英国 −2004− |
年金生活に入ってからこれまでの二年間、寒い冬は、いまや持病となってしまった<喘息抑え>を兼ねて、ニュージーランドとオーストラリアへ行った。共に素晴らしい滞在だった。得がたい経験も多かった。しかし、以前から、英国の田舎をユックリ訪問してみたい、と思い続けていた。野村證券での25年間に及ぶ勤務中にも、ロンドンにこそ度々行ったことがあるが、それ以外では一度だけ、エジンバラへ行ったことがあるだけだ。その時は、仕事が月曜日だったので、前日の日曜日に汽車で行った。月曜日、八つもあったアポイントメントを終わらせ、息せき切ってお城へ行ってみたが、残念ながら城門は既に閉まっていた。だが、車窓から眺めた英国の田舎の美しさには忘れがたいものがあった。
お城好きの僕にとって、エジンバラにはそれだけでも行く価値がある。湖水地方やコッツウォルズにも行ってみたい。野村證券を退社してから三社の外資系金融グループで働いたが、そのうち2社は英国系。昔の同僚に会える機会があるかも知れない。妻の隆子は「英国にはロンドンに三日滞在しただけ」と言う。僕がバークレイズ信託の面接を受けた時(証券から信託への異動)くっついて来た。滞在期間が短かっただけでなく、僕が面倒を見ることも叶わなかった。彼女にとっても『もう一度行ってみたい国』の一つである。で、安宿に泊まりながら旅行してみるか、ということになった。ただし、せわしなく観光名所を飛び回ることは性に合わない。なるべく、自分の足で歩くこと。それが、静かな裏通りであっても、名も無い田舎の小径であろうとも・・・ともかく、ガイドブック通りの旅は避けたいと思う。
とはいうものの、折角の機会だから、エジンバラ、湖水地方、コッツウォルズ、それに、隆子のたっての希望もあって、ロンドン。ユックリ過ごすためには、それぞれ一週間は必要だろう。
やっと、英国航空(BA)のホームページに『正規割引料金』のリストが出てきたので、虎ノ門にあるBAオフィスを訪ねた。“どうも見たことのある番地だなぁ”と思ったのもその筈、カンタス航空と同じビル。ビルが同じであるばかりか、同じ階、オフィスそのものも同じ。入って左側がカンタス、右がBAという仕掛けだった。
往復のチケット代金は、全てのチャージ込みで、一人当たり\145,120。往路はヒースロー空港で乗り継いでエジンバラまで。復路はロンドンから成田。エジンバラからロンドンまではレンタカーで、湖水地方、コッツウォルズを経由するつもり。
朝は5時に起きた。幸い、晴れている。昨日の“台風6号来襲”には全くキモを冷やした。関東直撃にでもなればどうしようか、と気が気ではなかった。エジンバラのゲストハウスに「航空機の遅延もあり得るが、リザベーションをキープしておいてくれ」とe-mailしておこうか、とアドレスを確かめてみたり・・・(メールはしなかったが)
新宿8:03分発の成田エクスプレスで空港に向かった。切符は『空港第2ビル駅』までしか買っていなかった。前日にトランクを成田まで先送りしたとき、宅配便のABC社が「BAは第1ターミナルですよ」と教えてくれたので、車掌に確かめようとしたのだが、なかなか検札に来ない。最後尾車両の車掌室を覗いても、誰もいない。ズンズン前方車両まで進んで探したところ、7号車の車掌室で二人ともアブラを売っていた。
いつも思うことだが、『成田エクスプレス』は空港行き専門の列車のクセに、どこにも“ターミナル毎の航空会社名”の表示がない。(東京駅のプラットホームでは見たことがある。)そのクセ、「ご利用になる航空会社によってターミナルが異なります。お確かめの上、お降りになりますようお気を付け下さい」などというアナウンスメントを平気で流す。無神経極まりない。
BA006便は定刻に離陸。エジンバラの宿(ACORN GUEST HOUSE, 4 Mayfield Gardens, Edinburgh)に着いたときには、既に現地時間午後7時(東京時間では翌日午前3時)を廻っていた。ACORN GUEST HOUSE は清潔で、洗面所、シャワーも部屋に付いていて(en-suite)住み心地はよさそうだが、ただひとつ欠点があった。部屋に電話がない。これまでの旅行でも、日本に残っている啓子と哲生を安心させる目的もあって、ホームページに『日記』を書くことにしていた。それを読んでくれれば、父と母がどんな一日を送ったか、あらかた様子が分かろうというものだ。電話より安上がりだし、時差を気にすることもない。それに、記録としても残る。・・・電話線がないと、それが出来ない。
(クリック:エジンバラで泊まったABCORN Guest House)
ロンドン・エジンバラ間でも軽食が出たので、まともな食事こそしていないが、今日は都合4食。子供達にメールも出せないし、ホームページの更新も出来ない。シャワーもとらずに寝ることに決める。
朝起きると、雨。風も強そうだ。“台風6号”からは逃れられたが、早くもその仕返しを受けているようだ。
このゲストハウスではB&B並みに朝食(8時〜9時)が料金(£32/人)に含まれている。こんな天気の日には『朝食付き』があり難い。隣のテーブルで食事していた中年男性に「ヒドイ天気ですね」と話しかけると、「これがスコットランドだよ」と苦笑い混じりの返事を返してきた。メイドも「昨日までは好いお天気だったのに」と気の毒顔。
それでも、「ダウンタウンまで行ってみよう」と出かけてみた。だが、風が強くて傘が用を足さない。『父の日』に哲生がプレゼントしてくれた折り畳み(隆子によると、\6,000もした代物とのこと)が、風でホネを折られてしまいそうだ。慌てて、やって来たバスに飛び乗ったが、ドライバーは「お釣りは出せないキマリ」とのこと。(エィ、ままょ!)と手持ちのお札で一番小額のお札を運賃箱に入れようとしたら、乗り合わせていた中年男性の一人が両替してくれ、事なきを得た。
エジンバラではバスの便がよさそうだ。80ペンス。一日券は2ポンド50ペンス。平日の9:30分以降と土・日は割引があって、2ポンド。ただし、どんな場合でも“お釣り”は出ない。両替機もない。バスに乗る場合は小銭必携。
バスで Royal Mile の交差点まで来たものの、風雨はますます強い。ヒルメシ用にサンドイッチとギネスビールを買い込んで、ゲストハウスに舞い戻った。宿舎に備え付けの公衆電話から、啓子に“メールが出来ない”事情などを電話したが、アッというまに1ポンド硬貨が4枚なくなってしまった。さすがに、英国でも国際電話料金は高い。
隆子が時差に苦しんでいる。昨夜は熟睡できなかったようで、ヒルメシを終えた途端、睡魔に襲われていた。「無理をせず、寝れば」とアドヴァイス。
天気が悪いので、とてもダウンタウンまで出かける気にならない。宿の主人に「近くにパブは?」と訊ねたら裏通りのパブを教えてくれた。宿から歩いて数分の距離。これなら、風雨が強くてもなんとか。パブには男性ばかり20人ほどがタムロしていた。2階がレストランになっていたので、そちら(The New Bell, 233 Causewayside)へ。前菜にムール貝、メインはパスタ。共に味はよかった。それにも増して、ハウスワイン(南ア産の赤)が、安い上に抜群にウマい。ついつい、お代わり。
