去年の夏はヴィクトリアへ行った。宗主国イギリスの風情タップリの落ち着いた街で気に入った。年金生活者を含め、リタイアした人達の間で人気が高いと言われているが、さもありなん。僕たちも住めるものなら住みたい、と思う。
ヴィクトリアに滞在中、短期間だがバンクーバーを訪問した。ここも、なかなか良さそうな街だ。西に突き出た半島全体が公園になっていて(Stanley Park)、散歩するにはもってこいである。観光案内所で「何処に滞在するとよいだろうか?」と訊ねてみたら、Lord Stanley を勧めてくれた。後学のため行ってみると、確かに、立地条件も素晴らしいし、建物も綺麗。フロント・オフィスも24時間常駐で、ホテル並みである。月単位契約。
インターネットで Air Canada のホームページを見ていると、6月以降の『正規割引運賃』が出ていた。一番安い“ACメープルカナダ28”(1ヶ月間有効)は、バンクーバー往復が6月一杯なら79,000円、しかし、7月に入ると高くなり始め、13日までなら96,000円、14日以降19日までなら132,000円、20日以降は176,000円と6月の2倍以上になる。行くとすれば7月13日までに出たい。
Lord Stanley のパンフレットに web site のアドレスが出ている(www.lordstanley.com)。予約フォームを使って「7月23日から1ヶ月間」の申し込みをしてみた。取れた。
Air Canada も予約できた。7月13日発で8月12日には帰国。
浜松町の Air Canada のオフィスへ出向き、チケットを購入。7月13日の成田発は木曜日だから関係ないが、戻りの8月12日はあいにく土曜日。「週末加算運賃」が4,000円、それに、「燃油サーチャージ」などもあって、運賃は一人分115,500円。まぁ、妥当な線か。
隆子は「バンクーバーに行くようだと、幸(サチ)さんに会いたいな」と言っていた。彼女は日本人だがドイツ系カナダ人の (チャック)Rummel氏と結婚しており、チャックは僕が野村證券トロント駐在員事務所に勤務していたときの同僚である。彼は東京の本店で採用になり、僕に1年ほど遅れて赴任してきた。お嬢さんが二人、啓子のいい遊び相手だった。家が近かったせいもあり、トロントに住んでいたときには家族ぐるみのお付き合いをしていた。そのうち、僕は野村證券を辞めたし、チャックも辞めた。チャックは生まれ故郷のバンクーバーに戻った、と聞いていたが、音信は次第に途絶えていった。
隆子は「もしや?」と思って、最後に幸さんから貰った手紙の住所へ便りを出していたようだ。もしも連絡が取れたらメールを下さい、と。その返事が来た。
“紙名さま、
今日 航空便のお便りが とどきました。 このごろは メールのやり取りで 郵便受けに入っているてがみは 請求書とかジャンクメールが おおいのですが きょうは 航空便が きてて はて どなたからかしらと よく見ると 紙名さんから。。。。。 どうして家の住所がわかったのですか? どきどきしながらあけました。トテモうれしかったわ。 本当にありがとうございます。 7月に おあいできるのを楽しみにしていますわ。 まだ主人が帰っていないのですが早く メールを と思って かいています。 こちらは いま よるの 8時すぎです。
私達 まだこの住所にいます。 多美は結婚したのですが 理沙はまだで 啓子さんと同じく独身をたのしんでいます。
哲生君ご立派になられて たのもしいですわね。 積もるお話ゆっくりと バンクバーでいたしましょう。 楽しみに待っていますわ。どのあたりのアパートににおすまいになるのですか。 啓子さんも 休暇をとっていらっしゃるといいですわね。理沙は家に住んでいまして けいこちゃん 覚えてるって懐かしがっていました。
家の電話は604−xxx−xxxx ファックスは604−xxx−xxxxです。お宅のもおしえてください。 ではまた連絡しあいましょう。
幸 ランメル
驚いた。早速返事。
“幸 ランメル様
ご返信有難うございました。主人の故郷(兵庫県)へ行っており、昨日帰って来ました。メールは田舎へも転送されるはずでしたが、田舎では読めず、私の手紙は届かなかったのかな?と半ば諦めておりました。今日、小金井で読み、ビックリするやら嬉しいやら・・・(幸さんの住所は以前お手紙を頂いたのがありましたので)
バンクーバーには7月13日(木)に着き(AC004)8月12日(土)に東京へ発つ予定です。その間の住まいは Stanley Park の近く Lord Stanley, 1889 Alberni Street (アパート番号はまだ決まっておりません)です。部屋が決まったらお電話いたします。啓子も最初の4泊は私達と一緒に泊まり、帰国することにしています(長期休暇が取れません)。
では、お目にかかれる日をとても楽しみにしております。ご主人のチャックさん、理沙ちゃんにも、どうぞよろしくお伝えください。
紙名隆子
ところが、Mail Administrator [Postmaster@home.ne.jp] から “Your message was undeliverable”という連絡。どうも、システムのエラーらしい。慌ててファックス・メッセージを作成、先日のメールを添付して、連絡を受けたファックス番号で送付。
いつもの通り、福山通運(ABCスカイパートナーズの代理)が荷物を取りに来てくれた。いよいよ明後日出発。
いよいよ出発の日。AC004便は午後7時出発だから、家を出るのはユックリでよい。朝の散歩もいつも通り。ダンベルを持って“野川沿い遊歩道コース”を2周、約1時間。汗でT シャツがビッショリとなる。
家は10時半に出た。昼飯を食べてからでも十分間に合うが、後の食器洗いなどが面倒、東京駅近くで摂ることにした。どうせ“成田エクスプレス”には乗るつもりもないし(直通の“快速エアポート”で十分)、JRの乗車券は武蔵小金井から成田空港まで通しで買うより、東京駅で一旦降り、買いなおした方が安くつく。丸の内側の“ミクニ”も“神田精養軒”も工事中で休業しているから、八重洲口で探すことにした。(結局、大丸の8階にある“椿山荘”で。)
東京駅へも中央線一本で行くより、三鷹駅から“東西線”に乗り換えて大手町まで行った。空いているし、三鷹駅始発だから確実に座れる。それに、料金もJR一本なら450円だが、東西線に乗り換えると400円で済む。
14:19分発の電車に乗ったが、啓子とプラットフォームで待ち合わせ。僕らがバンクーバー行きを決めてから、17日(月)が『海の日』でこの週末が3連休となることから、啓子も急遽その気になって、同じアパートに4泊する予定で休暇(木曜日半休、金曜日、火曜日)をとった。去年ヴィクトリアへ行った時もやってきたが、「カナダ大好き」の啓子にとって、“宿泊費向こう持ち”のチャンスは逃す気になれなかったのだろう。予約しているアパートはワン・ルームだが、幸い、居間にソファベッドがあるので、問題はない。
飛行機は結構揺れた。無事、15分早く到着。
Lord Stanley (アパート)まではタクシー。トランク三つも何とか乗った。1時過ぎに着いたが、チェック・インには早すぎた。ロブソン通りの店でヒルメシを済ませ、Alberni St. をアパートに向かって戻ってくる道で、バッタリ、田村さんの奥さんに出くわした。田村家は小金井の隣家、ご主人は三菱商事にお勤めで、以前バンクーバーに勤務、現在はチリに駐在中。長女クリチャンは国際基督教大学卒業後(僕の“後輩”)就職しているし、長男のリュウクンも早稲田に入学。それを機に、奥様もチリへ行かれ、家は貸しておられる。リュウクンは交換留学生でシアトルに滞在中なので、「この夏にはバンクーバーで“re-union" しようかと計画しているのですよ」とのことだったが、まさか、ここでお会いするとは! まだ、ご主人は到着しておられないので、ご到着後の再会を約して別れた。偶然、隣のアパートに滞在中とのこと。
Lord Stanley であてがわれた部屋は9階。北にはBurrard Inlet からNorth Vancouver, 西にはStanley Park が見渡せる。文句の付けようがない位置取りである。
(クリック:僕たちの部屋はこのガラス張りの建物の9階にあった)
(クリック:部屋から北東を見た眺め。新しいアパートが林立している。ヨットハーバーも見える)
(クリック:部屋から西北の眺め。公園の真ん中に赤色の飾りつけ。高さはビルの8〜9階ほどもある。向こうのコンモリした緑が Stanley Park)
啓子はガイドブックにある『一日コース』を行ったみたいというので、今日は一日啓子に同伴。最初の訪問先は Vancouver Hotel。屋根が緑色(銅板葺き?)の、バンクーバーを代表するホテル。僕は、野村證券サンフランシスコ時代に一度泊まったことがある。
二番目の訪問先は、ホテルの隣にある Vancouver 美術館。大阪万博の建設に携わった建築家(名前は失念)と、エスキモーに関する絵画(カナダを代表する Emily Carr の作品もあった)・彫刻等が陳列されていた。
そこから三番目の訪問先、Gas Town へ。通りの末端にある Gassy(おしゃべり)Jack の彫像前で写真を撮って引き返した。ちなみに、彼が“Gas”Town の名前の由来。
Canada Place の前にあるレストラン AQUA Riva で昼食。このレストランは昨年 Vancouver を訪問した際、最初に入ったレストラン。隆子が気に入っており、啓子にも是非食べさせてやりたい、との配慮で。
昼食の後は、次の訪問先、ハーバー・センターの展望台から Vancouver の街を、360度、見渡した。この辺りから小雨が降り出したが Pacific Centre Mall (5番目の訪問先)をウィンド・ショッピング。その後、市バスで Granville Island (6番目)へ。この島はカナダ政府が所有・管理している由だが、近年、新しいショッピング街として脚光を浴びている。
Granville Island の店をヒヤかしたあと、再び市バスでダウンタウンへ戻った。来るときに買ったチケットがまだ有効期限内(2時間ほどの余裕があるようだ)だったので、その券を使用。
ガイドブックの最後のオススメはロブソン通り。オシャレなブティック、レストランが並ぶ。この通りは Lord Stanley がある Alberni St. の隣だから、これまでもよく通った。夕食もこの通りにあるタイ・レストランで。
啓子はダウンタウンへ土産物を買いに行った。「ユックリ物色したいから、単独行動したい」というので、お気のままに。隆子と僕は Denman 通りを南西方向へ。この通りもブティック、レストランで有名。隆子は“One Tooth”という名の店で、早速セールになっていたジャケットを購入。考えられないほどの低価格だった。
Denman 通りの終点は English Bay。景色と水が綺麗なビーチが左右に拡がる。海水浴場も多く、背後は高級住宅地でもある。前回訪問したときにはこの辺りまで来る暇がなかったので、今回が初めての訪問。
(クリック:English Bay を背に隆子。写真に入っていないところも含め、高級アパートメントが軒を連ねている)
海岸線に沿って遊歩道が続く。僕達は Stanley Park がある方向(西)に向かって歩いた。Third Beach 辺りまで来ると、眼前に West Vancouver の街並みが見えてくる。僕らはその辺りで引き返し、Denman 通りの日本メシヤでヒルメシ。天麩羅、寿司、サラダ、メイン料理(隆子はグリルド・チキン、僕は鯖)、ゴハン、味噌汁までついたセット・メニューが9ドル95セント。安かった上に、結構旨かった。
夕食は Rummel家に招ばれているので、3時過ぎに1ブロック北の Georgia St.からバスでWest Vancouver の Park Royal Shopping Centre を目指した。Stanley Park を通り抜け、Lions Gate Bridge を渡るとすぐ。乗って、最初の停留所だった。Rummel家はこのショッピング・センターの真後ろに当たる。
“7時”とのことだったので、あまりにも早すぎる。ショッピング・センターを見たかった隆子と啓子にとっても、時間が有り余ることになった。
実はこの日、West Vancouver の博物館で『着物とお茶』のデモンストレーションがあった。幸(Rummel)さんの知り合いである田中さん(冨田屋第13代当主)がワザワザ京都の西陣から来られ、多美ちゃんと彼女の旦那もそのモデルを勤めたらしい。夕食会はその“打ち上げ”も兼ねていたようだ。田中さん、彼女の講演を通訳した博物館勤務の日本人女性、チャック(Rummel)たちの友人でカナダの外交官だった夫妻(奥様は日本人)、それに多美夫妻、総計11人のパーティだった。犬も2匹。啓子が、トロント時代、一番良く遊んでいた理沙ちゃんは、友人に誘われてボートで北の島(昔から彼女が行きたがっていたところだそうだ)へ出かけて、不在。
チャックとは20数年ぶりの再会。彼は僕がトロントを去った後野村證券をやめ、カナダの証券会社 Wood Gundy、三洋証券、Richardson証券などを転々としたが、お父さんの病状が悪化、すべてを辞めて(トロントの家も売って)Vancouver へ帰って来たとのこと。「もうリタイアしてもいい年なのだが、試しに始めた留学生向けの教務指導の仕事が順調で、やめるにやめられない状態」と嬉しそうに笑っていた。
彼の苗字は英語読みをすると“ランメル”だが、ドイツ読みだと(彼のお父さんはドイツからの移民)“ロンメル”。第二次世界大戦においてアフリカの砂漠地帯で活躍した“サハラの狼”こと、ロンメル将軍(戦車隊の隊長)と同姓なので、彼と一緒に外交した先々で、客が非常に興味を示していたのが忘れられない。
啓子のバンクーバー滞在は今日で最後になってしまった。本当にアッという間だった。Capilano 渓谷のつり橋へ行こうか、Stanley Park でサイクリングをするか、迷った挙句後者を選んだ。Alberni St. と交差する Denman St. には『貸し自転車』屋が軒を連ねている。Stanley Park へ続く自転車専用道路に一番近い自転車屋には大勢の子供を連れたグループでごった返していたので、少し離れた店で借りた。
