
もみじの色づく季節…。と申しましても、最近は、十二月のほうが、キレイですな。十一月下旬から、十二月の始め。寒さ、冷え込みによりましては、キレイに色づく年もあれば、そうでない年もあり、まあ、天候に左右されるわけですが。このまた、京都の人にとりましては、人も車も多いので、考えもんなんですけれども、古来より、もみじの名所といわれておりました、竜田川より、今月のネタを選ばしていただきました。『千早ふる』でございます。
主人公が、物知りの甚兵衛さんの家に上がり込むという、いつもの話の始まりでございます。相談にやって来たのは、娘のこと。学校から帰って来て、奥の部屋で、四・五人連れ立って、なんじゃやってる。取り合いの障子をば、細めに開けまして、覗いてみるというと、花札。しかし、普通の花札やない。けったいな花札。普通は、黙ってやるもんやのに、一人が、声をあげて、札を読み上げる。「瀬をはやみ〜」「ハイハイ」って、『崇徳院』や、おまへんで。百人一首。要するに、藤原定家という方が、百人、一人一首ずつ、有名な歌を選んだという、カルタみたいなもん。花札にしたら、エライ坊主が多い。って、当たり前や。
その覗いてる所を見つけられて、娘が、この歌の意味を教えて欲しいと、一枚の札を出した。“千早ふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くぐるとは”という在原業平(ありわらのなりひら)の歌。娘の友達が居る手前、知らんとは、情けない話で、“ちょっと、便所へ先に行て来る。”言うて、家を抜け出して来たて。そこで、物知りの甚兵衛さんのことでっさかいに、歌の意味を教えて欲しいと。「そんなもん、先に、言うとかんかい。また、夕方に、おいで。」って、なんじゃ、怪し〜い感じでっせ。そやけど、家へ帰ったら、娘が待ってるので、今すぐにでも、教えて欲しい。「つまりやな、“千早ふる”と来たら、“神代もきかず 竜田川”と、こないなるやろかい。“からくれないに”は、“水くぐるとは”と。決まったある。往に。」って、区切って言うただけのことですがな。
それでは、いかん。「竜田川、だいたい、これを、何の名前やと思う?」「そら、川の名前でっしゃろ。」「そこらが、間違うたある。こら、すもんとり(相撲取り)の名前や。」江戸で、大関までにもなった、相撲取りが、この竜田川。タニマチ、ご贔屓衆と一緒に、吉原へ行った。二階座敷から下を見ると、花魁(おいらん)道中の真っ最中。中でも、全盛とうたわれた、千早太夫が、この竜田川の目にとまった。ご贔屓衆に言うて、来てもらうように使いを出したんやが、お大名同様の格を持った太夫さん、そう簡単には、首を縦には、振らんわいな。ほな代わりにと、誰ぞを探したんやが、この千早太夫の妹で、神代というのが居る、これを引き合わしたらと、これも、使いに出したが、あんじょう、断られてしもた。竜田川、怒ったの、怒らんの。“相撲取りなんかやめじゃ”と、実家へ帰って、豆腐屋になる。何で?て、実家が豆腐屋さんやったんやね。ここで、一生懸命働いてるうちに、三年の月日が流れた。ある日のこと、店先に立ちましたのは、髪は、さんばら、ボロボロの着物に、縄の帯をしめた、女の乞食。“どうぞ、お余りを。”心の優しい竜田川、おからを手一杯にすくい上げて、渡そうとする。受け取ろうとする、互いに見交わす、顔と顔。これがなんと、三年前に、全盛とうたわれた、千早大夫の、なれの果て。“おのれ、あの時の、千早大夫やないか!”と、竜田川、怒って、店から叩き出してしまう。千早大夫は、横手にあった、井戸へ身を投げて、死んでしまったという話。これが、全て。
そんな歌の意味て、ありますぅ?よう考えてみとくれやっしゃ。千早大夫が、竜田川を振ったので、“千早ふる”。妹の神代も振ったので、“神代もきかず 竜田川”と。おからくれへんかったんで、“からくれないに”。井戸へ身を投げたので、“水くぐるとは”。ああ、ようでけた話や。ウマイこと、解決したわ。しかし、井戸へ落ちるだけやったら、“水くぐる”だけで、よろしいやん。「“水くぐるとは”の“とは”は、何でんねん?」「ようよう考えたらな、“とは”は、千早の本名やったんや。」と、これが、サゲになりますな。苦し紛れに、源氏名の千早から、本名の“とは”を引き出したというところでございますわな。
上演時間は、二十分から二十五分ぐらいですか。もうちょっと、短いものもあります。どちらかといいますというと、寄席向きの、軽い頭の体操といった感じでしょうか。爆笑は、期待できないかも分かりませんけれども、なかなか、おもしろい話で、落語らしい感じがしますな。場面転換は、ございませんけれども、最初は、この、千早ふるの歌を教えて欲しいとなるまでの、いきさつです。娘さんが、百人一首をしているところへ、見に行って、歌の意味を尋ねられる。知らないので、便所へ行くフリをして、家から逃げて出てきて、甚兵衛さんに、教えてもらいに来ると。花札と間違えるところが、おもしろいやおまへんか。そやけどね、昔は、相当に堅いお家と違うたら、花札やとか、麻雀ぐらい、正月なんか、家でやったはりましたなあ。聞かれた甚兵衛さんも、知らんのに、知らんとは、よう言えん方で、何となく、しゃべり始めます。この歌の意味が、逆に、とてつもない発想やおまへんか。相撲取りの竜田川が、千早大夫に振られて、豆腐屋になり、三年後に再会。乞食になった千早に、おからをやらず、千早は、井戸に身を投げて死んでしまうて。これ考えるほうが、よっぽど、エライですわ。感心も得心もしたところで、サゲになると。
東京では、よく演じられております。やっぱり、どことなしに、よく似合いますな。所有音源は、笑福亭福笑氏、桂文太氏、笑福亭三喬氏、林家花丸氏のものなどがあります。福笑氏のものは、こんな話ですのに、よく笑いを取っておられました。主人公の、根掘り葉掘り聞く間合いが、おもしろいですわな。文太氏は、これまた、甚兵衛さんの、しどろもどろさが、何ともいえん、おかしみを加えておりまして、おもしろいものでした。三喬氏は、主人公が、ホンマに何にも知らん人で、おもろいでんなあ。花丸氏は、その甚兵衛さんの、おかしみがありますな。途中で、歌劇のように、歌を歌うたはりましたけれども。
とりあえず、何とはないようなネタでは、ございますれど、落語に親しんでいただけるのには、分かりやすい話かも分かりません。在原業平さんの歌も、こない使われるとは。“とは”…。
<21.11.1 記>
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