オーストラリア日記 −2004−


<プロローグ>

喘息はいっこうに良くならない。もっとも、悪化もしないけれど。医師は「喘息に罹る機会が人生で二度ある。幼年期と老年期。前者は治るチャンスが大きいが、後者の場合は、まず、諦めたほうがよい。騙し騙し付き合うことですね」と言う。

2003年は New Zealand へ行った。快適だった。2004年にはお隣のオーストラリアに行ってみたい。シドニーには仕事で何度か行ったことがあるが、西には行ったことがない。Perth がなかなかいい所だと聞いているので、そこと、街が好きな隆子の顔も立てて、Melbourne。それぞれ3週間としよう。

9/29/03(月)

虎ノ門にある QUANTAS 航空へ行った。発券カウンターには誰もいない。来意を告げると、すぐに係りの女性が現れた。発券は旅行代理店任せで、自分で航空会社に来る人はまれなのかも知れない。

当方のプランを聞くと、すぐ相談に乗ってくれ、発券手続きをしてくれた。買った航空券は「スーパー・カンガルー」という正規割引券。成田-Perth-Melbourne-成田のラウンド・チケット(10/01/04に発って、22/02/04着)で一人当たり12万7760円。座席もその場で決めてくれた。

「パスポートを持っておられますか?」と訊ねられたので提出すると、「ついでにビザも取っておきましょう」と手続きをしてくれた。料金を訊ねると、「わざわざ来ていただいたのですから、サービスさせていただきます」と望外な返事。気分よく、退出。

そのアシでホテル・ニューオータニのアネックスにあるオーストラリア観光局を訪ねて、資料を漁った。同じフロアーに各州の観光局も事務所を構えていて、州ごとの資料も手に入る。これはなかなか便利。

10/7/03(火)

Perth の serviced apartment から confirmation が来た。

日程が決まったので、インターネットで宿探しをした成果。前回の New Zealand では現地に着いてから探したので、若干不満が残った。今回はその轍を踏まないようにしようと大分時間をかけて調べた。旅行すると、つい、食べ過ぎてしまうし、節約もしたいので自炊をするつもりだが、それには serviced apartment を借りるのが最適のようだ。場所は Mounts Bay Road で、1 Bedroom。『最短5日間、ただし6日目と7日目は無料』という料金体系だから、一晩 A$148も、実質は A$105.7の計算。ここに、3週間の予定。

10/21/03(火)

Melbourne の serviced apartement の予約も取れた。市内からは外れるが、そう遠くもない。場所は South Yarra。こちらも 1 Bedroom で一晩 A$104。同じく、3週間滞在の予定。

1/6/04(火)

オーストラリアでの支出はクレジット・カードを使うつもりだが、空港からアパートまでのタクシー代くらいは現金が必要だろうし、小物を買うときもカードというのは不便かもしれないので、A$1,000 ほどは東京で買っていこうと考えた。毎月検診(糖尿、高血圧、喘息)にうかがっている丸の内病院に行ったついでに三井住友銀行・東京営業部に行ったが“豪ドルはトラベラーズ・チェックのみ扱っています”という返事。それで隣の東京三菱銀行へ行ったが、ここでは自動販売機で売っていた。ただ、為替レートがヒドイ。91.03 だって!「為替レートは市場に任せる」というのは正論だろうが、市場参加者が少ないと最終利用者がバカをみることになる。

1/7/04(水)

去年も使ったabc スカイパートナーズ(03-3545-1131)へ電話してトランクの集荷を依頼。自宅まで荷物を取りに来てくれて、空港で受け取ることが出来るのではなはだ便利。明日の夕方来てくれるそうだ。

1/8/04(木)

Tomie・宮倉・Dumbrillさんから長文の e-mail を頂いた。彼女は小生が最後に勤務した BNP Paribas 投資顧問での同僚。10年ほど前 Perth で working holiday を過ごした由だが、その折の情報。事情は大きく変わっているだろうが、コピーして手荷物に入れる。

1/10/04(土)

いよいよ Perth に向けて出発。東京駅発 16:10 の『快速エアポート』で空港第二ビル駅へ。去年 New Zealand へ行ったときと同様、今度も『成田エクスプレス』は使わなかった。この程度の距離で“特急”を使うのには抵抗感がある。それに、引退した身には「時間は有り余るほどある」ことだし。ちなみに、武蔵小金井駅から空港第二ビル駅までは¥1,890、特急料金をケチっていくら save できたのかな?

Perth 直行便(QF070)はジャンボ機ではなく B767 だった。座席は、期待していたよりは狭かったが、結構よく眠れた。

1/11/04(日)

定刻の 06:00 より少し早めに到着。“現在の気温は23℃”とのアナウンスメントがあった。空港のトイレで夏物に着替えた。誰も使っていなかったのでシャワー・ルームを使わせてもらった。無料。(なかなかレベル高いじゃないか)と思わず独り言。

予約している Mounts Bay Village (112 Mounts Bay Road) まではタクシー。チップ込みで A$35 支払った。

レセプションの女性は「もしかしたら、すぐチェックインできるかも」と思わせぶりな対応をしてくれたが、世の中、そうは甘くなかった。正規のチェックイン時間は午後二時。時計を見ると、まだ8時。時間つぶしにはさしたる名案もないが、仕方がない。荷物をトランクルームに預け、フロント・デスクで貰った簡単な地図を片手に、とりあえず、中心街の方向に向かった。

Perth の町は、碁盤の目のように通りが作られているので、ツーリスト・センターはワケなく見つかった。だが、人影が見当たらない。なんと、日曜日は close。ひそかに恐れていたことが的中。ほかの店も、ほとんどが扉を閉ざしている(午後には開くそうだが)。やむを得ず、元来た道を引き返し、人影まばらの shopping mall を抜け、Swan River が見渡せる公園の一角に木陰を見出して小休止。暑い。到着してから、気温は10℃も騰がったのではなかろうか?ほうほうの態で宿に立ち帰り、チェックインを済ませたときには、文字どうり“生き返った”感じがした。

建ってからまだ日が浅いせいか、清潔感のあるアパート。1-Bedroom では窮屈かな?と恐れていたのだが、そうでもなさそうだ。LDK は20畳ほどもあろうか。天井も高いし。キッチンにはオーブンや電子レンジはおろか、dishwasher まで付いている。寝室も10畳はあろう。バスタブも大きいし、洗濯機には乾燥機が付いている。去年 Christchurch では間に合わせに motel で生活したが、それに比べると“天と地”ほどの差がある。隆子も安心、かつ、気に入ったようだ。面目挽回!

(クリック:ベッド・ルーム。足元側にある“物入れ”も収納力大)

(クリック:ダイニングキッチン)

1/12/04(月)

さすがに昨夜は良く寝た。8:30pm にはベッドにもぐりこんだのだが、朝目が醒めると、もう6時だった。昨日買い込んだ菓子パンとコーヒーで朝飯を済ませ「少し散歩しようか」と、昨日とは反対方向に歩いて行くと右手に上る坂道があった。Kokoda Track というふざけた名前の道だが、銅版で出来たレリーフによると“太平洋戦争でわが軍が日本軍を撃ち破ったところ”とある。“もっとも、わが軍は数において圧倒的に勝っていたが”と遠慮タップリに、しかし、正直に書かれているのがほほえましかった。

ズンズン登ってゆくと、随分綺麗な広場に出た。芝生の上でスプリンクラーが飛沫を飛ばしている。前方が突然開け、Swan River と Perth の町の全景が見下ろせる。隆子が「ここは、きっと Kings Park よ!」と言う。なんと、アパートの裏山は Kings Park だったのだ。

(クリック:Kings ParkからPerthのダウンタウンを臨む。最近は高層建築も増えた)

(クリック:見事なユーカリの並木道)

午後、隆子は「ジーンズを買いに」町まで出かけたので、ホームページを更新しようとしたのだが、どうしても geocities の front page に行き着かない。一時間以上も苦闘を続けたがダメ。啓子や哲生、それに親しい友達数人にも『オーストラリアでの動静は日記に書くから』と宣言して出てきたのに・・・哲生のヘルプを受けたいが、彼は目下学会でイタリアに出張中。“帰国したら手助けを”とメールを入れ、落ち込んだ気分のまま就寝。

1/13/04(火)

起きて窓の外を見ると、雲ひとつない。今日も暑くなりそうだ。TV ニュースを見ながら朝食を済ませたのだが、昨日の最高気温32℃、今日も32℃、明日は36℃、明後日には、なんと、38℃との予報。どうしよう?アパートに引き込んでいようか?幸いなことに、小さいながらプールがあるはずだし・・・

昨夜は『日記』の更新のことばかり考えながら寝たのだが、起き抜けにヒラメイタことを PC に向かって実験してみると、geocities の front page と file manager に辿り着くことが出来た。やった!これで『日記』の更新ができる。

『日記』の更新はさておいて、今日も downtown に向かった。日本の食材(といっても、梅干とか佃煮の類だが)探しが主目的。

最初に Japanese Culture Centre に行ってみた。真新しい近代的なビルの25階にあり、兵庫県が出しているオフィスだった。なんでも、西オーストラリア州と兵庫県が“姉妹”関係にあるらしい。掲示板に情報が出ているかと期待して訪問したのだが、空振り。

次いで、Murray St.と Barrack St.のコーナーにある『日豪センター』に行ってみたが、ここも空振り。センターの近くの中華/韓国食料品店に入ってみたら品数は少ないが日本食材があったのでそれらを買い込み、そのついでに、店員に“どこかにない?”と尋ねてみたら、Perth 駅の北側、Northbridge 地区の一番西に位置する Lion's という店を教えてくれた。ここにはタクアンなんぞもあった。

帰りはバスを利用した。Perth には CAT(Central Area Transit)というバスが3系統走っており、どれに乗っても無料。われわれは“Blue CAT" で。(このほかに、red と yellow とがある。)

1/14/04(水)

朝食を済ませてベランダに出てみると、まだ、暑さはさほどではない。涼しいうちに散歩に行こう、と Kings Park に向かった。Kokoda Trail まで行かなくとも、その手前に Clif St.があることを地図で確かめてある。その通りはわれわれのアパートの西の端に位置しているから、わずか100mほど先だ。

地図には途中に“ladder”と書いてあるが、なるほど、山の斜面(というよりは、崖)は階段状になっている。クネクネと曲がった階段が、建物の20階分ほどもあろうか(後日数えてみたら242段あった)、続いている。息が切れるがいい運動になる。

頂上からは、また、Clif St.が続く。確か、日本にも階段で繋がった国道があったはず。青森県の北端だったかな?