風は幾分収まったが、雨は降り止まない。昨日は市内まで出掛けてはみたものの、谷底の Waverley 駅を跨いでいる North Bridge の上では、さながら、台風並みの風で、現地の人々も傘をささず、顔から水滴を滴らせながら歩いていた。やむなく、橋を渡るのを諦めて宿に舞い戻ったため、“観光案内所”にすら行けなかった。今朝は「これぐらいの風なら大丈夫だろう」と歩いてみた。
行ってみたが、観光案内所(Tourist Information Centre)の窓口は長蛇の列。あきらめて、『お城』を目指した。
シニア・シティズン(60才以上)の入場料は£7/人。城壁のあちらこちらに岩が剥き出しになっていて、この城が荒々しい岩山の上に築かれていることが分かる。城内を巡る道はすべて石畳。広場も同様。所々に大砲が備え付けてあり、そのそばに“弾丸”が展示されている。直径3〜40センチもあろうかという、丸く削られた石。この重さでは、たとえ敵が城の麓から撃っても、とても城内に届くとは思えない。この城が“難攻不落”を誇ったのもうなずける。
僕には誤算があった。お城見学なら、少々の雨を凌ぐのは容易であろうとタカをくくっていたのだ。たしかに、城内にはところどころに建物(主として博物館として利用されている)はある。しかし、殆どの部分は文字通りの“青天井”だ。姫路城の天守閣見学とはワケが違う。山の上だから、風が強い。上半身と頭部はカッパと傘でなんとか凌げたが、膝から下はズブ濡れになってしまった。
久しぶりの晴天。嬉しくなって、6時頃から“朝歩き”を小一時間。
朝食後も「今日は歩こう」とゲストハウスを後にした。気温は低いので、長袖シャツに毛糸のベスト、その上に風除けのハーフコートを羽織る。太陽の光はスルドイので、サングラスも必要だ。
The Meadows を横切り、エジンバラ大学のキャンパスを右手に見ながらなだらかな坂を上ってゆくと“オールド・タウン”に行き着く。ジョージ4世橋から、エジンバラで一番古い道路、カウゲート通りを見下ろした後、ビクトリア・ストリートを下って、グラス・マーケットへと出た。確かに古い街並みだが、さほどの感銘は受けなかった。
(クリック:ジョージ4世橋からオールド・タウンへ下るヴィクトリア・ストリート)
僕は“ニュー・タウン”の方が好きだ。西の端、Charlotte スクエアには懐かしい想い出がある。野村證券時代、Robert Fleming の“助っ人”として、ロンドンに一ヶ月ほど滞在したことがあるが、そのとき、Robert Fleming のオフィサーに同伴してエジンバラに来たことがある。訪問先が一日に8軒もあってタマゲタが、それら客先が全部 Charlotte Square に面するビルの中にあったのにも魂消た。今でも、ここは“機関投資家の街”であるはずだが、看板を出しているところは少なく、チョット目には分からない。
ニュー・タウンの目抜き通りは Princes Street だが、『お城』を臨む南側には建物が一つもない。だから、通りの歩道からは『お城』が常に見える。歩道から下に向かっては自然の深い谷間になっていて、緑豊かな公園である。(写真はプリンス・ストリート公園;緑が眩しかった)そして、そのまた一番深いところを鉄道が走っている。線路をまたぐ歩道橋を渡ると、お城が建つ岩山の山裾に取り付くことになる。上に向かって、ジグザグの遊歩道がある。これを上って行った。終点はお城の正面広場。そこからは、なだらかに下る Royal Mile が始まる。お城から1マイル先に Holyroodhouse 宮殿がある。(クリック:Holyroodhouse宮殿;警官が一人だけで警備していた)
勿論、歩いた。宮殿はロイヤル・ファミリーが滞在中とかで、見学できず。
なんやかやで、今日は良く歩いた。部屋に戻って“万歩計”をチェックしたら 29,766歩。
朝から雨のハズだったが、目が覚めると晴れていた。それでは、と今朝も朝歩き。
東京でレンタカーを予約しておいた。エジンバラでは、滞在期間の前半は市内を歩き回り、後半は郊外にも出かけようと考えていたので、本日正午から借りるという予約。Avis のオフィスで正式契約を結んで、車をゲストハウスまで持ってこなければならない。
僕は運転免許を取ったのがサンフランシスコ。野村證券でサンフランシスコ勤務になったとき、必要に迫られて免許を取った。だから、最初からオートマ車。マニュアル車は運転したことがない。英国に行く前に小金井の教習所で一時間ほどマニュアル車の運転研修を受けてみたが、疲れる。イザという時、トッサの判断が出来るか、アヤシイ。ところが、イギリスでは未だにマニュアル車が主流とか。身の安全を考えると、割高でもオートマ車、と予約した次第。
ところが、AVIS の市内営業所(ここで車を引き取ることになっていた)へ行ってみたら「貴方が予約している車種の車には問題があって、今すぐには引き渡せない。当営業所には他に手持ちがないので、空港の営業所で同種の車を受け取って欲しい」と意外な返事。車を今日使う予定はなかったので、「あした、また、来るよ」と退散。
オールド・タウンをブラついていたら、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。続いて笛の音も。街頭にビラが貼りだしてあったが“John Knox パレード”に違いない。彼が住んでいた家は Royal Mile に面して今でも残っているが、現在は修理中で、見学できなかった。
隆子が坂道を駆け上がる。こんな時には、彼女もなかなか元気だ。緞帳のような幟を押し立てて行列が進む。幾分、華やかさには欠けるが、真面目そのもののパレードだった。(クリック:パレードの様子;この後驟雨があったが太鼓の音は途絶えなかった)
無事、レンタカーの引渡しを受けた。ASTRA, 1600cc. 昨日、営業所員が言っていた車の“問題”は、どうやら、僕の前に借りた人が「バンパー」ホイール・カバー」を傷つけたことのようで、未修理のままだが、Rental Vehicle Condition Reportの“Start of Rental”の項目にそのことが明記されていた。まだ 4766 マイルしか走っておらず、新車同様。
車をゲストハウスの駐車場に置いたまま、再び“徒歩”で街中へ。車で出掛けると、駐車場探しが面倒だし、駐車中に“当て逃げ”されてもイマイマしい。それに、今回の旅行も大目的は“歩くこと”なのだし・・・
エジンバラの東には、町の西に位置するエジンバラ城に、まるで、“対を成す”かのように Holyrood と称する岩山が聳えている。Royal Mile の終点に位置する宮殿の名前もここから付けられた。標高 251メートル。地図で見る限り、その平面積にはオールド・タウン、ニュー・タウン両方がスッポリ入るほどの広さである。頂上は Arthur's Seat と名付けられていて、そこからの眺望は格別、のハズ。
実は、Arthur's Seat まで登るハズだった。「足が痛い」と嘆く隆子をなだめ、すかし、励ましながら、かなりの急坂を登っていった。(クリック:坂の途中で一休みする隆子;前方にHolyroodhouse宮殿が見える)しかしながら、初めからルートを間違えていたらしく、道は途中からなだらかな下り坂、アッという間もなく麓まで降りてしまった。しかし、負け惜しみではなく、坂の途中からの眺めは捨てたものではなかった。(クリック:眼下のアパート群の向こうに微かだがお城が見える)
