ニュージーランドー2


<プロローグ>

2006年の冬は、もう一度ニュージーランドへ行くことにした。三年前に南島のクライストチャーチに4週間ほど滞在して、大いに気に入ったこともあるが、実は、もう一つ目的がある。現地に開いている銀行口座の処理だ。

定年になったら「クライストチャーチに定住しよう」と本気で考えたことがある。バークレイズ・グループを定年退職(規定で60歳)する一ヶ月ほど前、残っていた“有給休暇”を利用して、初めてニュージーランドへ行った。近畿ツーリストが主催する10日間ほどの団体旅行だったが、‘あれもこれも’と、ワイフがネを上げる程のキツイ旅程だった。それでも、“住みやすそうなところだなぁ”という強い印象が残った。

バークレイズ・グループを辞めた後は、パリバ・グループの投資顧問会社で会長に就任することが決まっていたから、実際の『定年』はもう少し先になることが分かっていた。そこで、準備かたがた、ニュージーランド・ドル預金を始めることにした。さて、銀行を何処にするか?

モチはモチ屋だ、バークレイズ銀行の知人に尋ねてみたところ「オーストラリア・ニュージーランド(ANZ)が“トリプルA ”で安心」とのコメントを得た。即、ANZに決めた。東京にも ANZ銀行はあるが、どういうわけだか、金利は現地のほうが高い。そこで東京支店からクライストチャーチの支店を紹介してもらい、そこに口座を開いた。

ところが65歳になり、イザ年金生活の始まりという段階で、気が変わった。というより、「ニュージーランド定住はやはり現実的でない」ということに気がついた。生まれ故郷の兵庫には、僅かばかりとはいえ、祖先から受け継いだ田畑、山林がある。父は、僕がまだ野村證券のトロントに勤務していた1976年に亡くなったし、母も、昭和天皇崩御の前年、他界した。それ以来、家は無人。ここで全てをスッポかして海外移住では、親戚一同も黙ってはいまい。非常識のそしりは明白だ。少なくとも僕の代までは管理を心がけねばと反省した次第。

そこで、「ニュージーランドに定住する代わりに、海外各地で“長期滞在”してみよう、ニュージーランド・ドル預金残高はその費用に充当」することにした。幸い、口座にはキャッシュカードがついており、世界各地で“現地通貨”が引き出せる。

しかし、残高照合や送金依頼などはいちいち航空便を使わねばならない、という不便が残る。東京支店はまだOn-line に加わっていないので、助けにならない。ニュージーランド国外からインターネット・バンキングが出来るのか、その辺も確かめて、不便さを補う方策を相談してこようと思う。改善が困難ならば、口座を閉鎖してしまおう。どうせ、もう、たいして残ってはいないわけだし・・・

今回も南島のクライストチャーチを主体にする。銀行もここにある。3年前にも4週間ほど滞在したが、落ち着いた街で、隆子も気に入っている。北島のオークランドにも1週間いたが、滞在中雨ばかり降ったせいもあり、印象はあまりよくない。ただ、今回はクイーンズタウンには行ってみたい。7年前の近畿ツーリストの団体旅行でも訪れたが、僕は気に入っている。ここは世に名高い“ミルフォード・サウンド・トレイル・トランピング(トレッキング)”の拠点でもあるが、2泊3日を山小屋泊まりという山歩きは、隆子には無理だろうと思う。僕も、喘息の薬が手放せない今となっては、ちょっと自信がない。

事のついでに、南島の背骨、サザン・アルプスの向こう側(タスマニア海側)にも行ってみたい。もしかすると、フランツ・ジョゼフ氷河やフォックス氷河も見ることが出来るかも知れない。南島北端の Nelson や Picton にも興味がある。だから、今回はレンタカーすることに決めた。

次の問題は滞在期間。僕は丸の内病院に毎月一回検診に通っている。1月の分は月の前半、2月は月の後半でよかろう。そこで、出発は1月20日(金)、帰り(成田着)は2月25日(土)の、丸5週間とすることに決めた。週末は、正規割引運賃といえども、航空運賃が一万円高く設定されている。仕事で行くわけでもないし、わざわざそんな日に乗らねばならないという理由はない。

2005年10月27日(木)

インターネットで調べたら、ニュージーランド航空の東京支店は住所変更、帝国ホテル・アネックスに移っていた。隆子と二人で訪問、航空券を予約。座席も決めた。当初はクライストチャーチへの直行便を利用するつもりだったが、既に満杯。仕方がないからオークランド経由(乗り継ぎ)にした。直行便だと翌日(1月21日)の夜明けに着くが、オークランドを経由すると正午着となる。時間がちょっと損だが、どうせチェックインは午後にならないと出来ないだろうから、それほどの痛手ではない。料金は往復二人分で、総額313,640円也。

10月28日(金)

フライトが決まったので、次はスケジュール作り。

初めの10日間をクライストチャーチで過ごす。最後の日にレンタカーして、クイーンズタウンへ向かい、途中、2泊ぐらいしたい。クイーンズタウンでも10日間滞在。その後、サザン・アルプスの裏側に廻り北上、ネルソン周辺で暫く過ごし、又、クライストチャーチへ戻る。そこで、レンタカーを返す。クライストチャーチ周辺はもう“手の内”が分かっているので、車は必要ない。バスで十分。

隆子にも不満はない。

10月29日(土)

いよいよ宿探し。

3年前に泊まった City Park Lodge は、安くて、僕は満足だったが、隆子は不満だったようだ。交通量の多い道路に面していて騒音があったし、元来モーテルだから、何とはなく落ち着きがなかった。また、カーテンがうまく閉まらないなど、細かい点で無神経なところが気に障ったのだろう。

「別のところにするか」とインターネットを操作していたら、見覚えのある建物が出てきた。外壁が真っ白で、しかし、落ち着きのありそうな建物だ。住所を確かめると、Cranmer Square(小公園)に面している。間違いない。3年前街を歩いていて、「これはホテルに見えないから、きっとマンションだろう。こういうところに住むのも悪くないなぁ」と話し合ったことがある建物である。何と、serviced apartment らしい。早速、予約のメールを入れる。

10月30日(日)

“予約確認”の返事が来た。Chateau Blanc Suites、1泊 NZ$179.00。いささか高いが、まぁ、いいだろう。ここなら、ハグレー公園にも、ダウンタウンにも近い。隆子は「スーパーに近いかしら?」と心配するが、近くに何かあるだろう。

10月31日(月)

クライストチャーチからクイーンズタウンまでは、一日で一気に行けないことはない。けれども、別に急ぐ旅でもない。途中、Tekapo、Wanaka などで2泊しよう。マウント・クックにはどうせ登らないから、そこまでは足を伸ばさないつもり。B&B か Motel、この2泊は“行き当たりばったり”でよかろう。

今日はクイーンズタウンの宿のみを予約。部屋の設備やフロアープランなどをインターネットで見て、Amity Lodge に予約のメールを入れた。

11月1日(火)

返事が来た。取れた。1泊NZ$150.00。これから先は、再び“行き当たりばったり”とすることに。南島の北端からクライストチャーチへ帰ってきてから、まだ5日間滞在することになるが、何処にするか、これも最初の10日間で決めればいいことだ。

2006年1月5日(木)

そろそろ、レンタカーの予約をせねば。この前英国へ行った時は Avis を使った。エジンバラ市内のオフィスで借りたのだが、対応が親切とは言えず、いささかムッとしたので、今回は“業界最大手”の Hertz にしてみよう。インターネットで申し込もうとしたが、途中で手こずり、結局電話。

クライストチャーチ市内のオフィスで、コンパクトサイズのオートマチックを借りることにした。1週間 NZ$322.00 X(2週)と1日 NZ$46.00 X(6日)、保険料などを加えて総額 NZ$1035.00。走行距離は無制限。勿論、ガソリンは自分持ち。

1月11日(水)

国際免許証を取りに小金井(府中?)の試験場まで、散歩がてら、歩いていった。代書屋のオバサンが「パスポートは?」と訊ねた。しまった!忘れてきた! ということで、出直し。

無駄足を踏んだが、手続きは簡単、3分ほどで出来上がってきた。しかし、代書屋への支払いが1700円、印紙代が2650円、これで有効期限は1年間とは、少し高くないか?いちいち出向かなくてはならない手間もあるし・・・せめて、有効期間は3年間くらい欲しい。

1月12日(木)

机の中をガサガサ探していたら、やっぱりあった。3年前使い残したニュージーランド現金通貨。紙幣でNZ$765.00、コインも2ドル貨が1枚、1ドル貨が3枚、50セント貨3枚、20セント貨6枚、10セント貨3枚、5セント貨2枚。これだけあれば、日本で両替していかなくても大丈夫。

1月14日(土)

朝飯も終わり、10チャンネルの『旅サラダ』を見ていると、啓子が「新しいデジカメ使える?」と尋ねてきた。それだ!『取扱説明書』を読まねば、と思っていた。

去年のクリスマスに「高かったから、お年玉と兼用!」と言って、啓子が新しいデジカメをプレゼントしてくれた。Panasonic の LUMIX。これまでは Olympus の CAMEDIA(C-300)を使っていたが、若干時代遅れとなっていた。このカメラも、前回 New Zealand へ出かける直前、啓子と哲生が共同でプレゼントしてくれたものだった。

随分コンパクトになったものだ。軽い。しかし、機能は数倍も良くなっているようで、取扱説明書には何やらゴチャゴチャいっぱい書いてある。面倒なので、暫くそのままにしていたのだが、勿論、今回持って行くつもりにしている。

読んでみた。なかなか頭に入らない。突然目新しい『単語』が出てきて面食らっていると、とんでもなく後ろの方のページを参照しろなどと書いてある。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり・・・マニュアルのもう少しウマイ書き方はないものかネェ。

Camedia は“スマート・メディア”を使っていたが、LUMIX では“SDメモリー・カード”を使うらしい。付属品として16メガ・バイトのカードが一枚付いているが、これでは用に立たないようなので、容量の大きなものを買ってこなくてはいけない。小金井駅前にベスト電器があるので、行ってみよう。

1月16日(月)

駅前のベスト電器へ行ってみた。SDメモリー・カードを物色、512Mを買うことにする。一箇8,980円、結構高い。取扱説明書によると、最精密の写真(6M)だと160枚撮れるそうだ。普通の写真(3M)だと300枚、メールに添付したりホームページに使うものだと(0.3M)2320枚。一個で十分かと思ったが、念のため二個買った。

家に帰って啓子に話すと、案の定、笑われた。「一旦撮っても、いらないものはドンドン消せるし、必要なものもPCに移して保管すればいいのに。プリントだって、PCからCDに落として、CDからぷりんとすればいいのに」と。そういうものか。しかし、そうするのも面倒くさいじゃないか。

1月18日(水)

何時も頼むABCスカイパートナーズが荷物を取りに来てくれた。帰国時にも成田から自宅まで宅急便で送るつもりなので、『往復』を頼む。2個で\7,200.-。これで、後は明後日成田へ赴けばいい。便利なシステムだ。

1月20日(金)

いよいよ出発の日。フライトはNZ90便、18:00出発だ。中央線で東京駅まで出て、そこでヒルメシ、そのあとで空港駅までの切符を買う。不思議なことに、この方が“安上がり”(一人160円安くなる)なのだ。時間はタップリあるのだから成田エキスプレスなどに乗るつもりはない。13:19分発の快速“エアポート”で充分。

東京駅ではオテル・ド・ミクニの店へ行ってみた。丸の内に勤務する啓子に尋ねると「あまり評判は良くないョ。私はその店には行ったことがない」とのことだったが。しかし、どんな店なのか、好奇心に負けた。

入口の案内板に『フォアグラ丼』が出ていたので、それを目的に入った。注文するとウエイトレスは「そのメニューは1時からでないと・・・」それならそうとチャンと書いておけ! 仕方がないので、一番安い『メカジキ丼』(\1,050)にしたが、これが結構ウマかった。ゴボウのサラダ、味噌汁、デザート、それにコーヒーがついてのこの値段は“お買い得”と言えよう。

時間が余ったので“銀の鈴”で一休みしていると「人身事故の影響で総武線は上下線とも遅れが出ています」とのテロップ。慌ててプラットフォームまで走り駅員に確かめると「成田方面はほぼ定刻」とのこと。一安心。

しかし、その直後、戸塚駅付近でも人身事故があったようで、僕らが電車に乗る頃下り線は全然動いていなかった。駅でのアナウンスメントも「次の成田エキスプレス成田行きは遅れて到着の見込みです。成田空港までお行きのお客様は次の快速“ヘアポート成田”をご利用ください」に変わった。

ヒヤヒヤさせられたが僕らは順調に空港に着いた。搭乗後、ドアが閉まっても斜め前方の窓側の並びの席が3つ空いたままである。或いは“乗り損ねた”お客さんの席か?僕らはテキパキと行動を起こし、移った。お陰で、隆子は二つの席を占領して横になった。途中で「あなた、替わるわョ」と言ってくれたが、僕には席二つでは狭すぎた。

1月21日(土)

成田出発は30分ほど遅れたが、気流の関係か、オークランドには定刻より早く着いた。入国審査と税関検査はオークランドで済ませ、シャトル・バスで国内便ターミナルまで移動。

クライストチャーチ空港では思いもかけないことに出くわした。ANZのキャシュカード取り出し、おもむろに現金を引き出そうとしたが、現金が出てこないばかりか、カードも返ってこない。レシートには

Your card has been retained for security purposes. Please visit your branch for assistance.

とプリントされている。まぁ、当座のキャッシュは間に合っているからいいものの、キャッシュカードをアテに無一文で来ていたら、とんでもないことになるところだった。

10泊する予定の Chateau Blanc Suites (353 Montreal St.) まではタクシー。荷物は1個につき2ドル。チップも合わせて40ドル支払った。早速チェックインしたが、「まだ、前からのお客さんが出て行っていない。部屋は2時頃までに用意できる」とのことだったので、荷物を預けてヒルメシに。歩いて5分もかからないところに“飲茶”の店があるのでそこへ。この店には3年前にも行ったことがあり、味はなかなかのもの。

“アパートメント・ホテル”という看板を出しているだけあって部屋の内装はホテル並み。しかも、やせても枯れても、“スイート”だから、寝室のほかに大きな居間もある(クリック)(クリック:居間の一角には予備ベッドも二つ備えてあった)。それに、“アパートメント”だから、台所も完備(クリック)。食器類も揃っている。隆子の満足度は相当高いように見受けられた。「10日間か。短い滞在だなぁ」だと!

