
春四月には、ふさわしいお話で、ご機嫌を伺います。桜の咲く時期の落語、割り合いに、たくさんございますねやが、やっぱり、それは、時候が良くなってまいります季節ですので、昔から、作られていたんでしょうねえ。季節感が、なくなってきたといわれております、現代におきましても、この、桜の咲く、春の景色というものは、格別の趣きがございます。といえども、演題に、“貧乏”と付いておりますので、こらまた、お笑い種の多い話で。
一口に、長屋と申しましても、いろんなタイプの長屋がございまして、ピンからキリまででございます。別に、“長屋=貧乏暮らし”でも、ございません。上等の長屋もございまして。しかしながら、落語に出てくるような長屋と申しますというと、こらもう、どエライような貧乏長屋が、お笑いの材料でございます。大阪で申しますというと、日本橋は、長町裏てな、日家賃でも、ろくに払うてない、三月裏に六月裏、釜一つ裏てな、ちょいちょい、泥棒のほうが、出て行くというような裏長屋でございます。春先のこってございます、朝、パラパラっと、雨が降っておりましたんやが、その後、晴れてまいりましての、上天気。こういう長屋の住人の商売は、たいがいが、出仕事でっさかいに、雨が降ったら、仕事は休み。そやさかいに、こういう日は、たいがい、仕事に出そびれて、家に居はる人が、ほとんど。住人の二人の男が、表通りを見ておりますというと、雨が止んだもんでっさかいに、急に、人通りも増えましたが、春先のこととて、着飾って、弁当や酒を持って、歩いている人も。要するに、花見へでも、出かけはんねんね。「ごっつお持って、花見へ行く奴があるかと思うたら、わいら、こんな長屋で。」てなこと言い出しますが、そこはそれ、花見自体は、タダのもん。別に、木戸銭の要るもんやなし、見るぐらい、見に行ったらエエ。しかし、こんな汚い格好では、どもならんて。そやけど、ある大家の旦那でも、趣向で、わざと、汚い格好して行って、向こうで正体を現して、下に着ていた、別染めの長襦袢(ながじゅばん)を、ひけらかして、一杯飲んだという話もあるて。そこは、趣向でて。
ほんなら、食べるもんは?そこは、家に居てたかて、何なと喰わないかんねやさかいに、それを持って行って、ばんざいもんで、一杯飲んだら、どやと。肝心の酒が無い。そら、お茶でて。こら、おもろなって来た。趣向で、こんなことしてる、気で気を養うと。周りのもんに、声を掛けますというと、そらもう、賛成、賛成!三銭、四銭。って、セリ違いまっせ。おもろい相談というものは、すぐに、まとまりますもんで、空いてる一斗樽を、キレイに洗うて、そこへ、一軒ずつ割り前で、お茶を入れて行く。出商売の荷がありますんで、そこへ花見の用意を載せて、引っ張って、担いで行ったらエエやろうと。酒は揃うた、肴のほうは?かまぼこが三枚、って、飯の焦げで、“かまぞこ”でんがな。長いなりが鉢に一杯、って、おからの炊いたんでんがな。豆腐は切って食べるが、おからは、切らず。切らなんだら、長いなり。って、んな、アホな。そうめんを湯呑みに一杯、って、醤油やがな。こら、子供の時分から、箸で挟もうと思うても、はそめん。しかし、醤油舐めて、お茶は、飲めまへんで。兵役逃れや、ないにゃし。卵の巻き焼き、って、こうこ、お漬けもんでんがな。色がよう似たある。味が違いまんがな。こちらは、生節(なまぶし)に、小芋や、高野豆腐や、おかずがいっぱい。持ち切れんと見えて、家まで行って見ますが、水屋に膳棚、何にも無い。「横町の煮売屋に」って、そんなアホな。自分とこのもんと、違いますがな。
なんじゃかんじゃ言いながらも、出て行くとなりますというと、エエ格好で、集まって来なはる。八卦見の先生は、黒紋付。「奉書ですか?」「いやいや」「紬(つむぎ)ですか?」「なかなか」「何ですねん?」「紙です」って、使い古した紙ですがな。紋も、紙で切って貼って、羽織の紐が、こよりやて。よそ行きに、羽織引っ掛けてるもんがいる。半襦袢の襟(えり)はずしたあるて。紐が、下駄の鼻緒。遠くからでは、そら、羽織に見えますやろか?洋服着てる人もいる。しかし、ピッタリと、身に合うて、合い過ぎぐらい。裸に、墨塗ったあるて。汗かいたら、エライこっちゃ。「兄さん、おたの申します。」っと、出てまいりましたのは、おなご連中。白粉(おしろい)の一つも、いたしておりますが、中には、変わった着物着てる人もいる。裾模様ちゅうのは、ございますけれども、反対で、上に模様で、下が無地。夫婦で、着物が一枚より、あれしまへんので、夫に着せて、自分は、上が襦袢で、下が、風呂敷巻いたある。間で、帯締めて。って、風呂敷落としたら、こらまた、騒動でっせ。毛氈(もうせん)の代わりに、梅干し干してる、筵(むしろ)を積み込みまして、途中で代わると言いながら、荷を引っ張って、みんなで、押し出して行く。近所、みな、花見てな、シャレたことしてる長屋みたいなもん、ございませんので、ひけらかす意味もありまして、大きい声で、掛け声掛けながら、「チョイトチョイト、コラコラ、花見じゃ花見じゃ」って、そんな恥ずかしいことが、しらふで言えますかいな。「花見じゃ花見じゃ」「そうな」って、そらそやわ。「花見じゃ花見じゃ」「夜逃げや夜逃げや」