隆子も、借りるには借りたが、どうも相性が悪いらしい。「危なくて乗れない」と交換しようとしたが、他に適当な車種がない。仕方なくギブアップ。
サイクリング・ロードは快適だった。殆どフラットだから、ペダルを漕ぐのも楽。ただ、今日は日曜日とあって、人出が多い。自転車専用道路にも歩行者がワガモノ顔で侵入してくる。これらの“ルール違反者”は、殆どが外国からの旅行者のようだった。ブレーキの効きが良かったので、心配は無かったが。
Victoria への定期便など、水上飛行艇の発着場所も近いので、頭上を飛んでゆく。海上では目の前を大きな貨物船が航行していたり。なかなか得がたい経験だった。
最初から Stanley Park (Sea-wall, 全長8km) を二周するつもりだったので、一周し終わってからも前を行くグループに追従していたら、とんでもないことになった。海岸に沿って走り続けるのだが、向こう岸に見えたGranville Island も過ぎ、銀色のドーム屋根で覆われたBC Place も過ぎた辺りで、前方のグループは突然自転車を降りて、道端に止めてあった車に乗ってきた自転車を担ぎ込みだした。慌てて「Stanley Park へ行くんじゃないの?」と訊ねたら、「もう行ってきたよ。これから帰る」というツレナイ返事。「ここはどの辺りかな?」と携行していた地図を見せながら訊ねたら、何と、False Creek の末端辺りまで来ていると言うではないか。
今来た道をバックするしかない。これまでは彼らの後をつけてきただけだったので、何処を通ってきたか記憶は定かでなかったが、なに、Water-front を辿ってゆけば帰りつくはず。途中で啓子がヘバッてしまい『休憩』を求めたりしたので気が気ではなかったが、何とか、貸自転車屋まで無事辿り着いた。
ヒルメシはロブソンとデンマンの交差点近くにある小さなギリシャ・メシ屋で。三人とも安い定食を注文したが、羊のスブラキが予想外に旨かった。啓子はまだ買い物が終わっていないというので、今度は隆子がくっついてダウンタウンまで。Gas Town まで行ったようだ。
僕はアパートに居残って、パソコンと格闘。海外へ行くときには、何時も部屋にある電話線を使ってインターネットに取り組むのだが、ここでは「このビル内に敷設しているケーブル(Data Valet)を使ってくれ」と言う。フロントにいる男からいろいろ教わりながらやってみるのだが、ITにはカラッキシ弱い身にとっては、難行苦行だった。それでも、なんとか使えるようになったので、これまでの『日記』(ワードに入れておいた)をホーム・ページに写し替える作業を済ませることにしたのだ。
夕食は「これで最後だから」と Kirin Mandarin (麒麟川菜館)に予約を入れておいた。去年もここへ来た。一風変わった中華料理店で、メニューは北京、広東、四川、上海など、何でもござれ。味はすこぶる好い。あれもこれもと頼みすぎて、隆子、啓子は言うに及ばず、ウェイターにまであきれられる始末。
夕食の前後、共に、結構歩いた。“前”は Stanley Park。とても全部は回りきれないので、入口近くの Lost Lagoon を一周。突然啓子が「あッ、みにくいアヒルの仔だ!」と。見ると、まだ黒い産毛のままの白鳥の子供が親鳥と一緒に草を食んでいた。暫く行くと、アライグマにも遭遇。一周1時間足らずの散歩だったが、この公園の自然の豊かさが十分に味わえた。
夕食後は隆子が「腹ゴナシして帰ろう」と提案したので Burrard St. を海岸に向かって降りて行った。ここにも、ウォーターフロントに沿って遊歩道が続いている。右手の Canada Place の方角を見やると、巨大な豪華船舶が停泊しているのが見えた。昨年 Victoria で啓子が見逃したヤツだ。
行ってみた。INFINITY号、Nassau 船籍の、12階建ての建物に相当する大きさの船だった。
船を見物し終わって海岸の遊歩道を Lord Stanley に向かって戻っていると、ドン!と大きな大砲の音がした。時計を見ると丁度9時、Stanley Park の突端にある“9 O’clock Gun”の音だった。これも初めて聞いた。西の空は夕焼け、明日もいい天気のようだ。
今日は啓子が帰国する日。朝、10時キッカリに多美ちゃんが来てくれた。幸さんからことづかった『冷凍イクラ』と、これも冷凍したままの『ワラビ』を持って。ワラビは近所の山で採ったものに違いないし(僕らもトロントに滞在していたとき藪蚊に刺されながら採ったものだ)、イクラも、チャックが釣り上げた鮭をさばいた時に採れたものかも知れない。有難く頂戴した。
先週土曜日、チャックの家に招ばれたとき、多美ちゃんがエア・カナダのキャビン・アテンダントをしていることを知った。勤め始めてから、もう10年になるという。いろいろの空港へ行ったが、このところは成田が多いそうだ。英語、フランス語、スペイン語に加えて日本語も出来る。語学力、特に日本語が重宝されているのだろう。月曜日(今日)にも成田行き。啓子が同じ便で帰国することを知って、「では、朝迎えに行って空港まで乗せていってあげる」ことになったものだ。
啓子と多美ちゃんを見送り、幸さんから頂戴した日本語新聞『バンクーバー新報』を読んでいたら、Denman St. に日本食料品店があることが分った。すぐ近くだ。行ってみた。納豆、豆腐をはじめ、必要だと思われるものは大体揃っている。今日は味噌、料理酒、焼き海苔などを買ってきた。
啓子が滞在中は殆ど“外食”だったから、どうしても摂取カロリーが多くなった。隆子は「太った」とボヤくし、僕も腰の周りがなんとなく重い。今日からは、また“粗食”生活に戻すことにする。
パンとチーズのヒルメシを済ませ、昨日啓子とサイクリングした Stanley Park の Seawall を歩いた。昨日の日記にも書いたが、歩行者道路と自転車道路(ローラースケーターと共同使用)が分れているので『鷹揚な気分』で歩ける。勿論、自動車やバイクが走ってくる心配もない。日本ではこうはいかない。遊歩道を歩いていても、自転車が走ってきてリンリン鳴らすから、落ち着いて散歩気分に浸れない。この点、日本は“後進国”である。
長丁場だからとユックリ歩いたが、3時間ほどで一周できた。また来ることもあろうが、Stanley Park は元来原生林、その中をいくつもの trail や path が走っている。これらを片っ端から歩くのも悪くなさそうだ。
今朝はバンクーバーへ来て初めてダンベルを持って散歩に出た。ブラブラ歩くというよりむしろ早足で歩きたかったから、朝食前に単独行動。このところ、まだ幾分か時差が残っているようで、起きるのが遅くなってしまい、起きたのは6時、吸入を済ませると、もう6時半。ラジオ体操とストレッチはソコソコに、啓子がプレゼントしてくれたプルオーバー(“Roots”という、カナダのブランド物らしい)を着込んで出かけた。 アパートの窓から見える芝生の広場を3周。カナディアン・グースも起きだしていて、気の早いヤツはもう草を啄ばんでいた。
朝食を済ませ、一昨日啓子と自転車で(間違って)行った道を、ダウンタウン方向へ歩いた。False Creek の水辺に沿って、遊歩道が何処までも続く。建物が建っていても水際まで占領していることは、まず見られず、歩行者と自転車用の道が確保されている。ウォーターフロントは政府が管理しているのだろうか?カナダでは消費税(州によって異なる)が高い。Safeway のレシートを見たら GST 6%、PST 7%、合計で13%もかかっている。しかし、市民の福祉に役立てているのを目の当たりにすると、なんとなく納得してしまう。
先日チャックの家を訪ねたとき、その周辺がなんとなく寂れているように感じられた。West Vancouver は“高級住宅地”という先入観には、どうもそぐわなかった。食事中の会話で分ったことだが、この辺りは大規模な再開発を計画中で、チャックも既に家を売っており、9月には引っ越す予定とのことだった。まだ出来上がっていないが False Creek のウォーターフロントに建設中のマンションが新しい住まい、「引っ越すのはウチが最後になるのかな?新しいマンションは買ってから既に3倍に値上がりしているんだ」とのことだった。このところ、バンクーバーの不動産ブームは凄かったらしい。いまだに大きなクレーンがそこかしこに林立している。隆子と二人で「どのビルだろう?」と想像を逞しくしながら歩き続けた。アパートを出たのが9時半、帰ってきたら丁度12時だった。
午後は Kitsilano へ行くつもりで家を出たが、観光案内所でコンサートの情報などを漁っていたら、遅くなりすぎた。明日に延期。
「Bay(百貨店)を一回りしてくる」という隆子と別れて帰宅。途中、韓国食料品店に立ち寄り、キムチを買った。一番小さなビンでC$4.99。
今朝の『ダンベル・ウォーク』も単独行動。きょうは Stanley Park の Lost Lagoon を一周してから(20分ぐらいで回れた)、昨日も歩いたアパート前の広場を一周した。この広場には真ん中に赤く塗られた背の高いオブジェが建てられている。以後、この広場を『オブジェ広場』と呼ぶことにする。
芝生は適度に刈り込まれていてなかなか綺麗。周囲に、これも例によって遊歩道、自転車道が設えられている。散歩、ジョッギング、サイクリング、ローラースケーティング、なかには芝生に入り込んで体操に余念のない人と、まちまちだ。広場の Stanley Park よりに、幅20メートル、長さ50メートルほどの池(人工だと思う)があり、池を囲んで花や低木(ブッシュ)が植えられている。
今朝はその花壇の中にアライグマを見た。間もなく、ブッシュの中に隠れてしまったが。先日啓子と見たアライグマと同じ固体かどうかは分らない。それにしても、この『オブジェ広場』に棲息しているわけではなかろう。ネグラは Stanley Park のはず。公園とオブジェ広場の間には片側3車線の国道1号線が走っており、交通量ははなはだ多い。ちなみに国道1号線は Stanley Park の真ん中を抜けて、Lions Gate Bridge を渡り West Vancouver へと繋がる。われわれが住んでいるアパートから公園へ行くには、国道の下に設えられた歩道を利用する。アライグマもこの歩道を利用しているのだろうか?
昨日からの持ち越し、Kitsilano(キツラノ)行きは午後。地図を見るとそう遠くないので、歩いて行った。アパートから Burrard St. と Robson St. の交差点までが25分、そこから Burrard Bridge を渡って Kitsilano の町に入り、海岸右手に建つ Vancouver Museum までが25分だった。
この博物館は『カナダ建国100周年』を記念して1967年に建てられたものだそうだが、展示物はあまり多くない。展示場は1階だけで、2階はマクミラン・スペース・センターだった。入口も別なら、入場料金も別途支払うことになっている。僕らは1階の展示を見ただけでオシマイ。
そのあと、キツラノのショッピング街を一通り覗いた。ここの商店街は 4th Ave. が中心だそうだが、町の印象は“Denman Street を大きくしたもの”だった。それぞれの店の間口は小さいが奥行きがある。もう少しアカ抜けしているのかな、と期待していたのだが。
さすがに歩き疲れたので、帰りはバス。
今朝の『ダンベル散歩』は Stanley Park Sea-wall の遊歩道。9 O’clock Gun まで行って引き返した。所要時間、往復で1時間強。
朝の散歩も Stanley Park。ローズ・ガーデンの裏手から South Creek Path を行き、Beaver Lake を半周して North Creek Path、そしてHanson Trail を経て Burrard Inlet の海岸に出、忠実に Sea-wall を歩いて帰って来た。合計すると10キロ近く歩いたことになるか?
朝の散歩に出かける前に田村さんから電話があって「今日の4時半ごろ、お茶にいらっしゃいませんか?」と誘われた。隣の Lumiere(furnished apartment らしく見えないたたずまい)の2階に滞在しておられる。ご主人は午前中からゴルフ。帰ってきたら電話しますとのことだったので、4時頃から部屋で待機。
僕達が借りているアパート(Lord Stanley) とは比べ物にならない豪華さだった。われわれが借りているのは one-bedroom、田村さんが借りておられるのは 3-bedroom という違いはあるが。田村さんも Lord Stanley をインターネットで予約申し込みをされたそうだが、満員でダメだった由。以前勤務しておられた三菱商事バンクーバー支店の知り合いに依頼して見つかったのがここ。奥さんは「予算オーバーだから」と渋ってはみたものの、他にチョイスがなかったらしい。奥様のお母さんもクリ・チャンと一緒に日本から来られたし、リュー・クン(早稲田大学に在学中で現在は交換留学生としてシアトルに滞在中)はシアトルから、そして田村さんご夫妻はチリから(ご主人がチリの三菱商事)来られ、合計すると5人。結果的には“ここで正解”だったようだ。
田村さんはバンクーバーに7年間滞在。ここを離れられて10年ほどになるが、かの間の変わりようには驚いておられた。特に現在われわれが滞在しているこのあたり(West End)が一番変わったようだ。不動産の値上がりにもビックリ。「チャイニーズの金持ち連中が仕組んでいるとのウワサです。まさにバブル、誰かがババを掴まされて終わるのでしょうね。次の冬季オリンピックまでは持つのかもしれませんが。」とご主人。
「明日、ご予定が無ければゴルフに付き合いませんか?」とご夫妻からお誘いを受けたが、6時10分のスタートと聞いて、丁重にお断りした。ゴルフもキライではないが、何の準備もしていない。ご主人は先週金曜日にこちらにお着きになって明後日(土曜日)に任地のチリへお帰りになるそうだが、ゴルフは明日で5回目とか!
