あんとくてんのうあんざいしょあと
安徳天皇行在所趾
| ●所在地 | :福岡県遠賀郡芦屋町江川台 →地図を見る |
| ●交通 | :北九州市営バス「大君」下車 |
| 福岡県北九州市に隣接する遠賀郡芦屋町に安徳天皇と平家一門が立ち寄られたことを示す安徳天皇行在所趾石碑があります。 江川(えがわ)が遠賀川(おんががわ)に注ぐ河口近くの山鹿(やまが)に、大君(おおきみ)という地名があります。 「大君」の信号から山のほうへ道を入っていくと石碑と大君神社にたどり着きます。 |
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<碑の裏面にある解説文より> 寿永二年(1183年)七月 平家一門は 安徳天皇を擁して九州大宰府へ 都落ちしたが 豊後の緒方三郎惟義の軍に追われ 悲惨な逃避行を続け 香椎宗像を過ぎ垂水峠を越え 山鹿兵藤次秀遠のお迎えを受け 山鹿城で過ごされた のち秀遠は此の地 大君の茶臼山に幼帝のため行在所を造営した |
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| 太宰府を追われた安徳天皇と平家一門は、芦屋の津を通り過ぎ、山鹿(やまが=現在の福岡県芦屋郡遠賀町にあった山鹿氏の居城)に移ります。 “芦屋”は遠賀川の河口にある港です。 “芦屋(あしや)”について『平家物語』では以下のように綴られています。 『平家物語』巻第八 太宰府落 より 芦屋の津といふ所を過ぎさせ給ふにも、これは我らが都より福原へかよひしとき、里の名なればとていづれの里よりもなつかしう、今さらあはれをぞもよほされける。 (訳:芦屋の津という所をお通りなるにつけても、これは我々が京都から福原に通った時の里の名であることということで、どこの里よりも懐かしく、今あらめて哀れをもよおされた。) 筑前の“芦屋”と、平安京から福原京(神戸市)へ行く途中にある“芦屋”(現在の兵庫県芦屋市)を重ねて平家の人々は懐かしい思いに駆られているのでした。 |