血親、レスタト視点で語られることになる。物語の前半ではレスタトの人間時代が、後半ではヴァンパイアの紀元を求める遍歴の旅が描かれる。今や吸血鬼小説のカリスマ的存在であるレスタトの、魅力溢れる半生を堪能出来る。
「呪われし者の女王」
(扶桑社ミステリー『呪われし者の女王(上・下)』柿沼瑛子訳/1995年)
1988年。アン・ライス。上巻では様々な物語がオムニバス形式で語られる。ところどころにフラッシュバックするある場面が、下巻で重要な意味を持ってくる。この作品が構成的にはシリーズ中一番優れていると思う。魅力的な吸血鬼キャラクターが沢山出てくる。
余談だが2002年10月、日本でも映画が公開された。映画の内容は「ヴァンパイア・レスタト」と、この「呪われし者の女王」の一部分だけを
抜き出して継ぎ合わせたような作りで、そのシナリオにはかなり失望させられた…。小説の方が間違い無く面白い。
「十月の西」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「十月の西」伊藤典夫訳)
1988年。レイ・ブラッドベリ。ヴァンパイア“ファミリー”連作の一つ。
「石の夢」
(ハヤカワ文庫FT『石の夢(上・下)』浅井修訳/1993年)
1989年。ティム・パワーズ。史実と虚構を絶妙に取り混ぜて語られる妖美な吸血鬼譚。主要登場人物に何とあのバイロン卿やシェリイが!!それだけでも充分見ものだが、その上彼らの行動は全て史実に基づいているという。しかも、なんら話として整合性を欠いていないのは驚嘆に値する。この物語の吸血鬼はラミア、メデューサ、ネピリムなどのイメージが込められているものの非常に独特で、犠牲になった人間は生きているうちから太陽に弱くなったり、ニンニクの臭いに耐えられなくなったりする。また、吸血鬼の持つ「抗いがたい魅力」が実にうまく表現されている。
「乾杯!」
(新潮文庫『血も心も』エレン・ダトロウ編・小梨直訳/1993年 「乾杯!」小梨直訳)
1989年。ハーヴィ・ジェイコブス。生き血のヴィンテージにこだわる社交クラブの吸血鬼の物語。先が読めてしまうが、星新一が書きそうな感じのショートショート。
「夜はいい子に」
(新潮文庫『血も心も』エレン・ダトロウ編・小梨直訳/1993年 「夜はいい子に」小梨直訳)
1989年。エドワード・ブライアント。ネビュラ賞受賞作家の短編。ほのぼのとした作品で、子供達が魅力的に書かれている。「大人と子供は同じ部屋で寝てはいけない」この言い伝えが物語の鍵だ。オーソドックスなタイプの吸血鬼が出てくるが、本当の吸血鬼は…。
「闇の申し子」
(新潮文庫『血も心も』エレン・ダトロウ編・小梨直訳/1993年 「闇の申し子」小梨直訳)
1989年。スーザン・キャスパー。吸血鬼(あるいは嗜血症者)は「ポルフィリン症」で医学的に説明がつく、という記事を読んだキャスパーがインスピレーションを受けて書き上げた短編。ジョン・ヘイの「吸血鬼の告白」を思い出させる作品。
「ミッドナイト・ブルー」
(ハヤカワ文庫FT『ミッドナイト・ブルー』幹遥子訳/1997年)
1989年。ナンシー・A・コリンズ。印象的なキャラクター、ソーニャ・ブルーを主人公とした3部作の第1部で、コリンズのデビュー作でもある。我々の世界と重なって存在する「真世界」とそこに存在する魔物達---吸血鬼をはじめ、人狼や夢魔・熾天使などの設定は秀逸。ただ、かなりのバイオレンス&エログロなので、肌に合わないと読むのが辛い…。この第1部はソーニャの紹介編の感があり、宗教関係で事件が絡んでは来るものの、お世辞にも優れた構成とは思えない。しかし、この作品でコリンズはブラム・ストーカー賞とイカルス賞を(デビュー作にして)受けている。
「殺戮のチェスゲーム」
(ハヤカワ文庫NV『殺戮のチェスゲーム(上・中・下)』柿沼瑛子訳/1994年)