今日の午前中はテレコテレコ、無駄足の多い日だった。昨日、田村さんにお茶に招ばれたとき「クリちゃんたちは?」と尋ねたら、「お友達がチケットを取ってくれたのでサーカス(Cirque du Soleil)を見に行きました」とのこと。それを聞いて隆子は自分達も行こう、と言い出した。朝一番で観光案内所へ行ったが、チケット案内の担当者がいない。他のスタッフに尋ねると、チケット関係は朝11時から、とのことだった。
時計を見ると、まだ9時半。時間つぶしに IMAX でも見るか、と隣の建物(Canada Place)へ出かけたが、ここも11時始まりだった。
Pacific Mall で僕の帽子などを買うなどして時間をつぶし、再度観光案内所を訪れたが、何と、サーカスのチケットは扱っていない、ここに直接電話してくれとパンフレットを渡されただけ。結局、アパートへ戻って電話してみたところ「土曜日は売り切れ。最終日の日曜日には少し席があります。一人C$220.00です」との返事。C$220はカブリツキの最上席だが、いくらなんでも・・・一等席(C95.00)なら、まだ考える余地もあるが。ちなみに、二等席はC$85、一番値が低い三等席はC$60だった。というわけで、サーカスはgive-up。
午後は気温がグングン上がった。当地の日本語新聞『バンクーバー新報』(週刊。Denman St. の“イズミヤ”で買った。一ドル)の最新号には、“週末には『熱波』が到来。これまでの最高気温は1960年8月9日に記録した33.3℃だが、土曜日にはこれを上回る36℃に達しそうだ”との記事が掲載されていた。今日の時点で『最高記録』は更新したことだろう。
僕らが借りているアパート(Lord Stanley)はガラス張りの高層建築(僕らの部屋は9階)で、外見はまだ新しい。しかし、設計した時点では気温がこんなに高くなることを予想していなかったと見えて、“セントラル・エアコン・システム”とはなっていない。わが部屋には窓際に“室内エアコン”機が備えてある。室外機のないタイプだから、空気中の湿気を取り除く際に出てくる水をエアコン機内部にある“貯水タンク”に貯め、タンクが一杯になると“人力”で台所のシンクなどに流す必要がある。“貯水タンク”が水で満タンになると、エアコン機に赤いランプが灯り、冷房機能がゼロになるらしい。今日は朝からエアコンをつけっ放し。二度も水を捨てた。
こんな日に部屋に閉じこもっていても仕方がない。歩いて2分とかからない Stanley Park の森の中に退避することにした。Lost Lagoon の東側を4分の1周し、Tatlow Walk を直進、Rawlings Trail、Lees Trail を歩いて帰って来た。森は深く、木陰が続くのでサングラスも要らない。空気は冷たく、歩いていても汗が出ない。歩行時間は2時間ほど、距離は8キロほどか。
(クリック:Stanley Park のトレイルで。こんな立派な遊歩道が縦横に走っているが、一歩外れれば原生林である)
夜になっても、なかなか部屋の温度は下がらない。ダブルベッドで並んで寝るのは暑苦しいから、と隆子は居間のソファで横になった。寝入って暫くして、隆子にタタキ起こされた。「ドアの外に誰かいる」と震えている。ドアノブをガチャガチャやったり、ドアを叩いたり。「Who is this?」と問いかけても、マトモな返事が返ってこない、と。
僕はドアに近づいて小さな穴から外を見た。姿は確認できなかったが、確かに誰か居た。しかし、暫くすると人の気配は消えた。このアパートのフロントは24時間体制だから、妙な人が入り込む余地は無いはず。おおかた、他の部屋に滞在している男が酔っ払い、部屋を間違えたものだろう。それにしても、人騒がせなヤツがいるものだ。
昨日の朝はダウン・タウンを歩き回ったワリには成果が無かった。サーカスの切符が気になって、買い物にも身が入らず。隆子がお小遣いで僕にボーシを買ってくれたぐらい。あと、短パンとTシャツが欲しい。ただし、‘安い’が条件。Pacific Mall で短パンは見つけた。
去年Victoria へ行ったとき、宿の近くの『朝市』で鮭のパテを買った。美味しかったので、少し、オミヤゲにもした。偶数月の最終土曜日、大学時代の同級生が集まる“飲み会”があるのだが、そこへこのパテを持って行ったところ、福田(道夫)君が「これはウマイね」と絶賛してくれた。Vancouver でも見つかれば、と探している。今日も Thurlow St. の『サーモン・ビレッジ』に入ってみた。
先日、啓子のお供をして Granville Island へ行ったとき、Public Market の魚屋でカンヅメに入った“スモークド・サーモンのパテ”を見つけ、試しに一缶買って帰って来た。外見は去年 Victoria で買ったものとは明らかに違うので、試食した上でオミヤゲにするかどうか、決めるつもりである。悪くはないが、去年のものに比べると少しパサパサしていて、食感は少々落ちる。Granville Island の魚屋にあったものと同じカンヅメならここでも買えるということだ。Granville Island の魚屋でなら5ドル、サーモン・ビレッジで買うと5.25ドル。
ロブスターと蟹のパテ(同じくカンヅメ)もあった。今日はロブスターのパテを買ってみた。
午後になると気温が上がってくるのが分る。そこで、昨日と同じく、Stanley Park の森の中へ“退避”することにした。今日は Bridle Path で Prospect Point Picnic Area まで行き、そこから Merilees Trail、(昨日通った)Tatlow Walk を経由して帰宅。総行程は6、7キロ、約2時間。
夜は久しぶりに外食。『るるぶ情報版“カナダ”』の“バンクーバーのとっておきレストラン”という記事から隆子が『ル・ガブロッシュ(Le Gavroche)』という店を見つけ、ここへ行きたい、という。記事によると、ベスト・フレンチ・レストラン賞を26年以上にわたって受賞している、とのことだ。僕らの宿から数ブロックダウンタウン寄りの 1616 Alberni St. にある。電話をしたら、混んでいそうだったが、予約が取れた。
偶然、二人とも同じメニュー。‘ロブスターのカルパッチョ’をスターターにして、メインは‘ラム・ラックのマスタード風味’(『るるぶ』のおすすめメニュー)。旨かった。
朝の『ダンベル散歩』は、Stanley Park の西海岸にあたる Third Beach まで足を延ばした。宿からの往復、丁度1時間。東海岸は朝日が眩しいが、こちらは公園に隔てられるので日光があたらない。快適に歩ける。波打ち際は道からかなり離れているが、満潮時には道のすぐ下まで水が満ちて来ると見えて、砂は湿っており、道の上にも飛沫がかかった後が残っている。
朝食後、Denman St. の West End Community Centre で Flea Market(蚤の市)が開かれると言うので、出かけてみることにした。エレベーターに乗り込むと先客があり、先日階下の『談話室』で偶然お目にかかった日本人ご夫妻。松本さんとおっしゃり、松江の人だ。
Lord Stanley では、毎朝7時から9時の間、この『談話室』にパンやマフィンなどを用意してくれており、コーヒー、ジュース、ミルクなども置いてある。この“コンチネンタル・ブレークファスト”は、宿泊客に無料提供されているもの。普段の朝食はヨーグルト、リンゴ、シリアル(オール・ブラン)に豆乳だから、僕らはこの『談話室』の世話にならない。この日は偶然、コーヒーを貰いに立ち寄ったのだった。「これから Victoria へ行ってきます」とおっしゃるので、僕らも去年長期滞在しましたなどと、雑談を交わした。
今朝は玄関を出たところで、Victoria のご感想をお聞きしたり、「明日はバスで Whistler へ行ってきます」とおっしゃるので「帰ってこられたら情報を下さい」などと雑談を交わした。「ところで、ここ(Lord Stanley)はどうやって予約されましたか?」とお尋ねになるので、「インターネットでやったら簡単でしたョ」とお答えすると、今度はコストをお尋ねになった。正直に「一ヶ月約3500ドル(約35万円)、エア・カナダも13日までは安くて、二人往復で20万円弱でした」とお答えすると、「自分達は二人で80万円ほど(航空券+宿泊料)払った。財団法人の“海外長期滞在”にはもう頼まず、来年からは自分でやろう」とご不満の様子だった。
“蚤の市”では入場料として一人1ドル徴収された。支払うと、手の甲に青色のスタンプを押してくれる。インキはどうやら蛍光塗料のようで、一旦外に出て再度入る場合には、手の甲を見せれば二重徴収されない仕組みのようである。会場の中はまさに蚤の市、ガラクタがひしめいていた。勿論タイシタものはないが量だけは結構ある。人出も思ったより多い。隆子はここで“パンケーキ用のフライパン”を買った。新品で5ドル。日本へ持って帰るつもりだ。
午後になったら、今日も暑くなってきた。隆子は「4時頃が一番暑い」というが、昨日、今日、本当にそんな感じだ。
隆子はそれでもダウンタウンに行くと言うが、僕は右足首に違和感があるのでお供はご遠慮することにした。こちらに着いて10日、チョッと疲れが出てきたか? 隆子を送り出し、ベッドの上に横になっていたら眠り込んでしまった。1時間半ほども寝たか。あとは、本読み。日本から持ってきた文春文庫『イチレツランパン破裂して』(高島俊男)を読み終えた。著者、高島さんは僕と同い年、故郷も播州、博学で、文体には魅かれるものがある。
先日、田村さんにお茶をご馳走になったとき(僕は、ご主人がウィスキーの水割りをウマそうに飲んでおられたので、つい、私にも、と言ってしまったのだが)、奥様が「Richmond で買って来たのョ」と言って“Pork”ジャーキーを出してくださった。ビーフ・ジャーキーなら何度も食べたことがあるが、豚肉のものはない。中国人は牛よりも豚の方を珍重する。
Vancouver は中国系の人が多いので有名である。隆子は「Vancouver の人口の3分の1は‘東洋人種’と聞いたことがある」というが、なかでも大半は中国系の人だ。僕も、中国からの苦力がカナダ横断鉄道の作業員として多数連れてこられ、終点の Vancouver で仕事が終わると、棄民同様、その場でお払い箱になった、それが China Town の始まりである、と聞いたことがある。それほど、Vancouver と中国人の関係は古い。地図を見ると、かつての中心地(鉄道の中央駅がある辺り)に“China Town”の標識が見える。ところが、今は空港の南、Richmond 地区が“チャイニーズ”の中心地らしい。ここでは住人の6割が中国系だという。田村の奥さんは「まるで香港のようですょ」とおっしゃっていた。
この“ポーク”ジャーキーが、辛味が利いていて、美味しかった。隆子はオミヤゲに買って帰るという。田村夫人は「チャイナ・タウンでも売っているかもしれません」とおっしゃっていたので、今日は試しにチャイナ・タウンまで出かけることにした。ガイドブックには「夜の歩きは危険」などと書いてあるのでビビッていたのだが、昼間なら問題なかろう、と。
そのついでに、Japan Town へも行ってみた。『バンクーバー新報』に‘日系コミュニティー夏の風物詩「パウエル祭」が8月5、6日に開催される’という特集記事が掲載されている。今年30周年を迎える「お祭り」である由。
“Powell Street”の名前には聴き覚えがある。日本人が移住して住み着いたのはこの街の辺りである筈だ。野村證券時代にお世話になった中山さんも、たしか、ここでお生まれになった。中山さんは早稲田を卒業後野村に入社、奥村綱雄さんの秘書が長かった。若い頃はバンクーバーの日系人野球チーム(朝日軍?)のエース・ピッチャー、その球を受けていた(捕手)のが、これまた、僕がトロント時代大変お世話になった宝崎さん。裸一貫からオンタリオ州最大の自動車修理工場のオーナーになった“頑張りや”である。“パウエル”の名前はこのお二人から何度か聞いたのだろうと思う。
Powell Street はガス・タウンを抜けて、そのまま東に進む道路である。「お祭り」が行われる中心地、Oppenheimer Park まで歩いてみたが、道路の両脇に見られるのは中国語ばかりで、日本人の気配は感じられなかった。もう日本人は誰もかも出てしまい、かつての Japan Town は“もぬけの殻”になっている様子だった。
Japan Town (があった辺り)から南西に数ブロック行くと China Town がある。僕らは少々“裏手”から行くことになったが、Main St. と、その一本西側の Columbia St. が賑わいの中心地。とある乾物屋の女性店員に「ポーク・ジャーキーを売っているか?」と訊ねたが、どうも英語が良く話せないようで、男の店員を呼んできてくれた。China Town では英語が話せなくても商店の店員が勤まるもののようだ。男の店員は「ウチでは取り扱っていない。Keefer St. にある T&T Supermarket にならあるだろう」と教えてくれた。
気がつくと、正午も過ぎている。とりあえず目の前の店(Pender St.)に入ったが、チャーハンが旨かった。『新城餅屋餐室』という名の店で、Richmond や Surrey にも支店を出しているようだ。隆子は中華菓子もお持ち帰り。
T&T(大統華)Supermarket は Keefer St. のドンづまり(Abbott St. との交差点)にあった。店の前の階段を上れば Sky Train の‘Stadium/Chinatown’の駅、はなはだ便利なところにある。小さな公園の向こうに、先日行き損ねた“Cirque du Soleil”のテント小屋が見えた。
店は近代的で清潔感が満ち溢れている。規模も大きい。中国の食品のみならず日本、韓国、勿論カナダ現地の食品等々、何でも手に入りそうだ。隆子はチューブ入りの『わさび』を買った。僕がこれまで見たスーパーの中では最高と言ってよい。目指すポーク・ジャーキーもあった。
夕食後の散歩はStanley Park Seawall の9 O’clock Gun が鎮座している場所まで赴き、午後9時になるのを待った。9時数秒前から赤ランプが点滅を始め、9時丁度に大砲が轟いた。思っていたよりも大きな音で、対岸(Vancouver downtown)の高層建築からのコダマがインインと響き、チョッとした気分。
今日は Capilano Canyon へ行った。Rent-a-car していないから、公共交通機関と自分の足で。
Vancouver のバス・システムは“ゾーン制”を取っており、同じゾーン内なら2ドル25セント。目的地に行くのに乗換えが必要である場合、チケットの“有効期間”は90分だから、この間に“乗り換え”をすればよい。この“乗り換え”は同じルートの“往復”にも使える。つまり、用事がチケットの有効期限内に終われば、帰りのバス代はタダになる勘定である。しかも、このチケットは市バスのみならず、Sky train、Sea bus とも共通だから、行動範囲はグンと広まる。
Capilano Canyon は North Vancouver にある。Lions Gate Bridge 経由のバスでも行けるらしいが、Burrard Inlet をシーバス(seabus)で渡り、シーバスの波止場(Lonsdale)でバスに乗り換えるほうが便利だと観光案内所で教わった。いずれにせよ、“ワン・ゾーン”では行けない。
市バスを利用する際は回数券かシングル・チケットを前以て買っておくか、乗る際に運転手の右手にある料金箱にコインを入れる。ただし、この場合は料金ピッタリのコインを手持ちしていないと、乗車を断られる。先日Rummel 邸にお邪魔したとき、3人分だと断りながら10ドル札を出したら、「ダメだ」と断られた。そこで、この日のために、『一日乗車券』を前以て買っておいた。大人(隆子用)8ドル、シニア(つまり、僕用)6ドルである。このチケットでなら、一日乗り放題、コインの心配をせずに済む。
シーバスの泊まる波止場にはバスの停留所があり、その隣が Market になっている(Lonsdale Quay Market)。そのマーケットの前で、Rummel 邸でお会いした‘外交官夫人’とバッタリお会いした。手に財布をお持ちだったから、何かを買いに来られていたのだと思う。「Capilano つり橋あたりは観光客で一杯。それよりも、Capilano Canyon の底を流れる川沿いの遊歩道や、上流の鮭孵化場(Salmon Hatchery)、Cleveland Dam の方がオススメ」というアドヴァイスを頂いた。
そのアドヴァイスにも関わらず、二人分で50ドル強もの入場料を払い、吊橋のある公園に入ってしまった。遊歩道などへもここから行くものだと勘違いしてしまったのだ。
どうせ‘入場料’を払ったのだからと吊橋を一往復してみたが、子供騙し、どうともコメントする気がしない。その他の施設(例えば、Rain Forest)も子供向けとしか思えなかったので、早々と退散。
(クリック:これが Capilano つり橋。はっきり言って、入場料は高すぎる。割りに合わない)
渓谷の遊歩道はよかった。文字通り‘深山幽谷’で気に入った。
(クリック:Capilano 渓谷の遊歩道で隆子)
遊歩道を抜けると、鮭の孵化場があった。広場のピクニック・テーブルでオニギリと玉子焼きのお弁当。今回の海外滞在では初めてのピクニックである。弁当は旨かったが、チビ・ガキ共が隣のテーブルを占領しており、うるさかったのには閉口。
Cleveland Dam からはバスでシーバスの波止場まで。隆子がLonsdale Quay Market の店をアチコチ冷やかしている間、僕はそこに店を出している‘指圧’店で30分間揉んでもらった。35ドル。30歳くらいの若者で、指圧はVancouver で習ったのだそうだ。
一昨日のこと、先週土曜日に買った 『The Vancouver Sun』(週末号)の Arts & Life のページを見ていた隆子が「この演奏会に行ってみたい」と言い出した。みると、7月18日から29日にかけて室内楽の連続演奏会が開催されている様子。‘広告’には詳しいスケジュールが出ていないが、web site は記載されている。パソ・コンで開けて見ると、殆どのコンサートは夜の8時過ぎから行われる。
コンサートは夜、というのは常識。しかし、この広いバンクーバーで、“車なし”で動くのは不便。が、2回だけ午前11時開演、というプログラムがある。7月20日と26日だ。20日は過ぎてしまったが、26日ならまだ間に合う。昼間なら、何とかなるだろう。でも、演奏会場があまり遠いようだと、ハナから諦めるより仕方あるまいが。
演奏会場は Crofton House School, Kerrisdale とだけ記されている。何処だ?
