十月の南座を皮切りに、全国で、五代目桂米團治襲名披露が、執り行なわれておりました。テレビでも、いくつか、ドキュメントの番組が放送されておりましたし、また、在阪の新聞記事にも、なっておったと思います。いやあ、しかし、派手なもんでしたなあ。とても、噺家とは思えんような。まあ、それはそれで、おめでたいことで、よろしいねんけれども、今月は、それにちなみましての、『代書』をお届けいたしましょう。先代、四代目の米團治師匠が、ご自分で作られたネタでございます。もう、新作より、古典の域にも、そろそろ入りそうなので。というか、入っていると言いましょうか。昭和十四年ごろのものと、されております。

 実際に、この方は、代書屋はんを、やったはったんですな。その経緯から出来たネタでございます。マクラでも、よく使われます、“儲かった 日も代書屋の 同じ顔”“割り印で 代書罫紙(けいし)に 箔を付け”という川柳も、この方の自作でございます。只今で申しますと、行政書士・司法書士、まあ、行政書士が近いお仕事ですか。しかし、そんなとこまでいかんでも、ちょっと字の書いて欲しい時に、頼りになるのが、代書屋はんでございます。昔は、字の読めん、書けんてな人、ぎょうさんにありましたさかいになあ。まあ、たいがい、区役所とか、市役所の近所で、看板上がってるような、どちらかと申しますというと、ちょっと陰気な商売で。また、そんな所に、陽気なもんが入り込んでまいりますというと、お笑いでございますな。「こんにちは。ちょっと、書いてもらいたいもんが、おましてなあ。紙の上に字書く。」て、まあ、たいがい、紙の上に字を書きますが。“じれきしょ”とか、“ぎれきしょ”とかいうもん。そら、履歴書や。持って来い言われたけれども、家に無かったて。隣りへ借りに行たら、隣りの人も、探してくれたけど、無かった。そんなもん、何で、隣りの人の履歴書持って、勤めに行きまんねんな。字よう書かんなら、代書屋はんへ行きなはれといわれて、ここまで来たて。しかし、ここへ来るまででも、だいぶ、騒動でんなあ。

 まあ、これも昔の話ですから、ボールペンてなもんではございません、墨をすりながら、筆で書いていきなはる。勤め先やなんかで、形式が違うたらいかんので、一応、聞かれますが、「どこぞへ、就職しなはんのやな。」「いいえぇ、ちょっと勤めに行きまんねん。」て、それが就職でんがな。「どこへ?」「箱屋だんねん。」「紙箱とか木箱の製造。」「いいえぇ、色街の箱屋だんねん。」って、男衆(おとこし)っさんですがな。エライ色気のある商売で。「籍は?」「相生席」これも、その席と違いまんがな。本籍、生まれた所ですがな。「大阪市浪速区日本橋三丁目二十六番地、風呂屋の向かい。」そんなもん、隣りが散髪屋でも、向かいが風呂屋でも、どうでもよろしいがな。現住所も、右に同じ。「戸主でっしゃろな?」「おだてなはんな」て、別に、べんちゃらや、おへんがな。「名前は?」「田中彦次郎。ちょっとエエ名前で。」「この“次”という字は、“次ぐ”という字ですか、それとも、“治める”という字ですか?」「そこら、あんたにお任せします。」って、任せられても、困りまっせ。「生年月日は?」「無かったように」て、どこぞの世界に、無い人が、ありますかいな。生まれた年月、歳は、幾つでっしゃろなあ。昭和の御大典があって、提灯行列が出ました。その時に、子供の仲間から、若い衆の仲間へ、入れてもろて、堺筋を北へ北へ、え〜らいやっちゃ…。って、提灯の代わりに、筆を持って、振り回すさかいに、そこら、墨だらけや。「提灯行列は、どうでもよろしい。」「どうでもよろしいて、その晩に、ちょっと提灯の灯を借りたんが縁になって、うちのカカと…。」ってエライ話になってきた。「昭和三年十一月十日」「あんた、エライ若いなあ。これがあんたの、生まれた年月。」「いいえぇ、提灯行列の日。」違うがな。「だいたい、あんた、幾つだんねん?」「当年取って、数えの五十。」て、もう、エエ歳でんがな。それなら、何年てなこと、分かりますわいな。「生まれた日は?」「秋の彼岸の中日の明けの日」って、けったいな憶えようや。

