正式には、八月でしたか、道頓堀の松竹座で、桂春菜さんが、お父さんのお名前であります、春蝶を襲名されました。先月、九月二十七日には、京都の南座で、襲名披露興行が行なわれまして、寄せていただきました。友人が、知り合いであるらしく、おこがましくも、引っ付いて行ったようなもんですわ。昼夜二回興行のうち、夜の部に、行かせていただきましたが、この時の出し物が、『立ち切れ』。こらもう、出ておりますので、松竹座の時にも、出されておりましたし、以前にも、拝見させていただいたことのある、今回は、『七段目』で、お祝いの代わりとさせていただきたいと思います。

 主人公と申しますのは、落語には、特に、上方落語には、よく出てまいります雰囲気を持っております、芝居道楽の若旦那。芝居、ただいまで申します、歌舞伎が好きで、好きで、たまらんというような。今日も、今日とて、親旦那、番頭を前にいたしまして、息子に、小言を言おうとするところ。そらねえ、芝居見に行くのは、よろしいけれども、月に三日は、休ませてもろてるて。役者より、よう出入りしてまんがな。ある時なんか、いつになく、“店番します”と言うので、奥から覗いてたら、どこぞの巡礼の親子が入って来た時、“見れば見るほど、かわいらしい巡礼の子、して郷(くに)は?”て、これまた、おかしな口調で、聞きよった。“大和の郡山でおます。”“そんなはずは無い。阿波の徳島や。”て、勝手に決めて、しまいに、子供の頭を、ボンと。親に、何ぼか渡して、随分、謝ったやて。アホらしいも、アホらしい話ですわなあ。と言うてるところへ、若旦那、向こうの辻から、六方踏んで、帰って来なはった。

 「遅いやないか。どこ、うろちょろしてたんや。」「ははっ。遅なはりしは、拙者、重々の誤り。さりながら、御前へ出づるも、間もあらんかと、お次に控えておりました。」やて。おんなじ忠臣蔵でも、『三段目』やないにゃし。と思うておりますと、次々に、芝居のセリフで、若旦那が返答に及びます。この部分、いくつかは、私程度でも、分かりまんにゃけれども、全部は、知りませんねやわ。すんません。『妹背山』とか、『團七九郎兵衛』ぐらいですかなあ。とりあえず、芝居の声色らしく聞こえる部分は、そうでございますわ。芝居口調で、口ごたえするんですから、親旦さんも、怒ってなはる。番頭さんが間に入って、まあまあまあとなりますが、「今日は、どんなことがあっても、下へ降りて来ることならんで。二階で、静かにしてなはれ。」やて。しかし、怒られながらでも、二階へ上がる梯子段、階段でも、芝居してなはる。八百屋お七の、火の見櫓の段やて。トッテンチンリン、トッテンチンリン言いながら、途中で、いっぺん、ずり落ちて来る。ホンマ、まともに、二階へも、上がられへん。

 そんな人が、二階で、静かにしてられますかいな。「翼が欲しい、羽が欲しい。」やて。だんだん、芝居を見てるような気になりまして、大向うの掛け声、「日本一!」「松嶋屋!」「音羽屋!」て、大きい声や。そら、下に居る、親旦さん、たまったもんやない。ほうきで、天井突いたぐらいでは、応えませんがな。「定吉!」「へ〜ぃ。何、御用にござりまする?」って、丁稚さんまでが、芝居の口調。この家は、化けもん屋敷やがな。とにかく、親旦さんの意見で、若旦那の芝居のマネ事を、やめるように、使いへやらされます。二階へ上がりまして、定吉っとん、若旦那に声を掛けますが、そんなことなんか、聞こえますかいな。芝居に夢中ですねやさかいに。「やぁ、やぁ、若旦那」と、これも、芝居口調、忠臣蔵の裏門の場面ですがな。下座から、お囃子が入りますけれども、うまいこと、これが地に合うたある。『小倉船』なんかにも、出てきますねやがね。定吉っとんは、芝居のマネをやめるように諭しますけれども、こちらのほうも、さいぜんから、お分かりの通り、根が好きなもんと見えまして、若旦那のほうに、取り込まれてゆく。一緒に、芝居やりまひょうと。