地図上で、やっとのこと、確かめられた。UBC の近く、41st St. と Blenheim St. が交差する辺りだ。次は、「バスで行くにはどう行けばいいか?」これも市バスのバス・マップで、22番(この前キツラノへ行ったときに乗ったバス)が近くまで行くことが分った。去年の夏 B&B(Pop)に2泊したときよく利用したSky Train の Joyce Station から UBS まで走っている41番のバスも通るが、ダウンタウンからだと、22番の方が便利だろう。
ここまで確かめてから‘広告’の電話番号へ電話。これが“大仕事”だった。
コンサートを主催する Vancouver Recital Society (VRS) はチケットの販売を外部委託しているようで、電話に出てきたのは“Ticket Master”とか名乗る業者。コンサートのチケットだけを売っているわけではないから、「スポーツ・イベントはx番、何々はx番・・・」というように“音声案内”が続く。やっと“クラシック・コンサート”に辿りついても、僕たちが目指す“Summer Combustion”に行き着くには大変な思いをした。ここでヤット“肉声”の声に変わる。
それからも、大変だった。VISA Card で支払いすることになったが、こちらのカード番号を伝えるくらいまでは、まぁ、なんてことはなかった。だが、自分の名前、カード登録者(つまり僕)の住所も電話で伝えなくてはならない。先方は日本人の名前、住所等には馴染みがないから、確認のためか何度も聞き返してくる。こちらも一字一字スペリングを伝えるのだが、これには時間がかかった。
ローマ字の“スペリング”は、書いたものを読み上げるのはさほど困難ではないが、暗記のまま伝えるのは(しかも、途中で聞き返されたりすると)かなり難しいことを実感。
今日はそのコンサートに行ってきた。“Ticket Master”が「切符は Box Office で10時からピックアップ」と言っていたから、9時半にウチを出た。バスを順調に乗り継いで、現地到着は10時数分前。
コンサートが開かれる Crofton House School は創立100年の歴史を誇る私立の女子校。(小学)1年生から12年生(高校卒業)まで。演奏会場は、すわり心地の良い椅子が階段状に、2階分、半円錐形に並ぶ、立派なコンサート・ホールだった。音響効果も極めて良好だった。
(クリック:Crofton House School の中庭で隆子)
演奏曲目は 1)Haydn: Quartet in C major (“Sunrise”), Op. 76, no.4 (弦楽4重奏)、演奏はJupiter String Quartet 2) Mozart; Quartet in E-flat major, K. 493 (ピアノ4重奏)、演奏はピアノ、Angela Cheng; ヴァイオリン、Kerry Duworks; ヴィオラ、Christina Castelli; チェロ、Denise Djokic。
Jupiter String Quartet は若手の演奏家達だったが、普段もこのメンバーで活躍しているからか、イキもピッタリ合い、好感がもてる、素晴らしい演奏だった。隆子は「Haydn をこんなに楽しく聞けたのは初めて」と。
演奏会が終わると、12時をゆうに回っていた。41st St. を少し西に進んだ交差点際に小さなショッピング・センターがあり、そこに飯屋らしい飯屋は唯一のインドネシア料理店があった。高級感が横溢する店で、客は僕らのほか2組しかいない。チョッと躊躇したが“たかがランチだ、まぁ、いいだろう”とナシ・ゴレンを二つ頼んだ。10ドル。「辛さはどうしますか? 4段階あって、一番辛いのは‘インドネシアン・ホット’」とウェイトレスに訊ねられて、上から2番目の‘ホット’にした。味は上々、ボリュームもあり、隆子は四分の一ほど残していた。
ヒルメシの後は腹ごなしにその辺りの住宅地を散歩。少々暑かったが、木陰の道を選んで歩いた。地図に Mackenzie Heights と出ている辺りだったが、素晴らしい家が並んでいる。隆子は「いいなぁ!」を連発。
帰りは41st St. まで戻って、41番のバスで Joyce Station へ。Sky Train に乗り換えてダウンタウンへ。
夕食の後は花火。イングリッシュ・ベイで毎年花火大会(後援:HSBC)が行われているらしく、今年は今晩と、7月29日、8月2日、8月5日の4晩開催される。‘国対抗’の形式を取っており、今晩はイタリアの番。あと、中国、チェコ、メキシコと、今年はこの4カ国。全部終わってから‘一番’が決定されるらしい。
暗くなる夜10時が打ち上げの開始時間。イングリッシュ・ベイは大変な人込みだろうからと、僕が朝の“ダンベル散歩”に必ず通る Second Beach へ行った。そこら辺からもよく見えるはず。ウチからは徒歩で15分。
30分間ほどの打ち上げだった。久しぶり(Perth 以来?)の花火見物。満喫させていただいた。
終了後の人混みはスゴかった。アパートの窓から West Georgia St. が見下ろせるが、11時半頃まで、West Vancouver 方面行きのバスを待つ人の行列が絶えなかった。反対方向(Vancouver ダウンタウン)へは、車が大渋滞。花火見物に関しても、このアパートは地の利を占めている。
昨日の朝は右足首のクルブシが痛かったので大事を取り『ダンベル散歩』を休んだが、今朝、再開。昨夜、花火見物で僕らが席を占めていたセカンド・ビーチ辺りでも、食べ物や飲み物を手放さない老若男女が数多く見かけられていたから、さぞかしそこらは散らかっていることだろうと思いながら歩いたのだが、何のことはない、もう、片付け・清掃が終わっていた。手際がいい。
今週初めに幸さんから「お邪魔してもいいかしら?」と問い合わせがあった。隆子は「喜んで」と即答していたが、予告どおり10時に見えた。隆子と二人、まさに『水を得た魚』のごとく、オシャベリに熱中していた。彼女達はベランダ、僕は‘邪魔してはお気の毒’と、独り奥のパソコンを置いている小部屋に隠棲。時々大きな笑い声とともに会話の節々が耳に入ってきたが、トロント時代の共通の友人・知人の消息などが話の中心のようだった。
12時近くになったので、オヒルのお誘い。隆子が「一度行きたい」と言っている Café de Paris にしようかと提案すると、幸さんにも異存はない。この店はウチからワン・ブロック先の Denman St. にある。
Vancouver に初めて着いた日のことだ。チック・インには早すぎたので荷物を預けヒルメシに出かけたとき、この店の看板に『本日のスープ、なんたら、かんたら』と書いてあるのを見た隆子が、「私は“本日のスープ”だけでいい」と主張したが、啓子と僕が「今は“洋食”の気分じゃない」とムゲに却下、大分歩いた末“韓国食”の店に入ったといういきさつがある。それ以来、この店の前を通るたびに、隆子も僕も「一度・・・」を繰り返していた。
短パンのままで出て行こうとしたら、幸さんに異を唱えられた。「長ズボンにしろ」と。
店に入ってすぐに、着替えてきたことが正解だったと分った。通りすがりに見る外観からは何の変哲もない店のようだったが、中はシック、男性客の殆どは“襟付き”のシャツを着込んでいる。(こんなことなら、上も着替えてくるんだった!)幸さんによれば、「Gavroche よりも美味しい、という人もいる」のだそうだ。
三人とも‘本日のスペシャル’であるブイヤベースをチョイス。スターターに僕はムール貝を頼んだが、これは失敗だった。いや、非常に美味しかったのだが、メインのブイヤベースとは味が重複する。なにか、他のものを頼むべきだった。彼女達は‘エスカルゴ’を一皿頼み、シェアしていた。
店オススメの白ワインを飲んだ。B. C. 州産、銘柄は Blue Mountain。つい、「買って帰りたいな」と言ったら、ウェイターが「この銘柄の醸造元はエラク小さく、市販していない。ウチのようなレストランからの需要を満たすので精一杯」と話してくれた。残念。
ランチの後は腹ごなしに散歩。幸さんが「スタンレー・パーク」というので、そこへ。ところが、いまやこの公園は僕らの方が詳しい。僕らが案内することに。
(クリック:Stanley Park 入り口近くの花壇の前で隆子と僕。幸さんがシャッターを押してくれた)
(クリック:森の中を歩く幸さんと隆子)
幸さんがお帰りになったあと、僕らは観光案内所へ出かけた。隆子は、昨日の演奏会で聴いたピアノ(Angela Cheng)が気に入ったようで、Summer Combustion の最終日(明後日)の最後の演目に彼女が弾く『鱒』を聴いて見たい、という。僕はあまり気乗りしなかったので、初めのうちは生返事に終始していたのだが、思い直してみると、日本でもこのところコンサートに行くことがない、だんだん要望に応えてやるかという気になった。ただ、また電話で予約するのは面倒、観光案内所のチケット・オフィスで入手しよう、ということになったのだ。
訊ねてみると、エラク高い。と言っても二人で80ドル弱なのだが。隆子は「こんなに高くちゃ悪い」と一旦は断ったが、この前の“昼間のコンサート”が安すぎた(一人15ドル)のだ。再びカウンターへ取って返し、購入。
土曜日の夜は“花火”がある。今度は『中国』が出番。これには多分間に合わないが、まぁよかろう。花火は、まだ、二回残っていることだし・・・
熱波は一山越したようだ。熱波と言っても、Vancouver 辺りのヤツはたいしたことはない。せいぜい30℃を少し上回る程度。今日は30℃ には達しそうにない。雲が多い。朝の『ダンベル散歩』の際も、サングラスは必要なかった。
「このくらいの気温が一番いいんじゃないの?」(隆子談)ということで、今日は VanDusen 植物園と、その近くの Queen Elizabeth Park に行くことにした。念のため、上着と傘を携行。
勿論、交通手段は“バス”だから、昨夜は地図を念入りに調べた。しかし、手許にある『バス運行地図』も、バンクーバー交通局の web site も、肝心の知りたい情報が抜けている。こちらが知りたいのは、VanDusen 植物園が面する Oak St.、そこを走る17番のバスはダウンタウンの何処で停まるのか(つまり、何処で乗れるか)ということだ。ハッキリしないが、多分、Burrard St. のバス停で待っていれば乗れるのだろう、と見当をつけた。
バス停で待っていると、果たして17番がやって来た。乗り込んでバス・ドライバーに確かめるたら「このバスは USC へ行く。東の Oak St. まで行って乗り換えないと・・・」とのこと。だったら、17番という同じ番号をつけるのは紛らわしいではないか! 勿論、こう口に出したわけではない。行き方を教えてもらわねばならないから、心の中でつぶやいただけ。
VanDusen は思ったよりも小さな植物園だった。ガイドブックによれば「高級住宅街の中のゴルフコースだったところに造られたもの」だそうだから、日本の感覚から言えば広い。22万平米あるのだそうだ。植えられている植物は、世界中から集められたというだけあって、種類が豊富。日本のモミジや蕗などもあった。ヒルメシはここのカフェで済ませた。シーフッド・チャウダーとサンドイッチ。後者はともかく、シーフッド・チャウダーは、なかなか美味しかった。
ここから歩いて Queen Elizabeth Park へ。ここは元採石場だったそうだが、断崖絶壁から下に広がるお花畑を見下ろす感じは、石灰石採掘場の跡地に作られたブッチャート・ガーデンによく似ている。入場料は無料だが、公園の中に The Bloedel Floral Conservatory(ブローデル温室)があり、ここは有料。合併して名称が変わったようだが、かつてカナダ西海岸にマクミラン・ブローデルという大きな木材会社があった。そのブローデルと関係があるのだろうか?
