
今年の初午は、2月12日でございまして、各地のお稲荷さんでも、大祭が行なわれます。分けても、京都は伏見稲荷が、お稲荷さんの総本宮でございまして、初午の日には、たくさんのお詣りがございます。この日に、お稲荷さんという神さんが、稲荷山に降りて来はったという言い伝えからなんですな。杉の小枝、“しるしの杉”を受けてまいりまして、お山巡りをされる方も、大勢おられます。また、京都では、ご家庭の風習といたしまして、初午には、畑菜の辛子和えに、赤飯の、もち米ではございません、普通のお米に小豆の、小豆のご飯を召し上がられるというのが、一般的なものとされております。というか、我が家でも、出て来まんねやけどね。節分もさることながら、二月には、重要な行事でございます。というような季節の話題から、今月は、その、お稲荷さんにちなみまして、『稲荷俥』をお届けいたしましょう。ちょっと、珍しい話ですがね。
主人公と申しますのは、人力俥の俥夫、俥屋はんでございます。夜が更けてまいりまして、もう、九時ごろにもなるかいなあというような、夜のお話。高津神社、高津さんの表で、客待ちをいたしておりますが、何と言いましても、昔のお話、まして、繁華な場所でもございませんので、さびし〜いこと、この上もない。『山吹』という、うどん屋の明かりが、ぽつ〜んと灯っております。お月さんが出てない、今にも雨が降り出そうかというような、曇り空てなこともありまして、余計に、寂しい。通りかかりましたのは、中折れ帽に金縁メガネ、着物の上から二重回しというような、いでたちの紳士。声を掛けまして、乗ることと相成ります。行き先は、東へさして、産湯(うぶゆ)まで。となりますというと、急に、俥屋はんの態度が変わる。昼間なら、何ともないねやが、夜は、かなんて。要するに、怖いて。そら、夜のことで、空模様も怪しいし、寂しい所には、行きとない。しかし、そやからこそ、お客さんのほうも、俥を頼んでる。実は、盗人が怖いわけやのうて、狐が怖いんですと。仲間うちでも、狐に騙されて、エライ目に遭うてる奴が、何人もいる。今は、信じるお方も、すけのおすけども、狐・狸てなもん、人を化かすと、昔から、よう言われたもん。お客さんのほうは、産湯に住んでるけれども、狐てなもん、友達や親類みたいなもんやと。そこで、お金で物を言わせて、応対をしようと。産湯楼というような、有名な料亭ぐらいまで、三十銭で。暇な晩でっさかいに、十五銭でも、ありがたいのに、その倍て。
覚悟を決めまして、このお客さんを乗せて、産湯まで。威勢のエエ、若いもんでも、狐を怖がるのかいなあと、話の一つもしながら、やってもらいます。俥屋はんの家というのは、高津の四番町、高津橋の北詰を東へ入った、大浦という米屋の前の路地。俥夫の梅吉という、正直もん間違いなしの人間でございます。おかみさんと、子たちがいるかいなあと思うと、まだ、子供のほうは、いてない。その代わりに、家賃を入れて、三人暮らしやて。俥引きでは、そら、しょうがないのんで、おかみさんは、シャツのボタン付けやとか、帽子のリボン付け、手内職をしてなはる。「亭主が、外の車を回し、嫁はんが、うちらの車を回す。夫婦は、車の両輪の如し。心棒が金じゃ。幸せがくるまで、頑張れ。」て、なかなか、粋な方でんなあ。亭主が俥屋はんだけに、うまいこと、“俥”と“来るま”をかけたある。なるほど、もっともと、感心する所でございます。“正直の頭に神宿る”でっさかいに、エエことも、あるやろうと、話も進んで、産湯の森が見えてまいります。
「もう一走りや。エライ怖がりやなあ、俥屋。わしが、今ここで、ギョロっと目をむいたら、お前、ビックリするか?」「脅かさんようにしとくれやす。」「そない怖がるな。わしゃ、人間やないのや。」へぇ、ホンマ?そら、エライこっちゃ。聞き捨てならんがな。あっさり言うたはるけれども、ほんなら、何もん?「産湯の稲荷のお使いの者。今日、土佐の石宮まで、使いに立っての帰り道。安心せぇ、わしが乗ってるからには、危ないことはない。」って、狐さんでんがな!そら、危ないことないわ、正味の狐を乗せてまんねやさかいに。何されるか分からん思いもございますので、震えながらも、約束の、産湯楼の角まで、乗せてやって来る。「かじ棒を降ろせ。お前、産湯の稲荷の使いのもんから、俥賃取るか?」て、そんなもん、怖〜ぅて、お金みたいなん、もらえますかいな。「どうぞ、ご勘弁のほどを。」「正直もんやなあ。近々、福を授けてやろう。楽しみにして、待ってぇ。わしが、今、俥から降りると、本体を現す。それを見たら、お前、目がつぶれるぞ。」て、これも、目つぶって、見んようにしてな、しょうがない。看板をかぶって、小そうになって、震えながらも、目をつぶってる。しばらくいたしまして、目を開けますというと、影も形もない。とりあえず、怖ぅて、怖ぅて、しょがないん。大急ぎで、我が家へと帰ってまいります。