どうも、このところ『食べ過ぎ』のキライがある。昨日の散歩の途中で、新しい、巨大なマーケット(モール)を見つけた。そこのスーパーで何か簡単なものを買って、それで夕食を済まそうか、ということにした。僕は菓子パンとリンゴとバナナ、隆子はキッシュとリンゴ。スモークト・チーズは半分ずつ。〆て£4.43。
9時半ごろゲストハウスを出発して、ロッホ・ローモンドに向かった。辿るルートは前以て綿密に決めた。
環状線(A720)から高速道路(M9)に乗り、Stirling で A84、この辺りから Loch Lomond and The Trossachs National Park に入る。続いて、A85。Crianlarich で A82 に乗ってローモンド湖の西岸を Grasgow 方面に下る。Grasgow からは別の高速道路(M8)でエジンバラに帰る。Michelin で発行した地図には“風光明媚な路線”が明示されているが、それを最大限利用するようにすると、このような大きい周回ルートとなった。
なるほど、景色は素晴らしかった。隣の席を占めている隆子からは、何度となく嘆声がもれていた。
途中 Callander という町で停車。“イギリスの田舎町はかくあらんかな”と言わんばかりのカワイイ街並み。小さな店で、ランチに備えドーナッツ、パンケーキ、飲み物、ヨーグルトなどを買い込んだ。これで、雨に遭っても、車の中で食べられる。
このドライブ旅行を通じ、写真は一枚も撮らなかった。景色が雄大すぎて、写真に収めると全く別物になってしまいそうだったこと、それに、駐車出来るような箇所には決まって大きな林があり視界を遮られてしまったこと、などが主な理由。日本のように『見晴台』などは用意されていないようだ。
イギリスでは初めての本格的なドライブ。ラウンドアバウトが一寸心配だったが、なんとかコナせた。隆子も地図の読み方に大分慣れたようだ。ゲストハウスに辿り着いたら午後4時。メーターで走行距離を見ると 220 マイル、およそ 350 キロ。夕食は一度訪ねたThe New Bell へ。ワインが格別ウマかった。
いよいよエジンバラ最後の日。隆子が「あとで、行ってみればよかったと後悔するかも・・・」と言うので“ポイント・オブ・インタレスト”を総ざらいした。クイーン・ストリート・ガーデンズは、入れるのかも知れないが、入口が分からず。ローズ・ストリートと同じ造りのシスル(アザミ。スコットランドの国花だそうだ)・ストリートは、何も見るべきものがなかった。ニュー・タウンの東端にコナン・ドイルの立像があるはずというので、サンザン探した。まず、コナン・ドイルという名前のパブが見つかり、続いて立像も。立像が建つ広場の名はセント・ジェイムズだったか。(クリック:コナン・ドイルが生まれたのはこの近くだそうだ)
そこからカールトン・ヒルに登り、エジンバラの市街、ホリロッド宮殿の写真を撮ったりなどしてから、国立美術館に立ち寄った。しかし、『絵画の展示換え』とやらで、休館。地下の展示場で『水彩画展』を見た。一点、隆子の気に入った絵があったのだが、£1,500では手が出せず。
オールド・タウンに戻り、スコットランド・ミュージアムとロイヤル・ミュージアムをはしご。二つは並んで建っていて廊下でつながっており、自由に往復できる。無料。大英博物館に倣ってか?
ニコルソン通りには“ローリングが、コーヒー一杯を啜りながら、ひたすら『ハリー・ポッター』の原稿を書いた、というレストランがある”とのことなので(日経BP、「旅名人ブックス/スコットランド」)、一生懸命探したが、見つからなかった。やむなく、同じ通りのイタリアン・レストラン“ローマ”で晩飯。シーフッド・リゾットはボリューム満点で美味。キャンティ・クラシコを、いささか、ヤリ過ぎた。
チェックアウトを済ませ、Keswick に向かった。A702 は環状線を越したあたりから、高速道路並みに整備された道に変わる。最高制限速度も60 マイル。素晴らしい、雄大な景色。Michelin のルート・マップもそれを意味する緑色に塗られている。Abington で M74 に乗る。
Carlisle の手前のサービス・エリアにトイレ休憩で立ち寄ったが、食事どころの窓越しに池などがあって気に入ったので、ついでに早めのランチ。これが結果的に幸いした。M74 は Carlisle の街を過ぎると M6 に接続するが、この辺りから嵐になった。ワイパーも効かないぐらいの豪雨。事故を起こすとバカバカしいから、一番左の車線に寄り、時速50 マイル位に落とし、これもユックリ走るバスの後を走った。この嵐は Penrith で A66 に乗り換えるまで続いたから、Keswick には予定より大分遅れて着いた。
Keswick での宿もインターネットで予約しておいたのだが、詳細な地図を持っていなかったから、場所を探すのが大仕事。インフォメーション・センター(観光案内所)で簡単なタウン・マップを手に入れたものの、Main Street が行き止まりだったりするものだから、大汗をかいてしまった。宿の名前は ACORN HOUSE HOTEL。名前にホテルと付いているものの、実質、B&B。朝飯つきで一人£28と、エジンバラの宿よりも安い。(クリック:何の変哲もないゲスト・ハウスだが主人夫妻の気配りは最高)
ここも、部屋に電話線がない。宿の主人は「このあたりの宿でそんな設備を整えているところはないと思うよ」と。この分だと、コッツウォルズも怪しい。ロンドンでインターネットが使えるかどうか。子供たちを心配させるといけないから、観光案内所前の公衆電話から家へ電話した。啓子が出た。哲生はまだ帰っておらず。事情を説明。
Keswick は Derwert Water という湖のほとりにある町。「せっかく湖水地方に来たのだから」と、まずは遊覧船に乗った。朝、あれだけ晴れていたのに、10時の出航に合わせるかのように雨が降り出した。それに、大きな船ではないから、飛沫もかかる。僕はオープンデッキに頑張ったが、隆子は屋根つき、窓付きの船室へ後退。
途中、船着場が六つある。ところどころで乗客の何人かが下船する。トレッキングを楽しむことのようだ。船は一時間おきに巡ってくるから、そのどれかを捕まえれば Keswick まで帰って来られる。道理で、乗船切符は Keswick で下船する折、回収された。乗り込むときにはチェックもされなかったが、捨ててしまわずにいてよかった。
昨日、宿に着いたとき、宿のマダムにコイン・ランドリーのありかを聞いていたので、今回の旅行で最初の洗濯をした。洗濯機の使用料、£1.50、洗濯石鹸、20ペンス、乾燥機、同じく20ペンス(ただし、一回では乾かない。隆子は三回繰り返した)。公衆トイレも、有料のところは20ペンスの場合が多いし、アイスクリーム・コーンが£1.20、駐車場も£1.20だのと、20ペンス硬貨が貴重である。
このところ、どうも食べ過ぎのキライがある。いっそのこと、ヒルメシは果物ぐらいで済ませ、ハイ・ティーで、夕食は抜いてしまおうか、ということになった。今日から早速始める予定だったが、5時ころ目をつけていた店に入ったら、ハイ・ティーは終わってしまっていた。もうちょっと早く行く必要がある。仕方ないので、今日は Fish & Chips。