Kings Park に接して、立派なマンションが建っている。完売はまだのようで SALE の看板が出ていた。「安い!これで1000万円チョット?」と隆子が素っ頓狂な声を出したが、一桁間違っていた。A$140万。

この公園には「植物園」が併設されており、西オーストラリア州の植物が集められている。中には絶滅寸前のものも植えられているようだ。ユーカリも何種類かあることを知った。

「最高気温は37℃」との予報でオッカナビックリの散歩だが、木陰は涼しいし、風も肌に心地よい。ついつい2時間半も歩いてしまった。

1/15/04(木)

今日も雲ひとつなく暑くなりそうだったが、アパートに閉じこもっているのもセツない。思い切って出かけた。

昨年訪問した New Zealand では、鉄道は“寂れる一方”の様相を呈していたが、オーストラリアでは事情が異なるようだ。今朝もTVのニュースで Adelaide と Darwin 間の鉄道が開通し、今日一番列車が走ると報道していた。ここ Perth でも鉄道駅が町の中心にある。そこから Perth の南に位置する Fremantle まで出かけた。切符は自動販売機のみの発売で、片道 A$3.00。

Fremantle は Swan 川の河口に生まれた港町。いやでも歴史を感じさせられる町だ。この町一番の観光名所は旧刑務所(監獄)。地図を頼りに探し当てたが“約50分のガイドつきツアー”しか見学の手立てがない。隆子は嫌がるし・・・結局、回れ右。

あと、Market も有名だが週末にしか開かれないので、これもパス。

前にも記述したように滞在しているアパートの裏は山(崖)になっている(その上に Kings Park が展開している)のだが、前は道路(それが幾重にも交差している)しかなく、その向こうは Swan River だ。交錯している道路の間は公園になっており、池(というよりは沼)を巡って遊歩道がしつらえてある。

4時頃、「ひと歩きしようか」とアパートを出た。夏の夕刻、けだるい微風を受けて歩いていると、沼のほとりに変わった鳥がいるのを見つけた。色は茶褐色(と言うよりも黒か?)で、羽根の部分から下は明らかに鳥の格好、しかし、長い首とその先についている頭の部分は蛇そっくり。何という鳥なのだろうか?われわれに気付いて沼に飛び込んで泳ぎ去って行ったが、首から上だけを水の上に出して泳ぐさまは、さながら、ネッシーの小型版だった。

“蛇鳥”はそれ一羽だけだったが、幾多の鴨に混じって嘴の真っ赤な黒鳥のつがいも観察できた。なかなか、面白いところだ。

アパートに戻ってメールを明けると、日野君から「Perth には中嶋君がいるはず」と、親切にも中嶋君のメールアドレスを知らせるメッセージが入っていた。中嶋君のPCが日本語対応かどうか不明なので、英語でメールを入れておいた。果たして、うまく連絡が取れるかどうか・・・?

1/16/04(金)

『お店大好き』人間の隆子が「一人でも行く」とイキマいた項目がガイドブックにあった。Subiaco のマーケットである。

Subiaco は Perth の郊外の町で、Perth から Fremantle 線で三つ目の駅だ。ここには週末だけオープンするマーケットがある。昨日訪れた Fremantle でも“週末市”が開かれるが、今日は Subiaco に行くことにした。

“マーケット”そのものは、ガイドブックに書かれているほどのものではなかった。だが、町はこざっぱりしていて、なかなか気持ちが良かった。住み心地がよさそうな町だ。

マーケットが開かれているパビリオンの向かいに NIPPON FARE という日本食材店があったので、少々買い物。時計を見ると Perth で列車に乗ってからまだ2時間足らず。切符は『2時間有効』だから、シメシメ、急げば帰りの電車賃を節約できる。駅に急ぐ。

いったんアパートの帰り、隆子は急いでサンドイッチ作り。Kings Park でオヒルを食べることに。木陰のもと青々とした芝生、絶景を臨みながらのランチは格別。これからも、時々実行したい。

昼寝の場所を物色しながら歩いていたら、ちょうど“Perth Tram”がやってきた。Kings Park と University (of WA) を一時間ほどで回る、という。乗ってみた。一人 A$12.00。

1/17/04(土)

今日の最高気温は36℃の予報。朝のうちに散歩を、とアパートを出た。陽射しは強いが風は肌に心地よい。インド洋から吹いてくるのだそうだ。

Perth 市街の南端を Riverside Drive という幹線道路が走っており、そのまた南側(つまり川べり)に遊歩道がある。自転車道も兼ねているのでセンター・ライン(破線)が引いてある。全幅1.5メートルほどもあるので、二人並んで歩いてもセンター・ラインを越すことはない。白地で“KEEP LEFT”と注意書きがしてあり、歩行者も自転車も左側通行を守っている。自転車は相当早いスピードで走っているから、ルールを守らないと、大事故が起きる可能性。といっても、混み合っているわけではないから、それほどの神経を使う必要はない。

ズンズン歩いて行くと、右手に Heirisson Island という中洲に出来た島に行き着いた。結構広い島だが、家屋はトイレ以外何もない。公園として利用されているのだろうが、人影は全然見当たらなかった。

午後は博物館を覗いてみた。無料。しかし、入口には“お一人 A$2 ほどの寄付金を”と書かれた箱が置いてあった。去年ニュージーランドに行ったときにも経験したことだ。たしか、大英博物館も入場料を取らず、“寄付金”がタテマエだったか?

そういえば、哲生の発表が今晩行なわれるはず。彼の国際コンベンションでの発表も今回で3回目。去年はオーストラリアのゴールドコーストとフランスのアンジェのコンベンションでスピーチをした。今回はイタリアのベニス。大分場馴れはしてきただろうが、やはり気にかかる。

1/18/04(日)

今日は Swan River をさかのぼるクルーズ(Captain Cook Cruise)に出かけた。選んだのは1日コースの Caversham House Cruise。9:45分に出航するとまもなく、コーヒー・サービスに続いてワイン・ティスティングが始まった。ワインの“正式な”飲み方の講釈の後、白2種、赤2種。ソフト・ドリンクの用意もあるらしいが、誰もそちらに興味を示すものはいない。

船は昨日散歩した川筋に沿って上流に進む。キャプテンの説明によれば、Swan 川は水深がせいぜい2メートルほどしかなく、かん水、海の満ち干で川の水位も変わる、とのこと。Swan River の河口は Perth から20km 弱も下った Fremantle だが、Perth 辺りまでは極めて平坦な地形であることが分かる。両岸にはところどころにボートが係留されていたり、釣糸を垂れている人がいたりする。キャプテンが挨拶代わりの警笛を鳴らす。

目的地の船着場で乗客(今日は全部で93人)の大半はワイナリー・ツアーに出かけ、Caversham House コースを選んでいたのは7人だけだった。ここでもワイン・ティスティング。白3種、赤3種、最後にリキュール。赤の3番目のヤツが気に入ったので、一本購入。このワイナリーは、もともとユーゴスラヴィアからの移民が1932年に開いたものだそうで、銘柄名は Talijiancich, Reserve Shiraz 2000 Vintage。

そのあとボリュームたっぷりのランチが振舞われた。僕はステーキをレアでと注文したのだが、カナダから来たと言うオジサンがそれを横取りしてしまい、僕のところに来たのは、彼が頼んだウェルダンの肉。半分ほど食べた段階でカナダのオジサンも気付いたが、後の祭り。

(クリック:中央正面が僕。僕の肉を食ったのは右隣のオジサン)

帰りの船は喧騒の一語に尽きた。乗務員(キャプテンを含めて4人)がひっきりなしにポピュラー・ソングを歌う。みんな上手。それに合せて合唱、そしてダンス。ワイン、ビールは飲み放題。みんな良く飲む。声を限りに歌う。異常な盛り上がり方だった。それなりに面白かった。二度ばかり、対岸の男性がパンツをズリ下ろして裸の尻をこちらに向ける仕草をしたが、面白半分のカラカイか。

Perth の桟橋に帰り着いたのは4:45分。ランチ付き、飲み物付きで一日舟遊びさせてくれて、一人当たり A$109.00 は割安だった。

1/19/04(月)

今日は動物園へ行った。隆子は動物園というより Swan River の対岸に渡ってみたかったらしい。向こう岸は South Perth、こちらからは住み心地のよさそうな町並みが臨める。Perth の東と西には橋が架けられており、車でも往き来できるが、町のちょうど真ん中辺に波止場があってフェリーが往来している。(昨日 Swan River クルーズに出かけたのも、ここの突堤からだった。)人間(あるいは犬も?)専門で、自動車は運ばない。自転車も見かけなかった。せいぜい乳母車までか?片道 A$1.30/人、日本円で100円ほど。

South Perth の船着場から動物園までは徒歩で10分足らず。場所もすぐに分かった。なにぶんにも、子供づれが多い。彼らの後を付いてゆけばイヤでも行き着く。入園料は A$15/大人。

規模はそれほどでもないが、オーストラリア特有の動物はほぼ全て飼育されている。コアラは木の上で惰眠をむさぼっていたし、カンガルーも数種類放し飼いになっていた。ただ、カモノハシは見かけなかった。オーストラリア以外ではアジア、アフリカで分類。

(クリック:いわずと知れたコアラ。この木には餌になる葉っぱがないのに・・・写真向けのポーズ?)

