甲宗八幡神社
伝・平知盛の墓

| 北九州市門司区、甲宗(こうそう)八幡神社社務所裏側の山の斜面に平知盛の墓と伝わるお墓があります。神社の方にご案内いただきました。 <2004年12月撮影> 平知盛は壇ノ浦の合戦で平家一門、安徳天皇・二位尼の入水を見届け、 「見るべきほどの事をば見つ。今はただ自害をせん」 と言い、乳母子の伊賀平内左衛門家長と鎧二領ずつを着て、手を取組み、ともに入水を遂げます。 新中納言知盛<1152〜1185>は、清盛の四男。 長兄である重盛の死後、平家一門の運命を背負って生きた姿は、謡曲『船弁慶』や浄瑠璃『義経千本桜』、戯曲『子午線の祀り』などで文芸化されています。 |
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墓石は木陰に隠れるようにひっそりと佇んでいます。周囲には山茶花の花びらが散り、地面を覆っていました。その様子はさながら、散華のようでもありました。 『水都の調べ 関門海峡源平哀歌』(安富静夫 著/吉岡一生 写真/下関郷土会 発行)によりますと 以前は、神社裏山の高い場所にあったそうですが、昭和二十八年の大水害で山が崩れ落ち、現在地になったそうです。 と記されています。 また、甲宗八幡神社の近くでは、お盆になるとちょうちんが山の上に登って行くという言い伝えがあるそうです。これは、「知盛ちょうちん」といい、知盛の霊が、山へ水を汲みに行くのだそうです。 |


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伝 平知盛の墓 (向かって左・・・墓 向かって右・・・供養塔) この石塔は平知盛(1152〜1185)の墓として甲宗八幡宮に伝わるものです。知盛は平清盛の四男で、勇猛果敢な武将として能「船弁慶」などの芸能にも取り上げられております。父清盛亡き後、平家の総帥となった兄宗盛を補佐し、平家一門の統率的存在となり、寿永3年(1184年)所領の彦島に本拠地を置き、古城山山頂に門司城を築いて戦に備え、翌年の壇之浦の戦い(1185年3月24日)では田野浦に兵を集め、満珠・干珠島付近に布陣する源氏を攻めますが、義経戦略の前に武運なく敗れ、安徳天皇をはじめ平家一門の最後を見届けると「見るべき程の事は見つ(見るべきものはすべて見た)」と潔く入水して一生を終えました。 墓は甲宗八幡神社が鎮座する筆立山山中にありましたが、昭和28年の文字の大水害により流れ、拝殿裏に傾いたままの状態にありましたので、ここに再祀しております。 |
| ●所在地 | :福岡県北九州市門司区旧門司1丁目 |
| ●交通 | :西鉄バス「甲宗八幡宮前」下車 |

| 清和天皇の貞観2年(890年)、勅命により創建。神功皇后の御甲(かぶと)を御神宝<御神体>として祀っておられます。 ご由緒に 源範頼、同義経、足利尊氏、毛利元就の造立あり、と書かれてありました。 壇ノ浦の戦いで甲宗八幡神社にも被害が及んだため、源範頼・義経兄弟が修繕したのだそうです。 |
| 【参考】 | |
| 『ビキナーズ・クラシックス 平家物語』 | 角川書店 発行 |
| 『水都の調べ 関門海峡源平哀歌』 | 安富静夫 著/吉岡一生 写真/下関郷土会 発行 |