天気予報はあまり思わしくないが、Windermere まで行ってみよう、と決まった。宿を出たのは9時半。幸い、まだ降ってはいない。青空すら見える。Keswick の街中は幾分チマチマしているが、街を抜けると景色が一変する。なだらかな丘は一面牧草に覆われ、羊、牛、馬が悠々と草を食んでいる。写真や絵画で見るイギリスの風景が、いま、目の前に拡がっている。Windermere までは A591 で一本道。快適なドライブが楽しめた。
Windermere に入った.“i”マークの案内に従って行ったのに観光案内所に行き着かない。駐車場に車を停めてから街角で親切そうなおばあさんに尋ねたら、随分通り過ごしていることが分かった。徒歩で5分も戻ったら、あった。案内所の看板が、歩いていても見逃しそうな大きさしかない。パーキング場すらもない。これでは初めて車で来る人には見つけられっこない。
隆子は Bowness の方に興味。ガイドブックに“歩ける距離”とあったので、歩いてみた。片道20分強の距離だった。
Bowness では 「World of Beatrix Potter Exibition」(ピーター・ラビットの見世物小屋?)に入ってみた。入場料は一人£5.70。動物の人形などは、なかなか良く出来ていて、おさなご達が夢を膨らませるには格好の場所。(クリック:良く出来ているでしょう?)出口にカメラがしつらえてあって、ピーター・ラビットの人形を背景に自分で写真を撮ることが出来る。僕らもやってみた。出来上がった写真を見てみると、僕は帽子を冠ったままだったので、顔半分が真っ黒。写真代は£4.50。
結局、“しぐれ”には何度か見舞われたが、こんなものは日常茶飯事、雨のうちには入らない。
Keswick へ戻り、さて晩飯はどこへ行こうか、と切り出したら、隆子が「このところ、米粒を食べていない」と言い出した。宿の女主人からイエロー・ページを借り出して探したが、日本食どころか、チャイニーズすらもない。諦めて「イタリアンでリゾットでも」と街なかを歩いていたら、なんと、チャイニーズ・レストランがチャンとあるではないか。寶山(Golden Hill)酒楼。
コース料理を注文したが、これが美味で、つい、食べ過ぎてしまった。この店にはもう一度来ることになりそうな予感。
朝起きると、雨。そのうち上がるだろうと歩き出したが、止む気配が無い。遂に『朝歩き』を諦めた。このところ、朝食前に3〜4千歩あるくようにしていたのだが・・・それに、昨夜、チャイニーズを食べ過ぎたので、朝食はスクランブルド・エッグだけに止めた。
町の近くに“ストーン・サークル”がある。行ってみた。片道、2マイル足らず。地図にはパーキング場のマークがあるが、行ってみると、道端に一車線ほどの空き地があるだけ。パーキング・メーターも無い。見ると、柵の向こうに牧場が拡がり、その頂上辺りに巨石が並んでいる。見物人らしき人影もチラホラ見える。柵の入口を自分で開けて入り込んだ。
サークルは直径4〜50メートル。太古のままの姿で佇んでいる。誰が何のためにしつらえたのか?ここで、何が行なわれていたのか?そして、後代の人たちは何故手を加えなかったのだろうか?(クリック:静寂のストーン・サークル)
牧場の入口には National Trust の金属板が建っていたから、メンテナンスは National Trust が負っているようだ。木は一本も生えておらず、牧草が生い茂っている。恐らく、羊が飼われているのだろう。黒ずんだ、濃緑色の糞が辺り一面に散らばっている。誰が所有する羊なのだろうか?
午後には“ペンシル博物館”にも行ってみた。『鉛筆』はここで生まれた。パステル鉛筆を使って写生する模様を写したビデオを見て、隆子は24色の鉛筆セットを購入。さて、何枚作品が生まれることやら。
隆子が「朝食に“ビーンズ・オン・トースト”を頼んでみる」というので、僕もトライしてみた。豆は市販の缶詰なのだろうが、なかなかイケる。“ヘルシー”な気持ちになる。日本へ帰ってからも試してみよう。ビーンズはスーパーなどで売っているようだ。
午後、ダーウェント湖(Darwentwater)の遊覧船に乗って、対岸まで行った所で一時下船、そこから湖岸を歩き始めた。ガイドブックの出来があまり良くないようで、途中、二度ばかり迷ったが、無事踏破。3マイル強、約5キロの遊歩道。(クリック:このような一本道だと迷う心配はないのだが・・分かれ道に道標がない)道程の中ほどに、ナショナル・トラスト100周年(2002年)を記念する大きな木彫があった。船を下りた二つ先の船着場から、次に巡ってきた船に乗り込んで、元の船着場に戻った。
今でこそ湖水地方でのアウトドア・スポーツの拠点だが、かつて、Keswick は炭鉱と製鉄をなりわいとする、粉塵に満ちて薄汚れた町だったそうだ。湖水も茶色に淀んでいた由。その破壊された環境がここまで蘇ったのは、ナショナル・トラストを中心とする人々の善意と、一世紀に及ぶ弛まぬ努力による。イギリス国民はたいしたものだ、と感心する。
夜は、この前たまたまチャイニーズのレストランが見つかったので行きそびれてしまったイタリアン・レストランに行った。隆子は初志貫徹してリゾット、僕はスパゲッティ・カルボナーラをスターター(半皿)にして、なにやら分からぬ(実のところ、ワインのせいか、忘れてしまった)仔牛料理。
土曜日の夜(=日曜日の朝)は“フル・ハウス”だったが、半分ほどの客は昨日帰った模様で、今朝の食堂は4組だけ。珍しく、快晴。バターミア(Buttermere)行きが楽しみ。
Windermere のツーリスト・インフォーメーションで£1.30 で手に入れた“遊歩道マップ”によると、B5289 は“少々険しくて危険”とあるのでシリ込みし、他のルートを取ろうと思っていた。ところが、宿の女主人が「大丈夫」とウケ合ってくれたので、気が変わり、行ってみた。
確かに、道幅も狭く、険しいところがある。しかし、対向車(後ろから来る車も)が滅法少ないので、なんと言うことはない。絶景が続く。平地の道では見ることが出来まい。隆子が何度も嘆声を上げた。
バターミア湖は静かな湖だった。水は綺麗だし、景色も抜群、観光地特有の喧騒はまるで無い。湖面にはボートの影すら見当たらない。バターミアの集落は全部で10軒もあるだろうか。ホテルが2軒、カフェが1軒、静かに営業している。
車を駐車場に停めて歩き出した。(クリック:湖の全景は撮り損ねた。とにかく綺麗)湖の周囲は約4マイル、遊歩道(foot path)がある。ところどころは個人所有の牧場があり、その中を抜けて行かねばならない。手が届きそうなところで羊が草を食んでいたりする。
帰りは、これも宿の女主人の勧めで、他の道を辿った。バターミアからはそのまま B5289 を進み、Crummock Water の湖畔を走る。High Lorton から B5292(この道も峠越えだったが B5289 とは全く異なる景色)、Braithwaite でA66に乗り Keswick へ。バターミアまでは13マイル。全行程、32マイル。万歩計の数字は、『朝歩き』の約1万歩を含め、29,960歩。
いよいよ、Keswick も最後の日となった。先日 Windermere へ行った時、Ambleside は通り過ぎて行ったので、ここと、その隣の Grassmere へ、一日費やすことにした。