しかし、隆子が恐れていたように、スーパーが近くにない。マネジャーに訊ねると、「コロンボ・ストリートのスーパーへは毎晩7:30分にシャトル・バスが出ている。メリヴェールのスーパーまでは徒歩20分」とのことだ。3年前にもメリヴェールへはよく行った。疲れているが、当面の買い物はせねばならない。リュックを担いで行って来た。

1月22日(日)

昨夜は良く寝た。

夕食に、メリヴェールのスーパーからの帰りにテイク・アウトした Fish & Chips を食べながら(こいつが旨くなかった!)、近くのコンビ二で買った白ワイン(銘柄名は DRYLANDS, Marlborough; Sauvignon Blanc の2004年もの。れっきとした New Zealandワインで、これは旨かった)をキコシメシタのが効いたのか、8時(東京時間では4時!)を回ると瞼が重くなって、隆子によると、8時半には寝入ったそうだ。

朝起きるともう8時。12時間近く寝たことになる。これほど寝たのは久しぶりだ。

特に予定はない。といって、キャッシュカードを取り上げられているから、買い物をするわけにも行かない。時差解消を兼ねて、昔(と言っても3年前にしか過ぎないが)よく訪れたところを回ってみるか。

宿泊している Chateau Blanc からモントリオール・ストリートを2ブロック南へ行くと、アートセンターがある。週末はここの広場でマーケットが開く。3年前と同様、賑わっていた。1ブロック西へ進むとハグレー・パーク。枝を切らないから、木々が伸び伸びと育っていて、気持ちがいい(クリック)。芝生も綺麗。

3年前に1ヶ月近くを過ごしたモーテルも健在。看板をみると、10ドルばかり値上がりしていた。そこから少し北に進むと Chateau On-the-Park Hotel, 今度泊まっている宿舎と同じ系列のホテルで、後半の5日間はここに泊まろうと思っていたが、満員で予約が取れなかった。このホテルの隣が Mona Vale.ここの庭園は何時見ても素敵だ(クリック)

クライストチャーチは3年前と余り変わっていない。それだけ、時間がユックリ流れているのだろう。

1月23日(月)

さぁ、新しい週の始まりだ。早速、ANZ銀行のクライストチャーチ支店に出向いた。

先ず、キャッシュカードを無くした顛末から。中年女性の支店員がコンピューターで調べてくれた。なんと、理由は“有効期限切れ”だった。キャッシュカードに有効期限が設けられているなんて、正直、夢にも思っていなかった。早速“再発行”してくれたが、今回も有効期限は3年だそうだ。「期限切れになったら、どうすればいい?」との質問には「キャッシュカードは、危険防止のため、外国へは郵送できない。また New Zealand へいらっしゃい」との返事。参ったなぁ!

現在、口座残高は半年毎に郵送されてくるのだが、ネットで知る方法はないのか、と訊くと「インターネット・バンキングをお勧めする。ただし担当者は今いないので、午後2時にもう一度来てくれるか?」とのこと。2時にもう一度出向いて、手続き完了。今回の旅行の目的の一つはこれにて終了。メデタシ、メデタシ。

他にすることもない。City Mall の店を冷やかしたり、大道芸を見物したり。エイボン川沿いのオープン・カフェの前では隆子に「ここのフレンチ・トーストは美味しかった。今回も、何時か、連れてって!」とせがまれたり。

1月24日(火)

朝、パソコンを起動してメールを読んだ。啓子、哲生、共に入れてくれていた。東京は“雪が降る”という天気予報だったが、かなり降って寒かったらしい。啓子は僕達が時差で苦しんでいるのではと、気遣いのメールを入れてくれている。しかし、何よりも僕達を喜ばせたのは哲生からのメールだった。「東大への着任が4月1日に決まりました」というもの。

哲生は現在『日本先端技術・・・何とやら(JST)』に勤務している。昨年春、東大で博士号を取得した後就職活動、筑波大の助手として採用されたハズだったが、赴任してみると、実は筑波大の助手ではなくて、筑波大の教授(寅市先生)がJSTから請けているプロジェクトの要員としての採用であることが分かった。かなり、いい加減なものだ。

ところが昨年末、東大でお世話になっていたゼミ(玉井教授)の忘年会に参加したところ、教授から「東大文学部に助手のポストがある。興味があるか?」と訊ねられ、その気になってインタヴューを受けたら、受かってしまった。

「3月1日に着任して欲しい」とのことなので早速JSTに辞表を出したが、これが寅市先生を怒らせてしまい、先生は「年度末までが最短契約期限」と、許してくれない。こうして、哲生は窮地に落とし込まれていたのだが、僕らのスケジュールも動かせない。そのまま、僕らは飛行機に乗った。

メールによると、玉井先生が寅市先生をなだめて下さったり、東大では哲生のボスとなられる坂村先生に話を通してくださったりして、着任日が1ヶ月先延ばしになったもののようだ。これで僕らの胸にわだかまっていた懸案事項が片付いた。これから以後のNew Zealand 滞在が懸念なく楽しめることになる。

さて、特になさねばならない用事や目的があるわけではない。トーストにジャムだけの簡単な昼食のあとは、ハグレー公園で池の淵で遊んでいる鳥達にパン屑をふるまったり、芝生に座り込んで本を読んだり・・・僕は阿刀田高の『楽しい古事記』(角川文庫)を読み終えたので、宮部みゆきの『模倣犯』に取りかかった。隆子はダイナ・マコール(皆川孝子訳)の『ミモザの園』(MIRA文庫)を読んでいるらしい。

夕食は今回初めての外食。コロンボ通りにある日本料理店『Aiki』へ行った。客あしらいが決してうまいとは言えないオカミが「いつか、お見えになったことがありますネェ」と話しかけてきた。そう、3年前にも2度ほど来たことがある。オーガニック野菜、オーガニック・ビーフと、何でも“オーガニック”が売り物の店だ。

野菜餃子(4個)、刺身盛り合わせ(魚は7切れ)、豆腐ステーキを前菜に、メインは隆子が(タイ風)野菜カレー、僕がオーガニック・ビーフの焼きソバ、それに地ビール1本、『美少年』2合、チップ10ドルを加えて合計90ドル。

1月25日(水)

昨日の天気予報で“今日は大雨”(テレビ、新聞共)と信じ込んでいたので、宿舎に閉じこもって過ごすことばかり計画していた。隆子もそのつもりで、今日をクライストチャーチへ来て始めての洗濯日と決めていた。このアパートメントの1階に共同の洗濯場があり、洗濯機、乾燥機、どちらも一回2ドルで使用できる。

昨日の夕方、9時頃だったか、空にモヤが立ち込めたのだろう、立派な虹がかかった。(つまり、9時頃までは夕日が沈んでいないのだ。)“雨が降る前兆だな”と思った。事実、夜中にはかすかに雨が降っている音も聞こえた。しかし、朝起きてみるともう止んでいる。洗濯が終わっても、一向に降り出す気配がない。「じゃ、出かけてみるか」とアテもなく宿舎を出た。

雨こそ降っていなかったが、風が冷たそうだ。新聞の『天気予報欄』(ここでは日本のホテルのように、早朝に新聞(The Press)が部屋まで届けられる)を見ると予想最高気温は17℃。いつもなら“短パン”に“T-シャツ”だが、今朝はジー・パンにウインド・ヤッケをまとって出た。

風で庭木の枝が大きく揺れていた。枝の先に大きな白い花。泰山木(マグノリア)だ。クライストチャーチには泰山木を庭に植えている家が結構目に付く。

ランチはエイボン川沿いのオックスフォード・テラスにある The Bard on Avon で食べた。イギリス風の伝統的なパブである。3年前にもよく来た。当時は可憐なホステスが注文を受けてくれたものだ。彼女の姿はなく、むつけき、背の高い男性に代わっていた。

ここのホット・チーズ・サンドイッチがお気に入りだった。残念ながら、メニューも替わっていて、もうこのサンドイッチはサーブされていなかった。

1月26日(木)

朝、パソコンを立ち上げると、啓子から隆子に宛てたメールが、“至急”というキャプション付きで入っていた。「直子叔母さん(隆子の姉)から『品川の茂治おじさんが亡くなった』という知らせがあったので、直子叔母さんへ電話を入れて下さい」とのことだった。茂治叔父さんは、隆子の母(既に亡くなっている)の妹の旦那さまで、隆子達が随分お世話になった方である。

現在ニュージーランドは“夏時間”、東京との時差が4時間ある。すぐに電話するには早すぎる。しばらく散歩でもして、お昼に帰って来てから電話しよう、ということになった。そこで、1時間余りエイボン川沿いを歩いた。

僕達は3年前にも歩いたが、クライストチャーチの町の中心を南北に走る Colombo St. の東側のエイボン川沿いは、Café なども殆ど見当たらず、そのためか、人通りも少ない。しかし、散歩道は西側よりも素晴らしい。オックスフォード・テラス(道)の東の終点まで歩き、そこからは Kilmore St. を真っ直ぐに帰って来た。直子さんへは当地時間11時半(東京時間7時半)に電話。

オックスフォード・テラスの更に東側は、道路の名前が Avonside Dr. に変わる。その道もなかなか散歩に良さそうだった。無論、歩道はチャンと付いている。午後も、特に計画していることがなかったので、午前の続きでそこを歩こうか、ということになった。

午前の散歩で引き返したオックスフォード・テラスの終点までは、午前の帰りと同じ Kilmore St. 経由。エイボン川は大きく蛇行しているので、これが一番の近道。Avonside Dr. はその名の通り、エイボン川に沿ってクネクネと続く道。川端に植えられた柳の木はスクスク育っており、高さは10メートル近くにも達するか。枝が枝垂れて川面に届くさまは、何やら浮世絵にも出てきそうだ。

図に乗って少し歩き過ぎた。出かける時は薄ぐもりで、陽射しもそれ程でもなかったのに、いつしか一片の雲も見当たらない。かなり消耗して帰宅。

1月27日(金)

天気予報どおりの好天気、Sign of the Takahe から Sign of the Kiwi まで歩いた。オニギリ持参で。

ここへは3年前にも何度か来た。Colombo St. を真っ直ぐ南下すると、小高い山に突き当たる。山の麓部分はクライストチャーチ有数の高級住宅地、Cashmere 地区である。友人の一人日野君はモルガン銀行に勤めていたことがあるが、その当時の東京支店長だった鳥羽さん(僕も一度だけゴルフのお付き合いをさせて頂いた)は、引退後、このCashmere 地区に住んでおられたはずだ。大病をされたと聞いているが、まだご存命かどうか。

この高級住宅地の頂上付近と裏山は全て市民のために確保されており、公園、遊園地、数多くのピクニック・トレィル、マウンテンバイクのルートなどに使われている。

Sign of the Takahe は、その“公園部分”の取っ掛かりに当たる。今はレストランなどに使われているが古い石造りの建物が残っており、内部は自由に見学できる。市バス(大人一人2ドル50セント。3年前に比べて50セントの値上がり)は Cashmere 地区の急坂を駆け上がり、この建物の前まで行く。Takahe とは鳥の名前で、Kiwi と同様、飛べなかった。そのため、先住民のマオリ族に食べられてしまい全滅した、と伝えられている。

Sign of the Takahe から Sign of the Kiwi までは Harry Ell Walkway で小一時間ほど。これは平坦で歩きやすい道だ(クリック)。クロスカントリーよろしく、走っている人すらいる。ヴィジターセンターで手に入れた地図には、このほかにも walkway や track など、9つものルートが示されている。

雑木林の中を進んでゆくと、鳥の鳴き声が聞こえてくる。澄んだ、綺麗な声だ。メルボルンの公園で聞いたベルマイナーに音色が似ているが、啼き方が違う。もしかすると、ベル・バードかな? 姿は見えない。

オニギリは Sign of the Kiwi から Mitchells Track を少し上がったところで、眼下の海を見下ろしながら食べた。風が少し冷たかったが、満足、満足!

夕食は宿舎から1ブロック半、ヴィクトリア通りの Hay’s へ行った。昨日店の前を通りかかって「何時からやっているのだろうか?」などとチェックしていたら、中から日本人の女性が飛び出してきて質問に応えてくれた。いきおい、今日の6時半に予約を入れてしまった。別に後悔はしていない。どうせ、近いうちに行ってみようと決めていたのだから。

“ラム料理”がウリの店だとガイドブックにも書いてある。「イセエビ料理もありますよ」という声には耳も貸さず、羊を注文した。本当に、旨かった。これまで食べたラム料理のうち、ここが一番!もう一度行くつもりである。

1月28日(土)

3年前に滞在したとき、アートセンターの斜向かいの一等地で大きな工事が進行中だった。クライストチャーチ・アート・ギャラリーである。勿論、今では既に出来上がっている。表面はガラス張り、高さもこの近辺では図抜けているので、イヤでも目に付く建物だ。誰の設計かは知らないが、一見、有楽町の“東京フォーラム”に似ている。隆子とは「雨の日にでも行ってみようか」と話し合っていた。

今日、天気予報は“快晴”のハズだったが、起きてみると、表の道路が濡れていた。ベランダへ出てみると、微かに霧雨が降っている。そこで「行ってみようか」ということになった。Chateau Blanc Suites からは2ブロックしか離れていない。

何と、入場は無料だった。受付で頂いたパンフレットによると、この美術館の完成は2003年の5月、展示作品の数はおよそ5,500点、イギリス絵画、ヨーロッパ絵画もあるが、大半はニュージーランド作家の作品であるとのことだ。現代物もあるが、古いものもある。昨日ピクニックに行った Cashmere あたりを描いた風景画もあったが、家が一軒も描かれていない。このように、クライストチャーチの古き時代が偲ばれるという、思いがけない“副産物”もあった。

夕食は“シナメシ”を takeaway することにした。先日、Victoria St. の名前が Papanui Rd. に変わるあたりに、Great China という偉そうな名前の中華料理店があって、そこの店先に takeaway menu があったのを一部貰っておいた。ナニ、店の名前は壮大だが、実態は、大通りから横丁を入ったところにある、こじんまりとした店である。

去年の夏カナダの Victoria で過ごしたとき、アパートの近くに“中西料理店”(中国および西洋料理の意味だと、後で分かった)というのがあり、二度ほど takeaway して味をしめた。中華料理店の出前は、ベラボウに旨いとは言えないが、まぁ、それほど当たり外れもないと言えよう。

35ドルのセット・メニューにしたが、揚げワンタン(8個)と卵を使ったヤキメシはフィックスされていて、あと二品を選ぶことが出来る。“四川豆腐”と“豚肉四川風”をチョイス。前者は案の定、麻婆豆腐だった。

量は、ヤッパリ、多い。半分食べたところで、二人とも満腹になった。モッタイナイから、残りは冷蔵庫。明日、チンして食べることにする。大変安上がり!

