斉明天皇
さいめいてんのう
朝倉橘広庭宮
あさくらたちばなのひろにわのみや

“三連水車”のある町として知られる福岡県朝倉市は、福岡県の中央部にあるのどかな田園地帯です。この朝倉の地に短い期間ですが、かつて天皇が住まわれたことがありました。
660年(斉明6年)、東アジアでは唐・新羅軍が百済を攻略しました。朝廷は朝鮮半島へ百済救援軍を派遣することになり、指揮のため斉明天皇とともに筑紫へ赴いたのです。 斉明天皇こと宝皇女は、第35代皇極天皇として即位したのち、弟である軽皇子<孝徳天皇>に譲位します。そして孝徳天皇の崩御後、再び天皇の位に即いた女性です。後の天智天皇・天武天皇の母でもあります。 斉明天皇以下、朝廷の人々は、661年(斉明7年)3月、娜大津<なのおおつ=現在の福岡市南区>に至り磐瀬行宮(いわせのかりみや)に坐し、5月9日に朝倉橘広庭宮に遷ったのでした。 『日本書紀』によると、この朝倉橘広庭宮には、すでに百済での敗戦〔白村江の戦い:663年〕を暗示させるかのような記事がうかがえます。 <原文は漢文> 五月の乙未の朔の癸卯に、天皇、朝倉橘広庭宮に遷り居します。 是の時に、朝倉社の木を斬り除ひて、此の宮を作りし故に、神忿りて殿を壊つ。亦、宮中に鬼火を見る。是に由りて、大舎人と諸の近侍、病みて死ぬる者衆し。 朝倉橘広庭宮を作る際、朝倉社の木を切ったため神が怒り、宮殿を壊したといいます。 朝倉社は、恵蘇八幡宮もしくは「延喜式」神名の麻●良布(まてらふ)神社に比定されていますが、詳細は不明です。(●=“氏”の下に“一”のある字) また、宮中には鬼火が出たため、病気になって死亡者が多く出たとあります。そして・・・ 六月に、伊勢王、薨せぬ。 秋七月の甲午の朔にして、丁巳に、天皇、朝倉宮に崩りましぬ。 同年6月には皇族の伊勢王が薨じられ、7月24日には斉明天皇までが崩御されたのでした。 8月1日に、皇太子である中大兄皇子<のちの天智天皇>は、母である斉明天皇の柩に付き添い、磐瀬行宮<長津宮>へ戻ります。そこでもまた怪異が起こります。 是の夕に、朝倉山の上に、鬼有りて大笠を著て、喪の儀を臨み視る。衆、皆嗟怪ぶ。 この夕方、朝倉山<麻●良布(まてらふ)神社の背後にある東西に連なる山々>の上に鬼が現れ、大笠を着て喪の儀式を見守っていたのです!衆人はみな、アアッと不思議に思ったのでした。 5月〜7月までのごく短期間の宮殿でありながら、『日本書紀』には怪異の多い宮として記されている朝倉橘広庭宮…。 その宮跡は明確にはわかっていませんが、朝倉市内と考えられています。 ☆朝倉市ホームページ 今回は朝倉市にある「橘の広庭公園」(朝倉橘広庭宮跡・伝承地)をご紹介いたします。 |