Grassmere はワーズワースが生まれ育ったところ。駐車場から墓地を訪れ(クリック:墓は教会の裏手にある。両端の墓石は何とか読めるのだが)、墓地を出てすぐのところにある小さなパン屋(お菓子屋?)に立ち寄った。ワーズワースはこの店のジンジャー・ブレッドがお気に入りだったとのこと。観光客がひっきりなしに店を訪れ、ジンジャー・ブレッドを買っている。何しろ小さな店で、4〜5人で満杯。対応する女店員も一人だけ、という前時代的な商売。また、それが評判を呼んでいるのかも知れない。(クリック:啓子へのオミヤゲにジンジャー・ブレッドを買った)
ワーズワースが住んだコテジと、その裏側に建つ博物館は、A591 の反対側にあった。極めて質素なものだ。広さは日本の普通の家と変わらない。もっとも、晩年は隣村、Rydal に住んだそうで、こっちはもっと大きな家だったようだ。訪問せず。
Ambleside に行った理由の一つは、宮倉さんから「Church Street にある The Priest というレストランのパンが素晴らしくオイシイ。レシピを貰ってきたくらいです。Ambleside へ行ったら、是非試してみてください」というメッセージを貰っていたので、パンには目の無い隆子が大いに期待していたから。店はすぐ見つかったが、入口に『火曜日は休業』という札がブラ下がっており、残念無念。
Ambleside は Windermere に比べれば“垢抜けている”感じがしたが、やはり、“観光地”のクサミが強く、イマイチ。往復で34マイルの小旅行。
Keswick へは4時前に帰ってきた。明日はコッツウォルズの Broadway まで行かねばならない。地図を綿密に調べ、ドライブ計画を立てた。全行程200マイル強。東京―名古屋間くらいか。
おおかたのパッキングを終え、夕食は中華。例の“寶山酒楼”へ行った。焼きそばと鴨肉の野菜炒め、それに白いゴハン。勿論、生ビール(ラガー)を1パイント。
『朝歩き』は湖岸の見晴台まで行った。Keswick へ来て、最初の散歩で行ったところだ。最後の散歩もここになった。朝の湖は静かで、親鴨が二羽、間に小鴨を6羽挟んで、悠々と泳いでいた。
9時過ぎにチェックアウト。ACORN House Hotel (hotel とは名ばかりで、実態はB&Bだが)の経営者は気さくでいい人たちだった。隣の建物が同じような造りで“self catering”という看板が出ていたので「そちらもやっているのですか」と訊ねたら、「前のオーナーが引き続いてやっています」とのこと。彼ら夫婦は、もともとロンドンに住んでいたのだが、16年前に Keswick に移り住み、18ヶ月前にこの“ホテル部分” だけ買った、とのこと。道理で、あまり商売じみていないワケだ。
「午後、イギリス南部に嵐(Gale)」という天気予報と、今晩から泊まる予定のコッツウォルズのB&B(The Crown & Trumpet Inn)からは、予約した段階で「午後3時〜5時は閉めているので、チェックインはその時間帯を外してくれ」という注意を貰っていたので、何とか3時までには着きたかった。A66 から M6 に乗り一気に Worceter まで南下した。Broadway の町に着いてから宿を見つけるのに若干途惑ったが、無事、3時前にチェックイン。
ここでの宿は17世紀に建てられた石造りの2階建て。階下はパブになっていて、2階に部屋が5つほどある。イギリスの田舎にはそういう宿泊施設がある、とは聞いていたが。運良く、それに当たった。(クリック:B&Bの入口で。説明がきに17世紀建造云々との文字が見える)部屋の床は少し傾いでいるのではと思えるが、カーペットが敷き詰められており、快適。家具もかなりの時代物。隆子が「欲しいな」と言う。
夜は階下のパブで。表は雨。こういう時には、普通のB&Bでなくて助かる。
朝方残っていた雨も、朝食を済ませた頃あがった。早速、町の“大通り”を散歩。結構気の利いた店が並んでおり、隆子は満足の態。湖水地方と違って、ここではライム・ストーンの街並み。これはこれで美しい。(クリック:これは馬車だが、乗馬姿も良く見かけた。馬が街並みに良く似合う)ワラ葺き屋根の建物もチラホラ見られる。(クリック:B&Bから100M程のところで見かけた)
なにしおう“The Cotswolds Way”は、ここ Broadway も通り抜けている。午後、少し歩いてみた。“コッツ”とは“羊”のことだそうで、この道も“Public Foot-path”とは言いながら、羊が飼われている牧場の真ん中を横切ったりする。大いに趣があるのだが、隆子には羊の糞が気に障る模様。懸命に避けて歩くので、どうしても遅れがちになる。「とても景色どころではない」と心から楽しめていない様子。
夜はこの旅籠のB&Bでコンサートが催されたので行ってみた。9時から11時まで、とのことだったが早めに始まっていたようで、降りていったときにはほぼ満員。カウンターで赤ワインを買うのがなかなか面倒な有様。一番前の席が空いていたのでそのテーブルを占める。
“ブルース”というふれこみだったが、“カントリー”に近い。ギターとバンドネオン。ギターを弾くのは、白髪・髭もじゃ(髭も白い)の40台後半か50台前半の男。中肉・中背、若干神経質そう。バンドネオンは頭がきれいに禿げ上がった、僕より少し若いか、という男。石河君そっくり。見れば見るほど、目つき、鼻筋が似ており、親近感が沸いてきた。
朝起きると、まあまあの天気。今日は歩こう、と宿をあとにした。宿の前の道をドンドン南下して、Snowshill を目指した。ここには National Trust が管理している Manor がある。45 分ほどで着いた。残念なことに現在改修中で、中は見ることが出来なかった。ビデオを写している部屋があったので Manor の様子は大体分かった。元の持ち主(Charles P. Wade)は相当の蒐集マニアであったらしく、22,000点にも及ぶ骨董品を集めたようだ。Manor の各部屋は骨董品で埋め尽くされ、自分は付属の小屋に住んでいた、とのことだ。
Snowshill 自体は、小さいが魅力的な村だった。ここから foot-path を使って、隣村の Stanton へ向かった。Foot-path には所々道標があるが、完全とはいえない。何度も疑心暗鬼になりながらも、なんとか辿り着いた。途中、Stanton 方面から歩いてくる来る夫婦に出会って、この道が間違いないことを確かめたのだが、このくらいホッとしたことはなかった。
Stanton は静かで綺麗な村。村で一番高く見晴らしのよいところにパブがあって(The Mount Inn)ここでヒルメシ。サンドイッチとギネス。(クリック:一気飲みしたわけではありません)
Stanton からも foot-path を使った。(クリック:Foot-passの柵を乗り越える隆子)というより、それしか方法が無い。地図と道標を頼りに行くと、教会の門があった。恐る恐る入って行くと、品のいい中年女性が花束を抱えて出口に向かってきた。「この道は public path なのでしょうか?」と訊ねると「えぇ、そうですよ。教会の中を通って裏口に出てもいいし、迂回して、墓地に沿って行かれてもいいです」と返事が返ってきた。教会堂を通り過ぎる『公道』があるなんて!
