
二月に叔母が亡くなりまして、また、久々に葬儀一式というものを経験いたしました。一応、ひとところに居りましたのでね。ま、人一人、生まれるのも大変ですけれども、亡くなるのも、それなりの大変さがございます。てな、しめやかな話ばっかりでは、おもろも何ともございませんで、今月は『近日息子』をお届けいたしましょう。『くやみ』でも『向う付け』でも、そうですが、葬式やとか、お通夜なんか、笑うたらいかんような場所には、これまた、お笑いのネタが多いわけでございますなあ。
あるお家でございます。ご家内は、お父さんと息子さんのお二人きり。息子の作次郎さん、さいぜんから、しゃがんで、何してなはんねやろ?それが、衛生を重んじて、膳棚を掃除しようとしたところが、ゴマの入った入れもんを、落としてしもて、ゴマが散らかった。手ですくうたら、ごもくが入ったらいかんので、箸で、一つずつ摘まんで、入れもんに入れ直してるて。気の長い話でんなあ。そんなことをしてるさかいに、ご近所の方は皆、“アホ作や”“ヌケ作や”と言うてるて。そやけど、それも無理は無い。親の目からみても、アホやて。この前、『いっぺん、芝居が見たいなあ。どこぞエエ芝居が無いかいな?』と言うたら、『探してきます』と、表へ出た。エライ気が利くなあと思うてたら、しばらくして戻ってきて、『明日からでおます』と。明くる日に、弁当持って、道頓堀へ芝居見に行ったが、どこも芝居は、やってない。帰ってきて、『どこもやってなかった』と言うと、『そやけど、表に、“近い日より”と書いてありました。今日から近い日でっさかいに、明日には、幕が開くやろうと思いました。』て。そら、近日ビラですがな。近いうちにやります、始めましたら、また、どうぞご贔屓にという、前触れ、前宣伝、前口上のことですわ。物事は、先繰り機転というのが、大事や。ノミというたら、ツチぐらいのことでは、今日び、どんならん。大工道具持って来るぐらいでないとと。
ここで、親父っさん、お手水へ。「紙を持って来てもらいたい」と言いますと、「お父っつぁん、どこへ?」て、便所に決まってますがな。「ただいま、空いております。」て、ここの家、二人暮しですがな。便所へ入るなり、「おいどまくりまひょか?水かけましょか?」やて。これが先繰り機転て、んな、アホな。そやけど、舞妓はんは、手水の水かけて、くれはりますけどな。あんまり、やいやい言うもんでやっさかいに、お父っつぁんのほうも、出るもんも、出えへんようになってしもた。お腹の具合が悪い。さあ、こら大変と、先繰り機転でやっさかいに、息子のほうが、家を飛び出して行きまして、しばらくすると、帰って来た。お医者はん呼びに行ってたて。お通じが止まったぐらいで、医者呼んで、どないしまんねん。高ぅついて、しょうがないですがな。すぐに断って…。って、もう来はったがな。大事な時は遅いのに、用事無い時に限って、早いんですなあ。そやけど、一応はと、親父っさんの脈を取る。アレ?アラ?どっこも、どうもないん。“こら、おかしいなあ?”と、小首をかしげた。
さて、これを見ました息子のほう、先繰り機転で、また、外へ飛び出して行った。お医者はんのほうは、あんじょう礼をいたしまして、すぐに帰ってもらう。と、今度は、大きな棺桶担げて、息子が帰って来た。お医者はんが、首かしげはったさかいに、こらもう危ないと、棺桶用意して、帰って来たんですがな。「どうぞお入り」やて。こらもう、親父っさん、怒りますわ。「返しといで」「そやけど、どっちみち、入んねやさかいに。」て、そら、そうですわなあ。って、納得したらいかん、納得したらいかん。そら、ここのお家は、二人暮しでっさかいに、これは、これで収まりもしますねやが、この、棺桶担いで、走り込んだ姿を見ました、近所のもんは、放っておくわけには、まいりません。