この動物園の特徴は、なるべく自然のままの状態で飼育していること。ライオンなどの猛獣こそガラス越しとなっているものの、カンガルーなどは、人の通る道と動物の間には垣根すらない。“道から外れて歩かないで下さい”という注意書きがあるのみ。また、その注意書きがよく守られているのに感心。

(クリック:人を見てもカンガルーは逃げない)

今日は珍しく、空は朝から雲に覆われていて、半袖で歩いていると涼しいくらいだったが、動物園の中庭で隆子手作りのサンドイッチを食べ終わる頃から、陽射しが戻ってきて、暑くなった。全く雨が降らない。今日あたりは怪しいかな、と思っていたのに。

新聞の報道によれば、今年になってからの降雨量はゼロ。ダムの貯水量は33%にまで下がっているので、水道局が節水を呼びかけている。

この好天のお陰か、はたまた、澄み切った空気のお陰か、あるいは丸の内病院の柴医師が吸入薬を変えてくれた(フルタイド・ディスカスに)お陰なのか分からないが、このところ、喘息の具合がすこぶる良い。これは本当に助かる。

そういえば、今日は哲生が帰国する日だ。出発の際も見送ってやれなかったし、帰って来るときも声をかけてやれない。プレゼンテーションがうまくいったことを祈るのみ。

1/20/04(火)

今日の天気予報によれば最高気温は25℃。少々強行軍でもなんとかやれそうな気がする。遠出の散歩をすることにした。8:45分にアパートを出発。空は雲ひとつないが、風がヒンヤリ。涼しい。

Swan River の川幅は一定ではない。このあたりの地形自体が平坦だから、蛇行したり淀みを作ったりしながら、ユックリと海(インド洋)にそそぎ込んでいる。Perth の辺りは“淀み”が出来ているところだ。まるで湖であるかのように、膨らんでいる。地元では Perth Water と呼んでいる。

いったん『胃』のように膨らんで“すぼまるところ”を The Narrows と呼んでいる。Narrows には、その地形を利用して、橋が架けられている。方角は Perth 市の地図上では“西”にあたる。われわれのアパートから歩いて10分ほどのところだ。今日はこの橋を渡って South Perth へ行ってみることにした。昨日動物園に行くときには、フェリーを利用したが。

見かけは大きな橋だが、渡るのには5分もあれば十分だった。高速道路を通すために出来た橋だが、両脇には頑丈に囲われた広い歩道(自転車道兼用)が付いている。この橋の上からの眺めも格別だった。

South Perth 側にも Swan River 沿いに遊歩道が伸びているのだが、隆子は South Perth の家並みにイタク感銘を受けたようだった。「こんなところで暮らせたら幸せだろうな」とか、「あのマンションはどのくらいの値段だろう?」とか、とめどがない。フェリーの乗り場近くの豪奢な建物が serviced apartment であることを目ざとく見つけ「来年も来るようだったら、ココにしよう!」とイキまく。

フェリーの乗り場から更に1時間強歩くと Burnswood Resort に行き着いた。軍艦のような外見のホテル、カジノも併設されている。ホテルの前は18ホールのゴルフ場。今回 Perth に来る直前、TV番組(10チャンネルだったか?)でこの町が紹介されたとき、伊東四朗親子が泊まったホテルだ。散歩は、ここで引き返し。

帰りはフェリーとCATを利用。アパートに帰りついたら丁度12時だった。万歩計を見ると、1万9000歩。ヒルメシは、昨夜の残りのカレーライス。

1/21/04(水)

昨日 Feature Tours という旅行会社に出かけ Aquarium, Kangaroos, Koalas and Aussie Farm Tour というツアーを申し込んだときのことだ。“カミナ”という名前を告げると、カウンターにいたオトコが「カミナとはイタリア語で“歩く”という意味だよ」と、思いもかけなかったことを教えてくれた。

一昨日訪れた Caversham House のすぐ近くに Wildlife Park があり、そこではコアラに触ったり、カンガルーに餌をやる事が出来る。ウォンバットもひざに乗せられる。僕がダッコしたのは15Kgと、比較的小柄なウォンバットだったが、おとなしいものだ。

(クリック:コアラに恐々触る隆子)

(クリック:僕の掌の餌も食ってくれた)

(クリック:ウォンバット。僕はサングラスを外しておくべきだった)

Caversham Wildlife Park では、Perth 動物園よりも、動物たちはもっとのびのびと飼育されている。一匹だけだがお腹の袋に赤ちゃんをしまっている母カンガルーがいたので、赤ちゃんが袋から顔を出すまでその場に粘っていたら、すんでのところで、ツアーグループからはぐれてしまうところだった。

そこから真西のインド洋に面した Hillary という町には水族館があって、近海の海に生息する動物が4000種以上も飼育されている。ここの Aquarium もよく出来ていた。しかし“海底展示ホール”は去年オークランドで見たものと大差なかった。

午後に訪れた“農園”では羊の毛を刈る実演が興味深かった。羊は仰向けにされて股の間に挟まれると、ビックリするくらいおとなしくなる。“羊のようにおとなしい”とはこのことか、と妙に感心。

盛り沢山なツアーではあったが、疲れた。とても自炊する気分ではない。アパートから歩いて10分ほどのところにある日本食レストラン、“祭”で晩飯。夕食の外食はこれで二回目。

1/22/04(木)

ツアーは疲れる。朝5時半になると、寝室の窓越しに太陽が登ってくるのがイヤでも目に入るが、今朝はもう少し寝ていたかった。窓にカーテンを引き、7時までベッドの中にいた。

昨日のツアーに、日本人の夫婦が加わっておられた。ご主人は川崎重工にお勤めで、マレーシアのペナン付近にあるオートバイ工場で働いておられる由。「単身赴任で、もう7年になります」とのことだが、日本から来られる奥様とシンガポール空港で待ち合わせ、一昨日 Perth に着かれたのだそうだ。「旧正月で休みが取れましたので」奥様ご希望の Perth に来られたのだそうだが「明日はピナクルに行くツアーを予約しています」と。大丈夫かな、疲れないかな。

Perth に来る前は『ピナクルには是非行きたい』と思っていたが、今はどうでも良くなった。確かに奇観ではあろうけれども。隆子は「砂丘を四輪駆動で上り下りするのは勘弁して欲しい」と言うし、僕もそんなことが楽しい年齢ではなくなった。Swan River 沿いを散歩するほうが向いている。

今日は、旧造幣庁(Perth Mint)を覗いた後 East Perth まで散歩のアシを伸ばした。この辺りも新開地か?建物が全て新しい。街も綺麗。CAT (yellow) のサービス範囲だから、便利。もし住むとすれば、この辺りも候補地だ。

1/23/04(金)

昨夜、寝室の電話が鳴った。受話器を取り上げると、女性の日本語で「紙名さんですか?」と訊ねられた。中嶋君の奥さんからだった。先日日野君に教えられてメールを入れていたのだが、それに対する返事だった。予想していた通り、夏休みを利用して旅行されていた由。彼女の旧姓は「山本」、僕がトロントから海外投資顧問室に戻ってきたとき新入社員(あるいは2年目だったか?)でそこに居られたので、よく知っている。話がハズんだ。ご主人の中嶋君は27日まで帰ってこない、という。チャンスがあれば会いたいですね、と言って電話を切った。

今日の最高気温は35℃との予報。遠いところには出かけづらいので、近場を散歩することにした。昨日 East Perth へ行ったので、今日は West Perth。

西オーストラリア州の州議会がそびえていたり King's Park に接しているので、さぞや豪邸ばかりだろう、と予想していたのだが、そうでもなかった。むしろ、小ぶりの事務所が多く見られた。

勿論住まいもある。点在する店は落ち着いた雰囲気で、道端にテーブルを出している Cafe も上品。アパートからも近いので“一度ヒルメシにでも来ようか”

午後は再び King's Park に舞い戻り、木陰を探して読書。隆子はなにやら文庫本、僕は旅行用に買い込んだ『磁力と重力の発見』を初めて手にとって見た。第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大仏次郎賞を取って評判の本。著者は物理学を専攻した人だが、書かれている日本語には心地よいリズムがあり、読みやすい。しかし、内容が内容。木陰で心地よい風に吹かれていると、眠気を催してくる。

1/24/04(土)

本日の夕食は“豪華版”だった。いつも使っているスーパーが『オーストラリア・デイ特別せール』と銘打ってロブスターの安売りをやっていることが新聞広告に出ていたので、早速行ってみた。一匹 A$9.88。この辺のロブスターはハサミを持たないヤツ。つまり、イセエビである。ナマだと刺身に出来たのだが、売っていたのは既にボイルしたヤツ。

二匹買ってアパートに持ち帰り、念のため、サッと熱湯を潜らして食したのだが、なかなかイケた。レストランでなら、ウン十ドルは払わされるところだ。

その晩飯を済ませて、最高裁判所の前庭(芝生)に急いだ。7時半からオペラ・コンサートが開かれる。VIP席は夕食つきで A$150.00 もするが、そのほかの席は無料。みんな、ブランケットや簡易チェアをぶら下げてやってくる。それどころか、ワイン、ビール、食べ物も持参。オペラを聴くというよりピクニック気分。勿論、とがめだてする人なぞいない。ただ、会場全体にわたって禁煙。

本格的なオペラを通して演ずるのではなく、いろいろのオペラから独唱、デュエット、合唱を選曲してのステージだった。出演者は西オーストラリア歌劇団の面々、オーケストラは西オーストラリア管弦楽団、なかなか本格的な演奏だった。期待以上のウマさ!