 「学歴は?」「瘰癧(るいれき)は、いっぺんだけ。」て、病気違いまんがな。「学校は、もう行てしまへん。」て、当たり前や。もう五十やで。「昔行ってた学校は?」「うちの近所の小学校。」「何という小学校や?」「尋常という小学校」「ええ、本籍地内小学校…。卒業しなはったんやろなあ?」「へえ、二年で卒業。」「中途退学と」「そう言うと、体裁がエエ。」て、何にも、エエことあらへん。次は、職歴。今までやってきた仕事を載せると。「一番最初は、提灯行列の明けの年。」って、何でも、提灯行列や。巴焼きの道具があるさかいにと、貸してもろたけど、エライ錆や。ペーパー買うてきて、錆落とすのに、丸二日。て、そんなん、どうでもよろしいねん。要するに、巴焼きて、回転焼き、太鼓饅頭、今川焼きのこってすなあ。丸のところに、巴の紋かなんかが、入ってましたんやろう。「場所は?」「玉造の駅前だ。三軒ずつ、向かい合わせの六軒で、東側の真ん中、家賃が、十五円。」「家賃は、要りまへんねん。玉造において、饅頭商を営むと。いつごろまで、やりなはってん?」「やろか思うたんですけどな、ちょっと家賃が高いやろうと…。」思うたことだけで、言うたらいかんで。消しゴムあれしまへん、墨でっさかいに、消されへん。紙が汚のうなるだけでっさかいに。線を引っ張りまして、一行抹消と。訂正の判を押しますなあ。「ほんまにやったんなら、その年の十二月。一六が平野町、二七が上町の、阿弥陀池が…。」って、夜店出しですがな。「露天営業人として、これは、何を売りなはってん?「ヘリドメを」「着物の襟を留める、襟留。」「いいえぇ、ヘリドメ。」「ヘリドメて、何です?」「下駄の歯の裏に打つゴム」って、これまた、けったいなもんを。夜店ならではですな。「履物付属品を販売す。これは、いつごろまで、やりなはってん?」「十二月だっしゃろ、冷たい風が吹くわ、人は通らんわ、品もん売れへんわ、アホらしなってきて、二時間でやめたん。」って、これまた一行抹消や。「だいたい、あんた、それで御飯を食べてたという、本職は、何でんねん?」「ガタロでんねん」「ガタロて、何でんねん?」て、関西では、昔、カッパのことを、ガタロというたん。でっさかいに、ガタロというのは、ゴム長履いて、川の中から、鉄骨の折れたんとか、針金とか、拾うて、選り分けてる商売のことなんですと。「こんなもん、どない書いてエエや分からん。」「どうです、ガタロ商を営むと。」「河川に、埋没したる廃品を回収して、生計を立つと。こないしときまひょか。」ウマイこと書かはるわ。「昭和十年十月十日。十が三つ揃うたある。」「場所は?」「松島だんねん」「西区松島町において、これは、何を売りなはってん?」「いや、それは、わいが、松っちゃんと、女郎買いに。」って、また一行抹消や。どこぞの世界に、履歴書に、女郎買いに行ったてなもん、書かはる人、いはります?「ちょっと、これぐらいのこと、入れといたらな、おもろない。」て、まあ、聞いてるほうは、おもろいですけれども。

 「もう、エエ加減に、書いときます。賞罰は、無しでっしゃろ。」「正月は、年にいっぺん。」「賞罰というて、悪いことして、警察へ引っ張られたとか、褒められたとか。」「褒められたんなら、ちょっと。こんな大きい賞状もろて、新聞に写真入りで載ったん。」って、こら、興味深い話でんがな。履歴書に、載せとこ、載せとこ。「うちの近所でね、新聞社主催の大食会いうて、大食いの会が、おましたんや。その時、こんな大きいボタ餅、四十五食べて、新聞に写真入り。」「んな、アホなことが書けるかい。」『おなじみの、代書で、失礼をさせていただきます。』と、この辺で、サゲ無しで、終わられるのが、一般的な普通のものでございますね。しかし、元来の、先代米團治氏が創作されたものには、まだまだ続きがございまして、これは、前半部分ぐらいでありますな。これだけを一席にする関係上、元々のものよりも、ギャグや、くすぐりが、たくさんに入っております。元来は、もうちょっと、質素なものですな。そして、この後、この男の人の履歴書が出来上がりまして、最後に、自署で、本人が署名をせないかん。しかし、出来るぐらいなら、代書屋はんに、頼みに来ませんわなあ。そこで、本人さんの名前も、代書屋はんに書いてもらいまして、“自署不能ニ付代書(じしょふのうにつきだいしょす)”の判を押してもらう。代金は、一枚十五銭、二枚でっさかいに、三十銭。そやけど、この人、嫁はんに、二十銭だけもろて、途中で焼き餅食べて、十五銭しか、持ってはれへん。かというて、代書屋はんも、二枚続きで書いたもん、一枚の値やいうて、半分だけ渡しても、しょうがないん。後の、残った半分、誰ぞに売るてなもんでも、おまへんさかいになあ。仕方ないので、十五銭に負けといて、二枚渡します。そやけど、今日び、半額サービスてなもん、おまへんで。