1989年。ダン・シモンズ。前述の短編「死は快楽」(『血も心も』所収)を元にして書かれた長篇大作で、シモンズの代表作。人の精神に接触して自由に操ることの出来るマインド・ヴァンパイアたちとその犠牲者の、壮絶な戦いの物語である。シモンズの作品の主人公達は満身創痍になりながらも前に進むことを諦めない、不屈の精神を持っているのが特徴と言えるが、この作品でも彼らはこれでもかというくらいの危機・極限状態に置かれる。テーマは「暴力」と「生きること」。前半のナチのホロコーストの話を含め全体的に重い話なのだが、その分いろいろ考えさせられ、得るものも多かった。「ヴァンパイア」を「悪」と定義するなら、まさにこの作品のマインド・ヴァンパイア達こそ「悪そのもの」であろう。だが「暴力」への欲求は、人間が生まれながらにして持っている、プリミティヴな欲求でもある。我々は誰でもマインド・ヴァンパイアになる素質を持っているのだとも言える。
「生命の家より」
1990年。チェルシー・クイン・ヤーブロ。
「ヴァンパイア・バスターズ」
1991年。ジョン・スティークレー。
「ゴースト・トラップ」
(ハヤカワ文庫FT『ゴースト・トラップ』幹遥子訳/1997年)
1991年。ナンシー・A・コリンズ。ソーニャ・ブルーシリーズの第2部。館ものホラーを目指しているようだが、館部分はそんなに多く出てこない。第1部よりもエログロさがかなり減って、物語の構成も良くなっている。ソーニャの血親、モーガンの野望が明らかになる。悪魔のマルフェイスがいい味を出している。
「肉体泥棒の罠」
(扶桑社ミステリー『肉体泥棒の罠(上・下)』柿沼瑛子訳/1996年)
1992年。アン・ライス。「レスタト」「呪われし者の〜」2作品の壮大なストーリーとはうって変わって、今回はレスタトの受難を中心にすえた対決の物語。吸血鬼になれるとしたら、それを拒むものはいないという信念を持ちつつも人間に憧れているというレスタトが人間の体を手に入れるわけだが…。彼がどのように肉体泥棒と対決するのかが見もの。
「夜の子供たち」
(角川文庫『夜の子供たち(上・下)』布施由紀子訳/1995年)
1992年。ダン・シモンズ。舞台はチャウシェスク政権崩壊直後のルーマニア。吸血鬼を、重症複合型免疫不全症により生きるために血が必要な遺伝子を受け継ぐ一族と設定し、政権崩壊後の混沌としたルーマニアの闇に見事蘇らせた。また、本文の間に挿入される「血と戦いの夢」はヴラド・ツェペシュの回想録になっており、彼の生涯を小説として読むことが出来る。シモンズはこの物語を書くためにルーマニアで現地取材するなどだいぶ詳しくリサーチしたようで、物語としても面白いのは言うまでも無く、これだけでかなりドラキュラとルーマニア通になれる。
「ドラキュラ紀元」
(創元推理文庫『ドラキュラ紀元』梶元靖子訳/1995年)
1992年。キム・ニューマン。ヴァン・ヘルシングが ドラキュラに破れていたら…という設定で、ヴィクトリアン・ロンドンを舞台に切り裂きジャック事件をからめたストーリーが展開する。作者はそうとうな吸血鬼マニアで、作中に出てくる吸血鬼はほとんどが別の小説・映画のキャラクターというこだわりよう。お馴染みのキャラクターたちが所狭しと顔を覗かせるのが楽しい。ただ、何も知らない人が読んで面白いのかどうかは疑問の余地有り。私としては、ある程度吸血鬼小説や映画を見た後、カルトクイズ的に読むのが良いかと思う。巻末に登場人物&吸血鬼の一覧が有るので、分からなかった吸血鬼はこちらで出典を確認できる。吸血鬼人物事典としては優れものなので、手元に1冊あって損は無い。
「ロスト・ソウルズ」
(角川ホラー文庫『ロスト・ソウルズ』柿沼瑛子訳/1995年)
1992年。ポピー・Z・ブライト。現代のアメリカを舞台に、吸血鬼と人間の間に生まれた主人公が自分の居場所を求めて旅立つ物語。ローティーンの頃というのは、吸血鬼ならずとも「自分の居場所」を探すものでは無いかと思う。この頃にミニ家出の経験を持つ人は意外と多いのでは?大抵は大人になってゆく過程で折り合いがついてゆくものなのだが、もし自分の居場所が本当の意味でここではないと知った時の疎外感や孤独感はいかほどのものかと思う。吸血鬼の魅力の一つは、この孤独感にあるのではないかと私は考えているが、孤独感で繋がれた絆というのは時に見ていて痛々しいものだ。この作品は所謂「耽美小説」で、同性愛的・近親相姦的な記述が多いので好き嫌いが有るかも知れないが、吸血鬼の孤独と痛みを伴う絆を描いた点ではとても優れている。
