今月も、お珍しいお話を聞いていただきます。演題は、『けつね』。キツネのことでございます。大阪、特に、南のほう、また、奈良方面にかけましては、今でも、キツネのことを“けつね”、きつねうどんを“けつねうどん・けつねうろん”と発音すると申しましょうか、聞こえると申しましょうか。先日、とある方と、しゃべっておりますうちに、サルが農作物を荒らす話を聞きまして、鉄砲で撃とうとすると、命乞いをするのは、ホンマかどうかというのが出てまいりました。そこで、思い出しましたのが、この話。長らく聞いておりませんでしたので、忘れかけていたような、珍しい新作落語、と申しましても、もう60年程前の新作でございます。

 頃しも秋の末、大和平野は、高田の在をば離れまして、年の頃は四十五・六、打裂羽織(ぶっさきばおり)に野袴(のばかま)、雪駄履き、 大小二本を差しております、お侍が、この話の主人公でございます。急がん旅と見え まして、野良仕事をしております人に話しかけたり、子どもに相手になったりしながら、北へ北へと歩いてまいります。と、百姓家の脇から、飛び出しましたのは、十五・六の、かわいらしい娘さん。「どうぞ、お待ちくださりませ。」「身共か?」「お願いがございます。どうぞ、お助けくださいませ。」と、言われましても、お侍のほうも、突然のことで、面食らいますわなあ。助けてやっても良いけれども、しかし、よくよく見れば、どうも、この娘の様子がおかしい。問いただしてみまするというと、これが、人間ではない、けつね・キツネでございます。しかも、処女。そら、どうでもエエといたしまして、キツネ・タヌキに化かされるような、お侍ではございませんけれども、しかし、最初から、キツネと言われたからには、これ以上に、騙しようも無い。そらそうですわ。ただ、願いの筋を、聞いてみるだけでも、聞いてやらないかん。

 ま、おなじみの、お囃子が入りますけれども、このキツネの一家というのは、吉野山に近い、下市の在に住んでおります。『千本桜』のすし屋のお里は、十一代前のお婆さん。弥助も権太も、みなキツネ。んな、アホな。しかし、義経さんの“義”の字は、“ギ”と読むし、“常”の字は“ツネ”。合わして、ギツネは、やっぱりキツネの一門。源(みなもと)九郎で、源九郎(げんくろう)稲荷。まあ、そらエエといたしまして、このキツネの姉キツネが、親類の仲人で、嫁入りすることになっている。今朝も、川西の知り合いへ、その挨拶に行く途中、悪い狩人に捕らえられ、引っ立てて行かれたて。明日の朝には、必ず、お金に換えようと、売りに行かれるであろうと。父親には、早く死に分かれておりますので、母親に、キツネだけに、コンコンと言い聞かされて、探しに出されました。こうと分かった以上は、母さんが愛しい、姉さんが気の毒じゃと、助けていただきたいという話でございますなあ。

 事情が事情だけに、お侍さんも、助けてやろうと、その狩人の家、甚久郎の家にと、娘を案内に立たせます。池のぐるりを通りまして、藪を抜け、へいびき山の麓の、甚九郎の家へ。柿の木がありまして、大きな赤犬も居ります。「ああ、許せよ。」「お越しあそばせ。」と、突然に入りましたが、要するに、今朝ほど捕まえたキツネを逃がしてやって欲しいと、相談をいたします。このキツネにも、母キツネがあり、妹キツネも、あるじゃろうと言い出しますというと、どうも、甚九郎、この侍を、キツネやと思うたらしい。キツネが、侍に化けて、逃がして欲しいとやって来たと。しかし、お侍さんも、頭を下げて、逃がしてくれと頼みますというと、甚九郎も狩人が商売ですから、金を出したら、売ってやる、逃がしてやるという話になります。そらそうですわなあ。そこで、お侍は、二分を出しますが、それでは、どうも不足らしい。甚九郎が言うのには、五両。五両!と思いますけれども、不憫には、変えがたい話で、旅先のこと、路銀も、たくさんございませんが、五両を渡しまして、キツネを譲ってもらいます。それこそ、このキツネに、危ないことを戒めまして、また、恩に感じるなれば、これからの道中の安全を、守ってくれと頼んで、逃がしてしまいます。