道を間違え、予定していたルートとは異なったが、無事 Broadway に着いた。万歩計を見ると、33,062。
昨日の行軍に、隆子はさすがに“参った”ようだ。「今日は車で動こう」という。Stratford upon-Avon へ行った。
観光地だ。団体旅行のバスが何台も来る。まず、シェイクスピアの生家を訪ねたが、僕らでも“まず行く”所だから、入口には長蛇の列。(クリック:シェイクスピアの生家の前で)出直すことにして、街中をそぞろ歩いた。外観をチューダー調にしつらえた店がギッシリ。デイニッシュとコーヒーで軽い昼食を済ませ、Avon 川の“舟遊び”と洒落込んだ。Christchurch (New Zealand) には5週間もいたのに、あそこの Avon 川では、遂に“パンティング”をしなかったことなどを想い出しながら。
船から降りる頃、空の雲が急に厚みを増し、雨が降り出した。急いでシェイクスピアの生家に辿り着いてみると、団体旅行客は、おおかた、去っていた。しかし、残念なことに、それほどの感銘は受けなかった。むしろ、Trinity Church で見たお墓に、白い百合の花が捧げられていたのが印象深かった。
早め(4時ごろ)に帰途に着いた。ところが、最後のラウンド・アバウトで出口を間違えて、来た道とは違った道を走るハメになった。助手席で地図をチェックしていた隆子はしきりに謝るが、なーに、ガソリンはタップリ残っている。二度ほど途中停車して居所を確かめながら帰る道筋を確かめねばならなかったが、お陰で、素晴らしい、これこそ『コッツウォルド』という景色に何度も巡り合った。
“コッツウォルドでは迷ったほうが意外な景色に巡り合う”とガイドブックにあったが、その通り。
“観光にはこだわりたくない”とは言うものの、多少は名の通った村や町にも行ってみたい。今日は、ガイドブックに出ている『よさそうな村・町』を巡った。
まず、A44 を Oxford 方面に辿り、途中 A424 に替り Stow-on-the-Wold を抜け、Burford へ行った。何でも、ガイドブックに“オミヤゲを調達するにはいい町”と紹介されていたので、隆子は「ここは外せない」と考えた模様だ。町は小高い丘から西に向かって展開している。眺めも悪くない。ツーリスト・インフォメーション・オフィスを訪ねたが、日曜日は休み。商店の大半は開店していたが、隆子の気に入るものはなかったようだ。
Burford からは B4452 で Bibury へ。映画の舞台にもなったという『英国一美しい村』との触れ込み。(クリック:古い家並み。さすがに、このあたりは『外部の車進入禁止』だった)行ってみると、駐車場は満杯で、仕方なく、村の中心からは大分離れた道路脇に車を停め、徒歩で村へ戻った。
確かに、素朴で綺麗だ。村の中を流れている川には鱒の泳ぐ姿が見られる。大皿からもハミ出そうな大きなヤツが何匹もいる。観光バスがひっきりなしにやってくる。2時間足らずの滞在中に、日本人の団体が3組も来た。車もひっきりなしに通るし、落ち着きがなくなっている。ここで、お昼代わりにフルーツ・ケーキとミルク・ティー。
地図には、Bibury からは北に上がる道がいくつか載っているが、迷うのもイヤだから、B4425 を Cirencester の手前まで下り、Uターンする格好で A429 を北上した。途中の Bourton-on-the-Water が次の目的地。ここも十分観光地化しているが、川幅の広い浅い川の両側に展開しているので、窮屈さは感じられない。町のミニチュア(模型)を展示しているところがあったので入ってみたが、模型の家も本格的な『石造り』で感心。(クリック:良く出来た模型の町。教会からは賛美歌の音も)
本来はこのあと Stow-on-the-Wold に立ち寄る予定だったが、疲れてしまったので早めに帰った。本日の走行距離、68マイル。泊まっている旅籠では、日曜日にはロースト・ビーフが格安で供されるのだが、注文すると一人分しか残っていなかった。隆子は「ヨークシャー・プディングを食べたことがない」と言うので、譲る。
はじめの予定では、Chipping Campden までは歩くつもりだった。しかし、羊のウンコまみれの foot-path には隆子が降参しているし、この町の近くには名の通った庭園が二つもある。それを見るとなると、とても徒歩ではムリ。
まず、先日 Stratford-upon-Avon へ行ったときの道を辿り Mickleton の手前の Hidcote Manor Garden へ。ここはナショナル・トラストが管理している。庭園はいくつもの庭に分けられていて、それぞれが個性的な顔を持っている。芝生だけの庭もあったが、見事なものだ。藁葺きの小屋もある。(クリック:まだバラが残っている庭で)
Kiftsgate Court Gardens は道路の反対側にある。と言っても、両者の距離は相当ある。最初は徒歩で行ったのだが開門は12時ということなので、いったん引き返し、車で行った。あまり商売気がないようで、6〜7月の開園は月、水、金、土、日、時間は12〜6時。個人の持ち物のようだが、広大。昨年(2003)は“Garden of the Year”に選ばれた。丘の“デッパリ”に設えられているので、眺望も素晴らしい。入園料はこちらのほうが安いのに、人影はまばら。
昼食は Chipping Campden に着いてから取った。道端の“よさそうな”店だったが、味は余り感心できず。ここは、いかにも古い町だ。町の中ほどには、昔市場に使われた建物が残っているが、床の石畳は大きくスリ減っている。宮倉さんから頂いた情報をもとに、町外れまで歩いて、藁葺きの家を数軒見た。手入れも行き届いており、まるで、オトギ話に出てくるような家。(クリック:町のこの一角は眺めていて飽きが来なかった)隆子はサラダ・サーバーを手に入れ、ゴキゲン。
いよいよコッツウォルズも今日が最後。折角の好天だから、一昨日行き損ねた Stow-on-the-Wold へ行った。落ち着いた、古い町だ。街の真ん中に広場があって、それを取り巻くように建物が連なっている。骨董店が多い。イギリス最古のホテルがあったりする。
広場はそのまま駐車場になっており、2時間までは無料。10時半に着いたから、12時半までいてサヨウナラ。
帰途、A44 で Broadway 間近まで来て左折、Broadway Tower に立ち寄ってみた。(クリック:孤高の塔である)本来ならウォーキングで訪問する予定だった。塔は丘の真上に立っており、螺旋階段を4階登る。
そこからの見晴らしは抜群。最上階で日本人の若夫婦に会った。昨夜は Bibury で泊まったと言うので「あんな所にもB&Bがあるのですか?」と訊ねたら「Manor House」との返事。若いのに豪勢なものだ。
Broadway に戻り、隆子が「是非」と言っていたホテル(Lygon Arms)でアフターヌーン・ティーをトライしたが、「3時半から」ということでお茶だけに。隆子はスコーン、僕はスモーク・サーモン・サンドイッチ。ここで名古屋からお見えになったという祖父江さんという方にお会いした。奥様だけの一人旅。よほどの旅好きと見える。
明日は Oxford 経由で London へ。オックスフォードはともかく、ロンドンを運転するのは勇気がいる。相当緊張。いくつかの地図をとっかえ引き換え、ホテルまでのルートを決める。問題は「このルートを間違いなく行けるかどうか」である。
昨日出会った祖父江さんは Oxford に三ヶ月、短期留学されたとかで、大の Oxford 贔屓。是非行きなさいと勧められた。昨晩の夕食と今朝の朝食を隣り合わせた New Zealand からのご夫婦は Broadway に来る前、Oxford に二日間滞在したが、素晴らしい町だったと、これまた、強く勧める。当初、London へ行くついでに1,2時間立ち寄ってみようかと言う計画はここで廃棄、ロンドンへ行ってから、丸一日費やして Oxford へ行く、と決めた。
ロンドン行きは本当に心配。New Zealand からのご夫妻は、僕らがロンドンまで運転して行くと聞いて“You are brave”からかう。実際、Oxford に立ち寄る、なんて精神的余裕はゼロに近い。出直すほうが、まだ、ましである。
綿密にルートを設定したはずなのに、やっぱり、迷ってしまった。A40 から M40 までは順調だったのだが、続いて M41 が出てくるはずなのに、このサインが一向に出てこない。まぁそのうちに、と思っているまもなく、どうも様子が怪しい。明らかに、ロンドンのド真ん中に来ている。さぁ、大変、隆子が必死に地図を見ながら“ルート・ファインディング”。結局、トラファルガー・スクエアやらパル・マルからバッキンガム宮殿など、ロンドンの観光名所を巡ることになって、やっとこさ、宿がある街角に来たときの嬉しさと言ったらない。ともかく、無事に着いた。ラッシュ・アワーが始まる前に着いたのは、僥倖というほかなかった。ロンドンの宿泊先は Windermere Hotel。朝食つきで£129.00(二人分)。住所は 142/144 Warwick Way, Victoria。Victoria 駅のすぐ近くである。
車を返すのが、また一仕事。Avis の Mayfair オフィスは分かりにくいところにある。宿のある Victoria 駅近くからは交通量の多い道を行くしかない。昨日午後、隆子を伴って“予定ルート”を少しばかり歩いてチェックしたが、Wellington Arch のラウンド・アバウトなど、とてもじゃないがコナせそうにない。もっとも、ラッシュ・アワーだったから、車の量も普通じゃなかったのだろうが・・・そこから、歩いて宿に帰ったのだが迷ってしまい、大回りしてしまった。歩いてすら難しい道を、どうやって車で行くか?
