はや、紅葉の季節となりました。十一月は、京都へお越しの方も、多いのでございますよ。ホント、道は混みますし、電車も満員てな日が、ございますねやわ。エエような、悪いようなですけれども。“奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の”と、百人一首のお歌が出てきそうですけれども、やはり、我々庶民は、何とも申しましても、花札の図柄が浮かんでまいります。って、こじつけですか、今月は、『鹿政談』をお楽しみいただきましょう。
お所は、奈良のお話でございます。三条横町の豆腐屋の六兵衛さんというのが、主人公。今朝も、朝の早うから、と申しますよりも、まだ夜中ですな、暗いうちから起きまして、豆をひいて、豆腐作りに精を出しております。江戸時代のことですので、冷蔵庫も防腐剤もございません、朝御飯に間に合わさんならんがために、早うから仕事をしてますにゃね。ひいた豆は、豆乳と、おからに分けられます。豆乳に、にがりを入れまして、豆腐を作るわけですから、要するに、絞りかすのほうが、おから。炊いて食べますというと、ちょっとおいしいもんですけれども、最近は、家でも、あんまり炊かれませんな。おからは、“カラ”に通じる、あんまり、エエ意味ではございませんので、東京では、これを、卯の花と呼びますね。現に、花のように見えますわいな。関西では、昔、これを、“きらず”と申したそうでございます。豆腐は切って食べますけれども、おからは、切りませんので、きらずと。なんじゃ、もっちゃりしてますけれども、『貧乏花見』にも、“長いなり”で登場いたしますね。六兵衛さん、この、きらずの入った桶を表へ出して、二番目の臼をひいておりますというと、どさっと音がした。表を見ますというと、きらずの桶を引っくり返して、犬がムシャムシャと食べてまんねやな。まだ一つも、商いせん先から、商売もん食われるのん、ゲンが悪いと、シャイシャイっと追うたんですが、向こうへ行かんので、そのへんにあった割り木をつかんで、投げますというと、当たり所が悪かったとみえまして、どたっと倒れた。こんなことぐらいでと、表へ出てみますというと、これが犬やなかった。鹿やったんですなあ。奈良の話でっせ。朝の早い奈良の町、そうこうしているうちに、近所が起き出してまいりまして、仕方が無いと、町役(ちょうやく)が目代屋敷(もくだいやしき)に届ける。役人がやってまいりまして、六兵衛さん、縄を打たれて、引っ立てられる。鹿殺しは、奈良では大罪、打ち首もんなんですな。奈良の春日神社、春日さんという神さんの、お使いが鹿でございまして、興福寺と神仏習合でございますので、ここに、鹿の餌料(えりょう)が、徳川幕府から出てたんですね。要するに、興福寺の一万三千石の禄のうち、三千石がエサ代やったわけで、こら、大したもん。
鹿の守役・塚原出雲と、興福寺の伴僧・良然の二名が連署で、奉行所へと、訴え出る。お白洲てなもん、そう再々開かれるもんやなかったそうですが、鹿殺しは、奈良では大罪でございますので、与力のお調べどころでは、済みません。お奉行さん直々の、お取り調べ。正面に、お奉行さん、傍らには、与力や目安方、一段下に同心などが座っておられます。縁側には、塚原出雲と良然ですな。砂利の上には、ムシロが敷いてございまして、ここに、縄を打たれた六兵衛さんが座らされる。その後ろには、町役一同。「豆腐屋六兵衛、面(おもて)を上げぃ。そうほう、何歳に相成るな?」「四十二でございます」「生まれは、いずこじゃ?」「奈良三条横町…」「これ、住まいを聞いておるのでは無い。生まれを尋ねておる。」「奈良三条横町…」「落ち着いて返答をいたせ。そのほう、奈良の生まれでは、あるまい。落ち着いて申し述べるように。」