とある知り合いの方の、お孫さんが、この五月に初節句を迎えるということで、お嫁さんの親御さんのほうも、五月人形をてな話、ようありますわなあ。ま、この方の息子さんの物が、一式ありますので、断ったてな具合。本人さんにとっては、よろしいにゃろけど、節句の人形て、そないぎょうさん、要るもんやおへんし。家も、だんだん、だんんだん、小そうなっておりますのにね。しかも、鯉のぼりまでて。最近、都会では、あんまり物干しに、鯉のぼり付けてはる、お家も、見かけんようになりましたけれども、今月は、五月の節句に因みましての、『鯉舟』でございます。お珍しい噺でございますな。

 さる御大家の若旦那、船を一艘仕立てまして、どこぞへお出まし…。というようなところで、磯やん・磯七・磯村屋に出会いまんねんな。落語に出てまいります磯やんは、たいがい、周りの髪結いさん・“かみいさん”、床屋さんでございます。船遊びと思いのほか、今日は、網打ちですと。「お供しまひょか」と、これも、相場は決まっておりまして、太鼓持ちでは無いんですが、よくお供にされますな。しかし、船の中は、ホンマに、若旦那と船頭はんだけ。芸妓はんやら、舞妓はんてな散財ではございません。網打って、帰るだけ。しかし、磯村屋が言うのには、網打って捕れたら、その魚を魚屋へなんぞは、売りに行かん。というて、家に持って帰って、親に見せて喜ばすてなこともせん。行く先は、分かったあると。馴染みのお茶屋にでも行て、芸妓連中相手に、これ若旦那が捕った魚やと見せると、買い手が付く。五十銭とか一円とか。そこで、この磯村屋が、なんぼかんぼとは言わず、みんな引っくるめて、十円で買おうと。これを十円で買うとは、気に入った、倍の二十円の祝儀やろう…。んな、アホな。誰が、十円で買うてもろて、二十円の祝儀出しますかいな。先ほどの言葉を、ちょうど幸いと、「家に持って帰ろか知らん」て。一緒に付いて行ったら、たまには、親孝行せんならん、もう大丈夫ですと、横から言い出して、身代譲ってもろうて、後は二人で飲みつぶす。って、これも、エライ話や。とりあえず、ホンマに網打ちだけやと言うてるところへ、無理矢理に、船の中へ乗り込んでまいります。ここで、お決まりの、下座からお囃子が入りますな。

 大川で、網を打つわけですけれども、それまでは、大川に出るまでは、ちょっと船が揺れる。タバコ一服吸うのにも、火鉢の火が、なかなか付けられへん。磯やんが、火鉢持ちますねけどね。『船徳』みたいなもんです。ここらで良かろうと、網を入れようとしますが、磯やんが、まかしとくなはれと。小さい時分からやってて、十一屋の旦さんのお供で、木津川へも行ったことがあるて。ズシッと手応えがあったさかいに、そうろと上げてみますというと、毛が触る。そこで思い出したんが、六反池のおりえ殺し。体の部分部分が、あちこちで見つかってますけれども、首がまだ。こら、新聞社へでも持って行たら、なんぼかになるやろうと、ソーッと上げてみたら、ネコの死骸で、こらもう、ニャンボにもならん。って、シャレですかいな。「そんなこと言うてんと、早ぅ打ち。」藤家の若旦那のお供で、網打ちをした時には、大きい鯉が、二匹捕まったて。手玉で、タモ網で、すくおうといたしますが、どうも、逃げられるような具合。ちょっと飛び込んで、この鯉を捕まえてと言われるままに、裸になって、飛び込んだ。手探りで、探ってみると、やはり大きな鯉が二匹、一匹を、脇の下へ挟み込む。もう一匹を、反対側の脇の下へ。拍子に、手が使われへんので、溺れて行く。足をバタバタさせまして、水面へ上がって来たところに、ちょうど、上手から、木の、おまるが流れて来て、頭の上へ来た所で、頭で、おまるを突き上げたもんでっさかいに、おまるが引っくり返って、帽子代わりに、敬礼!んな、アホな。魚は逃げるわ、船へ上がるにも、皆が『臭い臭い』言うて、上げてもらわれへんわ、そら大騒動。

