特に意味などございませんが、今月は、『高尾』を選びました。元々は、冬場の話なんでしょうけどね。何ヶ月か遅れで、聞いております、ABCラジオの『なみはや亭』では、1080分落語会の、桂春團治氏の録音が、この前も、流れておりました。やはり、お若い。でも、今でも、そんなに、お歳は、感じさせられませんけどね。

 主人公と申しますのは、毎度出てまいります、喜六という、やもめ暮らしの男でございます。夜中に目を覚ましますと、ちょっと寒いせいか、小便がしたい。しかし、夜中の小便、せんち場へ行くのも暗いし、その上、怖がりですので、邪魔くさい。仕方が無いので、裏の戸を開けまして、そこへ、ジャジャジャジャジャーっと。やりますというと、裏から聞こえてまいりますのは、“なまいだ〜”という念仏と、鉦の音。裏へ来た坊主が、この時分になりますというと、念仏を唱え出す。毎日のことなので、何をしとんのか、今日はいっぺん、掛け合うて来たろうと、ぼんさんの家へ。戸を叩きますと、「深夜に及んで、門前を高唱に訪ずるは、誰そ、何人なるぞ?」って、エライ言い方や。こんな長屋に、門前も何も、あったもんやない。喜六やと言いまして、戸を開けて、中へ入れてもらいます。「隣家の喜六殿でござるか?」て、大層な物の言いよう。念仏で、小便が止まってしもたんで、この毎晩の念仏をやめて欲しいと。掛け合いますが、仔細があると、やめられへん様子。

 今から戻って寝ても、どうしようもないので、その仔細とやらを、聞くことにいたします。この人、根っからの、ぼんさんではございません、元は、お侍さんで、島田重三郎という方。江戸・吉原の三浦屋高尾と馴染みになり、通い詰めましたが、それが、御前の耳に入って、閉門・追放の身の上。その頃、仙台のお殿様が、三叉川の川下、船の中で、高尾を口説いたが、この人があるために、言うことを聞かん。そこで、高尾を斬り殺してしまう。その幽霊が、この人の枕辺に立って、一部始終の物語。それを聞いて、土手の道哲と改名して、おぼんさんになって、念仏を唱えていると。まさに芝居の中の人物ですな。しかし、島田重三郎は、もっと、色白で、エエ男のはず。問い詰めますと、証拠があるて。こちらから高尾に贈ったのが、千匹猿の割り笄(こうがい)で、高尾から貰ったのが、魂返す反魂香(はんごんこう)。この、お香を、火の中に、くべますと、高尾の姿が、朦朧(もうろう)と現れるらしい。ホンマかどうか、怪しい話なので、高尾を見せてくれと、詰め寄りますと、たんすの中から、紫ちりめんの袱紗(ふくさ)を取り出しまして、中の箱から、お香が出てまいります。爪ですくうて、火鉢の火にくべますと、青い陰火が一つ、ボーっと。

 『あ〜ら不思議やな、高尾の姿〜、あり〜あり〜と〜』っと、下座から声が入りまして、ドロドロドロっと。なかなか、見応えのある場面でございます。やはり、キレイな人なんですな。さすがに、毎晩、念仏唱えるだけのことはあると。喜六さん、やもめとは言いながら、実は、三年前に、奥さんが亡くなったはる。このお香を、半分だけ分けてもろうて、そのカカの顔が見たいて。しかし、これは、何ぼ焚いても、高尾しか出てこうへん。どこぞに売ってるか?って、エライ話や。そんなもん、売ってますかいな。と思えども、この広い世界、売ってないとも限らん。そこで、喜六さん、これから薬屋へ、買いに行こうと言い出します。ここらが、おもろいとこでんなあ。毎晩、念仏の唱え合いしようと、自分の家へ帰ってまいります。二十文を持ちまして、再び、表へ。薬屋を探しますが、夜中のことでっさかいに、どこが薬屋はんかが、分からん。ニオイで突き止めまして、昼間に、看板の出ている、掛け釘を認めて、表の戸をドンドンと叩きます。

 中では、急病人もあるのでと、薬屋夫婦が、慌てて起き出しますが、おやっさん、なかなか前へ進めん。って、帯締める時に、後ろの柱も、一緒に括ってるて、そら、前出ませんわいな。ようようのことで、戸を開けますと、二十文で分けてくれと。品物の名前、忘れはったんですがな。はよ開けへんもんでっさかいに。火の中にくべるもん。「あ〜ら不思議やな高尾の姿ありありと〜。二十文。」って、夜中に、けったいな人が、入って来はったもんどすわ。「お前は島田重三さん。二十文。」て、二十文しか、分からんがな。「そちゃ女房・高尾でないか。高尾二十文。」そんなもんは、おまへんで。しかし、日が暮れて、店閉めますと、表に掛けてた看板を、中に入れてしまいますので、この看板を見て、思い出しとくれやすと。『すもん取り顔役』違う、『相撲取り膏薬』。『ちきんたん』違う、『千金丹』。『こしなかとみやまはんごんたん』違う、『越中富山の反魂丹』。しかし、ウマイこと、読まはりますなあ。そうそう、これこれ、反魂丹・反魂香。おまけをしてもらいまして、二十文で買い求めてまいります。ちなみに、反魂丹、胃薬でっせ。飲むもんでっせ。これ、火の中に?

