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『源氏物語』ちはやぶる金の岬
おりはたじんじゃ
織幡神社
| 所在地 | :福岡県宗像市鐘崎224 |

| 『源氏物語』<玉鬘>に、玉鬘と乳母(めのと)たちが船旅で都から大宰府へ下る場面において、次のような一文があります。 金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。 【現代語訳】 金の岬を過ぎても、「我は忘れず」などと、明けても暮れても口ぐせになって、あちらに到着してからは、まして遠くに来てしまったことを思いやって、恋い慕い泣いては、この姫君を大切にお世話申して、明かし暮らしている。 【本文と訳はwebサイト『源氏物語の世界』より引用】 ※この君(この姫君)とは、夕顔の娘である玉鬘のことです。 乳母たちは夕顔亡きあと、形見である玉鬘を大切な主人としてお世話したのでした。 ・金の岬(かねのみさき)=鐘の岬 福岡県宗像市鐘崎にある岬。 筑前国の歌枕。 鐘の岬の沖に地島や大島があります。 潮流が激しく船旅の難所でした。 ・「我は忘れず」 夕顔のことをいつまでも忘れまい、という意。 万葉集に詠まれた歌を踏まえています。
“荒海を無事通過したとて海神を忘れまい”の意。 これからご紹介する織幡神社は、金の岬(=鐘の岬)にある左屋形山の山頂に鎮座しており、歌に詠まれている志賀大神(しかおおかみ)も祀られています。 ※「志賀の皇神」は志賀島にある志賀海神社の祭神という説もありますが、諸説あります。 ※「ちはやぶる 金の御崎を 過ぎぬとも~」の歌碑は志賀海神社と宗像大社の境内にそれぞれあります。 |
| 物語の中とはいえ、玉鬘と乳母たちが手漕ぎの船に乗って、鐘の岬を見ながら船旅の安全を神に祈り、海路を進んだことを思い描くと胸が熱くなります。 |

| 織幡神社は、宗像大社の境外摂社で「織幡宮(おりはたぐう)」ともいわれます。 平安時代に編纂された『延喜式』では、宗像大社に次ぐ神社として記録されている格式高い神社です。 |



| <御祭神> | |
| 武内大臣 | (たけしうちのおおおみ) |
| 住吉大神 | (すみよしおおかみ) |
| 志賀大神 | (しかおおかみ)) |
| 天照大神 | (あまてらすおおかみ) |
| 宗像大神 | (むなかたおおかみ) |
| 八幡大神 | (はちまんおおかみ) |
| 壱岐真根子臣 | (いきのまねこのおみ) |
| 主祭神の武内大臣は、武内宿禰のこと。 織幡宮は武人、武内宿禰を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。 (境内の由緒書より) |

| 沓塚(くつづか) 武内宿禰公が両沓を残して昇天されたといいます。その沓が境内に祀られています。 |

| 参道沿いにある巨石。鐘崎には海の向こうから来た釣鐘が海中に沈んでいるという「沈鐘」伝説があります。 大正8年に引き揚げたところ、釣鐘ではなく巨大な石だったのだとか。 |

| 参道沿いにある「筑前鐘崎海女の像」。鐘崎は西日本の海女発祥の地として知られています。 |
| 写真撮影 | :2013年4月21日 |
| ページ作成 | :2013年5月17日 |
| 参考にさせていただいた本・パンフレット | ||
|---|---|---|
| 『源氏物語の鑑賞と基礎知識』 12玉鬘 |
監修:鈴木一雄 編集:平田喜雄 |
発行:至文堂 |
| 『続・源氏物語紀行』 | 著 :鈴木幸子 | 発行:創英社 発売:三省堂書店 |
| 『新編日本古典文学全集』22 源氏物語 3 |
校注・訳 阿部秋生 秋山虔 今井源衛 鈴木日出男 |
発行:小学館 |
| 『人物で読む「源氏物語」第13巻 玉鬘 |
監修:室伏信助 編集:上原作和 |
発行:勉誠出版 |
| 「神郡宗像 摂末社めぐり」 1 織幡神社 |
発行:宗像大社 | |
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