先月、姫路の菓子博へ行ってまいりました。いやあ〜、た〜くさんの人で。平日にもかかわらず、パビリオンは、並ぶ並ぶ。ほとんど見れずに帰って来たような次第でございますけれども、入場券には、半券が付いておりまして、姫路城の入場料が、半額やったんですな。しかし、行く気力も、おまへんでしたわ。人で人で。そこで、今月は、姫路にちなみまして…。と申しますというと、『皿屋敷』でございますけれども、すでに、相当前に、取り上げさせていただきましたので、姫路でも何でもございません、近〜い神戸のお話で、『兵庫船』を。ちょっと、苦しいてか?

 例によりまして、喜六・清八の二人連れでございますけれども、大阪から讃岐の金毘羅さんへお参りしようというので、参詣をいたします。帰りがけ、播州路を東へ東、出てまいりましたのが、兵庫は、鍛冶屋町の浜でございます。清やんが言うのには、大阪まで歩かさんと。どないして、帰んねん?船でございます。しかし、喜ィさんのほうは、板子一枚下は地獄と、いたって、船に乗るのが嫌い。たいがい、どの話でも、喜ィさんは、船を怖がりますな。現代のような、モーター付いてるようなもん、違いまっさかいになあ。それでも、清やんに突かれた拍子に、うまいこと、船に乗り込みます。ドンドン、ドンドン乗り込みまして、結構な人になってまいります。

 船頭さん、歩み板をば引き上げまして、櫂(かい)をば一つ、グーッと付きますというと、沖へ沖へと、船は出てまいります。櫓(ろ)を操りまして、風を見まして、帆を張り上げますな。帆は、十分よりは、八分がエエそうで、“船頭楽して、帆(ほ〜)しんど”の、洒落の一つも出てまいりますというと、乗り合いは、帆の影へと、集まってまいります。こうなりますというと、たいがい、相場は決まったある。国・所の尋ね合い。ああ、そうそう、『皿屋敷』違った。話を元に戻しまして、ある人は、堺と。“泉州堺は、所の始まり”と、何でも、堺から、要するに、貿易港やったんで、そういう言い草も、出来たんでしょうかなあ?ある人は、和州・大和。紀州に三州、いろんな人が居てますわ。中には、どう州と。そら、聞いたことが無い。そらそうですわ、大阪の堂島ですて。皆が、“州”を付けるのでやて。今度も、どう州。こら、道頓堀。「わいも、どう州。」「堂島ですか?道頓堀ですか?」「どこにしよ?」て、エエ加減な人も、いますわ。「わたいは、ごう州で。」「近江の国」「いやいや、オーストラリアで。」て、豪州ですわな、なるほど。

 これだけでは、おもろない。一つ、なぞかけをしましょうと。「清やん、一つもろて。」て、砂糖がけと、間違うてまんがな。お菓子違いまっせ。つまり、“何なら何”・“上げまひょ”・“何なら何”・“心は”・“何なら何”と。謎掛けでございます。「氷にお日ィさん・雪に小便・ナメクジに塩」て、そら、何でんねん?かけたら、とけるて、そういう意味違いまんねん。“一の字と掛けまして”“上げまひょ”“これをもらいますと、感心なお寺の小僧さんと解く”“心は”“辛抱すれば、住持になると”うまいこと、考えたあるな。辛抱で、心棒が入りますというと、一の字が十の字になりまして、住持になると。「ほんなら、“二の字と掛けて”。」て、出来ひんと思いまっせ。“二の字”“上げまひょ”“ずぼらなお寺の小僧さん”“心は”“辛抱しても、住持にならん”て、謎掛け違いまんがな。ムチャクチャや。“破れ財布にお金がいっぱい”“上げまひょ”“これをもらいますというと、近江八景は、瀬田の唐橋”“心は”“膳所が見えると”破れた財布でっさかいに、お金、ゼゼが見える、また、瀬田の唐橋からは、所の膳所が見えると。なかなかキレイな。

