
先月、久々に、とある落語会へと行ってまいりました。仕事がございますので、最近はもう、ほとんど、生で、ライブで聞きに寄せてもらうことがございませんが、久しぶりに、行って来たんですわ。演題は、当日のお楽しみでございましたけれども、東京勢と、上方勢が入り混じるという中で、珍しい話を聞かせていただきました。東京風に申しますというと、『やかんなめ』ですか。上方ですと、たいがい『癪の合薬(あいぐすり)』という題名で。『茶瓶ねずり』てな題も、あるんですてね。
船場へんの、とあるご大家のご寮さん、ある時、台所で、癪(しゃく)が起こりまして、さあ大変。周りには、誰もいなかったんですなあ。と、苦し紛れに、置いてあった、やかんの水を飲もうと、口を持って行きますというと、水までが飲めません、やかん自体を、ペロペロと舐め(なめ)出しました。この、やかんの緑青(ろくしょう)が、ご自身の病気に合いましたのか、金属が合うたのか、今もって、不明というところですか、癪がスーッと治った。不思議なもんどすなあ。こういうことって、あるんですかなあ?わたしゃ、勉強不足か、周りにも居てないので、こんな話は、聞いたことございませんねやが。まあ、しかし、人間には、その人その人、いろんな違いがございますので、その人に合う薬、合薬てなもんが、あるんでしょうなあ。それからというものは、ここの奥さん、癪が起こりますというと、この銅の、アカのやかんを舐めると、鎮まるというようなことになりました。ま、おおよそ、現代的な話では、ございませんわ。
ある日のこと、時候がエエもんと見えまして、この奥さん、野がけへと出ましょうと、旦那さんに許しを乞います。ボンボンを連れまして、後は、女中さんに、丁稚さんが、お供に付きますなあ。只今でも、女のお方が、外へ出んならんとなりますというと、お化粧に洋服にと、大変でございますけれども、そら、今も昔も変わらんもんで、奥さん、十分に仕度をいたしまして、ちょっと野辺・郊外へと出てまいります。この、街中と違いまして、陽気のエエ日の土手なんかを散歩いたしておりますというと、気持ちのエエもんでございまして。丁稚さんは、子たちを見ながら、弁当持たされてなはる。結構、重たいでっせ。女中さんは、奥さんのお相手をしながら、歩いてなはる。と、奥さん、土手下へ降りてまいりまして、小さい花を、いじってなさった。そこへ出てまいりましたのが、小さなヘビ。奥さんの足元へ、ニョロニョロニョロ。「ん〜〜」と、癪が起こって、そこへ気絶してしもた。まあ、男でも、ヘビて、気持ち悪いですけど、女の方て、極端に、怖がらはりますもんな。
さあ、大変でございますよ。周りには、人家などは、ございません。まして、現代のように、コンビニも何にも無い。丁稚さんに、家へ帰って、やかんを持って来るようにと、女中さんは頼みますが、そんな近所ではございませんし、取りに帰ってるヒマが無い。息も、絶え絶え。こら、困ったこっちゃ。と、土手の上を、やかんが通る。やかんではございません、れっきとした人間でございます。人間の頭、これが、さいぜんから申しております、ここの家のやかんの形に、そっくりやったんですなあ。とりあえず、あれを舐めると、助かるかも知れんて。こらまた、思い切った発想で。丁稚さんに、奥さんを頼みまして、女中さんのほうが、慌てて、お願いにまいります。
と、この、やかん頭の方は、お武家さんでございます。こちらも、供を付けて、歩いております所へ、女中さんが出てまいりまして、「お願いでございます」と。こらもう、てっきり、仇討ちやと思いますがな。「心配いたすな。歳を取っても、一刀流だ。」と、そら、そないなりますわなあ。違う違う、「病人でございます」「困ったなあ。身共、医者では無い。」って、そやけど、この女中さんも、言いにくいでっせ。しかも、相手は、お侍。「やかんを舐めますと、病気が治るんでございます。誠に恐れ入りますが、お侍様のおつむりが、私の家のやかんに、よく似ておりますのでございます。どうぞ一つ、お貸しくださりませ。」って、よう言うた。相手は、お侍でっせ。こんなこと言うたら、斬られて当然の時代でございます。「無礼な。そこへ直れ。」と言われますが、「私は斬られても、結構でございますが、手前の主人の病気には、代えられないのでございます。一舐めだけ、お願いを申します。お手討ちになるのは、覚悟の上でございます。」と、真に迫った訴え。お侍さんのお供は、傍で笑っておりますが、女中さんは、必死で泣く。お侍さんは、怒っているという、まさに三人上戸。しかし、こう泣いてお願いされると、放っておくわけには、まいりません。たかだか、半期・一年の奉公人が、主人のためと申す忠義に、心を打たれまして、一舐め、貸すことになりました。