「死にいたる愛」
(扶桑社ミステリー『死にいたる愛』渋谷比佐子訳/1995年)
※推薦文=ハルオ様。有難うございます。「主人公の友人で、自称吸血鬼のピーターという人物がかなりサイコ入っていて、性格付けや殺人の仕方が、異色モノかもしれません・・・。」とのこと。※
1994年。デイヴィッド・マーティン。子供の頃の親友が、ある日突然「俺は吸血鬼になったんだ」と訪ねてきたらどうするだろうか?物語は「コツ、コツ」というノックの音から始まる。平穏な家庭を築き上げていた主人公はいつのまにか、遥か子供時代から続く因縁に縛られ、行き場を失ってゆく。このミステリーは犯人が初めから分かっているし、殺人の動機も初期に解明してしまうのだが、何と言っても一番のミステリーは主人公の元親友、ピーターその人のことだろう。彼はサイコで嫌悪感を感じさせる人物であるが、その純粋さ故にどこか物悲しくもある。それからピーターの持っている「ドンド」という人形がかなり不気味だった。現実と虚構の狭間をぬって描いているような、独特の雰囲気を持っている作品である。
「悪魔メムノック」
(扶桑社ミステリー『悪魔メムノック(上・下)』柿沼瑛子訳/1997年)
1995年。アン・ライス。これは吸血鬼ものというよりもキリスト教ものというか、一種宗教小説の様相を呈している。ライス版「神曲」とでもいうものか。吸血鬼たちがほとんど出てこないのが遺憾である。
「夜の悪魔」
(角川文庫『ヴァンパイア・コレクション』ピーター・ヘイニング編・風間賢二訳他/1999年 「夜の悪魔」玉木亨訳)
1995年。ピーター・トリメイン。映画「夜の悪魔」(1943年)は吸血鬼映画に幾つもの新しいシーンを取り入れたとして意味の有る作品で、吸血鬼が蝙蝠に変身するシーンや吸血鬼の姿が鏡に写らないといった特殊効果が使われていた。また、現在あまりにも有名になったドラキュラの偽名「アルカード伯爵」もこの映画で始めて使われた。この短編は、ユニバーサル映画のドラキュラ三部作の三作目「夜の悪魔」を小説として書き直したもの。
「ヴァンパイア奇譚 真紅の呪縛」
(早川文庫NV『<ヴァンパイア奇譚>真紅の呪縛』松下祥子訳/1997年)
1995年。トム・ホランド。自由をこよなく愛し、短いながらも劇的な生涯を送った天才詩人バイロン。この実在したヒーローが、作中では吸血鬼になり今も存在していて、その闇の生と苦悩を自らの血を引く女性に語る。早い話、インタビュー・ウィズ・バイロンである。著者のホランドはケンブリッジ大学在学中、バイロンの研究をしており、物語のバイロン卿も史実に基づいて行動している。同じくバイロン卿が主要人物として登場する「石の夢」と読み比べるのも面白い。雰囲気が似ているので「夜明けのヴァンパイア」が好きな人と、苦悩する吸血鬼が好きな人にお勧め。
「フォーリング・エンジェル」
(ハヤカワ文庫FT『フォーリング・エンジェル』幹遥子訳/1997年)
1995年。ナンシー・A・コリンズ。ソーニャ・ブルーシリーズ第3部。いよいよソーニャと血親のモーガン、それからソーニャのもう一つの人格である“彼女”との決着がつく。お気に入りシーンは1500年以上を生きた吸血鬼であるパングロス(モーガンの血親)が、吸血鬼を侵すことのできる唯一の病<倦怠>について語るシーン。さらに死せる吸血鬼がどうなるのか…その事実はかなり衝撃的だ。コリンズのすごいところは1部より2部、2部より3部と、どんどん話が面白くなっていっている所だろう。
「からっぽ」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「からっぽ」宮脇孝雄訳)
