今年もまた、花粉症の時期に突入をいたしまして、つらい毎日でございますけれども、三月ちゅうのは、どことなく陽気になる季節でございますので、陰気なよりは、エエかも分かりまへんな。というところで、ご陽気に、『蟇の油』を。て、別に、陽気でも、何でもないて?旧暦で、昔のことでございますけれども、「春は三月落花の形、比良の暮雪は雪降りの態…」と。

 大道での物売り商売、時代劇やなんかでは、必ずといってイイほど、登場いたします、蟇の油売り。テレビや映画なんかでは、チラッと映りますけれども、ただいま、実際に、蟇の油を売って、それで生活されている方て、まあ、おられないんでしょうねえ。各種のイベントとかでは、ちょこちょこ、やったはります。太秦の東映の映画村なんかやったら、見かけますし、実際に、私も見たことがございます。腰に大小を手挟んでおりまして、どこぞの浪人もんという格好。鉢巻きとか、襷(たすき)とか。しかし、あれ、実際には、ホンマのご浪人さん、武士ではなくって、町人・商売人が、やってはったんでしょうなあ。それでないと、あないに、ウマイこと、口上といいますか、しゃべりが達者にはいかへんし、金儲けは、でけしまへん。「御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いてらっしゃい。」という、おなじみのセリフ。最初は、からくり人形を取り出してくる。といえども、棗(なつめ)の中に、ホンマの人形が入ってるかどうかも、怪しいもん。蓋を取ると、唐子人形が入っておりまして、人形の芸当が十二通りやて。しかし、昔の、江戸時代のからくり技術ちゅうのは、エライもんどすな。博物館なんかで、私も、実際に見たことおますけれども。「人形作りの名人は、京にては守随、大阪表には、竹田縫之介…。」という、あの口上の中の名前ですけれども、実は、ウソではなく、実際に、そうであったらしいですね。ここらが、落語には、エエ加減なようでいて、案外、ウソの無い証拠で。

 しかし、この人形細工を見せて、お金をもろてるわけやない。「いやしくも、天下の浪人、投げ銭、放り銭を拾うわけには、いかん。」って、人形、引っ込めてしもた。ここからが、蟇の油の口上。ほな、今までのは何?そうでんねん、昔の、こんな大道商売て、往々にして、途中から、主旨が変わってくることが、ようありまんねん。最初は、人を引き付けるためも、あるんでしょうなあ。ご浪人さん、商売は、蟇の油を売ってなはる。要するに、カエルの油。しかし、カエルの油て、どっから、カエルが油出しまんねん?そうそう、近所に居るような、そんな蟇では、いかん。前足が四本、後足が六本の、いわゆる“四六の蟇”。ホンマかいな?一本骨折したとか、ちゃうの?この蟇の居る所が、これまた、江州は、伊吹山の麓で、露草を食べてるて。ま、伊吹さんて、昔から、薬草がたくさん植わってまっさかいなあ。もぐさも、有名で。これを食べて育った蟇を、上下四方、鏡の中へ追い込む。ろうそくに火を点けると、蟇が、鏡に映る、醜い己の姿に驚いて、脂汗を流す。って、この手法は、どこぞの方に、お試しを…。あんまり、いらんこと、言わんとこ。この鏡に付いた油を、ヘラでこき落として集め、黄楊(つげ)の小枝で、三・七、二十一日の間、炊いて煮詰めたのが、この蟇の油。ウッソー。

 効能は、切り傷やとか、痔なんかにも効く。唇に付けたら、ピタッと引っ付いて、「茶漬けは、鼻から流さねばならんぞ。」って、んな、アホな。しかし、言うてるだけでは、何にも分からん。ここからが、実演でございます。蟇の油の効能は、まだございまして、刃物の切れ味を止める。っと、抜き放ちましたのは、鈍刀なりといえども、家宝の一振り。白紙を切りますなあ。「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、三十二枚、六十四枚、百と二十八枚。春は三月落花の形。」と、ここで、出てきまんねやわ。しかし、この刀へ、蟇の油を付けると、今度は、白紙一枚が容易に切れない。顔も切れないし、二の腕も切れない。再び、付けた油を拭いて、二の腕を切ると、そら、今度は、切れる。刃物でっさかいに。しかし、大丈夫。切り傷に効く、蟇の油でっさかいに、血を拭き取って、傷口に、この油を付けると、血がピタッと。止まった!「いつもは、一貝が十二文のものを、今日は、小貝を添えて、二貝が十二文。」と、ウマイこと商売しよる。鮮やかなもんで、飛ぶように売れてしまう。前に置いたあるもん、すっくり売れてしもた。というて、後からは、出してきまへん。ここらが、エライとこで、こんなけしかないというのを、見せとかないかん。

