今月は、『祝いのし』です。別に、意味は、ありません。いろんなネタが、だいぶと出揃っておりますので、探すほうが、なかなか難しくなってまいりまして、何にしようかいなあと、演題を眺めておりまして、五十音順に、最初のほうで、目に付いたというだけのことでした。オリンピックで活躍されました、選手の方々に、お祝いもんの、あわびの貝ということで。エライこじつけや。

 主人公は、相も変わりません、喜ィさんという、おもしろい男。家へ帰って来るなり、「腹減った。マンマ喰おうか?」て。そない言うてるさかいに、近所のもんは、皆、ウマイこと名前を付けてる。ハト親父やて。ブラブラ、ブラブラしてて、エサ時分になったら、帰って来るさかいに、ハト親父やて。「ほたら、クゥクゥ。」いよいよハトですがな。まあ、こうなるやろうと、おかみさん、段取りをしておいたと。向かいの、お家で、二十円借りて来たて。そのお金で、魚屋へ行って、何でもエエ、尾頭の付いたもんを買うて来たらエエと。しかし、そんな尾頭の魚が二十円で、夫婦二人、腹の膨れる訳が無い。今度、家主の息子さんが、お嫁さんを貰いなはる。その祝いに持って行くと、向こうは、張り込まるさかいに、二十円のもんで、五十円・百円の、おためを入れて、返してくれなはる。何ぼ入れてくれはるかは、分かりませんけれども、その内、二十円だけ取っといて、それを向かいへ返す分にして、後の残りで、お米を買うという算段。エライ嫁はんですなあ。亭主に、箔も付きますし。長屋のつなぎ以外にねえ。

 とりあえず、魚屋へと、やってまいります。「毎度、おおきに」と言われると、ちょっとツライ。去年の年越しに、イワシ買うたきりでっさかいに。祝いに使うもんですし、何ぞ、尾頭の付いたもんをと。「うちは皆、尾頭付きだっせ。」「ほんなら、たんねるけど、これは、どこが尾で、どこが頭や?」って、タコですがな。タコに、尾頭付きは、ございませんけれども、生貝はどうですと。アワビの貝ですなあ。一つが十五円で、二つが三十円。まけて二十円にしましょと。しかし、エライもんです。魚屋のおやっさんも、喜ィさんが、二十円しか持ってないのを、見透かしたかのように。まあ、何でも、よろしいけれども、とりあえず、二十円で、アワビを二つ買うて、家に戻ってまいります。

 おかみさんに見せますというと、何ぞ、もっと、かさの高いもんが無かったんかいなあと言われながらも、家主さんの家に行こうとします。しかし、今日は、向こうで、黙ってるわけには、いかん。口上、挨拶をせないかん。これを、おかみさんに、口移しで教えてもらいます。「こんにちは、結構な、お天気さんでござります。」この最初からが、なかなか言えへん。「え〜」も「ほたら〜」も、要らん。「お天気さんでござりますと」そんなとこに、“と”は要らん。「戸が要らなんだら、障子にしとこか?」て、また、屁理屈を。「“す”でよろしい」「やっぱり、簾だけ吊っとくのか?」やて。なかなか前へ進まへん。「うけたわまりますれば」が、これも、舌がもつれて、なかなか言えへん。とりあえず、家主さんも、挨拶できんことぐらい、よう分かったはんので、ある程度言うて来たらエエと、お米の袋を持参して、帰りに、お米買う用意までして、アワビを持って、家を出ます。ウマイこと、いきまんにゃろか?