1月29日(日)

クライストチャーチ滞在は明日まで。明後日、一旦Chateau Blanc Suites を引き払う。このあとは、レンタカーで南島をほぼ3分の2周、再びここへ帰って来るのは、2月19日の予定である。

まず Queenstown へ向かう。ここでは10日間モーテルを予約済みだ。別に急ぐ旅ではないから、その途中で Tekapo とか Wanaka に泊まる。レンタカーで初めての道を行くのだから、休み休み行きたい。行き当たりばったり、モーテルか B&B に泊まるつもりだったが、なんといっても田舎町のことだ、もしも、どこも満員だったら困る。せめて Tekapo だけでも抑えておこうと思い、ガイドブックの“アコモデーション欄”の一番上に記載されているホテルへ電話してみると、簡単に取れた。拍子抜け。

隆子は「出かける前にフレンチ・トーストを食べさせて」と主張。それを今日のランチに実行した。3年前に来たとき食べた味が忘れられないのだそうだ。

エイボン川に架かる“追憶の橋”に近く、川に沿った Oxford Terrace にカフェが5軒ほど連なっている。そのうちの一つ“The Boulevard”はガイドブックにも紹介されている。僕らが立ち寄ったのはそこではなくて、二軒隣の店。隆子が「3年前もここだったような気がする」というので選んだ。フレンチ・トーストは12ドル、僕は“Big Breakfast”(15ドル)を頼んだ。これに紅茶とコーヒー。快晴、オープン・カフェの風は心地良く、味も満足(クリック)

ランチの後はハグレー公園経由でモナ・ヴェールまで歩いた。途中日本語のガイドブックを抱えている若い女性に出会った。きくと、「昨日着きました。3週間の予定で英語学校へ行く」とのことだ。『植物園』へ行きたかったらしい。方向と行き方を教えてあげた。ハグレー公園は広い。はたして目的地に行き着いたかな?

1月30日(月)

クライストチャーチとも暫くお別れ。今回は特に“何かをしよう”と確たる目的を抱いて来ているわけではないから、気が楽。エイボン川での“パンティング(舟遊び)”もまだ経験していないが、2月19日にはまたこの街へ戻ってくる。それからでもよい。

今一番の関心事は“レンタカー”での旅。New Zealand は宗主国である英国に倣って、車は左側通行、日本と同じだし、Hertz で予約した車は中型車、オートマで右ハンドルだ。どうやらトヨタの車らしい。運転自体は、round-about さえ気をつければ済むことだが、問題は“土地勘”がないこと。分かれ道に来て、道路標識に“XX方向”と出ていても、そこがどこを指すのか、果たして行きたい方向なのか、トッサには判断できない恐れがある。

もう一つの心配は“トイレ”。日本の高速道路だと、サービス・エリアやパーキング・エリアが立て続けに並んでいるから、必要時にも困らない。しかし、ここでは殆どが一般道路だ。SA や PA などという、はたまた“道の駅”などという気の利いた設備は期待できない。必要時に対しても情報を事前に知っておく必要があろう。

というわけで、3年前に買って、今回の旅行にも携えてきた地図帳(『South Island』、Kiwimaps Ltd.)をひも解き、チェックを行なった。ちなみに、トイレは、クライストチャーチから Lake Tekapo まで、途中の街の公園などに全部で4箇所見つけた。

ダウンタウンの Hertz のオフィスで予約を確認、バス・デポとショッピング・センターの2階に拡がる Food Court でヒルメシを済ませ、アパートに戻ってパッキング。クィーンズタウンで滞在する10日間も、時として自炊する予定だから、ここで使い残した調味料などもトランクにしまいこんだ。勿論、オニギリ用の海苔、梅干しも。

先週末の天気予報では“火曜日は雨”だったが、今日の新聞では“晴れたり曇ったり”に変わっている。快適なドライブ日和になってくれればいいが。

1月31日(火)

Hertz で車をピック・アップする前に Chateau Blanc Suites をチェック・アウト。何と、税込みで一泊135ドルだった。僕は179ドルのつもりだったので、嬉しい誤算。10日間の滞在だったから、400ドル強助かった。荷物はそのまま宿舎に預け、車を借りた後戻ってきて積み込む算段。

車種は“カローラ”だった。トランクルームが小さいので、トランク二つは無理だが、後部座席が空いているので問題はない。

イザ出発。まず国道1号線で南下するのだが、国道1号はクライストチャーチを巻いて走っている。乗るまで、通行量の多い round-about を数箇所通らねばならない。だから、クライストチャーチ市内では神経を使ったが、国道1号に乗ってしまえば、後は簡単。車も少なく、真っ直ぐな道。時速100キロくらいで走るのだが、さすがに路面は日本の高速道路に敵わない。ハンドルには路面の凹凸も伝わってくるし、時には小石がハネたりもする。

Rangitata という小さな町で国道1号を離れ、79号線で Geraldine へ行く途中だったと思う。途中橋が架かっていたが、なんと、道は一車線しかない。心底、ビックリした。対向車が無かったからドンドン進んだが、橋の入口には信号もなく、ただ“Yield”という標識だけ。“お互い譲り合って渡れ”ということらしい。つまり、先に渡り始めている車がいれば、橋の手前で待て、ということか。

Lake Tekapo には1時に着いた。クライストチャーチを出たのが9時半だったから、3時間半の旅だった。昨日、あれだけ準備したのに、最初のトイレは見逃し。それでも、2箇所でお世話になった。

Lake Tekapo での宿は The Godley Resort Hotel。1泊150ドル。湖畔に立つ眺めの良いホテルだが、無神経で風情があるとはお世辞にもいえない。そこらのモーテルと変わりなし。コスト/パフォーマンスは Chateau Blanc にとても敵わない。

それにしても、この湖の青さはどうだ!こんな『青』は見たことがない(クリック:写真の中ほどに『善き羊飼いの教会が遠望される)。『善き羊飼いの教会』へも行ってみたが、所詮は人工建造物(クリック)。建物が小さいから、自然の景観を損ねないだけいいとしようか。

2月1日(水)

昨夜、ホテルの庭に出てみると、星が綺麗だった。南十字星を探してみたが、出ていたのかも知れないが、特定出来なかった。

Lake Tekapo の西に Mt. John という山(標高1031m)がある。ガイドブックによると、「少々急な上りだが、往復約3時間」で登れるそうだ。昨日、登山口までは行ってみたが、しんどそうなので諦めた。山頂には世界最南端の天文台があるのだそうだ。湖の畔からも丸いドーム型の屋根が遠望できる。

ホテルをチェック・アウトする際「Queenstown 方面へはホテルの前の道を西へ行けばいいのですね?」と念を押したら、「そう、一本道。迷おうにも他に道はないわョ」と笑顔で対応してくれた。確かに、一本道。山と原っぱの中を真っ直ぐに続いている。大きな木は殆ど見当たらないが、決して悪い風景ではない。

時々ハイウェイの真ん中に鳥が立ち止まっているのが見える。車が近づくと逃げるが、昨夜にでも車にはねられたのか、小動物の死骸を啄ばんでいるのだった。昨日もそうだったが、半時間に一つぐらいの割合で死骸を見る。決して交通量は多くないのに、これだけ『事故』があるとは・・・きっと、動物の数が多いのだろうネ。

Lake Tekapo から今日の宿泊地 Wanaka までは3時間、走行距離は199キロだった。ちなみに昨日は221キロ。Wanaka では Aspiring Lodge Motel に泊まる。昨夜The Godley Hotel から電話して予約した。隆子は『ホームメイドのクロワッサンが朝食に付く』とガイドブックに書かれているモーテルに泊まりたがったが、残念ながら満室だった。

Aspiring Lodge Motel は部屋も広く、設備も上々(部屋代は130ドル)。昨夜の The Godleyより数等上。簡単な自炊も出来る。だから、明朝の朝飯は通常通りの『果物とヨーグルト』で済ますことにして、隣のスーパーで買ってきた。6ドル5セント。このところ外食続きで“胃もたれ”がする。こちらの“ディッシュ”はデカイから、どうしても食べ過ぎる。

Wanaka も綺麗な町だ(クリック:Wanaka 湖畔にて。後方に見える白い頂が Mt. Aspiring)。万年雪をいただく Mt. Aspiring 登山のベースタウンとして知られた町だが、近年は別荘地としても脚光を浴びているとのことだ。人口も5千人ほどまでに増えているそうだから、最低限の便利さも備えているのだろう。街の不動産屋の店先で広告を見ると、結構、“いい値段”が目に付く。

2月2日(木)

Wanaka のモーテル、Aspiring Lodge を9時半にチェック・アウトしたあと一時間ほど散歩した。モーテルから1ブロックほど西へ行ったところに小川があった。水が恐ろしいほど澄んでいた。勿論、岸辺にプラスチックの袋、ペットボトル、空き缶などゴミらしいものは何一つ見当たらない。『捨てるな!』という無粋な立て札もない。ことさら他人に言われなくても、市民生活の中に“環境保護”の精神が浸透しているのだろう。日本も、かつてはそうだったのに。

10時半ごろ出発したが、かなりガソリンが減っている。出掛けに町外れのペトロール・ステイション(ガソリンスタンドのこと。こちらでは英国同様、こう呼ぶ)でガソリンを入れたが、当地ではセルフ・サービス。少々まごついた。

Wanaka から Queenstown へ行くのに、二つのルートがある。Cardrona 川沿いに渓谷を進むルートと、Cromwell 経由の国道6号線を行くルート。距離は前者のほうが短い。しかし、道の両側に有名なスキー場があるくらいだから、道も険しいに違いない。と考えて、無難と思われる後者、国道6号線経由を選んだ。ところが、あにはからんや、国道6号線もえらい渓谷の中を走る。断崖絶壁を縫うように走る箇所もあった。

渓谷を抜け、Queenstown に近づくにつれブドウ畑が目に付くようになった。国道の両側にはワイナリーの看板が多い。この辺のワインは旨いのだろうか?機会があればワイナリー訪問もしてみたい。

Amity Lodge (7 Melbourne St.) に着いた。すぐにチェック・イン。Wanaka からの走行距離は110キロ。

綺麗なモーテルだ(四つ星)。居間と寝室の間に洗面所が挟まっているので、二つが完全に分離されている。居間は広々、テーブルも大きい。居心地が良さそう。1泊150ドル。ダウンタウンから見ると高地に建っているので見晴らしはいいが、坂がキツイ。

ヒルメシにダウンタウンまで出かけ、その足でスーパーを探した。モーテルからそう遠くないところに普通のマーケットと高級食材を扱う店がある。自炊もするつもりだから助かる。

2月3日(金)

昨夜の夕食は韓国料理。チジミ、サムゲタン、石焼ビビンバを一つずつ頼み、二人でシェアして食べた。眞露はボトルでしか注文できない。隆子は飲まないし、どうしようか迷っていたら、女店員が「飲み残しは持って帰っていいわョ」と言うのでオーダー。このところ食べすぎで胃腸が弱っているような感じだったので、サムゲタンは良い選択だった。そのせいでもなかろうが、昨夜は良く眠れた。

Queenstown で何をするか、まだ決めていない。Milford Sound には是非行って見たいのだが、なにせ、車で片道5時間もかかる。フィヨルドの湾内は船でしか巡れないから、その時間も合わせると“丸一日仕事”である。まぁ、時間はあるのだから、それはいい。それに、不慣れな道をドライブするのは余計に疲れるだろうから、どこかの“ツアー”を利用することで、この問題は解決する。躊躇する理由は‘トイレは大丈夫?’ということ。

年々、トイレが近くなっているように思う。しかも、“脳梗塞予防”のため、水分の補給は欠かせない。迷う。

『Queenstown 滞在計画細目』は決まらないが、「Queenstown では歩く」ということは決めてある。今日は、そのうちの一つを実行した。

ガイドブックにも出ている“Frankton Arm Walk”を歩いた。モーテルから湖に向かって下ってゆくとクイーンズタウン・ガーデンという公園がある。その公園の東側、パーキング・エリアからフランクトンの町に向かって湖に沿い遊歩道が伸びている。Frankton Arm というのは Lake Wakapitu の入江の名前。片道5キロ。

道は平坦でなんと言うこともなかったが、舗装されていないし、このところ晴天続きだったせいか砂埃がすごい。靴はおろか、ジーンズの裾まで真っ白(クリック)

夕食は午前中にスーパーで買ってきた鮭の切り身のソテー。電気コンロの使い方が良く分からないので、モーテルの女主人に訊きに行ったら、「私にも良く分からないんだ」と笑いながらやって来て、いろいろ試してくれた。マークの印が何もないのが不思議だったが、「掃除しすぎたせいで消えてしまったみたいょ」と他人事のように言う。「実は、私達もこのモーテルを買ってまだ4週間」とのたまう。だとすれば、僕は前のオーナーに予約を入れたことになる!

これも前のオーナーからの引継ぎなのか、「これは無料サービスだよ」と言いながら、ライス・クッカー(炊飯器)も貸してくれた。うまく炊けていた。

2月4日(土)

今日から三連休。来週の月曜日がニュージーランドの建国記念日(ワイタンギデー)だから。観光業にとってはカキイレドキだ。このモーテルも、看板の表示が昨夜から“No Vacancy”になっている。

部屋に備え付けの『案内書』には“掃除は午前10時から行います”とあるので、とりあえず、その頃までには出かけたほうがよかろう、と『キ−ウィ・バードライフ・パーク』へ出かけた。本来は、傷ついた鳥の保護や、希少種の育成を目的に作られた施設だそうだが、現在は一般に公開している(クリック:女性の学芸員が手に持っているのがキーウィの卵。鳥は剥製)。入場料は大人一人当たり25ドル。この手の施設としては結構高い。

Kiwi は夜行性。二つの小屋で展示が行われているが、両方とも相当暗くしてあるので、目が慣れるまでには数分かかる。照明灯は暗赤色。一つ目の小屋には二羽いたが、共にガラスの壁からは一番遠いところを歩くばかりだった。二つ目の小屋には一羽しかいなかったが、ガラスに沿って歩いてくれていたので、全貌がはっきりと判った。隆子は“感動”。Kiwi は非常に臆病な鳥だそうで、騒音、カメラは厳禁。いつぞや、心無い観光客が焚いたフラッシュでショック死したことがあるのだそうだ。

恐竜時代からの生き残りと言われる爬虫類、トゥアタラのケージもあったが、いくら目を凝らしても見つからなかった。貸してくれた‘オーディオ案内’には「動かないし、保護色も完璧で、見つからなくて当たり前」なんて録音してあったが、本当にいたのかな?