 家へ帰るなり、カンテキを出してまいりまして、火をいこします。うちわであおぎながら、三年ぶりに、奥さんと会えることを想像しまんねな。しかし、向こうは名前が揃うてるだけに、よろしいわなあ。島田重三郎に、高尾て。こっちは、下駄屋の喜六に、おちょねやて。あおいでおりますが、一向に火が付かん。って、口が向こう向けですがな。うれしいさかいに、目も見えてない。火が見えてまいりましたところで、反魂丹を入れてみます。なかなか出てこうへん。幽霊仲間日曜違うかいなぁと、なおも入れておりますと、なんじゃ、おかしげな音までする。よう考えてみますと、向こうのは粉で、こっちは粒。安もんかいなあと、袋ぐち、火の中へ入れますというと、そこらもう、煙だらけ。けむたい、けむたい。「喜ィさん、喜ィさん」と、表の戸を叩く音がします。こら、エライもん。火の中から出て来たら、熱いてなもんで、表から、下駄履いて、やって来たんですがな。「表の戸を、ドンドン叩くは、そちゃ女房、おちょねじゃないか?」「アホらしい、隣りのお梅。かんこくさいの、おたくかぇ?」と、これがサゲになりますな。かんこくさい・紙子くさい、要するに、何か燃やして、けむたい類の、くさい、くすぼってるですな。“くさいのは、おたくですか?”ちゅうことですわ。自分のカカやと思うたら、隣りのお梅はんやったと。ちなみに、死語というほどの言葉ではございません、まだ、ちょいちょい使われております。

 上演時間は、二十分前後、そんなに長いものではございません。やっぱり、芝居が題材ですので、ハメモノの入る、にぎやかな話です。筋もありますし、短いですけれども、案外、聞き応えのある、落語でもございますね。多分、そんなに、簡単に出来るものでも、無いと思いますねやが。前半は、小便の件りから、念仏の意味がハッキリする所でございます。長屋と申しましても、いろんな形態の長屋がございますけれども、裏には、植え込みなり、ちょっとした庭なりが、ある所も、結構、たくさんございます。道かどうかは、分かりませんが、夜中に、せんち場行くのん、邪魔くさいんで、そこらで、してしまおうと。やもめ暮らしですからな。そこで、念仏の声と鉦の音を聞き付けまして、掛け合いに。すると、このぼんさんが、なんと、土手の道哲。いろんな芝居に出てまいります。この発想が、おもろいですけどな。昔の人にとりましては、芝居が、もっと、なじみ深かったことですから、ウケるのも、よくウケたことでしょう。そして、反魂香を焚くと。これも、芝居で、なじみ深いもんどすなぁ。お囃子が、活躍しております。後半は、この香を求めまして、薬屋を探し、買って帰って来てから、自分でやってみると。薬屋はんで、品物忘れるのんなんか、『くっしゃみ講釈』にも出てまいりますが、また違う意味で、おもろいですわな。反魂丹、まあ、同じ意味で、名付けられたんでしょうけどね。これを持ち帰りまして、火にくべると。カンテキの口が、向こう向いてるちゅうのも、気持ちが良く出ておりますな。故・桂枝雀氏の『延陽伯』にも、出てまいります。それから、火が熱いというので、表から入って来る。これが、隣りの人やったというサゲですわ。

 東京では、『反魂香』。『高尾』は『高尾』で、また、別の話となっておりますね。しかし、残念ながら、この『反魂香』、私は、聞いたことがございません。勉強不足で、すみません。所有音源は、桂春團治氏のものがあります。おもしろいですし、雰囲気もありまして、よろしいですわなあ。いっぺんしか出て来ませんが、高尾の幽霊なんかでもね。もう崩せないものと、なりつつありますけれども、他に、故・橘ノ圓都氏でも、聞かせていただいたと思います。録音は録音ですが、ちょっと、忘れてしまいましたけど。とりあえず、ハメモノが効果的に使われておりますので、どこででも出来るというものでも、無いかも分かりませんが、私は、好きな話の中の一つでございますな。

<23.5.1 記>


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