、理由を付けまして、罪を免じてあげようという所ですけれども、六兵衛さんも、正直なもん。じじの代から、三代に続いて、三条横町で豆腐屋してるて。鹿を殺してしまった状況を説明いたします。「外へ出てみますというと、犬にはあらで、これ鹿。南無三宝。薬は無きかと懐中を…。」って、『忠臣蔵』の六段目、勘平の腹切りですがな。「鹿の死骸を、これへ持て。菰(こも)を、はねぃ。奉行見るところ、これは、鹿では無い。毛並みは、よく似ておるが、犬じゃと思うが。奉行一人の鑑定にては、心もとない。そのほう、どうじゃ。」と、与力連中や、町役などに聞きますな。「犬や、犬や。それが証拠に、さいぜん、ワンワンと鳴いた。」って、んなアホな。殺されたのを、犬として、無罪放免にしてやろうという、お奉行さんの、温かい心ざしですな。「塚原出雲、よく承れ。こりゃ、毛並みの鹿に、よく似た犬じゃ。そのほうも、お役目大事と心得て、願い出たるものゆえ、粗忽の儀は、咎め立ては、いたさん。犬を殺したる者に、罪は無い。願書は取り下げて、よろしかろう。」
「恐れながら、塚原出雲申し上げます。」って、これまた、いかにも時代劇の悪役らしい声つきでございますなあ。毛並みが似ておっても、犬と鹿を取り違えるようなことは無いて。人一人の命が掛かってまんのに、まあまあまあで、済ましたったら、よろしいのに。「しかし、肝心の、角が無いではないか?」と、これも、ウマイ逃げ口。奈良の鹿は、今でも有名ですけれども、角切りしたありまっさかいになあ。「鹿の落とし角、こぼれ角などと申し、俳諧の手提灯、木の葉籠などにも載っております。角の落ちましたるあとを、袋角・鹿茸(ろくじょう)などと申し…。」「だまれっ〜。」と、ここで、お奉行様の大喝でございます。我々、客席も、一瞬、シーンと静まり返ります。「これを、あくまで鹿と言い張るならば、そのほうらに、尋ねなければ相成らんことがある。年々、鹿には上より、三千石の餌料が下しおかれある。しかるに、近ごろ、その餌料のうちを、金子に代え、奈良の町人どもに、高利を持って貸し付け、役人の権柄(けんぺい)を持って、厳しく取り立てるゆえ、町人どもが、いたく難渋いたしておること、奉行の耳にも入りおるぞ!三百頭ないがいの鹿に、三千石の餌料なれば、鹿の腹は、満ち満ちておらなけらば、相成らん。それが、ろくざに餌も与えぬゆえ、鹿は、ひもじさに絶えかね、畜生のあさましさとて、街中をさまよい、きらずなんぞを盗み食らうに相違あるまい。いかに神鹿たればとて、他人のものを盗み食らうにおいては、これ賊類にして、神慮に叶わず。打ち殺しても、奉行、苦しゅう無いと心得る。そのほう、たって、これを鹿と言い張るならば、餌料横領の件より吟味いたすが、どうじゃ!」「その儀は…」っと、そら、声が詰まりますわ。餌料で、金貸ししてはんねやからね。「犬か?」「はっ」「鹿か?」「はっ」「犬か鹿か?」「蝶か…」って、んな、アホな。猪鹿蝶て、花札ですがな。「しからば、これは犬であるな。」「犬に相違ございません。」「が、よく見れば、鹿のような、あとがあるな。」って、どっちですねんな?「このあとは、何じゃ?」「腫物(しゅもつ)が、できものが、二つ並んで出ました、あとかと心得まする。」「しからば、いよいよ犬であるな。」要するに、念押しのためやったんですな。「犬を殺したる者に、咎は無い。願書は取り下げて、よろしかろう。裁きは、それまで。一同の者、立ちませい。あぁ、六兵衛待て。そのほうは、豆腐屋じゃな。きらずにやるぞ。」「まめで帰ります。」と、これが、サゲになりますな。ウマイことでけたサゲですわ。首を斬らずにと、おからのきらずが掛けてございます。また、返事のほうも、達者で、まめでと、豆腐の豆が掛けてございますねやね。このサゲが言いたいが為に、ここまで引っ張って来たんちゃうかいなあと思いますぐらいに、ようでけた話ですわ。