“Floral”というより、“小鳥”を名乗った方が良さそうな温室だった。熱帯の植物が生い茂る中を、これも珍しい小鳥達が飛び交っている。全然止まり木から離れようとしない鳥たちもいる。勿論生きている。オウムの類だ。マレーシャ産の白いオウムの前には“名札”すら掲げてあったのには笑ってしまった。
(クリック:The Bloedel Floral Conservatory で見たつがいのオオム)
帰りは Main St. に出て中央駅へ向かった。元来は鉄道の中央駅であるが、現在もスカイ・トレインの駅があったり、長距離バスのターミナルがある。昨年バスで Victoria からバンクーバーに着いたのもこの駅だった。
そこを訪れたのには、目的があった。ウィスラーへ行こうと思っているが、そのバスも多分ここから出発する。バス・スケジュールと、切符は前売りを買う必要があるのかどうか、確かめたかったのだ。「乗りたい時間の一時間前に来て、チケット売り場で買ってください」感じのいい若い女の子が答えてくれた。ウィスラーへは、一日8往復出ている。
ウチへ帰ってから、隆子と「ああでもない、こうでもない」とウィスラーの宿選びをした。ガイドブックに出ている中級ホテル“Crystal Lodge”が手ごろだし、‘夕食つき’の料金設定(一人85ドル)もある。ここに決めて web site にある free dial へ電話したが、繋がらない。代表番号でも繋がらない。どうもおかしい。Lord Stanley のフロントに訊いたら「どうしてもダメだったら、フロントまで来てください」と言う。
フロントからの‘内線’からでも、やはりダメだった。フロントの‘直通’からでは、うまくかかった。内線から‘長距離’電話はかからない仕組みになっているのだろうか?
ともかくも、予約は取れた。8月3日(木)に出発。今回は‘下見’だから、一泊だけ。
留守電話もあった。幸さんからだった。夕食後、隆子が架けなおすと「今から行く。晩御飯にお酒を飲んだので、運転は理沙に頼む」とのことだ。先般、理沙ちゃんには会っていない。大歓迎の旨、返事。
30分ほどしてから、やって来た。チャックが造った(?)というワイン3本、今日 Farmers’ Market で買ったという桃をオミヤゲに。フロントに話したら「Visitor parking が使える」というのでそちらに停めてもらい、部屋まで上がってきて頂いた。
理沙ちゃんには子供の頃の面影がまだ強く残っている。「よく食べるけど、運動しているので」身体つきはスリムだ。(リハビリ)マッサージ師を職業にしているが、先般、会社のオーナーと意見が食い違い退社、来月には職探しのため隣のアルバータ州まで出かける、とのことだ。トロント時代、隆子は理沙ちゃんにヴァイオリンを教えていた。「大学へ入って大学のオーケストラに加わったけれど、高校のオケより下手くそだったので、止めてしまった」と屈託無く話していた。アルバータで早く職が見つかるといいが。
(クリック:子供のころは“オシャマ”で可愛かった。今もなかなかの美人だが。理沙ちゃん)
長期天気予報で“週末にかけて下り坂”と言っていたが、まさにその通りになった。窓から外を眺めると何やら涼しそうだから、朝の『ダンベル散歩』は、啓子がくれた Roots のプル・オーバーを着込んで出かけた。空には雲が多いのでサングラスもなし。
朝食後、今度は隆子と連れ立っての散歩。West End には中層のアパートが林立しているが、総じて落ち着いた造りである。上流階級の下か、中流階級の上といったクラスの人が住んでいるようだ。ところどころに、“歩行者”のみが往来できる公園風の通り(植え込みがあったり花壇やベンチが備えられていたりする)があるが、そこにはよく“掲示板”が設えられている。散歩の途中立ち寄って眺めてみた。
なかに、“Yard Sale”の広告があった。自分の家やアパートの前の芝生などに‘要らなくなった物’(殆どはガラクタ)を並べ、興味のある人に二束三文で売り渡す、いわば‘個人ベースの蚤の市’である。自分チのガレージに物を並べて売るのは“Garage Sale” と呼ぶのかな?
このテの‘不用品売却市’の開催は土曜日に限定されるように見える。売り手側から見れば、夫婦双方が揃っているので‘手が足りない’ことにはならないだろうし、一方買うほうも、ノンビリと二人連れで品定めすることが出来ようから。隆子は「行こう、行こう」と張り切って歩きだした。
今朝は、この界隈だけでも3軒あった。また、運送屋のトラックも普段よりも多かった。7月といえば“学年末”、こちらでも今が引越しの時期に当たるのかも知れない。同時に、不用品の始末も・・・というのが Yard Sale 件数増の背景か?
午後、隆子は「Yale Town へ行く」という。ダウンタウンよりも東にある地域で、かつては倉庫街だった所を再開発、オシャレな店やギャラリーなどが建ち並ぶエリアに変身しているのだそうだ。僕は興味なし、独りで勝手に行ってくれ、と返事したら「お小遣いが寂しくなった。少しでいいから軍用金をよこせ」ときた。仕方ないから100ドル渡す。
僕はウチでゴロゴロ。高島俊男の『キライなことば勢揃い』(文春文庫)を読了。
5時半には早めの夕食を済ませ、6時にはウチを出た。一昨日チケットを買った音楽会に行かねばならない。週末だし、今夜は花火大会第2夜という特殊要因もあって、道路の混雑が激しかった。待っていたバスもなかなか来なくてヒヤヒヤさせられたが、何とか7時前に、会場の Crofton House School に着いた。
7時15分からの Prelude Concert は、この前も聴いた Jupiter String Quartet、演目は Mozart の Quartet in B-flat major, K.589。この前同様、イキのあった演奏に感服。
8時15分からの Main Concert は、前半がギターとの共演曲目が三つ、後半がお目当ての Schubert の5重奏、Quintet in A major (“The Trout”), D.667 だった。
僕はギターと他の楽器との共演を聴くのは初めて。それなりに面白かったが、ギターの演奏者が曲目の前に長々と‘解説’を述べたのは興ざめだった。演目は1)Mozart arr. Fernando Sor; Three Arias from “Don Giobanni”, 2) Paganini; Sonata Concertata (1804), 3) Gnattali; Sonata(1969)。ちなみに、ギタリストは Daniel Bolshoy。
『鱒』は聴き応えがあった。演奏者は7月26日に演奏した4人にバスの Daxun Zhang が加わった5人。隆子は「CD があれば買いたいな」と言うほどの惚れ込みようだった。
ヴァイオリンの Kerry DuWors の経歴を見ると、トロント大学在学中に Lorand Fenyves 氏から指導を受けている。隆子も、トロントに住んでいた頃、フェネベスさんに教えてもらっていた。もう、亡くなられたそうだが・・・
帰りは遅くなった。Crofton House School を出たのは10時半頃、バスの運行回数も少なくなっている。土曜日、しかも花火のあとということで、道は混んでいるし、酔っ払いが乗ってくるし・・・サンザンだった。‘お口直し’に、チャックから貰った白ワインを飲んでから床に就いた。
昨夜は雷が凄かったようだ。何故曖昧にしか言えないのかというと、雷鳴を聞いたのは夢の中。稲光りとともに雷鳴が轟く。不思議に、雨が降ってこない。これでは、雷が木々などに落ちたら乾燥しているから山火事になりやすいだろうな、と思いやったりしていたことを覚えている。実際は、雨は降っていたのだろう。ただ、ここはビルの9階、雨の音が聞こえなかっただけに違いない。
朝起きて隆子に確かめたら、隆子も凄い雷鳴を聞いたと言っていたから、雷雨が襲来したことは間違いない。道路は濡れているし、雨が完全に上がったという様子も覗えないので、朝の『ダンベル散歩』は中止。もう一度ベッドにもぐり込んで、8時まで寝た。
遅い朝飯を終える頃、雨は上がったようだ。散歩する人もチラホラ見えるので、ご近所をブラブラ。空気はグンと冷たくなって、皮膚が剥き出しになっている顔、腕、膝下がピリピリと緊張して、気持ちがよかった。
午後は、「INAX」劇場に行こうか、とウチを出た。大画面の教育映画。去年、Victoria で見て味をしめた。あの時は『自然の驚異』を見たが、火山噴火や竜巻の実写など、迫力満点。今年は『Deep Sea』など3点の上映がある。もっとも、1タイトルごとに料金を払わねばならない。とりあえず、『Deep Sea』を見るつもりだった。
Canada Place の一番奥まった所に IMAX Theater はあるが、行ってみてビックリ、Box Office の前は長蛇の列。考えてみれば、今日は日曜日。パパやママがお休みだからとやって来た家族連れが多かっただろうし、寒いくらいのお天気だから劇場に逃げ込んだ人々も多かったのだろう。ガマンして行列に並んでいれば切符は買えたのだろうが‘又の日’にすることに。
帰り道 Robson 通りで隆子用の旅行カバンを買った。今使っているのはホノルルへ行った時、そこのマーケットで買った。ところが把手の金具が壊れ、これは応急処置をして直したけれど、今度は底の部分に亀裂が入った。これは直しようがない。それで買い換えることにしたのだが「安物を買うからだ」と僕がなじったので、「今度は一生買い換えなくても済むように、サムソナイトを買う」と隆子。
あと何回海外旅行が出来るか分らないが、今度のカバンは、軽い上に、底に車が四つ付いているばかりか方向転換が素晴らしくスムーズ。僕のトランクも Samsonite 製だが、これは重くて頑丈。使い勝手がよいとはお世辞にも言えないが、多分、結果的には“一生物”となるのだろう。
午前中の散歩は Stanley Park へ行った。Beaver Lake から Eagle Trail、Avison Trailを経由して半島の最北端、Prospect Point に着いた。右下に Lions Gate Bridge を見下ろす見晴らしのよい所で、茶店やみやげ物店があり、観光バスが休憩する所だ。僕らも小休止。見晴台にアライグマの親子が三匹うろついていた。危害を加えるものはいないので、全く人を恐れない。
(クリック:左が親で右が子供。実は金網の向こうにもう一匹子供がいた)
帰りは Prospect Point Trail から Bridle Path を一気に下ってきた。最後は Cathedral Trail から Lost Lagoon へ。Stanley Park には数多の散歩道が走っているが、今日で主なものは全部歩いたことになる。
午後にはバスでブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)まで行った。Howe St. のバス停から17番のバス、この前 VanDusen 植物園へ行ったとき、間違えて乗ったあのバス。ドンドン西に走り、ゴルフ場(University Golf Club)の真ん中を突き抜け、大学のキャンパスに入る。綺麗なゴルフ場だ。これぞ、先日田村さんに誘われたゴルフ場。周囲は、新しいが高級住宅地。
UBC へ行った目的は新渡戸記念庭園を見学するため。ガイドブックにも紹介されている“観光スポット”だが、バス停(終点)の何処を見ても案内板は見当たらない。手持ちの地図とカンを頼りに探し当てた。大分大回りした。
新渡戸記念庭園は純粋の日本庭園。スケールはずっと小さいが、京都の『野村別邸』を髣髴させる造りである。苔むした歩道を進んだ。よく手入れが行き届いている。
新渡戸記念庭園から道を隔てて人類学博物館がある。折角来たのだからと、覗いてみた。ここで言う“人類学”とは“文化”人類学で、この博物館では、北米大陸(主としてカナダ)北西海岸の先住民族(エスキモーやインディアン)の様々な部族の文化を伝える膨大なコレクションが展示されている。とても短時間で見終えるものではない。文字通り“駆け足”の見学に終わってしまった。
夕食はLord Stanleyに滞在しておられる松本さんご夫妻とご一緒した。7月23日の『日記』に記したご夫婦である。ルームナンバーを教えて頂いていたので電話したが連絡が取れず、一計を案じ、ポストイットのメモ書きをドアに貼っておいたら、先方から返事があった。松江から来られている由。
何処がいいか分らないから、近場、Denman St. にある中華料理の『小的屋(コマトヤ)』へ行ってみた。僕が持っているガイドブック『地球の歩き方・カナダ西部』(’04〜’05)には「地元の人などでいつも込み合っている・・・ボリューム満点で満足度は高い・・・日本語メニューあり」などと紹介されている。ここに決めて、行ってみた。
日本語メニューはない。客はマバラ。ボリュームはタップリだったが、ガイドブックに書かれている「高級ホテルで働いていたこともあるベテランシェフ」の味にしてはオソマツ。思わぬところで恥をかいてしまった。こんな出鱈目がまかり通るとは!