「エライこってすなあ。どうも向かいのおっさん、具合悪いでっせ。死にましたで。」「そやけど、わたい、昨日、風呂で会いましたで。」「それでも、あの息子が、棺桶担いで、家の中へ入ったで。向こう、お父っつぁんと、息子はんの、二人暮しや。ということは、急な病で。」「そうそう、昔、はやったやつで、コロッと行くさかいに、イチコロ。」「イチコロ?それも言うなら、トンコロでっしゃろ。」「そのコロ、そのコロ。」て、おかしげな物の言いよう。この人は、いつでも、そうでんねんと。この前も、『菊見に行きまひょか。京都の手前の世話方へ。』て。『それも言うなら、枚方でっしゃろ。』『その方、その方。』やて。京都へ行っても、『一つ、おもろい所で遊ぼ。床下で。』『それも言うなら、橋下でっしゃろ。』『その下、その下。』て。鰻屋の二階で、『姐さん、ちょっと早幕で、寝巻き二人前。』向うの仲居さん、笑うてはったて。『そら、お客さん、う巻きでっしゃろ。』『どっちも、温いで。』て、負けてまへんなあ。夜店で、植木屋冷やかした時も、そうですて。五十銭ぐらいの鉢を、五円の値付いてるさかいに、『ちゃんちゃらおかしい』言うたら、『ああ、てんぷら食いたい。』て。どっこも、合いそうなはずのないような、おもろい言葉探してきなはる。
洋食屋でも、間違い起こした。ビフテキ前にして、『ホース持って来て』て。ソースとホースを間違うて言うた。たまたま、向うの若いもんが、表で、ホースで水撒いてたん、呼ばれたもんやと思うて、水出てるホース持ったまま、こっち向きよった。災難なんは、横手で、オムライスかなんぞ食べてはった、お婆さん。この人の頭に、水がビューッと。このお婆さん、丸髷で、髷引っ付けたあるもんでっさかいに、この髷が、隣りの学校へ飛んで行ってしもた。校庭で、野球してた子供が、ボールと間違うて、バットで打ってしもたさかいに、髷がわやや。そら、やっぱり、お婆さんでも、女子のお方でっさかいに、髷無しでは、家に帰るに帰れへん。気の毒に思うたさかいに、持ってたマルキの黒パン貸したげたて。髷の代わりに、黒パン頭に乗せて、帰りはったんやて。想像しただけでも、腹かかえて、笑えまっせ。洋食屋の親父っさんが出てきて、『殺生だっせ』と。『そやけど、ホースもソースも、焼けたもんにかける。』て、ホンマ、負けてまへんわ。「ぼちぼち、行きまひょ。イヤミ。」て、「くやみやがな。」「そのヤミ、そのヤミ。」て、まだ、直ってへんがな!
「こんにちは。この度はどうも、エライこって???サイナラ〜。」って、一番に、くやみ言いに行ったもんが見ますというと、火鉢の傍で、向うの親父っさん、煙草吸うてなはる。死んだもんが、一服してるちゅうのも、おかしな具合。遠い所へ行かんならんさかいに、その前に、ちょっと一服。て、んな、アホな。そやけど、葬式てなもん、親類が集まってくるもんだっさかいに、親父っさんに顔の似た人も、一人ぐらいは、おりまっしゃろと。ま、とりあえず、人を入れ替えまして、「こんにちは」。やっぱり、親父っさんが居てなはる。「昨日、風呂屋で、イチコロや、トンコロでっしゃろ。そのコロ、そのコロ。世話方に、床下で、う巻きが温たい…。サイナラ〜。」て、何のこっちゃ、さっぱり分からん。親父っさんの顔を見るさかいに、おかしいになんねやと、今度は、うつむいたままで、「こんにちは」。「この度は、どうも、お気の毒な話で。お力落としの無いように。」「なんじゃ、さいぜんから、おかしな具合で、葬礼ごと。何ぞ、意趣遺恨があって、しなさるのか?」と、反対に、親父っさんのほうが、ご立腹。しかし、ようよう聞いてみると、息子はんが、棺桶担いで走り込むわ、表には、白黒のくじら幕に、暖簾が裏返ってる。近所のもんは、握り飯炊き出ししてるわ、お寺さんが待ってはるわ、葬礼の行列が出来てなはる。そら、誰でも、葬式やと思いまんがな。「ああ、しょうがない倅や。これ、作次郎!」「こらこらどうも、皆様方、ご苦労さんで。」「何が、ご苦労さんや。近所のお方、皆、葬礼やと思うて、寄ってなはるやないかいな。」「こら、近所のお方も、無学で、慌てもんでやすなあ。」「これ、何を言うのじゃ!ご近所の方をつかまえて。」「そやかて、忌み札の肩に、“近日より”としておます。」と、これがサゲになりますね。最初の場面で、芝居の近日ビラの説明がしてございますので、この忌み札も、近日ビラのようなもん。って、怒られるわ。棺桶も、どっちみち要るもんとして、途中で、扱われておりますなあ。なかなか、凝った、おもしろいサゲでございますね。『地獄八景』の中にも、演者の看板の名前を読み上げて、「○○ちゅう噺家は、まだ、達者で頑張ってまっせ。」「肩のところを見てみなはれ、“近日来演”としたあるがな。」ちゅう、おもろい件りがありますけどな。