 家主さんの家へ着くなり、「こんにちは」「どなたじゃな?」「こなたじゃ」って、ビックリしまっせ。いつものように、座って、あんきょろり〜んとは、してられしまへんで。口上を持って申し上げると。ウマイことは、いかへんがな。「“こんにちは”です。どうぞ安心してください。」って、“こんにちは”ぐらい、スッと出てきまへんか、てなもんですなあ。「結構な、お天気さんでござります。この調子やったら、明日もエエお天気です。明後日あたりは、危ない。」って、天気予報違いまっせ。「うけた、うけた…」「“うけたわまりますれば”じゃ」「それすれば」言えてへんがな。「おたくのごち…。エライすんまへん、おぶ一杯、もらえませんか?」と、女中さんに、お茶を入れてもらいまして、仕切り直し。「あんたとこに、あるやろ、男の息子。その息子に、カカもろた一件です。」って、口上になってへんがな。「近所親類から、祝いが来まんのでんねん。これは、つなぎの他、私とこだけ。これ聞いてもらわんと、おための都合があるさかい。」家で教えてもろたことを、皆、言うてますがな。しかし、この家主も、なかなかの方、中を改めて見ますというと、生貝。「一ぱい十五円、二はいで三十円。二十円に…」余計なことは、よろしいねん。そういう問題では、ございません、これを喜ィさんが、自分で買うて来たんか、それとも、おかみさん承知の上で、持って来たんかと。それは、承知の上。それやったら、受け取ることは、ならん。おかみさんは、しっかり者と評判で、亭主に箔を付けるがために、したんであろうと。それに引き替え、喜ィさんは、ねぇ…。でっさかいに、物を知らん人間が持って来たんなら、受け取りますけれども、おかみさん承知の上やったら、受け取ることは、ならん。生貝、アワビの貝、世間の人は、皆、どない言う?“アワビの貝の片思い”片思いには、してやりとうないさかいに、家へ帰って、品物を代えて、持って来てくれて。何ぼかかっても、二倍・三倍にしてでも、返すさかいにて。

 そんなこと言われても、この喜ィさんでは、さっぱり分からん。それよりも、お腹が減ってる。お米の袋まで出しますが、家主も、さるもので、この生貝を放り出します。何ぼアホでも、怒りますわいな。「“家主・家主”言うて、エラそうに。どれだけエライねん。家主言うたら、家建てて、人に貸して、その家賃で、飯食うてけつかんねやろ。俺とこは、その家借りたってる、お客さんやぞ。何?家賃が溜まってるて?家賃と米代は、カカの係りや。俺は、散髪代とパチンコ代の。ほれ見ぃ。放りやがるさかいに、二はいの貝が、三ばいに…。」それは、ネコのお椀ですがな。形が、よう似たあるさかいに。汚いもんですがな。生貝を拾いますけれども、「持って帰るさかい、おためだけくれ。」って、んなアホな。「ゴジャゴジャ言うてたら、頭から、煮え湯浴びせるぞ!」怖いですなあ。髪の毛やら、頭の皮、ズルズルなりまっせ。鍋かぶり上人ですがな。

 帰り道、偶然に会いました友達が、「どこ行て来たんや?」「家主に祝い持って行って来てん。」「持って帰ってるやないか。」と、この人に事情を話しますというと、もういっぺん、持って行けと。入口が閉まってたら、足で蹴り上げて、『ゴジャゴジャなしに、取っときやがれ』と。品物が代わってないので、親父は怒る。『私とこで、縁起が悪いというて、返した品物をば、二度持って来るとは、何ぞ、意趣遺恨があってのことか?』と言うに決まってる。『お前ら、何にも知りさらしけつかれへんやろ。お前とこの、ド息子に、ドンカカ貰いさらす、それについて、祝いが来るわ。その祝いには、結構な、のしが貼ったある。その、のしをば、貼ったなり貰うか、めくって返すか、どっちや?』てなこと言うと、『貼ったなり貰います』と言うに違いない。そら、誰でも、そうですわなあ。それ聞くなり、下駄履いたまま、座敷じゅう、一回りする。高い、じゅうたんが敷いたあるさかいに、その上にでも、きばって、太いのを…。こら、失礼。キレイ好きやのうても、誰でも怒る。『この、のしの根本を知ってるか?志摩浦で、海女が捕る。海女という女子は、汚いように見えるけれども、穢れの無い女子が、海へ入って捕る。捕った貝を手桶に入れて番してる女子、この女子は汚れてる。女子というものは、月に一度、月経日というものがある。これを“手桶番”とは、これからいうた言葉や。その貝を大釜まで蒸して、むいて、ムシロを敷いて、その上に並べて、その上にまた、ムシロをかぶせ、後家でいかず、やもめでいかず、仲のエエ夫婦が、夜通し、交合せな、その結構な、のしが捕れんのじゃ!』と、こない言えて。こら、なるほどな話ですわいな。しかし、これぐらいでは、後へ引く家主ではない。のしの種類なと、たんねて来るやろうと。『“の”の字を書いて、下に“し”の字の、わらびのしは、貝のむきかけ。』そうですなあ、むいていくと、長い形ですもんな。『たすきのしは、貝のヒモ。』ヒモのように、長細いですし。『杖突きのしは、貝の裏。』はぁ、貝の裏側ですわな。これだけ仕入れといたら、おためは、百円でも安いと。こら、エライこと教えてくれよった。しかし、これだけの難しい言葉、言えまっしゃろか?