午後は、また、歩いた。今度は昨日と反対方向、Queenstown のレイク・エスプラネ−ドの西の端から始まる、サンシャインベイ・ウォーク。レイク・エスプラネードを歩いていると、7年前のツアーで泊まった Hotel Rydges の前を通る。二晩泊まった筈だが、意外に印象が薄い。

サンシャインベイ・ウォークは片道30分、雑木林の中を行く。昨日と違ってアップ・アンド・ダウンもあり、道幅も狭い。しかし、倒木があるわけでもなく、木の枝が行く手を阻むこともない。僕の生まれ故郷、平松、も昔はこうだった。昨年秋、きのこ狩りでもしてみるか、と山に入ったら、とても歩けたものではなかった。

2月5日(日)

明け方、強い風が吹いていた。目を覚ました隆子が「嵐かしら?」と話しかけるほど。窓から空を見上げると、真っ黒な雲。しかし、雨は降っていない。

雨は昨日の夕方、少し降った。降ったといってもコンクリートの地面が濡れる程度。もう少し降ってくれると、散歩する際、砂埃が少なくて済むのだが・・・。昨日のサンシャインベイ・ウォークでも、靴もジーンズの裾も真っ白になってしまった。

日本から持ってきた靴は、月星印の“ワールド・マーチ”一足だけ。歩きやすくて気に入っているのだが、相当くたびれてきているのも事実。それがまた、真っ白に埃を被っていると痛々しい感じすらする。街を歩いていると“50% off”という看板を出している店が目に付いた。一番小さいウォーキング・シューズをトライしてみると、ピッタリ。即、買った。75ドル。

今朝の散歩はその靴で。風は日本の冬並みに冷たいが、青空も拡がりはじめていたので湖畔を歩いた。Queenstown Gardens は国が管理している公園だそうだが、街の中心部分からLake Wakatipu に突き出た半島全て(14ヘクタール)を占めている、美しく静かな公園。湖岸沿いに歩いていると目の前に Queenstown の街並みが拡がって来て・・・飽きが来ない眺めである(クリック)

午後はワカティブ湖の南端に位置するキングストンまで出かけた。モーテルの主人は「25分で行くよ」と言ったが、少し余裕を持たせて出かけた。(走行距離は往復で92キロ。)目的は蒸気機関車(クリック)。1800年代に製造された機関車が今も“観光列車”として活躍している。勿論、石炭を焚き、汽笛を鳴らして走っている。昔のままだ。

蒸気機関車はキングストン(小さな町だ)から南の、地図にさえ載っていない Fairlight まで行く。片道30分。フェアライトで30分休憩して引き返してくる。往復運賃は35ドル(クリック:車内で)

ニュージーランドでは殆ど汽車を見かけない。まして、蒸気機関車となると、ここだけだ。車内を子供達が前の車両へ行ったり、後ろの車両へ行ったり・・・車窓からは山と平原と牧場、それに、夥しい数の羊、牛・・・人家は一軒も見当たらなかった。

2月6日(月、祝)

今日は『ワイタンギ・デイ』、ニュージーランドの建国記念日である。しかし、街ではさしたる催しも行われそうにない。

先日テレビで見た‘週間天気予報’では、明日、雨。でも、今日はいい天気のはずだから、少し高い山に登ってみようかということで、裏山のクイーンズタウン・ヒル・ウォークウェイへ行くことにしていた。そこで、昨夜、隆子はゴハンを3合炊いた。余りでオニギリを作る。

快晴。天気予報では最高気温は20度とのことで、まずまず。

僕らの泊まっているモーテルは Melbourne St. にあり、今日登る山裾に位置している。急坂を2ブロックほど登ると駐車場があり、そこから Queenstown Hill Walkway がスタートする。この坂道に面して、いくつかの‘開発’が行われている。立派な石造りのコンプレックスがほぼ完成しており、不動産業者の売り出し広告が出されていた。自動車はセカンドに入れないと難しそうな急坂だが、眺望は抜群。

Queenstown Hill Walkway は、まず、原生林の中を登る。道はよく整備されているが、森は太陽の光が届かないほど密生している。林を抜けると、枯れ草の丘だ。道は‘周回路’になっているので、そのまま進めば元来た道に戻るが、中ほどに分岐点があり、山の頂上へ向かうことも出来る。

道標には“頂上まで15分”とある。勿論登った。頂上からは360度の眺望(クリック:Queenstown Hill の頂上付近で。背景は Lake Wakatipu、街並みは Frankton。)。眼下にワカティプ湖、その湖畔のごく一部分をクイーンズタウンの家並みが占める。左手にはフランクトンの町。滑走路が一本、真っ直ぐに伸びている。クイーンズタウン国際空港だ(フランクトンの町にある)。ジェット機の離着陸はよく見えるが、小型機は遠すぎて見づらい。

クイーンズタウンの“ゴンドラ”も見える。ゴンドラの終点にはレストランがあって、7年前に来たときには‘オプショナル・ツアー’として、ここでのディナーが組まれていた。僕らは参加しなかったので今回は行ってみるか、と話し合っているのだが、『眺望』という観点からは、今日登った山の上からの見晴らしには到底及ばないだろう。料理の質が街中の店に勝るとも思えないし・・・今回もヤメにするか?

頂上近辺の草叢に腰を下ろし、持参のオニギリ(クリック:Queentown Hill の頂上付近で見かけた野性の山羊の群れ)。9時半にモーテルを出て、帰り着いたら1時半だった。

あまりにも天気がいいので、荷物を下ろしただけで波止場に急行、蒸気汽船アーンスロウ号(TSS Earnslaw)に乗った。石炭が燃料の客船としては南半球で唯一の存在だそうだ(クリック)。建造は1912年、現在は観光船として利用されているが、昔は湖尻の(昨日行った)キングストンとクイーンズタウンを結ぶ重要な輸送手段だった。昨日走った国道6号線は1936年の完成というから、それまではこの汽船に乗るか、はたまた、数日かけて山道を歩くしか方法がなかったはず。

人々は、なぜ、クイーンズタウンに来なければならなかったか。クイーンズタウンは今でこそ世界有数の観光地であるが、その昔は、ここから20キロほど奥に入るアロータウン(Arrowtown)への基地だった。1862年、ここで金が発見されて“ゴールド・ラッシュ”が起こった。アロータウンも7年前訪れたが、隆子はもう一度行ってみたいと言っている。行くことになるだろう。

クルーズの所要時間は1時間半だった。

2月7日(火)

9時半より少し前だったか、テレビの画面が急に消えた。停電だ。隆子は出かける前に洗濯を済まそうとしていたのだが、ウォッシングの段階は終了、洗濯物を乾燥機に入れて暫くしてからのことだったから、少々焦った。モーテルのオフィスに行ってみたが、誰もいない。暫く待つと女主人が帰ってきて「クイーンズタウンだけでなく、フランクトンの方も停電しているみたい。電話は通じないし、コンピューターは使えないし・・・」と。

簡単には復旧しそうにもないから、お昼までには帰って来るつもりで、洗濯物はそのままにして散歩に出かけた。この時間帯は、ホテルなどでは‘チェックアウト・タイム’。コンピューターが使えないとなるとオオゴトだろう。手作業でやるのだろうか?ふと、山のほうに目をやれば、ゴンドラも止まっている。あの中に閉じ込められたままのお客もいることだろう。長引くと、トイレはどうするのだろう?

クイーンズタウン・ガーデンズを一周して街中へ出た頃、停電は解消したようだ。一時間くらいかかったことになる。

天気予報が『雨』から『曇り』に変わっていた。雨のつもりで何の計画も立てていなかったが、ヒルメシを終わって「Arrowtown にでも行くか」ということになった。モーテルのある Melbourne St. から6号線に出て、ダウンタウンの最初の round-about を右折して真っ直ぐ行けば、アロータウンに着くはず。アロータウンの手前右側に Milbrook Resort & Golf Course がある筈。そこにも立ち寄ってみたい。

ミルブルックへは7年前にも行った。ツアーのオプションをキャンセルして、確か、タクシーで行ったと思う。野村文英さんに「引退したらニュージーランドへ移住したいと思っているんです」と話したら、「友達の山下さん(山下−アラビア−太郎さんの息子さん)がこんな不動産開発にアタマを突っ込んでいるョ」とミルブルックのパンフレットを下さっていたので、下見のつもりで行ってみた。開発直後のこととて、街らしい風情は何もなかった。当然隆子も一緒だったが、「ものすごくデスパレートな気分だった」そうだ。

大宅映子さん(ICUの後輩)がここにユニットを所有していると聞いた。「今度はクイーンズタウンへも行く」と言ったら土屋隆一君(大宅さんと同期)が「大宅のところに泊まれば?」とアドヴァイスをしてくれたが、そういう訳にもいくまい。ガイドブックの‘アコモデーション欄’には『1泊390ドルから』と記されている。去年の今時分、酒井君や秦君達とゴルフにやってきたらしい。豪勢なものだ。

ミルブルックは敷地内の木々も大きくなり、風格が出てきている。日本レストランの『Sala Sala』も店を出しているが、“完全予約制”の看板が出ているだけで、ひと気はなかった。

ミルブルックからアロータウンまでは、ほんの数分。最盛期には人口が7000人にも膨れ上がったそうだが、今は小さな観光の町。博物館がそのままインフォメーション・センターになっており、ついでに博物館も見学。入場料5ドルのワリには見応えがあった。

たった一筋しかない目抜き通り(Buckingham という大層な名前が付けられている)の“Gold Shop”に足を踏み入れたのがウンのつき。隆子が金のペンダントの前を離れない。まがい物ではないことを確かめてプレゼント。125ドル(クリック:ペンダントを買った店)

2月8日(水)

この前オニギリを作った段階で、手持ちの米は殆どなくなった(クライストチャーチでの使い残しをレンタカーに積んで来た)。勿論、スーパーへ行けば買える。しかし、モーテルの電気コンロの調子がイマイチで、隆子は「料理しづらくて・・・」とコボす。遊びに来ているのに何も苦労することはないじゃないか、ということで、それ以来、夕食は“外食”中心にしている。朝食、昼食も外で食べてもいいのだが、外国、とりわけニュージーランドの“ディッシュ”は大きすぎ、どうしてもカロリーの採り過ぎになってしまう。出来得る限り、朝食はヨーグルトと果物(それに、僕だけはシリアルも追加)、ヒルはトーストとチーズくらいで抑えたい。

一昨晩は中華にした。ビーチ街を歩いていると、いかにも大衆食堂という風情の店『香港』があった。むろん、ガイドブックなどには出ていない。店の前に‘スペシャル’と書かれた立て札が出ていて“Set Menu for 2”(一人当たり20ドル)とある。細目をみると、スターターに‘揚げワンタン’、続いて‘卵とコーンのスープ’‘鶏と野菜のカシューナッツ炒め’‘酢豚’‘卵チャーハン’、デザートにアイスクリームが付く。隆子は「これがいい」と言い、僕も異存はない。

貧相なテーブルは常に満員、客は入れ替わり立ち代り入ってくる。オツに澄ました店よりよっぽど利益を上げているようだった。味も申し分なかった。

昨夜はニュージーランド料理の『Britannia』へ行った。モーテルのオヤジに「奥さんが『このモーテルは買ったばかり』と言っていたけれど、その前は何をしていたの?」と訊ねたところ「レストランを経営していた。一度行ってみてくれ」との返事だった。その店がブリタニアである。あとでガイドブックを見たら‘レストラン欄’の一番上に出ていたのでビックリ。隆子はホタテ貝柱、僕はリブ・アイ・ステーキを食べた。味は、並み。

天気予報では“昨日降るはず”の雨が少しズレて、昨夜降った。今朝起きると、地面がかなり濡れていた。曇天。外に出てみたら寒い。最高気温も10数度にしかならないようなので、遠出はやめ。『アンダーウォーター・ワールド』を見学した後は、土産物屋をヒヤカシた。土産物は買いたいが、いずれも‘帯に短し、タスキに長し’ばかり。店先に並んでいるものも画一的で・・・似たようなものばかり売っている。

『アンダーウォーター・ワールド』は波止場のジェットボート乗り場の下に造られた小さな施設で、‘湖水の中に片面がガラスの部屋を作ったもの’という表現が適切か。ガラスの向こう側にいる魚は自由に泳ぎまわっている。時々餌をやるので、このガラスの周りに集まって来ているに過ぎない。殆どがマスだ。大きな鉤鼻を持った、体長7〜80センチもあるヤツもいた。入場料は5ドル。隆子は「もったいない」と笑ったが、僕にはそれなりに面白かった。

2月9日(木)

朝、テレビで天気予報を見ると、オークランドは雷雨、クライストチャーチも雨で最高気温は17℃。ところが、クイーンズタウンは晴れたり曇ったりだが気温は25℃にも上がるという予想。「では、Load of the Ring のツアーに行ってみるか」ということになった。先日、ビーチ街の Nomad Safaris のオフィスで、ツアーの概要は調べてある。ツアーは2種類あって、一つはクイーンズタウンの東方面に行くもの、もう一つは西方面へ行くものである。前者はアロータウンなどをカバーするが、そちら方面はもう行ったので、行くとすれば後者にしようと決めていた。

モーテルのオフィスで主人に「ここで予約できるか?」と訊ねたら、大慌てで手配してくれた。手配料は無料。恐らく、“バック・マージン”があるのだろう。Kingston Flyer もモーテル経由で予約したのだが、その時も主人は相好を崩して“Thank you”と言っていた。一文にもならないのなら、有難がる筈がない。そういえば、街中にも『日本語でツアーの予約承ります。手数料は無料』という看板を掲げたオフィスもある。クイーンズタウンは観光都市でもあるが、‘タカリ’‘ピンハネ’の街でもあるようだ。セチガライことだ。

ツアー(Safari Of The Rings, Glenorchy)の予約は簡単に出来た。一人130ドル。午後1時半にモーテルまでピックアップに来てくれた。定員は7人とのことだったが、今日は僕達二人のほかにメキシコ人の‘新婚さん’の、計四人だけだった。

新郎は‘Load of the Ring’の大ファンで、先ず小説を読み映画も何度か観た、と言っていたが、残念なことに、僕らは小説も読んでいないし映画も観ていない。「帰国してから観る」とは言ったものの、パンチがないこと歴然。

ドライバーが『The Load of the Rings - Location Guidebook』というのを持っていて、ページを繰りながら目の前に拡がる景色の説明をしてくれた。映画はどうであれ、景色は素晴らしい(クリック:この原生林も映画に使われたそうだ)。隆子も僕も、大いに堪能。ついつい「その本が欲しい」と一部売ってもらった。40ドル。隆子は「啓子へのオミヤゲにしようか?」と。啓子は映画好きだが、はたしてこの映画にどれだけ身を入れているのか分からないが・・・

ツアーは4時間半。小休止のあと、夕食に出かけた。今日は日本メシ。ガイドブックにも載っている『南十字星』は、表から見る限り、どうも‘お高くとまっている’いるように見える。そこから2,3軒西に『蓮花』という店があったので、そこへ。隆子は“鮭のカマ”にありついて満足。僕は、またもやいろいろ注文したが、最後は鮭とオカカのオニギリで満足。

