
先月、我が家の便所の下の水道管が破裂いたしまして、便器を、新しく代えたのでございます。そら、数十年単位での話でっさかいに、古うなってましたんやろなあ。これを機に、思い切って、和式から洋式になったんですわ。もう一つのトイレは、先に、洋式になっておりますので、残念ながら、我が家から、昔ながらの和式便所が消えてしまうという、これも、時代の波ですな。それを悼みまして、今月は、『祝いの壺』をお届けいたしましょう。元来の演題は、『こい(え)がめ』とか、『せんち壺』でございます。しかし、昨今は、『祝いの壺』で出ておりますな。というよりか、どっちでもエエ、そんな話知らんてか?そういやあ、あんまり聞きません、珍しいネタでございます。
寄ると触ると、やはり、一杯飲む話。酒屋の立ち飲みや、居酒屋みたいなもんと違う。お茶屋へ上がって、芸妓の一人も前にして、一杯飲もうという話。しかし、銭は無い。無いなりの知恵でございますけれども、昨日、“このやん”に会うたて。これが、おもろい名前ですけれども、“この次”いう芸妓はん。いろは歌ですと、“こ”の次は、“え”ですので、“え〜”芸妓はんでしたんかなあ?その方が言うのには、今度、一軒、店持つようになりましたさかいに、いっぺん、来とくれやすと。そこで、開店祝いに、何ぞ持って行って、タダで、酒飲んで、帰って来ようと。「法楽か?客タダで入れる。」「風呂屋やがな」というのは、開店の日に、お風呂屋さんが、無料で、お客さんに入ってもらうのを、法楽と言うたんですなあ。多分、仏教の、仏さんのほうから来た言葉なんでしょうけれども、詳しくは、存じません。「おやまに、かわらけがあるがな。」ちゅうのは、おやまはん(お女郎さん)に、下の毛が…。ご推量のほどを。ま、とりあえず、祝いも、重なっては、いかんさかいに、ちょっと、聞いといた。客商売、いろんな人に、いろんな物を、もらわはりますのでね。掛軸から座布団、瀬戸もんの類まで、揃うてますけれども、無いもんちゅうたら、台所の、水壺ぐらいのもんだすと。ということは、水壺祝うてくれちゅう、謎ですがな。そやさかいに、二人で、祝いの水壺を持って行って、一杯飲もうという算段ですわ。
『壺算』にも、出てまいりますけれども、昔の、大阪の水事情というものは、エエほうでは、無いんですな。井戸、特に、内井戸というものも、すけない。あってもまた、飲めるかどうかは、分からん。川の水などを、売りに来まして、これを、一荷い(ひとにない)、一荷で、いくら、などと、買っておったわけでございます。そこで、二荷入りの、大きな水壺でも、持って行ってやろうやないかと。「そら、八銭では、ないな。」って、当たり前ですがな。どう考えたかて、三円ぐらいは、しまんがな。それやったら、自前で、お金払うて、飲みに行くのと、変わらん。それでは、意味が無い。「古道具屋へ行ても、八銭には、ならん。」そうそう、一円五十銭ぐらいですか。その中でも、ちょっと差し支えの無いような、キズのあるもんでも、ようよう一円。「それでも、八銭には、ならん。」って、八銭と、縁切りなはれな。またその中でも、キズがあって、二月(ふたつき)ぐらいは、どうも無いちゅうような、後は、壊れたかて、しょうがないというようなもんを、探しまひょて。そら、後、どないなっても、よろしいねやさかいになあ。「お前、なんぼ持ってんねん?」「八銭」って、そやさかいに、さいぜんから、八銭、八銭言うて、なはってんなあ。そういう、この人も、十七銭。二人合わして、二十五銭。
とりあえず、目に付いた道具屋へと、入ってまいります。水壺を見せてもらいますが、二荷入りで、上等の信楽焼のは、二円そこそこ。ちょっとしたキズのあんのは、一円五十銭ですか。それでも、値段が合わん。道具屋のおやっさんに、話を打ち明けまして、とりあえず、数日でも保つような、格好だけのような水壺が、二十五銭で、ないものかと、相談をいたします。しかし、二十五銭で、二荷入りの水壺を買おうとは、見上げた度胸。っと、道具屋のおやっさんも、感心をいたしまして、エエもんを紹介いたします。一緒に、表へ出まして、指差すのが、雨だれ受けにしたある壺。それやったら、二十五銭が二十銭でも、かましまへんと。キズも無し、焼きも上等で、他の水壺の中へ、並べて置いといたら、二円の値でも、売れるような品もん。「わけが、おまんねん。」「どういう、わけや?」「そら、聞かんほうが、よろしい。」てなこと、言われますが、やっぱり、そういうわけには、いかん。というのも、この町内に、船場の、さる御大家(ごたいけ)の隠居はんが住んではった、隠居所があった。その隠居はんが、エライ高熱の出る病気に、かからはった。