上演時間は、二十分前後。あまり長いものではございません。本来なれば、話の内容だけですと、もっと短く済むものでは、ございます。ただ、この話、十二分なマクラ、説明の部分も必要でございまして、これぐらいの長さになっております。奈良にまつわるもの、また、鹿や豆腐屋さんの説明、結構、長々とございまして、どやすると、話の半分ぐらいは、マクラにされる場合がございますね。また、それがあるからこそ、本題の話が出来るというもので。冒頭は、六兵衛さんが、鹿を殺してしまう場面。昔、奈良では、街中の路地なんかですと、鹿が入って来んようにと、路地口に、戸が付いてたんやそうですな。それぐらい、結構、迷い込んで来るもん。しかも、殺したら、自分も死罪ですからな。放っとくわけには、いかんので、奉行所での、吟味となります。ここからが、主題でございます。上方には珍しい、立派なお侍さんの登場ですな。侍言葉も、きっちりとしたものでなければ、なりませんもんね。ここらが、なかなか難しい所です。また、聞いておられるほうも、昔ほど、時代劇に慣れ親しんだ方が、少なくなってまいりましたので、言葉の意味が分からんようになる、てな時代も、ひょっとしたら、来るかも分かりませんな。とりあえず、お奉行さんは、六兵衛さんを、助けてやろうといたしております。しかし、これが、なかなか難しい。犬にしてやろうということになりますが、角が邪魔になる。幸い、奈良の鹿は、角切りをいたしますので、ウマイこと行きそうなんですが、やはり、どこにでも居る、悪役登場・塚原出雲と。そこを、餌料横領の件から突っ込みまして、黙らせると。この、大喝する所、胸がスーッといたします。また、この後の、お奉行さんのセリフが、よどみなく続く場面、聞きどころですわな。そして、万が一の念押しになりまして、いよいよ、よう考えたあるサゲへと。ホンマ、気持ちよろしいな。ただ、ウマイ人のを、聞いた場合ですよ…。
東京でも、同じ題で、同じ内容で演じられております。と申しますか、東京でのもののほうが、有名ですけどね。この言い方は、おかしいですか?奈良の話ですので、元々は、上方ネタですけれども、東京で、よく演じられるようになりまして、ただいまでは、また、上方で、よくやられているという。東京では、故・六代目圓生氏なんかが、やったはりましたな。うまかったですよねえ。上方では、先代の、故・三代目林家染丸氏が、古くは、演じておられたみたいです。元来、“マメで帰ります”が、“おかべで帰ります”やったらしいですが。おかべは、豆腐のことです。上記のものは、桂米朝氏のものを、参考にさせていただきましたが、これは、圓生氏のものも入っておりまして、非常に、スッキリとした、聞きやすいものになってございます。染丸氏の系譜のもので、先代の、故・四代目林家小染氏のものは、聞かせていただいたことがございますけれども、上記のものとは、また、ちょっと違った、上方式の、もっちゃりした感じがありましたわ。お奉行さんが、全面に出ておりませんで、丸い人物のような。故・露の五郎兵衛氏のものも、どっちかというと、こちらに近い感じでございました。桂南光氏のものは、米朝氏のものからのようで、適度に笑いもありまして、十分に楽しませていただきました。
誠に失礼な言い方ではありますけれども、やはり、お侍さんの出てくる、しかも、その中でも、四角い感じの話は、東京もんのほうが、よろしいな。上記のようなね。これも、映画や、テレビの時代劇の影響でっしゃろか?
<22.11.1 記>
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