 次に入って参りましたのは、ヒゲを伸ばした、上品なお年寄り。結納の受け取りを書いて欲しいて。先様の目録の字が、なかなかの達筆やよってに、下手な字では、返せんて。そうですわなあ。あの、目録の字て、独特ですもんな。自分で書いたら、エエようなもんですけれども、中風で、手が震えて、ウマイこと書けんて。そこで、頼みに来はったんですなあ。そやけど、祝い事でっさかいに、キレイな、さらの筆を下ろして欲しい。また、墨も、エエのんを、使うてほしいと、さらになりますわ。ふと、この代書屋はんの看板を、見ましたご老人。「“中浜代書事務所”、これは、あなたが、書いたのかな?墨するのん、待っとくれ。」どうも、あんまり、ウマイ字や、なさそうなんですな。字の右肩が、上がり過ぎてる。勢いを出すためにか、気品が無いて。“中”の字の心棒が、歪んでる。“浜”は、ヘンの割りに、ツクリが大きい。饅頭にしては、餡が、はみ出したようなもん。貴人の菓子ではなく、小僧の食べる大福餅のようなもん。「また、気の張らん、書きもんが出来たら、お願いしましょ。」と、字に文句を付けて、帰ってしまいます。って、筆も墨も、わやですがな。

 「はい、ちょど物をたつねますか…」と、今度入って参りましたのは、朝鮮のお方。ま、日本が占有していた時代がございましたのでね。カタコトの日本語でございまして、意味の分かるような、分からんような。故郷に、妹が居るんですが、その人が、日本へ来るので、警察で、判を貰わんと、船に乗れへん。その渡航証明を書いて欲しいと。本籍は、済州島の…。って、これが、よう分からん。謄本を持ってるのでと、見せてもらいまして、そのまま書き写しますが、戸主の生年がおかしい。生まれた年が、今から、九十五年前。「エライ長生きやね。」「その人死んで、三十六年。」って、んなアホな。しかし、ほんなら、何で、そんな死んだ人が、謄本の戸主になってまんねん?死亡届を、出してはれへんのですわ。しかし、死亡届出さなんだら、葬儀認可証が出えへんし、死骸の始末がでけんはず。でも、始末してくれたもんが居るて。この人、晩に、山歩いてて、虎に喰われて死んだんですと。そら、始末いらんわね。加藤清正やないにゃし、この時分でも、朝鮮に、虎て、野生で居りましたんやろかねえ?まあ、それはそれとして、妹さん十八歳やけれども、この戸籍に載ってないん。生まれた時に、出生届を、郵便局へ届け出た。って、郵便局ビックリしはったやろねえ。渡航証明どころやない。戸籍の整理から始めんと。死亡届に、死亡届失期理由書、出生届、出生届失期理由書と。書き終えましたところで、「しかし、これ、罰金取られるで。」「もう止めます」って、んな、アホな。たくさん書きはったのに。要らんて。「キセル掃除するです」って、掃除の、通す紙みたいなもんに、出来ますかいな。「サイナラ」って、エライ損や。