2月10日(金)

昨日の“ツアー”に味をしめて、今日も別のツアーに出かけた。主催者は同じ“Nomad”社。出かけたのはスキッパーズ・キャニオン、ワカティプ湖に注ぐショットオーバー川が谷底を流れる渓谷である。コロラド川がグランドキャニオンを造ったように、ショットオーバー川がこの渓谷を造ったのであれば‘カッコイイ’のだが、渓谷そのものは太古の時代、氷河が造った。クイーンズタウンのすぐ裏の山だが、これが険しい。4WD車でないと行けない凸凹道である。

巨大な岩が露出している。ドライバーが「岩のてっぺんに鷹がとまっているよ」と教えてくれた(クリック)。確かに、あたりの荒れ山を睥睨しているのが見えた。

道路はますます険しくなる。車は山肌をへばりつくようにして走る(クリック)。道幅も狭く、一台通るのがやっと。幸い、通行する車の数は極めて少ないので行き違うことはなかったが、出くわした時にはどうするのだろうと、ひとごとながら気になった。

なぜ、こんなところに道を作ったのか?観光のためか?‘否’である。先住民マオリが、ある日川に流された飼い犬を助けようとしたとき、偶然、金を発見(1862年)、それをきっかけにゴールド・ラッシュが起こったのだ(クリック:ガイド(兼ドライバー)が川砂を金盥を使って“砂金採り”を実演。)(クリック:その2枚目。盥の底に僅かばかりの“光るもの”が貯まった)。みんなこの道を辿って、奥山に入っていった。随分栄えて、一時は人口が4000人くらいまでに膨れ上がったそうだ。木もろくに生えていない荒れ山だから、エネルギー源がない。そこで、川を堰き止めダムを造り、水力発電で凌いだのだそうだ。ニューヨークの街に電燈が灯った頃とほぼ同時期だそうだから、如何に画期的な試みだったかが分かる。

ツアーの終点は当時小学校があった場所(クリック)。廃校になっていたものを『歴史的建造物』として再興したものだそうだが、勿論、今は誰もいない。住居もホテルも、全てなくなっている。残っているのは、当時の住人が植えたブラックベリーのブッシュぐらい。

ツアーの参加者は僕らのほかにイギリス人夫婦が2組。チャンネル・アイランドのジャージーから来た、と言っていた。僕が「タックス・ヘブンですよネ」と言ったら、「よく知っているね。貴方はバンカー?」と逆に質問を受けた。金融業者の間では良く知られた存在だが、普通は知らない人のほうが多いのだろう。車のドライバーは「祖先は、船が難破してダニーデンの海岸に打ち上げられた、イギリスからの移民」だそうだ。ちなみに彼の奥さんは日本人で、大阪の出身。日本語を教えに来ていたところ知り合い、結婚した、と言っていた。生まれて5ヶ月のお嬢さんがいるとのこと。

山肌は痩せていて木もろくに生えていないが、不思議なことに、ハーブの一種、オレガノが密生していた。隆子が「摘んで、持って帰りたいな」と言う。昨日も「これがマヌカの木ですよ」と教えられたが、荒れ放題に見える自然も、実は、豊富な資源に満ちているのかも知れない。

2月11日(土)

明け方、雨が降る音で目が覚めた。時計を見ると4時。かなり強く降っていた。昨日はあんなに晴れていたのに。

クイーンズタウンも今日で最後(クリック:Queenstown の街角で)。いろいろと思い出も残った。ヨーグルトも明日の分だけが残っている。パンもジャムも、丁度今日で残りがなくなった。明日は West Coast の Haast で泊まる。先日、Auckland のエアポート・ホテルも含め、全て予約を入れた。殆どのモーテルが“ダイヤル・フリー”の予約専用電話を持っているので、電話しやすい。宿の女主人は「Haast には何にもないよ」とコメントしていたが、何もない町のモーテルに泊まってみるのも一興ではないか。

Haast は Aspiring Court Motel、次の日は Franz Josef Glacier で Terrace Motel、14日の火曜日は Reefton という町の Reefton Auto Lodge、そして15日には Nelson に着くつもり。Nelson で3日間滞在して、18日(土)に一晩だけ Kaikoura。日曜日にクライストチャーチに戻り5日間滞在、24日に Auckland に移り、一晩空港近くのホテルに泊まって、翌日9時半発のNZ099便で成田には同日の午後4時25分着、というのが最終スケジュールである。残念なことに、クライストチャーチから日本行きの直行便がない。Auckland で乗り継ぐしかないが、早い出発便だから、体のことを考えると、空港近くのホテルに泊まるべきだろう。

Nelson はガイドブックの一番上に出ているモーテルが良さそうだったが、最後の日(金曜日が fully booked で、駄目だった。Kings Gate Motel を予約。Kaikoura は Whale Watching で有名な町。土曜日ということで、混んでいるらしい。White Morph Motor Inn に予約を入れたが、一番高い部屋しか残っていなかった。まぁ一晩だけだから、と奮発。モーテルの主人は「Whale Watching の予約を入れるか?」と親切に訊ねてくれたが、Whale Watching には、われわれ二人ともあまり興味がない。天気がよければ、半島の遊歩道を歩いてみるつもり。Auckland は Jet Inn Hotel を予約。

朝方止んでいた雨が、お昼ごろにはまた降り出した。そこで、明日のチェック・アウトに備えてパッキング。

そうこうする内に雨が止んだ。Frankton Arms の向こう岸にそびえる Deer Park へ行ってみた。入口がちょっと見つかり難かったが、ゲートが設えられており、20ドル払えば車が入れるようになっている。今泊まっているモーテルからは、車で10分ほど。

国道6号線を先日訪れた Kingston 方面へ行くのだが、Frankton を過ぎてすぐに Kawarau 川を渡る橋がある。ここも“一車線”だった。ただし、結構長い橋なので、信号がある。これなら安心。ちなみに、どうやらこの Kawarau 川が、唯一、Lake Wakatipu の湖水が流れ出る途のようだ。

道は坂道、舗装はしてない。4WD向きのダート道。

名前の通り、鹿が放し飼いになっていた(クリック)。他にも、ロバ、バイソンなどなど。困ったのはヤギ。20匹ほどが固まって群れをつくり、それが道の中まで進出してくるので、通れない。彼らは危害が加えられないことを知っているから、少々のことでは道を空けてくれない。

道の途中に餌の売り場がある。無人。箱に1ドル入れると、錫で出来た直径10数センチ、深さ20センチほどの缶一杯に餌が出てくる。ヤギ共はそれを知っていて、人間が餌場に近づくと、遠くにいるヤツまで走りよってくる。餌が出てくると、背の高い大きなヤギが缶をめがけて“頭突き”を始める。やっと缶を守って取られるのを防いだら、今度は僕自身に体当たりを食わせ始めた。ヤギは決しておとなしい動物ではない。

Deer Park は昨日行った Skippers’ Canyon の超小型版。頂上付近に韓国とおぼしき建物が建っていたが、どうやら、映画の野外セット。クイーンズタウンやフランクトンの町が見渡せて、それなりにいい気分だった。

2月12日(日)

7時前に目が覚めた。カーテン越しに空を見上げると、ただならぬ雲が覆い尽くしていた。今日は Amity Lodge を引き払い、いよいよ West Coast へ行く。参ったな、雨かも知れない。

いつもどおり、リンゴとヨーグルト(それに僕だけはオール・ブランにミルクを注いで)の朝飯を食べ終わったら、陽が射してきた。ラッキー。早速チェック・アウト。電話の使用料が19ドル50セント、チャッカリ請求書に含まれている。主人は「ウチのモウケじゃないよ。電話会社への支払い分だ」と言うが、かけた電話は全部“free dial”、この辺の仕組みが良くわからない。

Queenstown から Wanaka へは、先日来た道(国道6号線)とは違う道を選んだ。Crown 山脈越え。道幅は若干狭かったが、先日とは全く違った景色。隆子が何度も嘆声を上げていた。Wakana までは丁度1時間。勝手知ったる町をしばらく散策。Haast までヒルメシが食べられるような所があるかどうか分らないので、まさかに備えて、スーパーで‘菓子パン’などを購入。ガソリンも満タンに。

Wanaka からは国道6号線。すぐに Lake Hawea の湖岸を走る。この湖がまた綺麗。しかもデカイ。日本でなら、文句なしに“観光名所”だろう。Lake Hawea を過ぎると、今度は左手に Lake Wanaka だ。この辺り、イギリスの湖水地方も顔色なし。

ヒルメシは Lake Wanaka の湖尻を過ぎた辺りの集落(Makarora)で食べた。この辺がHaast までの中間点。ここから先は MOUNT ASPIRING NATIONAL PARK の中を行く。道の両側は深い原生林。林が途切れると、山頂から落ちてくる滝が見える。高い。それも一つや二つではない。少なくとも10個以上あった。道そのものも渓谷に沿って走っているのだが、川自体もまるで滝のようだ。

Haast には2時過ぎに着いた。Wanaka からは2時間ほど。思ったよりも短時間。確かに、Amity Lodge の女主人が言っていたように、‘何もない’町だ。いっそサッパリしていて、かえって気分がいい。

夕食を摂るにも、モーテルから歩ける距離には一軒しかない。ビールくらいは飲みたいから、そこへ行くことにした。Smithy’s Tavern。なんか、体育館みたいな建物で、天井が高い。入口から入ったところはバーになっており、あちこちにテーブルが並んでいる。だだっ広い。梁には鹿の角が無数に飾られてあった。壁には大きなテレビのスクリーン。床にはビリヤードの台まである。

食堂はその奥。仕切りはあるようで、ないようで・・・テーブルと椅子はちょっとマシなものが使われていた。壁の黒板に書き出されたメニューから欲しいものを選び、カウンターで注文、即、現金決済。レシートに番号が振ってあって、料理が整ったら電光板にその番号が表示される。まるで、大学のカフェテリアのよう。

メニューに“Roast of the Day”というのがあった。何だ、と訊ねるとラムとの返事。隆子も僕もそれに決めた。想像以上に旨かった。Amity Lodge の主人には悪いが、クイーンズタウンのBritannia より余程美味しい。隆子も大満足。地ビールをワン・パイント飲み、ガーリック・ブレッド一皿とって、〆てたった48ドル。

予約していたモーテル(Aspiring Court Motel、一晩110ドル)は想像していたよりも設備がしっかりしているが、唯一の欠点は‘電話がない’こと。啓子と哲生には「メールが出来ない可能性もある。なくても心配ご無用」と伝えておいてよかった。ホームページの『日記』も更新できない。原稿だけは『ワード』に入れておく。

2月13日(月)

朝起きると雲ひとつなかった。West Coast は雨が多く、昨日も大分降った、と聞いていたのに。ついている。

Haast からは緑の中をドライブ。海岸線近くまで山が迫っており、国道6号線の両側には原生林。木洩れ日が眩しい。交通量が少ないから、前にもバックミラーにも車の影がほとんど見えない。対向車も少ない。こんな気分の良いドライブは久しぶりである。古木が殆どだから、なにやらカリフォルニアの中部海岸を走っているような気分になった。

トイレ休憩を兼ねて Fox Glacier に立ち寄ったが、町の雰囲気はそれほどいいとは思えなかったので、すぐに出発、今晩の宿泊先 Franz Josef Glacier に向かった。Haast を出たのが9時過ぎ、Franz Josef Glacier 着は11時半。走行距離は150キロほど。ここでの宿泊は Terrace Motel。“部屋から氷河が見える”という宣伝文句に惹かれて決めたのだが、確かに見える。いい眺め。惜しいことに、Haast ではあんなに晴れていたのに、もう大分雲が出てきて、氷河の上のほうは雲に隠されてしまっていた。

それでも、氷河を見に行った。国道6号線を少し戻り、‘一車線の橋’を渡ったところを左に折れれば氷河方面に進む。ダート道を4キロほど行くと、大きな駐車場がある。しかし、氷河の先っぽまで辿り着くには、そこから片道45分も歩かねばならない。そして氷河に手を触れてみても・・・氷河の‘感触’は、昔、カナディアン・ロッキーの“コロンビア氷河”で経験済みだから、今度はいいか。

代わりに、駐車場から徒歩10分の Sentinel Rock の見晴台へ上がった。Franz Josef 氷河の全貌が見渡せる(クリック)。十分満足。展望台にはパネルが備えられていて、氷河の名前の由来などが記されている。もともとマオリ語の名前(恋人が登山途中に落下、落命、それを悲しんだ娘が大量の涙を流し、神が哀れんで凍らせたもの)が付いていたが、オーストリーの探検家 von Haast が、時のオーストリー・ハンガリー帝国の皇帝、Franz Josef の名にちなんで名付けたものだそうだ。道理で、英語の名前ではない。

一旦モーテルに戻り、今度は左手の山の遊歩道を歩いた。Callery-Waiho Walk という名前が付いている。ただし、途中で道が雨で流されたようで、そこから先は‘通行禁止’。僕らは片道30分ほどの往復。

モーテルの中庭を歩いていると年配の婦人が話しかけてきた。貴方をクイーンズタウンで見かけた、と。彼女達も Amity Lodge に泊まっていたそうだ。「昨夜は Haast」「僕らも」で大笑い。明晩の泊まり先は、彼女自身知らなかったが、明後日には Nelson とのこと。僕らと殆ど同じスケジュールだ。イギリスのコッツウォルズに住んでいる由。Oxford と Stratford upon Avon の中間辺りの小さな村だそうだ。4年ぶりのニュージーランド、と言っていた。「僕らも去年コッツウォルズに行きましたよ」と話が弾んでいたところへ、出かける支度が整ったか、ご主人が出てこられたので、そこでストップ。

夕食はモーテルのご主人がオススメの店、Blue Ice Café で。7時前に行ったのだが、既に室内のテーブルは一杯。屋外のテーブルがやっと二つ空いていた。僕らの後、5分もしないうちに、もう一つのテーブルも埋まってしまった。混んでいる。このカフェに来るまでの店も大賑わいだった。食事の後、町を一周してみたが、どのモーテルも“No Vacancy”、予約しておいて本当に良かった。

モーテルの部屋には電話がある。パソコンを繋いでAOLとの接続をトライするのだが、なかなか接続できない。“話し中”という返事が返って来るだけ。こんなことはクライストチャーチでもクイーンズタウンでも経験したことがない。AOLの“ダイアル・フリー”番号はISDNのはず。話し中なんて・・・ひょっとすると、このモーテルか、或いは、Franz Josef Glacier の‘回線数’に限度があるのだろうか?