お口直しに、夕食後はウチへ来ていただいてワインを飲んだ。‘チャックが作った’というワインは結構好評だった。話が弾んで、気がついたら12時10分前。再会を約してオヒラキ。
昨夜は寝つきが遅かったので今朝は朝寝。起きたら8時を回っていた。だから『ダンベル散歩』は朝食後に行った。隆子も従いてきた。
午後は幸さんが West Vancouver を案内してくれた。現在、Rummel 家にはハワイから彼らの友人(ハワイ島のヒロでB&Bを経営しているゲイとのことだ)が来ている筈で、その人達(二人とも来ているのかどうか分らなかったが)も一緒なら僕は降りようと思っていたのだが、どうやら今日の客は僕らだけ。アパートの下のバス停から Park Royal のバス停までバス。たった一停留所だけだがゾーンが違うので(2ゾーン)、隆子3.25ドル、僕2ドル。
幸さんが車で出かけようとすると、理沙ちゃんが飼っている犬(ジェリー)も車に乗り込んで来て、3人と1匹が同乗することになった。ジェリーはジャーマン・シェパードと秋田犬の混血だそうだが、ジャーマン・シェパードの血が勝るのか、黒く逞しい大型犬である。トロントの宝崎さんが飼っていた犬にそっくりだ。おかげで、後部座席の僕は、片隅に寄って身を縮ませていなければならなかった。
老人センターを見学したあと Lighthouse Park やHorse Shoe Bay (Nanaimo 行きのフェリー発着所)を回った後、チャックの妹さんの家を訪ね、キャンピングカーの内部を見せてもらった。チャックの妹さんご夫妻は既に引退、このキャンピングカーで度々数ヶ月間の旅行に出かけるとのことだった。カナダ、アメリカには、到るところにキャンピング・グラウンドがあるので、何一つ不自由はしない、とご主人。
あと、West Vancouver の山の上に広がる British Property の中をドライブ。ここは有名な豪邸地帯。どの家もプロの庭師を雇っているのだろうから、植栽等見事なものである。幸さんは「こんな大きな家、あげると言われても欲しくないわ。管理が大変そう」との感想。
カナダ各州は独特の背景を持っている。大西洋岸の諸州は比較的古くからの移民で構成されているが、ケベック州は元来フランスの植民地だった。アメリカ独立戦争の際、イギリスと仲が悪かったフランスは、ケベックを経由して武器弾薬を“独立派”(つまり、ワシントンやジェファーソン一派)に供給した。しかし、独立戦争が‘戦争’であったことでも明らかなように、当時アメリカに住んでいたイギリス人全員が独立に賛成であったわけではない。“独立反対派”つまり“王党派”も大勢いた。彼等は戦争に敗れたあと、今のオンタリオ州に逃げ込んだ。そういう背景もあって、いまだにケベックとオンタリオは仲が悪い。そりゃそうだろう、敵同士だったわけだから。
アメリカが独立した後も、カナダは英国の植民地のままだったので、カナダを統治する英国政府はこの地の発展を目指し、ヨーロッパ全土にカナダへの“移民”を呼びかけた。オンタリオの西、マニトバ、サスカチュワン、アルバータなどへは、東欧の貧しかった人達が新天地を求めて大挙移住してきた。マニトバでは、いまだにウクライナ人の影響が色濃く残っている。この辺りは冬が厳しいので、英国からの移住は非常に少なかった。
これらの移民を輸送するのに、敷設されたのがカナダ縦断鉄道。線路工事には多数の中国苦力が従事した。
鉄道が西海岸まで貫通したのを機に、英国政府は英国の上級階級にカナダ移住を呼びかけた。カナディアン・ロッキーの西側は気候も温暖で住みやすい。この人達が開発したのが British Property である。移住してきた人達は英本国でも裕福な人達だったから、気位が高く、よそ者を寄せ付けない雰囲気を持っていたそうだ。かつては、有色人種は British Property の土地を買うことが許されなかった、と聞いている。今では、イラク人とか中国人のオーナーなどがいっぱいいる(幸さん)そうだが。
このあと、隆子は幸さんと Japan Town の‘ふじや’で開催された寺山心一翁の『チェロ演奏と講演の会』に行くという。なんでも、寺山氏は余命幾ばくもないと宣告されたガン患者だったそうだが、‘自然の力’で快癒、今はピンピンしておられる由。そのイキサツなどを話されるようである。僕はそれ程興味がないので失礼し、バスで Vancouver へ戻った。Denman のイズミヤで‘すき焼き丼’(4.45ドル)を買い、これが今晩の夕食。隆子は幸さんに送ってもらい、10時半ごろ帰って来た。僕はもう半分寝ていた。
昨夜は比較的早く寝たので今朝は5時半に目が覚め、独り『ダンベル散歩』に出かけた。帰ってきてから隆子に「昨夜はどうだった?」と訊ねると、寺山氏の話は結構面白かったらしく「日本へ帰ったら、寺山さんが書かれた本とか、試供品としてくれた薬(『百毒くだし』)とかを買う」と言う。「バカ、やめとけ」と諭したが、どうも僕の忠告は“仏の耳に念仏”のようだ。
午後、先日から持ち越していた IMAX へ行った。見たのは『Alaska』と『Deep Sea』の2本。1本だと11.5ドル、2本だと16ドル。二本目が格段に安い。シニア料金はそれぞれ50セント引き。待ち行列の長さに尻尾を巻いて帰って来た日曜日に比べると、今日は天国。切符はすぐ買えた。
スケールの大きさでは『Alaska』だった。スクリーンが大きいので、オーロラの写真も自分がその地に立って空を見上げているような錯覚にとらわれた。近藤憲司君は行ったそうだが、僕らはAlaska に行くことはあるまい。それだけに、興味深かった。
また、アラスカには氷河時代の面影が残っていることに触れながら、氷河時代には氷河の形成に伴って海面が現在のレベルよりも100メートルも低く、日本列島もアジア大陸と地続きになっていたし、ベーリング海峡にも海水がなかったから、アジア大陸から米大陸へと人や動物が移動できたのだ、という解説があった。僕は‘氷の上を渡った’ものとばかり思っていたが、この説明でより納得。
『Deep Sea』は 3-dimension 映画だった。立体映画を見るのは始めて。目の前に小魚やクラゲが泳いだり漂ったりしている。やったことはないが、スキューバダイビングの世界はこんなものかと、こちらも興味津々。『Deep Sea』はワーナーブラザーズの製作だったが、日本には IMAX のような映画館はないものか? 東京にあれば是非行ってみたいものだ。
今夜は“花火”があるし、明日は Whistler。朝が早い。だから、今夕は久しぶりに外食。Denman St. にある『ムサシ・ジャパニーズ・レストラン』のオヤジさんは幸さんの友達だそうだから、行ってみた。
隆子はいろいろ取り合わせた『定食』(Dinner Box)、僕はゲソの唐揚と天麩羅盛り合わせ(小)をビールとお酒のオツマミとし、〆はカツ丼を頼んだ。天麩羅の衣は厚いし、隆子の定食料理もボッテリとした仕上がり。啓子が置いていったガイドブック『わがまま歩き、カナダ』(ブルーガイド)には‘オススメの店’として掲載されているのだが、いい加減なものだ。
“花火”見物も今日は寒いぐらい。10時の開始時間が待ち遠しかった。隆子の評価は「この前の方がよかった」とのことだが、まぁ、似たりよったりの出来。
今日は Whistler へ出かけた。8時にウチを出て、バスと Sky Train を乗り継ぎ Main St. のバス・デポへ着いたのが8時半。次の Whistler 行きが出るのは9時45分。この前 Greyhound の案内所では「出発の1時間ほど前に切符を買え」と言っていたので早めに来たのだが、まだ切符売り場に行列らしきものは出来ていなかった。早すぎた。
切符は一人20ドル。切符を買ったからといっても、席が決まっているわけではないから、安心は出来ない。松本さんは前の日に切符を買ってあったので「ユックリ行ったら、バスの右側にしか席が残っていなかった。結局、ウィスラーまで山ばかり見ていましたよ。道中の景色を楽しむには左側に席を取らねば」とおっしゃっていたので、バスが出るターミナルの一番前に並んだ。誰もやって来ないが、ガマン。
おかげで、左側の、しかも運転手の真後ろの席を占めることが出来た。バスは Park Royal Shopping Mall や Horse Shoe Bay などでも乗客を拾ってゆく。そして一路 Rt. 99 をWhistler に向かってゆくのだが、Rt. 99 は土木工事の真っ盛り。4年後の冬季オリンピックはここ Vancouver で開催されるが、スキー競技の会場は Whistler である。この二つのメイン会場を繋ぐのが Rt. 99。現在は基本“片側1車線”だから鋭意拡張中であった。小休止、大休止を交えて、Whistler には12時半に着く予定が、30分も延着してしまった。
Whistler の宿は Crystal Lodge、夕食つきで一人85ドルである。チェックインしたとき夕食のヴァウチャーを渡されたので見て見ると、『一人分42.5ドル、チップはこの金額に含まれていない』との但し書きが付いていた。つまり、一人分85ドルをホテルとレストランが折半する、ということだ。まぁこの観光地で一部屋(二人分)85ドルの宿泊料なら安いものだろう。隆子の「ビジネス・ホテルみたいね」というコメント通り、ごく‘当たり前’の部屋だったが。
これに引き換え、夕食は豪勢だった。予約したとき「ステーキにしますか、イタリアンにしますか」と訊ねられイタリアンを選んだのだが、その店はホテルの斜向かいにある Trattoria Di Umberto、僕のガイドブックでは「ドレスコードはないが、高級感あふれる店」と紹介されている。味も抜群だった。ヴァウチャーにあったディナー・メニューは
(APPETIZER)
Minestrone Soup 又は
Smoked Wild Salmon with capers & sweet onion 又は
Thin Slices of Beef Carpaccio with capers & parmesan
(MAIN COURSE)
Penne Con Salsiccia Spicy Italian Sausage with Tomato 又は
Roasted Free Range Chicken Tuscan Style 又は
Fresh Fish of the Day 又は
New York Steak with a green peppercorn sauce
(DESSERT)
Lemon Meringue Tart 又は
Crème Brulee
Coffee or Tea
であった。
隆子は Smoked Salmon と Penne、僕は Beef Carpaccio と Chicken、デザートは二人とも Crème Brulee を取った。大満足!
Whistler でも散歩を主体として過ごすつもりだったから、昨日は Upper Village から Lost Lake の trail を歩いた。歩きやすい、いい道だった。Upper Village は観光客目当ての店も少なく、落ち着いた雰囲気。The Fairmont Chateau Whistler や Four Seasons Resorts Whistler などの超高級ホテルはこちらにある。
今日は Whistler の山の上まで行った。ガイドブックによると『日本語のガイドツアー』の事務所“ジャパナダ(Japanada)”がヒルトン・ホテルの地下レベルにあるとのことなので、昨日の夕方行ってみた。当初は‘4時間ツアー’を予約しようと思っていたのだが、それに行くと Whistler の山に登る時間が十分取れそうにない。駆け足で高山植物を見ても・・・と思い直し、4時間ツアーの方は「やっぱり、やめときます」とキャンセルした。ジャパナダの女性社員は別にイヤな顔もせず、Whistler 山の頂上付近の散歩コースを親切に解説してくれた。
Whistler の山に登るにはゴンドラとリフトを利用する。ジャパナダで『ウィスラー山観光券』を買ったが(税込みで大人31.75ドル、シニア25.39ドル)、これで両方共乗れる。歩いて登るのは無理。標高差もさることながら、ここは熊の生息地。
ゴンドラの乗車時間(?)はおよそ30分。終点の Roundhouse Lodge から右手に幾分か下がった所に Peak Chair(リフト)の乗り場がある。そのリフトを利用して、標高2160メートルのウィスラー山々頂に立つ、という仕組みである。頂上からの眺めは格別だった。四方の山々は万年雪を頂き(ウィスラー山にも雪が残っている。リフトは結構大きな雪渓の上を走った)、スイス・アルプスを思わせる。僕は野村證券時代にスイスに出張したとき、週末にモンブランに登るチャンスに恵まれたが、景色のスケールはこちらの方が大きいと思った。
リフトで Roundhouse Lodge まで戻り、ランチ。そのあと、ジャパナダの女性社員が勧めてくれた Harmony Lake Trail を歩いた。今年は高山植物の開花が遅く、今が見頃、とのことだったが、楽しませてもらった。ただ、このところ雨が少なかったせいもあってか、登山道が乾ききっており、埃まみれ。
悪名高い black fry も飛んでいた。‘ブラック・フライ’は蚊や虻よりも小さくブヨよりも大きい。カナダの森林地帯や高山地帯に繁殖し、刺されると、その痒さは虻やブヨの比ではない、と聞いている。ジャパナダの女性社員も「防虫剤をお忘れなく」と『OFF』という銘柄のスプレーを勧めてくれた。勿論、剥き出しのところにはチャンと塗ってから行った。一回使っただけで捨てるのはモッタイナイから、日本、なかんずく田舎、へ持ち帰るつもりである。
ジャパナダがくれた山頂付近の地図は、よく見ると、マウンテンバイク用の地図だった。なんと、スキーよろしく、夏場には、ウィスラーの頂上から麓までマウンテンバイクで降りる人たちがいるのだ。ゴンドラにはそのまま自転車も積み込んでいるし、リフトには『バイク専用』の座席がついたものもある。空中をジャンプしたりしながら降りてゆく連中を見て、隆子は「尊敬する」と一言。
降りてきたら、さすがに疲れていた。隆子も「ショッピングはもういい」とグッタリ。
4時半のバスで帰途に着いた。運転手に「スタンレー・パークを抜けた最初のバス停辺りで停めてもらえるか?」とダメモト覚悟で訊ねてみたら、アッサリ、「Denman だな?No problem」との返事。これで、終点から Sky Train、バスの乗り継ぎ、という煩わしさから開放されることになった。