ワアワア言いながら、桜ノ宮へやってまいりますというと、その道中の、陽気なこと。っと、下座から、お囃子が入りまして、到着でございます。ちょうど満開で、気持ちよろしいな。今も昔もで、場所取りとなりますというと、一目に見渡せる、高いとこのほうがエエ。しかし、低見がエエちぇな奴も。「ごっつおが、上から落ちて来る。」って、おむすびころりん違いまっせ。お互い、呼び合うのも、羅宇仕替え屋(らおしかえや)でしたら、キセル屋の旦那とか、紙屑屋が紙屋の旦那、下駄の歯入れ屋が、下駄屋の旦那と。おなご連中も、芸妓はんの呼び名でて。「陣はどこへ?」「陣は、真田山(さなだやま)へ」って、『難波戦記』や、おまへんで。場所を定めまして、「毛氈を敷いて」「おいおい、毛氈や、毛氈。その筵の毛氈」って、すぐバレまんがな。周りは、幔幕(まんまく)で。そんなもん、あれしまへんがな。おなご連中の、腰巻きでて。こら、エライ光景や。荷を下ろしますが、担いでるやつは、交代する言いながら、いっぺんも、交代無しで、かわいそう。喉渇いてるもんだっさかいに、「はよ、茶汲んで」って、酒のつもりを、せなあきまへんがな。これでは、おもろない。ウマイこと飲むようなやつは?「一杯、注いどくれやす。おーっとっとっと。散ります、散ります。あーぁ、ウマイなあ。五臓六腑に染み渡る。」っと、こら、酒飲んでる様子ですがな。「何です、こらやっぱり、宇治か、静岡?」では、具合が悪いですがな。「灘ですか、伏見ですか?」と。「ゲンがエエと見えまして、酒柱が。」って、立ちますかいな。茶柱ですわ。「鯛の子取って」って、こら、おからですわいな。「卵の巻き焼きをいただきますわ。バリバリバリ」って、音が違いますがな。卵焼きのように見せて、口の中で、オネオネ、オネオネさしといて、最後に、飲み込みなはれて。こら、なかなか難しい技でっせ。口の中に、放り込みまして、オネオネ、オネオネ。「あ〜。こら、もうちょっとで、卵焼きと、心中するとこやった。」って、喉に詰めはりましてんな。そういう時には、お茶やなかった、酒飲んで。「皆さんも、気付けなはれや。卵焼き食べんのん、命がけや。」
こんな、アホらしいことを、しておりますけれども、周りは、ごっつおで、浮かれておりますのを見ておりますというと、やっぱり、じっとしてられんのが、人間の悲しい所。相対喧嘩(あいたいげんか)を、しようやないかと。要するに、馴れ合いの喧嘩を仕掛けて、みんなが逃げている隙に、酒や肴を、こっちへ、持って来て、奪い取ろうという魂胆。『どうらんの幸助』の冒頭みたいなもんですわ。「何で、行き当たったんじゃ!」「お前が、当たれ言うたんやないか」てな、おもろいこと言いながらも、喧嘩が、ホンマもんになって来るようなところで、「喧嘩や、喧嘩や」ちゅうので、皆が、逃げ惑う。その隙を狙うて、酒や肴を、すっくり、自分とこへ。騒動が静まりまして、元の場へ戻ってまいりました、とある旦さん。「みな、ケガは無いか?あら?ここと違うたかいな?」「旦さん、向こう見てみなはれ。あの連中、どうも、最初から、おかしいなあと思うてましたんや。あれ、隙見て、酒や肴を、持って行きよったに違いない。今から行って、この一升徳利で、ボンボーンと。」「やめとき。ケガでもしたら、つまらんやないか。」と、留められますけれども、そら、太鼓持ちも、黙ってるわけには、いかん。「おのれ、誰の酒肴、飲み食いさらして、けつかんのんじゃ!」「何ォー!」って、こっちが悪いのは、当然ですけれども、そんなもん、聞くような手合いではございません。相手は一人、こっちは、長屋の大勢。皆が、睨み返しますというと、太鼓持ちも、恐ろしなって来た。「お前、何もんや!」「へぇ、太鼓持ちでおます。」「エライ勢いで、尻からげして、向こう鉢巻きしやがって。何しに来たんや!」「ちょっと、かっぽれでも、踊らしてもらおうかと思いまして。」「踊り踊んのに、徳利が必要か?」「こら、お酒のおかわり、持って来ました。」と、これがサゲになります。要するに、一升徳利で、打ちのめしてやろうと、やって来たのではありますが、この連中の勢いに、気圧されまして、振り上げた拳(こぶし)の、落としどころが無い。苦し紛れに、“かっぽれでも”と言いますが、徳利が浮いてしまって、言い訳に、“お酒のおかわりを”ということなんですなあ。