1995年。M・ジョン・ハリスン。人が老いを感じる時というのは案外些細なことだったりする。歳をとっても気分が若い者は若くみえるし、逆に老いたと思ってしまえば実際は若くとも年寄りである。この物語はそんな精神的な「若さ」を吸い取る吸血鬼の話である。
「吸血獣」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「吸血獣」小林理子訳)
1995年。ダイアナ・L・パクスン。北欧神話的世界を舞台にしたファンタジー。吸血鬼ものというよりは魔女ものなのだが、物語自体は良質。
「マードリン」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「マードリン」小林理子訳)
1995年。バーバラ・ハムリー。主人公の女吸血鬼は人間を餌食くらいにしか思っていなかったが、ある夜、犠牲者の恋人に暗示をかけられる。それ以来彼女の頭の中に、殺した人々が住み着くようになり、次第に殺すことを恐れるようになってゆく。人間のというより、吸血鬼にとっての恐怖物語であるように思う。
「ママ」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「ママ」宮脇裕子訳)
1995年。スティーヴ&メラニー・テム。怖い。何が怖いと言ってさらりと恐ろしい描写がされていること、そして親しい者たちが別の生き物に変貌してしまうこと。この話の吸血鬼はいわゆる伝承吸血鬼のそれに近い。
「夜の仲間たち」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「夜の仲間たち」千葉隆章訳)
1995年。デボラ・ウィーラー。やんちゃな子供を持つ親というのは大変なもので…。それは吸血鬼の一家でも変わり無いようだ。子供が失敗をしないか、に始まって他の子供の親との交流まで。独りで子育てをする母親吸血鬼がなんか健気だった。ほのぼの系。
「再会の夜」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「再会の夜」宮脇裕子訳)
1995年。ディーン・ウェズリー・スミス。どんな恋人達にもいつかは別離の瞬間が訪れるものだが、不死者と定命の者のカップルのそれは必ず悲劇で終わる。人は老いるが吸血鬼は老いない。吸血鬼の側から愛する人間に先立たれる気持ちが書かれることは多いが、これは人間の側から、愛する吸血鬼に最後の別れを告げる(告げられる)物語というところが一風変わっている。
「貴婦人(ラ・ダーム)」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「貴婦人(ラ・ダーム)」小林理子訳)
1995年。タニス・リー。なんとも変わった吸血鬼が登場する。彼女の名は「貴婦人」。白鳥のような翼を持つ船である。戦に疲れ、海に恋いこがれた軍人が、「貴婦人」に魅せられ、共に海へと乗り出していくのだが…。とにかく文体が流麗で詩的、そして強い印象を残す物語である。
「真夜中の救済者」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「真夜中の救済者」井上梨花訳)
1995年。パット・キャディガン。飲んだくれのホームレスの世話役が語るリズムある文体が特徴。吸血鬼と飲んだくれは似ているが、選んでそうしているという点で飲んだくれの方が自由であると主人公は語る。プライドを捨てない限り、人はどのような状況にあっても割と生きていけるものなのだろう。
「受け継いだ血」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「受け継いだ血」宮脇裕子訳)
1995年。マイケル・クーランド。ゴシック的雰囲気を持った典型的吸血鬼の独白物語。毛色の変わった話が多いこの短編集のなかでは余りにも正統派過ぎて少し物足りなさを感じる。さしたる事件も起こらないし、終わり方も尻切れとんぼな感じでやや不満。