 拍子の悪い、入口は、開いておりましたけれども、「ゴジャゴジャなしに、取っときやがれ。」と。品物が代わってないので、やはり、「意趣遺恨があって、しなさるのか!」と来た。「今度、お前とこの、ド息子さんに、ド嫁さんを貰いなはるやろ。」って、なんじゃ、キレイような汚い言葉で。「近所親類から祝いが来る。その祝いに、結構な、のしが貼ったある。この、のしを貼ったなり貰うか、それとも、めくって返すか?」「貼ったなり貰います。」「貰うなれば…」と、ホンマに、下駄ぐち、お家へ上がりましたがな。しかし、きばっても、出るもんが…。「この結構な、のしのポンポン知ってるか?」また、言えてへんがな。根本ですがな。「この貝はな、路地の奥で捕んねんぞ。」て、何で、そんなとこで、捕れまんねん。ダイマル・ラケットさんの、「アワビが…」思い出しますわ。何で、幽霊出てくんのに、アワビ出まんにゃな。「海女はな、潮風に、おいど、おいど…。おいどは、塩で温めるほうが、よう温もるぞ。」て、『寄合酒』の、かつおだしやないにゃし。「女子は、月に一度の、月給日があるやろ。」どっから、給料貰いはんねん?「ムシロの上で、仲のエエ夫婦が…。後家はんだけでは、かわいそうなやろ。かというて、やもめだけやったら、余計、かわいそうな。」って、放っといたり〜な。「これだ言うたら、百円でも安い。」やて。

 こら、エライこと言うた。家主さんも感心、感心。ただ、これぐらいでは、引き下がらん。「わらびのしは?」「貝のむきかけ」「たすきのしは?」「貝のヒモ」「杖突きのしは?」「貝の裏」「ほんなら」「もう、こんで終い。」そらそうですわ、聞いて、仕入れてきたあんのは、三つだけですもんな。「はよ、おためだけくれ。」「これだけたんねるが、目上のもんが、目下のもんに付ける、省略した、ピュッとはねて、チョンチョンとある、のしは?」「へぇ、チョンチョン、ブツブツ?あらぁ、アワビがぼやいております。」「アワビみたいなもんが、ぼやくかい。」「アワビやさかい、ぼやくんでんねん。他の貝やったら、皆、口を開きます。」と、これがサゲになりますな。お分かりになりますか?要するに、他の貝というのは、二枚貝のことで、貝殻が二枚引っ付いておりまして、物を言う、ぼやくんでも、口を開けないかん。しかし、アワビは、貝殻が一枚であるという意味なようです。ま、口が開いてるさかいに、始終、ぼやいていられると。ちなみに、サゲまで演じられることは、滅多にありません。すぐ手前とか、もうちょっと手前あたりで、ワッとお笑いになったあたりで、切られることがほとんどですな。この、貝の口の意味も、分かりづらいでしょうし、のしの種類というのも、今となっては、ご存知ない方のほうが、大半ですからな。私も、子供の頃、このネタを聞かしていただいてから、教えてもらいました。

