sourなお部屋
この部屋では我らが首長、澤伸明氏について色々と載せたいと思います。
澤氏の生誕からチューバを手に入れ、さらに現在に至るまでの様々な秘話を、
おもしろおかしく紹介できたらええなぁっと思っております。
ちなみに情報提供は澤氏本人に直接求めていくつもりですのでご安心を。

1.澤伸明誕生
 それは昭和57年2月6日のことだった。稲美町有数の名家の長男として誕生した。
 そしてその時彼はすでにチューバーとなることを運命づけられていたのだ。
 なぜなら母親から生まれ落ちた彼の小さな手の中には、すでにチューバ用のマウスピースが
 しっかりと握られていたと伝えられているからである。

2.チューバーの誕生
    (澤氏からの情報提供がないため、高校時代に飛んでしまいました。ごめんなさい。)
 平成9年4月彼は加古川東高校に入学、1-1に配属された。そしてこれを機に彼は両親に頼
 み込んで100万はゆうにするであろうチューバを買ってもらったのだった。
 しかしいくら稲美町有数の名家とはいえ、その出費は大きいものだったため、澤氏はチュー
 バと引き換えに相続するはずだった広大な土地をあきらめることとなったのだった。
 両親もその旨を彼に十分に伝えたという。しかしそれでも彼はチューバを選んだのだった。
 そしてこの瞬間“天下無双のチューバー”澤伸明が誕生したのである。

3.宿命との遭遇
 彼はその後めきめきと腕をのばし、高校2年になるころにはすでに東のエースの座を確固た
 るものとしていた。そして部長として吹奏楽部引っ張っていく存在へと成長していったので
 の楽器であるチューバを、しかも長時間座ったまま吹きつづけることを余儀なくされるチュ
 ーバーにとっては避けては通れない道という・・・ある。
 しかしそんな彼に宿命とも言うべき恐ろしい落とし穴が待っていたのだ。それは超重量級
 そう、彼はその身に爆弾を抱えることとなったのだった。野球のピッチャーで言えばひじ、
 キャッチャーでは腰、サッカーやバスケではひざにあたるほどのものである。
 それは・・・○である!
 これ以上はいえないが、このことは彼に重くのしかかり、チューバも思うように吹けなくな
 っていったのだという。

4.克服そして挑戦へ
 彼はスランプに陥っていた。しかし彼にはどーしてもチューバを吹きつづけなければならな
 い理由があった。それはある人に会うためだからであろうか・・・定かではないがこの想い
 により彼は劇的な回復を見せたのだった。そして再び、いや以前にも増してチューバーとし
 ての資質を発揮していったのだった。
 その後彼は大学に進学するのだが、ここでちょっとした逸話がある。それを少し述べよう。
 合格発表当日、すべての人の自宅に電子郵便で合否結果が届くはずであった。しかし彼の家
 にだけ届かない。そのことで彼は自分が不合格だったのだと思い込み、学校の先生にその後
 の相談をしにいったのだった。しかし実際はその必要はなかったのだ。見事彼は合格してい
 たのだった。
 ただ・・・稲美のド田舎だったため郵便やさんがすっかり持って行くのを忘れていたため、
 結果が届かなかったのだ。翌日慌てて配達したものの、名門澤家の怒りは凄まじく、その配
 達員は切腹、他の郵便局員も連行されたという・・・
 そんなこんながあって後、彼は前代未聞の人間技とは思えないような荒技に挑戦するのだっ
 た。それはタクトを振ることであった。
 そう、彼は過去に誰もなしえなかったチューバを吹きながら指揮者も兼ねるというすさまじ
 い芸当をやってのけようというのだ。
 まだこれは発展段階らしいが、いずれは“名指揮者”澤伸明も誕生することであろう。
 その日を楽しみに待つことにしよう。

5.挑戦の日々
 その後の彼は日々目標に向けて惜しまない努力を続けていた。その目標のため彼は多くのも
 のを犠牲にしていたのだった。まず当然のごとく授業はすべて切っており、また部屋の掃除
 は・・・いつからしていないだろう。
 そんなこんなで生活面では堕落しているとも言えなくもない彼だが、チューバのことに関し
 ては並々ならぬ意識の高さで取り組んでいるのである。さすがはチューバーだけのことはあ
 る。なんと毎日(土日もかかさず)学校に出向いてはチューバの練習に精を出しているのであ
 る。だから学校にいってないことはない、と言うのが彼の持論である。
 そしてつい最近彼の努力を見せる場が持たれた。学祭である。そこでかれは全世界に向けて
 彼の偉大さを見せつけたのだった。
 演奏の開始、彼はまずチューバを回転させ吹く態勢に入った。その光景はまさに染ノ助染太
 郎も顔負けの回しようであった。そしてついにチューバを奏で始めた。その地の底から沸き
 上がるような重低音は聴衆のからだの奥底に響き渡り、あまりの感動に徐々にその意識は断
 ち切られていったのだった。演奏が終わると観客総立ちのスタンディングオベーションの嵐
 がホール全体に吹き荒れたのだった。
 続いて彼は名指揮者として初の表舞台に立つのだった。まだまだ完成にはほど遠いため、チ
 ューバは吹かず、タクトだけを手に登場した。しかしいまだ調子が悪いのか臀部の振りが足
 りないという忠告を受けての指揮だった。
 確かに振りは足りなかったかもしれない。しかしやはりその指揮には鬼気迫るものがあり、
 観客の心を揺さぶりつづけたのは言うまでもない。そして一通り演奏が終わりその場を去ろ
 うとしたとき、会場全体から一斉にアンコールの声が響き渡ったのだった。やはりそこは大
 物、彼はそのアンコールに快く応じた。そしてアンコールの曲が始まると急に彼は観客席の
 方に振り返り、手拍子を求めたのである。やはりそのあたりをちゃんとおさえているところ
 が大物になる資質を持つ者である。しかも彼の目の輝きに、誰もが手拍子をせずにはいられ
 なかったのだった。
 こうして彼の名指揮者としての初舞台は成功に終わったのであった。

6.新たなる長として
 ところが指揮者としての初舞台を無事に終えた彼に、またも新たな試練が待っていたのだ。
 それこそが彼が楽団を牛耳るための礎となる偉大なる試練であった。
 それは・・・断腸、いや団長である。彼は何と高校時代部長としてどれほど大変だったかを
 すっかり忘れたかのごとく、このような大胆な行動に打って出たのだ!!
 彼の中には、団長になることで卒業してからもこの楽団に大きな影響を及ぼすような、
 超偉大な人物としてあがめられたいという強い願望があったのかもしれない。
 もちろん歴代の団長の存在や自分が卒業できるかどうかなど当然棚に上げて・・・
 こうして彼はチューバー兼指揮者且つ団長!という一見すごいのかどうでもいいのか
 よくわからない存在となったのである!!
 案の定これだけの権力を一手に引き受け独裁政治を行うにはかなりの労力を要するらしく、
 クラス会の幹事の役目などどこぞの馬の骨とも知らぬ某農学部生に委任して、権力拡大を
 もくろみ思索と裏工作に明け暮れる日々だという・・・
 こうして近いうちに“チューバー兼名指揮者且つ超偉大なる団長”澤伸明が誕生することだ ろう。
 そしていずれはこれだけの権力を奮って稲美野王国の建国に尽力してくれるに違いない!
 そのときを気長に待つことにしよう。