上演時間は、二十五分程度でしょうか。話の本筋だけですと、もっと短くできますねやが、途中で、おもろいもんが、なんじゃろと入りますのでね。全編通して、なかなか、笑いの多いネタではございますな。特に、葬式てな、笑うたらいかんようなもんが主題でっさかいに、余計に、お笑い種になりますわ。冒頭のゴマの場面は、演者によっても違いますし、一応、述べさしていただきましたが、とりあえず、何ともいえん、アホげな、どことなしに憎めないような息子はんと、親父っさんの、お家の中の様子から、話は始まります。芝居の近日ビラの話も、おもしろいですが、しかし、映画なんかですと、本編始まる前に、今もって、“近日公開”てな文字、見受けられますなあ。今も昔も、あんまり変わらんようで。それから、ちり紙を買う部分のあるものもありますが、お親父っつぁんが便所へ入りまして、具合が悪いと、お医者はんを呼んできて、小首をかしげたのを見まして、棺桶を調達して来る。この時に、葬儀屋はんも、用意してまんねんな。ま、何とも、物事の先繰り機転が利くことで。
ここらまでは、ご家内二人の話で済みますけれども、済まんのんは、近所のお方。棺桶に、葬礼の用意を見てまっさかいに。その中でも、皆が集まって、ワイワイ言う場面、笑い所でございますなあ。言い間違いばっかりする男の話。中でも、黒パンの件りが、最高に、おかしいですなあ。パン乗せて、お婆さんが家路につくて。ほんなら、お腹減ったら、そのパンつかんで、食べはんねやろか?アンパンマンやないにゃし。それから、くやみを言いに行きまして、死んだ本人さんが居るのが分かって、息子を呼びつけて、サゲになると。話といたしましては、やはり、お笑いの材料ですな。ただ、中ほどの、近所のもんが寄り集まりましてのしゃべりは、別に、話の筋とは、直接に関係はないのでしょうが、やっぱり、おもろいですわね。東京にも、ございますけれども、そんなに、上演頻度の高いものでは、ないような気がします。
所有音源は、故・二代目桂春團治氏、笑福亭呂鶴氏、桂文華氏などのものがあります。春團治氏のものは、おそらく、有名な『春團治十三夜』の中のものだと思いますが、これがまた、爆笑に次ぐ爆笑で、非常におもしろい。正直、わたしゃ、あんまり、このネタが好きではなかったのですが、これを聞いて、印象が全く変わりました。演者の腕なんでしょうなあ。とりあえず、最初から最後まで、笑い通しでございますわ。中ほどの、近所のもんの所は、笑い所といたしましても、最初からというのは、やはり、作次郎・息子さんのほうの描き方が、非常にうまいんですなあ。アホげな感じの。こらもう、実際に、拝見したことなんか、もちろんございませんけれども、聞かせていただいただけで、おもしろい。各種の速記なんかを見ますというと、やはり、これは、初代譲りの、おもしろいネタらしいですね。初代のものは、SPレコードで残っているとは、思いますねやが。呂鶴氏のものも、おもしろく、親父っさんに、やはり、芯の通った感じが出まして、引き締める具合が、よろしいなあ。文華氏のものも、爆笑でございます。こらもう、初代譲りの、アホげな声が、ピッタリですなあ。くやみを言うあたりなんか、初代お得意の、『黄金の大黒』を連想させられるようで。
まあ、しかし、演者によって、ネタが生きるか死ぬかちゅうのも、あるもんなんですなあ。そやけど、葬式は、あんまり、陰気に、なり過ぎひんほうが、よろしいわ。お寺のおっさんとも、控え室で、笑うて、挨拶しましたしねえ。
<20.4.1 記>
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