 「早ぅ打ちぃな」「わたい、網では、まだまだ苦労してまんねん。」皆が二階へ寄って、八八して、金の乱れ飛んでるところで、誰ぞが言いよったもんと見えまして、警察の手入れ。ドヤドヤと入り込んで来て、網が下りる。って、その網と、網が違いまんがな。「早ぅ打ちぃな」と、なかなか打たん。このまま、打たずに、終わるのんかいなあと思いのほか、ここらで、ドッコイショと。ここでも、お囃子が入っておりますな。大太鼓と申しますか、太鼓の水音がしまして、どうやら、手応えのあった様子。手繰ってまいりますというと、大きな鯉が一匹。タモで捕らえて、引き上げますというと、立派な鯉。これをまた、磯やんが、この場で料理するて。やめときゃエエのにねえ。「お前、包丁持てるんかいな?」「刃物は毎日。かみそりで。」って、そないウマイことは、いきませんで。船べりに、包丁と、まな板を持ち出しまして、鯉を乗せる。大名魚というぐらいで、まな板に乗せると、観念して、ピリッとも、動かん。「包丁で、撫でても、動かん。」「今、動いたで」「そんなことおまへん」「動いたがな」「大名魚だっせ。包丁で撫でたら…。」「また動いたがな」「旗本かな?」って、しょうむないこと言うてんのや、あれしまへんで。「三べん目に撫でたら、目つぶって、辞世の句でも詠みよる。“風誘う 花よりもなお 我はまた”」って、『忠臣蔵』やがな。浅野内匠頭違いまっせ。今度は、お尻のほうから、カミソリみたいな手つきで、ええヒゲ生やしてると、ヒゲを剃ってしまいます。その拍子に、鯉が川の中へ、ドボーンと。逃げてもた。「そやさかいに、初めから言うてるがな。何が、大名魚やな。」「そんなはずは、おまへんで。まな板に乗った鯉は、潔いもんだっせ。おかしいなあ。」と、言うておりますところへ、一旦、沈んだ鯉が、また、ズーッと水面へ、上がって来た。「上がって来た、上がって来た!なんやこう、用事があったんでっせ。妻や子に、一言、言い残して、また、覚悟を決めて、上がって来たんでっせ。上がって来た、上がって来た。ほれ、ここへ、飛び込め。」水面から、顔を出しました鯉が、「磯はん、こっち側も、たのんまっせ。」と、これがサゲになりますな。床屋さんですので、ヒゲ当たらはんのん、上手やったんやね。片方、剃ってもろたんで、今度は、もう片方をと。しかし、シャレた鯉で、最後に、鯉がこんなこと言うなんて、いかにも、おかしみがあるやおまへんか。

 上演時間は、十五分前後、そんなに長いものではございません。昔の寄席では、やりやすいものであったことと思われます。なかなか、おもしろい話ではございますけれども、おもしろさは、やはり、磯やん、磯村屋の太鼓持ちのような存在なのでありましょう。冒頭は、網打ちへ行こうとする若旦那と、それを目ざとく見つけた、磯やんとのやりとりから。ここからして、すでに、ヨイショのような感じ。とりあえず、お供して、網打ちへ行きたいて。仕方が無いので、一緒に船へ乗せまして、タバコを吸うあたりは、見て楽しむ場面でござりますな。そして、大川に着いても、なかなか網を入れへん。ゴジャゴジャ、ゴジャゴジャと。この辺の息が、おもろいですわな。六反池のおりえ殺しなんて、私は、もちろん、詳しくは存じませんけれども、要するに、今でいう、バラバラ殺人みたいなもんどっしゃろ。おまるが流れて来て、コンと突いて、敬礼なんて、笑えますわなあ。ホントにウマイのか、それとも、素人の何とやらか、大きな鯉が網に掛かりまして、今度は、料理をするて。泥臭いこと、おへんにゃろか?私も、やったことは、ありますけれども、やっぱり、ちょっと、泥吐かしといたほうが、よろしいで。昔の大川が、どういう状態やったかは、知りませんけれども。この、包丁持ってからでも、なかなか料理に掛からへん。おもろい場面です。包丁を、何となく、カミソリのように持ちまして、最後は、ヒゲだけ当たるなんて、ちょっとした仕草ではございますけれども、見ものです。大名魚が、旗本になるちゅうのも、おもろいとこなんですけどね。よう考えてみますと、後から、おかしみが込み上げてまいります。そして、鯉が再び上がって来まして、サゲになると。

 所有音源は、桂米朝氏のものがあります。本式でないかどうか、それも、私には、分かりませんけれども、網を打つ場面や、包丁を持つ所など、なかなか、見応えがございますな。磯やんが、おもしろいのは当然ですが、肝のある若旦那に、ほんの少ししか登場しません、船頭さんにも、それぞの味わいがございます。ちなみに、初代の桂春團治という方は、網打ちが得意で、この話も、たしか、SPレコードに残っていたと思います。私も、聞いた記憶が、あるように思えてますねけど、それが、なかなか思い出せませんねやわ。ゴジャゴジャと、磯やんのしゃべるあたりなんかは、上記と違ったものも、あったはずです。

 とりあえず、ま、網打ちですので、夏の話とは、なっておりますけれども、別に、夏に限ったものでなくても、良いと思います。好きな話のうちの一つですので、ぜひとも、たまには、聞かせていただきたいものですな。あまり、演じられませんのでね。

<22.5.1 記>


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