金曜日の午後とあってか、往路に渋滞をもたらしていた土木工事は何処にも見られなかった。しかも、道は下り続き。バスは快適に走り、6時半過ぎには Denman の停留所に着いた。終点の Main Station 到着予定時間は7時15分だったが、7時前には着いたことだろう。
少々朝寝。二日間サボっていた『ダンベル散歩』は、朝食の後となった。隆子も従いてくると言うので一緒にウチを出た。今朝は少し距離を延ばして Siwash Rock まで。これまでの折返し点であった Third Beach から、往復で15分ほど。この岩は Stanley Park 本体の地面から離れ、わずか数メートル先の海の中に立っている。まるで、日本でもよく見られる“ローソク岩”ソックリ。頂上に松の木が一本生えているところなども。
ここは魚釣りにいい場所らしく、常に誰かが棹を投げ入れている。何が釣れるのか、分らない。釣り人も、水を入れたバケツを用意していたりはしない。釣れたらすぐさま海に放す。こちらの釣りは“Catch and Release”が原則。晩のオカズにしたりはしないようだ。
3時に1階上の松本さんの部屋をお訪ねした。ご夫婦は明日帰国される。その前にお茶でも、とお誘いを受けた。ご夫婦とはこちらに来てから偶然知り合いになった。ご主人は島根県庁にお勤めだったようだが、定年を機に、若い頃からの夢だった『海外長期滞在』を実行されている由。僕よりは5歳ほどお若いようだが、もう随分いろいろな所へ行かれている。‘農業経営’がご専門のようで、各種農作物の育成・管理にお詳しそうだ。「こちらでも、(どこか、Vancouver の北のほうで)山葵栽培のアドヴァイスをしましたよ」とのこと。メールアドレスを教えてもらったので、僕もこれからはいろいろとお教えを乞うつもり。
一時間ほどでお暇しようと思っていたのに、ついつい話が弾んで3時間も長居してしまった。
今夕は“花火”大会の最終日、今日はメキシコの出番である。花火大会の夜は、毎回10時から30分間、打ち上げが行われる。この‘花火シリーズ’は香港上海バンク(HSBC)の主催で毎年行われており‘国別対抗’の形式を採っている。今年の出場はイタリア、中国、チェコ、メキシコの4カ国であった。全ての国の打ち上げが終わった後に‘最優秀国’が決まる。僕達は中国の打ち上げを見逃した。その夜がコンサートと重なったため。
会場は English Bay。一人25ドル払えば見やすい席が用意されるらしいが、僕達は「花火ごときに」とケチって、Second Beach から見た。English Bay は人混みが大変だろうと思ったから敬遠。松本さんご夫婦も見物に行かれた筈だが、お知り合いのカナダ人ご夫婦の面倒見がはなはだよろしいようで、毎回、そのお知り合いが‘有料席’のすぐ側に椅子を並べ、場所を確保してくれているのだそうだ。確実を期して5時から用意している、とのことだ。僕らは9時ごろ出かけ、Second Beach のプールの脇の石段にゴザを敷いて見物した。ここからでもよく見えた。ただ、距離があるから、花火がハジケてから“ドン”という破裂音が聞こえるまでに、1秒ほどの間があった。
前評判は「中国の優勝」というものだったが、僕らは見ていないから判断の下しようがなかった。しかし、メキシコもなかなかやるナ、と隆子と話し合いながら見ていた。花火の‘高さ’が高い。だから迫力があった。審査の結果は、何と、“メキシコの優勝”だった。つまり、僕らは一番素晴らしい打ち上げを見損じなかった、という訳だ。
早めにヒルメシを終え、Robson と Denman の交差点に急いだ。ウチから僅か1ブロック半。12時から2時にかけてゲイのパレードがある。この交差点がパレードの出発点。警官が交通を遮断していたし、もう大勢、人が集まっていた。この辺りではとても見物できそうにない。写真すら撮れないだろう。やむを得ず、Denman St. を10ブロックくらい先に進み、前列を占めている人たちの頭越しにならどうやら見物できそうな箇所を見つけ、そこを見物の拠点とすることにした。惜しむらくは、日陰がない。今日は天気がよく、木陰でもあればなんということもないのだが、直射日光はさすがにコタエた。
このパレードは“Parade of Pride”と名付けられており、かつては日陰者だったゲイ達のうち、勇気のある者たちが“差別撤廃”を訴えて始めたもののようである。それが人気を呼ぶにつれ、いまやバンクーバーの夏の‘お祭り’と化している。去年の人出(見物人)は16万人を数えた由。今年はもっと多かったのではないか。凝った衣装を身にまとったパレード参加者達は、音楽に合わせて踊り狂う。見物人の中からも踊りだす者が出てくるなど、まことに陽気なパレードだった。
参加者にはゲイが多かったのだろうが、そのケのない人達も多く含まれていたようだ。パレードの参加者はいくつかのグループごとに行列を組んで行進するのだが、‘市役所職員’‘図書館職員’‘消防署’‘教育委員会’果ては‘XX教会’などの横断幕も見られた。たとえ内心苦々しく思っていても、“人権”を振りかざされると、ネガティブな動きが出来なくなるのかも知れない。‘戦争反対’を謳ったグループもあった。彼等はブッシュ米国大統領を糾弾するプラカードを掲げていた。
パレード参加者達から見物人に向かってキャンデーなどが投げられる。子供達は大声を上げながら拾う。それらの‘戦利品’を後ろに控えているママが収納・・・と、子供達にとっては“ハローウィーン”の気分なのだろう。ジレットだったか、カミソリ(シェーバー)を配っていたが、子供達はそれにも手を出していた。
暑い中に立ちっぱなしだからツライ。それに、ひとあたり見てみると、どれもこれも大同小異。1時間チョット粘って、引き上げた。
それから“パウエル祭”見学に出かけた。日系移民が住み着いたのは Powell St. 近辺だが、今ではチリチリバラバラ。年に一度はお祭りをやろうぜ、という機運が高まったのだろう、30年前に始まった“日系人のお祭り”である。昨日も行われたが、松本さんにお茶に誘われていたので、僕達は行かなかった。
Oppenheimer 広場(400 Powell St.)が主会場。この広場にはこの前にも行ったことがあるので、迷わず行けた。
インターネットでプログラムは承知していた。相撲のトーナメントを見たり、和太鼓の実演も見たかった。だが、主催者の手違いか、プログラムが遅れに遅れている。広場の真ん中に土俵らしきものが設えられ、出場者達はズボンの上から締め込みなどをして準備万端整っているのに、メイン・ステージでは下手くそな歌が続いていて、終わらない。相撲はこの歌番組が終わってから、というアナウンスを聞いて、「もう帰ろう」と隆子に声をかけた。ここでの収穫は金光教の出店(テント)で買った今川焼きだけ。4個5ドルだったが、焼き立てで、結構美味しかった。
バンクーバー滞在も、あと一週間を切った。松本さんご夫婦が「是非行って見なさい」と勧めてくれた Grouse Mountain を除き、やろうと考えていたことは、もう、殆どヤリ尽くした。もっとも、僕の主目的は『歩くこと』だから、これには終りがないが。
明日の夕食は Rummel 一家を日本食の『好(ヨシ)』レストランに招待している。日本食にするか中華にするかで迷ったが、理沙ちゃんが中華を苦手としていると聞いて(味の素をふんだんに使うので、アレルギー症状が出ることがあるらしい)、日本食に決めた。ウチからはビル一つ隔てたところにあるレストランだが、まだ、僕達は行ったことがない。幸さんが「開店してまだ新しいけれど、あそこは高級店との評判」と教えてくれたので、そこに決めた。チャック達もまだ行ったことがないそうだから、丁度良い。
そうこうするうちに多美ちゃんから電話があって「お招き有難うございます。ところで、この日の午後、Squamish に来ませんか? ご案内します。バンクーバー発1時のバスに乗ると、Squamish 着は2時10分。見物した後、一緒にバンクーバーまでお送りします」というので、ご好意に甘えることにした。明日行く。
先日幸さんと理沙ちゃんがやってきたとき、多美ちゃんの話になった。彼女が吉祥寺にホームステイして『目白学園』で学んだおり、学校の帰りには必ずあるお菓子屋に立ち寄り、お饅頭を一つ買って帰ったそうだ。目白学園での滞在が終了し友達にサヨナラしたときにも涙が出なかったが、最後のお饅頭を買った時、思わず大声で泣いてしまい、お店のオバサンを慌てさせた。「もう、明日からお饅頭が食べられない」と。お店では両手いっぱいのお饅頭をプレゼントしてくれたとのこと。「今でも、多美はお饅頭大好き」と理沙ちゃんは大笑い。
ということだから、明日のオミヤゲ用にと、お饅頭探しに日本食料品店へ行ってみた。“豆大福”などがあったが、賞味期限が微妙。結局、あんこが好きなのだろうからと、『最中』と『ドラ焼き』を買った。
午後は隆子と僕、それぞれが単独行動。隆子は South Granville へ“ウインドウ・ショッピング”。僕はまだ見ていない『African Safari』を見に IMAX へ。途中、旅行小切手を現金化すべく銀行に立ち寄ったが、ドアが閉まっていた。一瞬戸惑ったが「多分、今日がブリティッシュ・コロンビア・デイ」と気がついた。去年ビクトリアへ行ったとき、8月1日が『B. C. 州記念日』だった。8月1日に固定しているのではなく、“8月第一月曜日”というのが‘正解’のようだ。道理で、今朝『ダンベル散歩』の途中、普段の数倍の人とすれちがったわけだ。
「今日は休日か」、以前、日曜日に IMAX へ行った時、子供づれで満員だったことを思い出し「ヤバイ」と慌てたが、杞憂に終わった。African Safari も3-D 映画だったが、南アフリカの動物保護区の象、犀、野牛、豹、それにライオンを写すだけの、底の浅い作品だった。3-D のテクニックも、この前見た『Deep Sea』が数段上。
天気予報は「午後から雨」だったが、『ダンベル散歩』の頃は快晴。このまま天気予報が外れてくれれば、と願っていたが、午後1時、ウチを出るあたりから小雨が降り出した。W. Georgia と Denman の停留所でバスに乗った。Squamish まで、大人9ドル、シニア8ドル。
バスは10分ほどの遅れで Squamish に着いた。多美ちゃんが飼い犬のトッフィーと一緒に出迎えてくれた。そのまま、車で Alice Lake Park へ。自然林の公園である。トレッキング・ルートが無数にあるそうだが、僕らは Alice Lake を一周するルートを選択。雨は降り続いていたが、森が深く、傘は必要なかった。Alice Lake は静かな湖である。木の間越しに、父親と幼い子供がカヌーで遊んでいるのが見えた。他には、人の気配もない。子供は釣り糸を垂れていたが、どんな魚がいるのだろうか?
30分ほどで散歩を終えた。車に帰ろうとすると、トッフィーの足が急に鈍くなった。明らかに、まだ帰りたくない様子。といって、多美ちゃんに逆らうわけにはいかないし・・・トッフィーの心理状態が手に取るようにわかって、可愛かった。
多美ちゃん達の家へ向かう途中“ハクトウワシ”が集まることで有名な川岸に立ち寄った。毎年11月から翌年の2月にかけて、アラスカやユーコン準州などから、大挙、集まってくる。その狙いは、川の上流で産卵後息を引き取ったサーモン。毎年地域の人が手分けして、やって来たハクトウワシの数を数えるのだそうだ。ガイドブックによれば、1994年に3766羽を観測、という全米記録がある。その河原にほど近い公園で、多美ちゃん達は結婚式を挙げたのだそうだ。何の変哲もない公園だが、多美ちゃんの‘想い’はこの箇所に詰まっていることだろう。写真を撮っておいた。
多美ちゃん達の家は、崖の上のモノスゴク眺望の良いところに建っていた。真下に Squamish の町、少し先にSquamish 川の河口、入江(海)などが見渡せる。左手には巨大な岩山。これが有名なロック・クライミングのメッカらしい。
家は5-bedroom の2階建て。一階は広い台所が付いた食堂と、その隣に居間が続いていた。居間には暖炉も備えてあったし、多美ちゃんが子供の頃から弾いていたという、もうアンティークと言えそうなピアノも置いてあった。廊下を隔てた隣の部屋はビリヤード台が真ん中にあるプレイ・ルーム、それに、書斎が二つ。ベッドルームは全て2階だ。2階へ上がる大きな階段は、居間と食堂の両方から見える。階段の壁には多美ちゃんのだろう、着物が装飾品代わりに下げてあった。
これだけではない、半地下がある。ガレージ、大きな物置(理沙ちゃんの個人的荷物は、大半、ここで預かっている由)、それらに加えて独立したトレーニング・ルームがあった。また、物置とガレージの壁には様々な“突起物”が打ち付けられてあり、これはロック・クライミングの練習に使われる。「特に冬場はここに篭ることが多い」(多美ちゃん談)そうだ。見学していて圧倒された。
こんな広い所に若い二人だけ・・・ではなかった。実は“犬連れの同居人”がいた。Graham といい、多美ちゃんの夫 Jesse の10年来の友達、とのことだ。ロック・クライミングの教師や、様々なレスキュー活動をして生計を立てているらしい。彼は2階のベッドルームを一つ、1階の書斎の一つを‘専用’していて、台所などは共同で使用している、と多美ちゃんは言っていた。料理・食事などは別。「いい人だけど、部屋を散らかしていて・・・」と多美ちゃんは若干不満顔。
こういう‘ルーム・シェア’や‘間貸し’は、カナダでは珍しくないようだ。実際、チャックの家も「下は誰かに貸している。借りている人の素性は知らない」(幸さん)そうだ。しかし、夫婦と独身者との組み合わせ、しかも、『同居』となると、ちょっと考えさせられる。ことに、多美ちゃんは一週間のうち3日間は(連続)‘搭乗’で留守であるのはいいとして、BC Hydro 勤務の夫の Jesse は、勤務地が Whistler から更に車で3時間もかかる山奥のダムだそうで、月曜日の朝から木曜日の夜まで、家には帰ってこない。「月曜日の朝5時半頃に家を出て行く」(多美ちゃん談)のだそうだ。「多美ちゃんが独りのとき‘問題’は起きないのでしょうね?」という隆子の心配は、‘もっとも’のような気がする。
「こんな家に住めるのは幸せだろうなぁ」と隆子が羨望する家も、4年前に買ったときの値段は C$380,000 だったとか。「この3年間に不動産価格は急騰したので、今では倍ほどになっているのでしょうね?」(多美ちゃん)と。5%のダウン・ペイメント(頭金)で買い、残金は“週払い”で返済中、だそうだ。同居人の Graham からは‘家賃’を貰っているので、出て行ってもらうのも‘痛し痒し’と言ったところか?