2月14日(火)

6時半に起きて、吸入をやった。吸入は毎朝・毎晩行う。気管に溜まる痰を除去するのが目的のようだ。「これを行うと、喘息の症状が軽くなります」と担当医の柴先生はおっしゃる。ニュージーランドに来てから、喘息の症状は殆ど出なくなったが、真面目に続けている。

吸入を終わる頃までは鳥の声が盛んだった。そのうち、鳥の声がパッタリ止んで、雨が屋根を叩く音に変わった。折角の氷河は、もう見えない。隆子が記憶している『長期予報』では、今日、火曜日は全国的に雨のようだ。

チェック・アウトの際「何回かインターネットを試みたが、回線が繋がらなかった」とグチったら、「インターネットの料金は安いから、2時間ぐらいつなぎっ放しにする客がいるんだよ」と言っていた。どうやら、Terrace Motel の(客用の)外線の本数が少ないのが原因のようだ。

念のため、Franz Josef Glacier のガソリンスタンドで満タンにしてから、雨の中を出発。外気が低いせいか、フロント・ガラスが曇る。外の景色は申し分ない。晴天なら、どんなにか素晴らしかったことだろうに。

Hokitika で小休止。West Coast は翡翠の産地として有名なところ。特に Hokitika には業者が多いようだ。雨の中、傘を差しながら4〜5軒見て回ったが、結局、何も買わず。

昼食は Greymouth で。西海岸ではこの町が一番大きな町のはずで、クライストチャーチから汽車で来ることが出来る。一日一往復。3年前に来た時には、Greymouth までは来ず、途中の Arthur’s Pass まで乗って、山登りをした。クライストチャーチを朝早く発って、Arthur’s Pass で途中下車、4時間ほどの待ち時間に山登りとランチ、帰りの汽車でその日のうちにクライストチャーチへ戻った。

郊外には立派な邸宅が軒を連ねているが、ダウンタウンは古く、粗雑で、これと言う特徴がない町である。歴史のありそうなカフェでランチを摂ったあと、暫くの間ブラブラ。無料でパーキングできる一時間ギリギリで、車に戻った。ここで国道6号線に別れ、国道7号線に乗る。

2時に今晩泊まる Reefton に着いた。Franz Josef Glacier を発ったのが9時半だから、途中での小休止、ランチの時間を含めて4時間半で来た勘定。予想以上に順調だった。今晩泊まる Reefton Auto Lodge に車を止め、メーターから逆算すると、今日の走行距離は248キロ。

あしたチェック・アウトしてみないと分らないが、『安モーテル』という感じ。部屋の壁も“ブロック積み”であることが一見して分る。勿論、塗装はしてあるが。恐れていた通り、部屋に電話機がない。インターネットは、これで三日連続見送り。

2月15日(水)

Reefton Auto Lodge の宿代は80ドルだった。安いことは安いが、シャワーはとても使う気にならなかったし、部屋の調度品はえらく粗末だった。総合して勘案すると、それほど安かったとは言えないのかもしれない。まぁ、‘リーズナブル’と言うことか。

霧雨が降っていたが、天気は回復の兆し。見渡してみると、リーフトンの町もそう捨てたものではない。町の中央に小さな公園があって(クリック)、“ニュージーランド初の水力発電所が建設された町”と記した記念碑が建っていたが、それ以来、大きな発展がなかった、というだけのことだろう。景色は長閑で、緑の多い町だ。ここからは7号線を離れて、69号線に乗る。

道路の右手は Victoria Forest National Park、30キロ強走ると、また国道6号線にぶつかる。右手に折れ、Nelson 方面を目指す。この辺りは“国立公園”だらけだ。坂道を越えるごとに景色が変わる。森林地帯が続いていたかと思うと、急に起伏のなだらかな、そう、イギリスのコッツウォルズを思わせるような丘陵地帯が拡がったりする。隆子の嘆声が絶えない。

Richmond でヒルメシにした。Nelson までは、あと、10キロちょっと。早く着きすぎてチェック・イン出来なくてもつまらない。とは言うものの、今朝は Reefton Auto Lodge で‘クックド・ブレクファスト’(ベーコン、卵二個、ハッシュド・ポテト、トースト・・・『定食』でこれ以外の選択はなし)を食べたので、お腹が空いていない。僕はコーヒーに‘お米のサラダ’(初めて食べた!)、隆子は、なにやらマフィン状のものとエスプレッソ。

Nelson には1時前に着いた。予約していた“Kings Gate Motel”には、すぐにチェック・イン出来た。さすが四ツ星、綺麗だし、設備もよろしい。ベッドルームも居間とは別に仕切られているので、隆子は大満足。僕が早めにベッドに転がっても、遠慮なく、夜遅くまでテレビが楽しめるからだ。モーテルの女主人が「よかったら、使ってください」と炊飯器まで持ってきてくれた。隆子は急に宗旨替えして、「自炊しようか?」と言っている。

電話機にはインターネット用の受け口すら付いている。早速、繋いでみた。OK!これで久しぶりにメールが出来る。

街に出てみた。明るい。いつの間にか‘日本晴れ’(?)になっている。ある建物に時間と温度を表示する電光板があったが、何と、28度。緑の多い町だ。公園も美しい。商店街も大きく、街路樹に加えて、ヴィクトリアで見たような花篭が無数に提げられている(クリック)。隆子は「Queenstown を削って、Nelson を五日にしてもよかったな」と。

2月16日(木)

昨夜はさすがに疲れていた。走行距離はたかだか200キロ強に過ぎなかったから、運転で疲れたというより、このところ、一晩ごとに宿を替わることで、いらざる緊張を強いられていたのかも知れない。テレビでは冬季オリンピック(トリノ)のダイジェスト版を放映していたので、普段なら絶対起きて見ていたはずだ。くだらんドラマなどの場合は別だが、スポーツ好きの僕のほうが隆子よりも早くベッドに就くなど・・・それとも、夕食に呑んだ安ワインが回ってきていたのだろうか?

昨夜は“しょうゆ味”が恋しかったので、Bridge Street にある中華(金馬酒楼)に行った。7時半は過ぎていたと思うが、店内はガラガラ。勘定を済ませて店を出るまで、客はついに僕らだけだった。スターターの‘ワンタン・スープ’も、ワンタンの衣が分厚くて固い。エライ店に入った、と思ったが、逃げ出すわけにも行かない。‘コンビネーション・ミート・炒麺’、‘シーフッドの野菜炒め’は共に同じ味。白飯にぶっかけ、ネコメシにして食べた。ともあれ、目的の“醤油味”にはありつけた。紹興酒は一本丸ごとじゃないと売らない、というので仕方なく‘ハウス・ワイン’を飲んだのだが・・・

“Sunny Nelson”の綽名どおり、今日もいい天気だった。モーテル(21 Trafalgar St.)から前の通りを海岸の方に向かうと、Queen Elizabeth II Dr.(国道6号線)に沿って東に伸びる遊歩道にぶつかる。左は海、右は公園。中ほどまで来ると、小さな駅舎があり、東に向かってレールも敷かれている。日曜日ごとに‘遊覧列車’が運行されている様子。『天候が許せば』という注意書きがあるところを見ると、天蓋列車なのかも知れない。

遊歩道の終点辺りに『宮津公園』があった。Nelson と宮津市は‘姉妹都市’なのだそうだ。石庭、月見亭、蓮池、竹薮・・・借景が日本とは大違いだから、あまりシックリとはしないが、それにしても面積の広い日本庭園である。

Miyazu Garden から道沿いに暫く西方に戻ると、Founders Heritage Park(入場料:大人5ドル)があった。まるで『明治村』だ。銀行(Westpac の前身、Bank of New South Wales)、旅籠、郵便局、病院、よろずや、弁護士事務所、学校、教会・・・(クリック)広場には飛行機(輸送機)の実物まで展示されている(クリック)。中に入ってみたが、コック・ピットは外から眺められるだけ。

全部で31件。勿論、全部観て回った。新聞社(The Nelson Evening Mail)にはケネディ大統領暗殺が第一面で報じられている新聞が展示されていた。僕はこの日のことをよく覚えている。当時、野村證券派遣の留学生として Yale 大学に学んでいた。その週末はアイビー・リーグのフットボール最終戦、その年は、ハーバード大学が New Haven に遠征してくることになっていた。『ハーバード・ウィークエンド』、その前日の金曜日だった。ショックだった。大学寮のテレビを観ていたが、さすがにコマーシャルは一本も入らなかった。葬送行進曲が流れていたのをはっきりと思い出せる。『定期戦』は一週間延期となった。

昼食は久しぶりにモーテルの自室でトーストとチーズ。

午後はガイドブックにも出ている『スーター美術館』(入館料:大人3ドル)へ行ってみた。Nelson は芸術家が愛し、多く住んでいるとのことだから、期待して行ったが、小さな美術館だった。コレクションもさほどのことはない。それよりも隣接するクイーンズ・ガーデンの方が印象に残る。

この町は公園が多い。到るところにある。昨夕も夕食後、ハラごなしに ANZAC Park という小さな公園を歩いてみた。花壇の縁取りの緑が濃い。近寄ってみて驚いた。何と、パセリだった。隆子が「摘んで帰ってはダメかしら?」。たしかに、スーパーで売っているよりも立派なパセリだった。

2月17日(金)

モーテルの女主人の折角の好意を無にしないよう、隆子は昨夜、ゴハンを炊いた。近くにウールワースのスーパーマーケットがあるので、そこで米を買った。多めに炊いて、あした(つまり、今日)は残りをオニギリにし、ピクニックをすることにした。海苔はまだ残っている。ただ、梅干しなどの‘具’がない。そこで、『スパム・オニギリ』を思いついた。これは一年前にホノルルに滞在したとき、初めて出会ったオニギリで、気に入っている。スパムならウールワースでも簡単に手に入る。

朝目覚めると、空一面が雲で覆われていたが、そこはそれ“Sunny Nelson”、たちまち青空が勝り、出かける時は快晴。

街の中心、Bridge Street を東に進むと小高い山に突き当たる。麓は広い芝生になっていて、今日、試合でもあるのだろうか、一人の男がクリケットの“バッター・ボックス”(僕はこの競技について全く知識がないから、そう呼ばせてもらう)近辺を入念に手入れしていた。Botanics Sports Field というのがこの広場の正式名称らしい。その芝生の一番奥まったところに案内板が立っている。今日はこの山を登って、『ニュージーランドの中心点』(The Centre of New Zealand)へ行くつもり。

ダート道だが、よく整備されているので、迷うようなことはない。適当に木陰があり、また、適当に眺望も楽しめる。頂上までの高さは約150メートル、道標には‘15分’と書いてあったが、僕らはもう少し時間をかけて登った。

頂上には、真っ白な、弓状に反ったポールが立っていて、その一番先に垂直の‘棒’が付けられている。その‘棒’が真下に指し示している地点が“ニュージーランドの中心点”だと言う訳だろう(クリック)。何故そうなのか、説明文でもあるかと探してみたが、なかった。日本でも岐阜県あたりに“日本の中心”と称する場所があるらしいが、それに似た主張なのだろう。まぁ、そんなことはどうでもいい、そこからの眺望(まさに360度)は‘素晴らしい’の一言に尽きる。

ここでヒルメシにするつもりだったが、予定していたよりも早く着いた。まだ、11時。山の裏手(ネルソン市街の反対側)を見ると、川べりに大きな公園がある。その方面をMaitai Valley というらしい。その公園まで行ってオニギリを食べることにした。そちら方面へ下る、整備された遊歩道がある。

大きな公園だ。樹木も伸び伸び育っているし、芝生も綺麗に刈り込まれている。公園の中ほどを川(Maitai River)が流れている。静かだ。誰もいない。川べりのピクニック・ベンチでオヒルにした。ところどころに『犬、馬の立ち入り禁止』“ここは水遊び場”と書かれた立て札が立っていた。夏なのに、誰も泳いでいなかったが・・・

帰りはMaitai River 沿いの遊歩道を。「日本人で、ここまでやって来て、こんな所を歩くヤツはいないだろうな」などと話しながら。

先日の中華はコリゴリだし、さりとて脂っこいものはゴメンだ。イエロー・ページをめくっていると、日本料理店が2件掲載されていた。一軒目はこの街の最高級ホテルに入っている『Miyazu』という店。リュックザックを背負ってホテルの前を通り過ぎたが、なんとも格式が高そうだ。着替えて出直して来て・・・とも考えたが、それで、もしも不味かったらバカバカしい。

もう一軒は、モーテルからもそう遠くないところにある『茶々』という店。隆子は「ちょっとシャビー」と渋ったが、結局“カレー・ライス”に惹かれてここに決めた。ビールを頼んだが、この店は‘license’を持っていなかった。BYO(Bring Your Own)といってみても、近くに酒屋がないらしい。やむなく、水だけの‘ドライ’な夕食になってしまった。まぁ、昼間、散歩の終わりごろ、小瓶一本飲んだことだし・・・

モーテルへ帰る道すがら、今更ながら「予約しておいてよかった」と思った。モーテルは軒並み“No Vacancy”である。何で、こんなに旅行者が多いのだろう?

明日はチェック・アウト。これもモーテルの女主人に教えてもらったのだが、土曜日の朝は、ここからそう遠くないところで『朝市』が立つのだそうだ。隆子はもうその気になっている。チェック・アウトの前に一時間ほど覗いてみることになりそうだ。

2月18日(土)

寝坊して時間がなくなったので、『朝市』は駆け足で見た。クライストチャーチのアート・センターで開かれるものより、ずっと大きな“マーケット”だが、売られているものは、あまり代わり映えしない。もちろん、何も買うつもりはなかった。

チェック・アウトして、ガソリンを満タンにして出発したのは9時半。今日も底抜けに晴れ上がっていた。運転には、もう少し曇っていたほうが有難いのだが・・・

国道6号線は暫く海岸線を走ったあと、Mount Richmond Forest Park を越えて Havelock へ向かう。地図では‘61キロ’の表示だが、一時間以上もかかってしまった。道が坂道続きの上ジグザグ、カーブでは前を行く車が見づらい。平均時速40キロぐらいで走ったことになる。Blenheim からは国道1号線、道が平坦になって快速ドライブ。

Kaikoura の手前の海の景色が綺麗なところに一軒カフェがあり、そこでランチ。僕はサンドイッチ、隆子はマフィン。

Kaikoura のモーテル(White Morph Motor Inn)には1時半ごろ着いた(クリック:モーテルのベランダで)。すぐにチェック・イン出来た。部屋は2階、道路越しに海がよく見える。料金が高いだけあって、調度品も申し分ない。

一息入れて、半島の小高い丘の上にある『見晴台』へ行ってきた。モーテルからは30分の散歩。写真を数枚撮って、海岸沿いをモーテルの方に帰って来る途中、一人の若い日本女性から声をかけられた。僕らが泊まるモーテルで働いているのだが、モーテルの主人が「日本人客がいるが、相談に乗ってあげて欲しい」と言われたと。そう言えば、到着したとき姿を見かけた。

オークランドにワーキング・ホリデイでやって来て、そのあと、働きながら南島を巡っているのだそうだ。浜松出身だが、ニュージーランドが気に入ったし、ワーキング・ビザも取れたので、しばらくはこちらに腰を落ち着けるつもり、と笑いながら話してくれた。“モーテルで働いている”といっても、せいぜい部屋のクリーニング。“仕事の内容”よりも“住む場所”に、よりウェイトがかかっているようだ。そんなものか。

夕食はモーテルの隣、White Morph Restaurant へ行った。“Independently owned and operated”と謳っていたから、モーテルとは別経営なのかも知れない。しかし、『ルーム・サービスもやりますよ』と書いてあるのは、どういうことだろうか?