10時半ごろ宿を出て、決死の思いで車を返しに行った。ビックリするほどウマくいった。拍子抜けするほど。
借りた期間は18日と2時間。実際のコストは£642.20 という計算だが、エジンバラで借りてロンドンで乗り捨てる料金(one way fee)が£40.00、ガソリンを満タンにせずに返す費用が£34.76、『オートマ』にした割り増しが18日間で£170.05、これにVAT(付加価値税)が17.5%で£155.23、保険料の£57.00を加えると、合計£1099.24となった。高くついたが、楽しませてもらったのだから・・・
車を返すと、急に体が軽くなった。もう、何があっても怖くない、という感じ。Oxford Street から Hyde Parkへ歩いていった。Speaker’s Corner では誰も演説していなかったのが、ちょっと寂しかった。ブレア首相の危機というこの時期、話題には事欠かないだろうに・・・イギリスもセチがらくなった、ということか。
Hyde Park 散策の後は、隆子のお供で Bond Street などをウインドウ・ショッピング。途中、St. James Place で昔よく泊まった Duke’s Hotel を探した。Warburg に勤めていた頃勧められて宿泊、おおいに気に入って、以降、定宿にしたホテル。隆子とも一度泊まったことがある。訪ねてみたら工事中で、それらしい建物が見つからない。ガッカリ。気を取り直して通行中の紳士に尋ねたところ、裏通りを一本間違えていたのだ。あった。懐かしかったが、とても今の風体では中に入ってゆく勇気は生まれてこなかった。
夜はグリーン・パーク近くの『みやま』で。久しぶりの日本メシ。“久保田”がことのほかウマかった。
Oxford へ行った。最初、隆子は「汽車で行く」ことに拘ったが、Oxford 行きのバスが二階建ての豪華バスで、トイレもついていること、僕らが泊まっているホテルのすぐ近くから出ることを知ると、「じゃ、バスで」ということになった。料金はバスに乗るときに支払ったが、支払いの段になって、その安さにビックリ。大人は片道£9.00(往復£11.00・・往復だとえらく割安)だが、シニア料金はさらにその『半額』だった。二人で往復£11.00。子供や学生よりも安い。「シニアを二人」と言うと運転手は疑わしそうな顔をしたが、「パスポートをみるかい?」とポケットに手をやると、破顔一笑、首を横に振った。
地図で見ると Oxford はなかなか大きな町だが、大学のある中心部はこじんまりしている。そこに大勢の観光客が押しかけるものだから、落ち着きがなくなっている。これでは『学問の府』もたまらないだろう。殆どのカレッジが『外部者立ち入り禁止』としていることも十分うなずける。
キャンパスを見学できたのは Magdalen College と Christ Church College の二つ。共に、『入場料』£3/人。カレッジ維持費の足しにでもするのだろうか。(クリック:Christ Church Collegeの中庭)(クリック:同カレッジのHall.ここで学生はガウンを纏い食事をする)
Christ Church College の卒業生三名が New Zealand のクライストチャーチ市の基を築いたことを考えると、このカレッジの古さが偲ばれる。大ホールへ続く階段の石はかなりへこんでいた。カレッジの大聖堂の中では今夜開かれるコンサート(モーツアルト;レクイエム)のリハーサルが行なわれていて、隆子は興味津々。僕は、つい、カメラのフラッシュをたいてしまい、コワイおばさんに注意されてしまった。(クリック:柱の影からコッソリ撮ったのだが)
帰りのバスの窓越しに(一体、この前はどこで間違えてしまったのだろう?)と目を凝らしたが、やっぱり M41 という標識は無かった。バスは A40 から、とある側道に降りていった。初めてロンドンへ向かって運転する人には、とても出来ない相談。全くヒドイ、と思う。
「Baker Street に Sherlock Holmes の博物館があるよ」と言うと、隆子は是非行きたいというので、行った。Oxford Circus まで地下鉄で行き、そこから Baker Street 沿いに歩いていった。ロンドンの地下鉄は高い。初乗りが£2.00。
博物館は“人工”のものであるハズだが、良く出来ている。(クリック:ワトソン博士の机。他の階には様々な蝋人形も)
そのあと、近くの Regent Park を散策。(クリック:バラはシーズン・オフだったが・・)ヒルメシ時になったので、昔行ったことがある『飛鳥』という日本料理店へ行ったが、“なんぶ”という名前に衣替え。道端には立て看板が出ているのに訪れてみると休み。これでは・・・
そこから少し歩くと Dorset Square がある。その公園に面して Dorset Square Hotel がある。Paribas 時代には、すぐ近くにオフィスがあったため、ここが定宿だった。プチ・ホテルだが、ここも居心地のよいホテルだった。健在。Paribas のオフィスも訪ねてみたが、ここも昔のままだった。
Marks & Spencer で啓子のオミヤゲなどを買って、隆子が“歩こう”というものだから、歩いて宿に帰った。Baker Street を歩き、Regent Park を一周、そして Victoria Station 近くまで歩く人がいるだろうか?これで、この三日間、毎日三万歩以上。
夜は宮倉さんがくれた情報に従って、Victoria 駅近くのイタリアン・レストランへ。Very good!