インターミッションの前あたりから、肌寒くなってきた。昼間はあんなに暑かったのに。こちらの人は手馴れたもので、上着や、なかにはセーターまで持参している人もいる。とても終演までは粘れず、途中で帰ることにしたが、アパートに帰り着くと、もう10時。

1/25/04(日)

やっぱり Fremantle のマーケットを見に行ってみよう、ということになった。それに、昨日いつものスーパーで買い物をしていたとき、日本人の元気な老人に声をかけられ「Perth は42年ぶりです。明日、フリーマントルに日本の海洋科学技術センターの観測船『MIRAI』が入港するので、行ってみようと思っています」と聞いたのも再訪する動機となった。

Subiaco のマーケットに比べると、数段、スケールが違った。店に並んでいるものも、つい、手を出したくなる。しかし、これからメルボルンに行かねばならない。荷物は小さければ小さいほど良い。

マーケットはそこそこにして、港に行ってみることにした。途中、カフェでヒルメシ。こちらへ来てから初めて Fish & Chips を食べたが、これまで食べたフィッシュ・アンド・チップスの中では最高の味。隆子はパンケーキを選んだが、これもなかなかだった由。

港には『MIRAI』が入港しており、見学者がぞくぞく乗船していた。われわれも後に続く。記念品を頂いて下船。

(クリック:なかなかカッコイイ船だった)

なかなか面白い一日だったが、一番印象に残ったのはインド洋の青さ。そして、その水の綺麗なこと!

1/26/04

今日は『オーストラリア・ディ』(本来は1月25日のようだが、昨日は日曜日だったので一日ズレたよう)。午前中はいろいろなセレモニーがあるようだが、それらには余り興味がない。午後には大衆向けの催し物があった。

まず、航空ショウ。3時からスカイ・ダイヴァーのデモンストレーション(これは全部で4回、いろいろ趣向をたがえて行なわれた)、宙返りを含む曲乗り、空中に“笑顔”を描いたり、編隊飛行。でも、そのほとんどはプロペラ機で、ジェット機は最後のほうに1機低空飛行のデモをやっただけだった。

(クリック:スポンサーの地元TV局(チャンネル7)が行なったヘリコプターを使った宣伝)

最後はヘリコプターがオーストラリアの国旗を機体の下に下げ、会場になっている Perth Water を一周。期せずして観衆は国歌の斉唱。

この間、Perth Water では Water Show が行なわれていたが、全てのショウは水面のごく一部を使用したスケールの小さなものばかりで、観衆の注目は、もっぱら、上空の航空ショウに向けられていた。もっとも、われわれの目前で Water Ski のデモが行なわれたので、そのときばかりはそちらを注目したが。

フィナーレは“花火”。こちらは午後8時の開始。それまでに、航空ショウ、ウォーターショウも共に終了。花火は何発上がったのだろうか?30分間、とめどなく打ち上げられた。なかにはハート・マークがヒシャゲてしまっている失敗作もあったが、なかなか壮観だった。水の上で打ち上げられる花火に呼応するかのように、シティの高層ビルの屋上からも打ち上げられるなど、演出もなかなかのものであった。

(クリック:この花火ショーはなかなかのもの)

われわれのアパートは地の利を占めている。遊歩道を歩いて10分ほどのところにブランケットがわりのバスタオルを拡げ陣取った。人出の多さに比べ屋台の数が少なく、大混雑。われわれの夕食はフライド・チキンとフライド・ポテト。

1/27/04(火)

「今日は最高気温34℃の予報。暑くなりそうだから、遠出の散歩は見送りにして、電車でどこかに行きたい」という隆子の提案で、Joondalup Line で終点の一つ手前 Joondalup まで行ってみることにした。

地図の上では、終点の Curranbine の近くに Neerabup という国立公園があるが、全く情報を持ち合わせていない。整備されていればまだしも、原生林だったりするとテの下しようがない。Joondalup には近くに Joondalup Lake というかなり大きい湖があり、そこへは道路もあるので歩いていけそうだ。

Fremantle 行きの電車は単線だが、こちらは複線。駅は全て新しく、かつ、モダンであるところをみると、どうやら新しく敷かれた路線のようだ。両脇には高速道路が走っていて、鉄道は丁度その真ん中を走る格好になっている。

Joondalup も気持ちの良い町だった。家屋は全て新築、発展途上の町。反面、街路樹はまだ低く、木陰が少ない。湖の手前は広い公園になっていて、子供たちが夏休みを謳歌していた。Joondalup 湖は小鳥のサンクチュアリーか、岸辺にワンサカ群れをなしていた。

電車の切符は2時間有効なので、時間内に Perth へと引き返した。ヒルメシドキだ。Perth 駅の北側 Nothbridge の St. James St.で中華(点心)でも食べたい。Fremantle で fish & chips, 昨夜は花火を見ながらフライドポテトを食べた。決して嫌いではないが、続くとやっぱり食傷気味になる。

宮倉さんが教えてくれた店ではないかと思われる店があったが満員で、10分ほども待たねばならない、という。本通りに戻って“上海点心”の看板を掲げている店に入った。ビールを頼んだが、酒類は置いていなかった。やむなく、中国茶と点心を適当に頼んだのだが、みんな、予期以上の味で、大満足。

1/28/04(水)

中嶋君の奥さんから「今回は日程があわないので・・」という断りのメールが入ったが「小林延嘉さんが Perth に戻っておられると思います」と、電話番号が付け加えられていた。

早速電話すると「えぇ、1年半ほど前に帰ってきました」との返事だった。なんでも、奥さんがリンパ腫を患われて、とるもとりあえず、帰ってこられた由。強烈な抗がん剤を投与すると共に、レントゲン照射を行なって「見事生還ですよ!」とのこと。まずは、良かった、良かった。ヒルメシでも、との約束を本日実現。

(クリック:久しぶりの鰻重はウマかった)

小林君の奥さんとは“奇縁”がある。僕がトロント事務所に勤務していたとき秘書を募集していたのだが、彼女も応募してきた。オーストラリアの大学で日本語を勉強、なかなか上手。いい人だったが、残念ながら Canada の work permit を取得していなかったので、断らざるを得なかった。その後西海岸に回り、ロスアンゼルスへ。そこで、ロスアンゼルス支店に勤務していた小林君と会い、意気投合したらしい。

彼女の出身地が Perth。今は小林君がこちらへ来て、一緒に暮らしている。現在大学生のお嬢さんをかしらに4人の子供さんに恵まれているとのことだ。

ランチの場所は『祭り』にしてもらった。なにしろ、当方にはアシがない。このレストランだとアパートから歩いて10分足らず。少々音響効果が悪く、話しづらいのが難点だが、一時間強も付き合わせてしまった。

1/29/04(木)

いよいよ、Perth では余すところ2日。特に行きたいところもなくなってきたので、今日は Subiaco まで歩いてみるか、ということになった。地図で見る限り、そう遠くはないし、昨日、ミセス小林も「歩けますよ」と言っていた。

例の Criff St.の階段を上り、Kings Park に沿って伸びる Kings Park Road を一路西へ。久しぶりの(というより、Perth へ来てから二度目の)曇天。気温も、そう高くない。

張り切って歩き出したのだが、アッというまに、Subiaco に着いてしまった。万歩計をみると、まだ4千歩にも届いていない。これから、どうするか?リュックザックには隆子手製のサンドイッチが入っているが、まだ、10時半、ヒルメシには早すぎる。

地図を広げてみると、かなり先だが、Perry Lakes という所が緑に塗られている。公園になっているに違いない。そこまで行ってみよう、と決心。

Perry Lakes に着いたら、丁度12時。広大な公園だが、ウィークディのせいか、人影は見当たらなかった。芝生は綺麗に整備されていて、気持ちの良い公園。

帰りも歩き。アパートに辿り着いて万歩計を見ると、22,000歩。さすがに疲れた。

夜は Northbridge にある K's Restaurant を予約。隆子が、去年の秋、10チャンネルの番組(『ポカポカ地球家族』土曜日放映)で紹介された日本人シェフの店ではないか、と言う。日本的に工夫したフレンチだそうだ。

会計を済ませる際にたずねてみると、はたして、その通りという返事だった。ちなみに、K's とは“奥さんの名前から取った”とのこと。テーブルの上にはスプーンが二つと、お箸が一膳。フレンチにはつき物のナイフ/フォークは見当たらない。パンとバターに代わってご飯とミソ汁。味は合格点。隆子は「久しぶりに食べ過ぎた」とのたまう。

食事が終わると、もう CAT のサービスは終了している時間帯。Perth 駅の西側を見ると、歩道橋が架かっている。これが使えればエライ近道だ。アパートまで、10分ほどの散歩。

1/30/04(金)

Perth も本日限り。残り惜しい気がするが隆子は「これ以上いても退屈するかも。この辺が丁度いい」と言う。そうかも知れない。

お別れに West Perth のカフェでランチをしませんか、という隆子の提案で、午前中に Kings Park をぶらぶら、頃合いをみて隣の West Perth へ行った。はじめは Hay St.の何でもないカフェに入ろうと思っていたのだが、途中、ちょっと洒落た店があったので、飛び込んだ。

「どちら様でご予約を承っているでしょうか?」といきなり訊かれてまごついてしまった。満席だという。諦めて帰ろうとしたら「この席なら2時まで空いています」と言うので腰を落ち着けた。なるほど、金曜日、かきいれどきなのだ。

隆子はスープとガーリック・トースト、それに、この店自慢のソフト・ドリンク、僕はまたぞろ fish & chips。加えて、ビールと白のグラス・ワイン。雰囲気もよく、味も良かったが、予算を少々オーバー。

ダウンタウンに戻り、メルボルンの地図を買った。以前、仕事で訪れたことはあるが、ほとんど何も覚えていない。着いてから慌てないように、少しでも“土地勘”を養っておきたい。それにしても、TV のニュースによると、昨夜からの嵐で町は水浸しとか。大丈夫かな?