お医者はんに見せても、見立てが、つかん。八卦見(はっけみ)に、見てもろたところが、家の鬼門の方角に、便所を建てて、いっぺんでもエエさかいに、そこで、用を足したら、病気は治るて。そこで、急ごしらえで、便所を作って、そこへ入って、ご隠居さんが、用を足しなはった。立ちどころに、熱が下がって、病気は全快。良かった良かったと、便所は、つぶしてしもうたが、なんぼ、いっぺんだけとはいえ、雪隠壺(せっちんつぼ)が埋めたある。掘り出したが、割るのは、もったいないようなエエ壺や。というて、他のことに使えん。この道具屋はんが、そちらの家に出入りしてたんを幸い、ご隠居はんが、また、便所の普請するようなことがあったらと、分けてもろてきて、どうしょうもないので、雨だれ受けにしてあったて。現代の水洗ではございませんで、昔の、汲み取り式の便所ですからな。そら、いっぺんだけ、使うただけのもんでっさかいに、キレイなもんですわ。それでも、溜まってる水を捨てますと、立派な壺でんがな。しかし、底の所だけ、一ヶ所、真っ黒になったある。これが、熱のかたまりですわ。熱病の原因やったもんが、いっぺんの用で、出ましたさかいに、底に焼き付いて、これだけは、どうしても取れん。もう、これにせな、しょうがない。道具屋はんのほうも、二十銭でよろしいと言うてるところを、二十五銭出しまして、その辺りにありました、竹の棒に、縄の端を、もらいまして、荷造りをする。二人で、差し荷いで、かたげて、持って行きますねやね。しかし、おもろい買いもんですなあ。
途中、お宮はんか何ぞで、手頃な井戸を見つけまして、井戸端で、ちょっと、汚れを洗い落とします。雨だれ受けに、したったんでね。見れば見るほど、いよいよエエ壺や。再び、荷造りをいたしまして、所を聞いておりました、このやんの、新店へ。表で、あいさつをいたしますが、なんし、男手がすけないし、台所のもん、勝手元まで、二人で、据えにまいりますわ。「とりあえず、この辺に置いとくさかいに、また、使い勝手が悪かったら、場所変えてや。ちょっと、ガタつくなあ。何ぞ、かますもんないか?」「よいしょ」「アホ。小さい板か何ぞで、エエねやがな。こんな大きな板二枚も、どないすんねん。」「これ、この壺の上へ、並べて乗せとこか。」「何でやねん!」「踏み板代わり」って、そんなまた。昔の便所て、板渡して、下駄はいて、するとこ、おましたもんなあ。とりあえず、手を洗わしてもらいますが、「どうぞ上がっとくれやす。」「いやいや、今日は届けに来ただけで。」てなこと言いながらも、本来の目的通りに、座敷へ上げてもらいます。
やっぱり、新しい店は、気持ちがエエ。古い家に、手入れたとはいえ、畳や建具も、サラでっさかいになあ。気持ちよう思うところへ、これまた、このやんのお酌で、酒を注いでもらう。一杯飲むと、そら、エエ機嫌ですわいな。重たいもん持って、労働した後だけに。しかし、つまむもんというたかて、急なことでっさかいに、とりあえず、お漬けもんでもと。食べてみると、なかなか、おいしいん。このやんが、自分で、漬けたはりまんねんな。そんなこと言うてるうちに、ちょっと、卵のお吸いもん、玉吸(ぎょくすい)でもと。箸を付けようとしますが、こらどうも、嫌な予感。お吸いもんちゅうのは、水から作る。その水は?「ちょっと、たんねるけど、この吸いもんは、あの壺の水から?」「そうでんねん。水屋はんの水を、小さい壺に、分けて入れてたんですけど、皆、あれへ移して、使わしてもらいましたん。」壺の出どころを知ってるだけに、こらどうも、具合が悪い。「訳があって、卵断ってんねん。」と、ウマイこと言いますわ。もう、漬けもんだけでと、飲んでおりますけれども、よう考えたら、このお漬けもんも、このやんが、漬けたん。ということは、出してから、水で、洗いますわなあ。すると、その水は?てなこと言うてたら、飲んでられしまへんがな。
しかし、さすがは、一家の主、このやんも、とりあえず、取り急ぎ、一人、芸妓はんを、呼んでくれはったて。「おおきに」って、エライ声でっせ〜。入ってまいりましたのは、こらもう、年増も年増、お婆んでっせ。明治維新から、出てはるというような。「二十歳(はたち)の妓、三人呼んだと思うて…。」って、六十やがな。定年でっせ。「女の味が出てくんのは、五十過ぎてからだっせ。今は、梅干し婆ぁでも、粋(酸い)と言われたこともある。ウグイスとまらかして、ホーホケキョと、鳴かせた、こともある〜。こらこら。」「エライ婆が、浮かれたなあ。」「婆も浮くはずや。せんち壺に、水張ったんやさかいに。」というのが、サゲになりますな。もちろん、婆とババをかけてあるというような、まあ、分かりやすいといえば、分かりやすいですけれども、汚いような、何とも言えんような…。