 陣九郎のほうは、大喜び。五枚の小判を、亡くなった、カカへも見せてやろうと、仏壇の前へ並べまして、囲炉裏の傍で、一服をしております。裏口から入ってまいりましたのは、何と、さいぜんの娘。要するに、妹キツネや、なかったんですなあ。本当の人間で、これがキツネのふりをして、お侍さんを騙して、五両を掠め取る(かすめとる)という、悪だくみ。褒美に、郡山の町か、奈良かどこぞで、着物やら簪(かんざし)やら、買うて来てやて。しかし、ウマイこといきましたなあ。陣九郎の娘のほうは、キツネに化けるのに、一苦労。そら、バレたら、刀で、ズバッといかれまっさかいになあ。娘も、五両というような大金を見たことが無い、一回、拝ませて欲しいと、お仏壇の前まで来ますというと、小判がのうて、柿の葉が五枚。エライこっちゃと、代官所へ…。そんなもん、訴えられまっかいな。逆に、お咎め(おとがめ)を受けんならん。さては、さいぜんの侍、ホンマのキツネやったかも分からん、何ぞ、仕返しをして、取り戻そうと、甚九郎は、考え出します。

 一方、そんなこととは無縁の、さいぜんのお侍、郡山の町へ入りました折には、ちょうど夕景小前。夕方ちょっと手前。町の入口には、宿屋さんが軒を並べてございまして、客引き女が、お客さんを呼び込んでおります。「へぇ、どなたも、お泊りやないかな」と、いつものキッカケで、“泊まりじゃな〜いか〜泊まりゃんせ〜な〜”の下座が入りまして、紀伊国屋という宿屋さんの前へ。「何、紀伊国屋?身共も、紀伊ノ国湯浅藩のものじゃ。」と、同名がゆかりで、この宿屋さんへ上がります。山出しの女中さん相手に、田舎酒を呑みまして、ご飯が済むと、寝間が敷かれます。行灯(あんどん)の芯をかき立てまして、旅日記を付けておりますというと、頭は真っ白、二重(ふたえ)腰になったような老人が、それへさして、スーッと。

 誰でも、ビックリしますわいな。「何やつじゃ?」と問えば、今日、箸尾の在で、助けてもらったキツネやということ。しかし、助けたのは、娘の、姉キツネ。こんな老人では、なかったはず?そこは、キツネのこと、女が男に化け、化かし、化かされ…。そら、エエといたしまして、何で、今ごろ、助けたキツネが、出て来ましたんやろ?今ごろは、母・妹と、無事に、家に居るはず。「訳を申せば…」と、これもおなじみ、語りの場面。キツネと化けた甚九郎の娘が、ウマイこと、お侍さんを騙して、五両を掠め取った。どうせ、極悪非道の甚九郎なぞ、往生出来ぬに決まっていると、小判を木の葉と、すり替えて、この助けてもらったキツネが、お侍さんに、ご恩返しに、返しに来たと。

 そんなこととは、夢にも思っておりませんでしたけれども、とりあえず、五両の金を受け取ります。続けて、その老人が言うのには、「必ず、ご油断なりませんぞ!次の間に、物騒な奴が…。」と、取り合いの襖(ふすま)をば開けますというと、顔は、鍋墨(なべずみ)で真っ黒、右の手に種子島の鉄砲、左の手に火縄を持った奴が、へたばって居ります。「んッ。汝(なんじ)は、甚九郎ではないか?飛び道具を所持なすとは、我に危害を加えんためか。仔細を語れ。もし、謀る(たばかる)ことあらば、容赦は致さん!」「申します、も〜します。」と、これも、常套(じょうとう)手段。「面目ないやら、恥ずかしいやら。あなたを騙して、ケツネを売った金五両、嬉しさ一杯、儲けは千倍。死んだカカにも、喜ばそうと、仏壇へお供えして、ほんの少しの、タバコ一服。二服と吸わぬ、その間に、小判は消えて、木の葉が五枚。 “こりゃ、どうしたぞ、何とした?”舌切り雀の婆さんが、重い葛篭(つづら)の化け物より、こっちは軽い柿の葉で、こりゃ侍もケツネじゃと、早合点やら早支度して、村から里へと行方を尋ね、ようようここへ紀伊国屋。様子を探って次の間から、ただひと撃ちと、火縄の火を、移そうといたしますと、五体は、たちまち痺れ(しびれ)だし、手足の自由が叶わぬは、これもやっぱり、ケツネさまのお力じゃろか。あぁ、おとろしやのう、おとろしやのう…。」