 もう、店閉めたろうと、しておりますところへ、入ってまいりましたのが、どこぞの丁稚さん。この先の、田中という家から来たもんですけれども、先ほど、失礼なことばかり言うてしもうたんでと、些少ではありますが、お邪魔料をと。さっきの、おじいさんのとこですわ。まあ、恐れ入ったことと、お志ですので、代書屋はんも、納めていただきまして、帰ったら、よろしゅうにと。しかし、誠に、キッチリした人なので、何の紙でもよろしいし、名前と判をいただきたいと。要するに、領収書ですな。それも、なるべく丁寧に、書いていただかんと、この丁稚さんが怒られると。よっぽど厳しいご老人と見えますが、そうではございませんで、あの方、滴堂とか申します、有名な書家らしいですわ。病気で、書けんようになりましたけれども、華族さんのお家では、額やとか、掛軸になって、作品がぎょうさんあるんですて。それでは、心して書かないかんと、代書屋はんが、“中浜…”。「失礼ですけど、ちょっと右肩が、上がりすぎてや、おまへんか。それでは、品位が…。“中”の心棒が歪んでます。“浜”の、ヘンの割りに、ツクリが。」「大福餅やろ。エライもん、もろた。もろたもん、返そか知らん。」「ちょっと、失礼、筆の運びだけでも…。」って、言うだけ、この丁稚さん、見事な字。さすがに、門前の小僧何とやらですかな。立派に書きはって、代書屋はんも、降参でございます。「もし、お差支えなかったら、これ持って、帰って、見せときましょか。」「そないしてくれるか」「それでは、この下に、判だけお願いいたします。」「おおきに、ありがとう。」と、代書屋はん、判を押そうとして、よく見ますというと、名前の横へ、小さな字で、“自署不能ニ付代書”と、これが、元来のサゲになりますな。全くの、見事なサゲであります。最初の男の人の履歴書に、自分で名前が書けないので、この判を押してあるのが、伏線になりまして、最後には、丁稚さんに、代書屋はんの名前を書いてもらったので、横に、この字が書いてあったと。

 上演時間は、だいたい、上記の一般的なもので、二十分前後でしょうか。全体に笑いも多く、爆笑出来るものですので、寄席やなんかでも、落語会の間でも、結構、よく出されているネタでございます。やはり、代書屋さんと、お客さんのやりとりですので、対照的に、陰気・陽気に扱われるのが、おもしろいのでありましょう。それまでの落語の、常套的(じょうとうてき)な笑いを除いて、新しい発想の笑いを、取り入れて作られたとされておりますので、やはり、他のネタとは、どこか違う感じは、しますね。しかし、おもろい。年号や出来事に、時代を感じさせるものでありますが、それとても、そのものの時代と考えれば、また、風情のあるもんで。第一、米團治氏創作のものとも、ちょっと、違う程度のものもありまして、御大典は、旅順陥落であったり、戸主は、本人さんの父親で、兄が二人死んで、三男が長男にで、一字訂正がでけたりと。とりあえず、前半部分が膨れ上がりまして、それはそれで、一席といたしまして、今日の爆笑ネタとなっているわけでございます。そら、後の、自分の字が書けんさかいに、自署不能であるとか、韓国の方が出てくるとかいうような場面は、今では、演じられませんのでね。東京でも、多分、演じられているんでしょう。あんまり、詳しくは、知りませんねけどね。

 所有音源は、桂米朝氏、故・桂小南氏、桂春團治氏、故・桂枝雀氏、笑福亭福笑氏などのもの、他にも、たくさんの方のもを聞かせていただいております。米朝氏は、師の米團治氏譲りのものでしょうし、現在の、この前半部分の型も、おおよそは、米朝氏の作られたものといっても、イイと思います。お若い頃は、よくやられていたらしいのですが、我々は、もう、ほとんど、何か特別な時でしか、聞いたことがございませんね。やっぱり、おもしろいですよ。何ともいえん、間の取り方なんか。しかし、ごく自然に、トントンと話が運ばれまして、そんなに、時間のかかるものでは無かったように思えます。小南氏は、東京では珍しいですので、ちょこちょこ、寄席に出してはったらしいです。この方のも、おもしろいのは、もちろんですが、米朝氏同様に、あっさりした感じでしたな。春團治氏は、やはり、十八番となっておりますね。ゆっくりと間を持たして、仕草も、代書屋はんらしく。判を、いっぺん、回したりしはりまんねんな。紙も、薄いのが、よう分かりまんねん。最初に、机の上に、乗せはる時に。主人公の、河合浅次郎は、二代目春團治氏、三代目のお父様の本名らしいですわ。演題は、『代書屋』となっておりますが、こだわりは?枝雀氏は、これも十八番で、爆笑でございました。年代の入らない、時代を感じさせない奇抜なもので、ガタロではなくて、本職がポン菓子のポンで、終わっておられました。いやあ、目に浮かぶようですなあ。あの“松本留五郎”に“ポ〜ン”。福笑氏のものも、爆笑に次ぐ爆笑で、ヘリドメが、なかなか言えまへんねんな。また、故・桂音也氏の、『新代書』ちゅうのも、ありましたな。元ABCのアナウンサーであった、今井音也さん、桂音也さんの、半分新作のような代書で、斬新でした。おもろい、おもろい。

 ちょっと、これだけは、最後に、申し上げておきますが、私の表現力の無さで、多大なご迷惑をおかけしている部分が、ございましたかも知れず、その点は、平に、お詫び申し上げておきます。

<20.12.1 記>


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