上演時間は、二十分ぐらいですかなあ。そんなに、長いものではございません。昔の寄席なんかですと、よくウケたネタでありましょう。“便所”とか“ババ”て、関西人の好きな、お笑いですから。冒頭は、よくある、一杯飲む・飲まんというようなところから、話が始まります。くっつけようと思うたら、川べりで、川の水飲ますちぇな、『うなぎや』みたいな、入りも、出来ますにゃろけどね。とりあえず、新店のお茶屋で、一杯飲もうと。ただいまで言いますと、スナックやバーの開店祝いで、何ぞ、祝いもん持って行って、飲んでこましたろという、ところですかなあ。そこで、先さんに聞いたところが、水壺がエエと。そやけど、ホンマ、正味の、二荷入りの水壺ぐらいでしたら、飲み代よりも、水壺代のほうが、高いぐらい。そら、二人合わせて、二十五銭ではねぇ。『時うどん』並みですもんな。そこで、中盤、道具屋はんでの、やりとりに入ってまいります。訳を言いますと、道具屋のおやっさんも、感心をいたしまして、エエ壺を紹介いたします。いっぺんだけしか使うてない、せんち壺。まあ、しかし、いっぺんだけですのでねえ。ここらが、おもろいですわな。ご隠居はんも、そんなもん、放ってしもたら、良かったのに。また、道具屋はんも、ほかしてしもてたら。ただ、残っていたのは、二人に幸い。二十銭というところを、二十五銭払うて、竹の棒と、縄をもらいまして、差し荷いで。途中、ちょっと洗うところが、また憎いですな。そして、いよいよ、終盤のお茶屋の場面。無事に据え付けまして、ここからが本題の、一杯飲む場面。しかし、水壺の水で料理したもんを、真っ先に、口にするとは、因果なもんどすなあ。お笑いの多い所ですけれども。このやんのほうも、勘定高〜いもんで、お婆んの芸妓はんを送り込んで来ますわ。そこで、サゲになると。
ただ、この話、おもしろいんですが、はてさて、どのくらい先まで、この、おかしみが理解されるでしょうか?というのも、私らでも、そうですけれども、都会で育った方は、水洗便所しか、ご存知無くなる時代が、やって来つつありますのでね。しかも、最近は、和式でなくて、洋式でしょう。子たちに、蹲踞(そんきょ)の姿勢を教えなければ、いけませんな。とりあえず、水を流したら終いではなくて、汲み取り式の便所を知らないと、おもしろさは、グッと少なくなりますね。ちょっと、郊外へ行きますというと、まだまだ、残っているんですけどな。板を二枚渡すギャグも、何のこっちゃ、分かりませんでしょうし。それと、不思議に思われる方も、おられると思いますけれども、水壺と、せんち壺では、ちょっと、形が違いますな。おんなじ壺でも。ご記憶の方も、多いとは思いますけれども、水壺は、口のすぼまった、底の深いもんですけれども、せんち壺は、口の広い、よっぽどでなかったら、底は浅い目やと。この手の疑問は、落語には、すけないんですが、どうなんでしょうかねえ?その中間あたりの形の壺なんでしょうか?ちょっと、私の考慮の他で、ございますかなあ。東京では、主に、『こいがめ』の名で、おんなじような、違うような話でございますなあ。兄さんの新築祝いに、取りつぶした長屋のせんち場の、せんち壺を祝いに持って行く。サゲも、フナとコイ(肥え)ですので。しかし、これは、使い古された壺ですので、誠に、汚い。汚いがゆえに、一杯飲む段には、おもろいですけどね。ここは、あっさりした東京と、こってりした上方が、逆になって、これまた、興味深いですなあ。
所有音源は、桂九雀氏のものがあります。といっても、九雀氏でも、そう再々、演じられているわけでは、無いと思いますねやが。とりあえず、珍しい話では、ございますけれども、おもしろかった。実に、楽しかった。正直、これを聞いて、好きになった話ですわ。と言われても、ネタがネタだけに、不名誉かも知れませんが…。ストーリーもありますし、笑いもございますのでね。ヤマ場が、ちょう〜ど、玉吸に、漬けもんの、食べる所に、来ておりまして、この食べもんと、ご不浄の、ハーモニー。いらんこと、言わんとこ。また、この話は、桂米朝氏の、復活ネタの一つでもございます。また、ご参考に、各種の音源を、お聞きくださりませ。
おもろい話で、関西人にとりましては、楽しいんですがねぇ。好きなネタでは、ございますけれども、今後、残るんでしょうか?ちょっと、分かりづらいし、おもしろ味も、少なくなって行くようで…。
<21.3.1 記>
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