1/31/04(土)

Perth の serviced apartment, Mounts Bay Village をチェックアウトするとき、ひと悶着あった。

残金を支払う段階で請求額がどうも少し多すぎる感じがしたので、請求書を改めて調べてみた。すると、宿泊費が僕の計算より一晩分多く請求されている。

最初の2週間は A$740.00 で僕の計算どおり(1泊 A$148.00 だが5泊連泊すれば、6,7泊目は無料になる)。しかし、最後の週は6泊分、マルマル請求されている。「おかしいじゃないか」と抗議したら「7泊すれば5泊分の請求、それ以下だと宿泊した分を全額請求することになっている」と相手は引き下がらない。

頼んだタクシーが到着したので不承不承引き下がったが、オーストラリア人のアタマの構造がおかしいのか、僕のほうがおかしいのか・・・

メルボルンに着くと、心配していた『嵐』は通り過ぎていた。ひとまず、安心。

Perth を10時に発ったのに、メルボルンに着くと、もう4時。飛行時間は正味3時間だが、メルボルンは『夏時間』を採用しているのでこうなった。予約している Serviced apartment まではタクシーを利用したが、フロント・デスクは、既に night manager にシフト済みだった。

鍵を受け取って指定されたアパートへ行った。古い3階建ての2階部分である。エレベーターはないので、階段で重い荷物を引き上げるハメとなった。隆子は「アンティーク調だ」と喜ぶが・・・

(クリック:リビングルーム)

ここでも電話のシステムが良く分からず、インターネットが使えない。何度も試みたがダメ。フロントに相談すると「月曜日には良く分かった人が出勤してくる」とのことで、それまで我慢。

時差の関係でハラが減らない。といって、何も食べないわけにはいかないから、Torak Road をぶらぶら、安そうなイタリアン・レストランでスパゲッティを注文。ついでにアンティパストを頼んだら、そのボリュームにビックリ。

2/1/04(日)

今朝の目覚めは悪かった。昨夜の寝つきも悪かったし・・・やっぱり、時差が堪えているのだろう。

ともあれ、食料品の確保をせねばならない。宿に備え付けの『案内』を頼りにスーパーマーケットを探す。行き着くまでは“遠い”と思ったが、帰りは宿の場所が分かっているので近道。それほどの距離でもないので一安心。

午後は『歩き』に出た。新しい土地で土地勘を得るには歩くことが一番。メイン・ストリートの Torak Road から、巨大な公園 Kings Domain を縫うように走る Birdwood Av. を辿ってゆくと Melbourne Concert Hall に行き着いた。日曜日のせいか、ボックス・オフィスは閉ざされたまま。その代わり、廊下部分を利用して“Sunday Market”が催されていた。結構な数の店が軒を連ねていた。人出も多い。

(クリック:Kings Domain の花時計)

帰りも歩き。今度は St. Kilda St.経由で。

2/2/04(月)

嵐こそ過ぎ去り雨も降らないが、Perth に比べると雲が厚い。それに、涼しい。こんな日が続くようだと、上着が要る。傘を持ってくるのも忘れている。

Torak Road をウィンドウ・ショッピングしながら歩いていると、傘を売っている店があった。早速飛び込んで物色。ついでに、メルボルンの二月はどんな気候か尋ねると「暑いですよ。40度になることもあります」との答えが返ってきた。上着を買うことは止め。

今日もダウンタウンに行ってみることにした。トラムを試してみたい。一回の利用(ただし2時間有効)は A$3.

Torak Rd.にセブンイレブンがあり、そこでトラムの切符も扱っているので、回数券を買うことにした。乗り放題の Weekly チケットなら A$25 で買えるが、街中ばかりを見物して回ることはしないつもりだし、歩きたいときも多いはず。回数券(10枚で A$26)は有効期限がない。

ダウンタウンには流石に“お店”が揃っている。粋な専門店、ガラクタも売っている骨董店、カフェ、ファースト・フッド・・・もちろん、百貨店もサイズの大きさ、品揃えの多さ、アカ抜けた展示・・・流石、大都市である。隆子は俄然勢いづく。“水を得た魚”という表現がピッタリ。お目当ての品はまだ見つからないようだが、それで挫けたりはしない。

帰りは歩き。Concert Hall に立ち寄ってみたら、あさっての夕方に Kings Domain の野外音楽堂でフリー・コンサートが催されることを知った。シベリウスの『Finlandia』、ブルッフ『Violin Concerto』、ドボルザークの『9番』と、ポピュラーなものばかり。ついでに、会場も確認。『歩き』のメリット。歩かなければ得られなかった情報。

2/3/04(火)

St. Kilda まで歩いた。一週間ほど前、David Hookes が仲間と酒を飲んだ後、ホテルを出たところで諍いを起こし、倒れて頭を打って死んでしまった街である。彼はクリケットの名手で、オーストラリアの国民的英雄だったらしい。テレビ・ニュースでは随分取り上げられて、葬儀の模様も放映された。

ここは海岸べりで、海水浴場、ヨット・ハーバーもあり、メルボルン市民の夏の遊び場。近年は夏だけでなく、一大歓楽街として発展していると聞いていたが、ウィークディのせいか、人通りは少なかった。もっとも、今日は最高気温が20度ほどと涼しく、とても海に出て行く気にはならないのかも。

街の中心街、フィッツロイ・ストリートでヒルメシを食って帰ることにした。どの店も、結構なお値段。やっと、ピザやフレンチ・トーストも食べられるイタリアン料理のカフェを見つけた。店の名前は The Monroe。壁一面にマリリン・モンローの写真が飾られている。そうか、彼女はイタリア系だったのか。そういえば、旦那だったジョー・デマジオもイタリア系移民の子孫だった。

2/4/04(水)

今夜は 7:00pm から Kings Domain の Music Bowl でコンサートがある。Music Bawl はステージのすぐ前に1,000席ほどの椅子席があるが、後方はなだらかな芝生席。“折りたたみ椅子、毛布は勿論、お弁当も持っていらっしゃい”とのことだから、隆子がサンドイッチを作って持って行くことにした。だから、一度、4時頃までにはアパートに帰らねばならない。

そのワリには幅広い行動を取ることになった。

まず、South Bank に行った。Yarra River の南側は、その昔何があったのかは知らないが再開発されて、今では、Melbourne のもっともナウいところとなっている。IBMが巨大なビルを建てていたり、シェラトンホテル、ショッピングセンター、無数のカフェ、フェリー乗り場、オーストラリア最大級のカジノまである。気に入ったのは『プロムナード』。夕方にでもブラつけば、最高の気分に浸れそうだ。

(クリック:再開発され綺麗な店が並ぶ)

そうそう、高層ビルのアパートも建設中で、案内所で訊ねたら40万(A$)からある、とのことだった。日本円で3,000万円ほどだ。

隆子が「Queen Victoria Market を見てみよう」というので行ってみたが、あいにく、本日は休みだった。スケールの大きいマーケット。また来ることになろう。

コンサートのほかに、もう一つ気になることがあった。

今回オーストラリアに来るに当たって、隆子には秘めた目的があった。オーストリッチのバッグを買うこと。オパールには興味がない、オーストリッチ・・・

駝鳥はオーストラリア・・・とは言うものの、それが, なかなか見当たらない。デパートにもないし、バッグ専門店にもない。なんと、駝鳥を育てる農家が少なくなって、原皮の供給がママならないのだそうだ。隆子はすっかり落ち込んで「去年、ニュージーランドにはあったのに。あそこで買えばよかった。オーストラリアのほうが安い、と思っていたのに。」

ところが昨日、Torak Road の小さな店にあるのを僕が見つけた。いっぺんに気に入ったらしい。しかし、A$1,400 は予算オーバー。いったん諦めて店を出たのだが、アパートに帰っても、どうも諦めきれない様子。結局『誕生日』のお祝いに買ってやることにした。誕生日は日本を発った後で、食事にも連れて行っていない。

サンドイッチ作りの前に、その店に行かねばならない。売切れたりしていたら、それこそ大変だ。

2/5/04(木)

アパートの近くを走る Punt St.を真っ直ぐ北上すると Yarra River に行き着く。川に沿って Alexandra Av.が走っているが、川端には予想通り遊歩道があった。伸びるに任せたすずかけの並木が涼しい木陰を生み出してくれている。

それをダウンタウン方向にどんどん進んだ。遊歩道の傍らでは、インコだろうか、可愛い小鳥が餌をついばんでいる。川面をボート(競技用の本格的なヤツ)が滑ってゆく。川の向こうにはオリンピック会場となったスポーツ施設が芝生の中にそびえて見える。見事なまでの眺めである。

今日の最高気温の予想は33℃。久しぶりの“30度台”だから、余り歩かず、観光バスにでも乗ってみるか。ガイドブックによれば、City Hall の真向かいから2階建てのバスが出ていると言う。そこに行き着くまでは歩き。アパートからは8000歩ほどだった。『歩き』は今回の旅行の目的の一つである。雨でも降らない限り、やめるわけにはいかない。