 お客さんの、人通りの入れ替わるのを、待つのでございますけれども、この先生、今日は、よう儲かったというので、近くで、一杯。二杯としてるうちに、あんじょう、エエあんばいに、酔うてきてしもた。もう一儲けと、やってまいりますけれども、ベロベロで、舌も回らん。「御用とお急ぎの方は、ゆっくりと聞いていけ。」って、んな、アホな。「四六の蟇は、前足が六本で、後足が四本。」て、反対や。「一枚の紙が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、三十二枚…。なんぼや分からん。春は三月、雪が降る。」ムチャクチャやがな。「蟇の油を一付け付ける時には、引いて切れない、叩いて切れない。何?切れてます?」て、切れてしもた。しかし、大丈夫。「血が出れば、よく拭き取る。拭き取った後に、蟇の油を一付け付ければ…。よく拭き取る。拭き取った後へ…。よく拭き取る。」って、止まれへんがな。「エライことになった。お立ち会いの中に、血止め薬のお持ち合わせはないか?」と、これがサゲになりますな。元来は、「煙草の粉を分けて下され」とか「袂くそを」というような、血止めのものを要求して、サゲになっていたらしいのですが、血止め薬で、十分だと思います。要するに、血止めに効く、蟇の油てなもんを売っておきながら、実際に切れて、蟇の油では、治らんので、血止めの薬を求めるという、バカバカしい話ですなあ。

 上演時間は、十五分から、長くても二十分程度。マクラを付けてもね。あんまり長々とやるものでは、ございません。そして、どちらかというと、寄席向きで、各種の落語会でも、難しい話とか、お堅い話の間に挟まりました時の、他愛もないお笑い種なんかとして、扱われておりますね。しかし、結構、難しいんですよ。ストーリーが無いだけに。前半部分、まともな蟇の油の口上を述べる場面、お笑いは、ございません。そらそうですわなあ。真剣でっさかいに。しかし、ウマイもんですなあ、あの口上。スラスラと、次から次へと出てくる。それでいて、だいたいの、意味も分かる。すらすらと、聞き応え十分にやると、後で、笑いがまた、冴えてくるという。そして、後半は、一杯飲んでからの、おんなじ口上。あったり、なかったりするもんを、口上に入れて、酔うてる様を笑いにするという。そして、最後は、とうとう血が止まらなくなって、サゲになると。根本的に、すんなりとした口上が、酔うたら、どうなるかというだけの話でありまして、話の筋があるわけでもなく、言葉で説明したって、面白味は、あんまり無いと思いますわ。実際に、聞いとくれやす、見とくれやす。

 爆笑できるものでもございませんし、大きいネタでもございません、大したものではなく、有名になるもんでもないと、思いませんか?ところが、ところが、東京でも、同じ題、同じ内容なんですが、これが、実にウマイ!故・三代目春風亭柳好氏なんかね。また、『高田の馬場』の冒頭では、この蟇の油の口上が出てきますけれども、故・三代目三遊亭金馬氏なんか、うまいこと、しゃべったはります。どちらにいたしましても、私ら、録音でしか、知りませんけれども、後半部分の、お笑いも、おもしろいんですが、やはり、前半の口上が、何ともいえん、流暢で、なんべんでも、聞きたいぐらい。実際に、前で、ああして、しゃべられたら、つい、うかうかっと、蟇の油の一つでも、買うてしまうというような。あの手のしゃべりは、東京もんですな。上方は、どうも、もっちゃりして。ちなみに、東京の『蟇の油』は、『両国八景』という、両国の見世物小屋とか、大道芸を見せていくというような話の、最後にあったものだそうです。それが、独立して、一席物になったんですな。上方のものは、以前にも、ご紹介いたしました、『東の旅』のうちの『法会』、つまり、『軽業』の、神社の祭礼で、ひやかして歩く場面の中の一つだったそうです。ですから、この後に、まだ、話が続くこともあったわけで、元来の上方物では、蟇の油の口上は、一回だけで、それで失敗するというようなもんだったんでしょう。別に、わざわざ、途中で酔うて、二回目に失敗するというようなことをしなくても、一回で、最後に血が止まらない程度で、良かったんでしょうなあ。ま、一席にするには、ちょっと、物足りないので、東京式に、二段階になったんでありましょうが。

 所有音源は、故・桂春蝶氏、桂雀々氏のものがあります。桂米朝氏も、お若い頃は、寄席やなんかで、やったはったらしいのですが。春蝶氏も、そんなには、よくやったはったわけでは、ないと思いますけれども、印象には残りますねえ。あの、細い細い腕、出さはって、刀で切る仕草、おもしろかったですなあ。雀々氏のものは、こらまあ、ご陽気な先生で、特に、後半部分の、酔った後のおもしろさが、盛り上がりますな。いずれにいたしましても、そんなに、よく演じられるものではございませんし、ちょっと、気色の変わったタイプのネタでございますので、たまには、エエかも分かりまへんな。

<20.3.1 記>


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