昨夜は Rummel 一家を日本料理店へ招待した。店の名前は『好(よし)』、Alberni St. と Denman St. の交差点の所にある。だから、僕らの宿、Lord Stanley とは目と鼻の先。田村さんの奥さんが「おいしいわょ」と仰っていたが、僕らはまだ行ったことはなかった。「何処にしましょうか。日本食か、中華を考えているのですけれど」と幸さんに話してみたら、「理沙は中華が苦手なの。大量に味の素を使うらしいので、それにアレルギーがあるようです」とのことだったので、中華は諦めた(『麒麟』を候補に考えていた)。
「日本食といっても、世界中の大抵の町には主だったホテルに日本料理店が入っているけど、バンクーバーにはないみたいですね。ガイドブックにも‘これ’といった店が出ていないし。ウチの近くに“好”という店がありますが・・これはガイドブックにすら出ていないし・・」と僕。「あそこは新しい店。でも、高すぎる」と幸さん。「高い、と言っても知れているでしょう。旨ければ・・・」と僕。「美味しい、とは評判。私は一度だけ行ったことがあるけれど、チャックをはじめ他の誰も行ったことがないのじゃ・・・」と幸さん。「じゃ、決めた、そこにしましょう」と僕。
これが、7月末の話。多美ちゃんは国際線に乗っているので、いつでも、というわけには行かないし、8月の乗務スケジュールは月末でないと決まらない。それに、その時には僕らはまだ知らなかったけれど、多美ちゃんの旦那、Jesse も普段は山奥の生活。バンクーバーのオフィスにも時々出てくるが、その日付も、その時点では、不明。で、みんなの都合が一致したのが8月8日だった。
『好』に予約を入れた時点では、理沙ちゃんの“アルバータ行き”の日取りが未定だったのだが、8月の半ばに延びた、とのことで、幸い、全員勢揃い。
『ミニ懐石』を予約しておいた。一応バラエティに富むだろうから“本格的な日本食”の雰囲気が味わえるだろう。八寸の代わりに‘付出し’が三鉢出てきたので‘アレレ?’と思ったが、その後は‘お造り’‘揚げ物’など、如何にも日本的に盛り付けてあり、Jesse などは大満悦。総じて好評だった。
午後、隆子は「Sky Train に乗ってきます。Metrotown のショッピング・センターを見てくるかも」と出かけ、僕はウチに留まり田舎の叔父達に絵葉書を書いていると、理沙ちゃんから電話がかかってきた。「今からなら大丈夫」と。実は、幸さんから昨日のお礼に「私が理沙に払うから、マッサージを受けてやってください」とお誘いを受けていたので、留守電に今日の午後なら、と入れておいたのだが、その返事。バスに乗り、教わった通りに Royal Shopping Centre の裏手からブッシュの中の‘抜け道’を登ってチャックの家へ行った。
理沙ちゃんのマッサージは本物だった。「SPA などでやっているマッサージじゃないの。運動などで怪我した人のリハビリのためのマッサージ」だそうで、教える学校も BC 州で2校しかないのだそうだ。理沙ちゃんは大学卒業後、そのうちの1校で訓練を受け、ライセンスを取った。マッサージ代は支払う、と主張したが、幸さんは、ついには理沙ちゃんまでも、固辞するので、これ以上は‘カドが立つ’と思い、ご厚意をお受けすることにした。それではと、50ドルのチップ。「Too much」と今度は先方に固辞されたが、これは受け取ってもらった。
アルバータでの就職は、どうやら、もう決まっているような口ぶりだった。町の名前は覚えていないが「カルガリーから1時間、バンフからなら20分。啓子ちゃんに是非来るように伝えて。‘アルバータ・ビーフ’がタップリ食べられるよ」と笑いながら言付けられた。僕がいつか「啓子は、子供の頃から、アルバータ・ビーフが大好きで、その結果、太りすぎたのかも・・」と言ったのを憶えていたものか。
マッサージの後、幸さんが準備してくれた野菜のマリネを肴に、白ワインをご馳走になって帰宅。アイス・ワインも出されたが「これは哲生の好物」と言うと、帰り際に一本「哲生ちゃんへのオミヤゲ」と持たされた。
朝起きると雨。今日は松本さんお奨めの Grouse Mountain へ行く日だ。松本さん達は都合2回行かれたようだが、一回目は雨で、風景など見ようにも見られなかった。「霧ばっかりで、何処に何があるやら・・」という状態だったようだが、二回目は快晴。「バンクーバーの夜景は綺麗でした。『函館』の比じゃありません」と激賞、「是非行かれるといいですよ」とのことだった。隆子が『週間予報』を頼りに「木曜日なら大丈夫みたい」とこの日に決めたというイキサツがあるためか、あたかも自分に責任があるように恐縮している。「なぁに、お前のせいじゃないんだから」と僕。それでも、隆子はテレビの『お天気情報番組』をしつこく見ていて、「午後には雨が上がるそうよ」とホッとしたような口ぶりだった。
10時半頃、隆子は「買い忘れのオミヤゲを買ってくる」とウチを出た。僕も『ダンベル散歩』に出かけようかと窓から下の道路を見たが、走っている車の半分ほどはウィンドウ・ワイパーを動かしていた。諦めて本を読んだりしていたが、11時、もう一度外を見ると、どうやら降り止んだらしい。『ダンベル散歩』に出発。
Grouse Mountain の The Observatory には7:15分の予約を入れていたので、3時ごろウチを出た。バスでダウンタウンまで行き(2−ゾーンの切符を買った)、Waterfront までは歩き。そこから Seabus に乗船。隆子は波止場のショッピング・センターに立ち寄って細かい買物をしたのだが、なんでも、この前買った“フライパンの焦げ付きを剥がす道具”がなかなか‘使い勝手’がいいのだそうだ。自家用とオミヤゲ用。1個1.39ドルだから、安いものだ。Lonsdale Quay からは 236 番のバス。この前 Capilano へ行ったときと同じバス。終点が Grouse Mountain の麓だった。
ここからは Sky-Ride というゴンドラに乗る。これも松本さんから教わっていたことだが、The Observatory に予約すると、このゴンドラ代(26ドル)がタダになる。僕も切符売り場で予約があることを告げると、無料で切符を渡してくれた。松本さんは何処でこのような情報を入手されたのだろうか? ガイドブックには、勿論、書かれていない。
頂上に着いても時間に余裕があったので、散歩や見物。‘丸太切りと木登り’のショウはもう終盤で、見ることが出来たのは半分だけだったが、鷲を使ったショウは全部観た。ミミズクも飼いならせば、鷹と同様、ショウに使えるのだ。広い広場に放し飼いになっているグリズビー・ベアも見学した(勿論、電気を流している柵で守られている)。
(クリック:巨体を揺らせながら歩くグリズビー・ベア。本気になればこんな柵などものの役にも立つまいが)
Grouse Mountain の標高は知らないが、明らかに、冬場はスキー場に早変わりするところ。リフトもあったし、スノーモービルらしきものも放置されていた。長年ここにおられた田村さんは「標高500メートルあたりまでは雪が積もります。それから下は積雪なし。朝スキー、午後ゴルフ、というのが可能な町です」と仰っていた。
The Observatory の食事は美味しかった。隆子は牛肉のカルパッチョをスターターに、メインはホタテ(ロブスターのリゾットと共に)、僕は海産物をイカに詰めたものをアペタイザーにしてメインはポーク。デザートの温チョコレートも抜群だった。生ビールとグラス・ワイン、紅茶(隆子)とコーヒー(僕)、税金、チップ、全部合わせて180ドル、それくらいの価値は十分あった。ただ、少々間延びしたサービスで、終わったら9時を大分回っていた。
(クリック:Grouse Mountain から見る Vancouver の夜景は見事)
帰りが大変だった。絶景の夜景を満足行くまで眺めてから、下りの Sky-Ride に乗ったのは9:45分、麓に着いた時は、来るときに乗ってきた236番の運行は終了していた。案内板には‘232番で Phibbs Exchange まで行き229番か230番のバスに乗れば Lonsdale Quay に行ける’と書いてある。その通り、232番で Phibbs Exchange まで向かったが、途中、バスが“映画のロケ”に巻き込まれ、動かない。パトロール・カーが2台も出張っていて交通止め。それで遅れたせいか、Phibbs Exchange に着いてみたものの、目指す229番も230番も見当たらない。
隆子が‘Downtown Vancouver’と行き先表示したバスを見つけた。運転手にいろいろと質問したのだが、これが、yes と no しか言わない、極めて不親切なドライバーだった。少々アタマに来たが、Granville あたりまでは行くこと、どうやら Lonsdale Quay から Seabus に乗るよりも早くダウンタウンに着きそうだということなどが分って、このバスで行くことにした。結果的には、これが‘正解’だったと思う。
バスは出発後まもなく Ironworkers Memorial Bridge を渡り、Powel Street をダウンタウンへ。このあたりは、かつてバンクーバーの中心地だった所だろう。今は古びて、荒廃した感じが横溢している。再開発が必要だ。
これまでは地権者などが絡む‘再開発’よりも、何もない新しい土地に伸びて行ったほうが安上がりだったのだろう、と思う。見棄てられた場所に、見棄てられた人たちが集まってくる。そして、ガイドブックなどには“夜は出歩くのが危険な地域”などと書かれてしまう。
Granville に着いてウチの方面に向かうバスを待ったが、時計を見ると11:15分、どうやら終バスが無くなっているようだった。やむをえない、W. Georgia St. を歩いて帰った。ウチに着くと、11:30分、啓子と哲生にメールを出し、喘息の吸入を終えてベッドに入ったら、もう午前1時。明日は朝寝だ。
バンクーバー滞在もいよいよ大詰め。昨日は、隆子がゴハンの残りで‘オニギリ’を作ってくれ、これで、ゴハンも漬物もオシマイ。残った梅干しと海苔は幸さんに残してゆく。お昼のパンも、今日でオシマイ。最近‘健康オタク’の僕は、自然食品専門のスーパー、Capers で買った‘穀物16種パン’を愛用してきた。
ラベルに書かれている能書きには“小麦粉は一切使用していない。Sunflower Seeds, Millet, Sprouted Triticale, Sprouted Rye, Sprouted Barley, Buckwheat, Whole Corn, Whole Brown Rice, Sprouted Spelt, Kamut, Sesame Seeds, Amaranth, Teff, Nuts, Soy, Whole Sprouted Wheat, それにOrganic Oat Flakes や水を加えてこさえた”と書いてある。少なくとも、食物繊維が多く含まれていそうではないか。
ヒルメシを済ませて Stanley Park を巡る Sea Wall を一周した。こちらに着いて早々、歩いた道である。今日は2時間ほどで歩けた。4時ごろから大騒ぎしながらパッキング。
バンクーバー最後の夕食は、ダウンタウンまで出かけ、KEG でステーキ。KEG は村井君が勧めていた店だ。もっとも、村井君は‘Grandville Island’と言っていたが、僕らが行ったのは Thurlow St. に面した店。他の町でも KEG の店を見かけたから、恐らく、チェン店になっているのだろう。
旨かった。食べすぎ。
KEG を出てから、歩きなれた海岸沿いを散策しながらウチへ戻ってきた。バンクーバーは‘いい町’だった。
(クリック:この海岸沿いの道はよく歩いた。特に、夕方のそぞろ歩きには抜群)
9時半に幸さんが迎えに来てくれた。空港まで送りましょう、という申し出を有難くお受けした。また、滞在中に仕入れた食料などで余った分も貰って頂ける。もう、たいして残ってはいないが。
同時に、チャックから貰っていながら飲み残したワイン(赤ワイン1本)と、哲生にと頂いたアイスワインをお返しした。つい先日、ロンドン空港で『テロ未遂事件』が発生、それが“液体爆弾”の可能性が強かったことから、機内に液状のものが持ち込めなくなった、と報道されている。ワインも、多分、駄目だろうと予想したから。幸さんは不承不承という感じだったが、受け取ってくれた。
幸さんは隆子にと『手作りジャム』を2ビンお土産にくれたが、予想通り、これらは「手荷物検査」の段階で破棄させられた。チェックインすれば持ち帰れたのだろうが、出発間際では荷物の出し入れは出来なかった。
こういう事件の影響だろう、空港に着いたら長蛇の列。チェックインまでに1時間もかかる始末。チェックインしてからワインでも買うつもりだったが、なんと、免税店もワイン売り場は休業。市内の免税店で買った人たちはどうしたのだろうか?
ワインが買えなければ仕方がない、隆子にレスポのバッグ(LeSportsac)、僕用にゴルフの着替え用に使うバッグを買った。ゴルフを中断してから久しい。このたび佐用ゴルフの会員になったものの、ゴルフ場に持って行けるようなまともなバッグは残っていない。まさかリュックザックでは・・・と迷っていたところだ。これは田舎に持って行くつもり。
カナダへ向かうときには「一日得をする」が、帰りは「損」をする。機内に座っているだけで、夜も来ないのに、翌日になってしまう。
飛行機は順調に成田に着いたが、ゲートが一杯で「バス利用」となった。これも『テロ』の影響だろう。バスに乗り込むには一旦外気に当たる。成田の空気は湿っていて重たかった。日本に帰ってきたと実感。
2年連続でカナダ西海岸での滞在となった。昨年のヴィクトリアもよかったし、今年のバンクーバーもそれに劣らずよかった。常時、『世界で住みやすい町』の上位にランクされるのも「むべなるかな」である。田村さんが冗談半分に「紙名さん、ここに家を買ってくださいよ。私たちが“別荘番”で面倒見ますよ」とおっしゃっていたが、カネの都合さえつけば本当に買いたい、と思う。景色がきれいで、空気が澄んでいる。暑さも耐えられないほどではないし、第一、湿度が低いから、ほとんど気にならない。日本のメシヤもあるし、日本式の『コンビニ』すらある。ここにはランメル一家という『知り合い』もいることだし・・・また、来ることになるような予感がする。
<財務上の総括>
さて、どれだけかかったか?後日の参考のため、一応まとめておきたい。(C$表示)
航空券(二人、往復)・・・・・1,320(C$=\100で換算)
宿泊料(Lord Stanley, 30日)・・・3,484
食料品等・・・・・・・・・・・ 708
嗜好品(コーヒーショップなど)・・・ 45
外食・・・・・・・・・・・・・1,341
日用品・・・・・・・・・・・・ 555
衣料品・・・・・・・・・・・・ 146
医療(ビタミン剤など)・・・・ 309
教養・・・・・・・・・・・・・ 169
交通費・・・・・・・・・・・・ 265
娯楽・・・・・・・・・・・・・ 174
交際費・・・・・・・・・・・・1,090
総計・・・・・・・・・・・・・9,606
上記の支出の中には特殊要因から生じたものもある。それらは、
『日用品』には
・隆子用に買った旅行トランク225ドル
・帰りの空港でほぼ‘衝動買い’した隆子のLeSports(110ドル)と
・僕用のゴルフ・バッグ(100ドル)
が含まれている。
『外食』も啓子が滞在中は‘折角来ているのだから’とレストランを連れ回したのが予定をオーバーする結果となった一因。
『交際費』が多額になったのはランメル一家(5人)を“好”にご招待した費用700ドルが含まれたため。
これらを差し引くと、1ヶ月9000ドル未満で過ごせたことになる。とは言うものの、宿泊費が高い。地元の『バンクーバー新報』の広告欄などには、もっとリーズナブルな物件が散見される。次回は幸さんにでも頼んで安いところを見つけてもらうことを考えたい。
(了)