 お侍も、キツネやと思って、仕返しに来たんですなあ。そこを、この老人、キツネの仕業で、体が痺れて、お侍さんを、鉄砲で撃てんようになってしもた。と、そこへ、またも、下座から、ボ〜ン、ボ〜ンという音。「甚九郎、今鳴る鐘は、何時(なんどき)じゃ?」「たしか、亥の刻、初夜でございます。」「何、初夜?貴様が狩人で、キツネが来て、今が初夜か。」「へぇ、狩人にケツネに庄屋、“ケツネ拳”でございますなあ。」「何、ケツネ拳?ハッハッ、ハッハッハッ〜。ケツネ拳とは、おもしろい。甚九郎、今までのことは、水に流してつかわす。そのほう、これより立ち返り、娘のキツネに“ここへ、いっぺん、遊びに来い。”と言うてやれ。」「いやぁ〜、なかなか、娘も恥ずかしがって、もうここへは、コン、コン。」と、これが、サゲになっております。“ここへ来る”の“来る”の“来ん”と、キツネの鳴き声の“コン”を掛けてあるわけですなあ。

 上演時間は、二十分前後。全く、不思議な話でございます。そんなに、笑いが多いわけでも、ございませんのにね。短いわりに、意外と、場面転換が多く、頭の体操には、良いお話でございますね。冒頭は、お侍さんに、娘さんが、助けを求めるという、危急さを感じさせる場面から、話は始まります。お侍さんが出てくるというのは、もちろん、江戸時代の話ですから、その点は、最後まで、ご留意下さいませね。嫁入り前の姉さんキツネが、甚九郎という狩人に、捉えられてしもた。これを助け出して欲しいて。もっともな話ですので、甚九郎の家に行きまして、キツネを逃がして欲しいと。談判の最後は、やはり、お金。そら、そうですわなあ。商売ですから。逃がしたキツネに、道中の安全を頼むのも、ポイントですな。『天神山』の、キツネに嫁はんを頼む場面も。しかし、この最初の妹キツネは、キツネではなくって、甚九郎の娘。まんまと、大枚五両が儲かったと、嬉しがって見ると、これが柿の葉五枚。普通の葉っぱではなくて、柿の葉ちゅうのも、大和独特で、シャレてまっしゃないかいな。さては、あの侍のほうが、キツネであったのかと、仕返しに甚九郎が出掛けます。そんなこととは、つゆ知らず、それはそれで、終わったことと、お侍のほうは、紀伊国屋という、郡山の宿屋へ一泊。寝る前に、旅日記を付けております所へ、じじむさい老人が出てまいります。これが、助けたキツネ。一部始終を聞き終えまして、取り合いの襖を開けますというと、甚九郎が、このお侍を、鉄砲で撃とうとしておりました。実際には、キツネの力で、痺れて、体が動かしまへんねんけどね。ここで、この甚九郎の言い分も聞きまして、サゲになると。「ようようここへ紀伊国屋」てな言い回しも、シャレてまっしゃないかいな。お侍が、紀州の湯浅の方で、紀伊国屋に泊まるようにしたのも、このためでしょうなあ。ちなみに、ケツネ拳・キツネ拳、ご存知無いでしょう。両手を膝に置くのが、庄屋さん、両手を開いて、耳へ持って行ったり、頭の上から出したりするのがキツネ、握った手を前に出して、鉄砲で撃つマネをするのが、狩人とか鉄砲とかいう、遊びです。拳ですな。ジャンケンみたいなもん。庄屋さんは、狩人に勝ち、キツネに負ける。キツネは、庄屋さんに勝ち、狩人に負ける。狩人は、キツネに勝ち、庄屋さんに負けると。トラ拳とか、バラ拳とか、とりあえず、拳の一種でございます。どれくらい前までは、ポピュラーな遊びだったのでしょうか?

 東京では、ございますまいね。冒頭にも述べました、何十年か前の、上方での新作でございますもん。これは、作者等、いわれは、ハッキリしておりまして、森暁紅(もりぎょうこう)という方が原作、花月亭九里丸(かげつていくりまる)という、これも有名な方が、脚色をされております。初演の演者が、故・橘ノ圓都氏で、私も、その録音のマクラで、この仔細を、聞かせていただきました。元来は、故・四代目桂米團治氏にやってもらうところであったのが、回って来たということでしたなあ。別バージョンも、聞いたことがございますので、2回だけですけれども、とりあえず、圓都氏のものしか、知りません。後は、誰か、やったはんにゃろねぇ?何と申しましても、お侍さんの言葉、雰囲気は、ウマイですな。筋の運びも、ワクワク感がございまして、非常に楽しませていただけるものでございました。

 そのマクラの詳細は、また、どこぞの音源でお探しのほどを。多分、NHKだと思いますがね。当時の様子が知れて、貴重な物となっております。笑いは少ないんですが、意外と、こんな話、好きですねん。その割りに、難しいんでっしゃろ。


<21.9.1 記>


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