市内の名所を21箇所巡る、とガイドブックには出ていたが、利用者は余りいないのか、先客は3名だけ。既に訪れたところも多かったが、今後の予定を立てるのに参考になった。料金は A$30.00、切符には“24時間有効”と書いてある。つまり、その間は『乗り降り自由』というわけだ。運転手は「ただし、夜中は走っていないがね」と片目をつぶってみせた。

2/6/04(金)

今日は良く歩いた。アパートに帰り着いて万歩計を見ると、24,000歩と記録されていた。いささか、疲れた。

まず、昨日と同じルートをたどって Yarra River 端まで行き、橋を渡って向こう岸に行った。オリンピック・スタジアムは改装中で中に入れなかった。その隣はロッド・レーバー・コロシアム。オーストラリアが生んだ偉大なテニス・プレーヤーの名前を冠したテニス場で、つい先日まで、全豪オープンが開催されていたところだ。

その隣はクリケット・スタジアム。今日も試合があるらしく、観衆と思しき人が集まってきていた。そこを抜けると、Fitzroy Gardens。隆子が一番行きたがっていた公園である。

評判どおり、美しい公園である。楡の木だろうか、とても抱えられないくらいに大きく育った樹木が、並木道を形作っている。芝生も綺麗。メルボルンへの入植者が一番初めに造った公園だそうで、元来はユニオンジャックの模様に造られていたのだそうだ。この公園にはキャプテン・クックの生家が移築されている。僕らも訪れた。

それから、St. Patric 大聖堂、州議事堂などを巡ったあと、旧市街を一気に横切り、クイーン・ヴィクトリア・マーケットへ。今日は市場が開いていた。噂以上に巨大。あまた出店している魚屋の一つで鮭の切り身を二つ買い、それが今夜の夕食。

(クリック:このマーケットは巨大で活気がある。食料品、衣類・・・)

2/7/04(土)

今日は初めて電車に乗った。メルボルンの電車、バス、トラムは Met (メルボルン都市交通局)が一括運営・管理しており、料金・切符とも共通。通常、切符は2時間有効であり、どの交通機関に乗り換えても、運賃を加算される心配はない。全く合理的な『仕組み』である。これまでトラムは利用したが、電車は今回が最初。

アパートの近くに South Yarra 駅があり、そこから4つ目のリッポンリー駅へ行った。所要時間はわずか6分ほど。目的は19世紀に建てられた大邸宅、リッポンリー・ハウスの見学である。

この館はサーグッドという、イギリスからの移民で大成功した商人が1868年に建設したもので(1868年から建設を始め、途中さまざまな手直しの末1903年に完成)、14エーカーの敷地に30室もの館、プール、池、温室、花壇などがしつらえられた豪壮なものである。彼は後年ナイトの称号を英国王室から拝受、また、オーストラリアの代議員にも選ばれている。

この館はサー・フレデリック・サーグッドの死後、当時州知事だったトーマス・ベントへ、それから、ベンジャミン・ネイサンの手に移り、最後はネイサンの娘から『ナショナル・トラスト』へと引き継がれたものだそうだ。館内の見学は、ボランティアのガイドつきツアー以外は許可されていない。われわれ(二人だけ)を案内してくれたのは、気の良い、話し好きのおばあさんだった。また、館内の写真撮影でフラッシュを点けるのは禁止されている。僕は初めから撮らなかった。

いったんアパートに帰り、ヒルメシ。今夜は野外コンサートの2夜目である。これにも是非行ってみたい。この前は開演1時間前に会場に着いたが、余り良い席は残っていなかった。今回は2時間前に行くことにする。

2/8/04(日)

昨夜も Kings Domain の野外コンサート場へ出かけた。Sydney Myer Free Concert の2夜目である。シドニー・マイヤーは1878年にロシアで生まれ、1899年にオーストラリアに移民してきた。1911年にメルボルンで商店を開いたが、これが大当たり。今でも、当地では有数の百貨店である。1934年に亡くなったが、音楽を愛した彼は、市民に無料で音楽を楽しんで欲しいと基金を設立したのが、そもそもの始まりだそうだ。パンフレットに、そう書いてある。

(クリック:オーケストラ・メンバーは正装だが、聴衆は普段着。なかにはピクニックの用意をしている家族ずれも)

昨夜のプログラムは

Edward Elgar; In the South-Overture

Frederic Chopin; Piano Concerto No.1

Ludwig van Beethven;Symphony No.5

で pianist は Raymond Yong、今オーストラリアでは最も期待されている新人だそうだ。マレーシア生まれだが、こちらで育った。

どうしても、水曜日の演奏会と比べてしまうが、どちらも甲乙つけがたかった。モントリオール・シンフォニーは、今はまだシーズンオフだというのに、音がいい。隆子は「こんなすばらしいオケをタダで聴けるなんて!」と感激の面持ち。オーストラリアも結構懐が深い。

隆子は「独奏者は水曜日のバイオリンの方が良かった」との感想。ちなみに、水曜日のプログラムは

Jean Sibelius; Finlandia

Max Bruch; Violin Concerto No.1

Anton Dvorak; Symphony No.9 (From the New World)

で violinist は Vivien Jeffrey、まだ音楽学校を卒業したての新人。しかし、その音色はセクシーで、特に高音がのびのびしていた。

なにも『タダだから』このコンサートを選んだわけではなく、レギュラー・シーズンはまだ始まっていない。ボックス・オフィスで手に入れたスケジュール表によれば、岩城宏之さんも7月24,26,29,30,31日と5回も指揮される予定のようだし、バイオリンの竹沢恭子さんも8月には演奏会が組まれている。メルボルンは音楽家にとっても重要なマーケットのようだ。

今回のコンサート場でいささか驚いたこと。それは聴衆のうち、かなりの数は『非英語圏』からの人達だ、ということ。水曜日の席は最前列だったのだが、すぐ後ろの席で話しているご夫婦は明らかに北ヨーロッパの言葉。昨夜隣の席を占めたオバサン・グループも、ロシア語かポーランド語のようだった。勿論、中国人も多い。日本人は比較的少数民族のようだ。

今日は酷暑。予報では38℃。朝の涼しい間だけ Kings Domain に隣接する植物園を2時間ほど散歩して、アパートに帰った。ここも、息を呑むような見事な景色である。広い。大きい。それが入園無料。マグノリアの大木に白い花が、これまた、見事と言うしかなかった。

午後3時頃、隆子は「お土産を探してくる」とアパートを出て行ったが、僕は冷房の効いた部屋でヒルネ。果たして、気温は39.8度まで上がったそうだ(テレビの報道)。それも、3時頃に記録。「砂漠の温度はこんなんだろうね」とは、帰ってきた隆子の第一声。

2/9/04(月)

アパートを替るのは明日のハズだった。今までのアパートでそれほど不足があるわけではないが、啓子が建国記念日を挟んで短い休暇を取り、4日間ほどだが、僕らと合流することが確実になった。啓子は「会社が忙しい時期に・・・」と大分悩んだようだが・・・

そうなると、これまでの1ベッドルームでは少々狭い。アパートの事務所を訪ねて2ベッドルームのアパートを見せてもらうと、広さはもとより、設備が大分よろしい。隆子は『アンティークねぇ」と言っていた前言をすぐさま翻し、いっぺんに気に入ってしまった。

午後は『パッキング』に充て、午前中はダウンタウンまで出かけた。昨日に比べ、随分涼しい。今日の最高気温は24℃との予報である。昨日より10℃も低い。絶好の『散歩日和』である。散歩以外、特に目的はなかったのだが・・・しいて言えば、日本食、なかんずく『丼物』が食べたくなっていた。

普段歩いていると、メッタやたらに“sushi”の看板が見られるのだが、いざ探す段になると、これが不思議に見つからない。州議事堂あたりまで行って ITO とかいうレストランに入ることが出来た。隆子は天丼、僕はカツ丼。「飲み物はお茶がいいですか?」との問いに、軽く返事したのだが、一人当たり A$1.80 の請求。

4時ごろ、パッキングが終わったので事務所に出かけてみたら「今日移ってもいいですよ。一日分の超過料金はオマケしておきます」と望外なオファー。おまけに、事務所の若い男の子が荷物を運んでくれるという。古いアパートから新しいアパートまでは800メートルほどしか離れていないが、トランクを押して歩くのは体裁が悪い。(タクシーを呼ばなければ。面倒だなぁ)と思案していた矢先だったので、この申し出には感激。

古いアパートの住所: 8 Alexandra Street, South Yarra

新しいアパートの住所: 30 Murphy Street, South Yarra

(クリック:新しいアパートの居間の写真

2/10/04(火)

雨が降った。オーストラリアへ来て、初めての雨である。引越しが昨日で本当によかった。雨の中での引っ越しなんて・・・考えるだけで気が滅入る。

引越しは今日のハズだったから、何の計画もなかった。隆子が「それでは、Toorak Village をもう一度見てみたい」というので、午前中は彼女のオツキアイ。

この通りは、なかなか『味』がある。基本的には住宅街だが、ところどころに商店が軒を連ねている。店のサイズはそれほど大きくはないのだが、いずれもハイセンス。“竹の子族”こそいないが、隆子の表現を借りると、「原宿みたい」な感じのする通りである。

ヒルメシのあと、歩き足りないので、また、散歩に出た。雨は上がっていたが、念のため、傘を持参。

Darling Street を北に、Yarra 川のほとりまで出て、東に向かった。勿論、初めて歩く道である。

Yarra Bent まで遊歩道が続く。終点を右に折れて Grange Road の坂を登ったのだが、この辺りは豪邸続き。「こんなところで生まれ育った人は羨ましいなぁ」という隆子の嘆声には実感が篭り過ぎるほど篭っていた。

2/11/04(水)