 上演時間は二十五分前後でしょうか。元来は、全編通して、お笑いの多い、おもしろいネタなんですけれども、しかし、今現在となりましては、あまりにも、実生活と、かけ離れ過ぎているためか、大笑い・爆笑というには、ちょっと疎遠になりがちな感じが、しないでもなくなってまいりました。昔の寄席では、そらもう、ようウケたもんでござりましょう。冒頭は、喜ィさんと、おかみさんとの、やりとり。案外、ハト親父の名称が、頭に、こびり付きまんねやわ。「ほたら、クゥクゥ」は、ハトの鳴き声と、“食う”が掛けたあんのでしょうなあ。向かいに、二十円借りて来て、これを元手に、魚屋で尾頭付きを買うてまいりまして、家主さんとこの祝いにする。おためを貰いまして、二十円を返す分に引いて、後のお金で、お米買うて来て、ご飯を炊くと。しかし、嫁はんも、よう考えはった。長屋のつなぎ、一軒ずつ何ぼか出して、まとまったもので祝いをする、それとはまた別に、祝いを持って行って、ご飯は食べられるわ、亭主に箔が付くわ。早速、魚屋はんへ行きまして、生貝、アワビを二はい、まけてもろうて、提げて帰って来る。さて、どうなんでしょう?やっぱり昔でも、アワビは高かったんでしょうかねぇ?それとも、鯛のほうが、高かったんでしょうか?どちらも、大きさによりますけれども。祝いもんに、アワビなんて、結構なもんと、私らでも思いますわいな。そこで、口上を教えてもらいまして、家主さんの家へ。この挨拶が、なかなか言えへん。ここら、演者の工夫ですな。おもしろい所です。『黄金の大黒』とか、『月並丁稚』『くやみ』『向う付け』なんかでも、そうですけれども。そこで、家主さんが、品物を見て、付き返す。“アワビの貝の片思い”とな。普通の人でも、気付かんぐらいですのに、家主さんも、なかなかの人ですなあ。帰り道に、友達に会いまして、アワビでも、大丈夫なように、のしの根本を教わる。我々でも、聞いてて、なるほどと思いますわなあ。ホンマかウソか知らんけど。それから、再び、家主さんの家へ上がり込みまして、のしの根本の説明へと。これも、なかなか言えへん。再び、おもろい所です。現在では、あまり演じられませんが、きばる部分は、昔から、入っていたんでしょうかねえ?下駄履いて、きばるなんか、昔の便所を、よく思い出しますわ。そして、のしの種類を聞かれてからが、サゲになると。

 この話、なぜに、あまり演じられないのか?要因は、いくつかございましょう。一番の、それこそ根本は、祝いを持って行って、おためが返って来て、そのお金で、お米を買うて、ご飯を食べるという、この意味が、分からなくなっているのでは、ないでしょうか?一番身近なものは、親類とか友達の結婚式に、祝いを持って、お家へ行くぐらいですか。出産祝いでも、物で返さはりますわなあ。おため、おうつりの観念というものは、だんだん少なくなってまいります。お金の用意できない、咄嗟の場合の、白紙を折った、おため紙・うつり紙ちぇなもんも、どないなりまんねやろねぇ。この落語が出来た当時には、当たり前の庶民生活だったのでありましょう。それから、サゲまで演じられないのは、さいぜんも申しました、ちょっと分かりづらいということ。そして、のしの種類も、今は、普段、気にしてはれへんしね。教えてもらいますというと、ホンマ、なかなか、いわれのあるもんなんですよ。また、ご自分で、お調べくださりませ。途中、公共の電波などでは、使えない、言い草も出てまいりますが、ま、そこは、言葉だけ、抜いといていただけたら、大丈夫でござりましょう。随分前ですが、NHKのラジオ放送で、この部分だけ、無音になっていたことがありましたな。でも、月経日は、通るんですよ。ま、あんまり、触れんときますわ。

 東京では、『鮑のし』の演題が使われているようです。内容は、だいたい同じものですが。何回かは、聞かせていただいたことがございますけれども、やはり、上方式のような、アクの強い部分は、少ないように思われますね。所有音源は、故・二代目桂春團治氏、三代目の、今の春團治氏、故・桂文枝氏のものがあります。二代目さんのものは、やはり、有名な『春團治十三夜』の中のものですけれども、昭和二十年代、よくウケていること、ウケていること。この時代には、実生活と結びついていたので、ござりましょうな。とりあえず、全編大爆笑でございます。登場人物も、それぞれに違った描き分けで、イキイキとしておられますね。これに限ってかどうかは、分かりませんけれども、サゲまで演じておられます。現春團治氏も、よくやったはります。のしの種類を省かれて、後家はんと、やもめの部分で、盛り上がった所で、途中で、降りられるというパターンですな。今でも、よくウケておられるのは、やっぱり、持って行きようなんでしょうかねぇ?脱帽でございますけれども。二代目さん、お父さんの病床で、稽古をしてもらったという、有名な逸話が残ってございます。文枝氏も、昔は、よくやったはったんでしょう。たま〜に、音源が残ってございますわ。向かいではなくて、お隣りやったと思うんですが、お金を借りに行く場面も、入ってございます。そして、私の聞いたものの中では、どこぞで、途中で、終わったはります。たいがいは、サゲの、ほん前でしたんでしょうか?詳しくは、存じませんけれども。おかみさんの、しっかりしている所なんかも、印象に残りますね。

 おそらく、今後、あんまり、やられんネタで終わるような気がして、ならんのですわ。何か、ちょっと違う視点から、また、新しく立て直して欲しいような、気がしないでもないような。でも、古いままのほうが、エエようにも…。

<22.3.1 記>


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