スターターに、隆子は Bread & Spreads - hummus, pesto & smoked salmon spread、僕は Soup of the Day。メインは NZ Seafood Selection (2人前145ドル)を奮発。イセエビ1/2、ホタテ貝柱、鮭、海老、カラマリ、マッスル、本日の白味魚などが一緒盛になったヤツ。これは旨かった。僕はビールと白ワイン(グラス)を頼んだが、ワインを一口‘毒味’した隆子が、自分用にも一杯頼んだ。もっとも、殆どは僕が飲むことになったが。

このモーテルは五つ星。何組か部屋を求めてやって来ていたが、満員で断られていた。レストランも同様。僕たちが食事しているとき、観光バスが着いた。イギリスからの団体旅行のようだったが、これがモーテルとレストランを抑えていた様だ。Kaikoura は小さな町だ。どうやら、ホテルも無さそう。モーテルが取れなかったら、みんな、何処まで行くのだろう?

このモーテルに不満があるとすれば、唯一つ。インターネットが出来ない。否、電話線はあるし、Nelson のモーテルと同様、インターネット用の電話受け口すらある。つないでみたが、応答がない。事務所で訊いたら「ブロードバンドにしたので、要請があれば繋ぐ。繋ぎっぱなしで15ドル」との返事。こちらには‘繋ぎっぱなし’にするほどの需要はない。せいぜいが、子供達へのメールと『日記』への書き込みぐらいだ。断った。明日はクライストチャーチ、そこからメールするのは‘タダ’である。

対応が、いささかアタマにきたので、このモーテルのサービスは思い切り使ってやることにした。なかでも“ジャグジー・SPA”。今まで‘スポーツ・クラブ’以外で使ったことがない。それが、ここにはある。使ってみた。快適。

2月19日(日)

ゆうべは海からの風が騒がしかった。“嵐か?”とカーテンを開けてみたが、中空には煌々と月が輝いていた。どうやら、これが‘ここの自然’らしい。湘南海岸もこんなに風が吹くのだろうか?

9時にモーテルをチェック・アウト。245ドル。このモーテルは全体が新しく、設備も一見して‘金をかけている’ようだが、ヤッパリ‘高め’か。贅沢すぎた。

チェック・アウトのあと、車で岬の先端まで行った。大きな駐車場に車を停めて、崖の上の遊歩道を目指した。地図で見て、昨日から目をつけていた場所だ。5分ほどで昨日とは違う“見晴台”に着く。そこからは崖沿いの遊歩道(Walkway on the Cliff)を行った。なだらかな丘の上に‘踏み跡’が続く。家畜が放し飼いになっているので、鉄条網の柵が巡らされている。遊歩道は、その中にも入って行く。だから、柵の一番端に、踏み台のようなヤグラが組まれていて、人はその櫓を乗り越えて進む。コッツウォルズの“フット・パス”そっくり(クリック)

隆子は、コッツウォルズのフット・パスでは羊の糞に悩まされた。ここではそれが牛の糞に変わる。‘今朝生産された’ようなヤツも、しばしば見かけられた。

雄大な眺めだ。双眼鏡を持ったパーティにも出遭った。運がよければ、眼下の海に鯨の雄姿も見られるそうだ。散歩は、往復1時間ほどで切り上げた。

10時半ごろ国道1号線に乗って、クライストチャーチを目指した。クライストチャーチに近づくにつれ、なにやら聞き覚えのある町の名前が出てき始めた。そうだ、3年前に『ワイナリー・ツアー』で来たことがある、と気づいた。そういえば、景色もなんとなく見覚えがある。

飛行場の近く、Harewood Road で国道1号線と別れる。そのまま進むと、いつも買い物をするスーパーがある Papanui Road に行き着く。ここまで来れば、もう地図も必要ない。Chateau Blanc Suites には2時に着いた(クリック:Chateau Blanc の外観)。Kaikoura からの走行距離は190キロ。早速、チェック・イン。旅行に出かける前に10日間お世話になったところだが、「なんだか‘自宅’に帰って来たような懐かしさがあるわね」と隆子。これから、また、ここに5日間お世話になる。

この前あてがわれた部屋は110号室だったが、今度は斜向かいの111号室。西向きで“西日”が気になるかもしれないが、角部屋。ベランダも2倍以上広い。隆子は「モーニング・コーヒーはここで飲もう」と。

早く着いたので、Hertz に車を返しに行った。期限は明朝の9時だが、返してしまえばスッキリするし、朝寝坊も出来る。ところが、行ってみてビックリ。シャッターが下りている。事務所のドアを見ると『土・日は12時で閉店』と書いてある。隣の AVIS は開いているのに!

2月20日(月)

今朝は霧が濃かった。珍しい。勿論、初めての経験だった。まるで、佐用にいるかのようだ。車は、無事返却。窓ガラスが霧でビッショリ濡れていた。

車を返した後は、歩いて帰らねばならない。大聖堂の前の広場を横切ると、仮設花壇を片付ける真っ最中だった。今年のFlower Festival は先週末まで開催されていたものと見える。3年前にはこの催しに合わせて来たものだが、宿が取りづらくて困った。今回は初めから‘逃げ出す’つもりだったので、別に惜しいとは思わない。

Chateau Blanc に帰って来ると、隣の部屋から年配の日本人夫妻が出てきた。普段は豪州のゴールド・コースとのホテル暮らしだという。これからチェック・アウトしてクイーンズタウン(ミルフォード・サウンド)へ行くとのことだった。お昼ごろにもロビーで日本人の4人連れを見かけた。みんな、Flower Festival 目当てに来られたものだろう。

今晩で“自炊”はオシマイにする。日本から持参した『麻婆ナスの素』を使うつもりでスーパーまで茄子とか挽き肉を買い出しに行った。ついでに、チーズとか、ミックス・ナッツとかも。ゆうべ、コンビ二でワインを仕入れたから、これも飲んでしまわねばならないから。

霧が晴れると、空には一片の雲も見当たらない。暑い。日陰を選んで歩いた。

午後は初めて Avon River でパンティング(クリック)(クリック:その2枚目)。エイボン川は、水は綺麗でゆっくり流れているが、決して水量の多い川ではない。そこに、底の浅い小舟を浮かべ、粋なナリをした“船頭”が棹を操って舟を動かす。客は二人から八人まで。僕らが乗ったときは六人だった。30分、一人15ドル。

舟が出て、5分も経たないときだった。川底に鰻を見た。体長は6,70センチぐらいだったが、結構太く(子供の腕ぐらいあったかな?)鰓が張っていた。日本の鰻とは種類が異なるのだろう。

パンティングはなかなか楽しかった。エイボン川はハグレー公園の中を流れているのだが、散歩で眺めるハグレー公園も、水の上から眺めると、全く違って見える。それも面白かったことの一つ。僕らの舟の“船頭”は、一年半ほど埼玉県で暮らしたことがあるという。まぁまぁの日本語を話した。また、彼の説明によると、ハグレー公園はロンドンのハイド・パーク、ニューヨークのセントラル・パークに次いで‘世界で三番目’の都市公園とのこと。確かに、この公園はクライストチャーチの町を二分するほどの大きさである。

『麻婆ナス』は美味しかった。隆子は「次回からは、こういうのを、いろいろ、たくさん、持って来るといいね」と感想を漏らす。日本の味だし、いい考えだ。

夕食後は、ベランダでワインを楽しんだ。昨日、コンビ二で買ったものだが、美味しい。瓶に貼ってあるラベルを見ると『Oyster Bay』の Sauvignon Blanc 2005(白)。この醸造元は Nelson の近く Blenheim にあり、この地方は Marlborough といって、ニュージーランドではワインの名産地の一つに数えられている。

スーパーで買ってきたチーズもなかなかイケる。空には、依然として雲ひとつない。そよ風が心地良い。街路樹の向こうに、今はアパートメントに転用されている‘歴史的(?)建造物’が見える。そこに、ニュージーランドの国旗が掲揚されており、風にはためいている。ユニオンジャックに星が四つあしらわれたものだ。‘星四つ’は南十字星を意味しているのだろう。南十字星は、まだこの目で確認していない。はたして、クライストチャーチから見えるのかどうか、今晩あたり、空を見上げてみることにしようか。

2月21日(火)

ゆうべ、十分暗くなってから外に出てみた。Chateau Blanc のすぐ南、道路を隔てて Cranmer という名前のスクエアがある。横幅50メートルほど、縦は150メートルほどの芝生だ。そこの真ん中辺で星空を眺めた。オリオン座など、はっきり見える。星が四つ散らばった星座も二つ三つ見られるが、どれが“サザン・クロス”なのか、特定できない。悔しいが諦めた。

昨夜、あんなに晴れていたのに、今朝は少し雨が降った。もっとも、すぐ晴れ上がって、気温もグングン上昇したが・・・。天気が変わりやすい。

特にやることもない。ハグレー公園を1時間ほど散歩して、博物館に立ち寄った。ここも3年前に見学したところだ。入場料は“無料”。入口に‘お志があれば、大人一人5ドルの寄付金を’と書かれたガラス瓶が置いてあるので、10ドル喜捨。大英博物館も入場料がタダだから、それを踏襲しているのだろう。もっとも、展示品の質・量共に雲泥の差はあるが。

ヒルメシは自室のベランダで食べた(クリック)。いつも通りトーストにチーズ、それにジャムだけの簡素なものだが、ちょっとした気分転換。午後は‘お店好き’の隆子が「一度は行ってみる」という Northland Mall へ。独りで出かけるつもりだったようだが、僕もこれといってやることがないから、付いて行った。いつも利用する Merivale の少し先。今日は歩くには暑すぎるのでバス。

何の変哲もないショッピング・センターだった。啓子と哲生へのオミヤゲでもあるかと探したが、とても、とても。1時間ほどで City へ引き返した。クライストチャーチの市バスは“片道2.5ドル”だが、2時間以内なら“帰り”にも使える。最初に乗った時の『領収書』を見せる必要があるから、『領収書』は失くさないようにせねばならない。

ダウンタウンの『OKショップ』でワインを買った。日本まで宅配してくれる。空港で免税品として買うほうが安いが、機内に持って入るのも面倒。赤3本、白3本、送料(宅配)込みでNZ$274.55 だった。勿論、両方とも試飲させてもらった。一週間ほどで着くらしい。

啓子と哲生へのオミヤゲもここで買おうかと思っていたが、隆子が「隣の店もみてみたら」というので、お隣へ。メーカーは違うが、幾分安かった。共にMerino Wool 50%, Possum Fur 40%, Silk 10% のセーター。僕からのオミヤゲなのだが、品物の選択は隆子が。「啓子が着なかったら、わたしが貰う」という“啓子用”が $218.80、哲生用は“Sale”になっていたので $159.00。これも、哲生が着ないようなら、僕が着ることにしよう。

夜は Hay’s へ行った。この前対応してくれた若い日本女性の姿は見えず、別の日本女性がいて、注文を取ってくれた。日本人客が多いので、‘ワーキング・ホリディ’で来ている日本女性を使っているのだろうが、日本人客が大事であるならば、“常雇い”を検討すべきではないか。まだ、余り慣れていないらしく、ジン・アンド・トニックを頼んだらまごつき、バーまで引っ込んで確かめて来たようだった。

しかし、今日はチャンと『骨付き』の羊がやって来た。この前も『骨付き』を頼んだハズなのだが、ホネなしの網焼きが出てきて、チョッと面食らったものだ・・・それは、それなりに美味しくて「もう一度 Hay’s に行こう」となったのだが。『骨付き』も極上の味だった。しかし、デザート・メニューも頼まないと持ってこなかったし、勘定を済ませても‘お釣り’をなかなか持ってこなかったりと・・・サービスのトロイところが若干気になった。

2月22日(水)

今回の『ニュージーランド滞在』も、いよいよ大詰めを迎えつつある。明後日の金曜日にはこのChateau Blanc Suites をチェック・アウト、午後3時05分発の NZ520便でオークランドへ行く。オークランドから成田へは翌日の NZ99便(出発は朝の9時30分)、どうせ『チェック・インは2時間前までに』などと言われることだろうから、金曜日の晩はオークランド空港の近くにある Jet Inn Hotel に泊まる。少しでも“朝の慌しさ”が軽減されれば、との配慮。しかし、クライストチャーチにこれだけ日本人の旅行者が多いのに、なぜ直行便がないのだろう?