人の命に関わることですので、土手を降りてまいりまして、奥さんの前に、頭を突き出す。「やかんが…」という、大きな声に、奥さんのほうは、お侍さんの耳を掴まえまして、ペロペロ、ペロペロ。こらどうも、どう考えたって、具合が悪い。ただの人間でさえ、嫌がるのは当たり前ですのに、まして相手は、お侍さんですもんなあ。「あぁ〜」と、ようやく癪が治ったと見えまして、奥さんが正気に返る。「よう、やかんが手回ったこと。」て、そうではございませんがな、後ろにお立ちの、お侍さんの頭を…。「まあ、とんだ粗相をいたしまして。命の恩人でございます。宅へ帰りまして、主人がお礼に上がりますので、お所とお名前を。」って、そんなもん、言えますかいな。余計、恥ずかしい。恥の上塗りみたいなもんですがな。しかし、命がけで訴えて来た、この女中さんを、大事にしなさいよと、立ち去ります。
「しかし、頭が、癪の合薬になりますとは。家に帰りますと、早々、看板掛けましょうか?」「何と看板掛けるのじゃ?」「癪の合薬
一舐め十文」って、んな、アホな。商売やないにゃし。「ありゃ、日が当たると、頭がピリピリ。」「ああ、大変でございます。歯形が二枚。やかんに穴が二つ。」「大丈夫か?」「ご心配あそばすな。漏るようなこと、ございません。」と、これがサゲになりますな。要するに、奥さんが噛まはった、歯形が、二枚残ってましたんやな。これが、痛うなってきた。そやけど、ホンマもんのやかんではございませんので、穴が開いてても、漏るようなことはございませんと。なかなか、シャレた、おもろいサゲですわな。元来は、この一件が収まった後で、「謡をうたって歩くから、大方、キツネが化かしたんでしょう。」と、この事件を、キツネの仕業として、片付けようとして、「道理で、やかん(野干)を好んだわい。」とサゲられていたと、されております。野干とは、狐に似たようで、狼に似たような鳴き声の動物とされており、狐そのものとも、されているんですと。お能では、怪異な狐の精を表わしたという、恐ろしい顔の面に、野干というものがあるんですて。それにひっかけて、謡が出てくるんでしょうなあ。
上演時間は、そうですなあ、十分から十五分程度ですか。小噺のようなもんでは、ございますけれども、初心者の手に合うような感じのものでは、ありませんな。寄席向きで、短い時間で、ちょっと笑えるというような。ムチャクチャ大笑い出来るネタではございません。だいたいが、やかんを舐めて、癪が治るというとこ自体が、不思議なもんですからな。これが話の主題になっている訳でして。やはり、おもしろい部分は、頭が、やかんに似ているというのと、その頭の主が、お侍であるということなんでしょう。チョンマゲ時代が、身近に感じられた頃おいには、おかしみも、今の二倍も三倍にもなったことでありましょう。武士が、頭を舐められるて。ですから、最初から、あまり、真面目すぎる、お侍が出て来ては、話になりませんので、ちょっと、おどけた感じが出ておれば、成功ですな。しかし、難しそうな話では、あります。
さいぜんも申しましたが、東京では、『やかんなめ』で、内容は、おんなじです。とある場所で聞いたのも、東京の噺家さんのものでした。どちらかと申しますと、お笑い本位でやられておりまして、おもしろかったですな。改めて、見直したネタと申しましょうか。しかし、東京でも、珍しい部類に入るんでは、ないでしょうか?詳しくは、存じませんけれども。所有音源は、故・桂小文治氏、林家染丸氏のものがございます。小文治氏のものは、多分、どこぞの東京の寄席での音源だと思いますが。短い、限られた時間の中で、なかなかに、コンパクトに、まとまった話となっておりました。この手のもんは、どうも、やはり、東京風のものが、よろしいな。染丸氏も、時間の短い席で、笑いを取っておられました。たしか、桂文我氏なんかも、やったはったとは、思いますねやが。
上方では、ごく珍しいネタでは、ございましょうけれども、繁盛亭の出番なんかには、よろしいでしょうなあ。てな、無責任なこと言いながら、実は、私、まだ、繁盛亭には、行ったこと、おへんねん…。
<20.11.1 記>
<21.10.1 最終加筆>
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