上演時間は、三十分ぐらいでしょうか。細かい描写を、省いたり、途中で切りますというと、二十分ぐらいですか。お笑いの多い話でございます。どうもやはり、昔から、途中で切る演出のほうが、多いらしく、サゲまで演じられることは、少ないですね。要するに、喧嘩の前、飲んだり食べたりしている場面あたりまでで。喧嘩の部分からは、ちょっと、イヤ気がさすんでしょうから。他人のもんを、盗んで、飲み食いして、太鼓持ちを脅すんですからな。前半部分は、長屋でのやりとり。“なたね梅雨”てな言葉も、ございますけれども、春先、桜の咲く季節に、急な雨に降られることも、結構、多いでしょう。それから晴れるて。出商売ばかりの裏長屋ですから、出そびれて、かというて、今から仕事へ行くのも、邪魔くさいし、時候がエエので、どこぞへでも、行きたい。という、この辺は、誠に、無理のない、人の心を見透かしている、非常に、よく出来た設定で、花見へ出掛けることとなりますわ。しかし、酒に肴が無い。そこは、気で気を養えと、お酒がお茶で、肴が、家で食べる、おかず。ここら、おもろいですわなあ。それらしく、赤黒いようなお茶を、一斗樽へ入れまして、かまぞこに、長いなりに、はそめんて。よう、考えはったこっちゃ。衣装も、紙に、裸に、墨塗ったあるて。しかし、たま〜に、大学生が花見してるような場所で、裸で走り回ってんのん、おりまっせ。今でも。あんまり、今も昔も、変わらんようで。長屋を出てまいります時の掛け声、この辺なんか、間の取りようで、非常に、おもしろく聞こえますなあ。そして、賑やかな、伴奏が入りまして、後半へと、続いてまいります。桜ノ宮での、花見の場面。飲んだり食べたりする、この辺りが、一番の笑い所でも、ありますねやけれども。お茶を、本物のお酒のようにして、飲んだり、卵焼きと心中しかける所なんか。そして、ちょっと、後味が悪くなりますけれども、喧嘩をして、取って来たもんを飲み食いして、太鼓持ちに咎められて、サゲになると。一昔前、貧富の差の激しかった時代では、別段、何とも思われなかったんでしょうなあ。しかしまあ、あっさりと、イヤ味の無い程度に、やっておくのも、演出なんでしょうけれども。とりあえず、登場人物が、多いですので、それなりに、人間がたくさんいて、花見で浮かれている気分が出ましたら、お慰みでございますな。
東京では、ご存知、『長屋の花見』。熊さん八っつぁん、勢揃いで、花見に行くと。よく言われますのは、東京では、大家さんの発案で、花見が実現するのですが、上方式では、自発的に、長屋の住人が、花見に出掛けようとすると。これが、東西の大きな違いなんて、よく評論されているのでございます。まあ、内容は、一緒で、サゲも同一、途中で切られるのも、ほとんどですが、ただ、何か、雰囲気が、ちょっと違う。東京式が、普通、世間一般を連想させるのに、上方式が、これまた、生活感のにじみ出た、ベタと言いましょうか、リアルと言いましょうか、ホントの庶民を描いているように、思えますねやね。
所有音源は、故・初代桂春團治氏、故・六代目笑福亭松鶴氏、笑福亭福笑氏、桂九雀氏のものがあります。春團治氏のものは、もちろん、SPレコードからのものですが、このおかしさは抜群で、長屋の連中が、目に浮かぶような、おもしろさでございます。時代も、ありましょうけれども、最後の、喧嘩からの場面も、結構、多く時間が割いてございまして、意外と、太鼓持ちの向こう意気と、それを止める旦さんに、貫禄も、ございますねやね。松鶴氏は、割り合い、間を取って、じっくりと演じられておりまして、おもろいもんでございました。卵焼きと心中寸前の所なんか、実際に、見ていると、おもしろかったことでしょう。福笑氏も、爆笑の連続で、松鶴氏同様、喧嘩以降は、あっさり目に、演じられているようでした。おなご連中も、おかしさを引き出しておりましたなあ。九雀氏は、時間の関係も、ありましたか、途中で切られておりまして、割り合い、こってりした演出でなく、大笑いを取られるというものでした。
とりあえず、上方から、東京に移されて、非常に有名になった、落語でございます。元は、こんなに、もっちゃりした話なんでございます。でも、最近、あんまり、演じられないのか、聞かないことが、多くなりつつありますなあ。残念ながら。
<21.4.1 記>
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