待っておりますのは、さいぜん話しました、おかみさん。これこれこういうことでと、話しますというと、「狐が俥に乗ったりするかいな。乗り逃げやがな。人がエエのにも、ほどがあるで。俥は、わてが、片付けといたげるさかいに。」て、よう分かったはる。こんなん、イタズラの、タダ乗りでっしゃろ。てなこと、言うてられへん。事態は、次の展開へ。おかみさんが見ますというと、俥には、忘れもん。開けてみますと、十円札が十五枚、百五十円。「正一位稲荷大明神!授かった!」「警察へ届けんと。」「何を届けんねん?“近々、福を授けてやろう”と、言うてはったんやがな。お稲荷さんから、授かったもんや。」よう見てみますが、財布に入っているわけでも、書き付けが入っているわけでもない。そら、単なる落しもんやったら、むきだしでは、置いときまへんさかいにね。こら、授かったもんやと。その代わり、香水の香りがする、ハンカチで包んである。「文明開化の狐や、香水ぐらい、使わいでかい。」て、妙に納得しますわな。そうなりますというと、根が正直もんでやっさかいに、近所の方を集めましての、福のおすそ分け。一杯飲もうと。夜が更けておりますけれども、酒屋に魚屋へ、おかみさんを走らせまして、酒や肴の都合を付ける。長屋のもんを呼びまして、三味線弾ける娘はんも、来てもらう。家主さんに、燭台(しょくだい)や毛氈(もうせん)を借りる。皆が寄り集まりますというと、お稲荷さんの話もしながら、いよいよ一騒ぎ。下座からお囃子が入りますなあ。唄自体は、あんまり、よう知りませんねや。勉強不足で、スンマセン。
一方、お客のほうでございますが、こちらはもう、上機嫌。一杯機嫌か、イタズラか、乗り逃げで、ま、おもろいことをした後でございますけれども、気が付きますというと、お金が無い。大事な百五十円を、俥に忘れてしもた。落としたらいかんと思えばこそ、懐へ入れんと、ハンカチに包んで、手に持ってたん。これを、俥に置き忘れた。警察へ聞きに行ったらエエんでやすけれども、それでは、逆に、乗り逃げがバレて、捕まってしまう。うかつなことはでけませんけれども、幸い、俥屋はんの住所に名前も、聞いておりましたので、訪ねて行って、返してもらおうと。高津の四番町、大浦という、お米屋さんまでやってまいりまして、梅吉っつぁんの家を聞きますというと、にぎやかに三味線の聞こえている家やて。こら、百五十円でも、だいぶと減ったやろなあと思いながらも、問題の家へ。下座のお囃子も、家に近づくに連れて、だんだんと大きくなりまして、門口で案内を乞いますというと、梅吉っつぁんが出てまいります。「うわっ。正一位稲荷大明神様!さあ、どうぞ。」って、まだ狐扱いですがな。「ちょっとお願いがありまして。」「わざわざ、来ていただきまして。分かってます、分かってます。赤飯に油揚げは、持って寄せてもらいます。今日のところは、どうぞこれで一つ。」「いやぁ、そう言うていただきますと、もう、穴があったら、入りとうございます。」「“穴があったら入りたい”、滅相な。お社作って、お祀りをいたしますがな。」と、これがサゲになりますね。忘れもんをした、お客さんのほうが、恥ずかしい意味での、「穴があったら、入りたい」という言葉を受けまして、穴どころか、お社を作って、ちゃんとお祀りをするということですわ。梅吉っつぁんは、この人が、お稲荷さんのお使いの狐やと、思うてるんでね。百五十円という、福を授けてもらった、お礼という意味での。