身支度を整えて、地下鉄の Victoria Station へ向かい、そこから 地下鉄の Victoria Line で Oxford Circus、そこで Central Line に乗り換えて Liverpool Street Station、ここからは Ipwich 方面に向かう電車で Chelmsford へ。宮倉さんと、彼女の旦那さん Nigel Dumbrill 氏と会う約束がある。今度の旅行に関しても、宮倉さんからたくさん情報を頂いた。旦那さんには初対面だが、旦那さんも好きだと言う『柿山』のオセンベイを手土産に。
余裕を見てホテルを出たので、Liverpool Street 駅には早く着きすぎた。宮倉さんに伝えてある列車より一つ早い列車に乗った。約40分の旅。ロンドンの郊外を過ぎて畑や牧場が拡がってくると、隆子は「まるでコッツウォルズ」と言う。
ダンブリルご夫妻が駅まで迎えに来てくれ、2年前に買った、という家まで案内してくれた。静かで、住み心地がよさそうだ。“ペンキ塗りも自分達で”とのことで、内部の改装もいまだ進行中。家具も、時間をかけて気に入ったものだけを買い揃えるなど、なかなか楽しそうだった。
ヒルメシは近くのレストランで。(クリック:ウェイターがシャッターを押してくれた)“腹ごなし”に植物園に連れて行ってもらうなど、(クリック:田舎の庭造りの参考になった)随分世話になった。「昨日、二週間のオーストリア旅行から帰ってきたところ」なのに、迷惑をかけてしまった。
ロンドンでの滞在も今日と明日でオシマイ。「Harrods にはゼッタイ行く」という隆子の意向を尊重して、スローン・ストリート経由で歩いていった。豪勢な商店が並ぶ。ズック靴にTシャツ、オマケに背中にはリュックといういでたちでは、ちょっと入りにくい。勿論、何かを買うつもりはハナからない。
Harrods も劣らず豪華な設え。早速トイレを使わせてもらったが、三越本店よりも立派だった。隆子は友達へのオミヤゲとやらをいろいろ物色。なに、たいしたものは買わなかったようだが。食品売り場では、つい、キャビアに手が出そうになったが、アキラメ。かわりに、コッペパン様のパンにスモーク・サーモンを挟んだサンドイッチを二つ買い、Hyde Park まで歩いてヒルメシに。
Harrods では Royal Worcester の人形を一つ買った。バーゲン・セールだったこともあるが、日本までの送料が保険つきで£22.00と安かったことも理由。総計£140弱。まぁ、今回の旅行の記念と思えば・・・
Hyde Park で、何やら太鼓とラッパの音がするので行ってみたら、正装した騎馬隊(楽隊も入れると5〜60名)が芝生の上で高度な馬術を披露していた。見ると、黒いスーツに身を固めた人が敬礼を受けている。“アール何とか”と言っていたから、名のある貴族だったのだろう。つい、終わるまで見入ってしまった。
Knightsbridge から Kensington Road、そこから Exhibition Road 脇にある博物館を二つ見たが、なんだか疲れてしまって、見学に身が入らない。Sloane Square 経由でホテルに戻った。その途中、この前行ったイタリア料理店で夕食の席を予約。今回はメインを少なくして、デザートを取るつもり。
昨夜のデザートはティラミスを取った。隆子ですら「甘すぎる」という代物。本場の味なのだろうが、糖尿病にはマズかったかな?
ロンドンもいよいよ最後、有名スポットも廻ってみようと歩き出した。ヴィクトリア駅の東側に Victoria Street がある。それをズンズン進めば Westminster 寺院に行き着く。隆子はこの前ロンドンに来たとき(それがこれまででは最初で唯一のロンドンだった。僕がバークレイズ信託の面接を受けたとき、同伴。)僕が面接を受けている間、このあたりを一人で動き回った由で、結構よく覚えている。トイレのあり場所まで記憶していたのはオドロキ。
Westminster 寺院に接して国会議事堂がある。ビッグ・ベンも久しぶりに見た。ここからテムズ川沿いに出て、Victoria Embankment を東に進む。昔、飯島君に連れて行ってもらった“船のレストラン”はどれだったか? 左手の並木の向こうに Howard Hotel が見える。ここに泊まったのは野村證券時代だった。いいホテルだったが、今見ると、壁が水垢で汚れている。最近は落ちぶれたのだろうか?
セントポール寺院にも立ち寄った。改修中。また Thames Pass にとって返し、東に進む。このあたりにバークレイズ投資顧問があった。どのビルだったか、記憶が定かでないのが残念。目的の Tower of London (クリック)に着いたとき万歩計を覗いてみたら、12,000歩だった。
ここからは地下鉄で帰る予定だったが、隆子が「ホテルに帰ってもすることがない」というので、韓国料理店でビビンバを食した後、再び、歩き出した。Cannon Street から Fleet Street を辿ったが、ロイターの本社に出くわした。野村證券時代、データ蒐集目的で訪問したことがある。『Post Office』という道標があったので、もしや野村が買ったビルかも、と行ってみたが、なんと、本物の郵便局だった。野村のビルは、その昔、今は亡くなってしまった寺田宗利君が案内してくれたことがあるが、番地を覚えていないので、ついに見つけることが出来なかった。
間もなく、Trafalgar Square。(クリック)ロンドンに着いたとき、ここをほぼ一周した。一番交通量が少なさそうな道に、ヤミクモに入っていったら、それが The Mall だったことが、今では懐かしくすらある。
St. James’s Park を隆子は「一番綺麗な公園」という。確かに。The Queen’s Gallery で“お宝”を拝見してホテルに戻った。全行程、26,000歩。
今晩はロースト・ビーフでも食うか。
ユックリ起き、ユックリ朝飯を食べて帰り支度。パッキングが予想外に手間取り、終わったらもう11時近く。早速チェック・アウトしてタクシーを呼んでもらう。
帰りの BA は『ターミナル1』だと思っていたが、タクシー・ドライバーは「BA の国際線はターミナル4」だと主張する。わざわざ事務所に電話して確かめたが、やっぱり、ターミナル4だと。
ところが、彼が間違っていた。チップまで、はずんでやったのに。重いトランクを下げたまま、しばし、呆然。呆然としていても始まらないから、電車の駅まで行き、ターミナル1駅まで逆戻り。電車は、結構、“のりで”があった。
最後にハプニングがあったが、無事、帰国。東京駅まで戻り、地下街でラーメンをすすって日本を実感。
やっぱり、英国の田舎はよかった。堪能した。割安のB&Bに宿泊する旅だったが、不足はなかった。また、行ってみたいと思う。今度は、ウエールズとか、アイルランドとか。なんと言っても、英語圏の旅は気がらくだ。気持ちに余裕が持てる。
しかし、英国の観光地で耳に入るのは、外国語のほうが多かったような気がする。シェイクスピアのお墓の前でも、聞こえてくるのは非英語圏言語ばかりだった。英国を味わうには、田舎へ行くしかないのかも知れない。その点、僕らの選択は正しかったのだろう。
かかった費用は、往復の航空運賃を含めて、総額約£7,500 (為替レートを£=\200 とすると、150万円)だった。“約”としたのは、旅の後半に使った費用に若干アヤフヤなところがあるためである。内訳は
宿泊料 2621
食費 28
外食費 1235
交通費 2854
医療費 13
通信費 39
衣服費 14
観光費 207
お土産 291
雑費 35
であった。
全てB&Bに泊まったので、自炊はしなかった。したがって、食費は殆ど計上していない。せいぜい昼食用に買ったサンドイッチとか果物などである。その代わり、外食費がかさんだ。一日平均に直すと、二人で約9000円。まぁ、こんなものだろう。交通費が高額になったのはレンタカーしたため。その直接費用は£1,099 だったが、そのほかに、ガソリン代、パーキング料金、地図などがある。往復の航空運賃も約30万円(£1,500)。インターネットが使えなかったので、通信費は小額で済んだ。医療費もビタミン剤が主。(了)