
今月は、記念すべき第一回目として、何を出そうかと思案したところ、やはり、第一回目にふさわしいものを選びました。御存知でない方は、おそらく、“地獄”とは縁起の悪い、と思われるかもしれませんが、地獄八景は上方落語の中でも、屈指の大ネタで(“屈指の大ネタ”というフレーズも、通の方なら御存知かとも思いますが_)、サゲまで演じきると約1時間、どうかすると1時間をゆうに越してしまうという長さだからであります。それにふさわしく、名前も芝居の外題のように縁起のよい7文字が使われています。
このネタは、桂米朝氏の十八番といわれておりますが、それは米朝氏が、断片的に残っていたり、古くからあったこのネタを再編して、体系づけたためであるといわれています。最近では、故・桂枝雀氏、月亭八方氏、故・桂吉朝氏などが独演会などで演じられたという話は聞いているのではありますが、先述のように、長いネタなので、上演頻度は高いものではありません。従って、残念ながら、私も米朝氏・文珍氏・吉朝氏・雀々氏のものしか聞いたことがありません。それゆえ、ぜひ他の地獄八景を聞いてみるのが夢なのであります。
内容は地獄を巡るというものですが、最初の主人公が鯖にあたって死んだ男であるのに、中程からはこの主人公がどこかにいってしまい、最後には人呑鬼に飲み込まれた4人が、あたかもこの話の主人公であったかのようになってしまいます。最初の主人公はどこにいったのでしょうか?考えられるものとしては、閻魔大王がこの4人以外を全員極楽へやったときに、一緒に極楽に行ったのだと思います。なぜ、ここを不思議に思うかというと、実は、このネタを聞いたのは落語が最初ではないからであります。私が幼稚園に通っているとき、先生に読んでもらった絵本の中に、これと全く同じ話の絵本がありました。最初から主人公は、先述の4人の中の綱渡りの太夫で、この人が綱から落ちて死ぬところから始まり、最後は地獄で手におえなくなった4人が追放され、また現世に戻されて、太夫が息を吹き返し、元の生活に戻るというものでした。米朝氏の話によると、西洋でも同様の話があるということですが、この絵本は、落語から作られたものだったと思います。まあ、落語の場合、はじめにこの太夫を主人公にすると、最後の部分がネタばらしになり、面白さが半減してしまうため、全く関係のない人を持ち込んだのかと思われますが、話としての流れを見ると、やはり太夫が主人公の方が、私はすっきりしていると思います。
サゲは、四人を飲み込んだ人呑鬼が、閻魔大王に向かって、“「こうなったら、もう、あんたを呑まなしょうがない」「わしを飲んでなんとする」「大王呑んで下してしまうのや」”というものです。閻魔大王の“大王”と、漢方薬で、下剤の“大黄(だいおう)”をかけているのですが、残念ながら、私は大黄を知らなかったので、最初はサゲの意味が分かりませんでした。我々若者には馴染みがないのですが、やはり、一世代ぐらい前の方は結構御存知でした。私の母親も知っていました。ということは、必然的に、将来、全くサゲが通じなくなる可能性も十分あると思います。将来のため、何か良いサゲはないのでしょうか?ちなみに、雀々氏は、もうあと二人、助さんと格さんを呑んで、肛門から出したいという、水戸黄門とのシャレでサゲておられます。
ところで、この話の面白いところは、やはり古典落語でありながら、随所に現代の話を持ち込めるところで、そこにこのネタの鷹揚さを感じます。三途の川の川岸の茶店の場面や、渡し賃の応対、六道の辻や念仏を買うところなど、現代の話を取り入れても、決して全体の流れを壊すものではありません。その他、興味深いのは、ハメモノ(話の途中の鳴り物)が多く入ることや、閻魔大王の顔まね、また軽業のしぐさなど、笑いの要素はたくさんあります。ちなみに、思い出しましたが、死んだ人の額につける三角の布が、“角帽子(すんぼうし)”という名前だというのは、この話ではじめて知りました。
とにかく、時間が長いだけに演ずる方もしんどいようで、特に、後半の軽業のあたりなどは、ずっと座ってしゃべっているのではなく、中腰になるところが多く、始終動いておられます。とりあえず、このネタを生で一度拝見したいですねえ。
<11.12.1 記>
<17.12.1 最終加筆>
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