啓子がやってきた。Quantas の直行便(JALとの共同運航)。日本人らしき人が随分降りてきたのに、なかなか現れない。後で聞くと「バッファリンがあったので『申告書』に“お薬を持っている”ところにチェック・マークをしたら、Red Line に並ばされた」とのこと。真っ正直な啓子らしい、と苦笑い。

朝から雨。啓子はトランクに入れ忘れたらしい。懸命に探していたが、見つからない。まず、傘を買うことから一日が始まった。ランチは Chapel Street の小さな店で『スブラキ』。ギリシャの食べ物だそうだが僕は初めて。「丸の内の店に比べると4倍はあるよ」と啓子。

Como House を訪ねてみたが national trust だけあって、ここも内部はガイドつきでないと見せてもらえない。次の案内まで20分もある。それまで待つとなると、中途半端な時間になってしまうから、割愛。雨はまだ降り続いているが、傘をさしても見物に差しさわりのない動物園に行くことにした。動物園も啓子の観光リストの一つ。

トラムに乗ってみたものの、どこで乗り換えてよいか分からない。いっそのこと、タクシーを使うことにして Flinders Street でトラムを降りた。ここなら、タクシーが捕まえやすい。

動物園の入園料は意外に高かった(A$18.00/人)。幸い、雨は小降りになってきている。広々した美しい動物園だ。

最初に飛び込んだ『洞窟』が、偶然、“カモノハシ”の展示館だった。照明は暗い。われわれ以外誰も見物客はいなかったから、周囲は静寂そのもの。カモノハシを見るのは生まれて始めてだ。澄み切った水槽の中を泳ぐ様には眼を見張った。もう、これだけで入場料のモトは取れた感じ。

この動物園は管理が上手なのか、全ての動物がイキイキしている。そして、キレイ。イノシシでさえ泥まみれではない。コアラも見たが、ユウカリの若芽をムシャムシャ食べたり、隣の樹に飛び移ったり・・・ハンドバッグになる前のオーストリッチも見た。

雨はあがったが、寒い。見物は適当に切り上げて、家路を急いだ。

(クリック:ヤラ川の川べりに沿った道路。このあたりも高級住宅地だ。ポーズをとる啓子)

2/12/04(木)

昨夜は良く寝た。一昨夜は“出迎えに遅れたらマズい”という気持ちが強かったせいか、眠りが浅かった。昨日一日、なんだかカラダが思い感じがしていたが、今日はバッチリ。

啓子に“行きたい所”をリストアップさせて、行程を決める。ヤラ川、Flinders Street Station、フィッツロイ公園、セント・パトリック寺院・・・あとは、お店。それなら、簡単だ。

まず、Darling St. を Yarra 川端へ抜けた。例の、川沿いの遊歩道を歩こう、というわけだ。われわれにとっては3度目だが、何時見ても見飽きない。啓子も「普通の観光旅行だと、こんなとこ歩かないよね」と満更でもなさそう。

フィッツロイ公園ではポッサムを見た。初めての経験。夜行性だから、昼間見られたのはラッキー。リスのように木に登って逃げようとしたが、リスほど木登りが上手ではない。幹にしがみついたまでは良かったのだが、手足が拡がり過ぎたためか動けなくなってしまったようだ。手で捕まえようと思えば、それが可能と思えるほど。

いったんアパートに戻り、少しマシな格好に着替えて Tram Restaurant へ出かけた。乗り場は South Yarra Bank の西側、随分不便なところ。予約したときに「5時半出発ですから、5:15 までには乗り場に行ってください」と言われていたのだが、電車に乗り込めたのは6時チョット前。

啓子と僕はステーキのレア、隆子はミディアム・レア。アペタイザーのパテが美味だった。食前酒のシャンパンをはじめ、ワインなどは無料で飲み放題。雰囲気もなかなか。どこまで行くのか興味があったが、St. Kilda まで行って引き返した。観光客ばかりかと思っていたが、地元の人も多い。金婚記念の老夫婦がウエイターに紹介されて、喝采を浴びていた。隣の席の老夫婦もご主人の誕生日記念とか。

(クリック:トラム・レストランで啓子と)

2/13/04(金)

夜半、時計を見たら2時半だったが、すごい水音で眼を覚ました。トイレの外で飛沫の音がすざましい。まるで、水道管が破裂しているみたいだ。全員、起きてきた。着替えて様子を見に外へ出たが、何のことはない、スプリンクラーで中庭の樹木に水を遣っている様子。ホッと息をついて戻ったが、なんとも人騒がせな話。

今日は Winery Tour。Yarra Valley はオーストラリア・ワインの発祥地。今でも生産高は国内有数の地だ。フェデレーション・スクエアの真向かい、St. Paul 寺院の前からミニ・バスが出る。9時半の出発で帰りは5時頃になる。

メルボルンから東北方向に約1時間の走行。ドライバーの説明によれば、このところ住宅が急増しており“郊外”の様相が強くなってきた由。なだらかな起伏が続き、牧歌的な気分に浸る。

全部で4軒のワイナリーを訪問。行く先々で“テイスティング”をするわけだから、隆子は「もう飽きた」とネをあげる始末。2軒目のワイナリーで昼食。隆子と僕は魚を選んだが、啓子は『オージー・ビーフ』にこだわる。魚はサーモンだったが、美味。

最後に訪問したワイナリーは Moet Chandon の“オーストラリア・ワイナリー”で、親会社と同じ工程でワイン造りをしている由。赤の“スパークリング・ワイン”を哲生へのオミヤゲに一本購入。

(クリック:ワイナリー・ツアーのバスの前で啓子)

2/14/04(土)

実質、啓子が滞在する最後の日だ。一番の“ヤリ残し”は“オミヤゲを買うこと”だそうで、それに没頭できるスケジュールにした。

とは言うものの、朝っぱらから店が開いているわけでもない。アパートの近く、植物園を見学してからトラムで市内に行くことにした。

植物園には啓子も気に入ったらしい。樹木の育ち具合、芝生の緑、日本ではあまり見ることの出来ない珍しい花、そして、鳥。ベルを鳴らすように鳴く鳥の名前を動物園へ行った折、通りかかった専門家に教えてもらったのだが、三人とも“bell-何とか”としか覚えていない。その鳥がよく鳴く。芝生の上を池から上がった黒鳥がヒナを連れて散歩している。のどかである。

植物園から Kings Domain を抜け、St. Kilda通りでトラムに乗った。Collins/Swanston で Brunswick 方面のトラム(112)に乗り換え、啓子が目指す“雑貨屋街”へ向かった。ガイドブックに3軒ほど紹介されているらしい。一応、目指す品物が買えたらしく、満足した模様。Fish & Chips で昼飯を済ませたが、まだ、これからダウンタウンに行くと言う。隆子も同行するらしい。

今日は最高気温41℃の予報だ。とても付き合いきれない。それまで二人が仕入れた品物を全部リュックに詰め、一足先にアパートに帰った。二人がご帰還遊ばしたのは4時半。ご苦労なことだ。

夕食はアパートの近く Harveys Restaurant に予約を入れた。バレンタイン・デイでもあり、満員。「7時半までに席を空けてくれるなら」という条件でOK。アペタイザーとデザートは別々のものを頼んだが、メインはラム。評判の店だけにウマかった。

2/15/04(日)

4時半起床。身支度を整えて空港へ。タクシーの運転手の話では「ゆうべ、11時でも34℃ありましたよ」とのこと。しかも2時頃雷雨があたので、おそろしく湿度が高い。

啓子を送り出し、帰りは空港バスを利用した。市内(Spencer Street Station) までA$13.00/人。やはりタクシー(片道A$50.00程)に比べると安上がり。バス停からは歩いて帰った。Southgate 経由で例の Yarra River 沿いの遊歩道。ハエが付きまとわって、うるさい。これさえなければ満点なのだが。

アパートに帰っても、なんとなく体がダルい。やっぱり、睡眠不足なのだろうか?

啓子が帰国して、また普通の生活に戻った。Toorak Village の Safe Way で食料の買い込み。隆子が「ゴハンが上手く炊けないのでお米を買うのはもうヤメにしたい」と主張するので、冷凍の fried rice を買った。これも、ビールを飲んでいるうちにどうでも良くなり、見送り。

2/16/04(月)

昨日と打って変わって、まことにサワヤカ。本日の最高気温は24℃の予報だが、何よりも湿度が低い。酷暑のなか土産物買いに動き回った「啓子が可哀相」と隆子。

今日は「博物館にでも行ってみるか」ということになった。天気がすばらしいので、植物園から Southgate、隆子が「見るだけだからお願い」との要請を容れて Collins Street の坂を登った。ここは高級店が並ぶ通りだ。

Hyatt Regency の門をくぐったまま、隆子はなかなか出てこない。シビレを切らした頃現れた。手に白い袋を提げている。やっぱり『運命の品』に巡り合ってしまったのだった。

Exhibition Street の角にある English Pub で昼飯。隆子は Breakfast メニュー、僕は Fish & Chips とビール。僕の皿から一口つまんで「啓子にこれを食べさせてやりたかった!」と隆子。一昨日 Brunswick で食べた Fish & Chips も野趣あふれて悪くなかったが、味は English Pub には比べられない。

博物館は随分モダンな建物だった。入場料もガイドブックには15ドルとあったが、6ドル。切符売りのオジサンに聞いて見たが「値下げしたのだ」という返事が返ってきただけ。展示物の質はよかった。ここでも「啓子も来ればよかったのに」と隆子。

啓子によれば、この博物館はDNAに関する展示がすばらしいのだそうだ。確かに、テレビ画面を上手く使って専門家が説明をする(勿論録画)。何度も繰り返して見ると理解が進むのだろうが、それほど腰を落ち着けてもいられない。早々に引き上げた。