上演時間は、十五分から二十分前後ですか。そんなに長い話ではございません。じっくり聞かせるタイプのものでもございませんので、昔の寄席なんかでは、重宝したものかも分かりませんね。大爆笑できる類のものでもございませんが、笑いは、そこそこにありますし、第一、よくまとまった話といえるでしょう。導入部分の設定、これがまた、非常に重要なのでありまして、明治というような時代で、場所が、高津さんの社前。晩方で、明かりも、そんなになく、お月さんも出てない、降りそうな曇り空。人力俥が客待ちしているという、寂しい場面。ちょっと想像するだけでも、雰囲気がお分かりになりません?そこへ、上品そうな身なりで、産湯までのお客さん。怖がりの俥屋はんとあって、狐が怖いと、一旦は、断りますが、そこは商売で、お金の応対の末、やってもらうと。俥で走りながらの、俥屋はんとお客さんの会話、これがまた、何気ないもののように思えて、後で重要になってきまんねな。住所や名前を聞いたり、正直もんであるとか。我々、普通にタクシー乗っても、こんな会話ぐらいは、しますもんな。それに、俥のシャレの部分、あれは、ようでけたある。あの言葉を聞きたいがために、この落語を聞いても、エエぐらいに、心の中に残る、良い言葉であります。「亭主が外の車を回し…」という場面。『莨の火』でも、駕籠屋さんに、エエ言葉出て来ますがね。産湯の森へ差し掛かりますというと、これからが、エライこと。お客さんは、実は、狐やったと。そんなもんから、俥賃は取れませんが、「近々、福を授けてやる」と言われながら、目つぶって、降りるのを待ってるて。この話、ウマイこと行きますというと、梅吉っつぁんが家へ帰りまして、おかみさんに、「乗り逃げやがな」と言われるまで、我々、聞いてるお客のほうも、乗り逃げであるというのが、気が付かないのですね。途中までは、梅吉っつぁん同様、狐であると思い込んでしまう。これがまた、話の魅力で、バレないようにしておくのも、演者の腕ですな。そこら、『一文笛』の、煙草入れと、おんなじようなもんで。
おかみさんが、俥の中に見つけたのは、忘れもんで、これが百五十円という大金。狐さんからの福やというので、近所を集めましての、大酒盛。宝くじ当たったようなもんでんな。一方、お客さんのほうは、シャレが過ぎて、俥屋をだましてやったが、また、いくばくかを、届けに行ってやろうと思いながら、気が付くと、大事なお金が無い。俥に置き忘れた。乗り逃げがバレたら、罪になるので、警察にも届けられへん。この辺の心理は、人間として、難しいとこでんなあ。しょうがないので、家まで行って、返してもらおうと。路地口から聞こえる、三味線の音がまた、にぎやかで、だいぶ減ったんやなかろうか。そこで、梅吉っつぁんに会いまして、サゲになると。“穴があったら入りたい”ぐらいの、ことわざと申しますか、言い草は、今日でも、十分使いますので、分かりやすいサゲとせんならんでしょうなあ。
このネタは、十分といいますか、もう、十二分に、よく出来た話であります。よくいわれます、起承転結も、ハッキリしておりますし、ストーリーが、きっちりしておりますので。短い間に、よくこれだけ、まとめてあるなあと感心するぐらい、話として、成り立っております。しかし、お話が良うても、これが、落語として、向いているのかどうかは、これまた、別な問題でございまして、そこを、ウマイこと持っていくのが、演者の腕の見せどころなのでございましょう。ですから、実は、このネタ、小品では、ありながら、難しいものだと思います。笑いも適度にありますけれども、なかなかに、演じにくいはずです。だから、埋もれたような話だったんでしょう。これは、桂米朝氏の復活ネタでございまして、最近は、お若い方も、ちょこちょこ、やってはりますけれども、それでも、上方落語では、珍しい、あんまり出ない話でありますな。もちろん、東京でも。あるんやろか?そうなりますというと、場所の設定が、変わりますわな。
所有音源は、その米朝氏のものですね。以前は、ホンマ、米朝氏以外、誰も、やりはれへんかったんで。ご自分で復活されただけあって、こらもう、雰囲気のある、エエ話として、まとまっておりますよ。笑いもありますし、サゲの前に、狐のお客さんが現われる所なんか、盛り上がりますし。しかし、やっぱり、私は、あの俥の、外の車と内の車の部分が、好きですね。ほのぼのとした感じが出まして。なかなかに、難しい話とは、分かっておりますけれども、ぜひとも、残しておいていただきたい、ちょっとしたネタですな。
<20.2.1 記>
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