四月になりました。何事も、スタートの時期。といえども、わたしゃ、何の変わりも無く、毎日を過ごしておりますけれども、今年も、桜が咲きました。ま、言わんでも、勝手に咲きよんねけどね。花見なんぞに行く気も、とうに何十年も前から、ございませんけれども、家の横手が桜並木ですので、たくさんの人出でございますわいな。ということで、話のほうも、桜で楽しんでいただこうと、今月は、ちょっとお珍しい、『鼻ねじ・鼻捻じ・花ねじ・花捻じ』でございます。どちらかと申しますというと、季節が限られておりますので、あんまり聞きませんな。

 「定吉、定吉」と、いつものように、旦さんが、丁稚さんを呼んでなはる。今日はいっぺん、何回呼びよるか、数えてたろて。ま、これも、よくある導入部分でございます。使いに行けて。遠い所ではございません、すぐ隣りのお家、漢学の先生とこ。旦さんは、怒ってなはる。というのも、庭へ出てみるというと、桜の花が、バラバラと散る。おかしいなあ、咲き始めたとこやのにと、見ておりますというと、隣りの学者が、高塀へハシゴ掛けて、桜の花を折ってやがるのやて。文句を言おうとすると、ハシゴから降りて、家へ入ってしもた。そこで、定吉っとんを、直談判にやろうという使い。こら、あんまりエエもんやおへんけどね。しかし、回数が重なっては、どんならん。「今日は、結構な、お天気さんでござります。私は、隣家の大橋から参りました。罪咎(とが)の無い桜、なぜ、お折りになりました?ご入用なれば、隣家様のことゆえ、根引きにしてでも、差し上げます。無沙汰で折るとは、その意を得ません。落花狼藉にござります。あなた様も“しのたまわく”の、ひとつも、お学びになった方に、似合わぬ仕儀にござります。ご返事を頂戴してまいります。」と。こら、子供さんにしては、なかなか難しい口上。

 これも、よくある、口移しで教えてもらいます。「今日は、結構な、お天気さんでござります。と。」「いやいや、そんなとこに、“と”は要らん。」ちゅうやつですなあ。旦さんの言う通りに、言うたらエエというので、「え〜い、腹の立つ。」「え〜い、腹の立つ。」と、定吉っとん、とうとう、旦さんの頭を…。そら、怒られるわ。「隣家の大橋さんから参りました。」「何で、そんなとこに、“さん”を付けますのじゃ。今日は、かめへんのじゃ。」「ほたら、大橋。」と、これも、よくある手でござります。「落花狼藉にござります。」「ぱっぱ唐人でござります。」そら、ちょっと難しい。「あなた様も“しのたまわく”の、ひとつも」「あなた様も“火の玉”転がした」って、危ないなあ。要するに、相手が学者、漢学者であるがゆえに、口上も、捻ってございますねやね。文人趣味に。

 「こんにちは」「ど〜れ」と、いかにも、お堅い感じですなあ。しかも、素丁稚やて。「結構なお天気さんでござります。この分やったら、明日もエエ天気です。明後日あたりは、危ない。」って、先月の、『祝いのし』や、おまへんで。「ぱっぱ唐人でござります。“火の玉”転がして、熱い熱い…。」って、何のこっちゃ、さっぱり分からん。要するに、桜の枝を折りくさって、ド盗人めということ。「何かと思えば、そんなことか。帰って主人に、こう申せ。『裏の高塀は、隣家と拙宅との境界線である。その境界線を、無断で突破したる、桜の枝の処分については、当方の心任せ』と。」やっぱり、先生のほうは、こう来ると思うた。しかし、定吉っとん、この返事が、なかなか覚えられへん。そこで、もっと短いのをと、紙に書いてもらうようにいたします。「主も主なら、家来も家来じゃ。手数の掛かる、領収書と言う奴があるか!とっとと、持って帰れ!」

 帰りますというと、旦さんは、学者はんが、謝ったやろうと思いのほか、怒ってたて。「何で、定吉ばっかり、使いに出すのや!このごろ、おかずが、悪すぎる!」って、そら、学者はんやのうて、定吉っとんの分。「受け取りもろて来ました。」て、違う違う。謝り証文と思いのほか、“塀越しに 隣りの庭へ 出た花は 捻じょと手折ろと こちら任せじゃ”やて。これ見た旦さん、怒ったの怒らんの。怒ったんでございます。すぐに番頭を呼び寄せまして、仕返しの相談でございます。事情を話しまして、何とか、今日中にと、段取りを付けますが、それには、少し資本が要ると。この家の庭で、花見の宴を催す。お客さんを呼んで、芸妓はんやら、太鼓持ちも呼びまして、派手に陽気に、散財をして、その後は、この番頭さんに、万事お任せと。さあて、何の心積もりでっしゃろなあ?意外と、旦さんも、堅いお方と見えまして、芸妓はんてなもん…。番頭はんのほうが、よう知ってる、白ネズミてなもん。とりあえず、早速に、親類縁者、取引先、いろんな方を、お客に招きまして、芸妓・舞妓・太鼓持ちなんかも、やってまいります。お膳は、堅苦しいというので、赤い毛氈(もうせん)を敷きまして、よくある、お花見の光景。「そのまた、賑やかなこと」と、下座から、いつものお囃子が入ります。『踊り〜踊るな〜ら〜』と、替え歌の場合もございますけれども。番頭はんも、なじみの芸妓はんに、「たまには、顔見せとくれやすいな。」てなこと言われて、旦さんの手前、青ぅになりながら、「こりゃこりゃ、こりゃこりゃ」と。