 “いろはの、いの字と掛けて”“上げまひょ”“これをもらいますと、船頭さんの手と解く”“心は”“櫓の上にあると”いろはの、“い”の字は、“ろ”の上にありますしね。今度は、その“ろ”の字で。“ろの字と掛けまして”“上げまひょ”“野辺の朝露”“心は”“葉の上にあると”それでは、“は”の字で。“はの字と掛けまして、金魚屋の弁当”“心は”“荷の上にあると”うまいこといきますなあ。“ほの字と掛けて、ふんどしの結び目と解く”“心は”“屁の上にある”て、汚いな。今度は、いっぺんに、“いろはにほへと”と。“上げまひょ”“これをもらいますというと、吉野山の花盛り”“心は”“散りぬる前と”こら、キレイな。いろは文字の、“ちりぬる”の前でっさかいになあ。“いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす”“上げまひょ”“東海道は大津の宿”“心は”“京の前と”長いけど、そらそやな。“えひもせす・ん”と同様に、“えひもせす・京”も言いますもんな。大津の宿が、京の前と。“おくやけこえて”“上げまひょ”“この人と、その人”“心は”“間抜けに腑抜け”て、怒られるで。確かに、“ま”と“ふ”抜いたあるけれども。今度は、お女中。“絹糸の、もつれたん”“上げまひょ”“木綿糸の、もつれたん”“心は”“麻糸の、もつれたん”て、何でんねん。「それでは、解けしまへんなあ。」「こう、もつれたんでは。」て、なぶられてんねやがな。威勢のエエお兄さんも。“海老の皮むいて、衣付けたとこ”“上げまひょ”“揚げたら、てんぷら”“心は”“食たらウマイ”て、どないやねん。

 と、にぎやかにやっておりますけれども、乗り合いの一人が、エライことに気が付いた。さっきから、船が動いてへん。見えてる松の木が、止まったまま。ということは、船が停まってるて。船頭に聞いてみますというと、どうも、フカが寄ってるて。サメですな。この辺りには、たちの悪いフカが、ぎょうさんおって、そのフカが、乗り合いの衆の誰ぞに、魅入れたて。まあ、惚れ込んだようなもんどすなあ。その魅入れられた人に、海へ飛び込んでもろうて、フカの餌食になってもらわな、この船が動かんて。人身御供みたいなもんどすがな。こら、大変や。しかし、誰でも彼でもエエ訳やない。その、魅入れられた人を探さないかん。船頭さんが言うのには、各人の持ちもんを、海の中へ放り込んで、流れたら、そんでエエが、沈んだら、フカが魅入れてる証拠で、その人を欲しがってると。しかし、何とも、残忍な。そやけど、やってみな、しょうがないん。順々に、放り込んでまいります。手拭いやら、筆やら。喜ィさんの番になりまして、放り込んだものが、まっさかさまに、海の中へ、もんどりうって、ズーっと沈んだ。こら、エライこっちゃ!と、尋ねてみますというと、文鎮放り込んだて。アホやなあ、そんなもん、沈むに決まってるがな。仕切り直しで、今度は、扇子を。「四国は、讃岐の国、象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現様、どうぞ、首尾よう、流していただきますように。うまいこといきました暁には、金の灯籠を千灯籠、銀の灯籠千灯籠、銅(あか)の灯籠千灯籠、必ず奉納いたします。」って、んな、アホな。神さん騙し(だまし)にかかってるがな。しかし、うまいこと、流れてまいります。巡礼の親子連れ、お母さんの杖は、うまいこと流れましたけれども、娘さんが放り込みました笠が、今度は、正真正銘、もんどりうって、海の中へ、ズーっと。しょうがない、巡礼の娘はんが、フカに魅入れた。って、反対やがな。フカが、娘さんに魅入れた。

 皆がワイワイ、ワイワイ騒いでおりますというと、出てまいりました一人の男、どうも、この騒ぎの中、寝ていたらしい。乗り合いの衆に話を聞きまして、そんなら、オレが掛け合うたろうやないか、フカと応対して、話をつけたろうやないかと、船べりへと、出てまいります。エライ、勢いのある、お方でんなあ。煙草をば、悠々と吸い付けまして、「フカ〜、フカ〜」と叫びますというと、人間に魅入れようてなフカのことですので、言葉も分かるとみえまして、海の底から、顔を出しよった。このお方、慣れたもんと見えまして、フカの口を、大きく開けさせますというと、吸うておりましたキセルの、煙草の吸殻を、このフカの口の中へ、はたいて入れましたから、たまりません。フカは、もんどり打って、海の底へズー。船がまた、無事に動き出した。「あんた、エライお方でんなあ。」「わしにかかったら、サメでもフカでも、グチャグチャにつぶしたるわい。」「一体、何者でんねん?」「わしゃ、雑魚場(ざこば)の、かまぼこ屋じゃ。」と、これがサゲになりますね。フカやとかサメ、今でもありますが、かまぼこの、すり身の材料になりますもんね。フカの耳元で、ボシャボシャと、ささやくという設定でも、サゲは同じで、終わりになります。ちなみに、雑魚場は、魚市場の意味ですな。桂ざこばさんを、連れて来たわけでは、ございませんよ。分かってるてか?他にも、サゲは、たくさんありまして、船べりをたたくので、“かまぼこ屋だ”というのとか、講釈師が講釈をして、バタバタたたくので、フカが“かまぼこ屋やと思った”とからしいのですが、私は、ほぼ上記のパターンのサゲしか知りません。