 しかし、役者が二人だけで、出来る芝居とは?忠臣蔵が出たんで、七段目、一力の茶屋場から、平右衛門とお軽の、掛け合いの場面をやろうと。となりますというと、自然と、女形のお軽は、定吉っとん。その辺の箪笥を開けますというと、女もんの赤い長襦袢(ながじゅばん)が入っておりまして、これに着替えます。顔が具合悪いんで、お軽やのうて、お猿になりますんで、手拭いで、姉さんかぶり。若旦那の平右衛門のほうは、お侍さんでっさかいに、刀が要りますので、葬礼差しを、腰に差します。昔、葬礼、葬式の、お弔いに立つのに、葬礼差しというて、短い刀を差したんですな。飾りもんですけれども、しかし、ここに置いてあった刀は、本身で、ホンマに切れるということ。そやけど、芝居する程度の話でっさかいに、格好もんに…。言いながら、芝居に夢中になったら、ひょっとして。「抜かへん、抜かへん」言いながら、手紙書いてるあたりから、芝居は始まります。下座から、合わせて、三味線が入りますなあ。

 ちょっと、詳しく、表現がしにくいんですが、見せ場の場面でございます。平右衛門と、お軽が、由良助の話。仇討ちの本心が無いと思うが、それは大間違い。例の手紙の一件を語りまして、身請けになるということで、平右衛門は、知恵を見せまして、妹のお軽を…。殺そうとする場面で、踊り地が早間になりまして、若旦那が、ついに、葬礼差しに手を掛けまして、抜いた!抜いた!の大立ち回り。なんじゃ、二階から、赤いもんが、ころこんで落ちてきた。ビックリいたしました、親旦さんが、水を掛けようと…。あっ、飲んでしもた。プゥーっと。「しっかりせい」「私は、勘平さんという夫のある身。」「丁稚に、夫があってたまるかい。ははぁ、二階でまた、あのアホと、芝居してたんやろ。てっぺんから落ちたか?」「いいぇ、七段目。」と、これがサゲになりますな。要するに、やってた芝居が、忠臣蔵の『七段目』ですので、“てっぺんから”と聞かれて、“七段目”と。逆に、親旦さんも、芝居を知らないわけではございませんので、「茶屋場をやってたんやな。七段目で落ちたか?」「いいぇ、てっぺんから落ちました。」という、サゲもございます。

 上演時間は、二十分から二十五分程度、長い長いものではございません。鳴り物の手が揃うておれば、普通の寄席なんかでも、演じられるでありましょう。芝居というものが、一般常識であった時代には、今よりも、なおさら、ウケたことと思います。といえども、芝居を知らなくても、結構、楽しめる話でありまして、笑いもあり、芝居の見せどころもあり、ちょっとした、ご趣向には、よろしおすわなあ。冒頭は、親旦那が、芝居道楽の若旦那に、意見をする場面。この受け答えが、また、芝居のセリフになっておりまして、おもろい。お珍しいですが、『義太夫息子』と一緒ですけどな。もっとあるんですかなあ?詳しくは、存じませんけれども。それから、二階へ監禁?軟禁?状態に。その二階へ上がる階段でも、芝居してなはる。こら、アカンわ。当然、上でも、なんじゃろと騒がしいので、丁稚の定吉を止めにやらせますが、これも同様になってしまう。ここで、本文では、鷺坂伴内の出にしておりますが、単なる、取り次ぎの侍のようにして、入る型もございます。お囃子無しでね。実は、ここは、意見の分かれる所でありまして、その場の雰囲気にも、よるんでしょうなあ。芝居を、たっぷりと見せる型と、話の筋を、運びを重要視する型とでも、言いましょうか。それからは、見せ場の『七段目』の芝居。でも、ここでも、あんまり、勢い良すぎても、話が分からなくなりますので、そこそこに。そして、本身の刀を抜かれて、定吉が階段から落ちて、サゲになると。他愛も無いかも知れませんけれども、楽しめる話です。

 東京でも、同様にして、演じられております。もちろん音源ですが、先代の三遊亭圓歌氏なんか、派手な演出で、おもしろかったですし、最近では、林家たい平氏なんか、見応え十分でございました。所有音源は、桂米朝氏、桂文珍氏、故・桂吉朝氏、他にも、冒頭の春蝶氏などなど、いろんな方のものを聞かせていただいております。米朝氏は、伴内の登場は無く、話の、ストーリーの展開のおもしろさを、描いておられました。これは、意外と、逆に、『七段目』の芝居の部分が、盛り上がりますな。文珍氏は、笑いを多く取っておられました。芝居の見せ場も多く、十分に、堪能できる話でございました。吉朝氏も、これまた、十八番のネタで、華やかな、派手な演出でしたな。動きも多く、ほんに、芝居噺を満喫できるというような。春蝶氏も、にぎやかな雰囲気で、見せ場を作っておられました。トリに使えるようなネタとして。

 個人的には、派手な、芝居の演出も好きですが、話の、筋の運びを失わない程度に、守っていただくのも、一つの型とは思います。しかし、昔に比べたら、近ごろ、このネタ、よう出ますにゃわ。

<21.10.1 記>


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