 一方、隣りの学者はん、っと、ここで、『宿屋仇』同様に、ちょっとお囃子の音が小さくなりまして、「しのたまわく。し、し、しの、しのた、しのたま…」っと、講義が出来ません。何か、隣りの庭で、宴会が始まった様子。というのも、弟子か誰ぞが、高塀の節穴から、隣りの様子を見て来たて。意外と、堅い、堅いといわれている人ほど、存外、興味があったりするもんで、先生も、節穴から、隣りの様子を覗いております。この様子を、目ざとく見つけました番頭が、丁稚に合図をいたしますというと、丁稚が、この節穴を手で、ふさいでしまいます。「ん?何をするのじゃ。見て減るもんでも無し。節穴は、ここだけでは無いわい。」っと、見つけては、覗きますが、どれも、ふさがってしまいます。こうなりますというと、人間、意地になりまして、今朝ほど使いましたハシゴをば、高塀に掛けますというと、この先生、のぼり出しよった。これを見ました番頭はんが、釘抜きを片手に、こちらも、高塀にハシゴを掛けまして、のぼり出しよった。夢中になって、見ております、先生の鼻先を、この釘抜きで、「えいっ!」っと、捻じ上げよった。「いたたたたっ〜!何をするのじゃ!」「先生、今朝方の返歌でございます。」「何、返歌とな?」「塀越しに 隣りの庭へ 出た鼻は 捻じょと手折ろと こちら任せじゃ」と、これがサゲになります。“花”と“鼻”が掛けてございますねやね。しかし、エライ仕返しでございますなあ。

 上演時間は、二十分から、長くても二十五分前後、そんなに、時間の掛かるものではございません。桜時分の寄席なんかでは、よくウケたことでござりましょう。冒頭部分、定吉っとんと、旦さんとのやりとりは、いろんな話に出てくるようなものと、一緒でございます。笑える部分では、あるんですがね。丁稚さんが、旦さんを、半分からかいながらも、口上を覚えると。ただ、この口上が、今回は、弾劾と申しますか、叱責と申しますか、文句言いに行くんですな。相手が、漢学か何かの先生だけあって、口上も、ちょっと、堅いと。これを、先生の所へ、言いに行って、返事は、短く、歌にしてもらいます。全く、反省の色は、ございません。ただ、今の法律では、どうなんでしょうなあ?『たけのこ』の小噺のように、地に生えると、また、話は、別なんでしょうけれども。この返事を聞きまして、旦さんは、いや増して怒ります。そら、当たり前ですわ。番頭を呼びまして、仕返しの算段。この辺からが、話としては、おもしろくなります。どないなんねやろうと、期待を持ちながら、お客さんの側に聞いていただきますというと、演者の側といたしましては、成功でござりましょう。芸妓はんに、太鼓持ちまで呼んで、花見の一散財で、どないして仕返しをて。いよいよ、クライマックスに、近づいてまいります。お囃子も入りまして、賑やかに、花見の宴を催しておりますというと、隣りの先生は、じっとしていられん。節穴から覗きますが、これも、ふさがれまして、とうとう、ハシゴにのぼりまして、ヒョイと顔を突き出す。待ってましたとばかりに、番頭はんも、ハシゴを使いまして、先生の鼻を、釘抜きで、えいっと。ここで、サゲになると。なかなか、ウマイこと考えたあるサゲですな。ま、演題が出ますというと、先に、ちょっと分かりますねけどね。

 そのせいか、『隣の桜』という演題で、出ていることもございます。上方もんでしょうけれども、東京でも、演じられては、いるのでござりましょう。所有音源は、故・初代桂春團治氏、桂雀々氏のものがあります。春團治氏のものは、もちろん、SPレコードのものですが、おもしろい中にも、案外、うまさを感じますね。登場人物、それぞれに、描き分けの個性がありまして、ウマイことでけてます。雀々氏のものも、おもしろいもんですな。隣の先生が、お囃子に連れまして、今にも、踊り出しそうになりながら、覗き込むあたりなんか。ちなみに、文中に出て来ました通り、大橋さんですので、故・三代目林家染丸氏が、ちょくちょく、やったはったネタみたいですな。聞かせていただいた記憶が、無いように思いますので、また、何かの機会に、じっくりと。故・笑福亭松葉氏、七代目松鶴氏も、やったはったと思います。

 なかなか、難しい話のようでもございますので、また、『行列のできる法律相談所』のテレビ番組の中ででも、解決していただきたいと思いますな。

<22.4.1 記>


トップページ