Jet Inn Hotel に決めたのは、ヒョンな理由からだ。

クイーンズタウンでは Amity Lodge に10泊した。或る日、モーテルのオカミが“HOST Accommodation Group”という冊子を手にとって、「これからも旅行を続けるのなら、この冊子の裏側にハンコを押しといて上げる。HOST グループのモーテルに11泊すれば、12泊目の料金が‘100ドル引き’になるよ」と言って、10個スタンプを押してくれた。この冊子に掲載されているモーテル群の中から、Franz Josef Glacier では Terrace Motel を予約して泊まった(11泊目)。Nelson と Kaikoura にも HOST グループのモーテルがあったが、共に街の中心から離れていたので、グループ外のモーテルを選んだ。オークランド空港の Jet Inn がグループのモーテル(Hotel)で、ここを‘12泊目’とすることに決めていたから。はたして、‘100ドル引き’が実現するか、興味津々。

僕らのニュージーランド滞在も大詰めだが、冬季オリンピック(トリノ)も大詰め近い。日本勢はサンザンの有様であるようだ。熊田君が『二金会』(ICU第一男子寮有志の飲み会)の案内(メール)をくれ、『出席』の返事を返したら、折り返し、「今度のオリンピックはつまらない」と日本選手の不振を伝えてくれた。

ニュージーランドとトリノでは、まるっきりヒル・ヨル逆だから、テレビで実況中継をやることはない。せいぜいが‘ダイジェスト版’で、それでも2時間くらいやる。番組を全部見たわけではないので、確言は出来ないが、日本選手はメッタに出てこない。岡部選手(スキー・ジャンプ)は見た。予選で下位だった方から順番に跳ぶので、岡部選手も一時はトップだった。上位選手が跳ぶたびに順位が下がり、最後は8位。

女子のカーリングも見た。イタリアに勝ったゲームだった。最終結果は分らない。

新聞の報道もいい加減なものだ。競馬やハーネス、ラグビー、クリケット等の勝敗は詳しく出ているけれども、オリンピックは最後のコラムに“Miscellaneous”としてチョコッと掲載されるだけ。それも‘上位選手’だけだから、日本勢の名前は殆ど見られない。

隆子はスケートの『女子フィギュア』には強い関心を持っている。朝、インターネットで調べたが、まだ、記事は入れ替わっていなかった。午後、散歩から帰って見たら、ショートプログラムの結果が出ており、荒川3位、村主4位、安藤8位と、まずまずの成績。今晩、テレビの‘ダイジェスト版’を見るのが、少し楽しみになってきた。

2月23日(木)

今朝はいつもとほぼ同じ時間に起きたのに、暗い。喘息抑えの“吸入”をやっていると、表でなにやら激しい音がし出した。カーテンの向こうを見ると、雨に混じって、雨粒よりももっと大粒のものが落ちてきているのに気がついた。雹だ。大声で隣室の隆子に知らせてやった。

3年前に来たときにも、街を歩いていて雹に降られたことがある。コロンボ・ストリートに、水割り用に良さそうな氷がうず高く積みあがっていたものだ。今日は、その時ほどは降らなかったが、Chateau Blanc の裏の空き地が白くなった。雷も鳴っている。

「今日は散歩も駄目かなぁ」「午後にはパッキングをしなくちゃならないから、午前中に洗濯を済ませれば?」・・・僕は本(宮部みゆき『模倣犯』4巻目)を読んでいて、ふと気がつくと、雨は上がり、青空が出てきた。

洗濯も終わったので、散歩に出かけた。先日、レンタカーで帰って来て Bealey St. を通ったとき、隆子が「Hambledon が売りに出ているみたいよ」と言った。不動産屋の看板らしきものを目にしたらしい。「確かめに行くか」と散歩ついでに行ってみた。3年前に来たとき、最初に泊まった(5泊)のが、ここ Hambledon だ。元来 B&B だが、コテッジもあって、そこを借りて自炊した。懐かしいところである。

やっぱり、『売り物』の看板が出ていた。古い建物で“1886年に George Gould によって建てられたもの”という注釈がついている。Gould がどういう人だか知らないが、わざわざ謳っているところを見ると、ニュージーランドにとっては歴史的人物なのであろう。この家の内装は素晴らしい。アンティークの家具がふんだんに使われている。‘高級’B&B だったのだが、どうしたのだろうか?主人夫妻に何か不幸でもあったのかも知れない。

散歩から帰り、いつも通りの質素なヒルメシを終えた。V8 の小瓶(といっても750ml もある)も、ジャム、チーズも、丁度きれいになくなった。パンは少し残ったが、午後の散歩でハグレー公園の鴨たちにクレてやった。ワンサカやってくる。中には本気で喧嘩をするヤツも出てきて・・・

夕食は『倉敷』へ行った。クライストチャーチ最後の夕食だから、ニュージーランド料理ということも、勿論、考えたが、どうも脂っぽい物は避けたい。刺身あたりが無難。『倉敷』には3年前にも二回行った。一回目は着いて間もなく、隆子が体調を崩していて“洋食”は受け付けそうになかった時、二回目は帰国直前、イセエビの刺身を食べようかと Oxford Terrace の『さらさら』へ行ったら満員で断られ、『倉敷』にクラ替えした。結局、イセエビにはありつけなかったことを憶えている。

今回は、あった。しかし、「高すぎるよ」と隆子が固辞したので、見送り。確かに、90ドルは・・・岡山の倉敷市はクライストチャーチと姉妹都市。Nelson では『宮津』が第一級ホテルに入っているのに対し、『倉敷』は冴えない場所の、しかも、二階に店を出している。客の入りも上々とは言えないだろう。今日も、僕らがいたときは4組ぐらいしかいなかった。しかし、味は本物である。隆子は「久しぶりに美味しい味噌汁にありついた」と高い評価を下していた。

2月24日(金)

荷物のパッキングを終え、居間のテーブルの上に10ドル札を置いた。簡単な“Thank you”メモをつけて。この serviced apartment にはお世話になった。「これまで泊まった中では一番よかった」と隆子。僕も否定はしない。

チェック・アウトしたものの、すぐに飛行場へ行っても仕方がない。フロントで1時半にタクシーを頼み、荷物をトランク・ルームに預かってもらい、ブラブラ時間つぶし。足は自然にハグレー公園に向かう。空は抜けるような青さ。木の葉の緑とのコントラストが素晴らしい。ただ、心なしか、蝉の声が少なくなった。これから秋に向かう。秋の景色も捨てがたいものなのだろうが・・・幾分、感傷的になる。

ランチは Chateau Blanc の姉妹施設、Chateau on the Park Hotel で食べてみよう、と決めた。後半の5日間はこのホテルに泊まるつもりだったのだが、満室だった。このホテルは Chateau Blanc からみると、ハグレー公園を横切った反対側にある。徒歩だと30分弱。これまで、中には入ったことがなかったので、いい機会だ。

ホテルの敷地は広いし3階建てだから、結構部屋数はある。庭がよく整備されていて、気持ちがいい。レストランは二つあるはずだが、ランチ時間に開いているのは一つだけ。それも“Reservation Essential”という注意書きが出ていたので、予約。それからモナ・ベールで小一時間時間をつぶし、11時半にレストランへ。味は可もなし、不可もなし。

Chateau Blanc には少し早めに帰った。フロントの青年が‘タクシーは予約してあるからもう少し待ってくれ’という。待っていて、良かった。丁寧な運転手で、空港に着くと、メーターが28ドルを示しているのに、「ホテルとの契約だから、24ドル」とのこと。普通なら、このメーターに‘荷物料’として1個当たり2ドルが請求される。僕らは4個預けていたから、チップも合わせると40ドルになる勘定。気分がよかったので、30ドル渡して「お釣りは取っといてくれ」

Jet Inn Hotel に予約したとき「空港に着いたら電話してくれ。迎えのシャトルバスを差し向けるから」と電話番号を貰っていたので、オークランド空港に着くと、まず、公衆電話機を探した。壁際にズラッと10数台並んでいる。電話番号を書いた紙を持って近寄ってみると、なんと、全て‘カード式’で、硬貨が使えるのは一台もない。

途方に暮れて空港ロビーの‘Help Desk’に「コインが使える電話機はないの?」と訊ねると「ない。だが、どこへ電話するのだ?」と逆に訊ね返された。「Jet Inn です」「Jet Inn ならあちらの‘ホテル案内板’にある電話を使いなさい」と席を外し、ワザワザその前まで連れて行ってくれた。「ホラ、Jet Inn は‘18番’だろ。この直通電話で18番をプッシュすれば Jet Inn に繋がるハズだよ」と。繋がった。親切に、どうも有難う。

空港のホテルなんて、利用者もそう多くはあるまいとタカをくくっていたが、案に相違して、利用者は随分多い。夕食時にはレストランが一杯で、30分ほどバーで待たされた。ここも予約しておいてよかった。部屋は小さいが、どうせ一晩寝るだけだから。

2月25日(土)

5時に起きた。さすがに眠い。モーニング・コールを頼んでおいてよかった。喘息の吸入を終え、隆子を起こす。時計を見ると、5時30分。

空港行きのシャトル・バスは6時30分、勿論、その前にチェック・アウトせねばならない。しかし、例の『HOST』グループの‘100ドル割引’は有効なのかどうか。フロントの‘おにいちゃん’はグズグズするばかりで、一向に埒が明かない。どうやら、彼にとってもこれは初めての経験らしかった。10分ほども経っただろうか、僕はシビレを切らせて「宿泊料は100ドル割引になると書いてあるよ」と言うと、やっと決心がついたのか、すぐに100ドル引きで決済となった。部屋代は120ドルだったから、実質の支払いは20ドル。儲かった。2月22日に抱いていた“疑問”は目出度く‘吉’と出たわけ。

空港には団体旅行客よりも早く着いたので、スムーズにチェック・イン。それが狙いで早めに起きたわけだから。トランクは二つとも制限重量の20キロを1割強オーバーしていたが、特に咎められず。

隆子は真っ直ぐ‘Tax Free’ショップへ急行したが、お目当ての口紅が高いのにビックリ。「これじゃ東京で買っておけば良かった」とガックリ。そのためにお小遣いを残していたはずなのに・・・ちょっと、気の毒だった。

ところで、今日は“queuing”でアタマに来ることが重なった。

まず一番目は、‘機内持ち込み荷物検査’で並んでいた時。かなり進んだ段階で、空港係員が「出国税を払っているか?」と尋ねる。そんなもの知らないから払っていない。すると、脇の出口を指差し「その扉の向こうに銀行があるから支払うこと」と言う。確かに銀行の窓口があって、大勢並んでいた。中にはニュージーランド・ドルを使い果たして、やむなく自国通貨で支払う旅人もいるから、両替に手間取ったり・・・出国税は25ドル/人。結構高いんだ。こうして、再び並びなおした。勿論、最後尾からやり直し。まぁ、これはしようがない。知らなかった僕の方に責任があるのだから。

二度目は、同じくこの列に並んでいるときに起こった。半分ほど進んだとき、これも空港職員が僕のリュックザックを指差して「向こうの秤で重量検査をしろ」と言う。こんなことは初めてだから面食らった。重そうに見えたのかも知れないが。8キロほどであることを確かめて「OK」と言う。問題が起こったのは、そこから。列に戻ろうとしたら、日本の団体客が列に入れさせてくれない。「わたし達、並んでいるのだから」と言う。こっちだって、並んでいたんだ!どういう了見だ! けしからないのはツアー・コンダクターで、すぐソバにいるのに‘知らぬ顔の半兵衛’を決め込んでいやがる。勿論、強引に割り込んだが。馬鹿野郎共メ!ハラが立つ!

成田に着いてJRの窓口で帰りの切符を買うために並んだときにも不愉快な目に遭ったが(これが、三度目)、まぁ、いいとしよう。楽しかったニュージーランド滞在が東京に近づくにつれ面白くなくなったのは残念なことだ。

小金井の家には7時40分ごろ着いた。啓子がカレーライスを作って待っていてくれた。哲生もテレビで“荒川静香”のエキジビション試技を見ていたが、笑顔で迎えてくれた。このとき、初めて彼女が金メダルを取ったことを知った。

<エピローグ>

写真は150枚ほど撮った。全部6メガ・バイトで撮ったから、プリントすると従来のものより鮮明である筈だ。早い機会にカメラ店に持って行こう。その中から適当なものを選んで『日記』に挿入することにする。

しかし、『日記』に挿入するとなると、大分‘縮小’しなくてはならない。パソコンやカメラはいじり慣れていないから、時間がかかる。3月には結構多くの予定が入っているし、中旬には佐用へ帰ってジャガイモの植え付けをせねばならない。次回、4月に東京に戻ってくるまで放って置くことになるか?

“支出”項目も検証したい。出費はほぼ漏れなく記帳したが、これもまとめるとなると、少々時間がかかる。

隆子は「今度ニュージーランドに行くときは‘北島’を回ろうよ」と言っているが、さて、実現するものかどうか???

『ニュージーランド日記―2』への追補

“日記”自体は2月23日で終えたが、“日記”に書かなかったことで記憶にはとどめたい事柄を“追補”として付け加えておこう。

<一車線橋>

1月31日の日記を読み返すと「その橋には一車線しかなかった」と驚いているが、後日、ニュージーランドではこの“一車線橋”が随所で見られる、決して珍しいものではないことが分かった。Queenstown から Kingston へ向かう国道6号線でも出くわした。

Queenstown が面する Lake Wakatipu は氷河が造った広い湖であるが、どうやら、水が流れ出す川は一つしかないようだ。(そういう‘閉じられた’湖であるせいか、Lake Wakatipu には海の満潮/干潮に似た‘湖水の満ち干し’があるとのことである。)その川が隣町 Frankton の南側を流れており、国道6号線はその川を横切らねばならず、橋が架かっている。これが“一車線橋”であった。交通量がかなり多いし、見通しも悪いせいか、ここには信号機がついていた。僕らは歩いては渡らなかったが、別途、歩道もついている。川は急流で、水量も多いようだった。鳴門海峡の渦巻きを見るごとく、欄干越しに川面を見下ろしている観光客がかなり多くいた。この橋は Kingston Flyer (蒸気機関車)に乗りに行った時と、Deer Park へ行った時、都合二往復利用した。

West Coast をドライブした時には、“一車線橋”に何度も遭遇した。橋の長さが短ければ問題ないが、長いとどうするか?

答えは『橋の途中に‘ふくらみ’を作る』ことである。この部分は“二車線”にしてあり、すれ違うことが出来る。橋の長さが一番長かったのは Haast 橋で、この橋には‘ふくらみ’が二箇所もあった。

尚、「yield と書かれた標識が立っている」と書いたのは間違いで、標識の英語は“Give way”だった。標識だけでなく、走っている道路(車線)にもペンキで大きく書かれている。

West Coast の国道6号線では、汽車の『鉄橋』をそのまま利用している箇所があった。汽車は“単線”だから、国道の橋も“単線”(一車線橋)である。勿論、列車優先だろうから、列車が走っている間は“通行禁止”だろう。枕木はガタガタ言うし、レールの上に乗っかれば、なんだかスリップしているようで、走り心地は良くなかった。

<ポッサム>

ニュージーランドをドライブしていると、必ずといってよいほど、小動物が轢死しているのを見かける。なかには狸や野兎などもいるのだろうが、現地の人に聞くと、その殆どはポッサムだろう、と言う。夜行性で、キツネの仲間らしい。

ニュージーランドの人口は北島、南島合わせても400万人強しかないから、車の量は昼間でも少ない。ましてポッサムが活動する夜間ともなれば、ほんのタマにしか走っていないはずである。それなのに、おびただしい数が死んでいる。相当の数が生息しているということなのだろう。

ポッサムは元来オーストラリアに生息していた動物で、ニュージーランドへは人間が運んできた。天敵がいないせいか、ここでは上記のように大繁殖している。本家のオーストラリアでは“禁猟”となっているが、ニュージーランドでは狩猟して毛皮を『特産物』として売っている。

ポッサムの毛は軽くて柔らかい。メリノ・ウール50%、ポッサム40%、それに強度を補うためかシルク10%のセーターが評判。少々高価だが、隆子は自分のお小遣いで買ったし、啓子と哲生にもオミヤゲで買った。クライストチャーチを出発する前日、オミヤゲ専門店を覗いていたらチョッキがあったので、つい、僕用にも。とても暖かい。