「犠牲者」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「犠牲者」千葉隆章訳)
1995年。クリスティン・キャスリン・ラッシュ。吸血鬼がカミングアウトした現代を舞台に繰り広げられるミステリー風味の政治陰謀劇。マイノリティは得てして被害者の立場に追いやられるものだが、吸血鬼はここでもしたたかなのである。
「マリードと血の臭跡」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「マリードと血の臭跡」浅倉久志訳)
1995年。ジョージ・アレック・エフィンジャー。電脳ハードボイルドSF『重力が衰えるとき』と同じ世界で繰り広げられる『ドラキュラ』?!アラブ的サイバーパンク世界と古典吸血鬼という異色の組み合わせをうまく調理してあって、なかなかに面白い。本編である『重力〜』の方も読んでみたくなったのだが、ハヤカワのHPの検索にひっかからないところをみると絶版もしくは在庫切れなのかも知れない。有名なSFであるだけに残念。邦訳は『重力〜』も訳している浅倉氏。
追記:後日、『重力が衰えるとき』を古書店にて入手。今やサイバーパンクではお馴染みの「脳への埋め込み技術」を縦糸に、ミステリをいい意味で逆手にとった作品だった。SFファンよりむしろミステリファンにお勧めしたい。
「ダークハウス」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「ダークハウス」井上梨花訳)
1995年。ニーナ・キリキ・ホフマン。「依存症」という言葉を思い出させる短編である。吸血鬼は人間の血に依存しているのだが、奪われる人間は人間で、吸血鬼の存在(ここでは失ったわが子の代わり)に依存することによって安らぎを見い出している。いわば共生関係にある、そんな一家の話。
「<夜行人種(ナイト・ピープル)>の歌」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「<夜行人種(ナイト・ピープル)>の歌」小隅黎・梶元靖子訳)
1995年。ラリイ・ニーヴン。ラリイ・ニーヴンと言えば<ノウンスペース・シリーズ>である。舞台は「リングワールド」で、吸血鬼を生物学的メスを使ってSF的に解剖するとこうなるようだ。長篇の一部が掲載された形になっている。この続きは「リングワールドの玉座」に載っているらしいのだが、私の知る限り未訳の様子…。
「夜の姉妹」
(扶桑社ミステリー『死の姉妹』グリーンバーグ&ハムリー編・宮脇孝雄訳他/1996年 「死の姉妹」宮脇孝雄訳)
1995年。ジェイン・ヨーレン。短いながらも悲痛な独白が心に刺さる物語。雰囲気が良い。ただ、ナチス・ドイツが突然脈絡も無く出てくるのはどうかと思うが…。
「ブラック・ローズ」
(ハヤカワ文庫FT『ブラック・ローズ』幹遥子訳/1998年)
1996年。ナンシー・A・コリンズ。ソーニャ・ブルーシリーズ外伝。この話はソーニャを、米ホワイトウルフ社の人気TRPG「ワールド・オブ・ダークネス(特に「ヴァンパイア・ザ・マスカレード」)」の世界で活躍させようという試みがなされている。どちらの世界も「人間性」と「獣性」との相克に苦しむ吸血鬼を描いているため、もともと共通点が多かったためである。ジハードに巻き込まれた(というか仕組んだ?)ソーニャの活躍を描く。
「ドラキュラ戦記」
(創元推理文庫『ドラキュラ戦記』梶元靖子訳/1998年)
1996年。キム・ニューマン。「ドラキュラ紀元」の続編で、物語の舞台は第一次世界大戦下のヨーロッパ。例のごとく虚実織りまぜて沢山の人物が登場する歴史改編小説であるが、雰囲気はがらりと変わってタイトル通りの戦記物となっている。吸血鬼が変身した巨大蝙蝠が戦闘機になってしまうという大胆な発想が物語の主軸となっているが、私はむしろもう一方のアイディア、すなわち「血を吸った相手の意識と自分の意識が混同していく」という設定とその使い方が面白いと感じた。人間の血を吸った吸血鬼がその人間の過去や思いを自らの中に取り込んでしまうというだけではなく、吸血鬼の血を吸った人間もまた同様にその力や意識を取り込んでしまうのである。血を介した魂の交感というのは吸血鬼ものでしばしば見受けられるが、それを一歩進めたようなもので、新しい。巻末に登場人物事典付き。