 上演時間は、二十五分ぐらいですか。なぞかけの部分を、コンパクトにすれば、二十分でも、十分に出来ますし、また、膨らませることも出来るのでしょう。昔の旅ネタちゅうのは、その点、よく出来ておりますね。一応、『西の旅』シリーズの中の、一つのネタとは、なっております。『兵庫渡海鱶魅入(ひょうごとかいふかのみいれ)』てな、芝居の外題みたいに、七文字で、仰々しい名前も、付いておりますね。話の始まりは、兵庫から、大阪まで、船で帰ろうとする、喜六・清八の二人連れ、いつもの、なんじゃかんじゃ言うところからですな。ただ、喜六は、船が嫌いなのですが、しかし、嫌いなのに、どうして、四国の金毘羅さんへ、お参りなんかしようとしたんでしょうねえ?それに、四国へ渡る、行きしの船、また、四国から本州への、帰りの船は、どないしたはったんやろ?この兵庫船以上に、怖がらはったんやろか?瀬戸大橋も何にも、おへんさかいにねえ。ま、船へと乗り込みますというと、我々客席も、いつもの長屋の奥ではなくなりまして、大海原へと、雰囲気が違ってまいります。上記には、述べませんでしたが、足を、それぞれに入れ違いにして座って、混み合う場面も、元来は、ございますねやがね。下座の一つも入りまして、国・所の尋ね合い。まあ、ホンマ、船の中て、別に、何にも、することおへんさかいにねえ。それから、なぞかけへと。この話の中の、笑い所としては、まず、なぞかけの部分でござりましょう。なかなか、おもしろいし、風情もございますなあ。キレイに出来上がると。こういう、船の中では、こういうお遊びが、付きもんでございまして、『小倉船』と考えもんとか、『矢橋(やばせ)舟』と問答とか。後半は、一大事で、船が停まったのは、フカのせいで、魅入れた人を探すという、場面は、急を要する事態になってまいります。これが、巡礼の娘さんなんですが、そやけどね、フカかて、どう考えても、エエ歳した、おっちゃんに、魅入れたりは、しまへんわなあ。そら、やっぱり、若い、キレイなほうがね。年増のフカやったら、話は、別ですけれども…。そこで、一人の男が、フカと、じかに応対をいたしまして、無事に退散させて、サゲになると。そんなに、大笑いのできるネタでは、ないように思えますが、それでも、昔の旅の、風情のあるのには、変えられませんなあ。意外と、なぞかけの部分に力が入りすぎて、上すべりする可能性は、多分にございますので、ストーリーを追って行く展開に、演者のご努力が、うかがえますな。

 東京では、『桑名舟』と申しますが、上方の『桑名舟』は、東京の『巌流島』に当たりますねやがね。とりあえず、話の内容は、似たようなもんですが、主として、講釈が出てくるものが、ほとんどのような感じがします。ちょっと、趣が違いますね。へぇ、題名が、ややこし過ぎるてか?所有音源は、笑福亭松之助氏、桂春若氏、露の新治氏などのものがあります。松之助氏のものは、これまた、上記のものとは、打って変わった内容で、最初に淡海節が入るわ、講釈に浄瑠璃、炭坑節、いろんなものがございまして、かまぼこの説明も、弁当の中身で、されておりますね。一風変わった趣で、おもしろうございます。春若氏のものは、喜ィさんが、いかにも、アホらしく、古風な、船旅の情景が出ておりまして、最後のかまぼこ屋はんも、威勢良く、エエもんですなあ。新治氏は、これまた、テンポがあって、おもしろいもんでした。帆の所とか、フカが口を開ける場面なんか、体いっぱい使われた、分かりやすいもので、魅入れの分かりにくさなんかも、ございませなんだし。

 まあ、現代に照らし合わしても、また、昔でも、“魅入れ”というような、おとぎばなし的な部分がありますので、不思議に感じられるネタかも知れませんが、それがまた、ちょっとした、おもしろさなのかも知れませんね。現実に、ありえないと分かっていながらも、あの部分を、もっと引き延ばして、ドキドキ感を出して、くどく演じても、聞き応えにならないものか、どうなのか?ま、いつものごとく、素人のたわごとで、今月も、お開きに…。

<20.6.1 記>


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