この博物館行きには思わぬ副産物があった。メルボルンに着いて間もなく、青い星マークがついたビルを見つけ、なんとなく気にかかっていた。Exhibition Street を通行していると、そのビルに行き逢った。やはり間違いない、Nauru House だ。

南海の孤島、Nauru 共和国は産出する燐鉱石だけが頼り。勿論、埋蔵量には限界がある。そこで、手持ちの外貨準備を運用して財産を上積みしようと考えた。僕も、野村を代表して『売り込み』に行ったことがある。

メルボルンの記憶と言えばこのことと、川北さんとどこやらのゴルフ場へ行ったことだけ。クタクタに疲れていて、ひどいスコアだったことを覚えている。川北さんとは、何でメルボルンに一緒に来たのだろう?やはり、ナウルへの売り込みの案件がらみだったか?川北さんは香港におられたから・・・ナウルが香港の案件だった可能性が強い。

2/17/04(火)

メルボルン滞在も残りわずか。観光しようと思えば、いろいろ案件はある。しかし『観光旅行』には、余り食指が伸びない。地図をシゲシゲと眺めているうちに、この前“Yarra Bend”とばかり思い込んでいたのは間違いで(と言うよりは、まだホンの入口でしかなく)、本物は、ズッと川上であることに気がついた。

今日はそこまで行ってみることにした。隆子が冷蔵庫の中の残り物を使ってサンドイッチを作ってくれた。これで、途中カフェがなくても大丈夫。

左岸の遊歩道は Grange Road で行き止まり。前回はココから引き返したが、今日は橋を渡って右岸の遊歩道を行った。メルボルン大学の農林学部前の公園でサンドイッチの昼食を終え、更に川上へと進む。対岸の崖の上には豪邸が散見される。

(クリック:ヤラ川を臨む丘の上に建つ家)

歩きやすい遊歩道が続く。木々の中から Bellminor の鋭い鳴き声が聞こえる。植物園で聴いたあの鳥の鳴き声。Bell何とか、とまでは記憶していたのだが、昨日、博物館でフルネームが分かった。

Yarra Bend Public Golf Course 辺りで引き返すことにした。川北さんと行ったゴルフ場もパブリックだったはずだから、もしかしたらココかな、と思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。

Yarra Bend 公園から歩道橋をわたり Nicholson St. から Victoria Street に戻った。地図によれば、ワンブロック東に行くと Church St. がある。ここからトラムで帰ることにした。

この辺りの Victoria St.は左右チャイニーズの店ばかり。食べ物屋、食料品店のみならず、医者、会計事務所、美容室、全てが中国語の看板を掲げている。随分古い家並み。中国からの移民が多く、また、相当以前からこちらに来ていたことがうかがえる。

2/18/04(水)

今日も絶好の散歩びより。最高気温も昨日と同じ24℃の予想。湿度も50〜60%程度。昨夜のテレビ・ニュースで、パースは40度近い猛暑が続いている上、電力不足が心配されている由。政府はブラックアウトを避けるため、エアコンを切ってくれるよう要請しているとか。メルボルンに移ってきてからのことで、本当に助かった。幸運を喜ばなくちゃ。

今日も昨日に続き、Yarra Bend Park を散策することにした。昨日引き返したところまでトラムを利用。ゴルフ場の脇を抜けて、更に進む。辺りはユーカリの木ばかり。古い大木が枯れ朽ちている傍らに何本かの若木が伸びていたりする。滝があるというので展望台に出てみたが、高さはわずかに2メートルほどしかなかった。

散歩は本当にエンジョイした。昨日の歩数は22,000歩、今日も18,000歩。隆子が良くついて来るのに感心。

地図で Victoria Park Station の位置を確かめ、Flinders Street Station まで電車を利用。そこから Rialto Towers 展望台へ。啓子が行き損ねたのを悔やんでいたと隆子。それならば、と行ってみた。

55階からの眺めは流石だった。メルボルンは“歩き尽くした”ぐらいに思っていたが、こうして眺めてみると、なかなか。360度の展望が楽しめるのだが、やはり、わがアパートメントの方角が一番気にかかる。

(クリック)

手前に Flinders Street Station、Yarra 川を挟んで Southgate、右には工事中のマンション(これが1BR で40万ドル)、中央の緑が Kings Domain、その真ん中に位置する白い殿堂が Government House (大英帝国総督府)、左側の川向こうには1956年にオリンピックの会場となった Olinpic Park が見える。

「啓子に見せてやりたかったなぁ」と隆子が再び長嘆息。「買い物の時間をチョット削れば難なく登ってこれたのに」と僕。

2/19/04(木)

朝、太陽が昇るのが遅くなった。メルボルンに着いた頃は6時になると、もう太陽光が燦々と降り注いでいたものだが、今では、7時頃になってもまだ朝の気配が残っている。いつから夏時間が解消されるのだろうか?朝が遅く夕方が早くなるに連れ、メルボルンを離れる日が近づいてきている。今日を含めて、あと、2日半だ。

特にやり残したことはないが“落穂ひろい”のように、少しでも気にかかっているところへは足を運びたい。昨日展望台から見た Goverment House にも立ち寄ってみよう。

(クリック:Government House の入口。旧大英帝国は植民地に“総督”を置いていた。今でも総督制度は健在)

Kings Domain の真ん中に建っている。豪壮なものだ。勿論、観光客が立ち入れるはずもない。衛兵こそいないが、きらびやかな門は閉ざされ、守衛が二人番をしている。

さすがに、この辺りの芝生の手入れは完璧だ。花壇も美しい。日常、どういう業務が行なわれているのだろうか?

Russell Street から Lygon Street を北上。このあたりはイタリア人の店が目立つ。一軒のカフェでランチ。二人とも“自家製パンケーキ”を食べた。二枚のパンケーキの間にイチゴを刻んで挟み、上にクリームがかかっている。ボリュームも満点、これでA$6.00はお値打ち。

メルボルン大学のキャンパスを抜けて Royal Parade に出、Queen Victoria Market を又ヒヤカシたあと、メルボルン・セントラル・ショッピング・センターへ立ち寄った。ガイドブックによれば“大丸”が入っているハズ。こちらに到着した直後にも行ってみたのだが、見当たらなかった。

1階から2階にかけて、大工事が進行中。行き逢った老婦人から「何かおさがしですか?」と訊ねられたので正直に答えると、老婦人は「It's gone!」とビックリするような大声で教えてくれた。「日本人か?」と再び訊ねるので「そうです」と答えると、「私の息子は日本人と結婚しているのですよ」とニッコリ笑顔を返してきた。

2/20/04(金)

今日は、昨日と打って変わって、暑い。最高気温は34℃の予報。乾燥していて、且つ、風が強いことが予想されているので、オーストらリア南部全域にわたって『火の元注意報』が出されている。みんなの頭の中には昨年 New South Wales 州で起きた大火災(山火事を含む)が強く刻み込まれているようだ。

今日は近場の散歩、とりわけ『ビタミンを買うことに重点を置く』ことにしてアパートを出た。ついでに、アルバート公園を見て帰ろうかと歩き出したが、少し行過ぎて、気がついたらセント・キルダまで来ていた。先日トラムカー・ディナーに参加した折、ケーキ屋が立ち並ぶ Acland St. を電車が走ったのに強い印象があり、そこまで行ってランチをすることにした。

陽射しが強い。ランチの後、暑さには弱い隆子と別れて、僕一人、アルバート公園に引き返した。その公園のゴルフ場こそ、川北さんに連れられていったゴルフ場のような気がするからだ。「海ですか?」「池だよ」というような会話を交わしたような気がする。アルバート公園には大きな池があることを、この前、55階の『展望台』で確かめてある。

公園に着いて驚いた。大きなフェンスがめぐらされている。ゴルフ場らしき方向に何とかモグり込んだが、様子がおかしい。公園の中の道路は閉鎖されていて、そちらに向かって巨大な仮設観覧席がそこかしこに設営されている。ゴルフ場にはなかなか辿りつけない。

たまりかねて、行き逢った作業員に「迷ってしまったようだ。一体何があるの?」と訊ねたら「来月、ここでF1があるんだ」との返事。偶然、F1会場に入り込んでしまったのだった。

やっとこさ、そこを抜け出して Fawkner Park の木陰にたどり着いたときには、本当に生き返った気持ちがした。

アパートに戻り、荷造り。いよいよ明日は帰国の便に乗る。啓子、哲生ともに「東京は大分暖かくなりました」とメールで知らせてくれている。『喘息もち』にはありがたい知らせである。

エピローグ

昨年のニュージーランドも良かったが、今度のオーストラリアにも満足した。パースは初めて訪れた街。空気が澄んでいるのに感服した。『喘息病み』には天国だろう。滞在中、発作は全く出なかった。メルボルンも良かった。仕事で2,3度訪問したことはある。その時は、むしろ、「シャビーな街」という印象を持っていたのだが、その先入観は100%覆された。ここまで“英国調”の街だとは思ってもみなかった、というのが正直な感想である。しっとりと落ち着いた街。是非、また訪れたい。

往復の航空運賃も含めた“総費用”はA$15,275 だった。東京三菱銀行の為替レート(91.03) は少しヒド過ぎるから\85/A$ で換算してみると、130万円ほどになる。

内訳は

家賃 5111

食費 1175

外食費 1673

交通費 3090

医療費 626

通信費 44

衣服費 182

お土産 1489

観光費 1068

雑貨 60

その他 196

であった。

夫婦二人で一日あたり約3万円は、高いか、安いか。

途中啓子がやってきたので、宿舎をそれまでの1BR から2BR へ換えたこと、同時に、外食費、観光費用が一人分かさんだこと、隆子が念願の“本場”オーストリッチのバッグを手に入れたこと、などを勘案すると、妥当な線であった、と言えるのではなかろうか。(了)

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