「ヴァンパイア奇譚 渇きの女王」
(早川文庫NV『<ヴァンパイア奇譚>渇きの女王』奥村章子訳/1997年)
1996年。トム・ホランド。前作が「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」へのオマージュなら今作は「吸血鬼ドラキュラ」へのオマージュである。舞台はインドに始まり、1888年のロンドンへ。ブラム・ストーカーや切り裂きジャックも登場し、主人公のドクター・エリオットはシャーロック・ホームズばりの推理を披露する。ブラム・ストーカーがどのようにしてドラキュラの着想を得たのか、切り裂きジャックは何者なのかといった疑問に答えるような作品になっている。勿論、前作で活躍したバイロン卿やポリドリも登場。光と影が交錯するヴィクトリアン・ロンドンを鮮やかに描く推理歴史ホラー大作である。
「ヴァンパイア・スレイヤー 聖少女バフィー」
(早川文庫FT『ヴァンパイア・スレイヤー 聖少女バフィー』矢口悟訳/2001年)
1997年。リッチー・タンカスレイ・クジック。97年にアメリカで放映が始まった、TVシリーズ「Buffy the Vampire Slayer」のノヴェライズ小説。所謂ジュヴナイル小説というやつで、主人公の少女バフィーが高校ライフを楽しみ(?)つつ悪の吸血鬼達を軽快になぎ倒していく…という物語。映像ほどの派手さは無いものの、お手軽に楽しめる一品ではある。個人的には、吸血鬼の弱さに不満が残るが…。シリーズとして刊行予定の様なので、今後の展開に期待する。
追記:続編「死霊の王」は吸血鬼ものというよりハロウィンものだった…。その後、続編は出ていない。
「ドラキュラ崩御」
(創元推理文庫『ドラキュラ崩御』梶元靖子訳/2002年)
1998年。キム・ニューマン。ニューマンのドラキュラシリーズ第三部で1959年のローマが舞台。「ついにドラキュラが崩御してしまうのか、はていかにして?」と身構えて読んでいたが、いつになっても肝心のドラキュラは出てこない。そしてその謎は最後に意外な人物の自白によって明かされる。結局のところ、御大も吸血鬼の業病には勝て無かったということか。シリーズを通しての重要キャラクターの一人ボウルガードも時を同じくして人間としての死に直面しており、この死への望みかたというのがまたドラキュラとは好対照となっていて面白い。彼を取り巻く3人の女性吸血鬼もそれぞれ魅力的に描かれており、この話を読んで私は3人とも好きになってしまった。今回は「映画」、それもイタリアの猟奇殺人ものがモチーフになっているということだが、この辺に関して自分が余り詳しく無いのが残念だった。(吸血鬼映画を除くと「エクソシスト」「太陽がいっぱい」「オペラ座の怪人」くらいしか…)
「パンドラ、真紅の夢」
(扶桑社ミステリー『パンドラ、真紅の夢』柿沼瑛子訳/2002年)
1998年。アン・ライス。ヴァンパイア・クロニクルの外伝で、主人公は「呪われし者の女王」に登場していた美女パンドラ。彼女はそれ以前、「ヴァンパイア・レスタト」中のマリウスの回想にも言及されているが、この物語はかの回想の一部分をパンドラの側から描いたもので、「〜レスタト」を補完するような小説となっている。舞台となるのはアウグストゥス帝治世下のローマ。元老議院の娘としてなに不自由なく育てられた彼女が家族を失い、のちにヴァンパイアとなった初恋の男性マリウスと再会、ヴァンパイアとしての人生を共に歩み始める。理性的だが繊細なマリウスと、知恵のある強い女性パンドラのお互いを求めつつも対立する様が絶妙に描かれている。当時の臭いを感じることが出来るローマの描写にも注目したい。